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宝永山・双子山 [富士山とその周辺]

2013/08/10(土)

■第261回 : 宝永山(2693m)・双子山(二ッ塚)(1929m,1804m)


今回は、富士山の噴火活動のうち最も最近(1704年)の宝永大噴火で誕生した宝永山に行ってきました。
山頂直下には、遠くからでも目立つ大きな火口を従えて、雄大で迫力ある火山地形を間近に見ることができるのですが、この日はガスに巻かれてほとんど視界がなく、見るほうの楽しみはまた次回にお預けとなった形です。
その代わり、宝永山からの下りでは、2008年に富士山に登頂した際、そのあまりの楽しさに味を占めていた御殿場口下山道の大砂走りを再訪して、爽快でエキサイティングなスピードウェイを堪能してきました。

 累積標高差(登り):1555m / 距離:16.9km / 歩行時間:5時間55分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:8時間25分 

(往路)
古淵 05:37-05:40 町田 05:51-06:10 本厚木
本厚木 06:11-06:38 新松田/松田 06:50-07:23 御殿場
御殿場 07:35-08:30 水ヶ塚公園

(登山行程)
水ヶ塚公園バス停  08:30
二合目       09:30-09:35
三合目(御殿庭中)  10:20
宝永火口      11:10-11:20
宝永山       12:15-12:25
御殿場口旧二合八勺 12:50-12:55
双子山(上塚)    13:15-13:25
双子山(下塚)    13:35-13:45
幕岩        14:10-14:15
水ヶ塚公園バス停  15:05

(復路)
水ヶ塚公園 15:30-16:15 御殿場 16:24-16:55 松田
新松田 17:02-17:48 相模大野 18:08-18:20 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

御殿場駅のバス乗り場です。御殿場口・水ヶ塚公園行きの乗り場で待っていた人は数人でしたが、同じ時間に出る須走口行きの乗り場には、長い列ができていました。
バスの進行方向正面には、ぼんやりとながらも、全く雲のない富士山が見えていて、好天に期待が高まります。


水ヶ塚公園行きのバスは、御殿場口の登山口を経由していきます。停車時間中に車外に出てみました。
山頂が雲で隠れていたのはたまたまで、基本的には好天が続くと、まだこの時点では確信していました。
御殿場口登山道の起点です。須走口から登ってここに下って来たのが、もう5年前になりました。


水ヶ塚公園に到着すると、なにやら雲が増えていましたが、宝永山はまだ雲の下に見えていました(2台のバスの間の真上に見える三角形)。宝永山の左側には、宝永火口の大きな窪地も見られます。
公園前の道路を渡ってすぐの所(現在立っている地点)から、須山口登山歩道が始まります。
登山口を振り返りました。一緒にバスを降りたほかの人たちは、例外なく富士宮口行きのバスに乗り継いだらしく、こんな所から登り始める酔狂な輩は、どうやら私だけのようです。


須山口登山歩道は、しばらくは森の中に続いていくので、ともすると富士山に来ていることを忘れそうになります。そして周囲では、耳鳴りがしそうなほどの大音響で虫たちが合唱していました。
とにかく暑さが厳しく(甲府で40.7℃を記録していたのを帰宅後に知ります)、30分ほど登って一合五勺の分岐点に着くまでに、尋常ではない量の汗をかかされていて、先行きが少々不安でした。
なお、同じ道を往復するのはここまでで、直進して登ってきた後で、下る時は右の道から出てくる予定です。
苔むした美しい森の風景に、少しは心が和まされるものの、やっぱり暑くてかないません。
何がどう変わったのかは観察不足で良く分かりませんでしたが、この標識の付近を境にして虫たちの大合唱がスーっと消えて、代わりに鳥のさえずりが心地良く響き渡る道になりました。
登り始めてちょうど1時間で、「二合」と書かれた標識を通過する頃には、疲労に加えて暑さによる消耗も感じていました。少しガスが出てきて日差しが遮られ、涼しく過ごせたので、倒木に腰掛けて少し休んでいきます。


その後、登山道は、奥秩父あたりを彷彿とさせる針葉樹の森を抜けたりしていきます。
やがて、御殿庭と呼ばれるらしい一帯に入りますが、それまでに通過してきた森との明確な違いは、私には分かりませんでした。ここは二合五勺の分岐点で、標識に書かれた現在地名は「御殿庭(下)」でした。
次第に、富士山らしい砂礫の地面が現れるようになってきました。
かと思えば、普通の森の道にまた戻ったりします。
三合目の分岐点まで来ました。標識に書かれた現在地名は「御殿庭中」です。


三合目を過ぎてしばらくした頃、間もなく前方の景色から樹木が消えるという、いわゆる森林限界に差し掛かりました。でも、大きく広がるはずの視界がガスに遮られていて、ちょっとガッカリ。
樹林帯を抜けた先には、砂礫に足を取られる苦しい登りが待っていました。足元が滑って非効率で仕方ないので、手でロープをたぐり寄せながら登ります。景色が見えないことに落胆したばかりでしたが、この苦しい登りは、強い日差しの下では厳しかったはず。ガスってくれたのは、むしろ幸いなことだったのかもしれません。
砂礫の道を登り詰めたコブには、「山体変動観測装置」が立っていました。そう、ここまで来れば、宝永山と宝永火口(装置の奥の窪地がそれ)がもう間近なのですが、でもこの時はガスで宝永山は見えていませんでした。
コブのすぐ真下で、宝永第二火口が大きな口を開けていたので写真を撮ったのですが、大き過ぎてフレームに収まらず、サイズが比較できる別の被写体も入れなかったので、スケール感が不明な写真になっていました。
コブから先は、宝永第二火口の縁を伝ってさらに登りますが、ここも砂礫に足を取られる苦しい登りでした。


火口縁の道を登る途中、富士宮口五合目への道を分けます。左の斜面には、六合目の山小屋が見えていました。
次の分岐に着く手前で、それまでガスの中に隠れていた宝永山と宝永第一火口が姿を現しました。
この直後に再びガスに巻かれると、もう二度と宝永山を見ることはなかったので、貴重な1枚となっています。
第一火口分岐を右折すると、そこからは第一火口の底へ向けての下りに変わります。


宝永第一火口の底まで下ってきました。
宝永火口には休憩用のベンチが置かれていて、富士宮口からの往復で来ている人も多かったようです。
もしもガスが出ていなければ、上には宝永山が見えているはずでした。
なお、しばらく後で下る予定の大砂走りに備えて、私もここでベンチに腰掛けて、スパッツを装着しています。


火口の底から、宝永山を目指して再び登っていきます。標高差は約250mと、さほど大きくはないのですが‥‥
砂礫が分厚く積もった道は、どこを踏んでもザックザクと崩れてズリ落ちるばかりです。思うように前に進めないので、実際の標高差の5割増しくらいの体力を使ったような気がします。ここは登りではなく下りで通過するべき区間だったのでしょう。下りの人たちは、砂走りと同じ要領で皆さん快調に下っていました。
登るにつれて砂粒が小さくなり、ザックザクからザラザラに変わりますが、なかなか前に進めないのは一緒。
これまでに体験した中で、恐らく最もキツイ登りで、途中で何度も立ち止まっては、乱れた息を整えました。
ガスで日差しが遮られ、暑さが緩和された中でこれですから、晴れていたらどうなっていたことでしょうか。
この区間は、ある意味富士山頂への登りよりもずっと苦しいのではないかと思っています。


なんとか宝永山とほぼ同じ高さまで登って、宝永山への分岐点である馬の背まで来ました。
馬の背から、すぐ先でガスに霞んでいる宝永山を往復しますが、行ってみたところで何も見えないのは明らか。
山頂からの下山者たちが、次々と「宝永山はや~めた」とか言いながら、火口へ下る道に直行していきます。
しかし、山頂まで行ってきた人はそれで良くても、私は宝永山が今日のゴール。行かなかったら何のためにここまで来たのか分からなくなってしまうので、文字通り「馬の背」のような尾根を歩いて、宝永山へ向かいます。
ということで、一応、宝永山の頂上を踏んでおきました。やはり、どちらを向いても見えるのはガスばかり。
宝永山の展望図です。書かれている「東京」とか「伊豆半島」とかの文字を見るのが虚しかったこと。
宝永山にはもう1回来るしかないかな、などと考えながら、馬の背の分岐点まで戻ってきました。


馬の背から御殿場口の下山道へ向かって下り始めると、もうそこから砂走りが始まっていたようなものでした。
すぐに御殿場口の下山道にぶつかります。さあ、いよいよ楽しみにしていた大砂走りに入ります。
どちらを向いても砂ばかりの世界。さすが長丁場で敷居が高い御殿場口だけあって、今日も空いています。
頂上側を振り返っても、視界の限りでは全く人の姿がありませんでした。


粒の細かな砂礫が深く敷き詰められた道では、1歩1歩を踏み出すごとに、ズズーッと靴が砂礫に沈みます。
自然と勢いが付いて駆け下りるようになりますが、走力のようなものはほとんど必要ありません。重力に従ってただ落ちていくような感覚で、足を交互に出してさえいれば、勝手にどんどん前に進めてしまいます。
何も制御しないでいると、ぐんぐんスピードが上がっていき、どこまでも見渡す限り続く広大な砂のスロープを、豪快に走り抜けていく爽快感といったらありません。
猛スピードで下っている間には、当初全く姿が見えていなかった先行者に追いつく、ということが何度か。
そしてあっという間に、先行者の前方には、次の分岐点となる旧二合八勺の小屋跡が見えてきました。
標高差約550mを20分足らずで一気に下ってしまったことになりますが、砂が最高のクッションとなって、膝をはじめとする身体のどの部分にも負担を全く感じませんでした。
乗り物はおろか道具の力すら借りることがなく、純粋に自分の足だけで、これほどのスピード感を安全に味わえる場所なんて、ほかにないのではないでしょうか。


旧二合八勺で御殿場口下山道に別れを告げ、この小屋跡の前を通って須山口下山歩道に入ります。
須山口下山歩道は「山と高原地図」の赤破線路。あまり歩かれていないのか、途端にか細い道に変わります。
とはいえ道が明瞭さを失うほどではなく、目印となる杭も一定間隔で立てられていますが、濃霧時には道の続きを見失うことが十分に有り得そうでした。


須山口下山歩道をしばらく下り、左手に双子山(上塚)が見えてきた地点で、道を外れてそちらに向かいます。
こちら側からはほとんど登られていないようで、踏み跡の見られない斜面を適当に登っていきます。
双子山(上塚)の頂上には、頂上を示すらしい杭と、ケルンがあるだけでした。


双子山の上塚と下塚はすぐ隣り合わせで、上塚からは下塚が当然見えるものと思っていたのに、意外にもガスしか見えず、次に向かう下塚の方角が分かりません。そこで、地図とコンパスで進行方向を定めて下り始めます。
少し下って行くと、やがて双子山(下塚)がガスの中に現れてきました。進んだ方角は正しかったようです。
上塚は満足な道がありませんでしたが、下塚は良く歩かれた立派な道が付いていて、案内標識もありました。


双子山(下塚)頂上の東側には、なぜか伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の2神が祀られていました。
双子山(下塚)頂上東側の東端には、御料局三角点が残っていました。
双子山(下塚)の頂上西側は、地形図では凹地の記号が描かれていますが、それが埋まったのか、むしろ西側のほうが少し高いように感じられました。こちらはその西側にあったケルンで、奥で霞んでいるのは上塚です。


双子山(下塚)の頂上西側から直接登山道に下って振り返ると、上空には久しぶりに見る青空がありました。
須山口下山歩道に戻ったところが、二合目に当たる四辻の分岐点です。
ここまで下ると、雲の間から時折日差しが届くようになって、双子山の上塚もクッキリと見えてきています。
再び須山口下山歩道の続きを下っていきます。下界は晴れているのかと思っていたら、そうでもないようです。
須山口下山歩道を下っていくと、間もなく森林限界を通過します。
その後は、朝のうち登っていた道と同じように、ほかの山と似た雰囲気の森の景色になりました。


須山口下山歩道の途中には、幕岩への分岐があります。片道5分とのことなので、寄ってみました。
幕岩のほぼ全景を下から見上げています。手前側は溶岩流の跡で、奥のほうに幕岩が見えています。
この時は岩肌が露出した部分しか目に入っていなかったため、アップで撮った写真が見当外れのものになってしまったのですが、実は写真右上に見切れていく、植生が付いて緑に覆われた垂直の岩壁が幕岩らしいです。


須山口下山歩道に戻ると、すぐに一合五勺の分岐点に出ます。水ヶ塚公園に戻るには、そのまま直進して須山口下山歩道を下り続けるほうが近いのですが、敢えて右折して紅葉台遊歩道に入ります。
紅葉台遊歩道は、須山口登山歩道と須山口下山歩道の間をほぼ水平に結ぶ道。
この道を選んだのは、「富士山ハイキング案内」(伊藤フミヒロ著・東京新聞刊)に「道の様子も景観も樹木も森も最高の遊歩道」と書かれていたからで、その通りに美しい森が続いていました。
ところどころに、苔むした古いベンチが置かれていました。
森が醸し出している雰囲気が素晴らしく、ほかに誰も歩いていなくて静かなのも好ましかったです。
途中には、南山休憩所がありますが、やや荒廃していて、屋根と壁だけになっていました。


見覚えのある一合五勺の分岐点で須山口登山歩道に出ると、紅葉台遊歩道は終わりです。
あとは、朝に登った須山口登山歩道を引き返して、登山口に戻ってきました。
最後は、水ヶ塚公園のバス停に向かって、御殿場駅行きのバスを待ちました。

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