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志賀山・奥志賀山・横手山 [上信越]

2016/09/10(土)

■第332回 : 志賀山(2035m)・奥志賀山(2037m)・横手山(2307m)


この日の行先は志賀高原。学生の頃は、サークルの合宿で毎年夏が来るたびに通っていましたが、登山で訪れるのは今回が初めてで、約30年近いブランクを経ての再訪です。

今回のコースは、はじめのうち、いくつもの池を巡りながら登山を絡めるような具合で、登る山も標高差が小さく、次々と現れる美しい景色を愛でながら楽しく歩けていました。
しかし、四十八池を過ぎて鉢山・横手山へのコースに入ると、その先に待っていたのは整備状態の良くない荒れた登山道でした。急登でしかも歩きにくいという、かなり辛い状況が続いて、一転して修行のような有様に変わってしまいます。
前半と後半とで、あまりにも印象の違いすぎるこの日の山歩きとなりました。

 累積標高差(登り):1107m / 距離:10.9km / 歩行時間:4時間35分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:5時間15分 

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:38 新宿
新宿 05:47-05:56 池袋 06:01-06:09 赤羽
赤羽 06:18-06:33 大宮 06:42-07:38 長野
長野 07:51-08:42 信州中野 08:50-09:05 湯田中
湯田中 09:10-09:48 木戸池

(登山行程)
木戸池バス停 09:55
ひょうたん池 10:20-10:25
渋池     10:35
志賀山    11:25-11:30
奥志賀山   11:50-11:55
四十八池   12:15-12:20
鉢山     12:45-12:50
横手山    14:40-15:00
渋峠バス停  15:15

(復路)
渋峠 15:58-16:28 蓮池 16:35-17:45 長野
長野 17:55-18:54 大宮 18:59-19:30 新宿
新宿 19:38-20:13 相模大野 20:25-20:40 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

この日は最寄駅の始発を捕まえてから、合計8本もの電車を乗り継ぎます(その後でさらにバスに乗り換え)。
それでも志賀高原への玄関口である湯田中に9時に着いてしまうのは、北陸新幹線の「かがやき」サマサマと言ったところでしょう。大宮から乗ったら、次に停まるのがもう長野で、しかも乗車時間が1時間を切っているというのは、時刻表を見て分かってはいても、実際に体験してみるとなかなか衝撃的でした。

少々予想外だったのは、長野で長野電鉄に乗り換えたら、車内に私以外の観光客がほとんどいなかったこと。公共交通で志賀高原にアクセスする際のメイン路線だと思っていたので、大いに拍子抜けしてしまいます。途中の信州中野で8本目の湯田中行きに乗り継ぐと、その電車の乗客なんて全部合わせても10人くらいでした。
ところでその湯田中行き、どう見ても昔地下鉄日比谷線を走っていた車両ですね(ドアの窓が特徴的な形状なので分かりやすい)。隣に停まっている、長野から乗ってきた車両も、かつて東急で見たことがある感じでした。
湯田中駅でようやく鉄旅が終わり、駅前から志賀高原方面行きのバスに乗り継ぐと、もう乗客は4人しかいません。とても観光地へ向かう路線とは思えない状況に、少し寂しさすら感じながら、発車時刻を待ちました。


バスが志賀高原内に入ると、蓮池で前日からの宿泊客と思われる人たちを何人か乗せましたが、相変わらず空席が目立つ状況のまま、木戸池に到着しました。
バス停のすぐ前には木戸池があります。すでにバスの車窓からは、丸池や蓮池などいくつかの池を見てきましたが、自分の足で池畔に立つのはこれが最初の池になりました。
池畔にはさらに、木戸池温泉ホテルが建っていました。志賀高原は、大学オーケストラの合宿地としては定番中の定番です。この時も、館内から管弦楽の音色が聞こえてきたので、どこかの学生さんが来ているのでしょう。
私が学生だった頃、夏合宿といえば決まって7月か8月だったので、この時期に休めるのはどんな人たちなのかと、何気なく玄関を見に行ってびっくり! なんと自分の後輩たちでした。でもなんで今頃来られるのだろう?


池めぐりコースの入口は、少し道路を歩いて、バス道路を渡った先にありました。ここからスタートです。
この日、上空には雲が多かったものの、晴れている時間のほうが長くて、まずまずの天気です。
池めぐりコースの入口付近の草原はキャンプ場になっていて、この時も大きなテントが1つ張られていました。
池めぐりコース、最初のうちは楽に歩けると思っていたら、割としっかりと登らされるのでした。
しかも、林間を進むので木陰の道を期待していたら、意外なほど開けているではないですか。それなりに登り坂が続くのと強い日差しとで、ここで思いのほか汗をかかされました。


ひょうたん池に到着しました。ここの風景が、この日のコースの中で一番美しかったと感じています。
澄んだ湖水も、鏡のような湖面に映る景色も、どちらも綺麗です。しかも、ここまで誰にも会わずに歩いてきて、ここも無人。静寂の中で、この景色を独占しているのがすごく贅沢な気分でした。
ひょうたん型をした池の、“くびれ”の部分を木道が横断しているので、木道の反対側も池でした。
どちらを向いても美しい景色で、この場所はとても気に入りました。今はまだ歩き始めたばかりなので、少し休憩したら先に進んでしまいましたが、今度いつか時間の余裕がある時に来て、ここでゆっくり過ごしてみたい。


木戸池からひょうたん池までは、決して歩きやすい道ではなかったのに、ひょうたん池を過ぎると急に道幅が広がって、傾斜も穏やかな歩きやすい道に変わりました。所々に段差が現れるので車こそ通れませんが、平坦な場所なんかはまるで林道のようです。
分岐点に出て別の道に合わさると、少し先に今度は渋池がありました。池の後方は、最後に登る横手山です。
なお、ここで合わさった硯川からの道は、道幅がさらに広く、砂利まできれいに敷かれていて、道路と見紛うような体裁でした。前山リフトを使ってこの道に入れば、ほとんど自分の足で登らずに四十八池まで行けるので、観光客に良く歩かれているのはこちらの道なのでしょう。
さて渋池も、湖面に揺らぎがほとんどなくて、対岸の景色を映し込むさまがとても綺麗でした。しかもここにも誰もいません。こういう凜とした雰囲気の場所では、風などが織りなす自然音も景色の一部として感じたいので、余計な雑音がない中で過ごすことができたのも、恵まれていたと思います。
解説板によれば、浮島には食虫植物のモウセンゴケが生育しているとのことで、まだ見たことがないので目を凝らしてみましたが、湖畔からは良く分かりませんでした。


渋池から先は、見るからに人工的な砂利道が続いて、自然の中を歩いているという気分に浸りきれないのが少し残念でした。そして、ここからぼちぼち人と会うようになってきます。
次の分岐点で、山に登らず四十八池に直行する砂利道とお別れして、志賀山への道に入ります。
志賀山への道は、最初こそ小湿原の中の木道で始まりましたが、ひとたび斜面に取り付くと、岩混じりの急登が連続しました。たびたび手も使って、身体を引き上げるようにして登っていきます。
岩混じりでない区間は、たいてい木の根の階段となっていて、しかも段差の大きな箇所が多く、なかなか登り応えがありました。標高差は200mほどと、さほど長く続く訳ではないので、疲れを感じる前に登り切れましたが、コースを逆回りにした場合は、ここの下りには結構神経を遣うのではないかと思います。


ひょっこり飛び出る感じで着いた志賀山の頂上は、この写真の範囲がほぼ全てという狭さでした。
雲が多かったせいで、この日はあまり展望を楽しめなかったのが残念でした。
志賀山からは、一旦急降下してから同じくらい登り返して、ほとんど標高が同じ奥志賀山に向かいます。まずは、先程まで登って来たような感じの道を下るので、短い区間ながらも、少々厳しい箇所もある下りでした。
ただ、その下っている間、遠くは相変わらず望めないものの、すぐ眼下に見下ろす景色はなかなか素敵でした。


奥志賀山は、どこが頂上なのか明確ではなかったのですが、ベンチが置かれその前に志賀山神社の祠があるこの地点を、奥志賀山の頂上として記録しています(最高点はこの少し手前だった模様)。
頂上付近からの展望はありませんが、さらに奥へと続いていた踏み跡を追って少し下ってみました。
すぐに前方が大きく開けると、眼下に現れた大沼池の、コバルトブルーに輝く湖面が鮮やかで、しばらく見入ってしまいます。そしてその右後方には、近くにある明石山までは見えていました。


奥志賀山からの下りも、傾斜はそこそこ急でしたが、厳しいと感じる箇所はほとんどなかったので、今回の周回方向が正解だったようです。下り切ったところで木道に迎えられると、そこはもう四十八池の一部でした。
その名の通り、湿原の中に、小さな池が無数に散りばめられていました。
この時は運悪く曇っていたので、晴れている時の景色も見てみたかったです。
四十八池を振り返ります。木道の延長線上は、つい先程まで頂上にいた奥志賀山。
四十八池の南端には休憩舎があって、ここで少し足を休めていきました。少し離れた所にはトイレもあります。


ここまでのコースは、なにより次々と現れる景色がどれも綺麗でしたし、登山道も急登の箇所はあっても歩きにくくはなかったので、いい気分で大いに楽しんで歩いてきました。

ところが、四十八池の先で、鉢山・横手山へのコースに入った途端、登山道の様相が激変しました。
急登になることは地図を見て予め分かっていたのですが、問題はそこではありません。ほとんど歩かれておらず、また整備もされていない感じで、道が相当に荒れていたのでした。
酷い所はこんな具合ですが、これが決して珍しくない光景なのです。ただでさえ急な斜面なのに、適切な足場がなくて本来以上に大きな段差を登らされる箇所が少なくありません。また、2日前まで雨の日が続いていたからか、水溜まりやぬかるみも多数あって、足の置き場が限られていたことも、歩きにくさに輪を掛けていました。
最近では登山頻度が月1回にまで落ちていたため、すっかり鈍っていた脚力には、志賀山・奥志賀山前後の急登降をこなすのが精一杯だったのでしょう。さらなる急登の追い打ちで、腿が両方とも攣りそうになりました。
ペースを落として、どうにか鉢山までは登って来られたものの、この先どこまで歩けるか、全く見通しが立たなくなってしまったのです。展望のない鉢山のベンチで、今後について思案しましたが、結論は出ませんでした。


鉢山を越えると道は下りに変わって、次の分岐点までは順調に来ました。下るのは問題がないと分かったので、最もリスクの低い行動を選ぶなら、このままバス停がある硯川へ下るしかないと、頭では分かっていたのです。
四十八池を出て以来全く人を見ていないことから、このコースはこの先も誰も歩いていない確率が高いと思われ、何があっても全てを自力で解決する以外ないことからも、抑制した行動を取るべきだとも思いました。
しかし、登り残していたのが、志賀高原で二番目に高く、日本三百名山の一座でもある横手山で、その横手山をメインとして登るために計画してきたルートだったことから、簡単には諦められずに決断が鈍ります。
結局、本格的に足が攣った訳でもないしと、都合の良い理由を付けて、下っていく分岐道を見送りました。この先にはしばらくエスケープルートが存在しなくなるのですが、それを踏まえた上で、さらに事態が重くなったら引き返す余力が残っている間に早めの判断をして、ここまで戻ってくるというのが、この時点での結論でした。

すると分岐点以降は緩やかな登りが続いて、割と普通に歩いて行けます。道は引き続き荒れていますが、傾斜が緩ければ荒れた箇所の通過にも大した困難はありません。もっとも問題なく歩けるということは、引き返し難い距離まで進んでしまうことと同じで、それが悪い方向に転ばなければと、祈りながら歩いている具合でした。
しかし、やはり緩やかな道ばかりは続かず、次の急登が現れたら、その先は再び急登が続くようになりました。道の荒れ具合も相変わらずで、何度か無理をしている間に、またしても両腿の具合が怪しくなってきます。
ほどなく単調な登り一辺倒から、アップダウンを繰り返す区間に入ります。その1つ目の小ピークからは、目的地の横手山が、まだ遠くに高く見えていました(縮小写真では分かりにくくなりましたが、中央奥が横手山)。
このピークを過ぎて下り始めると、その後に引き返すことにしてもここまでが登り返しになってしまうので、多少躊躇する思いもありましたが、ここで引き返すことを決断するのは難しかったです。
さらに登り続けてくと、スキー場のゲレンデに出て、あとはこれを直登していくことになりました。
かなりの傾斜があり、まともに登ることは現在の脚の状況ではとてもできないので、牛歩の如く歩みを遅らせて、さらに斜め歩きで少しでも楽をしようとしましたが、それでもキツイものはキツかったのでしょう。この写真の範囲を登り切るまでの間に、いよいよ両脚ともに本格的に攣る一歩手前になってしまいます。
そして、登り切った少し先が、唯一のエスケープルートである“のぞき”への分岐点になっていて、そこからは眼下の比較的近くにバス道路が見えていました。すぐにでもそこに降りられそうだったので、脚が本格的に攣りかけていたこともあり、大いに悩みます(悩むので頭が一杯だったのか、その地点では写真を撮り忘れました)。

が、簡単に道路に降りられる地点の出現によって、むしろ状況は好転したと発想を転換しました。今後はここから引き返せば良いわけですから、もう本当にダメになるところまで登ってみようという気になったのです。
その先もゲレンデの急登が続きますが、荒れた登山道ではなくなったことで、無理な態勢や不自然な足運びをする必要がなくなり、腿に変な負担がかからなくなったことも、たぶんプラスに働きました。
疲労の蓄積から、その後は何度も完全に脚が攣る直前にまで至りますが、休み休みで脚を誤魔化しつつ、1歩ずつ登っていきます。このあたりは、普段の自分と比べて2~3割程度のペースしか出せていなかったでしょう。
このゲレンデがどこまでも続いているとは思えず、どこかで登山道が再来するものと思っていましたが、なんと頂上までずっとゲレンデを登れば良かったのでした。これなら、ゆっくりと歩きさえすれば、どうにか登ることができるので、最後までこの状況が続いてくれたことにも助けられています。
この頃になると周囲はさらに曇ってきていましたが、間もなく頂上部というあたりで振り返ると、最初に登った志賀山と奥志賀山が、まだ雲の中に入らずに並んで見えていました。


一時はどうなることかと思いましたが、なんとか無事に頂上部へ。ゆっくり登ったことで体力的な疲労はほとんどなく、全く息を乱すこともないまま登頂できています。腿の状態は限界ギリギリな感じですが、完全には攣らないよう努めて、その直前で踏みとどまり続けたのが良かったのか、以降は帰宅するまで問題なく動けました。
横手山頂ヒュッテは、日本一高い場所にあるパン屋さんとしても知られていますが、パンはすでに売り切れ、レストランも喫茶もすでに営業を終えていました。あまりにゆっくりと登りすぎたようです。
この電波塔が建っているあたりが、一番標高が高かったように感じました。
ところで横手山の頂上には、敢えて自分の足で登らなくても、東西両側からリフトで楽に登ることができます。
特に西側の“のぞき”から登ってくるリフトの頂上駅は、2階に展望台があって、観光客はそこで眺めを楽しんでいた様子です。だから建物の外に出てくる人が少なくて、このように頂上部がガラ~ンとしていたのでしょう。
私が展望台の存在を知ったのは、このブログを書こうと帰宅後に色々調べている時だったので、その展望台には行きそびれました。雲が多かったこの日、行ったとしても眺めなんてパッとしなかったとは思いますが‥‥。


横手山は、一般的には三角点と横手山神社のある地点が山頂とされているので、そこに繋がる道を探していると、渋峠側のリスト乗り場の近くにその入口を発見。横手山神社の鳥居をくぐって、その道に入ります。
ほとんど平坦な道を2分ほど歩いたところに、三角点と横手山神社の祠がありました。その傍らには山頂標柱も建っていたので、この記録でもここを山頂としています。
上空にだけは青空が残っていたりしましたが、周囲の山々はもう軒並み雲に隠れていて、展望らしい展望はありません。すぐ南側にある草津白根山も、頂上部は雲に覆われていました。
それでも雲が薄くなった瞬間には、斜面の噴気口から盛んに噴気が上がっている様子を窺うことができました。2009年に探勝歩道の最高点や湯釜などを巡った草津白根山も、火山活動が活発化する兆候が見られたことから、現在では噴火警戒レベル2(火口周辺規制)が発令されていて、当時と同じコースは歩けなくなっています。


山頂でしばらく足を休めたら、腿の状態も快復してきたので、リストを使わずに渋峠まで下ってしまいます。距離はたった1km、標高差だってほんの150mほどで、傾斜が穏やかなのも地図を見て分かっていましたから。
下り始めだけは山道でしたが、すぐリフト沿いにスキーゲレンデが現れて、あとはそこを下るようになります。
距離が近いだけに、山頂を後にして10分もしないうちに、もうゴールの渋峠が目前に迫ってきました。


渋峠まで下ったら、バス待ちの時間を、渋峠ホテルの喫茶で過ごしました(パンとコーヒーで軽くお食事)。
このホテルはちょうど県境に建っていて、一目でそれと分かる外観がなかなかユニークです。
渋峠のバス停です。発車時刻になっても、バスを待つ人はほかに現れず、しばらく乗客は私ひとりだけでした(途中の硯川で3人を乗せて、計4人にまではなりましたが‥‥)。
渋峠ホテルの中にいる間に、横手山の頂上部はすっかり雲に覆われてしまっていました。
バス停の周囲にも、時々ガスが立ちこめてきます。夕方が近付いて、気温も半袖シャツでは涼しいくらいに下がっていました。


渋峠から乗ったバスは蓮池行き。終点で長野駅行きの急行バスに乗り継ぐつもりで、その乗り継ぎ時間が7分と少々短めなのが少々心配の種でした。でもバスの乗客なんて最初は私だけでしたし、道路もスイスイと流れていて、遅れる心配はなさそうでしたが、乗り継ぐ予定でいることは運転手に伝えておく方が得策かなと思い、
  「このバス、蓮池で長野行きに乗り継げますよね」
という質問をすることで、その予定を伝えました。それに対する返事自体は「大丈夫です」だったのですが、さらに「通しの運賃で精算できます」というお得な情報まで付いてきたのは嬉しい誤算(?)でした。
なんでも話してみるものですね。バスに始発地点から1人で乗って発車を待っている間の会話だったので、少しでも状況が違えばしなかった会話だったと思いますが、何も知らなければ別々に料金を払うところでした。
写真下の黄色い「精算済券」がその時に発券してもらったもので、470円分を余計に払わずにすんでいます。
蓮池から乗った長野駅行きの急行バスも、最初は乗客が私だけでした(途中のスノーモンキーパークで、意外にも外人客を4人乗せています。温泉に入るサルで有名な地獄谷野猿公苑は、国際的な観光地だったんですね)。

それにしても、四十八池から横手山へのコース(のぞきへの分岐の少し手前でスキーゲレンデに出るまでの区間)の荒れっぷりは、なかなかに手強かったです。
今回は登る方向にコースを取ったので、まだ歩きにくいだけで済んだのでしたが、ウエットで滑りやすい箇所も多かったので、もしも下る方向に歩くのであれば、かなり神経を遣わされたことでしょう。
この日は結局たった1人とすれ違っただけですし(なんと外人のハイカーでした)、泥濘んだ場所に残る足跡を見る限り、1日を通しても数える程の人しか通っていない様子でした。利用者が少ないゆえに、整備も後回しにされているのか、歩かれず手入れもされずで、さらに道が荒れていく悪い循環にはまっている気がします。
単に歩きにくいというだけでなく、道の両側を樹木に遮られて、見られる景色もほとんどない地味な山道が長く続くので、足にトラブルを抱えた不安な気持ちで歩いていたこともあって、本当に修行のようでした。

いろいろあった今回の山歩きでしたが、山以外で印象的だったのが、人がとても少なかったことです。
夏休みと秋の行楽期の狭間に当たって、そもそもどこもかしこも人出が鈍かったのかもしれませんが、志賀高原内の公共交通機関に限って言うと、上記のように電車もバスも同乗者が数えるほどという有様でした。
道路を見ても一般車の通行量もすごく少なく感じられて、観光客でそれなりに賑わっているのを想像していた私にとって、拍子抜けするほど閑散としていたというのが率直な印象です。
山歩きを静かに楽しめたのが喜ばしかった一方で、観光地としての将来が少々心配にも思える状況だったのが気になりました。たまたまこの日がそうだっただけ、ということであれば良いのですが‥‥。

タグ:上信越
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