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竪破山 [茨城]

2017/11/19(日)

■第365回 : 竪破山(657m)


この日の行先は茨城県北部の竪破山です。次々と現れる巨岩・奇岩の数々や、山頂に忽然と現れる立派な神社など、見所の多い山でしたし、緩やかで歩きやすい登山道が整備されていて、安心して歩ける山でもありました。
ただ、マイカー登山なら2時間程度で軽く歩ける竪破山も、公共交通利用でかつ休日山行となると、満足に利用できるバス路線がないため、一般的には計画を立てるのが困難です。しかし、紅葉の時期限定で運行される花貫渓谷行きのシャトルバスを片道に利用することで、路線バス利用の竪破山登山を可能にして出掛けてきました。

とはいえ、行き帰りに利用したバス路線は、ともに登山口からバス停まで1時間半ほど歩かされる使い勝手の悪いもの。このため、行程の大半を車道歩きに費やすことになっていますが、すでに書いた通り、それを補って余りある楽しい山だったので、アクセスの不便さを受け入れてでも出掛けてきた甲斐はあったと思っています。コメントする地点の多さゆえ、今回は写真が約100枚と大量なのですが、懲りずにお付き合い頂ければ幸いです。
(中腹から山頂にかけて見られた数々の巨石群のひとつ、太刀割石)

 累積標高差(登り):578m / 距離:15.8km / 歩行時間:4時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:42-06:17 新宿
新宿 06:20-06:40 東京 06:53-08:44 高萩
高萩 09:00-09:25 花貫駐車場

(登山行程)
花貫駐車場バス停  09:30
中戸川登山口(土岳) 10:05
米平登山口     10:45-10:50
竪破山       11:35-11:50
太刀割石      12:00-12:05
竪破山登山口(鳥居) 12:35
せせらぎひろば   12:45-12:50
黒坂(鬼越)バス停  13:00
田平橋       13:45
菅谷不動尊の滝   14:00-14:10
境橋バス停     14:20

(復路)
境橋 14:32-15:10 常陸太田 16:06-16:40 水戸
水戸 17:06-19:12 上野 19:18-20:01 東神奈川
東神奈川 20:05-20:38 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

常磐線の高萩駅から、今月の4日間だけ運行される花貫渓谷シャトルバスを利用して、花貫渓谷の駐車場へ。
大きな駐車場は、朝9時半の時点で早くも満車になっていました。
竪破山に直行するため、渓谷とは反対方向に歩き始めると、駐車場の空きを待つ車列がずっと続いていました。
車列がほとんど動かないので、国道からの入口付近は、国道の流れまで滞っていました。これは少々迷惑かも。
少しだけ国道を歩いたら、この変則的な交差点から中戸川への道に入ります。奥にそびえているのは、2年前に花貫渓谷と絡めて登った土岳(頂上は見えていません)で、そちらでも紅葉が見頃を迎えている模様です。


ここからこの道を延々と1時間以上(約5.5km)歩いて、竪破山の米平登山口を目指します。途中に集落がいくつか現れる以外は景色の変化に乏しい道ですが、この時期は時折紅葉が楽しめるのがせめてもの救いでした。
歩き始めて30分ほどで、最初の集落、中戸川に入りました。
集落内にはバス停がありましたが、運行は平日のみで早朝の上りと夕方の下りしかなく、観光では使えません。
中戸川集落の外れまで来ると、土岳の中戸川登山口があって、花貫駐車場からここまでは、2年前の下山コースを逆行してきた形なのでした。ここで登山道を見送ると、この先は初めて歩く道になります。
さらに10分ほど歩き、土岳の坂ノ上登山口への入口を見送ると、この先は歩く人など滅多にない道になるはず。
そのすぐ先では、「大和の森 高萩スカウトフィールド」の前を通過しました。この8月にオープンしたばかりの、ボーイスカウト日本連盟の教育キャンプ施設のようです。


その後は沿道にほとんど何もない状況が20分ほど続いて、ようやく米平の集落に入りました。
集落内には待合所付きのバス停がありました。平日のみ運行のバスは、ここまで入ってくるようです。
幹線道路からはだいぶ離れてポツンと存在する集落ですが、立派な構えをした家屋が多いのが印象的で、しかもどの家屋からもきちんと生活感が感じられて、寂れた雰囲気は一切ありませんでした。
米平の集落を抜けると、いよいよ進行方向に竪破山が近付いてきました(ただし頂上は見えていません)。


自分以外の歩行者を一切見掛けない道を1時間15分歩いて、ようやく竪破山の米平登山口に到着です。
ほとんど人が入っている様子はなくて、地面に置かれた標識がなかったら、見過ごしてしまいそうでした。
参考にした2004年発行のガイドブックで、すでに「この登山道は歩かれていない」と注記されている道ですが、地面に落ちた形とはいえ標識が出ているくらいだから、一応は歩けるものと信じてここから入ってみます。


すると、入口付近こそ少し怪しげな雰囲気でしたが、しばらく歩くと明瞭な道になりました。
ほどなく道が二手に分かれて、ちょっと考えさせられましたが‥‥。
道の脇に落ちていた標識がすぐに見つかって、左の道が登山道の続きだと示されていました。


問題なく歩ける状況に安心していると、その先で様子が一変、左から現れた林道に乗っ取られてしまいました。
林道に上がった所で振り返ったら、もう登山道の存在が分かりませんでした。別のところから竪破山に登って、このコースを下ってきた場合は、ここが分岐点だとは気付かずに、そのまま最後まで林道を歩かされてしまうことでしょう(登山口からそう遠くない所に出られそうなので、大きなトラブルにはならないと思われますが)。
奥で余程大々的に工事でも行われているのか、あちこちに重機が置かれているのを見掛けます。
だから林道も、ずっと重機のキャラピラ跡を歩かされる具合で、なんか興醒めでした。
やがて重機の稼働音が前方から聞こえるようになり、こんな日曜日でも何かしらの作業が行われていて、その近くを通ることになりそうだと覚悟させられます。いよいよその作業音が間近に迫ってきた時、目の前に現れたのは、なんと大規模な伐採現場。何箇所かで次々と樹木が刈り倒されていて、あたりは騒然とした雰囲気でした。


伐採が広範囲に及んでいたため、その一帯から抜けるまでにしばらく時間がかかりましたが、伐採現場よりも先では、道も登山口付近と同じような様子に戻ってホッとしました。
登山道を示す標識は、前の写真のものも含めて計3箇所にあり、いずれも登山道脇の地面に置かれていました。
伐採現場から遠ざって重機の音が届かなくなると、登山道にも平穏な雰囲気が戻りました。伐採工事が始まる前ならば、ずっとこんな好ましい雰囲気の道を歩けたはずなので、もっと早く来ていればと少し後悔しています。


最後まで明瞭な道を歩くのかと思ったら、頂上にかなり近付いたこの地点で、この道とはお別れでした。
分岐点で登山道を示していた標識(上の写真にも小さく写っています)は、今年設置された新しいものでした。
調べてみると、先程前を通ってきた「大和の森 高萩スカウトフィールド」を主会場とする「日本ジャンボレット高萩2017」という、ボーイスカウトの大会が今年の夏に開催されており、そのプログラムに「堅破山トレッキング」があったので、そのために設置されたものなのでしょう。


標識が示す方向に進むと、途端に道が微かな踏み跡レベルに変わりました。つまり、ここから先は、何故かほとんど歩かれていないことになります。ということは、先程までの明瞭な道が、むしろ登山道以外の用途で良く歩かれていることを意味することになりそうですが、それがいかなる用途なのか、私にはちょっと答えが出せません。さっきまでの道をそのまま直進したとしても、その先に何かあるようには見えないんだけどなぁ‥‥。
少し登ると麓側の視界が開けた場所があって、先程通過してきた伐採地を見下ろします。伐採地は、そこから見えていたこの写真の範囲だけではなく、そのずっと下まで続いていて、相当広い範囲に及んでいたと思います。
道は一定して "か細い" 状況で続きます。目を凝らさないと見失いそうな頼りなさですが、決して不明瞭になることはなく、テープによる最小限のマーキングもあるので、このような道に慣れていれば迷う心配はなさそう。
山頂が近くなると、先程と同じ標識による下山者向けの道案内も2回ほど見られました。


最後に大岩の間をすり抜けて登ると、展望台が建つ竪破山に到着しました。割と手狭な感じの頂上です。
頂上を上の写真とは反対側から写しています。
頂上標識と二等三角点がありました。
いずれの写真でも頂上が無人に見えるのは、この時居合わせたご夫婦と見られる2人組がちょうど展望台に上がっていたから。地面に立っているだけでは全く展望がないので、私も螺旋階段を登って、さらに上へ。


展望台に上がると、方角ごとに展望図や展望写真が設置されています。2004年発行のガイドブックにも「山また山のパノラマ風景が楽しめる」と書かれているので、かつてはどの方向も良く見えたのでしょう。
しかし現在では、スッキリと眺められるのは南側だけ。その南側には、2014年に縦走した羽黒山・神峰山・高鈴山を結ぶ稜線と、その彼方に広がる太平洋の海原が見られました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
それ以外の方角は、例えば北西側に日光連山や那須連山の展望写真が掲げられていたり‥‥。
南西側には筑波山や富士山の展望写真が掲げられていたりしますが‥‥。
樹木が随分と成長してしまったようで、南側以外はどちらを向いてもほぼこんな眺めにとどまりました。


頂上で少し休憩したのち、軽く下って行くと、すぐに黒前神社の拝殿前に出ます。低山とはいえ、山道でしかたどり着けない山頂に、これだけ立派な神社が祀られているのは驚きです。
黒前神社の拝殿前からは石段を下ります。
下った後で石段を振り返ります。段が不揃いな上に、足を真っ直ぐに置ける幅もなく、歩きにくい石段でした。
石段を下ったところは、ちょっとした広場になっていて、黒前神社の釈迦堂が建っています。
釈迦堂の建つ広場には、中腹から頂上にかけて点在する巨岩奇石「竪破山七石」のうち、舟石・甲石のふたつがありました。


広場から先は、良く整備された登山道になります。
「竪破山七石」の中でも最大の見所と思われる、太刀割石の前に来ました。比較対象がなくて大きさが分かりにくいですが、直径約7mもの巨岩が節理面で真っ二つに割れたもので、竪破山の山名の由来にもなっています。
太刀割石はその巨大さから、いかにも山岳霊場のシンボルといった雰囲気が漂っていました。これを見るためだけでも竪破山を訪れる価値は十分にありそうです。
太刀割石付近の稜線では、紅葉の名残を少し楽しむこともできました。
さらに下って行くと、鳥居と仁王門(随身門)があります。
仁王門のすぐ下には弁天池があり、その脇には東屋がありました。


仁王門と弁天池の前を過ぎると、登山道はぐんぐんと下り始めます。急な箇所のない、歩きやすい道ですね。
途中にはこんな休憩所もありました。家族連れでハイキングに訪れても、これなら安心して登れそう。
植林帯が大半を占めていた印象ですが、ところどころでは紅葉も見られました。
「竪破山七石」のいくつかは登山道脇で見られます。こちらは烏帽子石。
不動石も「竪破山七石」のひとつ。岩の表面が濡れていますね。
濡れているのは、岩の上に不動明王の石像が立っていて、ちょうどその足元から清水が流れ落ちているからなのでした。下から見ていると、ちょっと不思議な印象を受けたのでしたが‥‥。
岩の裏側に回ってみたら、なんのことはない、裏側では岩の上面が地面と同じ高さになっていて、そこから湧き水が出ているだけだったのでした。石像は古くからあるものではなく、明治以降に祀られたものらしいです。
登山道は最後まで穏やかな傾斜が保たれていました。整備も行き届いていて、とても歩きやすかったです。


駐車場に出ました。登山口と呼べる場所はこの先にもう1箇所あるので、ここを「登山口(駐車場)」とします。
駐車場は広くて余裕があり、トイレ(写真左端)も備えているので、登山口として十分だと思いますが、2004年のガイドブックにはまだこの駐車場の存在が書かれていないので、新しい書籍でないと出ていないのかも。
駐車場から先は未舗装の林道に変わります。路面状況については、情報源の新旧により様々な書かれ方がされていますが、現在は一般車でも問題なく通れるでしょう(実際、先程の駐車場にも一般車が入っていましたし)。
しばらく林道を歩いていると、この地点で左手に踏み跡が分岐して、車道より低い位置に下って行きます。
試しに入ってみると、下った先を流れる沢に橋が架かっていたので、その先もちゃんと進めそうな感じです。
林道の近くを併走する形で続いていた山道は、それなりに踏まれている様子で、歩きやすさもまずまずでした。


その山道は、黒前神社の一ノ鳥居へと続いていたので、旧来の参道が林道に転用されず残された区間なのでしょう。山道を歩けたのは短い距離でしたが、林道をずっと歩くよりは良かったと思います。
一ノ鳥居をくぐって車道に出たところから、黒前神社の石碑と、鳥居とその奥に見える参道を振り返りました。
林道も、一ノ鳥居のすぐ隣に出てきていて、三叉路には駐車スペースもあり、何台かの車が停められていました(ここを登山口(鳥居)とします)。今通ってきた旧参道は、これらの車の方々によっても歩かれたのでしょう。


さて、ここからの帰路をどうするかについて、計画は事前にバッチリ固まっていましたが、悩ましい問題がなかった訳ではないので、備忘録としてここに記しておきます。長文になりますので、竪破山についての情報さえ見られれば十分という方は(恐らく大半の方がそうでしょう)、すみませんが次の写真まで読み飛ばして下さい。

実は最も確実な方法は、私が今回選択したルートではなく、歩き始めた花貫渓谷まで引き返すことでした。その場合は、しっかりした車道だけを歩けば良くて、道順が分かりにくい等の心配は全くなく、バスの便も夕方の16:15発まで何本もあるので、時間を気にする必要もありません。
でもこれには難点があって、約8kmにも及ぶただの舗装道路を、ほぼそっくり往復することになってしまうのでした。短い距離の往復なら許せるとしても、これだけの長距離をただ往復するとなると、いかにも味気なく退屈そうで、ちょっと受け入れる気にはなりません。とはいえ、もし竪破山の登り下りに予定よりも時間がかかった場合は、これが唯一の選択肢となってしまう可能性はありました。

一方、実際に選択したのは、朝歩いてきた道とは反対方向、つまり西側へ向かって、常陸太田駅へのバス路線が走っている国道349号線まで歩くことでした。国道349号線にあるいくつかのバス停のうち、最も早く着けそうなのは境橋または河原野で、いずれも距離は約6kmと、花貫渓谷に戻るよりも車道歩きを短く抑えられますし、ずっと新しい景色を見ながら歩けるという点でもこちらが断然好ましいのです。
しかし、これらのバス停に最短経路で向かおうとした場合は、途中に道が繋がっているかどうか不明な区間があるのが最大の懸念点でした。その区間は、国土地理院の地形図では車道の線が繋がっているものの、GoogleやYahoo!の地図では線が不連続となっていて、どちらが正しいのか分からないのです。でも航空写真を確認したところ、地形図通りに林道が繋がっているように写っていたので、それに賭けてこのルートを選択したのでした。
ただし問題はそれだけではありません。常陸太田駅へ向かうバスの最終便が、午後2時半発と信じられないほど早いのです。このため、はじめから割とタイトな計画になっていて、途中で道に迷うなどして時間を取られてしまうと、バスに間に合わない可能性が出てきてしまうのでした。かといって、問題なく通れるのが確実な道路で国道349線に向かおうとすると、上深荻交差点にあるバス停を目指すことになり、距離が約9kmにまで伸びてしまうため、とても歩く気にはなれませんし、またそもそも時間的に2時半のバスに間に合わなくなるでしょう。
だから、もし現地で実際には道が繋がっていなかったという場合に、そこから引き返して確実にたどり着ける上深荻交差点のバス停に向かおうとしても、その時点ではもう時間の猶予がなくてそれが許されないため、道のない場所を強引に突破してでも、計画通りの行先に向かう必要があるのでした。


ということで、朝のアプローチと同様に、帰りも長い長い車道歩きの始まりです。歩き出して10分もすると、左手になんだか落ち着いた雰囲気の広場が現れました。
そこは「せせらぎひろば」といい、お手製感が満載なので、近隣住民の方々がご厚意で提供して下さっている場所っぽいですね。竪破山の登山口では休まずに、しばらく歩き続けていたので、ここで少し休ませて頂きます。
ひろばには、コース案内をはじめとする竪破山についての様々な資料が置かれ、無人販売されていました。下山後でしたが、代金(¥20というほぼ実費だけの良心的価格!)を箱に入れて、コース案内を参考用に頂きます。
竪破山は車で訪れる人が大半だと思われるので、この場所を利用する人は少なそうですが、歩行者である私にはとても有難い場所でした。車の人も、こちらのほうが登山口よりも明るく開放的で気持ち良く過ごせますよ。


午前中は少し空気が冷たく感じたこの日も、午後になると穏やかな小春日和で、気分はすこぶる快適です。
「せせらぎひろば」から15分ほどで、鬼越の集落に差し掛かりました。
突き当たりのT字路にポツンと立っていたのはバス停です。
平日ならば、十王駅からここまで椎名観光バスの路線バスが運行されているのです。本数は朝昼夕の3便と少ないものの、登山口(鳥居)まで徒歩30分と十分に実用的で、時間が合えば竪破山の登山に利用価値が大でしょう。


続いて黒坂の集落に入ったら、そこから先が問題なのでした。
そのまま普通に車道を歩いてしまうと、大変な迂回をさせられて、なかなかバス道路にたどり着かないのです。そこで、ここを右折して細い道に入り、不通区間があるかもしれない問題の経路に向かいます。
するとその先に分かりにくい箇所があり、途中で一度行き止まりの道に入ったりして少々モタつきましたが、目指していた山道同然の林道に入りました。これだけ道が立派なら、この先ちゃんとどこかに通じていそうです。
果して、その道はやがて舗装路に変わり、航空写真で見た印象とそっくりな道になってひと安心、最後は無事に田平集落に抜けられました。民家の番犬?に猛烈に吠えられて、写真は集落を過ぎるまで撮れなかったけれど。


あとはもう不安要素もなく、道なりに歩いていれば国道に行き着きます。バスの時間が迫っていればバス停に直行する予定でしたが、ここまでほぼ順調に歩けていることで、寄り道をしていく余裕が生まれていました。そこで、この田平橋の手前から、計画時点より最後の時間調整にはピッタリだと見込んでいた場所に向かいます。
それは沢沿いに続く、菅谷不動尊の滝への遊歩道で、そのほかのものも含めて計3つの滝が見られるのです。
田平橋の手前には簡単な案内図も設置されていました。


あまり知られてなさそうな遊歩道だけに、ほとんど歩かれていない様子で路面はやや荒れ気味です。
それでも問題なく歩くことができて、ほどなく最初の「雄滝」の真横を下ります(写真は振り返ったもの)。
「雄滝」の先には対岸に東屋があって、小さな橋でそこへ渡れるようになっていました。
東屋からは「雄滝」をほぼ正面から眺められました。
「雄滝」を過ぎるとすぐにまた別の東屋があって、その柱には「雌滝」という標識が付けられていました。
ただ肝心の「雌滝」がどれなのか説明不足で分かりません。東屋の周囲には小さな滝がいくつか存在していて、そのうち上流側を振り返って見られる一番大きそうな滝を写しておきましたが、正解はどれだったのだろう?
さらに菅谷不動尊の滝への道標に従って進むと、今度は別の沢沿いを登り始めて、菅谷不動尊の前を通ります。
道は菅谷不動尊の奥へと続いていて、やがて東屋が見えてくるとともに、滝の水音も近付いてきました。
「菅谷不動尊の滝」は、水量は多くないものの、落差はそれなりにあって、近くに立つと清涼感がありました。
ここまで来れば、バス停はもう間近で数分もあれば歩けそう。バスの時間から逆算すると、ここを10分後くらいに出れば十分そうだったので、滝の前の東屋で帰り支度などを始めつつ、少しゆっくりと過ごしました。


境橋バス停への道も、滝の下流に当たる小川沿いの道で、引き続き清々しい雰囲気の中を歩けました。
最後は境橋バス停で、常陸太田駅行きのバスを待ちます。ほぼ定刻にやってきたバスは、私が2人目の乗客となり、その後はさらに3人ほどの利用があったものの、常陸太田駅まで乗り続けたのは私ひとりだけでした。
途中の道路渋滞の影響で、バスは常陸太田駅に定刻より少し遅れて到着しました。実は定刻の4分後に乗り継げる電車があったのだけど、最初から定刻ピッタリに着くなどとは思っておらず、乗り継げなかったのは想定内。その次の電車は約1時間後だったので、予めリサーチしておいたお店で食事をしながら時間をつぶしています。

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