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千葉山 [静岡]

2017/12/09(土)

■第367回 : 千葉山(496m)


今回の行先は、静岡県西部にある千葉山。急流で知られる大井川が山間部を抜けて平野部に差し掛かり、広い河原を持つようになったあたりで、左岸(東側)に現れる低山です。

標高が低いうえ、山頂が地味な地点で展望も全くなく、山そのものの魅力にはやや乏しいのですが、平安時代から山岳寺院として栄えた智満寺や、参詣者に古くから歩かれてきた尾川丁仏参道、数千本ものドウダンツツジが群生する“どうだん原”など、ハイキングコースの途中には多くの見所が存在して、楽しく歩いてきました。

 累積標高差(登り):729m / 距離:11.0km / 歩行時間:3時間5分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:33-05:55 本厚木
本厚木 05:59-06:36 小田原 06:45-07:22 三島
三島 07:29-08:30 静岡 08:32-08:58 島田
島田 09:20-09:35 尾川

(登山行程)
尾川バス停   09:40
亀石      10:35
智満寺     10:50-11:00
千葉山     11:20-11:30
どうだん原   11:55-12:00
柏原      12:45
赤松地蔵尊   13:00-13:20
北中学校バス停 13:30

(復路)
北中学校 13:40-13:55 島田 14:04-15:51 熱海
熱海 16:06-16:28 小田原 17:00-17:53 相模大野
相模大野 18:08-18:23 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR東海道線の普通列車を3本乗り継ぎ、島田駅で降りたら、島田市のコミュニティバスに乗り換えます。
駅前には栄西禅師の銅像が立っていました。お隣にある掛川市の粟ヶ岳に像が立っていたことで初めて知ったこの人は、平安時代にお茶の普及に大きな役割を果たした人で、日本の茶祖として崇められているようですね。
コミュニティバスに乗ること約15分、尾川で降りると、バス停の背後にハイキングコースが見えていました。
バス停(写真右端)からほんの数秒のハイキングコース入口は、標識や案内図もあって分かりやすかったです。
ちなみにこのコースは、最初に目指す智満寺への参道として古くから歩かれていたもので、江戸時代に1町ごとに立てられた丁石と石仏(観音像)が今も残っていることから「尾川丁仏参道」と呼ばれています。


ハイキングコースに入ると、すぐに山道に変わり、道端には丁石と石仏が対で現れるようになりました。西国三十三番の札所を模したこれらの石仏に、昔の人は現れるたび参拝をして通ったという、祈りの道の始まりです。
途中には深々と抉られた場所も。この道が、昔からどれほど盛んに歩かれてきたかを物語っているようです。
丁石と石仏は、実際の1町(約109m)よりは間隔が長いものの、それでも計33箇所で現れるので、かなり頻繁に目にすることになります。今も信仰の篤い人がお世話をしているのか、すべての石仏には赤い前掛けや帽子などが備えられていました。こちらは3番目に現れた、「三町目」と彫られた丁石と石仏です。
分岐点には道標が設置されていて、道案内は万全でした。
道は大半の箇所で尾根上のアップダウンを避けるようにして、東西どちらかの斜面に付けられています。このため傾斜が緩やかに抑えられ、登り返しも少なくて楽に歩けますし、整備も行き届いていて歩きやすい道でした。


二十丁目の石仏は、ちょっとしたお堂の中に安置されていて、その前にはベンチが置かれていました。
二十丁目は、丁石もひときわ大きくて立派なものでした。
これ以降はしばしば、茶畑が広がる、お茶どころらしい風景の中を進むようになります。
二十丁目のところで、茶畑の間を通る農道に出ていて、その後しばらくは農道を歩かされました。


農道は、一旦大きく下ったのち登り返していき、道標に従ってこの地点から再び山道に入ります。
今度の山道はあまり長くは続かず、ほどなく道路との合流点が見えてくると、その手前に亀石がありました。
こちらがその亀石で、解説板も設置されていましたが、名前の由来については今ひとつ分かりませんでした。
亀石のすぐ先で車道に出たら、智満寺までは車道歩きになりました。


智満寺に着いたら、まずは長い石段を登ります。かなり傾斜がキツくて、ひと息には登り切れません。
途中で左に折れた石段をさらに登ると、上のほうに仁王門が見えてきました。
仁王門は、慶長年間に徳川家康によって造営されたとあって、堂々とした構えをしています。
門の左右では、金剛力士像が睨みを利かせていました。
境内に上がると、正面に茅葺き屋根の本堂が現れました。安土桃山時代の建築で、国指定重要文化財です。
立派な杉の木に囲まれた境内には、威厳に満ちた本堂をはじめいくつかの堂宇が配置されていて、とても厳かな雰囲気が漂います。
石段を上がって最後にくぐった中門も、振り返ると屋根は茅葺きでした。
智満寺境内の紅葉は、すっかり見頃を過ぎてしまっていたようです。


境内をひと通り見て回ったら、さらに上の千葉山を目指しますが、困ったことに山頂への道案内がどこにも見当たりません。上の写真の鳥居をくぐって石段を少し登ると薬師堂があり、その脇から登るのが一般的だったようですが、下からはその道が見えなかったのです。良く分からないまま本堂の裏手に回ると、権現堂の脇を登っていく道があったので、そこを進んでみることにしました。
するとすぐに薬師堂からの道と合わさったので、上を目指しさえすれば、どちらを辿っても良かったようです。
間もなく日吉神社の前を過ぎると、次第に傾斜がキツくなっていきます。
鳥居をくぐります。このあたりは智満寺までの歩きやすい参道とは趣が全く違って、もう完全な登山道でした。
階段状の道が続き、登るにつれて段差は大きくなる一方。この日のコースで唯一、登るのが苦しい区間でした。


千葉山の頂上に到着しました。
通り過ぎた頂上を反対側から見たところです。この通り鬱蒼とした樹木に囲まれて、展望は全くありません。
頂上の標識は、最初に設置された時点のもので十分だったはず。後から付け足された何枚かの私製標識が、見苦しいばかりに感じるのは私だけではないでしょう。自分本位で身勝手そうな設置者の感性が大いに疑われます。
頂上から一段下がった場所に、智満寺の奥之院がありました。狭くて腰掛ける物もなく、落ち着かない雰囲気の頂上よりも、ここのほうが居心地が良かったので、建物横の縁側状の場所に腰を下ろして少し休んでいきます。
千葉山の頂上一帯には樹齢800~1200年の杉の巨木が点在していて、そのうち10本が「智満寺の十本スギ」として国の天然記念物に指定されています。何本かは現在までに枯死・倒木となり、現存は7本になってしまったようですが、その中では、この大杉が最大の幹囲を持つものらしい。
こちらは雷杉です。樹形が雷神の怒りの形相に似ているのが名前の由来とか。


千葉山の頂上を後にしたら、まずは「ペンションどうだん」へ下ります。この区間、道標による案内があるので一応は整備されているようですが、道が細くなったり、少し足場の悪い箇所があったりして、ここ以外の区間と同じように気楽に通れるほど歩きやすくはなかったので、ハイキング気分の人だと注意が必要かもしれません。
「展望地」の案内があったので、少し遠回りして寄ってみると、南側が開けた場所に東屋が建っていました。
開けていたのが南側なので、展望の主役は海でした。
西側には少しだけ山並みが見えています。あまり来たことがなく馴染みのない山域なので、どうせ知らない山だろうと思ったら、なんと左端の山頂には見覚えのある「茶文字」が。今年5月に登った粟ヶ岳ではないですか!
粟ヶ岳山頂の「茶文字」をアップにしてみました。この時期だと遠くからでもハッキリ見えますね。


展望地から軽く下ったところに、「スカイペンション どうだん」が建っていました。
ペンションの前では南側が大きく開けていて、遠州灘を一望する爽快な眺めを楽しめました。手前にあった展望地なんかよりも、ここのほうがよっぽど眺めが良かった気がします(山はほとんど見られなかったけれど)。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
「スカイペンションどうだん」の前で、智満寺から山頂を経ずに下ってきたハイキングコースと合わさったので、その後は再び歩きやすい道に変わります。
この道は「千葉山ハイキングコース」であると同時に、先程まで登っていた「尾川丁仏参道」と同様に智満寺への参道として古くから歩かれていた「伊太丁仏参道」でもあり、ここでもしばしばお地蔵様を見掛けました。


ペンションから10分ほどで、「どうだん原」の標識がお出迎え。広い「どうだん原」の一角に入ったようです。
8千本ものドウダンツツジが群生する「どうだん原」は、春の花期のほか、秋には紅葉が見事なことで知られています。12月も半ばに差し掛かり、すでに見頃は過ぎていましたが、幸いにもその名残を少し楽しめました。
広場ではグループがランチタイムを満喫中でした。近くにはトイレもあり、休憩場所として申し分ないですね。
一方、小さなピークにあるベンチは空いていたので、腰を下ろして少し足を休めていきます。
こんな時期でもそれなりに楽しめたので、見頃になるとそれは素晴らしい景色が広がっているのでしょう。この場所には、最盛期に合わせてまた訪れてみたいと思いました。
陽当たりの良い、暖かそうな場所を探すと、まだまだ美しい色彩のものも楽しめて、ちょっと嬉しい気持ちに。
でも全部がこの色に染まったら、さぞかし見事だろうと思うと、もっと早く来ていればと少し悔やまれました。
「どうだん原」からも粟ヶ岳を眺めることができました。「茶文字」が少し大きく見えるようになっています。


「どうだん原」を過ぎるとすぐ分岐点に出て、ここまで同じ道を共有していた「千葉山ハイキングコース」と「伊太丁仏参道」が分かれます。北中学校バス停へ向かうのは前者なので、私はここを右に進むことに。でも、やはり古くからの道であり、今では伊太和里の湯(田代温泉)への道ともなった「伊太丁仏参道」のほうが良く歩かれているようで、「千葉山ハイキングコース」に入ると道が細くなり、お地蔵様も見掛けなくなりました。
少々道が細くなったとはいえ、整備状況に問題はなく、歩きやすさは変わりません。「どうだん原」ですでに標高が300mほどしかなかったので、少しずつ高度を落としていくような、穏やかな道が当面は続きます。
そして終盤になると、そんな下りよりも柏原への登り返しが主体になります。普段なら疲労が蓄積してからの登り返しは少々苦しく感じるところですが、この日は登ってきた山が低かったので、まだまだ余力は十分でした。
しばらく見通しのきかない道が続き、かなり柏原が近付いた頃に右手側が開けると、いつしか大井川がすぐそばまで迫っていました(粟ヶ岳にも随分近付きました)。柏原からは、この大井川へ向けて下ることになります。
その後、珍しく左手側が開けると、富士山が遠くに眺められました。この日のコースで富士山を見られるのは、ここだけだったかもしれません(振り返るようにして見る方向なので、見落としもあったかもしれませんが)。


終盤は、登り下りをダラダラと繰り返す道が少々長ったらしく感じたりもしたものの、ようやく最後のピークとなる柏原に到着しました。さほど広くはありませんが、開放的で気持ちの良い場所です。
柏原は、この日のコースで唯一の三角点ピークでした。
柏原では、大井川の対岸に牧ノ原台地を一望できました。
再三登場している粟ヶ岳もいよいよ間近に迫って、角度的にも「茶文字」が見やすくなってきました。


柏原からは、すぐ下に見えている大井川へ下るだけ。送電線巡視路のようなプラスチック杭の階段を降ります。
途中で第2東名のすぐ近くを通るので、騒音のうるさいことといったらありません。
山道を下り終えて、この階段から道路に降りると‥‥
道路の向かいに赤松地蔵尊がありました。こぢんまりとしているものの、静かで落ち着いた雰囲気の場所です。
このあとは、ほぼバス道路を歩くだけですから、もう不測のトラブル等を心配する必要もありません。バスは40分後で時間には余裕があり、朝に駅前で調達したおにぎりを食べながら、地蔵尊の前で時間調整していきます。
赤松地蔵尊前の広場から、大井川越しに粟ヶ岳を眺めました。もう歩いて行かれそうな近さで見えています。
粟ヶ岳の「茶文字」を再びアップで。千葉山頂直下の展望地から見た最初の姿より、格段に大きくなりました。


短い階段を下り始めると、すぐに下を通るバス道路が見えてきました。
最後はこの階段からバス道路に降りてきました。こちらから登るには、「赤松地蔵尊」の標柱と、その奥にある「千葉山ハイキングコース」と書かれた赤い矢印が目印になります。
北中学校バス停で、島田駅行きのコミュニティバスを待ちます。バスはダイヤ通りにやって来て、駅まで遅れずに走ってくれたので、タイトな乗り継ぎの始発電車に間に合い、ゆったり座れて最速で帰ることができました。

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