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霊仙山 [関西]

2015/09/20(日)

■第309回 : 霊仙山(1094m)


約1年ぶりとなる久々の遠征は、東海道新幹線を利用した関西方面への日帰りで、鈴鹿山脈の最北端にある、滋賀県の霊仙山に登ってきました。
すぐ北側には日本百名山の伊吹山が東海道線の線路を挟んで対峙していて、2年前にその伊吹山に登った時から気になっていた山だったのです。

気になっていた最大の理由は、その独特の山容にあります。石灰岩からなる霊仙山は、頂上部にゆったりとしたカルスト台地が広がっていて、カレンフェルトやドリーネといったカルスト地形の中に登山道が伸びています。カルスト地形で有名なのは秋吉台などですが、それと同じこんな景観を、山の上で楽しんできました。

 累積標高差(登り):1113m / 距離:17.3km / 歩行時間:5時間0分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:6時間15分 

(往路)
古淵 05:15-05:41 新横浜 06:00-07:24 名古屋
名古屋 07:32-08:30 柏原

(登山行程)
柏原駅     08:35
二合目     09:40-09:45 (二本杉・旧一合目)
(標高940m付近) 11:00-11:15
八合目     11:20-11:30 (四丁横崖)
霊仙山(最高点) 12:10-12:25
汗フキ峠    13:30-13:35
登山口     13:50
養鱒場バス停  14:30

(復路)
養鱒場 15:03-15:16 醒ヶ井 15:38-16:04 大垣
大垣 16:11-16:43 名古屋 17:12-18:34 新横浜
新横浜 18:40-19:04 古淵 19:12-19:17 長久保


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR東海道線が関ヶ原を越えたら、滋賀県内に入って最初の柏原駅で下車します。JR東海道線の中で最も乗降客数が少ないらしい駅で、同じ電車から降りたのは5人だけ。観光客も登山客も私だけのようです。
駅舎の上にそびえているのは、2年前に登った日本百名山の伊吹山です。
駅前の通りに出ると、中山道60番目の宿場町を案内する道標が立っていました。
柏原駅前の街並み。2階建の軒の低い家々が並んで、かつての宿場町らしい面影を今に伝えていました。
霊仙山へは、中山道を横切って一路南へ進みます。行く手に見えているのは霊仙山の手前の山並みで、霊仙山自体はそれらに遮られて、里から見ることは全くできないようです。


すぐに国道21号線を横断すると、その先に登山道を示す道標が立っていました。
やがて沿道から家並みが消えて、名神高速道路をくぐった先には、登山ポストが設置されていました。
はじめ舗装されていた林道は、養鶏場の先からダートに変わり、その後は建物を全く見なくなります。車が1台も通らないばかりか、前後をいくら見渡しても自分以外に人の姿もなく、静かすぎて心細いくらいでした。
林道は橋を渡ってさらに延びていきますが、その先はかなり荒れていて、車で入れそうなのは橋の手前まで。
ここまでで駐車車両を一切見なかったので、少なくともマイカー登山の人が私より前にいないのは確定です。
その後も林道の体裁をした道が少し続いたのち、ここで終点となりました。この先からは山道に変わります。


山道が始まるとすぐに一合目の道標が現れましたが、2013年版の登山地図によれば、一合目はまだずっと先のはず。どうやら比較的最近になって、合目の付け方が変えられている様子です。
引き続き沢沿いに付けられた山道は、間もなく沢の中を進むようになります。所々で道筋が不明瞭になって、本当にそのまま進んで良いのか迷うような箇所があったものの、結果的に沢から外れることはありませんでした。
しばらくの間、沢沿いに変わり映えのしない道が続きます。この日は風が涼しく吹いてくれて、概ね快適に過ごせたのですが、さすがに深い沢の奥まではその風も及ばず、ここを登っている間だけは汗びっしょりに。
それでも、沢の源頭部が近付いて伏流に変わり、いつしか水音が消えてあたりが静かになると、それまで鬱蒼としていた森の中もいくらか明るくなってきて、少し気分を変えてくれました。


尾根に乗り上げると、そこでは二本並んだ立派な杉が存在感を示していて、それがそのまま二本杉という地名になったようです。2013年版の登山地図ではここが一合目なのですが、この標識には二合目と書かれていました。
その一方で、二本杉のそばに立つ標識には一合目と書かれていました。きっと手前にあるのは新しい標識で、こちらが従来の標識なのでしょう。でも混在したままだと、もしもの遭難救助とかの時に混乱しないか心配です。
二本杉の先で尾根道に変わると、尾根上には涼しい風が吹いていて、快適に歩けるようになりました。ちょうどここが岐阜県と滋賀県の県境となっていて、標高900m付近まではこの県境尾根に沿って進むことになります。
尾根上は雑木林に変わり、それまで暗かった景色も一転して明るくなりました。緑のトンネルが心地良いです。


三合目を通過します。基本的に一本道なので迷うような分岐はなく、道標も適度な間隔で立っていたようです。
当面はずっと木立に囲まれた道が続いて、景色を楽しめる場所はほとんどなかったのですが、この先では珍しく左手側が開けていました。登山地図に「展望が良い」と書かれている地点に出たようです。
見えていたのは養老山地です(全く馴染みのないエリアなので、帰宅後に調べてやっと分かったのでしたが)。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望地を過ぎたところに、三合目を示す旧標識が立っていました。「三」の字だけが薄くなっていたのは、新しい合目との混乱を防ぐために、意図的に消されたのかもしれませんね。
避難小屋がある四合目まで来ました。小屋といっても、これは建物ではなく、ただのコンテナですね。
避難小屋は登山地図に「使用不可」と書かれています。なるほど、入口の扉が外れているのが何よりも致命的ですし、内部もこんな感じで傷みが激しく、この中でさらにテントでも広げない限り、快適には過ごせなさそう。
四合目まではほぼ登りばかりでしたが、四合目が小ピークになっていたので、この先は一旦少し下ってからの登り返しとなります。そして、その後もしばしば小刻みなアップダウンが現れるようになって、柏原駅からの道は、単純な標高差分だけを登れば良いというわけではありませんでした。


やや草深くなった中を登っていくと、五合目の標識がありました。ずっと一本道には変わりませんが少し不明瞭になるため、登山道を示してくれる標識でもなければ、このあたりで若干の不安を覚えていたと思います。
六合目では、新旧の標識が示す合目が一致していました。
六合目のすぐ先で、ついに頂上部が姿を現しました。最高点ピークが見えていて、独特のカルスト地形が良く分かる眺めです。でも、この先では稜線から外れることが多くなり、またしばらく頂上を拝めなくなるのですが。
そして、登山道の周囲からも次第に高木が減って、所々で草地が現れたりするようになりました。
ここで、登山地図に赤破線で書かれた河内からのコースを合わせます。旧標識では、ここが七合目でした。
その後は、苔むした岩が織りなす、ちょっと雰囲気のある一帯を通過します。が、ここまで何の問題もなく気持ち良く登ってきていたのに、このあたりから急に体調がおかしくなり始めました。
新標識の七合目は、ママコ穴(継子穴)の近くにありました。ママコ穴らしきものは、登山道の少し上にある様子で、普段ならそこまで見に行ったはずですが、気分が悪くなりかけていたことで、スルーしてしまいました。
三角点峰の谷山(992m)へ続く尾根を乗り越す地点に立つと、再び頂上付近が見えてきました。今度は結構近くに感じられて、避難小屋が建っていることから、頂上手前の1017mピークが見えているようです。
そしてここまで、人の気配を一切感じないまま来ていましたが、ここで登山道の先のほうから熊鈴の音が聞こえてきて、やっと自分以外の登山者の存在を感じることができました。後で分かることですが、どうやら谷山谷コースを登ってきたパーティーが、すぐ先の八合目分岐点付近を歩いていたようなのです。
が、、、そんなことより、体調は悪くなる一方でした。ここにきて、ついに歩き続ける気分ではいられなくなり、間近に見えてきた頂上を前にして座り込んでしまうことになります。
腹部を強い不快感が支配していますが、時折ありがちな腹を下しているような兆候はなく、ひたすら気分が悪いだけ。これまでにあまり経験のない症状だけに、自分自身の体調でありながら、今後の展開が全く読めません。
それでも15分ほど休憩していると、少し楽になった気がしたので、行動を再開してみました。


しかし、それからわずか5分歩いたかどうか、谷山谷コースを合わせる八合目(四丁横崖)に着いたら、再び気分の悪さから座り込んでしまう始末。どうやら、下りはどうにかなっても、登りになると苦しくなるようです。
もし復調が望めなければ、下山を考えるべきなのですが、スムーズに下りるには、山奥に入りすぎていました。
来た道を引き返すのは長丁場になりますし、いくつものアップダウンを逆行するので登り返しも少なくなく、決して楽には下れません。しかも、もう誰も通らないかもしれないと考えると、万が一の際に不安がよぎります。
ここから谷山谷コースを下る手もありますが、何も下調べをしていないコースで道の様子が全く分からない上、持ってきた地図の範囲から外れるため、どこに出られるのかも歩くべき距離も一切不明で、かなりの冒険です。
迷った末、このまま先に進み、頂上へは向かわずに手前の経塚山から予定していた下山ルートに直行するのが、最も体力的な負担が軽いと判断しました。最終のバスでも良ければ、ゆっくり5時間かけて下ればOKです。
そう決めたら、少しずつでも歩ける時に先に進むほうが得策かもしれません。ここで10分ほど休んでいる間、さほど調子は変わらなかったものの、もう少し人がいる場所に行きたいという思いもあり、行動を再開しました。


八合目の先に最も傾斜のキツイ登りがありましたが、ゆっくり登って避難小屋の前に到着です。ここで初めて人に会ったほか、前方にも何人かの登山者の姿を確認できました。左前方に写っているのは当面の目標に変わった経塚山で、とりあえずそこまで登らないことには下山コースに入れないので、もう少し頑張ります。
普段なら、小屋の中の様子を確かめたところですが、余計なことをする余裕はなかったようで、スルーしています。避難小屋の小ピークで標高は1000mを超え、広く開けたカルスト台地に入って展望も素晴らしかったです。
進行方向の景色も爽快でした。右手が今から向かう経塚山で、左端は行かないつもりだった霊仙山の最高点。
カレンフェルトの中を、経塚山へと登ります(冒頭と同じ写真です)。期待通りの景色で、せっかく来たのだからと写真だけはきっちり撮っていますが、残念なことに景色を楽しんで歩いている余裕はありませんでした。
経塚山に到着しました。ここが九合目となっていて、もう霊仙山の頂上がすぐお隣という様子で見えています。
振り返った先では、2年前に登った伊吹山が、百名山らしい貫禄のある姿を見せていました。
大人しくここから下山するつもりでしたが、いざ来てしまうと迷いが生じました。8合目付近で相次いで2回休んだあと、さらに150mほど登ったのに、気分は同じ程度の悪さのままで、さらに酷くはならなかったのです。
霊仙山最高点への距離はほんの500mで、標高差も高々50mほど、これなら行ってしまえるのではないか、と。


さすかにここまで間近に迫ったものを、諦め難かったということもあり、最高点ピークと三角点ピークの両方を踏む予定だった当初の計画から、三角点ピークを割愛するだけにして、最高点ピークに向かうことにしました。
幸い、頂上部の地形はなだらかで、調子が出ない身体でもあまり辛い思いをせずに登ることができました。
頂上まであとわずか。ここを登り詰めれば最高点に到着です。


どうにか、霊仙山の最高点に着いてみると、360度の素晴らしい展望が広がっていました。それで相変わらずの気分の悪さが吹き飛んだりはしませんでしたが、写真を普段通りに撮るくらいの余裕は残っていたようです。
頂上部に出るまで、ほとんど人を見ずに登ってきたわけですが、この最高点ピークでは10人近い登山者が休んでいたほか、三角点ピークにも何人かの姿が確認できました。
霊仙山最高点からの、南側から西側にかけての展望です。南側には、最高峰の御池岳をはじめ鈴鹿山脈の核心部が眺められたほか、西側で広く湖水をたたえた琵琶湖の先には、その対岸の山々もうっすらと見えていました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて北側の展望ですが、さすがにこの時期の日中ともなれば、遠くの白山や北アルプスなどを望むには難しく、近くで伊吹山が存在感を示しているにとどまりました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


霊仙山からは、予定通り榑ヶ畑方面に下って、養鱒場バス停を目指します。これは経塚山を乗り越えて少し下ってから、経塚山を振り返ったところ。この先しばらくはカルスト台地の中を進みます。
お虎ヶ池の前を通ります。このあたりまで続いていたカルスト台地内では、緩やかな下りが主体で楽に歩くことができたからか、体調も少し持ち直してきた感じがありました。
写真ではちょっと分かりにくいのですが、進行方向には琵琶湖の大きな湖面が広がっていて、それを目指すようにして下っていくのがなかなか爽快な気分でした。
しかし、カルスト地形を抜けて樹林帯に入ってしまうと、一転して急な下りが続くようになります。赤土の地面にはウェットで滑りやすい箇所が時々現れるなど、足元には常に注意が必要で気が抜けませんした。
急な下りはいつまでも続いて、汗フキ峠までの区間がかなり長く感じました。約400mの標高差も構わずにグングンと下ったせいか、汗フキ峠に着いた時には再び汗をかかされていて、気分の悪さまで再発してしまいます。


汗フキ峠からは、わずかな下りで山小屋「かなや」の建物が見えてきました。
山小屋自体は営業していなかったものの、無人の「かなや手動飲料販売所」は絶賛営業中。手には取らなかったのですが、沢水を引いているので、スタンバイしている飲み物もキンキンに冷えていそうです。
山小屋「かなや」を過ぎると、沢沿いに細い道が続いたのち、間もなく林道に迎えられました。
林道に出たら、駐車スペースがある登山口までは僅かな距離でした。山の上で見てきた登山者の数と、ここに停められていた車の数からして、ほとんどの人がここから登ったとみて間違いなさそうです。
ただし私の場合は、さらにバスが来るところまで歩かなければなりません。朝歩いた柏原駅からの林道と同じく、こちらの林道も沿道に全く何もなく、小1時間ほど歩いている間は退屈そのものでした。
ようやく養鱒場の一部が見えてくれば、長かった林道歩きも終わりが近付きました。


養鱒場バス停に到着。一時はどうなることかと思いましたが、どうにか無事に下山することができました。
体調もかなり持ち直していたので、このあとの長距離の帰京も大丈夫そうです。
養鱒場は結構な人出で賑わっていて、場内と駐車場を行き来する人がバス停の前を頻繁に通りますが、バスを待つ人は私以外に一向に現れません。これが首都圏ならば、どんなにマイカーの利用者が多くても、公共交通を利用する人も一定数いたりするものですが、さすがこのあたりは完全な車社会になっているようです。
ということで、やってきたバスの乗客は、終点の醒ヶ井駅までずっと、私が唯一の乗客でした。
醒ヶ井駅。西隣の米原駅はJR西日本の管轄なので、東海道本線におけるJR東海の最西端の駅にあたります。
醒ヶ井駅のホームに立つと、いつしか伊吹山の頂上には雲がかかっていました。
このあと名古屋からの新幹線は、大型連休中なので始発のこだま号を待たない限り座るのは無理そうで、時間をかけて帰るしかないと思っていたところ、ダメ元で最初に来るのぞみ号の自由席車両に並んでみたら、幸運にも座れてしまいました。実は、若干の調子の悪さは帰宅する頃まで続いたので、早く帰って休めて良かったです。

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