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足利行道山・両崖山 [栃木]

2016/03/20(日・祝)

■第324回 : 足利行道山(441m)・両崖山(251m)


様々な地域の風景を満遍なく楽しみたいという思いから、普段より行先のエリアを意識的に分散させていたつもりなのに、なぜか栃木県だけは2008年に登った那須岳以来、再び訪れる機会をなかなか作れないままでした。
そこで、そんな準空白区ともいえる栃木県の山々の中から、足利行道山を行先に選んで出掛けてきました。

(鮮やかな朱塗りの神殿が美しい織姫神社)
今回のコースは非常に起伏に富んでいて、最初から最後まで小さなアップダウンが延々と繰り返されるというタフなコースでしたが、その分だけ景色も次々と変化して、飽きる間もなく歩き通した形になっています。
途中には、関東四霊場の古刹・行道山浄因寺、日本三毘沙門に数えられる大岩毘沙門天や、織姫神社などの見所も随所にあって、山歩きをさらに味わい深いものにしてくれました。見所の多さから、今回は写真も多めです。

 累積標高差(登り):1157m / 距離:16.5km / 歩行時間:4時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:32 代々木上原
代々木上原 05:40-06:14 北千住 06:23-07:53 足利市
足利市 08:00-08:37 入名草

(登山行程)
入名草バス停 08:40
藤坂峠    08:55
馬打峠    10:05
行道山浄因寺 10:45-10:50
足利行道山  11:10-11:20
大岩山    11:30
大岩毘沙門天 11:45-11:50
両崖山    12:40-13:00
織姫神社   13:30-13:40
香雲堂本店  13:45-13:50
足利市駅   14:10

(復路)
足利市 14:39-15:42 北千住 15:45-15:57 秋葉原
秋葉原 16:05-16:07 御茶ノ水 16:10-16:20 新宿
新宿 16:31-17:10 相模大野 17:25-17:40 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

最寄駅の始発電車から乗り継いで、遠路はるばる足利市駅までやって来ました。でも時刻はまだ8時前です。
なんとか早く着く方法はないかと様々なルートを検討する中で、乗り継ぎに無理がなく、それでいて8時に間に合うパターンを発見したときには、思わず「よっしゃ~」と声に出ておりました。
登山口として選んだ藤坂峠への足として利用できるバスは2路線ありますが、どちらも8時までの便を逃すと次がお昼か午後になってしまうので、この乗り継ぎが成立しなければ、今回の計画は立てられなかったのです。
足利市の生活路線バス・名草線はワゴン車で運行されていました。写真は終点の入名草で降りたところです。
座席は8席(+助手席)しかなく、たぶんそれが定員なのだと思われます。幸いにもこの日の乗客は、全線を通して私だけでしたが、もしも乗客が定員よりも多かったら一体どのように扱われるのか、少し気になりました。


今回のコースは、栃木県の「関東ふれあいの道」のうち、第6番「山なみのみち」と第7番「歴史のまちを望むみち」の2本を、ほぼそのまま繋げたものです。ただし最初に出てくるポイント「名草の巨石群」は、あまり山歩き的にそそられる物件ではなさそうなので省略することにして、ここを右折せずに藤坂峠に直行しました。
車道を緩やかに登っていくと、ほどなく藤坂峠に到着して、左に分かれる山道に入ります。
最初から木段ばかりが続いて、やや苦しく感じる登りで、まずは地形図に319mの標高点が打たれた最初のピークに立ちます。名もないピークですが、木の幹には私製の標識が掛けられていました。
その先は起伏に富んだ尾根を進むため登り下りを繰り返しますが、当面は名前の付いた山に登る予定が全くありません。踏んでいくのはどれも小さなコブで、頂点に立っても特別な気持ちにならない上に、登り下りが木段ばかりという「関東ふれあいの道」にありがちな展開が追い打ちをかけて、無駄にキツく感じられてしまいます。
それに耐えてしばらく進んでいると、次第に傾斜が緩やかな箇所も歩けるようになってきました。
このように斜面をトラバースする道が続いている間は、尾根上の登下降が避けられて、歩くのも楽でした。
途中にはベンチの置かれたピークが2つありました。この写真はそのうち2つ目の388m三角点ピークです。
それにしてもこのベンチ、三角点に近すぎませんか?
まぁ最近は測量もGPSなどを利用して行われているようなので、特に不都合はないのかもしれませんけれど。


388m三角点を過ぎた後は、下りが主体となります。しかしこのエリアには、登りまたは下り一辺倒の単純な尾根などどこにもないらしく、地味な登り返しが何度も現れるので、楽には歩かせてもらえませんでした。
ここで一旦車道に出ます。
車道を歩いたのはほんの1分ほどで、すぐに山道への入口が見つかりました。ここが馬打峠です。
ここでも何回かアップダウンをさせられましたが、登ったのはまたしても名前のないピークばかりです。
登山道の様子もいたって普通で、距離が短かったこともありますが、写真を撮りたいと思えるような場所もないうちに林道へ降りてきてしまう始末で、無駄に体力だけを使ったような気にさせられました。
少し林道を歩けば前方から舗装道路が合わさり、右に折れて登っていくと、いよいよ行道山エリアに入ります。


このあたりが今回のコースのほぼ中間点に当たり、ここを境に登山道の雰囲気がガラッと変わります。
ここまでの前半は、地味な山道をひたすら登り下りするだけで、特別な景色が見られるわけでもなく、渋さが際立っていたコースでした。そのためか、見掛けたハイカーもほんの数人にとどまっています。
しかし、ここからは展望の良いピークや稜線の縦走に変わるので、景色を楽しみながら歩けるようになります。そしてその途中で立ち寄る、浄因寺や毘沙門天といった見所にも期待していました。

車道の終点まで登ると、そこが浄因寺の駐車場になっていました。停められていた車はこの通りチラホラといった程度で、バスで来る人もそう多いとは思えませんから、この様子ならばこの先も比較的静かに歩けそうです。
浄因寺の石段が始まりました。決して長くはありませんが、斜度はそれなりにあるので、すでにそこそこのアップダウンをこなしてきた足には少し苦しく感じます。
さらに石段の続きを登ると、その脇には何やらお堂が。
お堂の中には、多くのお地蔵様が所狭しと並んで立っていました。
斜面のそこかしこにも、たくさんの石仏や石塔が置かれていました。
ほどなく、立派な山門をくぐって境内に入ります。


行道山浄因寺は、和銅7年(713年)行基上人の開創と伝えられる古刹で、室町時代には学問の道場として多くの修行僧が集い、「関東の高野山」と称されるほどだったといいます。
私が着いた時、この本堂ではご年配のハイカーお2人が縁側に腰掛けて足を休めていましたが、間もなくそのお2人が先発してしまうと、境内には私だけが残されて、あたりにはとても静かな時間が流れていました。
少し離れた崖の上に建つのは別亭の「清心亭」で、巨岩から巨岩へと架けられた「天高橋」でそこへ渡ります。
これと良く似た構図の写真を浄因寺の紹介等で良く見るので、浄因寺を象徴する風景のひとつと言えそうです。
天高橋を渡って清心亭まで行きましたが、巨岩にへばりつくように建っているので間近にしか立てず、うまく建物全体を写真に収められません。少し離れると、今度はその巨岩が邪魔をして、建物が隠れてしまうのでした。
その代わり、清心亭の前に立つと、浄因寺の境内全体を見下ろすことができました。
本堂の前で少しだけ休んだら、道標に従ってコースの先へと通じる石段を登ります。
最初の石段が終わった場所に立っていたのが熊野心月堂。もしもここで振り返っていれば、境内を見下ろしたその先で崖の上に清心亭が建つという、浄因寺の紹介写真でお決まりのように使われる最も絵になる景色が見られたはずなのですが、ただ前だけを見て通り過ぎてしまったようで、そのことに気付いたのは帰宅後でした。
さらに登ると、石仏が立ち並ぶ一角があって、恐らくこのあたりまでが浄因寺の境内だったのでしょう。


その後も階段状の急登が続いて、浄因寺が、いかに急峻な斜面を背後に建っていたのかを良く実感できました。
それでも小尾根に乗ると、ようやく傾斜が緩みます。進行方向には、行道山の頂上が間近に見えてきました。
足利行道山に到着しました。頂上には東屋といくつかのベンチ、三角点と展望盤が設置されています。
さほど広い頂上ではありませんが、居合わせた人数もほどほどで、特に手狭に感じることはありませんでした。
展望盤には、富士山・男体山・筑波山などが描かれていましたが‥‥。
気温が上がったこの日は、過ごしやすくて良かった代わりに、遠くが春霞に煙って展望は今ひとつ。ハッキリと見られたのは近くの山々までで、赤城山の距離になるとすっかり霞み、榛名山はもう全く分かりませんでした。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ところでこの場所の名前について触れておきますと、現地の道標等では「石尊山見晴台」で統一されていて、「行道山」という表記は見掛けませんでした。でも地形図に「行道山」と書かれているなど、行道山の頂上であることも間違いないと思うので、この記録ではここを「足利行道山」としています。
それは良いのですが、問題となるのは「石尊山」のほうです。今回私が参考にした「栃木県の山(山と溪谷社刊)」をはじめ、多くのガイドブック類がこの地点を「石尊山」でもあるとしているのですが(行道山(この一帯の総称)の最高点を石尊山とする書き方のものが多いようです)、その真偽が不明なのでした。
「石尊山」という名前の山が北西方向の比較的近くにあることから、そこを眺めるために「石尊山見晴台」と名付けられたのであって、この場所が「石尊山」という訳ではないのだという見解もあるようなのです。
このため、この記録では「石尊山」という表記を避けましたが、実際に「石尊山」を眺めてみたら、その見解には懐疑的にならざるを得ませんでした。上でお見せした展望写真でもお分かり頂ける通り、この場所から見る北西方向の「石尊山」は決して際立った存在ではなく、むしろ周囲の山並みに埋もれて識別しづらいほどでした。その程度の見え方の山の名前を付けて、わざわざ「OO山見晴台」とは名付けないだろう、と思っています。


足利行道山からその次の大岩山まではわずかな距離で、10分ほどで着いてしまいます。こちらは狭い頂上で、たいした展望もなく、行道山で休憩してきたばかりということもあって、素通りしてしまいました。
私製のものしかなかった山名標によると、大岩山のほかに、剣ヶ峰という名前もあるようです。
大岩山からつづら折りの山道を下ると、一旦車道に出ました。
車道を少し歩いて、毘沙門天への下り口まで来ましたが、そのまま進むとその先で景色が開けているようです。
駐車場になっていたその場所は見晴らしが良くて、眼下に広がる足利の街並みが眺められました。ただ、遠くの景色はすっかり霞んでいて、全体的にぼんやりとした見え方だったので、撮った写真の出来は今ひとつでした。


ということで、先ほどの下り口に戻り、少し下るとすぐに大岩毘沙門天の前に出ました。奈良の信貴山、京都の鞍馬山とともに、日本三毘沙門の一つとして知られる古刹は、正式名を大岩山最勝寺といい、天平17年(745年)に、浄因寺と同じく行基上人によって開山されたと伝えられています。
境内が狭くて、これ以上後ろに下がることができず、どうしても建物全体を入れた写真が撮れませんでした。
毘沙門天から石段を下って、山門を裏からくぐります(この写真は振り返ったものです)。
さらに石段を下っていくと、その下は舗装道路でした。
車道に出たところから、毘沙門天の石段を振り返っています。


少しの間、ほぼ平坦な車道をのんびりと歩いていましたが、5~6分で山道への分岐点に出ました。
山道に入ると、またしても木段が待ち構えていました。もうお腹いっぱいです。
ここでも、登り詰めたのは無名のピークでした。辛うじて三角点が設置されているので、「274m三角点峰」などと呼んでほかと区別することはできるのですが‥‥。
なお背後で樹木の間から見えている稜線は、中央やや右寄りの突起が大岩山で、右端あたりが行道山です。
三角点峰を過ぎれば、地形図では単純に下るだけのように読めたのに、実際には地味なアップダウンを何回かさせられました。穏やかな気持ちでのんびりと歩ける箇所が本当にありません。
そして結局、車道と同じ高さまで下ってしまいます。しかもここで横断するのは、つい先程まで歩いていた道の続きなのです。せっかく山道に入ったのに、何てことのないコブをいくつか越えただけで同じ道に戻ってしまうのですから、正直なところ若干の徒労感のようなものがあります。まぁ、車道をそのまま歩いていた方が絶対に楽なのは最初に地図を見た時から分かっていて、好きで山道に入ったんですけどね。。。
その後も、両崖山までの間には、2つほどのコブを越えて行かなければなりません。このコースでは、名も無いコブをただ越えるだけのために、こんな木段を一体何度登ったり下ったりしたのだろう。。。
これを登り切ればいよいよ両崖山ですが、最後の最後まで、急な木段から解放されることはありませんでした。


両崖山の頂上に到着です。足利の市街地が間近に迫り、そこからの標高差も小さいので、もうちょっと訪れる人が多いのを想像していたところ、居合わせた人の数はちらほらといった程度で、意外にも静かな頂上でした。
両崖山の頂上には、御嶽神社・三日月神社・天満宮が祀られていました。樹林に囲まれていて、展望は全くと言っていいほどありませんが、そのためか長居する人は少なくて、落ち着いた雰囲気が保たれていたようです。
頂上のほぼ真ん中にあったのが、この御嶽神社です。
両崖山は足利城跡でもあり、本丸があったこの頂上には石垣跡が残っているとのことです。
少し外れたところ(西側の端のあたり)に掛かっていたのは、足利百名山の標識でした。足利だけで山が百もあるというのが驚きで、少し調べてみると、標高25mなんて山を筆頭に、百mに満たない山がいくつもあるなど、かなり苦心して数を合わせたらしい様子が窺えました。
足利百名山の標識の先には、西側に隣接する小さなコブへの踏み跡があり、それをたどっていくと、栃木百名山の標識がありました(ヤマレコでそう書かれた記事を読んでいたので、その通りに歩いてみました)。


両崖山を後にしたら、あとは足利市街に向けて下るだけ。まずは神社の石段を下ります。
石段はもう少し先まで続いていました。足利市街から両崖山に登ると、最後に急で長い石段が待っている、ということになります。(以上2枚の写真は、いずれも振り返って撮りました)。
石段が終わると、その先に展望台が見えてきました。
展望台からは足利市街を一望できたほか、市街からほど近くにある大小山や大坊山といった、今回の山行プランを立てる際に、もうひとつの候補地して考えていた山々なども眺められました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その先の下りでも、若干のアップダウンは最後まで続きました。とはいえ、もう大きな登り返しはなく、登った先が大抵はこうした展望地になっていて、いい景色が楽しめたので、これはこれでアリだと思いましたが‥‥。
いよいよ市街地に近くなり、道路が絡むようになって車でも登って来られるエリアに入ると、尾根上は次第に公園のような景観を呈してきました。
歩く道もすっかり舗装道路に変わっていて、道の枝分かれも多くなりました。分岐点ごとにいつも道標があるわけではなかったので、どの道が正解かハッキリせず、勘に頼って歩くような局面も出てきています。
もう市街地はすぐ下。この噴水広場が現れる頃には、散策する市民らしき姿も多く見られるようになりました。


分岐のいくつかを勘に頼って進んできた割には、最短経路から大きく外れることもなく、スムーズに足利織姫神社に到着しました。足利観光の大きな見所でもあるので、境内は多くの観光客で賑わっていましたが‥‥。
列に並んで参拝を終え、社務所でお守りを頂いて、再び本殿に目をやると、なんと参拝者の列がありません。ここで全く人が入らない写真が撮れるなんてラッキーでした(この時も両脇や背後には多くの人がいたのです)。
鮮やかな朱塗りがまぶしい本殿。機織りで栄えてきた歴史を持つ足利だけに、機織りを司る神様を祭神としたこの神社は、美しい社殿のいくつかが国の登録有形文化財にも登録されています。


足利織姫神社から229段の石段を下り、一の鳥居をくぐると、もうそこは市街地の真っ只中でした。
足利市駅へ向かう道すがら、お土産を購入しに香雲堂本店に立ち寄ります。建物の左側にあるのは織姫をあしらったからくり時計で、街中にはほかにも交番やトイレをはじめとして、織姫神社風の建物が多く見られました。
足利みやげとして定番の「古印最中」。ギッシリ詰まった上品な甘さの餡が絶品だった上に、薄いながらももっちりと香ばしい皮もまた秀逸でした。この日は季節限定の「桜最中」もあって、ともに美味を堪能しています。


そして渡良瀬川を渡れば、もう足利市駅は近いのですが、あと少しお付き合い下さい。
上の写真の橋の名は「渡良瀬橋」。森高千里の曲にちなんで、堤防道路脇に歌碑が設置されているのです。
歌碑越しに渡良瀬橋を写してみましたが、橋梁の一部が工事中でシートに覆われていたのが残念でした。
渡良瀬橋の上から、渡良瀬川の上流側を眺めてみました。
渡良瀬橋を渡り終えて振り返りました。橋桁とほぼ重なって奥に見えているのは、織姫神社が建つ織姫山です。
足利市駅に戻ってきました。
往路の早朝と違って、日中は特急が運行されているので、指定席にゆったり座って帰りました。最終的にはほぼ満席になりましたが、それを想定して少し早めに駅に着いて特急券を購入したため、窓際の席が取れています。

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