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唐松山・天竺山・横沢入 [奥多摩]

2017/11/12(日)

■第364回 : 唐松山(307m)・天竺山(310m)・横沢入


この日は午前中に所用があって山歩きはオフの予定でしたが、前から気になっていた東京都里山保全地域の「横沢入」に行ってみようと思い立ち、昼から急に出掛けて、その周囲の低い山々とともに軽く歩いてきました。

 累積標高差(登り):492m / 距離:8.0km / 歩行時間:2時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 12:18-12:40 八王子 12:48-13:00 拝島
拝島 13:02-13:15 武蔵増戸

(登山行程)
武蔵増戸駅  13:20
唐松山    14:30-14:35
天竺山    15:00-15:05
横沢入    15:25
大悲願寺   15:35-15:40
武蔵五日市駅 16:05

(復路)
武蔵五日市 16:18-16:37 拝島 17:00-17:12 八王子
八王子 17:19-17:42 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR五日市線の武蔵増戸駅からスタート。天気の良い昼下がりでしたが、それでも空気は少しヒンヤリとしていて、自宅から着てきたジャケットは脱いだものの、フリースのベストは羽織ったままで歩き始めました。
最初しばらくは線路に沿って、武蔵五日市駅方面に歩きます。
ここを右折します。目印になる物は何もないですが、ここにこだわらず、もっと手前を右折してしまっても可。
上の写真の地点を右折したら見える景色がこちら。前方に見える2車線の道路の先に、山裾が迫ってきているのと、直進する道が五日市霊園へと登っていくのが見えるのが、右折点の目印といえば目印になるかと。
2車線の道路を横断すると、山の斜面を囲む石垣に階段があります(この左にも別の階段が)。これら2つの階段をGoogleストリートビューで事前に確認し、てっきりどちらかが東側尾根の登山口かと思ったのですが‥‥。
ところが階段の先は藪になっていて、期待していた山道はなく、標識も見当たらないので、登山口はここではなさそう(と思ったのが間違いだと後で判明します)。ならばと直進して五日市霊園への道を少し登ってみましたが、やはり収穫は無し。仕方なく2車線の道路に戻って、今度は道路沿いを西へ進みながら登山口を探します。


しかし、いくら車道を西に進んでもやはり登山口は見当たらず、やがて道は未舗装になって森の中に入ります。
ほどなく龍性寺への道が右に分かれます。お寺や神社の奥から山道が始まることも多いので、入ってみました。
期待もむなしく、龍性寺より奥にはもう道はありませんでした。分岐まで戻って、先程の道の続きを進みます。


やがて道に車止めが現れて、歩行者しか進めないようになると、看板の立つちょっとした広場に入りました。
看板は横沢入が里山保全地域であることの説明で、この道を進んでいくと横沢入に入ってしまいそう。でも、横沢入は周囲の山を巡った後に訪れる予定なので、横沢入に着く前に右の斜面を上がる道を見つけたいのでした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
横沢入とその周囲の尾根道には、道標がある程度整備されていましたが、道標の行先案内には看板の地図に書かれた細かな地名が使われていたので、地図の地名を把握しておくと、道標を頼りにスムーズに歩けるようです。


看板の先で、もう横沢入に入っていたのかもしれませんが、まだ道の両脇は荒れ地で特に見る物はありません。
少し景色が開けると、初めて道標が現れて、右に折れる道が「横沢東側尾根」と案内されていました。予定よりも大幅に北上してしまった末に、ようやく山に取り付く道を見つけたことになります。
しかしその道たるや、傾斜がやたら急で足元も悪く、散策気分の人がフラッと入ったら面喰らいそうな有様でした。登りでもロープを頼ってどうにかなった程ですから、下るのはちょっと怖いくらいではないかと思います。
最初の急登が収まると、その先は比較的穏やかな道に変わります。急登で身体が温まったので、着たままだったフリースのベストはここで不要になり、以降は最後まで山シャツ姿のままで歩き終えています。
稜線に上がった所は分岐点になっていて、左右に道が分かれています。本来ここには右から出てくる予定だったのに、その道を探せなかったので、一旦右に折れて、その道がどこから来ているのかを確認することにします。


その道は分岐点の道標(上の写真)で行先が「鉄塔 No.27」とされていた通り、すぐに送電線鉄塔に出ました。
そして鉄塔の先で道が不明瞭になります。恐らく整備された道はここまでで、それゆえ先程の分岐点の道標も、この鉄塔を行先としていたのでしょう。でも、その先になんとなく薄い踏み跡が続いているので、それを追って進んでみると、下るにつれて尾根が細くなることもあってか、踏み跡が再び収束して明瞭な道に戻りました。
下り続けていくと、左手に五日市霊園のものらしい墓地が現れて、その墓地からの連絡路も見られました。
墓地からの連絡路を過ぎると、道は次第に藪っぽくなります。それでも構わず下って行くと、やがて眼下には、最初に取り付きを探した付近の道路が見えてきました。どうやら、事前に目を付けていた2つの階段のどちらかが道の入口なのは間違いなかったようです。しかし、この先はほとんど歩かれていないらしく、藪は深くなる一方で、さらにクモの巣も繁茂していたりして歩くのが不快になったので、道の偵察はここで打ち切りました。


ということで、先程の分岐点まで登り返したら、今度は唐松山を目指して北に進みます。
しばらくは比較的穏やかな尾根道が続いて、落ち葉を踏みしめながら歩くのもなかなか気持ちが良かったです。
ほどなく進行方向には、分岐点の道標が行先としていた日の出団地が見えてきました。
道は日の出団地内の車道のすぐ脇を進むようになります。
道標によると、団地からの出入口を境に、尾根道の名前が「東側尾根」と「北側尾根」に分かれるようですね。
「横沢北側尾根」に入った途端、待ち受けていたのは、補助ロープが下がる急登でした。
その先は時々道が頼りなくなり、コースから外れたのかと不安になる場所もあります。人里のすぐ近くにある、道標が整備されたコースとはいえ、急坂が多いなど決して歩きやすくないので、歩く人は限られるのでしょう。


唐松山に到着しました。顕著なピークではないので、ほとんど何の前触れもないまま、ひょっこりと現れた感じの山頂です。周囲の景色も、この前後にいくつかある尾根上の単なるコブと変わらず、三角点が設置されているのを除けば、山頂だからといって何か人の手が入った様子はなくて、木立に囲まれたままで展望もありません。
ここに公的な標識はなく、2つあった私製の小さな標識が山名を現しているだけなので、うっかりしていると見過ごしてしまいそうです。前後の道標の行先にも、「唐松山」という地名は一切使われていないのでした。
こんな人が来そうもない場所で、一体何が破損させるのか、三角点は角が大きく欠けて丸みを帯びていました。


唐松山からさらに西へ進むと、尾根道は小刻みにアップダウンを繰り返すようになります。登り返しになる箇所は急坂が多く、ここも落ち葉に足を取られて滑りやすかったので、補助ロープを頼りに登りました。
このあたりでも所々で道が不確かに。急登降か不明瞭な道のどちらかで、なかなか気持ち良くは歩けません。
再び補助ロープの急坂です。里山とはいえ、散歩がてら歩ける道ではなく、この日会ったのも1人だけでした。
それでも、歩いていくうちに、ようやく道幅が広がってきました。
そんな矢先に、幸神からの道が合流しました。以降は道が良くなったので、幸神からは良く歩かれている模様。
分岐点から進路を南に変えると、間もなく横沢・小机林道に出ます。
山道の続きは、林道を少しだけ右に歩いた所で見つかりました。
林道から天竺山へも、割とキツい登りでした。(時間的に北斜面に入ると光量不足で、ピンボケご容赦下さい)


三内神社が鎮座する、天竺山に着きました。今回のコースで唯一の、落ち着いて過ごせる場所です。
天竺山では東側の都心方面が開けていて、写真にはうまく写りませんでしたが、肉眼ではスカイツリーもぼんやりと見られました。近くに広がるのはあきるの市街で、その右にはサマーランドの観覧車が目立っています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。


天竺山からは、石山の池を経由する道で、いよいよ横沢入を目指します。
しばらく進んだ所に現れた石山の池は、池というよりは水溜まりのような大きさでした。解説によると、室町時代以降の数百年にわたって膨大な量の石材を切り出した跡が窪地になり、そこに水が溜まったものだとか。
その後、いくつかの道が分岐しますが、すべて「中央湿地」方向を選んで進みます。
しばらく進むと細い尾根道に変わります。
すると1箇所だけ左側が開けて、これから向かう横沢入の田園風景を見下ろすことができました。
尾根道は最後のほうで藪っぽくなります。
そしてその藪っぽいまま、横沢入の一角に降り立ちました。ここには山道をの存在を示す標識等がありませんし、道もそこまで明瞭ではないので、逆方向に歩く予定だったら山道の入口をうまく探せたかどうか‥‥。
すぐ先にはベンチと案内図がありました。(歩いてきた山道は、この写真の左にちょうど見切れたあたりに)


下ってきたのは、横沢入の中央湿地の割と奥のほうです。横沢入は思っていたほど広くはなく、さらに奥を見ると、田畑の広がりはもう少し先までで終わっていました。その奥は、つい先程まで歩いていた西側尾根です。
田圃はすべて稲刈りされた後で、収穫も大半は終了したのか、はざかけされたものが少し見られただけでした。
ため池でしょうか。
横沢入の入口側へ向かいながら、所々でシャッターを押しました。市街地と隣り合わせの場所にありながら、東京都で最初に「里山保全地域」に指定されたこともあって、かつての武蔵野の里山を彷彿とさせるような谷戸の環境が守られた、横沢入の景色をいくつかご覧下さい。もう少し早く、田圃の稲が刈られる前に来ていれば、もっと緑が豊かでいかにも里山という景色が見られて良かったのかもしれませんけれど‥‥。
横沢入の管理事務所的な建物は、案内所や休憩所も兼ねている感じでしょうか。この日はちょうど脱穀体験イベントの開催日で、終了後のこの時間も、主催者や参加者らしい人たちが少し残って歓談を続けていたようです。


横沢入を後にしたら、横沢入を取り囲む稜線を東側尾根-北側尾根-西側尾根の順に回ってきていたので、最後の仕上げに南側尾根を目指します。その入口は、大悲願寺の敷地に入ったあたりにあるはずでした。
ちょうど目星を付けていた地点に、いい按配に山に取り付く道があったので、間違いないと確信して入ります。
次々と仏像が現れるその道は、ミニ八十八ヶ所巡りとでも呼ぶべき「お砂踏み霊場」の一部で、全ての仏さまを巡ってお参りすると、四国八十八ヶ所霊場の遍路行と同じ御利益が頂けるというものらしい。
大悲願寺の住職が四国八十八ヶ所巡りをして、一つ一つの霊場の砂を持ち帰って造ったというこの「お砂踏み霊場」、八十八ヶ所の仏像だけでなく「はりまや橋」まで出現するあたり、住職の思い入れが感じられます。
が、道なりに進んでいるとやがて平坦な道に変わり、それ以上登ることのないまま大悲願寺に下ってきてしまいました。帰宅後に奥多摩登山詳細図を確認すると、61番石仏の所から別の山道が分かれるように書いてあるので、きっとそれを見落としたのでしょう。この日は最初にも東側尾根の取り付きをスルーしたりしていて、やはり急に行先を決めて出掛けただけに、調査不足が露呈してしまったようです。ただ、大悲願寺もちょっと気になっていた場所でしたし、もう引き返すのも億劫でしたので、コースを変更してこちらを見ていくことにします。


ということで、1191年創建の古刹、大悲願寺をお参りしていきます。
境内はとても雰囲気のある空間で、その長い歴史と風格を漂わせていました。
観音堂は、欄間などに精巧な彫刻が施されるなど、豪華さと重厚さを併せ持った見事な建築でした。
仁王門も荘厳な印象のもので、往時は長い階段の参道が、秋川沿いの五日市街道からここまで続いていたとか。


最後は武蔵五日市駅への車道歩き。大悲願寺からは、途中から幹線道路に入るほうが分かりやすそうでしたが、それでは味気ないですし空気も悪そうなので、元々南側尾根を歩いた後で通る予定だった細い道へと進みます。
説明が難しいので詳細な道順は省きますが、細い路地に入って、ここは一見左折するしかないように見えます。
が、突き当たりに立つと、下を流れる川に架けられた橋が見えます。この橋の存在は地図で示されていて、渡れれば駅への近道として使えそうだと分かったのに、肝心の通行可否の情報が事前には得られなかったのでした。
でも期待通り、橋へと下る道がちゃんとありました。ここへ誘導する道案内などが一切見られないので、普段は地元の方しか通らないのでしょうが、きちんと整備されていたことから、それなりに使われているのでしょう。
橋はいたって簡素なもので、特に名前もなさそう。道理で情報がネットで探しにくい訳です。
橋の上から下流側を眺めてみました。ここでは川辺に降りることもできて、少し先まで歩くと自然な景色も楽しめるようです。橋を渡った対岸側は、登り返す道もコンクリートの階段とかではなくて、単なる山道でした。
その山道を登って住宅が建ち並ぶ一角に出たら、あとは駅まで、道なりにほぼ真っ直ぐ歩いて行くだけでした。
武蔵五日市駅に到着です。午後からのお出掛けだったので、もうすっかり日が傾いていました。

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