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南高尾山稜 [高尾・陣馬]

2020/10/28(水)

■第432回 : 南高尾山稜(大洞山(536m)・中沢山(494m)・泰光寺山(475m)


自宅から登山口まで自転車を走らせて、公共交通機関を利用せずに行う山登りも3回目となった今回は、これまでよりも自転車の走行距離を延ばし、南高尾エリアまで行って稜線歩きを楽しんできました。

さすがにママチャリで2時間近くも走るのは無茶だったのか、山に登る前からかなりの消耗感があって、一時は途中でのリタイアも考えたほどでしたが、ゆっくり歩くことに徹して、なんとか計画通りに歩き切れています。

 累積標高差(登り):726m / 距離:13.4km / 歩行時間:4時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約18.3km)-中野コミュニティ公園(奈良井バス停前)

(登山行程)
中野コミュニティ公園 08:10 (奈良井バス停前)
名手集落       08:40
大洞山        10:05-10:15
中沢山        10:40-10:50
泰光寺山       11:30-11:40
三沢峠        11:55
峯の薬師       12:10-12:20
三井大橋       12:45
中野コミュニティ公園 13:20 (奈良井バス停前)

(復路)
中野コミュニティ公園(奈良井バス停前)-自転車移動(約18.3km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

出発から1時間25分かけて、津久井湖城山公園の「水の苑地」まで来ました(背後の山は前々回に登った津久井城山です)。これまで自転車で最も遠くまで来た場所がここでしたが、今回はさらに先へと進みます。ただ、この日はなんだか身体が重たく感じて、ここまで計画よりも10分くらい余計にかかっているのが不安材料でした。
津久井湖の対岸に回って、津久井湖城山公園の「花の苑地」へ。まだ早朝なので観光センターは開店前です。
「花の苑地」からだと、津久井城山を真上に仰ぐ感じになっていて、ここからなら数十分で登れそうですね。
さてここまでは、道の勾配が登っていることをほとんど意識しない程度だったのに対して、ここからは明らかな登り坂が続くようになります。特にこのすぐ先のきつい坂は、自転車を降りて押さないと登れませんでした。
中野コミュニティ公園に自転車を停めます。このあたりは公共の場所が少なくて、地図でかなり探しました。
この公園は広い道路に面しているほか、すぐ前に奈良井バス停があるため、常にそれなりの人通りがありそうで、自転車を長時間置いてもイタズラ等に遭う可能性が低そうだと期待できたのも、ここを選んだ理由でした。
あ~あ疲れたぁ。すでに結構しんどいです。山に登るのはこれからだというのに‥‥。
想定外なほどの消耗は、長距離走行に加えて、終盤の坂道がきつかったのと、季節風の時期になり終始北風に逆らってきたのと、朝方の冷え込みも身体に負担だったかもしれず、たぶんそれら全部が合わさったのでしょう。
スケジュール的にも、1時間半もあれば余裕で着くと目論んでいたところを1時間50分かかっていて(途中、相模原北公園と津久井湖城山公園で5分ほど休んだのを引いても1時間40分くらい漕いでいた)、さらに10分くらい休んでからでないと歩き始める気にならなかったので、初っ端から30分遅れという有り様です。
しかも、歩き終えて帰ってきた時点で、また自転車で同じ距離を走る脚力が残っていなければなりません。山には登らず、この周辺の散策程度にとどめるほうが賢明なのかも、などと逡巡しながらのスタートとなりました。


歩き始めて10分少々で、尾崎咢堂記念館の前へ。地域ゆかりの政治家・尾崎行雄(咢堂)を称える施設らしい。
尾崎咢堂記念館から津久井湖畔へは、車道のほかに遊歩道もあることがGoogleマップを見て分かっていましたが、記念館前にある案内図(上写真の右端に写っている)にもその遊歩道が示されていました。
なので、記念館の脇からそれらしい細い路地に入ります。
路地を奥まで進むと、左には湖畔を覆う林が迫ってきました。
家並みが途切れて畑地に出ると、右手にはこれから登る南高尾山稜の一部が見えていました。
畑地と林の境の私有地っぽい所を進むので、ここが遊歩道だと案内されていなければ、入るのが躊躇われそう。
遊歩道は短くて、すぐに湖畔への下り坂が現れるとともに、青い吊り橋が見えてきました(写真左端)。
見えてきたのは名手橋で、このあとこれを渡ります。
名手橋へ下る階段の脇には道標が立っていて、歩いてきた道は「湖西遊歩道」という名前のようでした。


それでは、名手橋を渡りましょう。細い橋だけに歩道はないものの、人や車の往来もほとんどありません。
名手橋の上からは、津久井湖の湖面越しに、名手集落と南高尾山稜を眺められました。
対岸の名手集落に入り、車道を集落の上部まで登ったら、県道515号線への突き当たりを左折します。
県道はすぐ奥のカーブの先で全面通行止になりますが、そうなる手前に登山口があるはずです。
車道を遮るゲート(ここはまだ脇が甘々だけど、すぐ先でかなり厳重に封鎖されているのが見えていた)まで来たら、右のスロープが三井水源林の山道への入口です。期待に反して道標等による案内が何もなかったけれど。


三井水源林の山道に入ってすぐの分岐点では、道標が倒れていて、通行を遠慮願うとの注意書きが。でも、問題なく通れるという情報を事前に得ていましたし、道が塞がれたりもしていないので、構わずに進みます。
登山地図に載っていない道ながら、本来は良く整備されていることが窺えます。ただ、やはり登山道に入ると妙に身体が重たくて、ゆっくりでなければとても登れず、こんな調子でどこまで進めるのかと不安になりました。
少し登るとまた分岐点があって、進む予定にしていた急坂コースを見ると‥‥。
事前に得ていた情報通り、警告とロープが通せんぼしています。それでも通れるらしいので突破するつもりで来ていましたが、この先は人が入っていないからなのか草が繁茂して藪っぽくなり、あまり快適に歩けそうもない様子に見えたので、予定を変更して通行止ではないボランティア林経由のコースへ進むことにしました。
そのボランティア林経由のコースも、ほどなく小さな沢を横断する箇所が崩壊して道が流されています。でもきちんと対策が取られていて、深く抉られた沢底へハシゴで登り下りして通過できるようになっていました。
その先にはもう問題箇所はありませんでしたが、崩壊地から先は歩かれていないのか、道が細くなっています。
序盤は勾配が緩やかで、普段なら楽に登れるコースなのかもしれないのに、どうにも足が重すぎて、腿やふくらはぎがプルプルする感覚も少し現れています。下山後に自転車を漕げなくなっていたらマズイ、そうなる前に途中で引き返すべきか、などと思い悩みながら、疲労を最小限に抑えるべく、そろそろと登っている具合でした。
あまり歩かれていない様子は先へ進むほど明らかで、次第にヤブっぽい箇所の通過が増えていきます。
少し開けた地点(でも草丈が高くて眺めはない)のベンチで休みつつ、今後について考えを巡らせた結果、大洞山までの往復(疲労度により中沢山での断念もあり)に計画を縮小することで、一旦はほぼ心が固まりました。
さらに登ると、上部ではやや傾斜がきつくなって、たびたび木段も交えるようになります。
尾根道に上がる直前には、この一帯の案内図がありました。いくつものコースが張り巡らされて、問題なく歩ければ様々な楽しみ方ができそうなのに、昨年の大雨などの影響で通行止めの箇所が多いままなのが残念です。
尾根道への合流点は、こちら側が通行止でした。ここまで特に封鎖を突破したりせず登ってきたんですけどね。
尾根道に出て分岐点を振り返ったところ。なるほどこの様子なら、下りでこの道に入る人は少ないでしょう。


尾根上の一般登山道に入ると、すぐ先にたくさんのベンチがありました。ここで改めて、大洞山まで往復したら、さらに泰光寺山や峯の薬師へ足を延ばしたりせずに、登ってきた道を大人しく引き返そうと決めています。
登山道はほどなく中沢山の直下を巻いていくので、中沢山への分岐は後回しにして、先に大洞山へ向かいます。
南高尾山稜の縦走路はただの一般登山道ではなく、関東ふれあいの道でもあるので、もちろん整備状況は万全ですし、先程までとは段違いに歩きやすい道になっていて、この疲労感の中でもあまり苦にせずに進めました。
とはいえ、途中にある分岐では巻き道のほうを選んで体力を温存することに。
ここはいつも尾根通しの道を歩いていたので、巻き道に入るのは初めて。ほぼ平坦に近くて楽に歩けました。
尾根道に戻った後は、やや急な登りが待っていました。
急登を登り詰めたところがコンピラ山。小さなピークですし、もう大洞山も近いので、今回は通過しています。
コンピラ山の先には急な登りはなく、徐々にじわじわと登り続けて行く具合でした。


大洞山に到着しました。南高尾山稜の最高点ですが、さほど広い山頂ではなく、展望もなくて割と地味です。
山頂の様子を反対側から振り返ったところです。尾根上の縦走路に出てからは何人かのハイカーとすれ違うようになっていましたが、ここで10分ほど休んでいる間は誰も通ることがなくて、静かでした。
ベンチとテーブルのほか、頂上標柱と関東ふれあいの道の解説板がありました。
ところで、ここに来て少々迷いが生じました。大洞山に着く頃には、さらに消耗が進んでもっと疲労困憊していると想像していたのに、実際はそこまで疲れておらず、まだいくらかの余力があったからです。
もちろん、来た道を引き返すほうが、歩く距離も時間も抑えられることに違いはありませんが、登ってきた三井水源林の山道は、上部の傾斜がややがきつかった上に、あまり踏まれていない道だけに足元が不安定な場所も少なくなく、そこを下るのは足への負担が大きそうなのが気掛かりでもありました。
むしろ計画通りのコースのほうが、良く整備されていて歩きやすく、起伏も最後まで穏やかなままなので、距離が長いという懸念はあるものの、案外無理なく歩けるのでは、という思いもあり、もう少し悩み続けることに。


大洞山からは、さっき歩いてきた道を引き返します。途中の分岐点では、やはり巻き道を選びました。
中沢山の直下まで戻ってきたら、今度は中沢山の山頂にも立ち寄っていきます。
中沢山も、聖観世音菩薩像がひっそりと立っているだけの、地味な山頂でした。
中沢山には山頂の標識もなく、樹木に括られていた私製のプレートが、山名を示している唯一の物でした。
さて、歩き始めて以来ずっと抱えていた懸案にも、そろそろ結論を出さなくてはなりません。ここまで戻ってくる間も、この山頂での休憩中も、さんざん逡巡した末に、計画通りに歩くほうが無難だろうと判断しました。


ということで、先程右の山道から上がってきた分岐点をスルーして、南高尾山稜の尾根道をさらに南下します。
中沢山から先は、アップダウンの少ない穏やかな道。歩くのは今回で3回目なので勝手も良く分かっています。
少し進むと右側が開けた地点に出ました。
そこにはベンチがいくつも置かれて、見晴台というプレートも付けられていますが‥‥。
あいにく曇りがちだったこの日は、富士山はもとより、近くの丹沢や道志の山々も満足に見られませんでした。


その先もしばらくは緩やかな登り下りを繰り返したのち、下る一方になってくると間もなく西山峠です。
たくさんのベンチが置かれていたのは、西山峠の少し手前ですが、休憩にはこちらのほうが向いているかも。
というのも、西山峠にもベンチはあったものの数は少なかったからです。
なお、ここからも名手へ下る道がありますが、昨年の台風19号による影響で現在も通行止めでした。
西山峠の先には、下ってしまった分の登り返しがあります。
次の分岐点で巻き道を選ぶと泰光寺山を巻いてしまうので、ここでは尾根通しの道に入ります。
泰光寺山の山頂も展望のない地味な地点で、ここは巻いてしまう人も多そうです。でも今回の縦走では最後のピークとなるので寄っていくと、ご夫婦とみられるお二方が休憩中でした。
やや手狭な山頂も、私が着いた後は通りがかる人もなく、10分ほど休憩していた間は静かに過ごせています。
泰光寺山にも標識はなく、あったのは私製のプレートのみでした。


泰光寺山を過ぎるとすぐに急降下があって、反対側から歩いてくる時にはとても苦しいところです。
その後いくつかある分岐点では、すべて巻き道を選んで体力を温存しました。
三沢峠まで来れば、あとはもう登りはなくて、緩やかな下りを残すのみ。スタート地点までの距離こそまだ長いものの、この先の目処が立つようになって、少し安心感も生まれています。
三沢峠から峯の薬師への道に入ると、途中で一旦は車道のようになって、電波塔が建ち並ぶ一帯を抜けていきます。ここで赤色灯を点滅させた救急隊らしき赤バイク2台とすれ違ったので、どこかで何か起きていたのかも?
下っていく途中で展望が開けました。眼下の水面は津久井湖で、その奥が津久井城山です。
峯の薬師まで下ってきました。平日だからか、薬師堂もひっそりとしています。
峯の薬師の事務所の前は、落ち着いた雰囲気の広場になっています。
いくつか置かれていたベンチに腰掛けて、ここで最後の休憩を取っていきました。


峯の薬師からは表参道を下ります。道幅が広くて山道らしい趣はやや薄れるものの‥‥、
九十九折が続く道は傾斜が緩やかで歩きやすく、古くからの参道として良く歩かれていた様子が窺えました。
最後だけは石段を下って道路に出ます。
石段の下りが始まる脇には、大きな石柱が立っていました。


車道に下りたら、すぐの分岐で左の細い道に入ると、歩く距離を少し縮められます。
細い道を下った先で、橋を渡る手前にこの解説板があることは、Googleマップのストリートビューを見て分かっていましたが、解像度に難があってそれが何者かは不明だったのです。
現地に行ってみて、そこにあるのが「徳本碑(徳本念仏塔)」なるものと分かりました。徳本は江戸時代後期の高僧で、全国を行脚中に各村々が特徴ある書体で書かれた名号を求め、それを元に念仏塔が建てられたとか。
ここにあるものは「三井の徳本念仏塔」として相模原市の市登録有形民俗文化財に指定されており、立っていたのもその解説板でした。ネット上にも情報が少ないので、ここから拡大版を読めるようにしておきます。
その後は三井の集落内を抜けて、津久井湖に架かる三井大橋まで来ました。
三井大橋には歩道がなく、歩いて渡るのは交通量が増えた現在は危険ですが、近年(2012年)になって隣に歩道橋が架けられたので、現在は安全に渡ることができます。この歩道橋は三井そよかぜ橋という名前らしい。


三井大橋(三井そよかぜ橋)を渡った先にも遊歩道があって、その存在はGoogleマップで分かっていました。しかし、その入口だと思っていた階段を見ると草に埋もれ気味で、ちゃんと歩ける道なのか不安になります。
でも実は、階段の奥に隠れていたのが本当の入口で、そちらは良く歩かれている様子のしっかりした道でした。
遊歩道に少し入ると「梢のみち」という標識が立っていて、それはGoogleマップに出ていた名前と同じでした。
さらに進むと、竹林の中を通るちょっと雰囲気の良い場所もありますが‥‥。
遊歩道は短いもので、左手にはすぐに人家が現れて、その裏庭との境を進むような具合に。
そしてほどなく遊歩道は終わって、階段かスロープを上がれば車道に出てしまいます。
上がってきたスロープを車道から振り返りました。奥のカーブミラーの所には階段の下り口があります。


すぐ国道に出ると、そこは朝に自転車で走った道で、以降は5時間前に見た景色がもう1度繰り返されるだけ。
しかも歩けば20分くらいかかる距離があって、最後はちょっと退屈でした。
中野コミュニティ公園まで戻ってきました。無事に歩き切れて、それなりに余力も残せている一方で、やっぱり疲れていることは疲れていて、10分くらい足を休ませてからでないと、自転車に乗る気にはなりませんでした。
でも、いざ自転車を漕ぎ始めると、往路できつく感じた登り坂も帰りは下りなので割とスイスイ走れています(その後、途中に何度かある小さな登り返しもさほど苦にならず、意外と順調に自宅まで走れた感じでした)。
少し自転車を走らせたら、休憩がてら津久井湖城山公園の「花の苑地」に寄っていきます。朝はまだ閉まっていた津久井湖観光センターもこの時間は営業中で、平日ですがそれなりにお客さんも入っていました。
観光センターでは「咢堂まんじゅう」と「丹沢とうふひねり餅」を購入。「咢堂まんじゅう」はつぶ餡(白)とこし餡(赤)の2種類で、見た目以上に薄皮であんこがたっぷり、「丹沢とうふひねり餅」は豆乳っぽい風味がきいた素朴な甘さで、どちらも美味でした。
さて、途中で心配になることが起こりつつも、どうにか問題なく歩き終えることができて、一応はホッとしていますが、今後もこのような計画を続けるかどうかは再考する余地がありそうです。

登山前後にこれだけの距離を自転車で走るのは、よほどコンディションが整わなければ厳しいと分かりましたし、たとえ自転車の走行距離を前回や前々回並みに抑えても、これ以上季節が進むともう快適には走れないでしょう(そこから登山可能な山も、前回・前々回の草戸山か津久井城山にほぼ限られて対象を広げられません)。
そもそも自転車がママチャリなのも問題で、そこをグレードアップする方法もない訳ではないけれど、高々月に数回の山行のためにと考えると、ちょっと折り合いの付かない気分の投資になりそうで二の足を踏んでいます。

となるとやはり、ずっと避けている公共交通機関の利用を再開する以外に山行の幅を広げる手はなさそうですが、今のところはコロナを忌避したい思いのほうが強いので、今後は寒くもなることですし、しばらくの間は近場の低山なり丘陵なりといった同じような行先でやり過ごして、この情勢が好転するのを待つしかなさそう。

それにしても、医療関係者をはじめ、頑張っている人たちは本当に頑張っているのに、コロナ禍には終息の兆しすら見えず、一体いつまでこんなことを続ければ良いのでしょう(誰のせいでこんなに長引いているの?)。
この世の中が私のようなタイプの人間ばかりだったら、たぶん経済が持ちこたえられないので、Gotoなどを使ったりして遊び回る人がいてくれるのも大切なことなんだろうと思っていますが、外を出歩くことが多い人ほど感染対策には万全を期して欲しいのに、実際はそうなっていないんだろうなぁ。

タグ:高尾・陣馬
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