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高岩山・上高岩山・大岳山 [奥多摩]

2018/04/28(土)

■第382回 : 高岩山(920m)・上高岩山(995m)・大岳山(1266m)


大型連休に入ったこの日は、いつものように交通機関の混雑を避けるべく、近場の奥多摩に出掛けてきました。
今回が6回目(グループ山行を合わせると+1回)となる大岳山は、主要な登山コースの中で、養沢からのサルギ尾根と、白倉からの表参道がまだ未踏だったので、前者を登り、後者を下るコースを歩いています。
関東地方の多くで夏日となったこの日も、山の中に入るとまだ空気はヒンヤリとしていて、心地良く吹いていた風にも恵まれ、涼しい午前中のうちに歩き終えたこともあって、暑さを感じることもなく快適に過ごせました。

 累積標高差(登り):1111m / 距離:9.2km / 歩行時間:4時間0分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:5時間10分 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:23 拝島
拝島 06:26-06:44 武蔵五日市 07:01-07:27 大岳鍾乳洞入口

(登山行程)
大岳鍾乳洞入口バス停 07:30
高岩山        08:55-09:05
上高岩山       09:30-09:40
芥場峠        09:55
大岳山荘       10:25-10:30
大岳山        10:45-11:00
白倉分岐       11:20
(展望ベンチ)     11:30-11:35
大嶽神社       12:00-12:30
白倉バス停      12:35

(復路)
白倉 12:51-13:20 武蔵五日市 13:32-13:49 拝島
拝島 14:01-14:12 八王子 14:30-14:42 橋本
橋本 14:45-14:55 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

武蔵五日市駅から上養沢行きのバスに乗り、終点の1つ手前の大岳鍾乳洞入口で下車します。ここで降りたのは確か5人(いずれも単独行)で、大滝へ向かった様子の1人を除いて、4人がサルギ尾根に取り付きました。
まずは、バス停のすぐ向かいにある養澤神社への石段を上がります。
というのも、サルギ尾根の登山道は、養澤神社の境内に登り口があるからなのでした。


養澤神社の拝殿の右奥がサルギ尾根の登山口になっていて、ここからすぐに登りが始まります。
登山口のすぐ上にはシャガの群落がありました。
登山道は、いきなりの急登で始まります。特に登りしなは、足場の悪い急斜面に強引に道を開いたような感じで、しばらく続いた鉄パイプの手摺りがなかったら、登り下りともに結構厳しいくらいの傾斜がありました。
途中で振り返ると、登山口の神社がほぼ真下の角度に見えていて、いかに急な斜面なのかを物語っていました。
手摺りがなくなって普通に歩けるようになっても、急坂はもうしばらく続きます。
急登に耐えること30分ほど、ようやく傾斜が少し緩んで、並の登山道になってきました。でも当分は植林の尾根が続くので、傾斜に多少の変化はあっても、こんな感じの景色はほとんど変わりません。


登り始めて小1時間ほど経つと、ほぼ平坦な区間が現れて、ようやくひと息つけました。平坦な区間の終わりにはこんなベンチもあって、腰掛けて休めるようになっています。
そしてベンチのすぐ奥にはこんな標識が。
標識の奥にあった「炭焼き窯跡」です。このサルギ尾根は、10年以上前の登山地図ではまだ登山コースが描かれておらず、数年前から難路としてコースが描かれるようになったのち、一般登山道の記載に変わったのはつい最近です。だから登山者が増えたのは近年のことで、それ以前は専ら山仕事で歩かれていた尾根なのでしょうね。


さらに登り続けると、次第に大きな岩が増えてきて、岩を乗り越えたり、岩の間をすり抜けたりしつつ、高度を上げていきます。そんな中で現れた小ピークにはベンチがあったので、ここで少しだけ足を休めていきました。
なお、現地ではここがてっきり地形図の809m標高点ピークだと思っていましたが、帰宅後にGPSデータを確認すると、実際にはそのわずか手前の790m圏のコブだったようです。もっともこの付近は崖記号で等高線が省略されているなど、地形図も必ずしも正確に描けていない可能性がありそうで、確かなことは分かりませんが。
その後も所々に岩場が現れる道が続いて、時には手を使ったりもして登っていくうちに、高岩山に着きました。特に山頂の標識はなく、道標に現在地名が記されただけの地点で、樹木に囲まれてほとんど展望もありません。
それでも、目指している大岳山だけは、樹木の間から姿を窺うことができました。


高岩山からは、一旦大きく下ってしまいます。ここは、上高岩山との最低鞍部あたりまで下ったところ。
上高岩山への登り返しが始まりました。このあたりまで来ると、植林の合間に雑木林が混ざるようになって、鮮やかな新緑を愛でながら登れたりもしています。
上高岩山の直下になると、かなりの急坂が続くように。登山道は時折ジグザグを描いてくれるものの、直登気味の場所も多くて結構きつかったです。
思いっ切り逆光の写真しか撮れませんでしたが、展望台を兼ねた休憩舎のある上高岩山に到着しました。
展望台からは、北東側を中心とした90度くらいの範囲を眺められています。先のほうで霞んでいるのは市街地なので、見えていたのは今いる場所よりも低い山々ばかりでしたでしょうか。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ところで、同じバスから降りた人たちのうち、2人とは歩くペースが近くて、ここまでも何度か顔を合わせていましたが、この展望台で一旦その3人が揃うという展開でした。ただ、ここで私が先発すると、以降は2人の姿を見ることがなかったので、私と同様に大岳山を目指したのか、それとも御岳山に向かわれたのかは不明です。


上高岩山から先は、既に歩いたことがある道になって、すぐにロックガーデンからの破線路を合わせます。
さらに進むと芥場峠の分岐点。ここで御岳山からの道を合わせるので、ここから先は急に人が多くなりました。
その後は、しばらくは穏やかな道が続いて、新緑の中を気持ち良く歩けます。
この標識には見覚えがないので、最近設置されたものなのでしょう。でも滑落注意の岩場なんてあったっけ?
なんだ、ここのことか。階段状になった岩道を普通に歩いて通るだけなのに(手を使うこともなく、距離もごく短い)、こんな所で滑落の心配をする必要がある程なら、その人はこの先大岳山には登れないと思うんだけど。
大岳山に近づくにつれて、穏やかな道と岩場が交互に現れるようになります。
ここも普通に歩いて通れる岩場で、何のためにクサリがあるのか悩むような場所です(冬場の凍結時には有難いのかもしれませんが、この先のもっと険しい岩場には何も無いので、あまり意味があるとも思えず‥‥)。


そうこうするうち、大岳山直下の分岐点まで来ました。閉鎖されて久しい大岳山荘は、すっかり傷んでますね。
大岳山荘の先には、ヘリポートを兼ねた展望台があります。崩落の危険があるため現在はそこに立てなくなっていますが、立入禁止のフェンス越しに、笹尾根の末端あたりや丹沢の山々を眺められました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
大岳山荘のすぐ上には大岳神社があって、下山先の白倉にある大嶽神社の奥宮にあたるらしい。ここで登山の無事をお願いして軽く拝んだら、いよいよこの先に控える、大岳山への最後の急登に取り掛かります。


大岳神社前から急な道を登っていくと、次第に岩場が増えていきます。
そして大岳山の直下に入ると、岩場が続くようになりました。普通に2本足で立ったまま登り下りできる岩場で、登りならば手を添えるような箇所もほとんどないものの、そこそこ急登になるのが結構きつかったです。
そんな岩場もさほど長いものではなく、ほどなく頂上から人の声などが聞こえるようになってきます。


大岳山の頂上に到着です。大型連休が始まり、混み具合が気になって、早めに来てみたのでしたが、はて‥‥。
(頂上を通り過ぎて反対側から)幸い登山者の数はほどほどで、腰掛ける場所もいくらでも探せる状況でした。
大岳山の頂上標柱とともに、一応は見えていた富士山(右上)を写してみました。
大岳山からは、南から西にかけての広範囲のパノラマが楽しめました。ただ展望を楽しむには気温が上がりすぎたのか、富士山など遠くが霞みがちであまり鮮明ではなかったのが残念です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山をアップに。富士山の右手前は権現山で、その手前が笹尾根、そして一番手前が浅間尾根でしょうか。


大岳山を後にしたら、2015年に登ったことがある南尾根コース(登山地図では一般登山道表記)を下ることに。
その時は頂上まで登り詰めた道ですが、その際に上からでは下り口が分かりにくいのを確認済みでしたし、そのあたりに人もいたので、一旦登ってきた道を戻り、ほんの僅か下った所にあるこの標識の地点を右に入ります。
意外なほど明瞭な道は、大岳山の南を平坦に巻いて進む一方で、しまいには鋸山への道まで行ってしまいそう。でも途中に何となく見覚えのある地点があって(この写真とは別の地点)、そこから細い踏み跡に入りました。
その踏み跡は、はじめのうち、立ち木に掴まりながらどうにか下れるような危なっかしい急降下で、前回はこんな所を良く登ったなと感心させられるほど。道が明瞭になったのは、かなり下って傾斜が緩んでからでした。最新の登山地図ではここが一般登山道として書かれていますが、とても一般の登山者が安心して歩ける状況の道ではなく、地図の表記には違和感を覚えています。これと違う道がほかにありそうにも思えなかったしなぁ‥‥。
南尾根コースは最後に、何の目印もない地点で大岳山荘からの道に合流、少し進めば鋸山方面との分岐点です。


そこからは、馬頭刈尾根コースを少しだけ進みます。白倉への分岐点までは、穏やかで歩きやすい道でした。
このベンチの地点は好展望でしたが、頂上と同じような方角の眺めだったので、ここからの展望は割愛します。
白倉への降下点となる分岐まで来ました。この先は登ってきたサルギ尾根と同様に、初めて歩く道になります。


白倉への道は、登山口にある大嶽神社からの、かつての表参道。しかし上部はずっと植林帯で、道にも期待していたような古さが感じられなかったので、恐らく道は付け替えられてしまっているのでしょう。
参道らしい趣は全くありませんし、植林の似たような景色ばかりが続く上に、ジグザグの繰り返しも単調です。
それでも、そのジグザグによって一定の傾斜に抑えられた道が、歩きやすいことだけが救いでした。路面も足裏に優しい柔らかな感触で、スピーディーにグングンと下れます。
道端では、往時の名残らしい丁石を見掛けることもありました。
しばらく下ると、雑木が混ざるようになって森の雰囲気が少し変わります。このあたりは、落ち葉が厚く積もったフカフカの道だったので、秋頃には紅葉が楽しめるのかもしれません。


途中で唯一展望が開けていた地点には、丸太で作られた簡易なベンチが置かれていました。
展望ベンチからは、笹尾根や浅間尾根の山々を眺められたので、そこで少し足を休めていきます。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ただ富士山は大いに霞んでいて、アップにしても、もう写真では存在が分からないほど微かな見え方でした。
さらに下ると、道が深く抉られた箇所があり、もしかすると、古くからの道が残されていたのかもしれません。


車道を横断する地点まで下ると、もう人里も間近です。
その後はすぐに鳥居をくぐります。鳥居の両脇には大きな庚申塔と「大嶽社」と彫られた笠塔があり、さらに「一丁目」の丁石が立っていたので、ここが大嶽神社奥宮へのかつての登山口だったのでしょう。
そしてほどなく、前方に集落が見えてきて、登山道も車道に合わさりました。
大嶽神社は、車道に出てすぐのところにありました。
あまりに快調に下れたため、バスの時間には40分以上の余裕がありました。バス停付近に時間を潰せる場所がないと分かっていたので、神社の境内で時間調整していきます。ここにいた30分程は、誰も来なくて静かでした。
最後は白倉バス停で、武蔵五日市駅行きのバスを待ちました。

タグ:奥多摩
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大桁山・鍬柄岳 [上信越]

2018/04/21(土)

■第381回 : 大桁山(836m)・鍬柄岳(598m)


この日は珍しく、西上州の山に出掛けてきました。
険しい岩山ばかりが連なり、切り立った岩稜にクサリで挑むような山が多くて、まだほとんど馴染みのないエリアです。鍬柄岳も小さな岩峰ながらその例に漏れず、頂上部で100mに及ぶ長いクサリを登下降する山ですが、このエリアの山にしては珍しく難易度が低めで、岩場の経験値が低い私でも無理なく登ることができました。

 累積標高差(登り):650m / 距離:8.8km / 歩行時間:2時間50分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:4時間55分 

(往路)
古淵 04:45-05:17 東神奈川 05:18-05:21 横浜
横浜 05:25-06:25 大宮 06:54-07:18 高崎
高崎 07:39-08:42 下仁田 09:20-09:34 虻田

(登山行程)
虻田バス停  09:35
林道終点   10:40
大桁山    10:55-11:05
鍬柄岳    11:55-12:10
鍬柄岳登山口 12:30
千平駅    12:50

(復路)
千平 13:12-14:07 高崎 14:52-16:29 赤羽
赤羽 16:32-16:47 新宿 16:57-17:31 相模大野
相模大野 17:48-18:03 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

高崎でJRから上信電鉄に乗り換えます。登山以外のお出掛けも含めて、上信電鉄の利用はこれが初めてでした。
上信電鉄線の終点・下仁田で下車します。同じ電車から降りた乗客は、私を含めて3人だけでした。
駅前からバスに乗り継ぎますが、待ち時間はなんと40分。しかも、次の電車が着く3分前の発車なので、電車との接続は全く考慮されていないようです。バス乗り場には待合室があって、座って待つこともできましたが‥‥
時間があり過ぎるので、適当に駅の周りをウロウロ。下仁田駅の構内越しに西側を眺めると、次にこのエリアに来た時に行先の候補にしている鹿岳の、いかにも西上州の岩山らしいゴツゴツとした稜線が見えていました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。


マイクロバスで運行されていた「しもにたバス」(下仁田町のコミュニティバス)に15分ほど乗って、虻田で下車します。利用者はたった2人だけでしたが、朝ですから需要があるのは折り返す便のほうなのでしょうね。
大桁山を経て千平駅へ至るコースは「関東ふれあいの道」に指定されていて、今回はその途中で鍬柄岳を経由するようアレンジしたコースを歩きます。バス道路から林道に入る地点には、道標と案内図が立っていました。


道が舗装されていたのは、はじめのうちだけでした。
ほどなく道が二手に分かれます。パッと見たところ道標類がなさそうなので、戸惑いかけましたが‥‥。
良く見たら上の写真中央にある柱状の物の根元で、こんな案内標識が草に埋もれかけていました。ちゃんと分かったから良いけれど、「関東ふれあいの道」にしては、道案内のクオリティがお粗末なのではないでしょうか。
そこからは砂利道に変わるとともに、日差しを遮るものがなくなりました。季節外れの夏日を記録したこの日は、朝から汗ばむほどの陽気の中を半袖姿で歩き始めていたところで、この炎天下はキツかったです。
それでも、次の分岐点で左に折れると‥‥。
その先は日陰が主体の道に変わってホッとしました。風が爽やかに吹いていたので、日陰なら登りでもあまり暑い思いをせずに歩けるのです。同時に土の道に変わったことで、山道に近い感覚で歩けるようにもなりました。
比較的快適に歩けるのは救いですが、同じような景色の林道歩きが延々と続いて、やや退屈に感じました。また途中に道案内のない分岐があるなど、やはり「関東ふれあいの道」の割に、整備状況が今一歩という印象です。


林道を丸々1時間かけて終点まで歩いたら、ようやくここから登山道が始まります。といっても、林道だけで400m近く登ってしまったので、登山道で登れる分はもう100m少々しか残っていないのでしたが‥‥。
その登山道も、なんだか少し荒れ気味の植林の中を進む具合で、はじめはあまり気持ち良く歩けません。
でも、少し登ると自然な感じの雑木林に変わりました。芽吹いたばかりの柔らかな緑が目に心地良かったです。
登山道には、「関東ふれあいの道」に付き物の木段がたびたび現れます。しかし、そのどれもが全く歩かれておらず、横に別の道ができてしまっていて、木段はもはや邪魔なだけの障害物となり果てていました。
頂上間近で長く続いた木段も、登山者から総スカンを食らった形で、実際に歩かれているのはその脇でした。整備費用がムダ遣いに終わったことが一目瞭然ですし、全く同じ光景を、今まで各地でどれほど見てきたことか。
そうこうしているうち、いよいよ頂上が目前となりました。


大桁山の頂上は、ゆったりとした広さのある、居心地の良い場所でした。
頂上標柱と「関東ふれあいの道」の距離標のほか、三角点の解説板が設置されていました。
大桁山では、南東側を中心した方角が広く開けていました。が、時期外れの気温の高さゆえか空気が淀んでいて、展望は近い範囲ですら霞んで見える具合ににとどまってしまったのが残念でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北側には、妙義山の一角が辛うじて眺められました。ギザギザの険しい稜線は、一見してそれと分かりますね。
さて、無人で静かだった頂上に、数分後、突然バイクのエンジン音が響き渡ります。あれ、頂上の近くを通る林道なんてあったっけ?、と思う間もなく、その直後にはもうバイク自体が頂上に現れていて驚愕しました。てっきり音だけの存在で終わると思って油断していた私には100%想定外の出来事で、まさに不意を突かれた感じ。

降り立ったのは若い男女2人乗りのライダーで、ここまでの私と同じ道のりを辿ってきたと思われるものの、林道終点からの取り付きをはじめ、何箇所かあった急坂をどう切り抜けたのかは謎です。もしバイクでも頂上に到達可能という情報が広まっているとしたら、それが木道脇で別の道が広がるなど登山道の拡幅を助長した一因なのかも、という思いも頭をよぎりましたが、挨拶を交わしてみたら礼儀正しくて気持ちの良い人たちでした。

登山者の情報も付け加えますと、頂上に着く直前と、このあと下り始めて少し経った頃に、それぞれ単独行の男性とすれ違っていて、2人とも、朝乗ってきた上信電鉄線で、千平駅で下車するのを見た方々だったように思います。いずれも私と同じコースを逆向き(そのほうが一般的らしい)で歩かれていたのではないでしょうか。


大桁山からの下りは、木段での急降下がしばらく続きます。さすがに傾斜がきついので、ここは木段がちゃんと歩かれている感じでした。
頂上直下を下り終えると緩斜面に変わりますが、そこに入っても木段は執拗に続いていました。
どんなに緩やかな場所でも、わずかでも傾斜があればことごとく木段になっていて、鬱陶しいばかりか、もう滑稽にすら思えてきます。もしかして、木段を造ること自体が目的だったのかと、疑わざるを得ない状況でした。
林道に出ると、さすがに木段ではなくなって、ようやく快適に歩ける坂道になりました。
登山地図で「変形十字路」として示された地点を過ぎると、一旦登り坂になる区間があり、再び下りに変わった先に鍬柄岳への分岐がありました。ここで、これまでずっと歩いてきた「関東ふれあいの道」から外れます。
鍬柄岳への道は赤破線路ですが、分岐点には私製ではなさそうな立派な標識が立っていました。


鍬柄岳への道に入ると、少々草深い区間もあって赤破線路らしい雰囲気が漂うものの、踏み跡は明瞭です。
ただ未整備に近い細い道だけに、何箇所かの急坂では足元が滑りやすく、下るのに少し神経を遣ったので、この方向に歩く場合は道の状況が良い日を選ぶほうが良さそうでした(逆方向なら登りになるので問題なさそう)。
途中で林道を横断します。林道への降下点は急な崖になっていて、そこをこんなハシゴで下りました。
林道の横断後、ご年配3人のグループとすれ違ったのを最後に、もう誰とも会わなくなったので、この日見掛けた登山者は、高崎駅07:39発の上信電鉄線で一緒だった2人と、このグループだけという結果になっています。


最後に、足元のやや不安定な登り下りを経て、千平駅側から登ってきた鍬柄岳の登山道に合わさりました。
上の写真の分岐点から鍬柄岳への案内に従って少し進むと、いよいよ長いクサリの区間が始まります。
ただ、確かに距離の長いクサリ場ではあるものの、傾斜はさほどでもなく、このように斜めに上がるような区間が多かったり、岩の凹凸も足を置きやすい状況になっていたりして、難易度は低めです。下がスッパリ切れ落ちているという程でもないので、高度感もほとんど意識させられないうちに通過できました。
垂直に近い傾斜を登る箇所は限られていて、岩壁にも手掛かりが多かったため、両手でクサリを掴むような局面は少なかったです。私のほかに人の姿がなく、順番待ちもすれ違いもなかったことで、快調に登っていきます。
長いクサリ場は岩稜の東端に出るまででしたが、そこから西端の頂上に向かうと、再びクサリ場となりました。
最後にはちょっとしたナイフリッジの通過もありますが、ここは有名な戸隠山の「蟻の塔渡り」のようにリッジ上を進むのではなく、クサリを掴みながら少し下をトラバース状に進むので危険は小さかったです。


鍬柄岳の頂上に到着しました。ちょうどお昼時なので、誰かしらいるものと思っていたら、まさかの無人の頂上です。手前に写っているのは幟を立てる台で、祭礼の時にでも使われるのでしょうか。
一番高い地点には石祠が祀られていました。地元では石尊山とも呼ばれているなど、昔からの信仰の山らしい。
石祠は全部で3座が祀られていて、その周りを囲むようにしてツツジが見頃を迎えていました。
さほど広さはありませんが、周囲に遮るものが何もなくて、開放感に溢れています。
そんな訳で、鍬柄岳からの展望は360度。北側には、先程登ってきた大桁山の全容を眺められました。
そして南側には、暖気に霞みながらも、西上州の山々を広く見渡せたのが壮観でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


鍬柄岳を後にしたら、登ってきたクサリ場を引き返します。一般的には下りのほうが難しくて慎重さが求められるクサリ場ですが、ここはさほど傾斜がきつくないため、大半の箇所で前を向いたまま(岩壁に正対せずに)下れてしまいます。だからほとんど緊張もせず、難なく通過できたことに拍子抜けしてしまったほどでした。
ほかに誰もいないため、終始自分のペースで進めたこともあって、下りは10分もかからずに先程の分岐点へ。
分岐点まで下ってしまえば、その先には歩きやすい緩やかな道が続いていました。
阿夫利神社の前を通過すると、登山道も残すところわずかです。


舗装道路に出たところが鍬柄岳登山口で、鍬柄岳の北側を迂回してきた「関東ふれあいの道」に復帰します。
道路を下っていくと、次第に沿道には人家が見られるようになります。人家の庭では菜の花やハナモモなどが咲き乱れていて、山里の春らしい美しい佇まいを見せていました。
その道路からは、ところどころで鍬柄岳を振り返ることができました。
鍬柄岳をアップにしてみましたが、岩峰が空に突き出した荒々しい姿を撮りたかったのに、先に登ってきた大桁山が後ろに重なったことで輪郭が分かりにくくなり、今ひとつ説得力に欠ける写真になってしまいました。


最後までほとんど車の通らない道をのんびりと歩いて、この日のゴール、千平駅に到着です。
千平駅はホーム上に小さな待合室があるだけの無人駅。次の電車を待つ人も、私のほかには現れませんでした。

タグ:上信越
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戸倉城山・グミの木山・臼杵山 [奥多摩]

2018/04/14(土)

■第380回 : 戸倉城山(434m)・グミの木山(656m)・臼杵山(842m)


夕方から天気が崩れるという予報が出ていたこの日は、山の中で天気が持つのは昼過ぎくらいまでと考えて、近場の奥多摩を行先として計画していたコースの中から、午前中に歩き切れるものを選んで出掛けてきました。

 累積標高差(登り):1001m / 距離:8.1km / 歩行時間:3時間35分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:4時間10分 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:23 拝島
拝島 06:26-06:44 武蔵五日市 07:01-07:09 西戸倉

(登山行程)
西戸倉バス停 07:10
戸倉城山   07:40-07:50
盆堀山    08:10
荷田子峠   08:35
グミの木山  09:15-09:20
臼杵山(南峰) 10:05-10:10
臼杵山(北峰) 10:15-10:20
元郷バス停  11:10

(復路)
元郷 11:35-11:54 武蔵五日市 12:02-12:19 拝島
拝島 12:31-12:42 八王子 12:50-13:02 橋本
橋本 13:05-13:16 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

武蔵五日市駅から乗ったバスを、西戸倉で下車します。バスに乗っていた時間はほんの8分ほどで、駅のあたりと標高はほとんど変わらず、バス停の周辺にも住宅街が広がっていて、登山口という雰囲気はありません。
すぐに細い道に入ると、早速道標による道案内が始まって、行く手には最初に登る戸倉城山も見えていました。
道標に従って進むと、家並みが途絶えて道路が終わった先に、戸倉城山への登山道が続いていました(右上に分かれて登っていくのは山口神明社への石段で、登山道は道路の延長線上に続きます)。


かつて山城があった山だからか、比較的急な斜面が続きます。しかも、登山道はその中をほとんど直登しているため木段の箇所が多く、ろくに身体が暖まらないうちからいきなりトップギアで登らされるような具合でした。
はじめのうち道の両側に見られた石垣が終わって、一旦は傾斜が緩んだ先にも、また木段が続いていました。
小尾根に上がった先もほぼ木段の道。ようやく身体が暖まって、普段の感覚で足が動くようになってきました。
頂上直下の分岐点で、臼杵山から北東に延びてきたグミ尾根に突き当たりました。ここから山頂を往復します。
一段登ったところにはトイレがあって、利用させて頂いたところ、なかなか素朴な構造のトイレでした。


もう一段登れば戸倉城山の頂上です。さほど広くない割には、結構な数のベンチがあって、余程の大人数が居合わせなければ休憩には困らなさそう。この時はまだ朝の8時前とあってか、ほかに人の姿がなくて静かでした。
頂上標柱を正面から。その後方は唯一開けていた東側です。
頂上部で最も高い一角に三角点が設置されていて、眺めもここからが邪魔物がなく一番スッキリしていました。
といっても曇り空だけに、その展望は、五日市市街を一望できるところまででした。都心の高層ビル群はすっかり霞んでしまい、ぼんやりとその存在が分かる程度にとどまっています。


頂上から引き返したら、先程の分岐点を直進して、臼杵山まで続くグミ尾根に入ります。
まずはガクンと高度を落とします。鞍部では、送電線鉄塔越しに、これから向かう尾根を眺められました。
その後は小刻みなアップダウンが繰り返されるようになります。ほどなく現れる391m峰が盆堀山ですが‥‥。
盆堀山を通過して振り返ったところです。この通り展望も何もない地味な地点ですし、道幅も細いままで全く変わらなかったので、大半の人にとってここはただ通過するだけの地点に過ぎないのでしょう。


盆堀山の次のコブには小さな祠があり、賽銭やお酒が供えてあったので、今もお参りに来る人がいるようです。
このあたりは、登ったり下ったりを忙しくさせられるばかりで、体力を使う割に全然高度が上がりません。
大きな登り下りがないのは救いですが、登り返しにはそこそこ急な箇所もあって、じわじわと消耗が進みます。
411mピークでは西側の展望が開けていて、次に目指しているグミの木山のほか、奥多摩三山の方角(大岳山は馬頭刈山に遮られて見えていなかったけれど)を眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
荷田子峠の手前のピークには展望図が設置されていたので、かつては開けていたのでしょうが、当時よりも樹木が生長してしまったのか、現在はこの通り満足な眺めはありません(落葉期なら少しは見られるのかも‥‥)。


荷田子峠を通過すると、その前後で道の様子がガラッと変わったのを実感できました。
戸倉城山から荷田子峠まで、道はほぼ忠実に尾根筋を辿っていて、従って尾根上のほとんどのコブをきっちり越えながら進んで来ました。それに対して荷田子峠から先では、道は尾根から外れて山腹を通るようになり、コブを巻いてくれるようになったほか、道の傾斜もいくらか抑えられて、しばらくは楽に登れるようになります。
しかしグミの木山が近付くと、一本調子の急登が長く続く区間に入って、ここは頑張りどころでした。
でもその道は、そのままグミの木山まで登り詰めることをせず、あと50mほどという地点で右折します。
右折地点には「戸倉山茱萸御前」と彫られた石塔もあったので、上の写真の祠が、登山地図に記載の「茱萸御前」だと思われるのですが、詳細は不明です。なお、登山道がグミの木山を巻いていることが分かっていたため、ここから直登できないか窺ったところ、急斜面が続いていて歩きにくそうだったので、断念しました。
その先で道がグミの木山の北斜面をトラバース気味に進むようになると、伐採地に入って景色が開けました。
伐採地では北側が大きく開けていて、ひとつ北隣にあたる馬頭刈尾根や大岳山などが良く見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


グミの木山の北斜面を巻き終わり、登山道が尾根に戻った地点には、古びたテーブルやベンチなどがいくつかありました。ベンチの奥にあるグミの木山は、ここからなら高低差が小さく、斜面も緩やかで楽に行けそうです。
ということで、一旦登山道から外れて、この斜面を適当に歩いてピークを目指します。意外なことに踏み跡は見られなかったものの、距離が短い上にヤブもなくて、歩きやすい斜面でした。
ほんの2~3分で着いたグミの木山の頂上は、木立に囲まれたままの地味な地点でした。
ここに人が立ち寄っている気配はほとんど感じられません。私製の山名標が樹木に括り付けられていた以外には何もなく、ここで立ったまま休む気持ちにもならなかったので、先程のベンチに戻って少し足を休めました。


その後、登山道は大きなコブを2つ巻いたりしながら緩やかに登って、今度は東側が伐採された稜線に出ます。
ただ東側には、今いる地点よりも低い山しかないので、あまりパッとした眺めではありませんでした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その先で臼杵山への最後の登りが始まると、それは2段階にわたる急登になっていて、疲労が進んでいた足には苦しかったです。頂上直下で巻き道に入り、ようやく傾斜が収まると、北峰と南峰の間にある鞍部に出ました。


鞍部からは、ひと登りで臼杵山に到着しました。あまり広さはなく、どちらかと言えば少々手狭な感じがするくらいの頂上で、腰掛けられる物も標識のそばに写っている三角点だけでした。
頂上の標識を正面から。ところでここまで、2人の登山者を見掛けただけでしたが、それはグミ尾根がマイナーなコースだからで、戸倉三山という割とポピュラーなコース上の臼杵山には誰かしらいるだろうと思っていたら、まさかの無人です。天気予報があまり良くなかったので、この日は登山者自体が少なかったのでしょうか。
臼杵山では東側だけが開けていて、見えていたのは4枚ほど上の写真と同じような範囲だったようです。
頂上付近ではツツジがはや満開になっていたりしました。


臼杵山からは少し引き返す形で、先ほど右から上がってきたこの分岐点を、今度は直進します。
軽く登り返すと、臼杵神社のある小ピークに着きます。臼杵山を双耳峰として見た場合、先程までいた南峰に対してこちらは北峰になりますが、南峰より若干低いためか、ここには頂上的な標識等はなかったようです。
上の写真にも写っている臼杵神社を、正面から撮ってみました。


臼杵山を後にしたら、北に下って元郷バス停を目指します。この日は臼杵山までは初踏のコースでしたが、臼杵山への登頂は登山を始めた年(2005年)以来2度目で、ここからの下りはその時に登った道を逆に下る形です。

その下りには、所々に補助ロープが張られた急坂が現れます。はじめのうち、あまりロープの必要性は感じていなかったのですが‥‥。
次第に足元が滑りやすい箇所が増えてきて、何箇所かでは補助ロープに助けられながらの下りになりました。
断続的な急坂は、654m標高点前後の平坦地まで下ると収まって、以降は傾斜が緩んで歩きやすくなります。
しかし最後のほうで尾根から外れると、その先は道があまり良くありませんでした。傾斜はきつくないものの、ザレた地面に足を取られやすい状況が続くようになって、あと少しなのに気持ち良くは歩かせてもらえません。


だから、唐突に集落が見えてきて山道が終わった時は、正直ヤレヤレといった心境でした。また、臼杵山からの下りでも1人の登山者とすれ違っただけで、やはりこの日は山に入る人が少なかったのでしょう。
登山道は最後まで車道を経ることがなく、バスが通る2車線の都道に直接突き当たります(割と珍しいかも)。
車道に出て左を向けば、すぐの所に元郷バス停があり、待合所のベンチに座ってバスを待つことができました。
天気が崩れる前に、という思いで午前中に歩き終えたのですが、下山してみると、むしろ朝よりも青空が増えていたりして、まだ崩れる気配はありません。結果的には、もっとガッツリと歩くコースでもOKだったのかも。

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