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藤原岳 [関西]

2018/06/02(土)

■第385回 : 藤原岳(1140m)


今回の行先は、三重県と滋賀県の県境にそびえ立つ、鈴鹿山脈の藤原岳です。鈴鹿の山を訪れるのも、昨年のほぼ同じ日(6/3)に登った御在所岳、2015年の霊仙山と合わせて、これで3回目になりました。

 累積標高差(登り):1124m / 距離:9.6km / 歩行時間:3時間55分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:5時間45分 

(往路)
古淵 05:15-05:39 新横浜 06:00-07:24 名古屋
名古屋 07:43-08:02 桑名-西桑名 08:23-09:22 阿下喜
阿下喜 09:50-10:19 新町上

(登山行程)
新町上バス停 10:20
丸山     11:30-11:40
(草木)    12:10-12:20
多志田山   12:50-13:00
藤原岳    13:30-13:45
藤原山荘   13:55
八合目    14:15
登山口休憩所 14:50
西藤原駅   15:00

(復路)
西藤原 15:19-16:04 近鉄富田-富田 16:16-16:58 名古屋
名古屋 17:12-18:34 新横浜 18:40-19:04 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

この日は、新幹線からJR関西線へ乗り継いで、最後はローカル線色満載の三岐鉄道線で阿下喜駅まで来ました。
駅の北西側に、これから登る藤原岳が見えていました。東面が石灰の大規模採掘場となっていて、採掘面がむき出しの無残な姿を晒しています。山頂直下まで削られてしまった様子に、秩父の武甲山が重なって見えました。
阿下喜駅から自治体が運行する福祉バス(なんと無料!なのに乗客は私だけ!)に乗って、「新町上」で下車します。登山地図のコースは「新町」から歩くように書かれていますが、こちらのほうが断然登山口に近いです。


はじめは住宅が点在する中を進みますが、すでに集落の外れまで来ているので、やがて建物を見なくなります。
集落の奥にあった墓地の先に配水池が見えてきたら、その左が孫太尾根の登山口でした。何年か前の計画時点では難路の扱いだった孫太尾根コース、今では一般登山道に昇格していますが、どんなコースなのでしょうか。
山道が始まると、すぐに道が二手に分かれて、そこでは私製の道標が左の道を示していました。ただし、分岐らしい分岐はこの1箇所だけで、あとは迷いようもない1本道だからか、以降は道標を全く見なくなります。
はじめは、少し急に感じる程度の傾斜で、割とグイグイと登ります。一般登山道にもかかわらず、急な斜面でもあまりジグザグを描かないという、バリエーションルートから昇格した道にありがちな特徴が感じられました。
尾根に上がってからは、痩せた尾根上の細い道を進んだり‥‥、
頂上部のカレンフェルトを予感させるような、石灰岩が露出した地形があったりと、割と変化のある道でした。


丸山と呼ばれるピークに到着です。石灰岩がゴロゴロしていたこの場所は、樹木に囲まれて展望はありません。
山名標と言えるものがない代わりに、こんな行先案内があって、現在地が丸山だと教えてくれていました。
さらに登ると、右手の樹木の間から、今も削られ続けている藤原岳の姿が時折に目に入って痛々しかったです。
丸山から先では、きつい傾斜の箇所がなくなって、それまでよりは楽に登れるようになりました。
丸山の次の顕著なピークは地形図の834m標高点で、「草木」という変わった名前が付いています。
そこに着いたつもりなのに、現在地名を示すものがないのを変だなと思っていたら、帰宅後の確認で834mピークの先に隣接する別のピークだったと分かりました。834mピークは、微妙に巻いて通り過ぎてしまった模様。
草木を過ぎると、再び急坂が続くようになります。景色も単調になって、ひたすら苦しさに耐える具合でした。
藤原岳の手前にある多志田山に到着。ここまで来れば、あとひと頑張りですが、それが結構きつかった‥‥。
多志田山には私製の山名標がありました。ここでは、登ってきた道のほか、治田峠からの踏み跡が合わさっていましたが、そのどちらも目印のテープがある程度で道案内はなく、下る際はここで方位確認が必要でしょう。


多志田山を少し過ぎた地点まで来たところで、登り始めて以来初めて、藤原岳の頂上部をしっかりと捉えられました。それにしても、麓から見上げた時の青空はどこへやら、すっかり雲が増えてしまったなぁ。。。
藤原岳との鞍部から登り返して行くと、ほどなく治田峠からの道を合わせる分岐点に出ます。ここに立っていた道標は、藤原岳までの登りで唯一見掛けた、自治体の設置による公的なものでした。
また、多志田山までは誰にも会わずに登ってきていて、この分岐点の前後で、ようやく2組計5人のハイカーとすれ違ったのが、藤原岳までの登りにおける人との出会いのすべてになっています。
藤原岳が目前に迫ると、一段ときつい急登が待っていました。場所によっては登りなのに、気が緩んでいると身体がよろける程の傾斜があったので、ここを下る時には注意が必要です。
さらに最上部では、その急斜面が滑りやすい赤土になって難儀させられます。登りでも足を滑らせずに進むのが容易でない箇所がいくつもあり、悪路と呼ぶのが相応しい状況で、そこを安全に下るのは困難に思われました。
やっとの思いで悪路区間を抜けると、間もなく頂上台地に上がって、いよいよ頂上部が見えてきました。


藤原岳の頂上に到着しました。東京からの日帰りゆえ、到着が午後1時半という遅めの時間だったからか、居合わせた登山者の数は10人ほどと少なめで、どこでも好きな場所でゆったりと過ごせる状況です。
頂上は晴れているのに、周囲には雲が増えてしまって、遠くまでスッキリと眺められなかったのが残念でした。
近くにある鈴鹿の山々も、その多くは曇っていたようで、展望写真も暗くて冴えない感じになってしまいます。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南東側にぼんやりと見えていた伊勢湾も、写真にしたら分かりづらくなってしまいました。


頂上を後にしたら、まずは、少し下に見えている藤原山荘に向かいます。開放的な頂上部は、晴れていて明るかったこともあって、歩いているだけで上々な気分になれました。
頂上の東側にはカルスト台地が広がっています。そこにも道があるのか、中を歩いている人の姿がすごく気持ち良さそうに見えていて、すぐ先の斜面が無残に削られた大規模採掘場だということを忘れたくなる景色でした。
カルスト台地にシカの群れがいることを、すれ違った人たちの会話から知って、カメラを向けてみました。ちょっと遠くて、私のデジカメでは最大望遠でもクリアには撮れませんでしたが、10頭近くはいたでしょうか。
藤原山荘は、割とこぢんまりとした、無人の避難小屋です。中に入ってみると、使っている人たちのマナーが良いのか、1階の座席・2階の板の間ともに清潔な状態が保たれていて、とても快適に過ごせそうな空間でした。
藤原山荘の前から、藤原岳の頂上を振り返りました。


藤原山荘からは、ひたすら下るだけです。西藤原駅まで、登山地図の標準タイムは120分ですが、私の普段のペースを元に計算させたカシミールは65分と推定していたので、1時間20分後の電車を目標にして下り始めます。

はじめは石灰岩がゴロゴロと転がる道で、歩きにくいという程ではないものの、あまりペースが上がりません。
しかも少し下ってからは、大きなジグザグで傾斜を抑えた道が延々と続くようになります。地図に書かれた直線的な道よりも勾配が緩やかになるのは良いとしても、歩く距離が大幅に増えてしまうのは問題です。かなりペースを上げないと、計算通りの時間では歩けそうもないので、いくぶん駆け下りるようにして下っていきます。
八合目の分岐点からは、直線的に西藤原駅を目指す大貝戸道に入ります。
普通に歩くなら問題なさそうな石ゴロの道も、足を早めていると煩わしく感じます。六合目付近からは石がなくなって歩きやすくなり、あとは快適に下れそうだと思ったら、その後はまた石ゴロの道に戻ってしまいました。
九合目から一合目まで、各合目にきちんと標識が立っていて、どのくらい下れたのかが分かりやすかったです。
最後のほうは段差の多い道になってペースが落ちたものの、ほぼ目標通りの時間に登山口まで下りてきました。


道路に出たら、間もなく駐車場を備えた休憩所があって、大きな建物の内外で多くの登山者が寛いでいました。
電車で来ていた私は休憩所がゴールにはなりませんでしたが、あと5分も余計に歩けば、西藤原駅に到着です。
登りは距離がやや長めでアップダウンもあるコースを3時間以上かけてじっくり登ったのに対して、下りはただでさえ最短コースを選んだのに、そこを駆け下りるようにしてしまったため、本当にあっという間でした。
三岐鉄道三岐線の乗車券は今も硬券が活躍中。下車駅で無効印を押してもらって持ち帰らせて頂きました。

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