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岩櫃山・観音山 [上信越]

2019/04/29(月・祝)

■第406回 : 岩櫃山(802m)・観音山(530m)


今回の行先は群馬県東吾妻町の岩櫃山です。標高800mそこそこの低山ながら、上部には険しい岩稜が連なり、登山道も一部がその中を縫うように通されていて、スリリングな山登りができそうなのが楽しみでした。

山の南面には高さ約200mもの断崖絶壁が切り立っていて、中国の南画をも思わせるその荒々しい山容が、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に登場していたのをご記憶の方も多いのではと思います。
そのことで一躍有名になったこの山も、放送から2年が経過、人出も落ち着いた頃合とみて出掛けてきました。
「真田丸」のオープニング映像にも登場した、岩櫃山南面の大絶壁

 累積標高差(登り):612m / 距離:7.2km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:54 高麗川
高麗川 06:58-08:27 高崎 08:53-09:56 郷原

(登山行程)
郷原駅     10:00
密岩通り登山口 10:25
岩櫃山     11:15-11:25
岩櫃城本丸址  11:55-12:00
平沢登山口   12:10
不動堂     12:30
観音山     12:45-13:00
不動堂     13:10
群馬原町駅   13:30

(復路)
群馬原町 13:46-14:36 新前橋 14:40-14:50 高崎
高崎 15:36-17:20 赤羽 17:26-17:41 新宿
新宿 17:57-18:28 町田 18:48-18:51 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR吾妻線を郷原駅で下車すると、同じ電車から降りたのは、私のほかには観光客風の男性1人だけでした。駅のすぐ北側には、岩櫃山の独特の山容が迫っています。
岩櫃山は、もちろん郷原駅のホームからも見上げることができました。


駅から10分ほど車道を歩いたところに登山者用の駐車場があって、そこが古谷登山口となっていました。
停められていた車は3台だけで、ちょっと安心。これから向かう、細くて険しい登山道では、人が多いと渋滞やすれ違い待ちが頻発して、思うようなペースで歩けない心配があったのですが、この台数なら大丈夫でしょう。
古谷登山口まで来ると、いよいよ岩櫃山南面の大絶壁を間近から見上げる形になっていて、迫力満点です。
引き続き車道を歩いていると、集落のあちこち花々が咲き乱れて、山里の遅い春を謳歌しているようでした。
車道区間だけで100mほど登ってしまい、一番奥にある民家のあたりで横道に入ると、間もなく登山口です。
登山口手前から見上げる岩櫃山です。この絶壁自体を登るわけではないとはいえ、こんなに険しく見える岩峰の上に、一体どうやって登るというのだろうか‥‥。


岩櫃山には5本の登山道があって、難易度はそれぞれで異なりますが、せっかく遠出してこの山を登りに来たのだから、その険しさを存分に体感しようと、登りのコースには最も急峻で中・上級者向けとされる「密岩通り」を選びました。ここがその登山口です。
登山道は最初から急勾配です。木段が断続的に現れて、段差の大きな箇所も少なくありません。
登山口から山頂までの標高差は約250mほどしかなく、その数字だけで考えると楽に登れそうな気になりますが、実はその間の水平距離が700mくらいしかないので、勾配は平均で約35%にもなるのでした。
ほどなく、岩場というほどではないけれど、クサリが下がる岩混じりの急斜面も出現します。
それにしても、序盤から容赦ない登りが続くので、時々立ち止まって呼吸を整えながらでないと登れません。
登るにつれて、足場も次第に悪くなっていきます。本格的な岩場が現れるのはまだまだ先のことですが、ここまでですでに、このコースが下りには向かないことが良く分かりました。


急斜面を登り切り、尾根に上がった所が六合目です(ちなみに郷原駅が一合目、古谷登山口が二合目で、登山道が始まる密岩通り登山口が三合目でした)。ここはこのコースでは貴重な平坦地で、ホッとできる場所でした。
登山道の険しさは、六合目より先が本番。七合目まで進むと、最大の難所「天狗のかけ橋」が待っていました。
「天狗のかけ橋」には迂回路があってそちらが先に目に入りますが、迂回路も決して楽な道ではなさそうです。
「天狗のかけ橋」は、両側が切れ落ちた細いアーチ状の岩場です(分かりにくいけれど写真の下半分がそれ)。長さはほんの2~3mで、真っ直ぐに歩いてさえいればすぐに通過できそうなのに、ただでさえ狭い足場が結構凸凹していて、もし途中で身体がグラついてしまうと即落下なので、通る決心が固まるまで少々躊躇いました。
「天狗のかけ橋」を振り返りました。通ってしまえばほんの一瞬ですが、左右どちらかに落ちれば一大事になるだけの高さがあって、心臓がバクバクでした。なお微妙に登り傾斜だったので、下るほうが余計に怖そうです。


以降はクサリ場の連続となりますが、クサリで登る岩場には手掛かり足掛かりとなる凹凸が豊富で、傾斜も極端に急にはなりません(垂直に近い岩壁になると、大抵はハシゴが設置されていました)。整備状況も良かったので、「天狗のかけ橋」を除けば大きな危険を感じることはなく、スリルを味わう程度の感覚で歩けています。
頂上部が見えてきました。最後はどうにかして、あの岩塔に登るようです。
岩の中にできた、こんなトンネルをくぐり抜けて進むことも。規模は違うけれど、妙義山の石門みたい。
ほどなく、先程から見えていた岩塔が目前に迫り、その基部をトラバースして反対側に回り込むと、険しかった「密岩通り」コースの中でも最大規模のクサリ場が現れて、最後の仕上げを慎重に登っていきます。なお、このクサリ場は全コース共通で、ほかの比較的穏やかなコースから登ってきても、ここだけは避けて通れません。


岩櫃山の頂上に到着しました。標識が立っている小さな岩頭が最高点です。頂上の全体写真は撮り忘れましたが、今立っているあたりが狭いながら平坦地になっていて、10人くらいまでなら居合わせても大丈夫そう。
小さな岩頭のてっぺんに埋設されていた三角点は、その場所の狭さゆえか、金属製の丸いタイプのものでした。
岩櫃山の頂上からは、360度すべての方角をぐるりと見渡すことができて、展望盤も設置されていました。
まず南側を見てみると、すぐ近くにある榛名山が存在感を示していました。
その榛名山をアップにしてみました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて西側の展望です。天気が緩やかな下り坂だったこの日、西側は雲が多くて、浅間山はその雲の中でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
それに対して北側はまだ見通しが良く、雪を抱いた谷川岳など上越国境の山々を眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして東側を見ると、小野子三山の後方で赤城山が霞んでいました。
  ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
この時頂上にいたのは私だけでしたが、東隣にあるもうひとつの岩塔には、何人かの登山者の姿がありました。
このあと、その東隣の岩塔から、4人くらいのグループがこちらに移動してくるのが見えたので、それを潮時に頂上を後にします。彼らとは2つの岩頭の鞍部ですれ違い、短いクサリを登って、今度は私が東隣の岩塔へ。


東隣の岩塔から頂上を振り返りました。見えているクサリとハシゴを登り、先程まで私が立っていた場所です。
東隣の岩塔を過ぎると、その先にはもう険しい場所はなく、比較的穏やかな登山道に変わります。
しばらく下ったあたりに2つの分岐点があり、「沢通り」と「赤岩通り」を見送って「尾根通り」に入ります。
2つの分岐点では標識によって案内の仕方がまちまちで、地図を見ないと道を間違えそうで注意が必要でした。
「尾根通り」は途中で岩場コースと迂回路に分かれます。岩場コースを選んでみたものの、途中に現れた岩場はたいしたことがなく、写真も撮らずに通過していたら、じきにまた道が合流してしまいました。


東に延びる尾根を中腹まで下ってくると、岩櫃城本丸址に出ます。往時の建物は何も残されておらず、建物の土台らしい形跡や竪堀などの地形が遺構として見られるのみですが、すぐ下の駐車場から遊歩道を15分も登れば着く場所ですし、真田氏ゆかりの地ということもあってか、多くの観光客の姿がありました。
立派な標柱と、岩櫃城の由来を記した解説板がありました。
一段下がった場所にはあずまやが建っていて、中には登山者ノートが備え付けられていたようです。


本丸址を過ぎれば、あとは穏やかな遊歩道を下るだけ。この道なら軽装の観光客でも問題なく歩けるでしょう。
本丸址からは10分もかからずに、平沢登山口に到着。岩櫃山への登山は、ひとまずここまでとなります。
平沢登山口には、NHK大河ドラマ「真田丸」の放映年にできた観光案内所があります。人が多そうだったのでスルーしてしまいましたが、中に入れば岩櫃山や岩櫃城のジオラマなどが見られたようです。
少し下ったところには大きな駐車場も。大型連休中とはいえ、放映から2年が経った今もこれだけの車が停められているのですから、放送当時は相当な賑わいだったのではと思われます。
このあと、岩櫃山とセットで登ろうと思っている観音山を目指して、車道をさらに先へと進みます。ただ、観音山を訪れる人は少ないようで、駐車場を過ぎると、途端に人気(ひとけ)がなくなりました。


車道をしばらく歩いたところに、観音山への近道があります。なぜか最近の案内図には書かれていない道なのですが、入口にはきちんとした道標が立っていたので、特に不安を感じることもなくその道に入りました。
しかし、その道をたどった先にあったのは洞窟みたいな所。これはどう見ても行き止まりだなぁ。。。
仕方なく来た道を戻りましたが、おかしなことに、いくら探しても分岐道の見落としはなく、一本道で間違いなさそうなのです。そこで今度は洞窟の奥まで行ってみたら、「石門」と書かれた標識を発見。これってもしや?
まさかと思いながら岩穴の下を覗き込むと、ハシゴとクサリが続いていましたが、この下りが結構なクセ者でした。その最大の要因はこの穴の小ささにあります。ハシゴに移る前に斜面に正対したかったのに、狭い上にハシゴの位置も微妙でうまく身体を反転させられず、その後も大きなザックを背負ったまま下るのが一苦労でした。
通り抜けた石門を下から見上げていますが、ここは登りでないと厳しく、かつ軽装でなければ難儀するでしょう。最近の案内図にこの道が書かれなくなっている理由も、そのあたりにあるのではと感じています。
さらに、上の写真を撮った時に立っていた所まででクサリは終わったのですが(岩場がそこまでだったからでしょう)、その先で土の地面に変わってもまだ急坂は続いていて、しかもサラサラに乾燥した落ち葉が厚く積もっているものだから、もう完全に滑り台状態。この直後に見事にスッ転んだばかりか、その場で尻餅をついただけでは終わらずに、2~3mほど滑り落ちたのでした。あんなに派手に尻餅をついたのは、一体いつ以来だっただろうか。落ち葉の上だったから特に怪我はなく、ウェアもほとんど汚れなかったのは幸いでしたけれど。。。

その後も続く滑り台のような坂道を慎重に下って、不動滝まで来ればひと安心でした。
滝から少し登り返した所には不動堂。周囲に人の気配はなく、不動滝の水音だけが響いて厳粛な雰囲気でした。


観音山への登山道は、不動堂の脇から始まっていました。
観音山の斜面には多数の洞窟があって、登山道もそのいくつかの近くを通ります。
随所に大岩がゴロゴロと転がり、足元の悪い所もありますが、岩櫃山と比べると全てが他愛もなく見えました。
途中には金を掘ったといわれる洞窟も。
中腹に分岐点がありましたが、南大岩窟を回るコースは整備不良で荒れているらしく、通行止めでした。
岩場ではクサリを何度か見掛けたものの、さほど険しい箇所はなく、使わずに済むことが少なくなかったです。


観音山の頂上に到着です。登山口からの標高差がほんの100mほどしかなく、登っていた時間も15分という短さでした。この山にも、かつて柳沢城という山城があって、岩櫃城の支城だったと考えられているようです。
頂上には、上の写真の観音像(それが山名の由来でしょうか)のほか、小さな社がいくつかありました。
観音山の頂上ではツツジが見頃を迎えていました。
展望はほとんどなく、かろうじて東側に十二ヶ岳や小野子山を眺められる程度でした。


観音山からは、下るのもあっという間。10分もかからずに登山口に戻ってしまって、あっけなかったです。
あとは駅まで車道をひたすら歩きます。
最後は群馬原町駅で帰りの電車を待ちました。町の中心駅だけあって、この駅は利用者が多かったです。

タグ:上信越
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