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初沢山・草戸山 [高尾・陣馬]

2019/12/31(火)

■第421回 : 初沢山(294m)・草戸山(364m)


大晦日のこの日は、行き慣れた高尾エリアにあって未踏だった初沢山を訪れたのち、同じくまだ歩いていなかったマイナーな尾根で草戸山へと向かい、その後は城山湖を経て下るコースを軽く歩いてきました。

 累積標高差(登り):599m / 距離:9.7km / 歩行時間:2時間55分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:51-06:13 八王子 06:18-06:25 高尾

(登山行程)
高尾駅     06:30
高尾天神社   06:40
初沢山     06:55-07:10
343m峰     08:05-08:10
草戸峠     08:25
草戸山     08:35-08:50
城山湖     09:10
評議原     09:25-09:30
円林寺前バス停 10:05

(復路)
円林寺前 10:14-10:23 相原 10:29-10:43 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

高尾駅の南口からスタートします。時間について深く考えずに来てしまったら、改札口を出てもほぼ真っ暗なのを見てシマッタと思いましたが、幸いにも歩き始めたら少しずつ明るんでいく頃合だったのでホッとしました。
5分ほど歩いて、高尾みころも霊堂の入口へ。カメラが明るく撮っていますが実際はまだ薄暗い時間で、写真の通り階段途中のチェーンをくぐって入るしかなく、本来は入るべき時間ではなかったのかもしれません。
霊堂の前へ進みます。京王線高尾駅のホームから良く見える建物なので、ずっと前から何なのだろうと気になっていて、その変わった形から宗教的な施設とかかなと思っていたら、産業殉職者の慰霊堂だったのですね。


霊堂の手前で池に突き当たり、そこを右に折れると、高尾天神社への石段が現れます。
天神様らしく、石段を登ったところには菅原道真公のブロンズ像が。5m近い高さの大きな像でした。
奥に進んで高尾天神社へ。石燈籠が並んだ先に、割と簡素な社殿があるだけの、慎ましい佇まいです。
境内から高尾の街並みを眺めると、夜が明けきらない中で、照明が煌々と灯る駅の明るさが際立っていました。


高尾天神社の裏手から、初沢山への登山道が始まりました。登山地図には載っていないマイナーコースです。
里山だけに道が入り組んでいますが、分岐点には道標が立っていて、迷わずに歩けます。
穏やかな傾斜の歩きやすい道です。
ここを道標に従って直進すると、山頂が近くなってやや傾斜がきつくなりました。


初沢山に到着する頃には、すっかり明るくなっていました。まだ7時前とあって、誰もいない静かな山頂ですが、元々このエリアの中では人が少ない山らしいので、いつ来ても静かに過ごせることが多いのでしょう。
山城跡だけに、「初沢城跡」の標柱があるだけで山名標はなく、素人目に分かるような遺構もなさそうです。
ベンチと標柱のほかに三角点があります。また私設の解説板には、この一帯の森が、所有者からの寄付で八王子市の自然公園になっていることが記されていました。
木々に囲まれた山頂では見通せる方角が限られていて、南側に丹沢の山々を眺められた程度でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


初沢山からは、来た道を少し引き返して、頂上直下の分岐点を直進します。というのも、先程ここを通った時に(左から登ってきて右折)、分岐方向が紅葉台だろうと見当を付けていたのですが、それが実は間違いでした。
道案内は全くないものの、小尾根を末端まで進むと階段が現れて、その立派さに何も疑わうことなく下ります。
階段の先にも良く踏まれた道が続くことに気を良くして下っていたら、ある地点から急に道が細くなりました。
しかも、進行方向がどうも変です。右手に見える尾根の反対側に出たいのに、沢筋を下っていくばかりのようで、越えるべき尾根がどんどん高くなってしまいます。どう考えてもおかしいので、ここで引き返しました。


結局、山頂のすぐ手前まで戻ることになって、10分ほどロスしたでしょうか。もう1本右手にあった別の道に入ると、労せずに配水所のタンクの脇に出て、このタンクの右側を巻いていくのが、紅葉台への正しい道でした。
この大きなタンクは、先程間違えた道からも良く見えていたので、強引にここを目指せば良かったのかも‥‥。
タンクの先は車も通れる道に変わり、少し進むと大きく開けた場所に出て、眼下に紅葉台の住宅地を見下ろす先に、丹沢方面がスッキリと見渡せました。初沢山からよりも広い範囲が眺められて、なかなかの迫力です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


紅葉台の住宅地に下りたら、直進して住宅地を横切ります。
紅葉台西公園に近付いたあたりには、「草戸山登山道」の小さな道標が立っていました。
ここから紅葉台西公園に入ります。
小さな公園を奥まで進むと、「登山口」の標識を発見です。小さな標識が奥まった所にひっそりとある感じで、これだけだと見落としやすいのかもしれませんが、この手前にももう1つ別の標識が立っていました。


ここから草戸山への道も、一般の登山地図には載っていませんが、某詳細図には「拓殖大西尾根コース」として記載されています(拓大尾根と略されることも)。尾根に乗るまでの短い間は急登になっていました。
この尾根はずっと拓殖大学の敷地の境界になっているようで、左手には有刺鉄線の柵が設置されています。
なので、尾根上の山道もその柵に沿って続いていきます。
序盤の急登は階段状になっている箇所が多く、一般登山道ではないながらも、最小限の整備はされていました。
その後は小さなアップダウンを繰り返す穏やかな尾根道になって、とても気持ち良く歩けます。
送電線鉄塔の真下を通過。地形図を見ながら歩いていれば、ここが現在地を確認できる格好の地点になります。


送電線鉄塔を過ぎると、有刺鉄線の柵のすぐ脇を進むようになりました。
するとほどなく、343m三角点がある地点(「343m峰」として記録)に出て、ここでひと息入れていきます。
三角点の地点で登山道は右に折れていて、こちらは右折後に振り返ったところ。この通り、そこにはただ三角点が埋まっているだけのスペースしかなく、単なる曲がり角に過ぎない地点でした。
右折して少し通り過ぎたあたりに私製のプレートが。この地点には「八方台」という名前もあるようですね。


343m峰の次の小ピークで、四辻(高尾駅方面)からの一般登山道が右から合わさります。分岐点に出る手前から撮ったこの写真の通り、歩いてきた道には、道標による案内は何も出ていませんでした。
その後も草戸峠までは、有刺鉄線の柵に沿った道が続きました。
小さな登り下りが続くのも相変わらずで、次の鞍部を少し過ぎたあたりで、梅ノ木平への細い道を分けます。
草戸峠まで来れば、草戸山まではあとひと登りです。
草戸峠では西側が開けていて、高尾山や薬王院があるあたりを眺められました。


草戸山に到着。ここまで全く人に会わずに来て、ここでようやく先着していたハイカーの姿を見ました。
そこには立派な鳥居があって、山の神が祀られています。
草戸山の山頂は、「松見平休憩所」にもなっていて、展望所も建てられていますが‥‥。
以前よりも樹木が伸びてしまったのか、開けているのは橋本市街を遠望する方角くらいで、展望所からの眺めは今ひとつ。右下で樹木の間に見えているのは(光が反射している箇所も)、これから向かう城山湖の湖面です。
山頂の東側からは八王子方面を眺められましたが、その先の都心部は霞んでいてクリアには見えませんでした。


草戸山から城山湖へ下り始めると、すぐに境川源流への分岐が。面白そうなので次に来た時は寄ってみよう。
その後は木段の多い道を下りますが、城山湖までの標高差は100mもないので、木段も長くは続きません。
途中には「はなさき休憩所」がありました。
「はなさき休憩所」からの眺めも樹木越しでパッとせず、城山湖にかなり近付いたことが分かる程度でした。


城山湖の手前にはフェンスの門があります。開門時間が9時なので、ついさっき開いたばかりのはず。
城山湖は本沢ダムによって堰き止められた人造湖です。このあと城山湖の湖岸を進んだのち、ダムの堰堤上を通って対岸へと渡ります。左上に写っている斜面には、植栽で「しろやまこ」の文字が。
ダムの堰堤部分に近付きました。揚水発電用のダム湖である城山湖は水位変動が激しいため、湖岸への立ち入りは制限されていて、歩くことができるのは柵で囲まれた遊歩道の中だけです。
ここからがダムの堰堤になります。
ダム堰堤上からの下流側の眺め。下に写っている展望図によれば、見えているのは東京都心方向のようです。
一方こちらは上流側の山並みで、名の知られた山は、先程までいた草戸山がやや右寄りに見えている程度かな。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
ダムを少し離れたあたりから振り返ると、ロックフィルダムなので、堤体の下流側は緩斜面になっていました。


城山湖から5分ほどで金刀比羅宮の前まで来ると、何台もの車が路上駐車していて、境内を見ても作業服姿の人たちが行き交っているなど、なんだか慌ただしい雰囲気。初詣客を迎える準備でも行われていたのでしょうか。
落ち着かなそうなので、境内には立ち寄らずに石段を降りてきてから、かなり急だった石段を振り返りました。
金刀比羅宮の石段を降りてくると、道路を挟んだ向かい側に小松ハイキングコースの入口があります。ここからはそのコースを歩いて、バス停がある市街地へと向かいます。


小松ハイキングコースは、全体を通して穏やかな道が続いて、急な登り下りはありません。
軽く下っていくと、すぐに少し開けた場所が現れます。
そこが評議原で、隠れた紅葉の名所として、この地域では少し知られた場所です。
冬枯れのこの時期は何が見られるという訳ではないけれど、心が和らぐ落ち着いた場所でした。
その後も、のどかな雰囲気の道を気持ち良く歩いていきます。草戸山から先はハイカーを見掛けることが増えていましたが、このハイキングコースではジョギングする人やお散歩らしい軽装の人などもいて、多くの人たちとすれ違いました。のんびりとした気分で歩ける穏やかな道は、きっと地元の方々に親しまれているのでしょう。
ベンチをたびたび見掛けたのも親切に感じました。中には老朽化で使用禁止とされた物が結構あって気になったけれど、良く見れば確かに傷んではいたものの、でもどれもただ腰掛けるだけなら問題なさそうに見えました。
途中には「小松城跡」の解説板があります。遺構は大半が消滅していると書かれていたのを読みながらも‥‥。
一応、脇道に入ってみたところ、やはり、この小さな祠があった以外に目立ったものはなかったようです。
最後は車道に突き当たって、小松ハイキングコースは終わります。
小松ハイキングコースの入口を振り返りました。


あとは車道歩きです。出てきたこの通りにもバス停があるにはありますが、1日に数本という路線なので‥‥。
細い道で団地の中を抜けていき、もっとバスの本数が多い道路まで歩いて、円林寺の前へ。
円林寺前バス停は、その名の通り、円林寺の真ん前にありました。ここからは橋本駅と相原駅に行くバスが割と頻繁に出ていて、相原駅なら橋本駅行きに乗っても行くことができます(降りてから駅まで少し歩くけれど)。
大晦日ということもあり、近場の行先を選んでコースも軽めにした上で早出してきたので、帰宅してもまだ午前中。このあと、やり残した新年を迎える準備などをして過ごしました。皆様来年もよろしくお願いいたします。

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金丸山・大平山・大久保山・大丸山 [静岡]

2019/12/15(日)

■第420回 : 金丸山(532m)・大平山(589m)・大久保山(565m)・大丸山(567m)


今回は静岡市と富士市にまたがる山域の低山を巡って、富士山や駿河湾を間近に望む眺めを楽しんできました。
訪れた4つの山々は、いずれも頂上部にゆったりした気分で寛げる広場を持ち、さらに金丸山と大丸山は展望にも恵まれていて、登山地図の収録範囲外で知名度が低そうなエリアにありながら、見所は十分でした。
大丸山から富士山と愛鷹山を望む。この右では、駿河湾が広がる先に伊豆半島の山々を一望。

 累積標高差(登り):771m / 距離:11.2km / 歩行時間:3時間45分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:37-05:40 町田 05:51-06:17 伊勢原
伊勢原 06:19-06:39 新松田/松田 06:50-08:31 富士川

(登山行程)
富士川駅      08:35
実相院       08:55-09:00
野田山健康緑地公園 09:55-10:00
金丸山       10:10
大師広場      10:20-10:25
大平山       10:55
大久保山      11:10-11:20
大丸山       11:30-11:50
見晴観音      12:05
蒲原駅       13:05

(復路)
蒲原 13:21-14:21 熱海 14:33-14:55 小田原
小田原 15:15-16:11 相模大野 16:20-16:29 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

この日のスタートは東海道線の富士川駅。東海道線はいつも混んでいて座れないことも多いのですが、ちょうど御殿場線からの直通列車があったので、のんびり気分で座って来ました(時間は少し余計にかかったけれど)。
駅前からは富士山が眺められました。朝のうちは雲が多くて、見栄えは今ひとつでしたが。。。


駅前の交差点を直進し、すぐに左折する地点で野田山健康緑地公園への案内板を見ますが、表示はあらかた剥げていました。なお、最初に向かう金丸山は野田山とも呼ばれていて、こうした案内にもその両者が混在します。
その先で東名高速の高架をくぐる手前まで来ると、今度はちゃんと読める案内図が。でもこの地図もアバウト過ぎて、大まかな位置関係を掴む程度の役にしか立たず、とても道案内とは呼べない代物でした。そして案の定、この先もほとんど道案内はなく、予め地図を見て道順を考えてこなかったら、迷わずには歩けなかったかと。
登り坂の途中で、広めの道を横切る地点には三角点「四十九」がありました。四十九はこのあたりの町名です。
実相院の入口まで来ました。前方にはもうすでに、それらしい建物が見えています。
そこにあった案内板には、これから歩くコースに「歩行困難箇所」があると書かれていたものの、そのような箇所はなく、登山道として特に変わったところはありませんでした。情報が古いまま更新していないのでしょう。


細い道に入るとすぐに、実相院に到着です。
金丸山への登山道は、実相院の左脇を抜けるようにして、何の案内もなく始まりました。
登山道を登り始めると間もなく丁石が現れますが、なんと、いきなり二十一丁目でした。もしかして、駅のあたりを一丁目として始まっていたものを、ここまでずっと見落としたまま来てしまったのでしょうか?!
登山道はと言えば、あまり手入れがされていないのか、所々で荒れたりしているものの、特に歩きにくい箇所はありません。木段が多く見られるなど、少なくとも一旦は良く整備されたものであることが窺えました。
次に現れた丁石は、驚いたことに数が減っていました。登るにつれて数が減る丁石を見るのは初めてのことで、完全に意表を突かれた形です。でも考えてみると、数が増えていく丁石は、初めて登る山などで何丁目が頂上なのか知らない時には何の目安にもならないけれど、これなら今の私でも即目安にできるので合理的なのかも。
途中で唯一見掛けた道標は、この道の行先として、金丸山の次に向かう予定の大師広場を案内していました。
九合目のあたりまで、登山道はずっと変わらない調子で続きました。ほぼ一定の傾斜が保たれて、特に急に感じる局面がなかった登山道は、荒れている箇所で足の置き場を選んだことを除けば、とても登りやすかったです。


九合目を過ぎた先で、突然道幅が広がりました。地形図にも描かれている林道に合わさったようです。
と思ったらすぐに分岐が。広くなった道をいくらも歩かないうちに、右の細い道へと入ります。
すると、そこから先はそれまでよりもより自然な感じの山道に変わりました。
しばらく歩くと分岐点になっているT字路に出ました。この写真はT字路を直進して振り返る形で撮ったものですが、直進方向と右折方向に道標があるのに対して、私がここまで登ってきた道(写真で左奥に下る道)に何の案内もないのは理解不能でした。金丸山を往復して同じ道を引き返す場合に限れば、帰りは来た道を戻るだけなのでこれでも困らないのでしょうが、そうでないケースに対してこれでは甚だ不親切です。一般的に道標の有無は、それが整備された道かどうかの指標にもなるものなので、これでは富士川駅を目指す人が、私が登ってきた道に進むのを躊躇うことにもなりかねません。このあたりでは、こうした中途半端な道案内が散見されました。
T字路を右折して、金丸山広場と案内された道に入ると、そこからはやや勾配がきつくなります。そして、その先にあった道標のない分岐点を左に折れると木段が始まり、その木段が頂上へと続いていそうな気配なのを感じつつも、右手に開けた場所が見えてきたのでそちらに向かってみると‥‥。


そこが野田山健康緑地公園のキャンプ場でした。気持ち良さそうな芝生のスペースが広がっています。
炊飯棟と四阿のほかにきれいなトイレがありました。
芝生広場からは富士山を眺められました。キャンプ場を通らずに金丸山に直行する道もあったようですが、金丸山の頂上が何もない場所だったので、ここを通って行くかどうかでこの山の印象も大きく変わりそうです。
四阿の背後の斜面には木段があり、上のほうには頂上にある電波塔も見えているので、その木段へと進みます。
木段を登るとすぐに車道に出て、あとはこの車道を登ります。
車道脇には展望の良い地点もありました。
展望地からは愛鷹山を間近に眺められたほか、駿河湾の先には伊豆半島の山々も見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
車道をさらに登って着いた金丸山の頂上には、電波塔が建っているだけでした。
電波塔の周囲を少しウロウロしてみても、頂上を示す山名標などは見当たらなかったようです。
電波塔の奥にあった大師広場への道にも道標類は何もなく、金丸山の頂上部には道案内が一切なかったことになります。まぁ電波塔しかない場所ですし、登山者はあまりウェルカムではないのかもしれませんね。


大師広場への道はかなりの急降下でした。途中で一旦緩やかになっても、もう1度急坂がぶり返します。
急坂を下り切るとT字路に出て、大師広場へは右折になります。ところで突き当たったのは、たぶん少し手前で分かれてきた道で、左に進めば先程の分岐点に戻れると思われるのですが、何故かここにも左折方向の道標がなくて片手落ちでした。このあたりの管理者は、特定の順路通りに歩くことしか想定できなかったのでしょうか?
T字路を右に進むと、ほどなく大師広場に出ました。池を配した、日本庭園風の趣がある広場です。
池の向こうには大師堂があります。石段を登るのが億劫で、下から眺めただけで済ませてしまいましたけれど。
大師広場の池はモリアオガエルの生息地になっているようですね。
落ち着いた雰囲気で居心地の良い場所でした。この感じだと、紅葉の頃ならばもっと美しい景色が見られそう。


大師広場にも車道が伸びてきていて、次の大平山へはこの車道経由で向かいます。
車道を少し進むと、右手に「自然遊歩道」が分岐しました。地形図を見るとここに破線路があって、大平山へも繋がっているので、車道を通らずに大平山へ行けそうな気もしましたが、行先の表示がない道なんて不安でとても入れず、大人しく車道を進むことにしました。なぜ、どこに行けるのかくらい書いておかないのだろうか。
車道を三差路まで歩いてくると、そこには何やら標識とかがいっぱい立っていて賑やか。
実は大師広場から東海自然歩道のバイパスコースが合わさっていたので、中にはその案内図もありました。このあと歩く、大平山・大久保山・大丸山を経て見晴観音までの道は、東海自然歩道のコースと重なっています。
そして三差路のすぐ先から、大平山への山道が分かれていました。


大平山への山道は、かなり急な木段で始まります。しかもこの木段、段があらかた埋まっているため、ほぼ単なる斜面と化していて、登りなのでまだ良かったにしても下るのは少々怖そうでした。
登りしなを過ぎれば、普通に歩けるようにはなりますが、その後も木段の多い急坂の細い道が続きます。
しばらく登って、大平山広場に着きました。窮屈な感じの道が少し続いていたので、開放感もひとしおです。
大平山広場には、あたかもそこが頂上だと言わんばかりにデカデカと標識が立っていますが、上の写真の通り斜面の途上にあって(ゆえに広場も平坦ではなく傾斜地でした)、この地点の標高は560mほどだったようです。
だから広場の先にもまだ急な登りが続いて、ほどなく最高点付近を通過していきます。その付近に特に山名標などは見られなかったものの、一応は最高点に達したようなので、大平山の標高は589mとして記録しています。
(上の写真の標識をはじめ、大平山の標高を588mとする資料が多々ありますが、比較的新しい東海自然歩道の標識では589.1mですし、国土地理院の最新の基盤地図情報も589m台の値なので、そちらを採用しました)


大平山を越えた先の鞍部は分岐点になっていて、次の大久保山は左折方向でした。そして、もう一方の道には野田山への案内があったので、やはり大師広場の近くで見送ってきた遊歩道でもここに出てこられたようです。
大久保山への途中で、右側が少し開けた場所から見えていたのは、白銀に輝く峰々。その右端でひときわ鋭く尖る山容から、もしやと思って撮っておいた写真を帰宅後に確認すると、やはり南アルプス最高峰の北岳でした。
  ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
その後は大した登りもなく、大久保山の広場へ。ちなみにこの広場、最高点付近にあったこの標柱や自然遊歩道の道標は「大久保広場」、東海自然歩道の道標は「大久保山広場」としていて、一体どちらが正しいのだろう?
「ここは大久保山」と書かれた標識は、なぜか広場から80mほど下がった地点の道標にくっ付いていました。
展望はなく、周りを樹木に囲まれて開放感もあまりないけれど、そこそこ広さがあって落ち着ける場所でした。


大久保山から大丸山へ向かうと、山道に林道が絡み合ったりしますが、東海自然歩道のコースだけに道案内はしっかりしていました。ただ、その標識の通りに山道を進まず、林道を歩くほうが楽そうな場所もありましたが。
大丸山までの距離は短くて、その間のアップダウンも小さく、ほどなく広々とした草原の頂上に着きました。
広場は送電線鉄塔の先にも続いていて、かなりの広さです。
こんなに広い場所を、この時は独り占めでした。とにかくこの日は、大師広場で犬の散歩中のご夫婦を、その先の車道でジョギング中の男性を、それぞれ見掛けただけで、私以外には登山者の姿が全くなかったのです。
ただっ広い頂上だけに、探すのに少し時間がかかりましたが、三角点は草原の真ん中で見つかりました。
大丸山の魅力は、なんといっても展望でしょう。富士山や愛鷹山を間近に望み、さらに右側に視線を移せば、駿河湾が広がる先に伊豆半島の山々を一望です。
大丸山からの展望の全容はこんな具合です。1時間半ほど前にいた野田山健康緑地公園からは割としっかりと見えていた天城山など伊豆半島の山々が、この頃になるとぼんやりと霞んでしまっていたのが少し残念でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
まずは富士山のアップです。
お次は愛鷹山です。北部を2007年、南部を2008年に歩いたのが、もう10年以上も前のことになっていました。
続いて伊豆半島の山々。こちらも、その多くは2011年までに歩いているので、しばらくのご無沙汰になります。
最後に富士市街と富士川の河口付近を。田子の浦の海岸沿いに松林が連なっている様子が良く分かりました。


大丸山から先になると、それまでとは一転して植林の中に入りました。
しばらく下ったところが「見晴観音」なる地点ですが、その名前に反して、特に観音像などがあったりする訳ではなく(以前にあった可能性はありそう)、ただの広場でした。
この広場も結構な広さがあって、奥のほうまで進むと西側に連なる山並みを眺められるように。
見晴観音からの展望がこちらで、見えていたのは、安倍川に沿って連なる、いわゆる安倍東山稜でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望の右端には雪化粧した山が少しだけ見えていて、帰宅後に確認したら南アルプスの赤石岳のあたりでした。
  ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


見晴観音で東海自然歩道のバイパスコースと別れて、蒲原駅を目指して南へと下ります。すると、それまでの歩きやすかった道から様子が一変、大小の石がゴロゴロと転がる道になって、やや歩きにくい状況が続きました。
少し下ると分岐点に出て、道標は左折と直進の両方を蒲原駅と案内しています。ここは事前の調べで、左折がすぐに車道に出るのに対して、直進すると車道を少しショートカットできると分かっていたので、直進しました。
すると、同じような調子の山道がもう少し続いたのち、車道に突き当たりました。
車道に出てきたところで、ここが大丸山への登山口ということになりそう。
登山口で振り返って、先程までいた大丸山を見上げました。


あとは小1時間、ずっと車道歩きとなりますが、時々前方に海を眺めながら下るのはそう悪くもなかったです。
途中には、地形図に道があるのに実際はない(この写真の直進方向)箇所があって、コの字形に大回りさせられますが、GoogleやYahoo!の地図では正しく表現されている箇所なので、そのことは予め織り込み済みでした。
意外にも、蒲原駅へ下る方向の道案内は皆無です。二車線の道路に出たら、少し先のこの地点で左の細道へ入るのが正解で、そのことを事前の計画段階で認識できていたから難なく歩けているものの、そうでなければ戸惑ったと思われる箇所がいくつもありました。登る方向の道案内ならば、散発的ながら見掛けていますが(それも万全とまでは言えなさそうでした)、このコースも同じ道を往復するケースしか想定されていないのでしょうか。
下るにつれて海が近くなって、伊豆半島はその全体が見えるようになってきました。
道の曲がり具合によっては西側が見えることも。遠くで少し霞んでいるのは日本平や三保の松原のあたりです。
少し前から見えていてずっと気になっているのですが、駿河湾に浮かんでいるあの物体は一体何なのだろう?
謎の物体のアップです。何かの作業船なんでしょうけれど、その中でもかなり巨大な物の部類になりそうです。


さらに下ると、右手には浜石岳が見えるようになりました。2011年に訪れた時の記憶も最近では薄れ気味です。
霊光院の前を過ぎれば、残す距離もあとわずかです。
目の前には駿河湾が大きく広がるようになりました。
東名高速道の手前にあるヘアピンカーブまで来たら、ここで道路脇に出ると‥‥。
スロープ状の近道で東名高速道の下をくぐることができます。
ゴールの蒲原駅に到着です。帰りの東海道線はいつものように混んでいて、熱海まで立ちっ放しなのを覚悟していたら、たまたま前に座っていた先客がふた駅先ですぐに降り、そこからずっと座れたのはラッキーでした。
途中でも触れましたが、結局この日は最初から最後まで、登山者を全く見掛けることがありませんでした。冒頭にも書いたようにマイナーなエリアなので、人が少なそうと思ってはいましたが、まさか誰にも会わないとは。
そこで気になったのは、全体的に道案内が不十分な印象だったことです(東海自然歩道との重複区間を除く)。
今回巡った4つの山々は、どの山頂もまずまずの居心地があって好展望の場所もあるなど、それなりに魅力的だと感じられたのに、道標類だけを頼りにして手軽に歩けるような状況ではなかったことが残念に思われました。
中腹にある公園や広場まで車で入れたり、もちろん今回の私のように駅から直接歩いて登れたりと、アクセスには問題のない場所なので、もう少し道案内を充実させるなどすれば、訪れる人も増えるのではないでしょうか。

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