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座間谷戸山公園・富士山公園 [東京・神奈川(平野部)]

2020/11/09(月)

■第433回 : 座間谷戸山公園・富士山公園


今回は、相模原市の南側に接する座間市まで自転車を走らせて、2つの公園を歩いてきました。
公園とはいえ、自然の谷戸地形を活かして起伏に富んだ(しかも広い)座間谷戸山公園では山歩きっぽい感覚も味わえ、小さいながら園路が坂道ばかりの富士山公園と合わせたことで、まずまずの歩き応えが得られています。

公園歩きの前後では、近代測量の原点となった最古の三角点史跡も探訪しました。三角点は登山者にとって身近な存在ですし、それにまつわる文化財にも触れられて、より奥行きのある巡り方ができたような気がします。

 累積標高差(登り):236m / 距離:6.5km / 歩行時間:1時間50分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約8.2km)-座間谷戸山公園  ※相模野基線北端点経由

(登山行程)
座間谷戸山公園
  東口広場      12:00
  森の学校      12:15
  三峰神社      12:35
  水鳥の池      12:45
  わきみずの谷    12:55
  伝説の丘(本堂山)  13:10-13:15
  長屋門       13:25
富士山公園
  (南側入口)       13:30
  (旧陸軍士官学校遥拝所) 13:35-13:40
  (北側入口)       13:45
  (南側入口)       13:50
座間谷戸山公園
  北入口       13:55
  東口広場      14:00

(復路)
座間谷戸山公園-自転車移動(約10.2km)-自宅  ※相模野基線南端点経由


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

冒頭でも触れた通り、座間谷戸山公園への途中でちょっと寄り道して、二車線の道路から狭い路地に入ります。
そこは2つの建物の隙間に辛うじて残されたような、少々肩身の狭さが感じられる場所でした。
訪れたのは相模野基線北端点。明治時代に近代測量の基準線を設けるために設置された最初の測量点で、日本の近代地図の発祥地とも言われる場所です。基準線は相模野基線と呼ばれ、同時に設置されたもう一方の南端点との間の距離が初めて精密に実測され、それが三角測量の起点になりました(南端点にも帰りに立ち寄ります)。
こちらがその測量点、一等三角点の「下溝村」です(傍らは国土地理院の解説板)。すっかり市街地と化したこの場所も、当時は相模野と呼ばれる平坦な原野が広がり、見通しの良さが基準線の設置に最適だったらしい。
相模原市の解説板には詳細な説明が載っていました。字が読めるサイズのものは こちら からどうぞ。


座間谷戸山公園の東入口に着きました。昔ながらの谷戸と里山の風情をよくとどめ、「自然生態観察公園」として整備された園内には、市街地の真っただ中にもかかわらず、自然がとても良い状態で保全されていました。
駐輪場に自転車を停めたら、東口広場から歩き始めます。
広い園内はほぼ全体が森に覆われているので、その外周を巡る散策路もすぐに森の中へ入ります。
ウェブからマップを印刷してきていましたが、園内にも随所に案内図があるなど道案内はとても親切でした。
ほどなく「みちくさ広場」への分岐があったので、外周路から外れて階段を昇ってみたものの‥‥。
階段の先には草むらが広がるばかり。それも草がボーボーに伸び放題で足の踏み場にも困るほどです。
草を踏みつつ平坦な所まで登ると、「みちくさ広場」の標柱が立っていましたが、この通り草が茂るにまかせて放置したようにしか見えず、とても「広場」と呼べそうな場所ではありません。ここは一体何だったんだろう?


外周路に戻って進むと、「森の学校」に出ます。なるほど、長椅子に生徒さんを座らせれば、教室を開けそう。
「森の学校」はちょっとした円形の広場で、円の外周に沿って、小さく1周できるようになっています。
軽くひと回りしてみると、円の周りにもテーブルやベンチが多数ありました。


外周路に戻ってさらに奥へ。道の右側を見ると急斜面になっていて、結構深い谷戸地形になっている様子。でも降りる道はなく、全く人の気配もしないので、谷の中は立ち入れないようにして保全されているのでしょう。
道は緩やかな下りが続いて、途中には野鳥観察用らしい小屋が。やはり谷の中は遠目に眺めるだけのようです。
分岐点に出たら、池の方向へさらに下っていく道を見送って、左に折れる外周路の続きへ。
すると登り坂に変わって、しばらく木道が続くようになりました。外周路を歩いているだけでも、登り下りがそこそこあって、ちょっとした運動が手軽にできる感じです。こういう場所がもっと近くにもあればなぁ。。。
外周路は南入口をかすめるように通っていて、芝生が広がる南口広場も外の道路に面していました。
南口広場からさらに登って、三峰神社への分岐まで来ると、すでに左手にはそれらしい建物が見えていました。
三峰神社はお社が1つだけのささやかな神社でした。ここは小さなピークにもなっていて(公園南部では最も高い地点にあたる模様)、ここを三峰山とする記事もあります。


三峰神社からは、公園内で最も低い中心部へ向けて、グングンと下ります。階段で一気に下る道と、バリアフリー対応の緩やかな道とがあって、山道っぽい雰囲気を少しでも長く感じたいと、距離が長い後者を選びました。
眼下に里山体験館や田んぼが見えてきたら、そこを目指して段差のない外周路から外れて、階段を下ります。
里山体験館は古民家がモチーフの建物で、中で休憩ができるほか、車イスや双眼鏡の貸し出しを行っています。
さらに下って田んぼの前へ。このあたりが公園内で一番低い場所だったようです。
田んぼの隣には湿生生態園があって、湿地を好む動植物の観察場所になっています。
動植物の採取が基本NGの公園内にあって、湿生生態園の小さな池では、アメリカザリガニに限って釣りがOKとなっていました。外来種を駆除することで、在来種を守ることになるようです。
湿生生態園の中には休憩用のあずまやもありました。


湿生生態園から奥へ進むと、次に現れるのは「水鳥の池」という大きな池です。
「水鳥の池」より上流側は保全されていて入れないらしく、せっかくの広い池も下流端から眺めるだけでした。
肝心の水鳥も1羽しか見られなかったので、そそくさと池を離れて外周路に戻ることに。
でも少し場所が変わって外周路から見てみると、人が近寄れない奥のほうに水鳥がいっぱい集まっていました。


「水鳥の池」から外周路は登り返しになって、前にも書いたけれどただ歩くだけでも結構いい運動になります。
途中で外周路を外れたら、今度は「わきみずの谷」への寄り道に入って、その分岐点まで来ました。
分岐点で左を見ると、すぐ先で水が湧いていました。先程見てきた「水鳥の池」の水源のひとつのようです。
一方、分岐点の右側が「わきみずの谷」として広く整備されたエリアです。整備が行き届き過ぎたあまり、景観がすっかり人工的になり切ってしまっているのが少々残念な気がしましたが‥‥。
谷の中は、木道でぐるりと回れるようになっています。ちょうど草が刈り取られた直後だったらしい。
谷の真ん中には、水源から続いているらしい小さな流れが。
その流れは下にあった「水鳥の池」へと続くのでしょうが、歩けるのは「わきみずの谷」の中まででした。


まだまだ低い所にいたので、「わきみずの谷」の先では結構きつめの登りが待っていました。
階段を登り終えても、木道の登り坂がしばらく続きます。山登りと比べれば全然なまぬるいものですけれど。
少し息が切れかけた頃、ようやく外周路に出たら、そこからは下り坂でした。
この公園内で一番最後に巡る見所として取ってあった、「伝説の丘」への分岐点まで来ました。
「伝説の丘」へは舗装された園路でも登り下りできますが、ここはやはり土の道で登りましょう。
とはいえ小さな丘ですし、先程の分岐点がすでに結構高い所にあったので、登りはもういくらもありません。
なので、ものの1~2分でてっぺんに着いてしまいます。正面に休憩舎が見えてきて、右を向いたら‥‥。
そこが「伝説の丘」の頂上でした。ここがこの公園内での最高点に当たるようです。
「伝説の丘」には「本堂山」という山名もあって、神奈川新聞で今年から連載が始まった「かながわ百名山」に選定されているようです。標高は等高線の読みによると80m圏内で、国土地理院の標高データでは81mほど。


「伝説の丘」からの下りも土の道を選びますが、すぐに外周路に合わさってしまいます。
園内の主な見所はあらかた見られたので、一度歩いた道を引き返して、先程向かい側から見ていた田んぼの前へ。稲刈りが終わった田んぼが青々としていたのを不思議に思ったので調べてみると、稲刈り後の株から再び穂が出てくる、稲孫とか二番穂とか再生稲とか呼ばれるもので、もし成長しても米はほとんどできないらしい。
田んぼの先には公園の西入口があるので、そこから一旦外に出ます。
西入口にあったのは、「長屋門」と呼ばれる立派な門で、これをくぐって出てきました。
次の富士山公園に向けて、少し車道を歩きます。道順は単純で、お地蔵さまが目印のこの角を一度曲がるだけ。


座間谷戸山公園から5分ほどで、富士山公園の南側の入口に着きました。
上の写真でも分かる通り、園内に入るといきなり登り坂が始まって、浅間坂と呼ばれる階段を登ります。
木段の登りがかなり長く続きます。富士山公園の中はどこもかしこも坂ばかりですが、中でもこの浅間坂が一番長くて急でもあり、この日のコース全体を通しても、ここが最もきつい坂でした。
とはいっても、まともに山に登るほどの高低差があるわけでもなく、20mも登れば一旦は勾配が緩みます。
でもまだそこは中腹。行く手にはさらに坂道が続きます。
頂上が近くなると、園路が頂上を巻いてしまいそうになったので、最後は園路を外れて適当に登ることに。
このあたりが富士山公園で一番高かったようです。ここを「富士山」とする記事もあって、標高は86mほど。
そこには「旧陸軍士官学校遥拝所方位盤」の解説板があって、その脇を入ると‥‥。
円形の小さな台座に乗っていたのが、大きな石で造られた方位盤です。
石の上面を良く見ると、「北」などの方角や「旭川」「青森」などの地名が彫られていました。
戦時中この地にあった陸軍士官学校の生徒は、毎朝ここから皇居や故郷などに向けて遥拝するのを日課としていたとか。士官学校は終戦後に米軍に接収され、現在も「キャンプ座間」として米軍による運用が続いています。


方位盤を見たあとは、小さな公園なので全部を見ておこうと、反対側へ下ります。
最高点が公園の北端寄りにあったので、道がすぐに階段に変わると、その先にはもう道路が見えてきました。
富士山公園の北側の入口です。こちら側には駐車場があって、車が3台停まっていましたが、公園内を南→北→南と往復する間は誰にも会わず、ほかには全く人がいなかったので、公園の利用者ではなかったのでしょう。
一旦外に出て、北側の入口を振り返りました。
あとは南側に戻るだけで、さっき下ってきたばかりの階段を登ります。この公園でも結構いいを汗かきました。
帰りは道なりに歩いたことで、最高点を少し巻いて進む形にはなったものの、それでも結構登り返したような。
そして浅間坂の長い木段を下って、南側の入口に戻ってきました。


その後は再び座間谷戸山公園へ。途中まで同じ道を戻ってから少し経路を変えて、今度は北入口から入ります。
一旦園内に入るものの、主な見所は巡り終えているので、あとは東口広場に直行するだけです。
でも東口広場へは登り坂が続き、富士山公園から北入口への道も登りだったので、最終盤は登りばかりでした。
最後に芝生広場を抜ければ‥‥、
スタート地点の東口広場に戻ってきて、公園歩きはここで終了になります。しかしこの日はまだ宿題が残っているので、ここで少し足を休ませたら、自転車での帰りがてら、さらに2箇所に寄り道していくことに。


公園を後にしたら、しばらく二車線の道路を走ったのち、細い路地に入るとすぐに次の目的地は現れました。
それは最初に訪れた相模野基線の北端点と対になる南端点で、測量の原点のもう一方である一等三角点「座間村」です。が、そんな大切な史跡が、なんと上の写真の内科医院の敷地内、つまり私有地内にあるなんて‥‥。
だから三角点も標柱も、フェンス越しに私有地内を覗き見るしかなく、なんか背徳感めいたものを感じるほど。
解説板も私有地内に立っていて、解説文でも最後に「‥‥民有地にあり、所有者の長年の御理解により大切に保存されています」と添えられていました。字が読めるサイズのものは こちら からどうぞ。


訪問先が多かった今回も、次が最後の目的地で、幸いにも先程の南端点から自宅への最短経路を少し外れるだけで済む場所にあります。ここまで自転車移動はずっと車道でしたが、途中からは歩道に入ることができました。
歩道に入るとすぐにこんな景色が目に入ります。線路もない所に踏切警報機があるなんて、なんか変です。
ひょっとして、この歩道が何かの軌道跡で、それを示すモニュメントかな、という考えが浮かんだのですが‥‥
後方が東邦電機工業(株)の建物だったので調べてみたら、信号や通信機器といった鉄道関連の特殊な機器の製造などを手掛けている会社でした。ほとんど宣伝臭がなく、楽しく見られる展示物になっていたのは好印象です。
説明が前後しますが、少し前から走っている「相模が丘仲よし小道」は「さくら百華の道」という愛称を持つ歩行者用の緑道で、水路の名残を整備したものらしい。沿道には桜並木が続いて、桜の名所にもなっている様子。
約1.6kmと、さほど長い緑道でもないのに、途中にはトイレがあって、これならゆっくり歩く人も安心ですね。
100m進むごとに距離標も現れます。ここがちょうど1000mでした。
桜並木は56品種もの桜が植えられているとのことで、中には何本か冬桜もありました。
冬桜は結構咲いていて、ささやかなお花見も楽しめています。


いよいよ最後の目的地に到達、まずは緑道脇に立つ解説板が目に入ってきます。
そこにあるのは相模野基線中間点です。最初に設置された2点である北端点・南端点とは違って、設置は後年になりますし、特に大きな役割を果たした訳でもなさそうなのですが、立派な解説板があるので寄ってみました。
だから解説板の説明も北端点と南端点に関わる記述が大半で、これを読んでもこの中間点の、史跡としての価値が今ひとつピンと来ないままだったのは否めません。字が読めるサイズのものは こちら からどうぞ。
三角点自体は、少し離れて、解説板後方のこの路地を少し進んだところにありました。
開けてはみませんでしたが、このマンホールの中に、相模野基線中間点である四等三角点「基線中間点」が埋まっています。四等という三角点の等級も、測量点としての重要度の低さを物語っているのではないでしょうか。
この日は歩いた時間こそ短めだったものの、これまでならただ往復するだけで単なる移動手段に過ぎなかった自転車の経路上にも探訪する対象を盛り込んだことで、行き帰りの道中も楽しみながら過ごすことができ、我ながら良いプランだったのではと感じています。あちこち見て回った分、いつも以上に写真の点数が多くて長い記事になりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。

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