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天狗山・三栗山・牛松山 [丹沢]

2021/04/23(金)

■第439回 : 天狗山(190m)・三栗山(240m)・牛松山(282m)


今回は、東丹沢の前衛も前衛、相模原市と愛川町との境界尾根にあたる三栗山ハイキングコースを、プチ縦走してきました。山名を持つ場所に出掛けたのは、昨年10月の南高尾山稜以来で、約半年ぶりのことになります。

縦走したとはいえ、全長は4kmに及ばず、標高も最高峰の牛松山でも282mという、短くて低い尾根道ゆえ、ほとんど無名で私自身もつい最近までその存在を知らなかったほど。でも存在を知った途端、自宅から最も近い距離の山に一躍のし上がり、自転車でアクセスする山としても好都合だったので、早速出掛けてきたのでした。

 累積標高差(登り):457m / 距離:11.4km / 歩行時間:3時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約10.3km)-高田橋(花と芝生の広場)

(登山行程)
高田橋    10:50    (花と芝生の広場)
梅沢バス停  11:15
天狗山    11:30-11:35
三栗山    11:45-11:50
牛松山    12:40-13:00
上三増バス停 13:35
三増バス停  13:50
梅沢バス停  14:05-14:10
高田橋    14:35    (花と芝生の広場)

(復路)
高田橋(花と芝生の広場)-自転車移動(約10.3km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

さて、冒頭で自宅から最も距離が近い山だと書きましたから、単純に考えれば自転車でのアクセスもこれまでよりは楽になりそうなものですが、走行距離を短く抑えられる一方で、途中にこれまでずっと避けてきた急坂がある(しかも3箇所も)のが不安要素でした。そこで、自転車区間については 先週に試走 を行っておりまして、無理なく往復できそうなのを予め確認しておくという前準備を経て、本日の山行となっています。

相模川に架かる高田橋が今回のスタート。「花と芝生の広場」のあたりに自転車を停めて歩き始めました。
これから向かう対岸の山並みを、「花と芝生の広場」越しに眺めます。中央奥あたりが三栗山です。
「かながわの橋100選」に選ばれている割に、あまりそそられる外観ではない高田橋。でも隣り合う橋が、下流側は約3.5km離れた新昭和橋まで、上流側に至っては約6km離れた小倉橋までないので、交通量は多いです。
先週試走で来た時には渡らなかった高田橋を渡って、相模川の対岸へ向かいます。


相模川を渡ると愛川町に入って、以降はすべて愛川町内を歩くコースになります(山道になっている三栗山ハイキングコースの区間は相模原市との境界尾根に当たりますが、相模原市側にはほとんど入らなかった模様)。
すぐに小沢バス停を通過したら、まずは次の梅沢バス停まで、バス停1区間分を歩きます。
でもその1区間が結構長くて、しかもずっと登り坂が続くのでした。ここを自転車で上り下りするのが大変そうだったからというのが、自転車での行程を高田橋までにしておいた理由だったりします。


車道で70m近くを登って、梅沢バス停に到着。すぐ脇の入口から、霊園の相模メモリアルパーク内へ入ります。
霊園内に入っても、まだまだ登り坂は続きます。
相模メモリアルパークの東側には洋風の公園墓地が広がっていて、その中に入ると景色も開放的になりました。
東丹沢の山々を一望するここからの眺めが、この日のコースから見られた景色の中で一番でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに霊園内の坂道を上へ。最初に登る天狗山は写真右側の森の奥ですから、もうそのすぐ下まで来ています。
途中にあったトイレを、お墓参りの人に混ざって有難く使わせて頂きました。
霊園の最上部まで登り詰めて、この先を右に入ったところが‥‥、
三栗山ハイキングコースの「南側登山口」でした。ここから山道に変わります。


いざ登り始めてみたら、登り坂はなんと、上の写真の登山口からすでに見えていた範囲までしか続きません。
だから、ものの1~2分であっという間に稜線上の分岐点へ。登山口の時点で天狗山の直下まで来ていたので、当然のことなんですけれど、登りの大部分が山道が始まる前に終わっていたなんて、あっけなさすぎます。
分岐点を右に折れて、まずは天狗山へ向かいます。マイナーなコースに不釣り合いなほど道幅の広い山道は、分岐点から先になるともうほとんど登ることもなく、ほぼ平坦に進むばかりでした。


縦走の1座目となる天狗山は、広場というにはやや手狭なスペースに、石碑がひとつ建っているだけでした。
それは「天狗松跡」の石碑で、かつて天狗松という大きな松があったと記されています。でもほかに山名標などは一切なく、道標にも「天狗松」としか書かれていなかったので、ここを山と呼ぶかどうかは異論もありそう。
もしここを山と捉えるならば、石碑の小広場は山頂ではなく、もう少し高い地点がすぐ脇にありましたが‥‥、
微かな踏み跡を追って最高点っぽい場所まで行ってみても、そこはただの藪でしかなくて、収穫は皆無でした。
また石碑の反対側に立派な石段が続いていましたが、何も情報がなくて、その道が繋がっている先も不明です。


来た道を引き返したら、先程左から上がってきた分岐点を見送って、尾根道を直進します。天狗山から牛松山の少し先まで続く尾根は、相模原市と愛川町との境界になっていて、右側が相模原市緑区、左側が愛川町です。
すると、断続的に割とキツめの登り坂が現れて、ようやく山登りをしている気分になれました。
そうして登り詰めた小ピークの少し先が、縦走2座目の三栗山です。
ただここも、標識が立っているのは小ピークを過ぎて3~4mほど下った地点ですし、標識の現在地名も「三栗山見晴台」となっているだけなので、ここを「三栗山」という名前の山とみなせるのかは微妙かもしれません。
念のため、通り過ぎてきた小ピークに戻ってみても、その周囲にはやはり何もなく(道の脇で地面に埋まりかけた3つの切り株が元々はベンチだったようにも見えるものの、想像の域を出ません)、「三栗山」という名前が特定のピークを指しているのか、このあたり一帯の山の連なりを総称しているのかは分からずじまいでした。
標識から少し下がった場所にはベンチが置かれていて、そこが見晴台なのでしょう。でもこの時期は木々の葉っぱに邪魔をされて、満足な展望がなかったので、ここからの景色を楽しむならば、寒い時期に限るようです。


三栗山見晴台より先になると、尾根上には短い間隔でいくつもの小ピークが連なっていて、地形図から読み取れるイメージの通りに、小さなアップダウンが繰り返されるようになります。
少し気になったのは、所々に急な傾斜が現れても、道はほぼ自然の形のままで、ジグザグを描いたり階段が設置されていたりということがないため、しばしば急坂を登り下りさせられることです。山歩きに慣れた人なら全く問題にしない程度の傾斜ですが、もしも墓参に来た人が、墓地のすぐ隣にハイキングコースがあるからついでに行ってみようという軽いノリで入って来た場合に、トラブルを招きかねない状況にあるように感じられました。
しばらく進むと、道の右側が開けてゴルフ場が現れました。これも地形図から読み取れていた通りの展開です。
ゴルフ場のグリーン越しに相模原市中心部あたりの街並みが見え、その先には都心のビル群が霞んでいました。
ゴルフ場脇の明るい道を歩く区間が少し続いたのち、補助ロープが下がる急坂を登ったら、道は再び森の中へ。
地形図の247m標高点まで来ました。この小ピークが、ここまで歩いてきた尾根の一番高い地点になります。
でもそこには小さな杭が埋まっている以外には何もなく、全くの無名峰だったようです。
247mピークを過ぎると道は下る一方になって、この先で尾根が一旦途切れる形になります。最後だけは階段道に変わって、眼下にゴルフ場の駐車場が見えてきたら、山道を歩けるのもそこまで。
駐車場に下りる手前が、三栗山ハイキングコースの「北側登山口」でした。
動物除けの柵を開閉して、ゴルフ場の駐車場に入ってから、下ってきた階段道を振り返りました。


大相模カントリークラブのクラブハウス前を通り抜けます。
すぐにゴルフ場の外に出たら、しばらくは一般の車道を歩くことになります。
車道歩きの区間では、道標が牛松山への道案内をしてくれました。
途中で車道に分断されていても、牛松山までが一体となって三栗山ハイキングコースとされているようです。
ゴルフ場越しに、最後に登る牛松山を眺めました(写真中央)。山頂のすぐ脇がゴルフ場なのが分かります。
車道歩きはここまでで、道標に従って動物除けの柵の向こう側に入ると、奥に見えている三増公園の陸上競技場からの道と合わさります。ここが牛松山の実質的な登山口ということになるのでしょう。
上の写真とほぼ同じ地点です(ただし動物除けの柵の向こう側)。ここでは牛松山を示す2本の道標が別々の方向を指していて、少々分かりにくくなっていますが、柵に沿って奥へと続くのが、牛松山への道でした。


左手に霊園を見ながら、山道を歩き始めます。牛松山に登ったあとは、霊園の反対側(写真左上)に下る予定。
やがて登り坂に変わります。現在地の標高が200mちょっとですから、牛松山までの標高差はほんの80mほど。
途中にはやや草深い区間も。ここはこれ以上季節が進むとヤブっぽくなってしまいそうですね。
右側にゴルフ場が迫っていて、ずっと柵が続くのが無粋な感じですし、境界の植え込みで見通しもききません。
上部は階段状の道が続きますが、この階段は段差が小さく抑えられていて、苦しい登りではありませんでした。


縦走最後の3座目となる牛松山に到着しました。
「牛松跡」の石碑が目立っています。最初に登った天狗松と同様、ここにも牛松と呼ばれる松があったらしい。
ここは上空が開けていて明るく、ベンチもあって、縦走してきた3座の中で唯一、寛げる雰囲気の山頂でした。
解説板によると、ここではかつて「山遊び」という民俗行事が行われていて、「牛松跡」の石碑もそれを語り継ごうと建てられたものらしい。ところで、国土地理院作成の地形図が牛松山の標高を282mとしているのに対して、この愛川町の解説板では284mとなっていて、標高値が割れています。ただ、同じ国土地理院のデータでも、数値標高モデルでは284m台の値を持っているので、実際には284mくらいあるのでしょう。
牛松山からは橋本駅周辺の街並みを眺められました。また、このさらに右側には都心方向や横浜方向も望めましたが、いずれも遠方は霞んでいてビル群がうっすらと見えていた程度だったので、写真は割愛します。


さて牛松山からの下りは、登山口の分岐点まで戻ってから三増公園に向かえば、問題なく歩けることが明らかです。でも牛松山の反対側にも尾根道が続いていて、下り始めが階段になっているなど一旦は整備されたコースであることが窺えますし、道の明瞭さからもそこそこ歩かれているっぽく見えたので、そちらに進んでみました。
すると、しばらくは明瞭な道が保たれて、アップダウンも少なくほぼ平坦なため、割と快適に歩いて行けます。
しかし、右手に続いていたゴルフ場の柵が消えたあたりから、道は細くなり草も繁茂してきて、次第に怪しげな雰囲気に。それでも構わず進んでいると、さらに倒木も増えてきて、もうほとんど歩かれていない様相でした。
ここが、市町境の尾根道をさらに北上するか、南の小尾根に折れて霊園に向かうのかの分岐点です。尾根道の続きは、途中で道が不明瞭になることがネットの情報で分かっていたので、左折する霊園への道を選びましたが、その道も情報がほとんどなくて様子が分かっておらず、この先は少々不安に感じていた区間でした。
すると、すぐに左手に「さがみ野霊園」が見えてきて、容易にその中に入れると分かったのが安心材料だった一方で、進もうとしていた尾根道は写真右半分のヤブに埋もれていました。そして一旦は踏み跡を追ってヤブに突入してみたものの、いくらも経たないうちにそれ以上進むのが困難になって、結局ここに戻って来る羽目に。
仕方なくここを通って、あとは霊園内を進ませてもらうことにしたのでしたが‥‥、
でも、また尾根上に復帰できそうな場所があったので、ここから再び尾根に上がってきました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、歩いたコースを表示します。
ただ、尾根上に戻ってはきたものの、もはやそこには踏み跡すらなく、全く歩かれていないことが明白です。ここはまだ木々が疎らで草ヤブもなく歩きやすかったのですが、こんな調子がどこまで続いてくれることやら。
次第にヤブっぽくなる中、「文化十二乙亥年」と刻まれた石柱と祠を発見。1815年に当たるようで、祠の文字は「山王大権現」と読めるような‥‥。今は通る人もないこの場所が、かつては信仰の地だったのでしょうか。
進むにつれて歩きにくさは増すばかりですし、道のない所を歩いていてもあまり楽しくもないので、次に霊園の敷地が近付いてきたこの地点から、再び霊園内に入らせて頂くことにしました。


てなわけで、山歩きと言えそうなのはこのあたりまでとなりました。
そもそもがあまりに無名な山で、ここを繰り返し訪れたなんて話になるとほとんど見たことがなく、冒頭に書いた通り実際に歩く距離も短ければ標高も低いので、正直なところ多くを期待せずに臨んだのでしたが、道の整備状況はまずまずで(最後に勝手に未整備のコースに入った区間を除けば)、それなりに楽しんで歩けました。
とはいえ特段の見所がある訳でもなく、展望とかも平凡かつ地味でしたし、途中で一旦ゴルフ場に下りてしまうのも今ひとつでしたから、歩くこと自体が好きな人でなければ、あまり魅力を感じないコースかもしれません。
そんなコースを平日に訪れたからか、結局最初から最後まで自分以外のハイカーを全く見掛けませんでした。

あとは「さがみ野霊園」内の道路を下ります。霊園の反対側には、先程までいた牛松山が見えていました。
「さがみ野霊園」から一般道に出たら、最後は長い車道歩きでスタート地点の高田橋へ向かいます。
すぐに左手に三増公園の陸上競技場が現れます。ここではトイレが利用できました。
ハイキングコースにいる間、市街地が広がる東側の展望地が若干あったのに対して、西側の眺めはずっと皆無だったのですが、コースの西麓に下ってきたことで、西側にある東丹沢の山を少しは見られるようになりました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
県道65号線に出たところにあったのは上三増バス停。ここから本厚木駅へのバス(正確には厚木バスセンターまでしか行かないけれど)が日中は毎時2本出ていて、ちょうどやって来たバスが折り返しの準備中でした。
しばらく退屈な県道歩きが続きます。歩道がきちんとあって、安心して歩けるのがせめてもの救い。
三増バス停を通過。このあたりでバスに抜かれました。
愛川ハイテク団地入口バス停まで来たら、その少し先(ちょうど水色の車が写っているT字路)を左折します。
最初に訪れていた相模メモリアルパークは、ここが正面入口。はじめに登った2座をきれいに眺められました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
相模メモリアルパークの正面入口脇には、ハイキングコースを案内する道標も立っていました。
梅沢バス停まで戻ってきました。もし交通機関として路線バスを利用して、ここを起終点としていた場合は、2時間50分で周回してきたことになります。
往路ではバス停の手前から霊園内に入ったので分からなかったけれど、なんと待合所にあったのは座り心地の良いソファー! これは珍しいのでは? 車道歩きで少し疲れていたので、ここで小休憩にさせてもらいました。
長い坂道を下って、高田橋まで戻ってきました。橋を渡ればゴールです。
高田橋周辺の散策しかしなかった先週と比べて、さすがに登山後となる今回は帰路で自転車を漕ぐ足が少し重たくはなったものの、最後まで割と普通に走れて、すんなりと帰宅できました。ただ、帰宅後は結構グッタリしてしまったので、やはりコンスタントに山を歩いていた頃よりも随分と体力が落ちているのは否めないようです。

ということで、自転車で快適に走れる季節になったことですし、また山に行く頻度を上げなくてはと思っているところです。とはいえ、多少なりとも目新しさを感じる行先の用意は1つしかなくて、あとは昨年と同じようなコースを歩くしか手がなさそうなのが苦しいところ。本当にいつまでこんな状況が続くのでしょうか‥‥。

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水郷田名でプチ散歩 (移動は自転車) [街歩き]

2021/04/15(木)

いやぁ、探せば見つかるものですね‥‥。
自宅から自転車で登山口まで行ける山のバリエーションなんて、とっくにネタ切れになったものと思っていたら、つい先日地形図とにらめっこをしていた折に、その可能性のある山をさらに見つけてしまったのです。
ただ、これまでの行先と比べると、自転車での行程の難易度がグンと上がるのが気掛かりで、せっかくの発見も手放しでは喜べません。そこでこの日は、本当に無理なく行けるのかどうかを事前に試しに出掛けてきました。



‥‥てな調子で、今回の行先の「水郷田名」には全く触れず、余談から先に書き始めましたけれど、あともう少し、「水郷田名」を行先に選んだ経緯について続けさせて下さい(興味ない方は こちら で本題に飛べます)。

昨年の終盤以降、もっぱら公園歩きの記事ばかりが並んでいるこのブログではありますが、コロナ禍で移動手段を自転車に限ることを決めたあとも、昨年の秋頃までなら、そこそこ山にも出掛けていたのです。
昨年、公共交通機関を使わずに自転車で登りに行った山を、相模原市の地図上に示すとこんな具合です。

※オレンジ色の破線が自転車での移動経路。①~④の地点に自転車を停めて、そこから歩いています。
  
年月行先自転車を停めた地点(地図上の①~④)
2020年5月大日堂(223m)・七国峠① 相原中央公園
2020年9月津久井城山(375m)② コピオ相模原インター
2020年10月草戸山(364m)・榎窪山(420m)③ 川尻八幡宮
2020年10月南高尾山稜(大洞山 536m)④ 中野コミュニティ公園

行先が自宅からみて北西方向ばかりなのは、その方向ならほぼ平坦な相模原台地上を進むだけで良く、特に地点①②③までなら坂らしい坂がほとんどないためです(そして都合良く南高尾の山々もちょうどその方向に)。
でもさすがに地点④までとなると、坂道が多くなる上に距離も長くなり、自転車での往復だけで結構疲弊してしまう結果になりましたから、これよりさらに遠くの山を目指すのは非現実的だという感触を得ています。
このほか、津久井城山の南に位置する雨乞山も候補に挙げてはみたものの、自転車で無理なく行ける地点②からでは、コースが長丁場になり、山行頻度が落ちた現在の脚力では不安なので、計画を具体化できていません。

そんな訳で、もうこれ以上は行先の選択肢を広げられそうになく、今後は上図の4ヶ所を繰り返し訪れるくらいしかないと諦めていたある日、思わぬところに山があることに気付きました。下図で書き加えた牛松山です。

ずっと、山なんてないと思っていたエリアに、山がひっそり存在していたとは、まさかの大発見です(知名度の低さゆえに今まで見落としていたっぽい)。牛松山は標高282mの超低山ながら、隣り合う天狗山・三栗山と繋げた縦走コースを組めて、まずまずの歩き応えがありそう。しかも、きちんとした山名が付いている中では、たぶん自宅から最も近い山になりますので、今の状況下でもなんとか自転車で行けないかと策を練ってみました。

その結果、地点⑤の高田橋付近から周回コースで歩けば良さそうだと分かった一方で、果たして高田橋まで自転車で来られるのかどうか、が大きな不安材料として浮上してしまうことに。

というのも、普通の地図で距離だけを比べると、これまでよりも近くて楽そうに見えますが、実は自宅と高田橋付近とでは標高差が50m近くもあるのです。地形が分かる次の地図で見て頂くと、自宅(黒丸)から地点①②③までが概ね平坦な道のりなのに対して、地点⑤までの間には何箇所もの急坂を経ることが一目瞭然になります。

地点⑤を流れているのは山中湖に端を発する相模川で、神奈川県を流れる川としては多摩川に次ぐ規模の大河川。とりわけ相模原市の西側で河岸段丘が発達しているので、市内を東西に大きく移動することは、数段ある段丘面の最上段から最下段までを行き来することになるのです(上の地図にマウスを載せると補足を示します)。

50mの標高差なんて、山登りならば大したことない部類に入るけれど、自転車で登るとなるとまた別の話になりそうですし、乗っている自転車が、変速機も電動アシストもない非力なママチャリですから、やってみる前から急坂で手こずる情景が目に浮かびます。ちなみに、自転車の行程を往路で断面図にするとこんな具合。起終点の単純な標高差は正確には50mに達しませんが、行程全体では40m登って80m下ることになる模様です。

3箇所で現れる段丘崖のうち、1番目と3番目はかなりの急坂で、とりわけ最後の「急坂3」が難敵と言えそうです。往路ではいずれも下るだけなので問題ないでしょうが、登りになる帰路(しかも登山で疲労した後)でトラブルなく走り切れるものなのかどうかが、大いに懸念されます。そこで、まずは登山抜きで、地点⑤の高田橋まで自転車で往復するだけの場合に、体力にどの程度の負荷がかかるのかを確かめておきたくなったのでした。



【2021/08/13追記】

後日、河岸段丘の構造が分かりやすく描かれた図を相模原市作成のパンフレットの中に見つけたので、ちょこっと拝借しました。下の図にマウスを載せると、今回の移動経路の大まかなイメージを重ねて表示します。
※相模原市作成「木もれびの森マップ」から加工・転載



というわけで、前置きが長くて失礼いたしました。いよいよここからが本題です。
この日は自転車で相模川に架かる高田橋までを往復して、高田橋東岸の水郷田名エリアを軽く歩いてきました。

(普段と違って歩いた軌跡を記録しなかったので、下の地図では巡った地点にピンを立ててあるだけです)

大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずは往路の模様から。自転車で自宅を出発後、県道52号線を西へ進み、北里大学を過ぎたら細い道に入って、相模原沈殿池の周囲を3分の1周ほどします。平坦な道はここまでで、池から離れると最初の急坂が現れます。
坂を下り切って幹線道路に出ると、2月に来たばかりなのがまだ記憶に新しい、あざみがや交差点へ。
その交差点から、2月に さがみはら・みどりの散歩道 を歩いた時にも通った「水道みち緑道」に入ります。
2月の時は、前方にJR相模線の線路が近付いてきたこの地点で「水道みち緑道」から外れましたが、今回はそのまま直進して、前方に見えている線路との立体交差をくぐります。なお、遊歩道はここから未舗装の砂利道に変わり、「水道みち緑道」という表記も見掛けなくなったので、この先の区間は整備途上なのかもしれません。
相模線より西側に入ると建物が少なくなって、沿道には畑地が広がる長閑な景色が広がるようになりました。
すると見通しが良くなって、丹沢の山々も一望です。最高峰の蛭ヶ岳は頂上が雲で見えていなかったけれど。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
国道129号ぎると、遊歩道は再び舗装路に変わり、ほどなく「小川ブルーベリー園」の脇を通ります。こんな所に果樹園があったとは。でも今は開園期間(7月中旬~9月上旬)から外れていて、あたりも静かでした。
その先で2車線の道路と交差したら、遊歩道とはもうお別れ。左折すると間もなく、2度目の急坂を下ります。
その後、田名の住宅街に入ると一旦は平坦地になりますが、その先にこの日最大の難所が待ち構えていました。
それがこの「ひの坂」。これから下るのは、3箇所ある急坂の中でも最大斜度の、もう崖に近い急斜面です。
九十九折り状の道は、ほぼ180度近い急なヘアピンを2度曲がります。ここはママチャリのブレーキを目一杯かけないとスピードが緩まず、乗ったままで下るのは少し怖いくらいでした。帰りに登り返すのが気が重い‥‥。
「ひの坂」を下ればもう相模川の流れはほど近くにあって、すぐに目的地の高田橋に到着となります。途中で写真を撮ったりしながらゆっくり自転車を走らせてきて、自宅からちょうど1時間ほどでした。
河川敷の広場には特に定められた自転車置場がなさそうだったので、常に人目がありそうな土手上の遊歩道脇に自転車を停めました。次に登山で来た時も、このあたりに停めておけば問題なさそうです。


高田橋周辺の河川敷にはいくつかの広場が連なっていて、橋のすぐ北側は「花と芝生の広場」になっています。
土手に植栽で表された文字は、今となっては広場の名前を先に知っていないと読めない有様でした。
対岸には、出掛けてくる契機となった、山名が付いていることをつい最近知った低い山並みが見えていました(牛松山は、前を遮る別の稜線上に山頂が辛うじて突き出ていただけですが)。今度はあそこを歩きに来たい。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


それでは、河川敷を歩いて散策開始。手始めに、高田橋の下をくぐって橋の南側から巡ることにします。
広場がなくなった先も、川沿いには遊歩道が続いていました。
ほどなく望地弁天キャンプ場のエリアに入ります。キャンプ場のトイレは誰でも使用可で、とても綺麗でした。
キャンプ場の奥にあるのは望地弁財天。元々は江ノ島に「岩屋弁天」として祀られていたものがここに移されてきたらしく、江戸時代の制作とされる弁才天坐像は相模原市の重要文化財に指定されています。
望地弁財天の社殿は簡素な覆屋に守られていました。


橋の南側では気になっていた場所が望地弁財天だけだったので、来た道を戻って橋の北側のエリアへ。
こちらが水郷田名の中心部になりますが、かつて大山街道の宿場町として栄え、さらに昭和初期までは鮎漁や鵜飼いなどが知られて観光地としても繁盛していた頃の賑わいも今はなく、現在は閑静な住宅街となっています。
川の近くには「鳥山用水」の水路とそれに沿う木道があって、立派な解説板も。この一帯の水田を潤していた水路の歴史は江戸時代末期まで遡り、その後一旦は荒廃したものを、近年再整備して現在の姿になったらしい。
こちらは「マミー」という駄菓子屋さん。昔ながらの「駄菓子屋さん」を彷彿とさせることで少し知られたお店のようで、ネット上にも多数の評判が出ています。それによると、広い店内は品揃えが豊富な上に値段も良心的だとか。残念ながら私はお腹が弱くて食べるものを選ぶので、冷やかすだけになっては悪いと思って入店は控えましたが、平日の真っ昼間にもかかわらず、この時も店内には数組のお客さんが入っていました。
住宅街をさらに進むと、家々が建ち並ぶ中に、田名八幡宮がひっそりと鎮座していました。
田名八幡宮は延暦17年(798年)創建の歴史ある八幡さまで、境内にも風格を感じる荘重な雰囲気が漂います。
現在の社殿は2009年に再建されていて、参道や狛犬なども真新しく、境内全体が綺麗に整っている印象でした。


ところで、街中のあちこちにこのような立て看板が。小田急多摩線の延伸は、相模原駅まではなんとか実現しそうなものの、上溝駅まで伸ばせるかどうかは微妙な情勢のようで、さらにその先となるとどうなるでしょうか。
現在は路線バスがこの地域の交通需要を担っています。水郷田名バス停は住宅街のほぼ中央にあって、相模原駅からの便が昼間でも毎時2往復走っているほか、通勤・通学時間帯には橋本駅や淵野辺駅への便も出ています。
水郷田名バス停はバスの転回所を兼ねていて、さらに公衆トイレと自転車置場も併設されていました。


町のさらに北側へ進んで行くと、現在ではこの地域で随一の集客力を持っていると思われる施設があります。
それがこの、相模川ふれあい科学館(アクアリウムさがみはら)です。水族館を主体としつつ、科学館や博物館でもあるような施設で、相模川沿いという立地だけに、川に生息する淡水魚を中心に展示しているようです。
館内には入りませんでしたが、敷地の半分近くは緑豊かな公園になっていて、自由に歩くことができます。
さほど広くはないけれど、木立の間にはあずまやとかも建っていて、ここでのんびりと寛ぐのも良さそう。
建物前の広場を囲むように、円形に座席っぽいものが配置されていたのは、屋外でのイベント用でしょうか。


中心部を抜けて町の北部に差し掛かると、道は登り坂に変わります。家並みが続くのも、この少し先まで。
水郷田名の1丁目1番地は、意外にも町の北の外れにありました。
町の北端まで来ると、相模川を見下ろす高台に宗祐寺があるので、参道の石段を登って境内へ。
宗祐寺は情報が少なくて詳細が不明ですが、中世以前の創建とされています。まずは立派な仁王門とご対面。
仁王門のすぐ奥に並ぶようにして、本堂が建っています。
本堂を正面から。仁王門も本堂も手入れが行き届いている感じで、こざっぱりとした境内です。
境内の一角、街並みを見渡せる位置にはあずまやが建っていました。
歩き回ってきた水郷田名の街並みを一望しながら、時間調整がてら、ここで少し休んでいきました。


相模川沿いの道に出たら、街中へ戻るように坂を下っていきます。
道路脇に「滝の渡し」の石碑を見ます。相模川に橋が架けられる以前、この付近に2箇所あった渡し場の片方らしい(もう一方は高田橋の位置にあり、大山街道の渡船場として多くの人々が往来していた「久所の渡し」)。
最後に寄っていく場所は、近くまで来れば、あとはこのような道しるべが導いてくれました。
それが「まめくら」というパン屋さんで、休憩をはさんで午後2時半からの営業再開時刻に合わせて来ました。
「当店おすすめ」のあんぱんとソフトフランスウインナーの2品を購入。自家製のあんこが入ったあんぱんがもう美味しくて、ウェブでの評判の良さが納得できましたし、遠くから車で買いに来る方がいることも頷けます。
パンを持って相模川の河畔へ下りると、そこにはお誂え向きのベンチが。高田橋から離れたこのあたりは、通りがかる人も稀で落ち着けます。ゆったりとした時間が静かに流れる中、美味しいパンをじっくり味わいました。
パンを食べながら眺めていた対岸の景色がこちら。ちょうど、次に来た時に歩く予定の稜線になりますが、はじめに見ていた高田橋付近からの見え方とは少し変わって、牛松山は前山に隠れて見えていなかったようです。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
高田橋まで戻ってきたら、自転車で帰途に就きます。



最後に、冒頭の余談部分で不安感を強調していた帰路の登り坂について、その感触などを報告させて頂きます。

結論から書いてしまうと、
   『 どうってことなかった 』
のでした。心配なんて全くの杞憂であり、単なる取り越し苦労に終わったのです。

では、急坂をものともせず、自転車で楽々登れたのかというと、それも
   『 否 』
でありまして‥‥、

そんなことだろうと先を読まれていた方も少なくないと思いますが、3箇所の急坂は、とてもママチャリを漕いで登れるようなヤワな代物ではなく、実は『自転車を押して歩いてしまった』のでした。

しかもそれが想定通りでもありまして、最初に計画を立てる際に不安に感じたことは紛れもない事実ではあるものの、その後のかなり早い時点で、実際には漕いだままでは登れないだろうと見当が付いていたのです。
ハイカーである私は、歩き方には多少のこだわりがあったとしても、自転車乗りではないので自転車の乗り方には何も頓着がなくて、この点については割り切りも早かったのでした。

そんな訳で、実行前からすでに、自転車を降りて歩くのを前提に考えるようになっていたので、その点に些かも触れず徒に不安感だけを書き連ねたこの記事の冒頭は、あまりフェアではない書き方だったかもしれません。

でも言い訳がましくなりますが、登り坂で自転車を押したところで、結局は自転車の重量分を担いで登るのと同じだから、多少は楽ができる程度で、それなりにキツい思いもするだろうと覚悟はしていたのです。
ところが実際にやってみると意外にも、先程大きな字で書いていた通り『どうってことなかった』ことにびっくりで、これには本当に肩透かしを喰らったような気分でした。自転車から降りただけで、こんなに楽に坂を登れるなんて、全くもって想定外だったのです(漕いだ時の苦しさとの違いは一体どこにあるのだろう?)。

ですから私にとっても、やってみるまで分からなかった部分はあり、不安視していた割に何の波乱もなくすんなりと終えられて安堵したという展開をお伝えしたい思いもあって、冒頭のような脚色をさせて頂いた次第です。

この調子ならば、牛松山への登山を加えた計画にしても、無理なく実行できそうですから、近々それをしにまた出掛けて来たいと思っています。さらに、自転車の行程に急坂があってもOKだと分かって(程度にもよるでしょうけれど)、自転車での山行の幅をいくらか広げられる可能性が出てきたので、ちょっと考えてみようかな。

タグ:街歩き
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