SSブログ
高尾・陣馬 ブログトップ
前の3件 | -

盆前山・高丸山・金比羅山・天合峰 [高尾・陣馬]

2024/02/28(水)

■第478回 : 盆前山(498m)・高丸山(253m)・金比羅山(274m)・天合峰(300m)


この日は、東京都八王子市内の4つの低山を巡っていますが、縦走といえる要素には乏しくて、辛うじて隣り合う最後の2座を尾根歩きで繋げられたほかは、1つ登るたびに人里まで下ってしまうことの繰り返しでした。

なお歩いたコースは全て「山と高原地図」(高尾・陣馬編) の地図内なのに、登山道が描かれているのは1座目の盆前山(難路を示す破線表記)のみで、他の3座は登山道どころか山名すら書かれていません。
登山地図ですら存在を無視する、そんな知名度の低い山々ながら、山道は全体的に良く踏まれており、(ほぼ)明瞭なトレースを追うだけで歩き通せて、バリエーションルートとしては易しい部類だったように思います。

 累積標高差(登り):675m / 距離:12.3km / 歩行時間:3時間55分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 06:28-06:50 八王子 06:57-07:00 西八王子
西八王子駅 07:10-07:40 小津町

(登山行程)
小津町バス停    07:45
盆前山       08:40-08:50
小津町バス停    09:20
恩方ターミナル   09:50
陵北大橋(北詰)  10:05
高丸山       10:30-10:40
稲荷神社      11:05-11:10
金比羅山      11:25
天合峰       11:40-11:50
金精稲荷      12:10-12:15
圏央道上川橋バス停 12:20

(復路)
圏央道上川橋 12:23-12:48(延着12:59) 八王子駅北口
八王子 13:09-13:21 橋本 13:24-13:35 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

西八王子駅から出ている路線バスで終点の小津町までやって来ました。2009年に従来からの路線バスが廃止されると、当初その代替として運行されたのが利用者限定の地域循環バスで、2016年からは一般利用も可能なコミュニティバスに転換されたものの、それも2022年に力尽きてしまったらしい。それを受けて同年4月に復活した路線バスも、昨今の情勢を鑑みるに存続が大いに危ぶまれるので、走っているうちに乗れて良かったです。
終点ですから、上の写真はここから乗る人のためのバス停で、実際に私が降ろされたのはその奥にあるこのロータリーに入ったところ。バスはその後、待っていた通学の児童さんを何人か乗せて、すぐに折り返して行きました。いかに存続が厳しくても、地域で必要とされている大切な路線であることもまた確かなようです。
ロータリーの先を左に進むとすぐに、右手の畑地に通じるスロープが現れるので、それを上がります。
畑地に上がったら、盆前山へ向かう山道が左に分かれるはず。左側に注意しながら作業道を進みますが‥‥。
左への道が現れた先には鳥居が。地形図の神社記号まで進んでしまったらしく、どうも行き過ぎたっぽい。
とはいえ神社から山に取り付けるパターンも少なくないですから、様子を窺おうと鳥居に近付いて行くと、その先の石段の上には早くも社が見えてきて、すぐに登れそうな高さだったのでダメ元で上がってみることに。
でも、扁額に神明神社と書かれた社の周囲に、さらに奥へ伸びる道などなく、引き返すしかありませんでした。
引き返す途中、今度は右側に変わった景色に気を付けていたのに、やっぱり道らしいものはどうしても見当たらず、何も収穫がないまま、結局畑地の入口あたりまで戻ってきてしまいます。
そこで振り返ると、なんとなく畑の奥(写真のほぼ中央)から山に取り付けそうな感じが。あぜ道を通らせて頂いてそこまで進んでみたら、果たして、そこに木立の中へと続く薄っすらとした踏み跡が見つかりました。
踏み跡を追うとすぐ、地面に置かれた小さな石の道しるべを発見。どうやらこのまま進んで大丈夫そうです。


と、登り始めるまでは順調とはいきませんでしたが、一旦山道に入ってしまえば、その先には紛らわしい分岐のない1本道が続いていて、盆前山までほとんど進路に迷うこともなく進める状況でした。
ただ、道筋は決して明瞭というほどでもなく、道形を追うのにある程度の経験が必要だろうとは思われます。道標がないのはもちろん、テープやリボン等による目印も控えめで、尾根が分岐する小ピークなどでは地形図で進行方向を見極めつつ進みましたから(ルートファインディングってほど大袈裟な作業の出番はありませんが)。


はじめは結構な急斜面。登り口のあたりは道形も頼りなかったので、もし先程の道しるべを見落としていたら不安だったろうと思います。あまり踏まれていないからか地面はザレ気味で、登るのに支障はなかったけれど、のちに引き返してくる時に下るのは危なっかしいかなと少し心配したくらいに急になった箇所もありました。
ちょっとしたコブを越えて進路を北に変えると、少し穏やかになった尾根を歩けたりもしました。
でも行程の大半はやや急な斜面。そこをほとんどジグザグを描かずに直登するから、足への負担が大でした。
ある程度登ってからは、尾根上に時折小さなコブが現れて、何度か登り下りを繰り返すようになります。
盆前山手前の小ピークへは、少々きつい登りになりました。地形図ではそんな急勾配には見えなかったのに。
盆前山手前の小ピークを越えていくところ。写真中央(やや左寄り)の樹木に何かプレートが掛かっています。
その小ピークは「前盆前」とも呼ばれるらしく、ちょっとした回文みたい(文字配列上の狭義の回文だけど)。
「前盆前」まで来てようやく、目的地の盆前山を視界に捉えられました。ここまで来ればあと少しです。
あとは、ごく小さなコブを2つ越えた先を登り詰めれば、盆前山に到着。バス停から小1時間ほどでした。
もし三角点がなければ、山名が付いたりして顧みられることもないかもしれないような、実に地味な地点です。
このピークで唯一目立っていた存在が、その三角点。等級は三等、点名は「小津」です。
私製の山名標。その奥にはさらに恩方山などへの破線路が続きますが、あまり楽しそうな道でもないのでそちらには向かいません。このあとは、バス停まで引き返したのち、少し離れた別のエリアに転進する計画です。
足元にはちょっとユーモラスな絵入りの山名標も。このほか、全部で4つもの私製山名標が見られたものの、どれもが小さめのサイズで主張が控えめでしたから、4つあってもほとんど鬱陶しさは感じませんでした。
展望も全ての方角が葉を落とした樹木越しで冬期限定でしょうか。しかも御前山や大岳山があるはずの北西側は、なにしろ現在地の標高が低いゆえに、見えているのが近くにある無名の低い稜線だけにとどまっています。
それでも南側には、高尾・陣馬縦走路が見られて、陣馬山は割と分かりやすかったです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


盆前山までは完全な往復コースにつき、復路の下りではほとんど写真を撮りませんでした。途中の小ピークでは、分岐する複数の尾根にピンクテープが見られたりもしたものの、往路で時々振り返りながら、あとで戻ってきた時に見ることになる景色を確かめつつ登っていたからか、幸いに迷ったりはせずに済んでいます。
下るのが少し心配だった登りしなの急な箇所も、実際に歩くとそこまで手ごわいものでもなく、登る時にも見ていた小さな道しるべの所まで戻ってきました。先程登っていた道を間違えずに引き返して来られたようです。
森から畑に出たところで、本来の道の所在を窺うと、森と畑との境に沿って、なにやら道っぽく見えるものが。
微かな踏み跡を追うと、なるほど先程登り口を探して往復していた作業道に出られて、そこが本来のコースっぽかったけれど、振り返ってもそこに道があるようにはとても見えず、道理で先程見逃してしまった訳です。
来た時にバスを降りたロータリーまで戻ってきました。バス停(下写真)は、ロータリーの奥の建物脇に。
このあと、恩方ターミナルまではバス通りをただ戻るだけになりますが、1日3本と便数が少なく、しかも今日は登り下りする量が少なめのコースでもあったので、せめて距離くらいは伸ばそうと、歩いてしまうことに。


ということで、小津町バス停からは約4.5kmのロードを進みます。この通り、車道にはほとんど歩道がありませんでしたが、二車線の割に交通量が少なくて、ほとんど車を意識せずに済んだのが救いです。
時折、昔の路線バス時代の名残りらしい旧バス停を見掛けます。でも2009年から15年も放置されているほど古臭くは見えないので、コミュニティバス時代にも転活用されていたのかもしれません(現在の路線では小津町~恩方ターミナル間のバス停がすべて廃止され、その間全部がまるまる自由乗降区間として運用されています)。
途中にあった熊野宮。境内は今もしっかり手入れされている様子でした。
さらに歩いて、西東京バスの車庫がある恩方ターミナルへ。バスなら7~8分の距離に、約30分かかりました。
小津川左岸の遊歩道まで来れば、長い車道歩きも終わりが見えてきました。
小津川沿いをもう少し進んだら、このY字分岐を左に入って細道に入り、川からは離れます。次に登るのは高丸山で、奥のほうで近付いてきたのが、高丸山から延びる稜線です(山頂部はこの写真よりずっと左側に)。
細道はすぐに突き当たりとなって、その先には高丸山への遊歩道が続いている、はずでしたが‥‥。


森の中へと伸びていたのはやや怪しげな踏み跡で、とても遊歩道とは呼べません。登山サイトで高丸山の記録を探せば、この道でアプローチした記録が普通に見つかるから、しっかりした道がありそうに思われたのですが。
でもこんな案内板があるところをみると、かつては良く歩かれていた道だったりするのかもしれません。
構わず進んでいくと、所によっては道が広くなって歩きやすくなることも。これが元々の道の姿でしょうか。
しかし道の大半は道幅が細くて頼りなく、その上に草深かったり、落枝などが放置され邪魔で歩きにくかったりして、高丸山に南側から登れるのはたぶんこの道だけなのに、今ではあまり歩かれてなさそうな様子でした。
この山には多くのコースがあるらしく、その後は別方向からの道が何度か合わさって、次第に明瞭な道になってきます。ただ道案内は全くなくて、ひたすら高い方へと進むしかできませんが、それで良かったようで‥‥。
そうこうするうち、遊歩道って感じの道に変わり、これなら頂上まで連れて行ってもらえそうと安心しました。
俄然歩きやすくなった遊歩道の先には、短かい区間だったけれど良い雰囲気の尾根道も。
ところが頂上手前で急坂に差し掛かると、路面が乾燥していたこの日は問題なく通れたけれど、地面が滑りやすい赤土で雨後などに安全に歩けるのか疑わしかったです。ここは一般的な遊歩道なら階段状になりそうなほど勾配がきついのに、ただの坂道のままでしたから、整備されているとはいえ最小限にとどまっている印象でした。
高丸山に着くと、そこはゆったりとした広さがあり明るく開放感にあふれた場所。この日に訪れた4つの山で唯一、気持ち良く寛げる佇まいの頂上でした。短所を挙げるとすれば、展望に恵まれないことくらいでしょうか。
きちんとした山頂標柱が立っていたり、樹木の幹のベンチが置かれていたのも、やはりこの高丸山だけでした。
この日2つめの三角点もあります。等級は四等、点名は「小津」です。
頂上を少し通り過ぎた反対側から。頂上部は宝生寺団地にほぼ隣接すると言えるほど近かったり、いくらか整備の手が入っていることで、近隣住民の憩いの場になっているらしく、この日唯一自分以外のハイカーを見掛けたのもこの頂上ででした(私が休憩を終える頃、入れ替わるようにほぼ同世代っぽいご夫婦が現れています)。


高丸山からは北側へ下ります。北側にも遊歩道はあるのに、道標は相変わらず皆無で、下り始めてすぐの分岐で一旦は方向を間違えますが、きちんと北を目指すには、左に折れ宝生寺団地を正面に見て下る道が正解でした。
すると細い道で急降下するようになり、そこはさすがに階段状に整備されていました。その後は宝生寺団地のすぐ脇を抜けて行くような具合の道となり、テニスコートなどを真横に見ながら進んだりします。
高丸山は本当に多くの道があって、今回は行けなかったけれど、遊歩道の下には公園みたいな広場への道も。
その先の分岐でもまた道の選択を間違えます。道標が必要とされないのは、利用者がほぼ近隣の方だからでしょうが、せめて地形図通りに道が分岐していれば迷わないのに、実際は違っていて探り探り歩くしかありません。
ようやく北へと下る、意図していた通りの道に入れたら、穏やかな傾斜の尾根道を気持ち良く歩けました。
そしてまたも、人里まで下ってしまいます。今回は4つも山を巡るのに、縦走って要素がほとんどありません。
実は次の金比羅山には、南側から登る道もあるらしく、それなら高丸山と短距離で結べて、下るのもすぐ下の宝生寺団地までで済みそうです。とはいえそれだと、団地内の車道を通るだけになって味気なさそうですし、金比羅山の南側は何らかの開発が進行中で道の付き方が様変わりしている最中のようで、事前に調べた通りには歩けない懸念があり、さらにほかにも別の理由があって、北麓へ一旦完全に下るコースを考えてきたのです。


ということで、ここはもうすっかり市街地の一角。金比羅山へも、麓から改めて登り直す形になっています。
今さっき下った尾根のひとつ西隣の尾根を目指して詰めていくと、車道が終わった先に社が見えてきました。
それは稲荷神社。金比羅山へ登るコースを考える上で参考にした、「川口の自然を守る会」作成による「天合峰のポピュラーコース」というサイトに、「いつ見ても周囲がきれいに手入れされています」と書かれているのを見て、そこから登ろうと決めていたのです(すぐ上の文中で「別の理由」と書いていたのがこれ)。
ところが近付いてみると、なんだか周囲が雑然としているばかりか、肝心の社にも荒れた雰囲気が漂います。
倒れた樹木が社にもたれ掛かり、入口の階段部分などに覆い被さっている有様。「天合峰のポピュラーコース」には「いつも氏子達によって手入れされています」との文言も見られますが、最終更新が2013年ということで、現状とは少々乖離した描写になってしまっているようです。山間の集落では都市部以上に人口減や高齢化が進んでいますから、今ではこの神社の手入れをする氏子さんも途絶えてしまったのでしょうか。


稲荷神社を左手に見送って道の続きを進むと、水路沿いに奥へと伸びているのが金比羅山の参道らしい。
少し先で沢が二俣に分かれると、右俣を橋で渡ったのち、左の沢に沿って道が続いていくようです。
しかしその道はすぐ、倒木に行く手を阻まれます。ここは右側は樹木が密な急な崖、左側はすぐ沢に落ちていて、左右どちらにも逃げ道がない状況。だから倒木を乗り越えて進むしかなくて、少々手こずりました。
その後も倒木に塞がれた箇所を何度か突破することに。もう金比羅山も日常的にお参りする人がいないのかも。
ジグザグを刻む道自体は今なおしっかりと残り、昔の人達が良い道をと苦労して作り上げたことが窺えます。
中腹あたりには、立派な石垣と、そこに祀られた大小2体の石仏が現れました。前出のサイトによれば、それは倶利伽羅不動と呼ばれる水神さまで、手前(大)が明治時代、その後方(小)は江戸中期(安永年間)の作だとか。
山の上部では勾配が増して、しばしば石段が見られるように。相当の手間をかけて拓いた道なのでしょう。
朱塗りの鳥居が現われれば、山頂まであと少しです。
鳥居をくぐると、その先がもう最後の登りです。山頂に鎮座する金刀比羅神社も見えてきました。
金比羅山の山頂に到着です。道が荒れていたことで少し心配だった金刀比羅神社(扁額にそう書かれていましたが、文献により金比羅神社・金毘羅神社などの表記も見られます)は、きれいに整えられている印象でした。
唯一見つかった山名標は、かすかに「金比羅山 274m」と読めました。展望はこの通りほとんどありません。


この金比羅山から次の天合峰までは、尾根伝いに歩くことができ、距離も短いものですが、そこにマトモな道はない模様。そして金比羅山の先には、登ってきた道を除くと、南へ向かうしか歩ける所がなさそうでした。


なので南へ進むと、配水場の給水タンクがあり、その敷地との境界らしいフェンス沿いに細い道を進みます。
すると今度はネットが張られた突き当たりに出ました。左側には先程からのフェンスが続き、正面を新たに現れたネットに阻まれて、そこでは右折することしかできません。ネットの先は伐採され尽くして広大なハゲ山と化し、見通しが良いから近くの宝生寺団地が手に取るようです。金比羅山の南面が開発中という情報は得ていたけれど、ここまで大々的に景観が変えられているとは‥‥。このあと、そこに一体何ができるのでしょうか。
仕方なくネット沿いを右へ進みますが、そこがちょうど天合峰へと続く尾根筋になっていて好都合でした。
ネットの向こうには、眼下の宝生寺団地越しに、高尾界隈の山々を眺められています。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さらに右(進行方向側)には、奥高尾~生藤山あたりの山並みも。生藤山自体は見えていませんでしたが。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
元々は道なんてないらしかったのに、ネットが張られその脇しか歩けなくなって踏み跡が集中するからか、そこがしっかりした道同然になっていました。とはいえ棘のある植物が少なくなく、決して快適には進めません。
ネットが尾根から離れていった先でも、尾根筋にうっすらした踏み跡が続いていて、迷うことなく進めます。
しばらく進むと、尾根筋にネットが復活して、再びその脇を進むことに。こうして見ると、ネットの向こう側には若木が整然と並んでいて、開発による伐採というより、樹木の植え替えっぽい。花粉対策とかになるのかも。
次にネットから離れるのは、天合峰にかなり近付いた頃。その先にも尾根筋の踏み跡は続き、結果的に金比羅山~天合峰の間は、尾根を外さなければそこに必ず踏み跡があり、それを追うだけでも歩けるような状況でした。


天合峰に着きました。ここは東麓に広がる八王子市川口町の1番地に当たり、川口の村社だった日枝神社の所有地で、地元の方々にとって特別な意味を持っている場所なのだとか(前出のサイトより)。
でも今ではきっと訪れる人も稀なのでしょう。前出のサイトでは、古くからの言い伝えや戦時中の逸話など、興味深い話がいくつも語られていますが、残念ながらそんな貴重な歴史も次第に忘れ去られていく運命なのか。
前2枚の写真でもそれら以外の物は何も写っていませんが、三角点と2つの山名標があるだけの山頂です。三角点の等級は三等、点名は「天狗塚」で、ここが昔「天狗峰」と呼ばれていたことに由来する名前なのかも。
それらのうち、地面に置かれた、石に書かれた山名標をアップで。標高が「299.9」となっており、地形図を過去に遡ると三角点「天狗塚」の標高が299.9mなのは1980年代の版までらしいので、その頃からある物なのか?
展望はほぼ「無い」ながらも、今の時期なら、北西側を良く見れば、葉を落とした樹木越しに大岳山の特徴的な形状をしたピークを視認することができ、それを手掛かりに左右に連なる山々も推定できたりしています。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
でも北西側以外の方角になると、この時期ですら満足な眺めなどなく、山座同定する気にもなりませんでした。


天合峰からは北へ下ります。少し下ると分岐があり、なるほど地形図にも分岐が書かれているから、ならば直進のはずと真っ直ぐ進んでみたら、すぐに道が途絶えます(あれ?)。戻ってここを右に下るのが正解でした。
その後はもう紛らわしい分岐もなく、歩きやすい1本道が続きます。そういえば、先程山頂に着く直前に右から別の道を合わせていたので、きっとそれが地形図の東からの破線路で、道の付き方が変わったのでしょう。
しばらく下ると道の脇に整理された区画が現れて、低山だけにあっという間に人里近くに出てしまった様子。
その後は、なぜか道の両脇にだけ樹木が並木のように細長く並ぶ一帯を進みます。両側とも樹木列の外側は開けた土地になっているから、何らかの開発が及んでいて、開発を免れた道の部分にだけ樹木が取り残されたのか?
さらに進むと左側の樹木が途切れて開けた土地が露わに。注意書きによると土地区画整理事業の事業地だとか。
ほどなく、道は畑の中を通って進むようになり、山頂からほんの20分ほどで下山してしまったのでした。
作業道に出たら、最後に寄る予定のお社が見えてきて、正面は反対側だけどここからも入れそうなので‥‥。
この金精稲荷には裏から入って正面に回りました。ここで時間調整しつつ、身支度などもさせてもらいます。
あとは短い石段(元々の予定では入る時にもここを登るつもりでした)を下れば、すぐ下がもう車道です。
そこから集落までも僅かな距離で、その先にはバス通りに沿って並ぶ建物などももう見えています。
圏央道上川橋バス停で八王子駅行きのバスを待ちます。途中からは立ち客も出るほど利用者の多い路線でした。


タグ:高尾・陣馬
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

犬目丸・荻ノ丸 [高尾・陣馬]

2023/12/28(木)

■第474回 : 犬目丸(870m)・荻ノ丸(794m)


今回は、山梨百名山として知られた扇山の手前に位置し、恐らく扇山とセットで登られることが大半で、単独で歩かれることなど少なそうな、地味な2座を巡っています。

ただ、これが今年の歩き納めだったというのに、
  ●コースの途中で斜面崩壊による通行不能箇所(※)に直面して、引き返す羽目に(一般登山道なのに‥‥)
  ●別の登山口に転進して改めて登り直したら、今度はそちらで道迷い(これは自分が悪いのだけれど)
  ●しかも体調が本調子ではなく、予定していた3座目は割愛してそそくさと歩き終えることに
という、なんだか締まらない山歩きになってしまいました。

(※) 登山道の通行不能情報 (2024/01/04記)
旧君恋温泉(廃業)から不動の滝を経由して白馬不動尊(大滝不動)へ至るコースのうち、不動の滝と白馬不動尊の間が、斜面崩壊により通行困難になっています(ほんの短い距離なのですが)。
最新の登山地図で赤実線表記されている上、現地にも注意喚起等が一切見られなかったので、登山道が決定的なダメージを被ったのは比較的最近のことなのかもしれません。

さらにもう1点、
  ●富士急バス「四方津駅-犬目」線が、いつの間にか冬期運休になっていた!
というのもあり、これも登山者にとって結構インパクトの大きなダイヤ改定になろうかと思います。

実はこの計画、数年前に作ってストックしていたもので、元々はその路線の終点「犬目」をスタート地点とし、しかも年中いつでも出掛けられると思っていたものでした。ところが実行に移すにあたり、電車やバスの時刻を最新のもので補正しようとしたら、なんとバスの運行が11月末でとっくに終わっていて愕然!
扇山や百蔵山をバス利用で登るには欠かせない存在なのに、まさか季節運行になるなんて想像外すぎて衝撃的でした。こちらも今年3月発行の登山地図では通年運行の記載なので、4月のダイヤ改正で変更された模様。

だから一旦は実行を来春以降に先送りかなと諦めかけていたところ、犬目からそう遠くない山谷への路線なら通年運行で使えそうと分かり、スタート地点を山谷に変えて計画を微調整して、この日を迎えています。
温暖化が進んだ今、この程度の標高の山なら12月なんてまだ夏山と同じ要領で歩けますから、冬期運休するにしてもせめて1~3月くらいにして欲しいところで、影響を受ける登山者も少なくないのではないでしょうか。

 累積標高差(登り):594m / 距離:10.5km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 06:18-06:40 八王子 06:46-06:53 高尾
高尾 07:07-07:36 鳥沢 07:46-07:55 山谷

(登山行程)
山谷バス停    08:00
白馬不動の滝   08:30-08:35  ※滝の前から白馬不動尊へ登ることができず、引き返しています
白馬不動尊の鳥居 08:50
白馬不動尊    09:15-09:20  (大滝不動)
犬目丸      09:55-10:00
荻ノ丸      10:10
新田下バス停   10:35
大野展望台    10:40
大目バス停    11:05
大野貯水池    11:15-11:55
大野貯水池バス停 11:55

(復路)
大野貯水池 11:59-12:04 四方津 12:32-12:53 高尾
高尾 12:54-13:00 八王子 13:20-13:43 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR中央線を鳥沢駅で下車します。一般的には仕事納めとなる日でしたし、行楽客なんて私だけだったような。
バス停は、駅前の通りに出てすぐの所にあります。平日だけの路線で、この日が年内の最終運行日でした。
終点の山谷で下車します。乗客は私だけでしたし、折り返す便を待つ人もここにはいませんでした。
山谷バス停にはベンチのあるちょっとした広場があって、そこからは笠雲を被った富士山が見られました。富士山の左手前に重なって淡く見えているのは鹿留山、写真右端で電線と重なって見えているのは九鬼山です。


山歩きを開始。まずは県道30号(大月上野原線)を進みます。山の中に入り込んだ路線だから、ほとんど車が通らなくてのんびり歩けるとばかり思っていたら、時々車が行き交う程度には交通量があるのが意外でした。
しばらく進むと古道への入口があります。ストリートビューによるとここに立っているはずの道標は‥‥
倒れて地面に転がっていました。整備に手が回らなくなっているのでしょうか。
古道に入るとそこはかつての甲州街道で、ほんの一部ですが残された石畳の上を歩くこともできました。
でも古道の面影が残っているのはわずかな区間だけ。すぐに人家が現れると舗装道路に変わってしまいます。
舗装された古道区間すらも長くは続かず、間もなく県道に合わさると、今度は県道脇に別の遺構が現れます。
それが恋塚一里塚。甲州街道の21番目(日本橋から21里)のもので、街道南側の塚だけが残っていました。


さらに進むと、次に現れた道標が君恋温泉(すでに廃業)への道を案内していました。この道標はきちんと立っていたけれど、それに従って進んでも通れない場所があったので、その旨が追記されるべきだと思います。
でも、まさか通行不能とは思っておらず、道標に従って左へ戻るように鋭角に折れ、スロープを上がります。
道なりに進むと、ほどなく左手に現れる建物が旧君恋温泉。廃業したのが2016年頃と随分前のことだからか、外観からはかつて温泉宿だった面影を感じられませんでした(元々の外観もかなり地味だったらしいけれど)。
何も案内はありませんが、旧君恋温泉の前を左折して、建物脇の細道を上がります。
温泉宿として営業していた頃の看板は、畑を守るフェンスとして再活用されていたようです。
すぐに森の中へと入ると、しばらくの間は、ほどほどの傾斜で楽に登れる、歩きやすい道が続きました。
が、右手に鉄パイプの手摺りが付けられた鉄階段が現れると、歩きやすかったのはここまででした。
やや急な階段です。さほど長くはないものの、せっかく登ってきたのに下っちゃうのが少々ちぐはぐな感じ。
階段の先には仮設通路のような橋を渡る箇所もあって、とても素直な道筋のようには思えず、君恋温泉への客寄せのため強引に通した道なのではと、そんな印象を持ちました。実際のところ、このコースは山谷・犬目どちらのバス停からも遠回りになりますから、ここを歩いたのはもっぱら温泉客だったと思われますし。温泉宿が営業していた頃は、往来の安全確保が集客上不可欠とみて、この道の維持にも力を入れていたことでしょう。
ところが沢沿いに出ると、進路が倒木で塞がれていました。君恋温泉の廃業後は歩く人が減って、それで整備も手薄になってしまったのでしょうか。ここは障害物が細い樹木だったので、乗り越えて進めましたが‥‥
沢を越えて進むあたり一帯が、すでに道の体をなしていません。対岸は鉄階段の上に白馬不動尊の建物が見えていて、そこへ手が届きそうな距離なのに、鉄階段までの道がどこにあるのやら、相当に悪そうな感じ。
以前なら滅多にないような激しい豪雨が近年は相次いで起こり、登山道の被害も各地で頻出していますが、ここもその中に入るのでしょう。とりあえず、沢には下りることができたので、沢床から上流側を見ると‥‥
白馬不動の滝を間近から見上げられました。この時は水量がわずかで、穏やかという印象を通り越して、むしろ貧相な滝に見えてしまったのですが、周囲の地面が荒れていて殺風景だったこともその一因だったかと。
で、肝心の道の続きといえば、鉄階段までのほんの3~4mが、崖に近い急斜面になっているばかりか、地面全体が湿り気を帯びてグズグズだから、どこに足を置いても滑るばかりでただ立つだけでも苦労する有様。
きっと、元々の地盤があらかた削られた上に、今も刻々と崩れ続けているような状況なのか、安定した地面を全く探せないから途方にくれました。一旦は両手をついて這うように登れないか試みてみたものの、不安定な斜面のどこにも体重を支えられるだけの足場を見出せず、このたった3~4mがどうしても上がれません。強引に登ろうとしたら、途中で足を取られて濡れた地面を滑り落ち、泥まみれになるのが関の山だったでしょう。
仕方なく、ここで引き返すことにしました。幸いに、割と近いところに白馬不動尊へ上がれる別の道があって、登山行程へのダメージは少なくて済むのです。しかしながら、ここで30分ほど無駄にしたことで、下山後に大野貯水池から乗る予定だったバスに間に合わなくなり、四方津駅までの余計な車道歩きが確定です。
なお、この箇所については、これだけ地面が流されてしまった以上、もう道を再生するのはきっと難しいでしょうから、再び人が通れるようにするには、鉄階段を沢床まで伸ばすくらいしか手がないように思われます。


ということで、先程の県道まで引き返してきました。すでに書いたことの繰り返しになるけれど、ここに立つ道標には、示している道が通行困難であることがきちんと明示されるべきでしょう。
県道を5分も歩けば、赤い鳥居が見えてきました。実はここが、最初に計画を立てた時点(=犬目バス停から歩き始めた場合)の登山口だったのです。スタート地点を山谷バス停に変更した際に登山口も変えたのは、上の写真の地点からこの鳥居までが下りになり、せっかく上げた標高を手放すのが勿体なく思えたからなのでした。
「白馬不動尊」と掲げられた鳥居をくぐり、ここから改めて登り返します。鳥居があるってことは、ここからは不動尊まではかつての参道のはずですから、先程の道のような歩きにくい箇所が現れることもないでしょう。
そう思って気が緩んでいたからか、最奥の廃屋を見た先で、こんなふうに道を外してしまいました。
ここで左折するのが正しいのに、そちらは道の所在があまり目立っておらず、直進方向(この写真では右端)が道の続きに見えたのです。あとから写真を振り返っても、これは致し方なかったかなと思える状況でした。
次第に路面が荒れてきて道っぽさが薄まり、早速違和感を感じ始めていますが、地面には踏み跡が豊富でしたから、まだ道を外したと確信ができていません(過去に同じような状況に陥った人が多くいたからでしょう)。
でも、進むにつれて急勾配になり、足場もいっそう荒れ放題に。これはさすがにかつての参道の姿ではないと、またもや引き返す羽目になりました。さほど深入りはしなかったので、浪費した時間は10分ほどだったけれど。


どこかに別の道があるはずだと、3枚上の写真の地点に戻ったところで左側の様子を窺うと、少し鬱蒼として見えていた箇所を抜けた先に、こんな穏やかな道が続いていました。これこそ参道の続きで間違いないかと。
とはいえ、穏やかな道が続いたかというと決してそうでもなく、じきに勾配がきつくなると道幅も狭まって、それまでの参道らしい佇まいはどこへやら、しまいには登山道さながらの様相となりました。
10分ほど登って小さな広場に差し掛かると、その奥に先程も滝の近くから見ていた白馬不動尊が現れました。
不動尊への石段を登る前に、道標が案内する不動の滝への道(写真左端)に入ってみます。もはや滝まで下れない状況なのに、道標がそこに触れていないのは、通れなくなってまだあまり日数が経過していないからなのか?
鉄パイプの手摺り沿いに下り始めるとすぐ、ついさっきたどり着けなかった鉄階段が左下に見えてきました。
鉄階段の上部から沢を見下ろしました。階段は沢床まで届いていませんし、階段がなくなった先も、階段と同じくらい急傾斜の地面しかないことがお分かり頂けるかと。無理に下ろうとしたら、高確率で滑り落ちそうです。
手前の小広場に戻って石段を上がれば、白馬不動尊(登山地図では大滝不動)の前へ。やっと着きました。


白馬不動尊で少し足を休め、気持ちも整えたら、道標に従って軽く登ると、犬目から上がってきた扇山への登山道に出ました。ここから先は良く歩かれている道ばかりが続くはずなので、あとは順調に進めることでしょう。
扇山への登山道を歩くのは3回目。それなりに登らされますが、急すぎない一定の傾斜が続いて、歩きやすい。
せっかく道の状況に不安がなくなったのに、間もなく尾根に上がろうかという頃から、今度は体調が少し変に。
でも普通に歩けることは歩けるので、そのまま進んで尾根に上がったところが分岐点です。ここまで登った人は一般的には扇山を目指しているはずなので、その場合は左へ進みますが、今回は扇山を目指さないので右へ。
すると、穏やかな尾根が続くようになって、イマイチな体調でもこのあたりは気持ち良く歩けました。
分岐点から5分ほどで、最初のピークとなる犬目丸が見えてきました。ここを登れば頂上です。
犬目丸の頂上は、樹木が残されていてさほどの広さはなく、腰掛けるのに適当な物も何もなかったりして、寛いで過ごせる雰囲気ではありません。また意外にも私製の物を含め山名標なども一切見当たらないようでした。
その代わり、南面の樹木が広範に伐採されていたことで、道志の山々などがズラリと並ぶ展望を楽しめました。富士山は朝方よりも雲が増えていて、その中に隠れつつあるのが残念でしたけれど。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに少し左を向けば、下山予定地の大野貯水池もしっかり見えていました。これからあそこを目指します。


犬目丸から軽く下り、東側に隣接する小ピークに差し掛かると、登山道はその手前からピーク右側を巻き気味に進んでしまいます。でも地形図に標高点が打たれたピークなので、一応寄ってみようとここを直進しました。
ここが861mピーク。普通に森が広がっているそのただ中というだけで、特別な景色は何もありません。
樹木には「犬目丸 861m」なる私製のプレートが掛かっていたけれど、地形図に標高点が書かれているからといって、そこが山の頂上になるという訳ではないのよ。それと、写真左下の三角点風の標石は何者なのだろう?
その先も快適な尾根道が続くのに、体調面の不安から次第に楽しむ余裕がなくなって、黙々と歩くばかりに。
本日2座目となる荻ノ丸も、先程のピークと同様に登山道は少し手前のここから右側を巻いてしまいます。
なので再び登山道から外れて直進してみます。ここが荻ノ丸なのですが、山頂然としたところがおよそ見つからない地味な地点で、山名が付いているのを不思議に思ったくらい。これなら登山道も巻いていて当然だわ。
私製の山名プレートが樹木に付けられていた以外は何もなく、来た意味をほとんど見出せないような場所です。体調も芳しくないことだしと、写真だけ撮ったらとっとと下山を始めてしまいました。


荻ノ丸からは勘を頼りに最短で登山道に戻れそうな方向を探りながら進んで、ここで登山道に復帰です。
あとはグングンと下るようになって、良く踏まれた道は、段差などがない素直な坂道で歩きやすかったです。
下る途中、登山道をわずかに左に外れたところが少し開けていて、金毘羅社の小さな社が鎮座していました。
金毘羅社の前からは、目指している大野貯水池の方角を見下ろせて、だいぶ近付いてきているようでした。
金毘羅社を過ぎるとジグザグ道に変わって、さらに下り続けます。
樹木越しに下の集落が見え隠れし始めたあたりに分岐があり、集落に直行する道を選んでここを右折します。
ほんの1~2分で森の中から抜けると、そこには何やら建物が建っていました。
正面に回っても良く分かりませんでしたが、Googleマップによればここは「丹勢神社」。山梨県神社庁のウェブで丹勢神社を検索すると「金毘羅社」との記載もあって、登山地図では「金比羅神社」となっていました。


丹勢神社から短い石段を下れば、もうそこは大野集落(新田地区になるのかな?)の中です。
少し広めの車道に出て右折すると、すぐ次の角で左に分かれる小道があり、道標の案内に従ってそちらへ。
小道を下って一段下の車道が見えてきたら、それが最初に歩いていた県道30号(大月上野原線)の続きです。
県道30号に出たところには新田下バス停があります。でもここを通るのは12月から冬期運休と知ってアプローチに使えなくなっていた犬目への路線なので、次にバスが来るのは来年4月でしょう(廃止にならなければ)。
そしてバス停の向かい側に小道の続き(?)があって、四方津駅への道標もそちらを案内していましたが‥‥
Googleマップで見つけていた「大野展望台」とやらへ寄り道すべく県道を左へ進むと、すぐ近くにありました。
それは右手の斜面に張り出すようにして造られた展望台で、南側に連なる山並みを結構広角に見渡せるものでした。現地には何も表示がなくて、「大野展望台」という名称が適当なのかハッキリさせられませんでしたが。
展望台からは裏丹沢や道志の山々を一望です。残念だったのは富士山がほぼ見えなくなっていたのと、条件が良ければ道志の稜線上に顔を出すはずの蛭ヶ岳・檜洞丸や大室山など丹沢核心部の山々を見られなかったこと。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
でもさらにその左には、高尾方面の山々も眺められていて、なかなか贅沢な展望だったと思います。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


展望台の脇にもスロープがあって、ここからも先程道標が案内していた小道に出られそうと降りてみましたが、私有地らしい畑の中をウロウロした挙げ句、小道へも大きな段差を無理に下る羽目になって、失敗だったかな。
なんとかその小道に降りて右へ進むとこのT字路へ。本来は写真右上から下って来るべきだった地点です。
T字路では道標が小道を外れてさらに下る山道を案内していましたが、文字はかすれて判読不能でした。
構わず山道を下っていくと、少々藪っぽい箇所の通過もあったりして、もうほとんど歩かれていない様子。
でも道は不明瞭にはならずに続いていて、ほどなく中央道脇の小道に出ました。フェンスの左側が高速道路。
少し進むと、中央道を跨ぐ歩道橋が現れますが‥‥
歩道橋を渡った先が工事で行き止まりらしく、通り抜け不可の看板が。元々はこれを渡れば談合坂SAに出られたのに、その行き来ができなくなったことが、ここまでの道が歩かれなくなっていた要因でもあるのでしょう。
でも通り抜け不可の情報は事前に得ていたので、予定通りに先の車道まで進み、この橋で中央道を渡ります。
車道をしばらく下って、大目バス停まで来ました。
ところで元々の計画では、この先を右折し、さらに御春山にも登っていく予定だったところ、体調がおかしなまま復調しないのが悩ましくて、ここまでの道すがら考えた末、御春山へは向かわないことにしました。
御春山へ登ったら、すでに書いた通り下山後はバスを使えず、四方津駅まで歩き続ける必要があるのに対して、このまま歩き終えればバスに乗れて楽に帰れることもあり、無理をしないメリットがより大きかったのです。
そうとなれば、この大目バス停で待っていてもバスは来ますが、50分後では時間を持て余すにも程があり、ただ歩くだけなら差し支えない程度の調子でもあったので、大野貯水池までは行ってしまうことにしました。


てなわけで、バス通りをそのまま歩き続けていると、やがて道の右側に貯水池の一部が姿を現しました。
さらに近付くと、車道と並行する遊歩道が始まって、車を気にせず池畔をのんびりと歩けるように。
貯水池越しに対岸に見えていたのが、登るのを諦めた御春山。こんな景色の中、池畔を半周近く歩きます。
大野貯水池の、堰堤脇の広場まで来ました。バス停もすぐ近くにあって、本日のゴールがここになります。
あずまやといくつかのベンチなどがあり、平日とあって訪れる人も少なく、静かに寛げる雰囲気でした。
大野ダムについての紹介や、周辺の観光案内などいくつかの看板を見て回ったあとは‥‥
このベンチでまったりと過ごしながら、バスの時間を待ちました。
大野貯水池からの眺めの中で、やはり存在感が大きかったのは間近にそびえる御春山でしょうか。
この日巡った山なども、少し遠くなった景色として見えていました。また池畔には桜並木が続いていて、春の花見でも少し知られた場所になっているようです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
最後はここからバスに乗って四方津駅へ。こちらも行きのバスと同じく、乗客は私だけでした。


タグ:高尾・陣馬
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

石砂山・峰山 [高尾・陣馬]

2023/11/29(水)

■第473回 : 石砂山(578m)・峰山(570m)


今回は2009年に登った石砂山と峰山を、当時とほぼ同じコースで再訪しました。登山道は相模原市内で完結し、交通機関での移動も大半が相模原市内に収まっている行程です(帰りに東京都八王子市を経由しただけ)。

相模湖の南西に位置するこの2座は、2009年の時点ですでに地味な存在だったところ、近年にはバス路線の廃止によるアクセスの悪化も重なって、さらに登山者を減らしているかもしれない状況です(石砂山については東海自然歩道のコース上ですから、アクセスの良し悪しによらず、訪れる人が一定数は見込まれそうですが)。平日ということもあってか、この日も出会ったハイカーはたった1人だけでした。

 累積標高差(登り):888m / 距離:10.7km / 歩行時間:3時間20分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:4時間45分 

(往路)
古淵 06:08-06:19 橋本 06:40-07:20 三ヶ木
三ヶ木 07:40-07:59 伏馬田入口

(登山行程)
伏馬田入口     08:05
(菅井分岐)     08:40
送電線鉄塔     08:45-08:50
石砂山       09:15-09:25
送電線鉄塔     09:40
(菅井分岐)     09:45
伏馬田城跡     10:10-10:20
仁の丘       10:30
旧菅井下バス停   10:40
綱子天神峠     10:55
峰山        11:25-11:45
やまなみ温泉バス停 12:10

(復路)
やまなみ温泉 12:46-12:58 藤野 13:05-13:18 高尾
高尾 13:21-13:27 八王子 13:40-14:03 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

2009年は北麓の篠原というバス停から歩き始めていた石砂山も、バス路線の廃止により現在そこにはデマンド運行の乗合タクシー(※)でしか行かれないので、今回はスタート地点を南麓に変更です。
※市外在住でも利用でき、当日の予約も可で、観光でも利用しやすいのですが、平日の早朝には運行がないのでした。

三ヶ木バスセンターから月夜野行きのバスに乗り継ぐのなんて、過去の記録を振り返ったら2008年以来で15年ぶりのこと。平日のこの日も10名前後の乗客があり、登山者姿の方も私のほかに3~4名ほど。私がこの伏馬田入口バス停で下車した後も、ほかの皆さんは乗り続けて行かれたので、もっと高い山へ向かわれたのでしょう。
バス停から戻る方向へわずかに歩くと、すぐのT字路には道標が。今回歩いたコース、峰山の手前にある綱子天神峠まではずっと東海自然歩道と重なっているので、少なくともそこまでの道案内は万全なのでした。
亀見橋で道志川を渡ります。ここまでほぼ下る一方でしたから、いつもならスタート地点の標高になることが多い「登り始めた地点の標高」(ウェブ版の記事で使用する値です)を、今回はこの地点の標高にしました。
橋の上から上流方向を眺めます。存在感を示していた大室山も、2006年に1度登ったきりご無沙汰だこと。


車道歩きは伏馬田集落まで。ここで進路が少々変則的になるものの、道案内は分かりやすくて親切でした。
歩いて来た車道(写真手前)から右折して細道に入り、すぐさま左折するという、Z形の経路をたどります。
細道を少し上がった所に東海自然歩道の案内図が。これと同じものを、このあと何度も見ることになります。
その案内図を背にして、この細いスロープへ。道標による案内は十分で、進路は間違いようがないほどでした。
スロープを上がるとすぐに森の中へ。でも山道が始まったかというと、実はそうでもなくて‥‥
しばらくの間は石畳の道が続きました。東海自然歩道だけに、整備にも手が掛かっているなぁ。
石畳の道は10分近く続き、ようやく山道に変わったのは、庚申塔が立つ小さな広場が見えてきたあたりでした。
そこが、伏馬田入口バス停から石砂山までのほぼ中間点だったようです。車道はもちろんのこと、石畳だってあまり山歩きらしいとは思えず、そんな道でもう半分近い距離を進んじゃっていたんですね。


深くえぐれた山道が始まると、勾配もいくらか増したようで、少し息が上がるようになりました。
でもひとしきり登ると、緩やかな尾根道に変わって、そこから先は比較的楽に歩けるように。
その後は一旦下ったりする区間を挟んで、下り切ったあたりから見上げる石砂山は、きれいな双耳峰であることが良く見て取れました。右側が目指している最高峰の東峰になります。
登り返した先は分岐点になっていて、東海自然歩道はここで左からサブルートが合わさります。ここから、まずはメインルートを先へと進んで石砂山を往復し、またここに戻ってきたら、今度はサブルートに入る予定。
その先に送電線鉄塔が現れると、送電線沿いだけでなく周囲まで広く開けていて、ちょっとした展望地に。
まだ標高が低いので、あまりスカッとした眺めではないながらも、北西側は結構広範囲の山々を望めました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
上と同じく北西側の展望で、大菩薩や奥多摩あたりの山並みを少し大きく写してみたのがこちら。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
振り返ると南側には丹沢主脈の焼山が見えていました。
展望を楽しんだのち、鉄塔を後にして歩き始めると間もなく、石砂山から下ってきた犬を連れた単独行の女性とすれ違います。その時は、さすが東海自然歩道だけに平日の朝早くでも歩いている人がいるものだなぁ、と思ったのでしたが、でもその後はもう誰とも会わず、その方がこの日見掛けた唯一のハイカーとなりました。


道が再び森の中へと入ると、石砂山への登りもそこからが本番といった具合に。
とはいえ当面はさほど急な登りにはならず、割と一定した勾配が保たれていたようでリズム良く登れました。
でも道が尾根を外れて山腹のトラバースになると、片斜面の歩きにくい区間も。足元に注意しながら進みます。
トラバースを終えて乗り上げたところが、双耳峰の鞍部です。右に折れて東峰へ向かう前に左側を窺うと、意外にも西峰には明瞭な道が付いていない模様でした(落ち葉で分かりにくかっただけかもしれませんが)。
そこからは急な木段に変わり、50mほどを一気に登るので、それなりにきつかったです。
到着した石砂山の山頂は、明るく開けた感じの居心地の良い場所。自分だけでしたから静かに過ごせました。
テーブルとベンチのセットが2組あり、山頂標柱も東海自然歩道(左)と旧藤野町十五名山(右)の計2本。
大室山や加入道山の右には、下の展望地からだと見られなかった富士山がチラッと顔を出していました。木々が葉を落とし始めていてこの見え方ですから、緑が濃い時期だともう少し見通しが悪そうですけれど。
    ※下の写真にマウスを乗せると、富士山をアップにして表示します。


山頂での休憩後は来た道を引き返します。登る時でも気を遣ったトラバース区間の片斜面は、下りだと余計に落ち葉が滑りやすくなったので、足を取られないよう慎重に通過する必要がありました。
メインルートとサブルートの分岐点まで戻ったら、登ってきた道を左に見送って、サブルートへ直進です。
サブルートとはいえ、道幅がいくらかは細くなったのかなという程度の、しっかりとした道が続きました。
軽いアップダウンを何度かしつつ進む道は、落ち葉が溜まったフカフカの感触が心地良く、歩いていて楽しい。


次の分岐点まで来たら、東海自然歩道から一旦外れて左に折れ、伏馬田城跡へ寄り道する道に入ります。
すると、あまり盛んに歩かれている感じのしない、やや心許ない道に変わって、先行きが不安になったりもしましたが、先の方を良く見渡せば目印となる木段が目に入ることが多くて、道を見失わずにすみました。
しかしそこはなかなかの急斜面。木段にも段差の大きな箇所が多くて、登り切るのに少し骨が折れました。
木段を登り終えれば、比較的穏やかな尾根上に出て、あとは小さなアップダウンを残すのみとなります。
途中にあった休憩用のテーブルとベンチは、地元の方が設置して下さったのか、手作り感満載のものでした。それはともかく、このあたりに右に分かれる下山路があるはずなのに、それが見つかりません。おかしいなぁ。
結局、下山路を見ないまま、先に伏馬田城跡に着いてしまいました。樹林に囲まれて展望のないピークです。
伏馬田城跡の標柱と樹木の説明板があるだけで、伏馬田城に関する解説等はなく、素人目に分かるような遺構もなさそう。展望も楽しめませんし、ピークハントが目的でもなければ、わざわざ来るほどの場所ではないかも。
古びた石塔が並んでいたほかに歴史を感じさせる物はなく、ベンチもないので、立ったままで少し休むことに。
そんな地点でも、れっきとしたピークではあるので、登った山の一座にカウントしたいところなのに、ここは残念ながら一般的には山としてみなされていないようです。「尾崎原山」という私製のプレートがあったものの、その名前もほとんど浸透している様子がなく、この記事でもその山名を前面に出すのは見送りました。


さて、まだ見ていない下山路はどこだろうと、左手の景色に注意しながら来た道を戻っていくと、テーブルとベンチがある所をわずかに過ぎたあたりで、左へ分かれていく木段を発見。きっとここを下れば良いのでしょう。
上の写真でも左下端に写っていますが、道標らしき物が木段脇の地面に転がっていて、書かれていた文字もすでに判読不能でした。ここまでの道案内がしっかりしていた様子から、分岐点には確実に道標が立っているだろうと思われて、来る時もそれを手掛かりに下山路を探そうとしていたから、それで見落としていたようです。
そこからはジグザグの木段をしばらく下ることに。こちらの道もやはり歩く人は少ないのか、木段はどこもこのように落ち葉に埋もれがちで、周囲を良く見回さないと道の続きが見つからないこともたびたびでした。
人里近くまで下ってきました。正面に見えているのが次に向かう峰山で、麓から改めて登り直す具合ですね。
もう少し進むと、とても気持ち良く過ごせそうな小さな広場に出ます。桜が咲く頃の景色も魅力ありそう。
そこは「仁の丘」と名付けられていて、2009年にはテレビドラマの撮影地になったことがあるようです。
近くのあずまやには、尾崎城(伏馬田城の別名)に関する説明書き(のA4紙コピー)が置かれていたので、一部頂きました。それによると、城の遺構は山中よりもむしろこのあたりの山麓一帯で多く見られるらしい。


完全に人里まで下りてきてしまったので、「仁の丘」から峰山へのアプローチは車道歩きになります。
最初のカーブで、一旦離れていた東海自然歩道が合わさります。もしも伏馬田城跡への寄り道をしなかったら、右の山道からここに出てくることになったのでしょう。
細い道を10分ほど進んで県道76号(山北藤野線)に突き当たると、そのすぐ先にあるのが、かつては‥‥
路線バスの「菅井下」バス停でしたが、バス路線の廃止により、現在は乗合タクシーの停留所になっています。
県道を歩く距離は短くて、次のカーブからまた細い道へ。峰山へ向けての上り坂は、ここが始まりでした。
その後、小さな集落で曲がり角の右折を2度続けますが、東海自然歩道だけに道案内は万全でした。
数軒ばかりの家屋がすぐに見られなくなると、やがて舗装が途切れて砂利道に変わるこの地点では‥‥
左側が畑地になっていて開けていたことで、丹沢主脈の山並みを眺められました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その先ではしばらく砂利道を登り続けます。山道に近い勾配がありながら、道幅は広く車の轍もしっかりついていて、時には車両が通ったりもしている様子ですから、気分的にも車道歩きの延長のようでした。
そんな林道っぽい道を5~6分ほど登ると、少し開けた地点に出て、そこが分岐点にもなっていました。
休憩用のベンチがあり、日当たり良好で明るくて居心地もまずまず。ひと息入れていくには格好の地点です。
道端には道しるべを兼ねた供養塔がたたずみ、奥の木の根には「綱子天神峠」と書かれたプレートも。登山地図では「青根・峰山分岐」としか書かれておらず、登山者にはほとんど浸透していない地名ですが、環境省や神奈川県が東海自然歩道の案内中で使用しているので、この記事でもここを「綱子天神峠」として記録しました。
そして、スタート地点以来たどってきたその東海自然歩道とは、この綱子天神峠でお別れとなります。左折して続いていく東海自然歩道を見送り、峰山を目指して直進すると、その先は山道に変わりました。


すぐに綱子への道を左に分ける地点に出ると、そこにもしっかりとした道標が。峰山周辺は地元の方々が整備に手を掛けて下さっているのか、東海自然歩道を外れた後も道案内はきちんとしていて、結局この日は最後まで進路には全く不安を感じずに歩き通せています。行く手には送電線鉄塔が見えていて、そこまで進むと‥‥
開けていた西側に並んでいる道志の山々を眺めることができました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
送電線鉄塔の脇を抜けた先に、なぜかそこだけ藪の深い一帯がありました。ほんの短い間だけでしたが。
その後は小さなアップダウンを繰り返す程度の穏やかな道が続くようになって、比較的快調に歩が進みます。
再び綱子への道が左に分かれます。各分岐点ではこうして旧藤野町が設置した道標が行先を示してくれました。
そしてその先になると、道は穏やかどころか、むしろ下ってばかりになってしまいます。今は楽に歩けて良いけれど、下った分だけ峰山への登り返しが大きくなる訳ですから、あまり下って欲しくないのが正直なところ。
ようやく道が登りに変わると、分岐点に差し掛かります。地図では三差路として書かれている地点なのに、現地には十字の形状をした道標が立ち4方向に指示標が出ていたので、おや?、と思って確かめてみると、、、
以前はここでも綱子への道が分かれていた様子。恐らく現在は廃道で、それで地図からも消されたのでしょう。
分岐点を境に登山道の様相は一変し、直進するなりただちに急登が始まります。結構な勾配の斜面を直登するから、ここでもう十分にきつかったのだけれど、でもこんなのはまだほんの序の口に過ぎなかったのでした。
ひとしきり登るとまた分岐があって、先程の分岐を右折して若干巻き気味に進んできた道を右から合わせます。
すると、急登はその先でさらに輪がかかり、段差の大きな木段が延々と連なって、もう苦しいのなんの。
容赦のない激登りは、しまいには木段に手すりまで付く始末。しかも、いくら登っても全然終わりません。
どこまで続くんだこれ。見上げる限り木段が果てしなく延びている、ずっと変わらない景色にも凹まされます。
どうにか登り切れば、もう山頂は目前でした。最後に短い木段がもう1度現れて、トドメを刺されましたが。


峰山の山頂は、樹木にぐるりと囲まれたやや鬱蒼とした雰囲気と、わずかな木漏れ日がもたらすいくらかの明るさとが同居して、漂う空気にも何らかの神妙さのようなものがあるような、そんな場所でした。
旧藤野町十五名山の標柱のほか、峰山についての紹介などを記した2種類の解説板が立てられています。
古来より信仰の対象として崇められた山らしく、中央の一番高い場所には古峯神社が鎮座しています。
古峯神社の小さな祠。中に祀られている社もささやかな感じのものでした。
山頂を囲む樹木も南西側は少し間引かれたのか見通しが確保されていて、「富士山と周辺の山々」と題された展望写真の掲示もあります。
なのにこの時の富士山は、纏わり付いた雲が頂上部をあらかた隠してしまっていました。石砂山にいた2時間ほど前は、もっとスッキリと見えていたのに(樹木の間から覗くような具合でしたけけど)、少し残念です。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
それでも富士山以外の丹沢や道志の山々は、逆光になりながらもきちんと眺められました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そのほか東側を少し望める場所もあって、先程までいた石砂山を振り返れたりもしています。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
少し場所を変えると、南東側に位置する宮ヶ瀬湖周辺の山々を眺められたりもしました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


ここまで、スタート地点を変えたほかは2009年と同じコースで石砂山と峰山を巡ってきましたが、その時に下山先に選んだ東尾垂の湯がかなり前に廃業してしまっているので、今回はゴール地点もやまなみ温泉に変更です。

というわけで、峰山の山頂を後にしたら北へと向かいます。下り始めのうちは、2009年と同じ道ですが‥‥
ほどなく現れる、2009年には左折していた分岐点を今回は直進、ここから先は今回初めて歩く道になります。
分岐点脇には古い分岐標識が倒れていました。すでに書いた通り、東尾垂の湯はもう廃業していますから、誤解を招かないように倒したのかな?(それなら中途半端に放置せずしっかり撤去してしまう気もするけれど)
分岐点の先で、道は急坂に突入します。かなり傾斜がきついのに、ここは木段などが一切ないただの坂道でしかなく、そもそもの地面が脆い上に大量の落ち葉が滑りやすさを増幅させていて、結構しびれる下りでした。
ほんの5~6分のことでしたが、急降下する途中はずっと気が抜けず、下りなのにひと汗かかされています。
下り切った所には「急坂コース」の標識。でも下る方がより要注意ですから、上の分岐にも設置が望まれます。
その後は穏やかな道に変わって、溜まった落ち葉を蹴散らしながら、気持ち良く歩けました。
やがて下のほうに建物などが見えてきて、山道も終わりが近くなったようです。
道はいよいよ集落へと近付いていき、ここで車道に迎えられました。
車道に下りたところから、登山口を振り返りました。
斜面の下にはゴールのバス乗り場がもう見えていて、あとはそこへ下るだけです(バス乗り場の上は石砂山)。
ここで時計を見ると、バスに乗る時刻まで40分近く時間を余らせていました。「山と高原地図」が峰山→やまなみ温泉間の下り標準タイムを50分としているのを見て、念のため余裕を持って行動していたためです。
でも「カシミール3D」が私が普段歩くペースを元に計算していた予測タイムは24分で、実際もそれに近い時間で歩けただけなので、この展開は予め織り込み済みでした。登山地図の標準タイムは、途中の急降下に手こずって時間がかかるケースも考慮して、やや長めに設定されているものと思われます。


やまなみ温泉のバス乗り場に到着しました。待合室やトイレなどが入った立派な建物を備え、バスの待機スペースも広くて、ちょっとしたバスターミナル的な施設です。それは、かつて東野や篠原へのバス路線が運行されていた時代に、ここがハブ(乗換拠点)として機能していたからで、それらの路線が乗合タクシーに変わった現在も、路線バスとの連絡拠点として活用されていることに変わりはありません。でも今は平日のお昼時、敷地内はもとより周辺の道路にも外を出歩いている人など皆無で、この時は集落全体が静まり返った雰囲気でした。
壁面には「やまなみ温泉 バス折返し場」とあるので、それが正式名称なのかな? 待合室にも入ってみます。
一般的な椅子のほかにソファーもあって、少し寛げる雰囲気。周囲の閑散ぶりから誰も来そうにないので、ここで着替えなどもさせて頂きました。もし同じバスに乗る人が現れるにしても、35分前では早過ぎるでしょう。
帰りの身支度を済ませたら、外で風に当たるほうが快適に過ごせたので、バス停前のベンチでバスを待ちます。ここには結局ほかに誰も現れず、発車後も次のやまなみ温泉入口で温泉客らしい方を1人拾っただけでした。

今回、記事のタイトルには低山を2つ挙げているだけですが、伏馬田城跡だってれっきとしたピークでしたから、3つの山を登ったと書くほうが実態に即していると思えるような山行になっています。
しかもそれらを縦走したというよりは、その間でいちいち麓まで下っては登り直すような具合になったり、時には急登や急降下で難儀する場所があったりもして、標高は低いながらもなかなかの歩き応えがありました。

タグ:高尾・陣馬
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ
前の3件 | - 高尾・陣馬 ブログトップ