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峯山・桔梗山・源氏山・鎌倉七福神 [東京・神奈川(平野部)]

2023/01/10(火)

■第460回 : 峯山(95m)・桔梗山(113m)・源氏山(93m)・鎌倉七福神


2023年の初歩きは鎌倉へ。一般的なハイキングコースがある大平山や衣張山など東側の山並みは前に歩いているので、今回はあまり知られていない西側の低山を訪れつつ、年始なので七福神めぐりも絡めてみました。

と書いたものの、実態としては七福神めぐりのほうがメインで、ついでに山と名が付く地点にもいくつか立ち寄った、というのが正直なところ。なにしろ、登った山はどれも標高が100mほど、地形的にも顕著なピークではなく、ちょっとした丘に上がった程度の感覚でしたから、これを登山と呼ぶのは少々大袈裟かもしれません。

 累積標高差(登り):508m / 距離:14.7km / 歩行時間:3時間45分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
南警察署前 05:50-05:58 相模大野 06:03-06:27 藤沢
藤沢駅南口 06:41-06:54 梶原口

(登山行程)
梶原口バス停 06:55
峯山     07:15
桔梗山    07:30-07:35
大仏切通   08:20-08:30
御霊神社   09:00-09:05  (福禄寿)
長谷寺    09:10-09:45  (大黒天)
本覚寺    10:10-10:15  (夷尊神)
妙隆寺    10:25      (寿老人)
宝戒寺    10:30-10:35  (毘沙門天)
鶴岡八幡宮  10:40-10:45  (旗上弁財天社)
源氏山    11:15-11:20
浄智寺    11:45-11:55  (布袋尊)
北鎌倉駅   12:05

(復路)
北鎌倉 12:11-12:14 大船 12:16-12:20 藤沢
藤沢 12:37-12:58 相模大野 13:10-13:20 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

藤沢駅からバスに揺られること10分少々、降りた梶原口バス停は、住宅地の真っただ中でした(幹線道路沿いですし)。こちらは藤沢駅に戻る方角で、駅ではまだほの暗かった空がようやく明るくなりきった頃合です。
こちらは進行方向。乗ってきたのは江ノ電バスでしたが、同じ場所に京浜急行バスのバス停もありました。
最初の交差点を左折後、すぐに右折してこの細い道へ。その先は、左に分かれて見えている坂道に入ります。
それが結構な急坂だったので、もうすっかり山の中に入っているような気になっていたら‥‥
意外にもまだ坂の先に建物が2軒あって、舗装された車道もそこまで続いていました。


ここからまずは、峯山と桔梗山を巡ります。知名度は低いながら、2座を巡る山道は地元の方による整備が行き届いている様子で、安心して歩けるコースだと感じました。
「葛原岡・大仏ハイキングコース」と接続していますから、源氏山とセットで歩くといったことなどもできますし、ハイキングのバリエーションに加えて足を延ばしてみるのも良いのではないでしょうか。

ただ、せっかく昨年8月に山と高原地図の特別版「三浦・房総」編が刊行され、その収録範囲に入ったことで、ようやく鎌倉エリアも登山地図の空白区から脱却していたのに、これから歩く峯山・桔梗山の一帯には登山道が描かれていないばかりか、山名の記載すらなくて、その存在が完全に無視された形になっています。
その代わり、「鎌倉峯山の会」のホームページ に詳しい情報が載っているので、最新情報はそちらでご覧ください。「峯山散策路案内図」の執筆日時点の版については、筆者が保存したものも下記リンクで表示できます。
(上図をクリックすると大きな地図を表示します)


さて建物の前を過ぎると、すぐに山道が始まります。良く踏まれている感じの歩きやすい道でした。
5分ほど登ると、道の左側に少し開けた場所があってベンチが置かれていました。
ベンチの傍に立って正面を見てみると、この写真では白飛びしているところに‥‥
富士山が、つい先程が日の出の時刻だっただけに、若干モルゲンロートっぽさが残って見えていました。標識等は何もありませんでしたが、ここが「峯山散策路案内図」で「富士見台」と書かれた場所なのでしょう。
なにしろ標高が低い山ですから、登り始めて10分ほどで、もう頂上近くまで来てしまったようです。八雲神社からの道を合わせる分岐点には、しっかりとした道案内も。
桔梗山と案内される方向に少し進むと、そこにもベンチが。
今度は海を眺められました。ここも標識等はなかったけれど、案内図に書かれている「汐見台」のようです。
その先で尾根道を外れて、右手に現れた広場へ。記憶が曖昧ですが、確か「峯山広場」と案内があった気が。
そのあたりは、1段下がった所にも広場があって、全体としてはかなり大きな広場になっていたようです。
そこからは軽くひと登りで、峯山の最高点らしい場所に到達。登り始めてから15分での到着でした。
少し通り過ぎてから振り返りました。丸太のベンチが少しあるだけの、さほど広くない場所は、居心地も割と平凡で、短時間の滞在だった私は立ったまま過ごしています。山名標などの標識類も見当たらなかったような。
展望も、海が先程の汐見台よりも広く見られるくらいで、樹木の間からなので大きな眺めではなかったです。


次の桔梗山を目指して、まずは北側に軽く下り、ここで尾根道に戻ります。
そこでは下ってきた道が「峯山々頂」と案内されていて、やっと先程の地点が山頂だったと確信できました。
緩やかな尾根道は、時々小さなアップダウンが現れる程度。急な傾斜などはなく、引き続き歩きやすいです。
ほぼ分岐点ごとに道案内があって、それがない所(確か1箇所だけ)も、どちらが尾根道かは明白でした。
何やら左手に立派な建物が現れて、しばらくはその敷地との境界を進みます。
それは2002年の移転時に鎌倉市に寄附された野村総合研究所の跡地です。周囲の敷地が開放されている一方で、年月の経過を経てかなり傷んでいるようにも見受けられる建物内は立入禁止となっていました。
前方にグラウンドが見えてくると(それも野村総研の跡地らしい)、桔梗山への案内がある道が左に分かれます。グラウンドへ直進する道のほうが良く歩かれているので、桔梗山に立ち寄る人はあまり多くないのかな。
桔梗山への道は少々頼りない感じで、時には足元の悪い急な登りも(ここには補助ロープあり)。
その後も道は細いまま。桔梗山の周辺は「峯山散策路案内図」にも記載がなくて、整備も手薄なのかも。
急な登りが収まった先にはモミジの大木が。この様子だと、つい最近まで見事な紅葉が楽しめたのでは?
モミジのすぐ先が桔梗山のピークっぽくて、その先は下りに変わる気配。ここには何もなかったのですが‥‥
そのまま進んでわずかに下ると間もなく、ベンチの置かれた場所が現れました。
そこを少し通り過ぎて振り返ったところ。道の奥に写っているあたりが、通過してきたばかりの最高点です。
ベンチ脇に立つ竹で組まれた道標兼用の標識が、現在地を「桔梗山 山頂」としていました。標高たった113mの超低山ながら、本日のコースではここが最高点。あまり寛げるような場所でもなかったけれど、急登が続いて身体が暖まってきていたこともあり、ここでウェアの調整をしつつ小休止していきました。


桔梗山を過ぎるともう急な箇所はなく、穏やかな道に変わって徐々に下っていきます。
所々に現れる分岐点には竹製の道標が立ち、茶室跡や大久保公園へと分かれる道を次々と見送ります。
ほどなく大仏ハイキングコースに突き当たりました。もし山歩きだけを目的に来ていたのなら、ここを左に折れれば源氏山が近いですし、健脚ならさらにその先で六国見山や大平山方面にも足を延ばせそうです。
しかしこの日の私は、鎌倉七福神も巡ろうとしていたので、ここを右折して長谷方面へと進むことに。


さて、これから巡る鎌倉七福神は、一般的には「鎌倉江の島七福神」としてPR等されているものですが、今回はそのうち鎌倉エリアの7箇所を巡って完結とすることにします。というのも、
  (1) 「鎌倉江の島七福神」は8箇所の寺社を巡るもので、実態としては八福神
  (2) 七福神なら、鎌倉エリアの7箇所の寺社できちんと揃っている
  (3) そこに、わざわざ弁財天を2箇所タブらせてまで、1箇所だけ遠く離れた江島神社を含めている
という状況があまりに不自然に感じられたから。恐らく元々は、鎌倉エリアの7つの寺社で成立していたものを、江の島エリアへの集客狙いで拡張した結果、少々いびつな八福神になってしまったものと推測されます。

それに加えて、寺社間もすべて歩き移動で巡りたいという事情もあって、大きく離れた江島神社は割愛することにしたのです。さらに、コロナ禍という情勢も鑑みて、各所では静かに参拝するだけとしました。


大仏ハイキングコースに入ると、まずは木段でガクンと下ります(写真は下ってきた木段を振り返ったもの)。
木段を下った先の分岐点では、右折方向が峯山と案内されていました。恐らくその道が「峯山散策路案内図」に書かれている大仏ハイキングコースからの経路に当たるらしく、私が歩いた桔梗山を経由する道よりも良く踏まれている様子にも見えましたが、その道だと桔梗山はスルーしてしまうのでしょう。
その後、小さなアップダウンを何度も繰り返して進む間、特段の見所はなくて、ダラダラと歩く具合でした。
しばらくして、階段道を大きく下ったら右への分岐が。実はこの先で大仏切通へ向かうべく、ハイキングコースを外れて右へ進もうとしていて、ここがその分岐だろうと右折してしまったのですが、それは早とちりでした。
行先が何も案内されていなかった道は、ほどなく公園に出て終わっていました。引き返すしかありません。
ハイキングコースに戻ってもう1段下ったところに、右折方向が大仏切通だと道標がきちんと案内する分岐点がありました。大仏切通への道に道案内がないはずがないと、先程の地点で疑えなかったのが悔やまれます。
実はこの分岐点、鎌倉七福神を巡るだけならば、左折してそのままハイキングコースを進むほうが長谷寺と御霊神社に近いのですが、せっかくだから大仏切通にも行っておこうと、寄り道することにしたのでした。


大仏切通への山道は、木段の長い登りから始まります。
木段を登ってしまえば、その後の道の登り下りは比較的穏やか。このあたりから史跡エリアに入るようです。
しばらくの間はごく普通の山道が続きましたが‥‥
7~8分進むと、巨岩を穿って道を通したとみられる、いかにも切り通しといった景色が現れます。
両側に岩壁が迫る中を、細い道で抜けます。ここは明治期のトンネル開通で生活道が付け変わり(次の写真の解説板には、江戸時代にすでに経路変更されていたとの記載も)、未だに古道の趣きが残されているのだとか。
大仏切通の解説板がある地点まで来ると、奥の高い所に岩窟が見えてきて、そこへの階段を上がってみます。
岸壁に掘られた洞窟状のものは、鎌倉~室町時代頃の納骨窟(横穴式の墳墓)で「やぐら」といい、平地が少ない鎌倉の特徴的な遺跡なんだそう。それがいくつも見られるこの場所は「火の見下やぐら」と呼ばれます。
「火の見下やぐら」を過ぎると、ほどなく市街地に出て山道区間も終わります。


バス道路に戻ってきました。近くにある「火の見下」バス停は、最初に降りた「梶原口」のわずか2つ先。
鎌倉七福神の長谷寺や御霊神社へは、ここからバス道路を左に進めば近いのですが(車道歩きを短く抑えるなら来た道を戻る手も)、この日は少し長く歩きたいと思っていたので、かなり大回りになる上に余計な登り下りもある打越トンネル経由の山越えルート(とはいえ全部が舗装道路ですけれど)を進むことに。
まずは笛田の住宅街を進みます。ここで十字路を右折するのがポイント。
次第に坂道に変わって、上のほうでは車道にしては結構きつめの坂になります。
打越トンネルを抜けたら、向こう側では極楽寺の住宅街を縫ってゆるゆると下ります。
あらかた下り終えて渡る桜橋の下は、川ではなくて江ノ電の線路。橋の上からは右に極楽寺駅が見えます。
その先でやや交通量の多い道に入ると、ここも「極楽寺坂切通」と呼ばれる切通し道でした。現在は二車線の車道が通っているので、道幅を確保するために元来よりも広くかつ深く掘られてしまっているようですが。


切り通しを抜けて細い道に入れば、江ノ電の踏切を渡った先に御霊神社。この日最初に巡る鎌倉七福神です。
入口の鳥居の下に境内は撮影禁止とあり、中の様子は写真に収められませんでしたが、拝観料(100円)を納めて入った宝物庫には、例祭の面掛行列で使われる十種類の面が安置されていて、その中の1つが福禄寿でした。
参拝を終えたら、長谷寺に近い側にある別の鳥居をくぐって外へ。


御霊神社から長谷寺までの距離は短くて、歩いても5分ほどで行き来できます。
長谷寺の拝観料(400円)は自動券売機でチケットを購入、観光スポットだけに近代的でした(電子マネーも使用可!)。受付で尋ねたところ、堂内の撮影は禁止しているものの、屋外での撮影は構わないとのことです。
まずは七福神をお目当てに、入ってすぐの大黒堂へ。祀られた2種類の大黒天については、こちらも堂内だけに撮影を控えます。本来なら自由に触れられる「さわり大黒天」も、感染症対策で閉じたガラス窓の奥でした。
長谷寺の境内は広くて見所も多く、幸いにまだ早めの時間で人出も少ないので、少し時間をかけてゆっくり回ります。本堂の観音堂では、木造の仏像として国内最大級とされる本尊の十一面観音像に圧倒されました。
観音堂は、昭和61年に再建されたという堂宇の外観も実に荘厳で立派でした。
海に面した高台は展望台になっています。
展望台から眺めると、目の前に相模湾が広がる先に三浦半島が横たわり、遠くには伊豆大島も半分ほど。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一番奥には眺望散策路も。もちろん登りに行きます。
散策路にはまだ、全く人がいません。平日の朝早くに来てみて正解でした。
アジサイの名所として知られる散策路も、さすがに今の時期は展望を楽しむのがせいぜいといった感じです。
一番高いエリアまで登ってきました。
眺望散策路の最上段から眺めると、下の展望台よりもだいぶ高いだけに、鎌倉の市街地も良く見えました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望を楽しんだら、あとは下るだけのつもりでしたが‥‥
最後に大黒堂の前に戻って、その向かいの弁天窟も見て行きました。岩窟内なんて、混雑時だと入る気にならないでしょうから、人のいないこの状況が貴重に思われたのです。色々と見所のあった内部は、撮影禁止の堂内に当たるのか少々微妙な気がしたけれど(屋外と言えないこともない?)、写真を撮るのはやめておきました。


残る5つの七福神はほぼ鎌倉の中心部にあり、そこまで少々距離があって、この先しばらくは車道歩きです。
由比ヶ浜大通りを歩くこと約20分、江ノ電の踏切を渡る頃にはもう鎌倉駅が近くて、3駅分ほど歩いた形に。
大町四ッ角交差点を左折して小町大路に入れば、間もなく3つめの七福神となる本覚寺です。


本覚寺はなぜか人出が多くて活気があり、拡声器で何事かが連呼されるなど境内が騒然としている様子。
七福神の夷尊神が祀られた夷堂(えびす堂)には長い行列が。並ばずに少し離れた所で手を合わせました。
その代わり本堂で参拝していきますが、こちらもいくつか建てられた仮設テントからの長い行列が本堂そばまで延びてきていて、少々肩身の狭い思いでした。この混雑ぶりでは長居は無用と、早々に退散しているのですが、帰宅後に調べるとちょうど商売繁盛祈願の「本えびす」なる行事の日だったと分かります。なるほど仮設テントでは、「商売繁盛!」のような掛け声が繰り返し叫ばれていましたっけ。


ここからは、4つの寺社が近い距離に点在していて七福神めぐりも捗ります。次に訪れたのは妙隆寺。
山門をくぐると、大きな建物は本堂と社務所くらいで、境内もこぢんまりとしていました。
七福神の寿老人は、短い参道脇の小さな祠に鎮座していました。


続いて宝戒寺へ。こちらは拝観料(300円)が必要で、撮影について伺うと、やはり堂内はNGとのことでした。
本堂には多くの仏像が並んでいて、七福神の毘沙門天は左奥に。境内にはほかにいくつもお堂があったりして見所は多く、また四季折々の花が楽しめる名所としても知られているらしい(今回は時期が悪かったけれど)。


鶴岡八幡宮はさすがに観光客が多かったです。時間的にも人出が増えてくる頃合になりましたし。
でも参道の奥には目もくれず、すぐに初詣客と別れて源氏池のほうに折れると、途端に人が少なくなります。
同じ目的の人たちの数はこの程度で、七福神めぐりだけであれば、ほとんど混雑に関わらずに済みました。
こちらが鶴岡八幡宮の摂末社のひとつで、七福神めぐりの対象とされている旗上弁財天社。ただ肝心の弁財天像は鎌倉国宝館に寄託されていてここにはなく、ここをお参りする意味を考えると、少々釈然としない気分にも。
旗上弁財天社の参拝後は、押し寄せる人波を後目に、つい先程入ってきたばかりの入口へと引き返しました。


これで鎌倉七福神も残すところ1箇所となり、それは少し離れた北鎌倉にあります。車道を進めば最短距離で向かえますが、非常に交通量が多くて味気なさそうですし、少々遠回りにはなるもののハイキングコースでも目指すことができ、ついでに源氏山にも登れるので、まずはそこへ登り口の近くにある寿福寺へ。


寿福寺の山門前に立つと、美しい石畳の参道が奥へとずっと続いているのが見えました。
寿福寺は非公開で、参道を歩けるのも中門まで。でも本堂はすぐ先にあり、様子を少し窺うことはできます。
その後なんとなく勘に頼って奥へ奥へと進んでいたら、墓地に出てしまって引き返すことになりました。
源氏山公園への登り口は、墓地への道を少し戻ったあたりに。中門の先を奥へ進まずに左折すれば良かったか。


寿福寺裏手から源氏山に登る道は、一部に少々危なげな箇所もある隘路で、一般向けではないと感じました。
でも、はじめに急な道でグングン登ってしまうと、その後は穏やかな道になりました。
しばらく進むと、振り返って見る形でこんな看板が。確かに登り口あたりは、特に下る際は要注意でしょう。
ほどなく遊歩道に迎えられました。源氏山公園に入ったようです。
左手にはやや急な階段道があって、何も道案内はなかったけれど源氏山へはここを登るのが近そう。
登り終えたと思ったら、すぐ先にまた次の階段が。すでに結構な距離を歩いてきた足には少し堪えました。
源氏山の山頂部に出ました。本日3つめの山にしてようやく、いかにも山の頂上といった景色に出会えた感じ。
この祠のあたりが、源氏山の最高点だったでしょうか。
そこは山名標がなかったばかりか、周囲に文字情報が一切ないという、実にあっけらかんとした地点でした。


風が強かったこの日、山頂付近は吹きっさらしで落ち着かず、写真だけ撮ったら通り過ぎて一段下の広場へ。
そこでは山頂部が北風をちょうどブロックしてくれていて、気持ち良く休んでいくことができました。
源氏山公園内を進んでいくと、源頼朝の銅像が立つ広場に出ました。
こちらの広場の方がより開放的で心安らぐ雰囲気があり、ここまで来てから休憩するほうが良かったかも。
さすがにいい加減疲れを感じ始めていて、色々と見所もある公園内も寄り道せずに最短経路を進んでいます。
源氏山公園の北端に当たる葛原岡神社の前まで来れば、そこに‥‥
今朝少し歩いた大仏ハイキングコースの続きがあって、しかも最後の七福神を巡る浄智寺へと下れるのです。
そこからのハイキングコースにはアップダウンがたびたびあって。中にはやや大きな登り返しも。
それでもこんな階段道に迎えられれば、あとはもう下る一方でした。
車道まで下りてきたら、ほどなく左手に浄智寺の境内が見えてきます。


そんな訳で、浄智寺には参道を歩かずに横手から、拝観料(200円)を納めて境内へ。こちらは本堂の曇華殿。
奥の方には趣のある竹林の道も。ほんの短いものでしたが。
お目当てはどこかと、案内を見つけるまで少しウロウロしてしまいました。狭いトンネルの先にあるらしい。
七福神の布袋尊は、岩壁に掘られた「やぐら」にいらっしゃいました。
鎌倉七福神の中で唯一、オープンな環境で写真に収められる福神さまでした。この時ちょうど日光があたるさまが神々しくてきらびやかだった一方、写真の出来としては白飛びしてしまったのがちょっと残念な具合に。
ここは参拝後に参道を歩く形になり、途中で振り返ると、唐様の鐘楼門が独特の雰囲気を醸していました。
山門を出て振り返った景色も趣に富んで味わい深く、ここは別の機会に改めてじっくり巡りたいと思います。


北鎌倉の駅前まで来たら、最後にこの豊島屋でちょっくらお土産などを購入。
すると先客が時間をかけていた事情もあって、発車時刻間際になってしまい、慌てて駅へ駆け込むことに。そしたら写真を撮り忘れていて、最後の2枚はGoogleマップから加工したものを流用させて頂きました。

この日は立ち寄った箇所が多くて、いつも以上に長ったらしくなった記事を、最後まで読んで下さりありがとうございました。コロナ禍も丸3年になろうとしていますが、少しは明るく過ごせる1年になると良いですね。

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奈良山公園・寺家ふるさと村・三輪緑地・三輪七面山 [東京・神奈川(平野部)]

2022/04/23(土)

■第450回 : 奈良山公園・寺家ふるさと村・三輪緑地・三輪七面山(72m)


前回の山登りから5ヶ月も間隔が開いてしまったので、この日は足慣らしに軽く歩いてきました。近場なので街歩きの区間が大半を占めることにはなりましたが、それだけでは味気ないからと、途中には自然な感じの山道の箇所もそこそこ盛り込んで、山歩きの気分もそれなりに味わえるようにしたコースです。

そして、登山のブログで記事にするからと、立ち寄り先に山名を持つ地点も一応は含めてみたものの、さすがにそこは登り口からの標高差がごくわずかしかない、山とはほとんど名ばかりの場所。だから登山としての実態はほぼないに等しく、ゆえに普段着で特別な装備も持たずに出掛けてきたのでした。

 累積標高差(登り):375m / 距離:10.5km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 10:35-10:41 成瀬 10:53-11:11 こどもの国駅

(登山行程)
こどもの国駅バス停 11:15
奈良山(奈良山公園) 11:25
鴨志田公園     12:00-12:05
寺家ふるさと村
  熊野池     12:10
  大池      12:30
  むじな池    12:40
  熊野神社    12:55-13:10
三輪緑地      13:40-13:45  (三輪の森ビジターセンター)
沢谷戸自然公園   14:15-14:25
三輪七面山     14:30-14:45
鶴川駅       15:05

(復路)
鶴川 15:11-15:17 町田 15:30-15:48 長久保


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

今回のスタートはこどもの国駅です。東急線に乗って来るのが一般的な駅ですが、20分に1本の電車は休日だけに混雑すると思われ、目的地を考えるとその車内も平静かどうかは疑わしく、用心して成瀬駅からの路線バスを利用して来たので、駅前のバスロータリーから歩き始めています(写真右端の三角屋根が東急線の駅舎)。
バスロータリーから1分も歩けば、すぐに奈良山公園の入口。でも、それを示す物がここには何もありません。
なので外周の道路をもう少し歩き、北西側の入口まで来たら標識があったので、ここから公園内に入ります。
最初に登る奈良山は、この通りほんの小さな丘に過ぎません(上の写真でも奥に写っています)。しかも、都市公園として整備されてしまっていて、どこまでが自然な地形なのかも不明なのですが、丘の上の散策路が案内図で「尾根道」と記載されていることから、元来の尾根地形がそれなりに残されているのではと感じています。
※「奈良山」という呼称はこの記事独自のもので、公園の案内図をはじめ公的な資料に「奈良山」という表現は一切見られませんし、そもそもこの小さな丘が「山」であること自体がほとんど認知されていないのか、ネット上でもここを「奈良山」とする記事はほぼ皆無です。ま、奈良山公園の中央にある山ですから、山名としては当然これが適当だろうとは思いますが‥‥。


多目的広場を横切って、奈良山への登り口に来ました。登山道(?)はほぼ木段の連続のようです。
最後に石段に変わったら、頂上はもうそのすぐ上でした。
小振りな円形に石垣が組まれた奈良山の頂上。その内側は敷石が敷かれて展望台っぽくなっています。
ただ周囲には樹木が多く展望は限られていて、最初に横切った広場を見下ろせる程度でした。
石垣の外側の、この切り株のあたりが奈良山の最高点だったでしょうか。標高は60mほどになるようです。


頂上から「尾根道」を南下して行くと、以降は土の道を歩けるようになります(ただし傾斜のある箇所はほぼ木段になっていました)。この山にはピークが複数あって、軽く下ったらすぐに登り返しが待っていました。
先程の頂上より少し低い感じの2番目のピークは、展望も何もなくてただの分岐点といった風情でした。
その先で、少し下ったらまた登りに変わる、ということがもう1度繰り返されます。
3番目のピークは2番目と同じくらいの高さだったようで、分岐点になっていて展望がない点もそっくり。
3番目のピークのさらに南側には三角点に似た感じの物が。でもここには三角点をはじめとするいかなる基準点の設置もなく、過去の地形図を調べてみても遡れる範囲では何も見つからずで、素性は不明のままです。
3つのピーク(歩いた順に北峰・中央峰・南峰と呼べるかな?)を過ぎると、あとはもう下るだけでした。
南側の登り口に下ってきたところです。「尾根道」を歩いていたのは10分ほどだったでしょうか。
公園の敷地自体も、そのすぐ先が境界のようで、近くにあった入口から公園の外に出てしまいます。


そこからは30分ほどの車道歩き。乗ってこなかった東急こどもの国線の踏切を渡ります。
すみよし台交差点を右折。しばらくは交通量の多い2車線の道が続き、きちんと歩道があって安心して歩けるものの、楽しさが感じられる道ではなくて、仕方なく歩いているという感覚でした。
消防署のある十字路を左折して、階段道で鴨志田の住宅街に上がれば、次の目的地は間もなくです。


鴨志田公園に到着です。この日は立ち寄り先のほぼ全て(私有地の三輪七面山を除けば全部)にトイレがある、余計な心配をする必要のないコースで、この公園も入口に綺麗なトイレがあって利用させて頂きました。
ここから鴨志田公園に入り、中を通って行きます。
ここは広場やグラウンドが主体の公園で、気持ち良く歩ける場所は少ないのですが‥‥。
広場とグラウンドの間がちょっとした森になっていて、少しだけ緑の中を歩くことができました。
小さな公園なのですぐ反対側に出たら、畑を挟んだ先に、次に向かう「寺家ふるさと村」の森が現れました。
上の写真で水田の先に写るT字路に出て左を向いたところ。左前方に見える緑の斜面は、熊野池の堰堤です。


「寺家ふるさと村」のエリアに入ると、最初に熊野池の横を通ります。本来は農業用の溜め池らしいのですが、釣り堀としても活用されていて、この時も多くの釣り人の姿が見られました。
「寺家ふるさと村」には、雑木林を縫って散歩道が続く「ふるさとの森」があって、その入口が駐車場脇に。
まずは階段道で尾根筋まで登ります。この階段が見事に水の通り道で滑りやすく、かなり気を遣いました。
「寺家ふるさと村」の案内図です(上の写真に写っていたものを正面から)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
    ※下の写真にマウスを乗せると、案内図上に歩いたコースを重ねて表示します。


尾根に上がれば、雰囲気はまるで山の中。道もいろいろあって、分岐での案内も概ねしっかりしていました。
ただ、所々にぬかるんだ箇所があって(雨は前日の朝までだったのに)、引き続き足元には注意が必要です。
道沿いの随所にベンチが置かれ、要所には休憩舎も。コンディションの良い日を選べば、心地良く過ごせそう。
森の東端へ向かうと、メインエリアから遠ざかる方向で歩く人も少なくなるのか、少し道が細くなりました。
大池への下り口(右折方向)に来ました。直進方向にも道は延びていましたが‥‥。
この先は未整備とのこと。尾根上に続く踏み跡を追って、大池へ遠回りで向かえないこともないようですが、ここまでの道でも足元がやや不安定だったこの日の状況では、余計な冒険は考え物かもしれません。
なので変な色気を出すのは思いとどまって、大人しく整備された階段道で大池へ下ることにしました。
沢筋に下りると、ぬかるみの酷い箇所があり、普段使いの靴だったこともあって、足の置き場を選びました。
大池の畔まで出れば、舗装された道に迎えられて歩きにくさからは開放されました。
大池も農業用の溜め池です。こちらは厳重なフェンスが周囲に張り巡らされていて、池畔には近付けません。
一方、回れ右をすれば、水田が連なる景色が広がる中に、農作業に携わる人たちの姿がありました。
私が山歩きを趣味としているため、今回訪れた「寺家ふるさと村」では、「ふるさとの森」の中に続く散歩道を中心に歩いていて、ご覧の通りこの記事に載せる写真も山道のものが大半となっています。
しかしここには、宅地化が進んだ横浜市内にありながら、雑木林の丘に挟まれた谷戸に細長く伸びる水田とそれを潤すため池という、「昔ながらの横浜の田園風景」が色濃く残されていて、そんな里山の景観と機能を今に伝えるため、横浜市によって保全されているのが「寺家ふるさとの森」であるらしい。
ですから、「寺家ふるさとの森」を代表する景色は、むしろ上の写真のような田園風景になるのでしょう。


大池の次はむじな池へ。上の写真で見えている道路でなら楽に行ける場所ですが、大池の堰堤の奥から‥‥。
再び森の中に入りました。山歩き再開に向けた足慣らしゆえ、少しでも長く山道を歩きたかったのです。
とはいえ、むじな池までは大した距離もなく、ちょっと登ったらすぐ下るだけになってしまいましたけれど。
途中に特別な景色もないまま、むじな池の池畔へ。ここも溜め池で、熊野池や大池と比べてやや小振りです。
池畔はやはりフェンスに囲まれていました。景観的には残念ですが、安全対策上は仕方がないのでしょう。


むじな池から、次は熊野神社を目指して、石畳風の散策路を登っていきます。
尾根近くまで上がると、頭上に橋が現れました。熊野神社には、その橋を通って行けそうな感じなので‥‥。
橋の下を一旦くぐり抜けたのち、ここで石畳風の散策路から外れて、まずはすぐ上にある橋を目指します。
その橋は「くまの橋」という名前でした。
「くまの橋」を渡って、ちょっとした広場に入ると、もうその先を案内する道標はなく、そこは一見行き止まりのようでした。確かに最新の案内図でも、この広場と熊野神社との間に、何も道は描かれていません。
でもかつてはそこに道があり、今でもいくらか歩かれている様子なので、私でも通れる道ならと期待して来てみたのです。良く見ると、写真左の赤いコーンが置かれた先に、木柵に沿って踏み跡が続いているようです。
木柵沿いの踏み跡は、いくらも進まないうちに不明瞭になってしまいましたが、不明瞭になる少し手前のこの地点で、木柵の切れ間(写真左端)から木柵の向こう側へと延びる、さらに薄い踏み跡を見つけました。
方角は合っていますし、ほぼ尾根筋に続くのも好感触なので、その薄い踏み跡を追って行くと、さすがに木柵から先はほとんど人が入らないらしく、草を払いながら進む具合に。もっと季節が進んでいたら藪だったかも。
一旦鞍部に下ったのち、その先のピークに上がりました。地図読みが正しければ、この向こうが神社のはず。
読み通り、すぐ下に神社がありました。このあと、少しだけ不安定な急斜面を下ることになりましたが‥‥。


熊野神社は、創建年代等は不詳ながらも、往古より祀られてきた歴史ある神社らしい。社殿が綺麗で新しそうに見えるのは、2001年に不審火で全焼してしまい、翌年に再建されたものだからだとか。
社殿の右手が小さな広場になっていて、ぐるりと回ってみたものの、特に何があるわけでもなく‥‥、
広場の隅で、木立の中にひっそりと、「村社熊野神社昇格記念碑」なるものが建っていただけでした。
神社で軽く手を合わせ、ひと休みしたら、参道の急な石段を下ります。
下り終えた石段を振り返ったところです。
少し離れて立っていた案内図は少々古いらしく、先程突破してきた神社までの踏み跡が、道として描かれていました。ただし、その道を隠すようにテープが貼られていたので、通れない旨の注意書きがされていたっぽい。
    ※下の写真にマウスを乗せると、その踏み跡の部分を拡大表示します。
熊野神社への参道にはスロープもあって、その出口となっているT字路に出たら、「寺家ふるさと村」の巡回は終了です。そして水田を挟んだ向こう側に、次に向かう三輪緑地の森が見えていて、このあとそちらへ。


水田の向こう側の道路に出ると、すぐに水車小屋。ここはまだ「寺家ふるさと村」のエリア内ですが‥‥。
水車小屋とは隣り合わせの位置に三輪緑地の入口があって、ここからはその緑地内を巡ります。
こちらは地面が乾燥していてぬかるんだ箇所がなく、快適に歩いて行けます。
三輪緑地のほぼ中央にある4差路に出ました。計画時点では、ここからまず右の道に入って緑地の東部をひと回りし、正面の道からここに戻ってきたら、最後に左の道で緑地の西部を抜けて行く、という予定でした。
右の道に入ると、そこからは尾根歩きとなり、道には「市境界」と書かれた石杭が連なっていました。ここまで神奈川県横浜市(青葉区)内を歩いてきましたが、ここで東京都町田市とを隔てる尾根に出たようです。
ほとんど起伏のない尾根道なので、そろそろ疲れかけてきた足でも快調に進むことができました。
三輪緑地の東端で道標に従って左折したら、そこから完全に町田市のエリア内へと入っていきます。
道が左手にあるピークをわずかに巻いて進むのに対して、ピークに寄る踏み跡もあったので登ってみました。
そこはベンチが1つあるだけの、特段の展望もない地味なピーク。でも三輪緑地の最高地点だったようです。
元の道に戻るとあとは下りに変わって、三輪の森ビジターセンターの前に出ます。風がある外のほうが涼しく過ごせそうだったので、建物前のベンチで少し休んで行きましたが、中に入ればトイレが利用可能でした。
ビジターセンターを過ぎると一旦車道に出たのち、沢沿いの道で再び森の中へと向かいます。
が、森に入る前にこんな状況に。普段使いの靴が無事のまま突破できそうになく、さらに地図によれば道がずっと沢筋を進むため、ここが通れてもそれだけで終わらない可能性も大きそうで、前進をスッパリ諦めました。


そんな訳で、三輪町の住宅街を抜ける形で、予定コースの一部をショートカットしてしまうことに。
信号機のある交差点の近くで二車線の道路に出たら、ここで予定通りのコースに復帰です。
さらに住宅街を縫うように進んで、沢谷戸自然公園の北東側の入口へ。ここからは公園内を歩きます。
公園の東側は、運動広場と雨水調整池が面積の大半を占めています。広場の先ではツツジの色彩が鮮やか。
運動広場の脇には、木陰をのんびりと歩ける道も。
広場の先に見えていた斜面に来ると、ツツジは満開には及ばないけれど、咲き揃っている所はやっぱり綺麗。
ツツジの斜面を登って、南側の入口へ。大きなモニュメントが並ぶ、沢谷戸自然公園の表口っぽい構えです。
公園の西側には、遊具の置かれた一角や芝生広場などがあって、子供を連れた家族の姿が多く見られました。
芝生広場の奥の山が、次に向かう三輪七面山なのですが、公園内から直接向かう道はなさそうです。でもそんなことより、ここにきて疲労感が急に強まり、最後の登りに備えて、広場の脇のベンチで少し足を休めました。
沢谷戸自然公園を西側の入口(写真右半分)から出て来て振り返りました。何も案内は見当たらないけれど、事前の調べで、写真左端の階段が最終目的地の三輪七面山への道だと分かっていて、今からそちらへ。


ということで、ここで三輪七面山について簡単にご説明を。

そこは戦国時代に、沢山城または三輪城と呼ばれる、小田原北条氏の出城があったとされる場所です。曲輪・櫓台・土塁・堀切などといった様々な遺構がはっきりと残された、価値のある重要な史跡らしいのですが、歴史史料がほとんど見つからないことから詳細は今なお不明で、謎の多い城とも言われているとか。その主郭とされる一番高い一角に、のちに七面大明神が祀られ、三輪七面山と呼ばれるようになったようです。

私有地となっている現在も、地主さんが丁寧に手入れをしているのか、遺構の保存状態は良好で、ご好意により七面大明神までの参道部分に限って立ち入ることができるので、私もひとり静かに参拝させて頂きました。

さて、階段を上がると山道に変わり、沢谷戸自然公園との境界らしいフェンス沿いを、緩やかに登ります。
しばらく進んで頂上が近くなると、何やら注意書きが賑やかな一帯に差し掛かりました。
  『 ここは私有地です / 犬の散歩はお断りします / 七面山 山主 』
  『 団体の方は / お戻り下さい / 三輪七面山 山主 』
  『 お山にワンちゃん / 入らないでね 』
さらに右上隅の解説板に
  『 ここのお山は、七面様と称し三輪七面山(御祭神七面大明神)
    古くから地元の守護神として崇拝され広く親しまれています / 静かに見守って下さい 』
  『 テレビ等の取材は / お断りします / 七面山 山主 』
まとめると、「犬の散歩お断り」「団体での立ち入りお断り」「静かに参拝を」「取材お断り」です。
この記事をご覧になって興味を持たれた方も、ここを訪れる際には節度ある行動をお願いしたいと思います。

そんな一帯を抜けた先が、三輪七面山の頂上部でした。
鳥居をくぐってさらに進みます。
2番目の鳥居は、その先の少し窪んだ場所にあって、どうやらそこは城の主郭を囲む堀切だったらしい。
石段を登った七面大明神で、軽く手を合わせていきました。
参道以外はほぼ立入禁止ですが、七面大明神の北東側の裏手だけは少しだけ入れるようになっていて‥‥
平坦地が広がるそこが城の本丸だったと思われ、一段高くなっていた七面堂の場所は櫓台だったのでしょう。
参拝を終えたら元の道を戻ります。地形図によれば参道の左手(往路なら右手)に三角点があるようですが、柵の外にあって近付くことは叶わず、少々離れているのか参道からでは何処にあるのかも窺えませんでした。
注意書きが連なる一帯を抜けるとT字分岐があって、先程は左の道から登ってきていました。でも直進方向も通行が制限されていないようですし、鶴川駅に向かうにも方角的に好都合なので、帰りは直進してみることに。
すると、緩やかに下って住宅前の細道へ。こちら側も、登り口に三輪七面山への案内などはないようです。
ついでに、拾い物の図面を拝借して、三輪七面山の地形を紹介しておきます。
この場所が舌状台地の先端にあたり、東側と南側に急な断崖が迫る、山城を構えるには格好の条件下にあって、自然地形を活かした天然の要塞だった様子がご覧頂けるかと思います(ただし、この図は一般的な地形図より等高線が密に書かれていて、実際はこの図から受ける印象ほど高低差のある地形ではありません)。
また頂上部の「74.1」との記載から、当記事では三輪七面山の標高を74mとしました(三角点の標高は72m)。
   ※下の写真にマウスを乗せると、歩いたコースを表示します(赤:登り / 緑:下り)。
  【注意】立ち入りが許されているのは私が歩いたコースのみで、赤や緑の線がない場所には入れません。


細道から2車線の車道に出てきたのは、上三輪公園に隣接する交差点の近くでした。
住宅街を抜けたのち、鶴見川沿いの道へ。神奈川県横浜市→東京都町田市と歩いてきたこの日は、このあたりで神奈川県川崎市(麻生区の飛地)に入っていて、東京・神奈川の都県境あたりをウロウロしていた感じ。
ゴールの小田急線鶴川駅。最後にまた東京都町田市に戻っていたのでした。
このあと乗った小田急線では、2駅間だけなのでソーシャルディスタンス確保のため立っているつもりだったところ、あまりに疲れていて、車内が空いていたのをいいことに思わず着席してしまいます。
そこそこアップダウンがあるように組んだコースだったとはいえ、その運動量なんて山登りとは比べるまでもない程度だったのに、想定外の疲労感にすっかり体力が衰えていたのを実感して愕然としました。
こんな体たらくで、また以前と同じように山を歩くことができるのだろうか。

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横山丘陵緑地(てるて姫の里「ロマン探訪の小路」) [東京・神奈川(平野部)]

2021/09/21(火)

■第442回 : 横山丘陵緑地(てるて姫の里「ロマン探訪の小路」)


感染者数が減少傾向にあって、先の見通しに明るい兆しが少しは見えてきそうな気もしますが、まだ緊急事態宣言の発令中ですので、今回も行先は相模原市内にとどめて、自転車で行ける距離にある場所を選んでいます。

この日歩いてきた横山丘陵緑地は、相模原市の中央区に広がる樹林で、自然と触れ合えるように散策路が整備されているほか、この地区に伝わる「照手姫伝説」に因んだいくつかのスポットを巡る「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」が設定されていて、歴史に思いを馳せながら歩く楽しみもあるらしい。

ぐるっとひと回りしても4km程度という、普段ならば少々物足りなく感じてしまいそうな短いコースも、まだ夏の暑さが残る今の時期にはむしろ丁度良い按配かもと、行先に選んで出掛けてきました。

 累積標高差(登り):140m / 距離:5.2km / 歩行時間:1時間20分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約6.4km)-横山公園(東側入口)

(登山行程)
横山公園(東側入口)     12:10
上溝駅前          12:15
日金沢橋          12:25
姥沢地区入口(せどむら坂側) 12:40
あずまや          12:45
姥沢地区入口(横山小学校側) 12:50
姥沢地区入口(せどむら坂側) 12:55
日金沢橋          13:00
榎神社           13:05
横山公園(北西側入口)    13:10
横山公園(展望広場)     13:20-13:25
上溝駅前          13:30
横山公園(東側入口)     13:35

(復路)
横山公園(東側入口) -自転車移動(約6.4km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

横山丘陵緑地の大まかな位置はこちら。JR相模線の上溝駅からほど近く、周辺を住宅地に囲まれています。

てるて姫の里「ロマン探訪の小路」は、上溝駅から周回する具合に歩けるようになっていて、その途中で「照手姫伝説」に因んだいくつかのスポットを巡るようです。なお横山丘陵緑地は3つの地区に分かれていて、上溝駅に近いほうから順に「日金沢下地区」「日金沢上地区」「姥沢地区」となるようです。
  ※相模原市のウェブサイトにある大きなサイズのマップ(PDF)は こちら でご覧下さい。

照手姫伝説については、以降の文中にも何度も出てきますので、その内容にも簡単に触れておきましょう。
  ・照手姫は、歌舞伎や浄瑠璃などの演目として広く知られた「小栗判官物」の主人公
  ・絶世の美女照手姫と小栗判官の恋物語として語り継がれている
  ・筋書きは何種類かあって一様ではなく、また全国各地にこの物語にまつわる伝承地があるらしい
  ・相模原市内では上溝周辺や下溝周辺に照手姫と小栗判官の伝承地があり、その中でも
   このあと歩く姥沢地区は、照手姫誕生の伝承を現代に伝える地となっている
以上は相模原市のウェブサイトの解説を要約したもので、私もこれを機会に知識を深めることができました。


自宅から自転車を40分ほど走らせて、横山公園の東側の入口に到着。駐輪場もすぐ脇にありました。
公園の中を見ると、何やら白いモニュメントが立つ広場が見えますが、園内はこのあと歩く「ロマン探訪の小路」のコースに含まれていて、その順路で歩くことにしているので、今は中には入りません。
そんな訳で、まずは公園を右手に見ながら、「横山公園通り」を進みます。


5分ほどでJR相模線の上溝駅前に出たら、ここから「ロマン探訪の小路」のコースをたどります。
駅前を通過後、右側にダイエー上溝店が建つ「上溝駅下」交差点を右折して、細い道に入ります。交差点は姥川に架かる「てるて橋」と隣り合っていて、このあと「ロマン探訪の小路」は姥川を上流へと遡る形になります。
すぐに老人ホームの前まで来ると、そこで車道は終わっていて‥‥
その先が森へと入っていく小道に繋がっていました。ここが横山丘陵緑地の「日金沢下地区」の入口です。


森の中には、しっかりとした散策路が続いていました。が、蚊が多いため常に身体を動かして寄り付く蚊を振り払い続ける必要があり、落ち着いて歩くのは不可能、撮影時も静止は一瞬しか許されません(シャッターを急ぐあまりブレブレの写真も続出)。すれ違う人もなかったですし、きっとこの時期は歩かれていないのでしょう。
てっきり1本道だと思っていたら、分岐が現れたのが意外でしたが、ここはすぐにまた合流するだけでした。
横山丘陵緑地は姥川左岸の斜面樹林なので、散策路にもちょっとした起伏があります。ここを軽く下ると‥‥
近くの斜面に湧水があるのか、小さな沢を横切ったりしました。蚊さえいなければ、癒されそうな景色なのに。
その先で少し登り返したりしていると、間もなく住宅地の裏手に出て、散策路は一旦途切れます。
車道に出たところから、歩いてきた散策路を振り返りました。


すぐに県道に出ると、コースの続きが右前方に見えていますが、交通量が多くて、ここでの横断は無理そう。
でも近くに、横断歩道付きの交差点があるので、一旦左に進んで姥川に架かる日金沢橋を渡ります。
橋の欄干には、姥川で化粧に使う水を汲み上げる照手姫の姿を描いたレリーフが。「照手姫はこの沢のほとりからわく清水をつかい日に日に紅かねをつけ粧いこらした」とあり、それが「日金沢」という地名の由来らしい。


県道の反対側に渡り、日金沢橋を渡り返せば、そこが今度は「日金沢上地区」の入口です。
姥川へ下る左側の道が明瞭で歩きやすそうなのに対して、「ロマン探訪の小路」の標柱が示しているのは、草深くなっている右側の道。やはりこの時期は満足に歩かれていないのでしょう。
幸いにも草深かったのは入口だけで、森の奥に進めば散策路も明瞭になりましたが、蚊が多いのは相変わらず。
入口から緩やかに登って、右手を通るJR相模線の線路の高さに近づくと、尾根歩きに似た雰囲気になりました。
ほどなく、テラスのような場所が現れます。説明は何もありませんが、「ロマン探訪の小路」のマップで「眺望の場」とされている地点に違いありません。マップには「遠く丹沢の山々が一望できる」とありますが‥‥
樹木に眺めを完全に遮られて、見られる景色は皆無でした。木々が葉を落とした時期だと少しは変わるのかな。
もう少し進むと、分岐点に出ます。次のスポットである「鏡の泉」へはここから下るようなので、左の木段へ。
階段状の道が結構続いて、かなり下った気になったものの、地形図で確認すると高低差は20m程度だった模様。
木段の下りは姥川のすぐ脇まで続いて、河岸沿いの道に合わさりました。
右を向けば、そこにもテラス状の場所があって、どうやらそこが「鏡の泉」らしい。
でも案内は何もありません。奥を覗いてみても、チョロチョロとした流れが見えて湧水があるっぽい雰囲気が感じられるだけの、なんだか良く分からない地点でした。ここも草深くない季節だと見え方が違うのでしょうか。
「ロマン探訪の小路」のマップによれば、「鏡の泉」の先は元の道に戻るので、道標のないすぐの分岐は右へ。
すると、さきほど下ったばかりの分を、そっくり登り返すことになって、その間は木段が続きました。
ここで元の道の続きに戻ったのは良いのですが、手前にあった(下った時の)分岐点には道標が立っていたのに、ここには何の案内もなかったりして、いろいろと全般的に整備状況が中途半端な印象を受けます。
その後は平坦な道を進みます。景色は穏やかに見えても、現実はのべつ蚊にまとわりつかれて常に不快でした。
ほどなく車道へ。ここまでもランナー1人に会っただけでした。なるほど走っていれば蚊も気にならないのか。
車道に出て散策路を振り返りました。車道は「せどむら坂」という坂の途中にある屈曲点になっていて(坂名を記した石柱も立っています)、そこが「日金沢上地区」の反対側の入口でもあるのでした。


車道の「せどむら坂」を少し下ると、すぐに姥川に架かる「せどむら橋」の袂に出ます。道祖神や庚申塔など数々の石柱が並んでいる場所の背後へと土の道が分かれていて、そこからさらに奥の森へ入れるようでした。
そこが横山丘陵緑地の「姥沢地区」の入口で、姥川沿いに続く一連の緑地の最も上流側のブロックになります。入口には「ロマン探訪の小路」のマップと相模原市登録史跡「照手姫伝説伝承地」の解説板が立っていました。
「照手姫伝説伝承地」の解説板では、市内にはほかにもいくつかの伝承地があることが触れられていました。
  ※下の写真は縮小して文字が潰れているので、大き目の写真を こちら に置いておきます。

「姥沢地区」の森の中に入ると、はじめのうちは広い道。そして、そこに足を踏み入れたら最後、もう半端ない蚊の大群地獄が待ち受けていました。
先程までの森の比ではない、夥しい数の蚊の総攻撃に容赦なくさらされ、両手を常に慌しく動かして蹴散らし続けないとならないので辟易しますし、とても散策を楽しむどころではありません。周囲に誰もいなかったから別に構いませんでしたが、そんな姿も傍から見ればきっと滑稽だったでしょう。
相模原市ウェブサイト内に「夏の暑い時期なら早朝に ‥(中略)‥ 散策してみてはいかが」なんてレポートがあるけれど、確かに今は真っ昼間だけれども、こんな状況ではいくら早朝でも快適な散策なんて到底無理かと。
こんな時に限って装備も手薄で、もし登山用の万全なザックで来ていれば、その中には顔や首を覆うモスキートネットがあり、腕の露出なら日焼け対策用のアームカバーで抑えたり、手首から先も手袋をすれば護れるのに、ほぼ街歩きの感覚でいたこの日は普段使いのデイパックで来ていたからその全てがなく、丸腰で不利な戦いを迫られます。最初の森で1度刺された後は、細心の注意で持ち堪えていたのに、ここでさらに3箇所に被害が。
暑さが残る中でこんな場所を訪れたのは失敗でした。「眺望の場」からの眺めや「鏡の泉」の様子も、もっと涼しい時期なら印象が違ったかもしれませんし。読者の皆様にもここには時期を選んで来ることをお勧めします。

少し進むと道は3本に分かれて、一番広くて枕木が敷かれた中央の道がメインっぽかったところ、まずは左へ。
左に入ったあたりは、特に何の変哲もない平凡な森でした。ま、つぶさに観察する余裕もないけれど(苦笑)。
一番奥まで進むと、入口で分かれた3本の道が合わさります。ここからは、中央の道で入口に少し戻る方向へ。
すると、木道が敷かれた、ちょっと雰囲気のある道に。蚊さえいなければ気持ち良く歩けそうなのになぁ。。。
あずまやが見えてくると、そこに自転車で来たらしい2人組の姿が。これは驚くべき事で、何故こんな所で落ち着いて座っていられるのか不思議で仕方なかったのだけれど、余程強力な虫除けでも携えていたのだろうか?!
あずまやの脇には「姥沢幻想の碑」があって、幼い照手姫が描かれているレリーフに、「照手姫伝説伝承地」と題された解説が添えられ、これがこの日に見た中で最もこの伝承をしっかりと説明する資料になっていました。
あずまやから引き返して木道を戻っていくと、森の一番奥付近に「照手姫遺跡の碑」が立ち、これにも伝承について長々と書かれていましたが、文章がやや読みづらく、蚊の襲撃が続く下では内容が頭に入りませんでした。
森の奥からは市街地へと出られそうな道が何本かあり、その中で坂が一番きつそうな道を選んで入りました。せっかく歩きに来たので、平坦な道ばかりでなく多少は登り下りもして、もう少し身体を動かしたかったのです。
しばらく木段が続いて、20~30mくらい登ったあたりで車道に迎えられました。
車道に出て、登ってきた木段からの出口を振り返っています。ここが「姥沢地区」の横山小学校側の入口です。
登ったばかりの木段をすぐに引き返して、みたび森の奥へと戻ります。
森の奥から今度は、入口で3本に分かれた道のうち、まだ歩いていなかった、一番山側の石畳が敷かれた道へ。
石畳の道は、ほどなくあずまやの背後を抜けて(そこにはまだ2人組の姿があって吃驚。良くまぁ長時間じっとしていられるものです)、元の入口に戻る直前に左に小道が分かれたので入ってみましたが‥‥
そこには何も見るものもなく、すぐに森の入口に戻って、その先に「せどむら橋」が見えてきました。


「姥沢地区」から出てきたら、日金沢橋に戻るまでの間、「ロマン探訪の小路」は往復になります。でも「せどむら坂」を登り返すと、すぐに右に分かれる道があって、姥川に下りられそう。先程と同じ道で引き返すのは退屈ですし、来る途中に姥川沿いにも道があることを見ていたので、帰りはそこを歩いてみることにしました。
そういう訳で、姥川の河岸に下りて、ここからは川沿いに下流方向へと歩きます。
ここはすでに1度見に来ている「鏡の泉」なので、今回はただ通過するだけ。
その後もそのまま川沿いの道を進みます。森の中よりは開けているからか、この道では蚊も少なめでした。
日金沢橋の手前で県道に上がり、日金沢上地区の入口に戻ったら、横山丘陵緑地を歩くのはここまで。


そこから先「ロマン探訪の小路」は榎神社と横山公園を回るコースなので、坂道の県道を上がっていきます。
JR相模線の線路下をくぐってさらに登ると、左側に榎神社への入口があります。
短い階段の先で車道に出ると、神社はそのすぐ先にありました。
照手姫伝説に因んだスポットのひとつ、照手姫を祀る榎神社に到着です。
住宅地に隣接する、小さな祠だけのささやかな神社で、境内もやや手狭な印象です。
祠の左に寄り添うようにそびえる榎の大木があり、照手姫が地面に刺した杖が根付いたものだとか。現在の木は1885年に植えられたらしい二代目で、「かながわの名木100選」に選ばれたことを示す石碑が立っていました。
大榎は境内では全容を写せず、道路を渡り反対側の「えのき公園」に入って、やっと全体像を収められました。


県道に戻ったら、向かい側に横山公園を見ながら、上り坂の続きをもう少し進みます。
「横山公園前」交差点で横断歩道を渡って、最後に横山公園に寄っていきます(ここは北西側の入口)。
横山公園は照手姫伝説との直接の関連はなさそうで、「ロマン探訪の小路」のコースも中をほぼ突っ切るだけのような形です。そもそもが野球場やテニス場などが主体の運動公園なので、さほど散策に向いている訳でもありませんが、せっかく来たので、ここでは「ロマン探訪の小路」のコースを外れて園内を少し見ていくことに。
ということで、上の写真の「出会いの広場」を左に曲がると、印象的なメタセコイヤの並木が現れました。木陰にいくつかあるベンチを見ると、随所に縁台将棋を楽しむ人たちがいて、このあたりでブームなのでしょうか?
並木道の途中をさらに左に折れると「樹林広場」で、このあたりは開放的な景色の中を気持ち良く歩けました。
「エントランスプラザ」とされる一角を通ったあとは、室内プールの建物横を抜けていきます。
すると、一番最初の写真に写っていた、白いモニュメントが立つ広場へ。ここを左に折れれば自転車を停めてある駐輪場はすぐですが、それでは「ロマン探訪の小路」を歩き通したことにならないので‥‥
右に折れて、芝生広場(って名前なのに芝生なんかほとんど無さそう)を横目に進むと、前方に小高い一角が。
そこには「展望広場」があるようで、その手前でちょっとした登り坂になります。
わずかに登ったらすぐに少し開けた場所に出て、そこが「展望広場」らしいのですが、ここもその名前に反して全方向を木々に囲まれているため、展望なんて皆無でした。
「展望広場」を反対側から。なお、周囲よりもいくらか高いこのあたりを上溝城跡とする資料があったりするものの、城の遺構は何も残っていないとされていて、所在地を含めて確かなことは一切分かっていないようです。
「展望広場」を通り抜けて反対側に下ると、「ロマン探訪の小路」のコースに復帰します。


その後は横山公園の外に出て、砂利道で上溝中学校の横を抜けていき、このあと小さな森の中へと入ります。
道はずっと高台を進むので、やがて上溝駅が見えてきた時は、高架上にある駅のホームとほぼ同じ高さでした。
そのため、森の中の道は、最後は階段状になって一気に下ります。
下り終えれば上溝駅前。1時間15分ほどで「ロマン探訪の小路」のコースをひと回りしてきたことになります。
最後は「横山公園通り」を引き返す形で進んで‥‥
自転車を停めてある、横山公園の東側の入口に戻ってきました。出発から1時間25分後で、休憩らしい休憩といえば横山公園の展望広場で5分くらい過ごしただけですから、歩いていた時間は1時間20分ほどでしょうか。

以上、今回は行先に適した時期をやや見誤った感が強く、本来ならば歩く楽しさに加えて歴史探訪ができる面白さも兼ね備えたコースであり、当然ながらそれを期待した上での計画だっただけに、思わぬ邪魔物に気を取られて目論んでいたような歩き方を貫く余裕を持てず、少々消化不良気味に終わったのが心残りでした。なので、幸いにいつでも気軽に行ける距離でもありますし、折を見て再度出掛けてみたいと思っています(その際に、今回のような記録は残さないと思いますが)。

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