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神成山ハイキングコース [上信越]

2024/02/14(水)

■第477回 : 神成山ハイキングコース(龍王山(320m)・吾妻山(328m))


今回の行先は群馬県富岡市の神成山ハイキングコース。2001年に地元の方々の協力で整備された比較的新しい登山道は、「日本一きれいなハイキングコース」を掲げていて、どんなものか気になって訪れたのでした。

それは山道区間(西中学校から新堀神社まで)がわずか2.8kmという短いコースながら、たくさんのピークが次から次へと現れてなかなかの面白さ。どのピークも300mほどと標高は全然低いけれど、短いスパンで登り下りが繰り返される稜線は変化に富んでいて、展望の良い地点が多かったり、中には古城跡のピークもあったりと、登山の醍醐味がギュっと凝縮されたようなコースで、ミニ縦走を楽しんできました。

 累積標高差(登り):422m / 距離:7.9km / 歩行時間:2時間15分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 05:59-06:22 八王子 06:31-07:12 高麗川
高麗川 07:29-08:59 高崎 09:25-10:12 上州一ノ宮

(登山行程)
上州一ノ宮駅    10:15
貫前神社      10:30-10:35
三等三角点「西浦」 10:40
宮崎公園      11:00-11:15
神成山登山口    11:20
見晴台 (姫天狗)   11:25
物見台 (P1)     11:35
龍王山 (P2)     11:45-11:50
打越御嶽山 (P5)   12:15
P8         12:25-12:30
吾妻山 (P9)     12:35-12:45
新堀神社      12:50-12:55
南蛇井駅      13:15

(復路)
南蛇井 13:15-14:07 高崎 14:28-16:51 横浜
横浜 17:00-17:39 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

高崎駅から上信電鉄線で小1時間ほどの上州一ノ宮駅で下車。神成山ハイキングコースの最寄駅は1つ先の神農原駅なのですが、短いコースだけにそれだけではあっけない気がして、2つほど寄り道を加えていたのです。
まずは、駅名の由来であろう上野国一宮だった貫前神社へ。駅からはほど近く、10分ほどで参道の入口へ。
はじめは車道だった参道も、大鳥居に近付くと石段が現れて、車道と歩道が分かれました。
石段を登り終え、大鳥居をくぐって総門の前へ。ここまで、ほかの神社と特に変わるところはないのですが‥‥
総門の先には、なんと下りの石段。一之宮貫前神社は、全国的にも珍しい「下り宮」の神社だったのです。
なので石段を今度は下って、立派な楼門の前へ。この右手には社務所などもあります。
楼門をくぐるとすぐ先が、極彩色の華やかな拝殿でした。賽銭箱がなかったため手を合わせるだけで参拝を終えたのだけれど、帰宅後に調べたら賽銭箱は手前の楼門にあり、通常の参拝はそこで行うものだったらしい。
石段を登って戻る途中、右手にちょっとした広場があるので寄ってみると、そこは12年毎に行われる式年遷宮の際に仮殿が建てられる「仮殿敷地」で、奥には末社として日枝神社や伊勢内宮・外宮が並んでいました。
仮殿敷地の入口脇には立派なスダジイの大木。樹齢は不明なれど、伝承によれば約千年とされるらしい。


神社総門前の車道を右に進んだ突き当たりが、次の目的地への入口。車道は左折と右斜め前に分かれますが‥‥
そのどちらでもなく、ほぼ直進方向に分かれる、脇に猿田彦大神の石塔が立つ未舗装の小道に入ります。
すぐの分岐では、のちに進む予定の直進側の道が少々雪深いのが気になりつつも、車の轍にならって一旦左へ。
道がやがて畑の中へと入っていくと、間もなくお目当ての三角点が、送電線鉄塔越しに見えてきました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、三角点の位置を示します。
近付いてみると、それは完全に畑のド真ん中にありました。三角点自体は公共の財産とも言えますから、たとえ私有地内でも道が通じたりしていればお邪魔させて頂いたように思います。しかし、畑が整地されたばかりの様子できれいに均されている上、1歩入ってみただけで足が深く沈み込むほどフカフカで、踏み荒らしてしまうことが大いに憚られたため、三等三角点「西浦」は畑の手前から遠巻きに眺めるだけにしておきました。
畑から分岐に戻って元の道の続きへ進むと、幸い雪深かったのは分岐付近だけで、あとは普通に歩ける道に。
その後、はじめに貫前神社の参道前まで歩いていた県道の先に出たら、西中学校への案内を目印に脇道へ。
しばらく道なりに進んで、バス停「宮崎公園」(写真右端)が立っている十字路が宮崎公園への入口でした。
細い道を進んだのち、右に入るこの地点に案内は何もなかったけれど、奥にある駐車場がもう見えていました。


神成山ハイキングコースの拠点となっている、宮崎公園の駐車場に到着です。車で来た場合はここに停められますし、最寄りの神農原駅から歩いても10分ほど、トイレも完備されていて、登山基地として申し分なさそう。
宮崎公園の駐車場には、これから歩く神成山ハイキングコースの案内図も立っていました。コースの全容がしっかり表されている分かりやすい案内図で、下の写真は縮小で字が潰れているため、大きな写真も こちら に。
公園自体はさほどの広さもなく、見所も多くはありませんが、せっかくですから、句会や茶会などが催されることがあるらしい六角堂の「しののめ堂」などを見ながら、園内を少しぶらぶらしてみることに。
公園の奥にある展望台まで来ると、南側がすぐ崖になっている絶好の立地から、南側に眺望が開けていました。
宮崎公園展望台からの展望です。南側では稲含山の存在感が大きく、御荷鉾の山並みなども見られました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
稲含山と赤久縄山を少し大きめに。実は同じような構図を、このあとも何度も見ることになるのですが‥‥
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
西側には、西上州エリアの特徴的な険しい山容を持ついくつかの山々も眺められています。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに右を向くと、西上州のシンボル的存在である妙義山のギザギサした稜線が、どうにか見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
ところでこの日は春本番の陽気で午前中から気温が高く、早朝の出発時に着ていたアウターと中間着は車道を歩く間に次々と不要になっていて、ここからはペラペラのジャケットだけを羽織っての登山開始となりました。


宮崎公園からは、道標の案内に従って神成山ハイキングコースを進みます。西中学校の前まで来たら右へ。
西中学校の校舎裏が登山口になっていました。車道歩きはここで終わりです。
足元にも、こんな小さな道標が(上の写真でも登山口標識の下に一応写っています)。
はじめ西中学校の敷地沿いに進んだのち、西中学校から離れると森の中へ。いよいよ山道の始まりです。
この小さな道標、短い間隔で次々と現れるのは親切で良いのだけれど、一体どれほどの数を作ったのだろう?
最初のピークが現れて、そこが姫天狗かなと思ったら、御嶽座王大権現の石碑が立っているだけでした。
一旦下った先に見えてきた小さな岩峰が、実は姫天狗でした。登山道が右手を巻いている上、ありふれた感じの岩塊だけに特別な場所には全然見えなくて、あやうく登らずにスルーしてしまうところでしたけれど。
姫天狗の岩峰です。これでも一応ピークではあるのですが、主稜線からは外れた位置にあるとみなされたからなのか、案内図などでは「神成山 九連峰」の中にカウントされておらず、独立した存在になっています。
それでも、このあと九連峰の各ピークで見ることになるものと全く同じ体裁のプレートが、ここでも樹木に括り付けられていて、ここが姫天狗であることを示してしました。でもクセの強い字体で読むのは少々難しい。
案内図などで「見晴台 姫天狗」とされている岩峰に立てば、南側に稲含山などを眺めることができました。
そして、ここまでの軽い登りで身体がさらに温まったから、ここでペラペラのジャケットすら余計になり、ついに山シャツだけの姿に。さらにこのあと、確か二峰を越えたあたりから先はあまりの暑さに腕をまくって半袖にする有様でした。低山とはいえまだ2月中旬の北関東で、まさかこんな軽装で山を歩くことになろうとは‥‥


姫天狗の先では、やや鬱蒼とした感じの森の中を進むので、まだ稜線歩きといった雰囲気はありませんが‥‥
しばらく進むと行く手に主稜線っぽいものが見えてきて、この木段を登ればそこに上がるようです。
主稜線に上がった地点はちょっとしたコブになっていて、かつてここが神成城の本丸だったとのこと。この案内図によれば、このあと巡る九連峰も、最初の2峰(物見台と龍王山)までは神成城の一部だったらしい。
神成城本丸跡のコブは分岐にもなっていて、左へ分かれる方向に「一峰→」の案内がありました。
軽く下ったのち、これを登り返した先が一峰のようです。しかしそこは‥‥
神成山九連峰の最初のピークを飾る「一峰」なのに、狭い上にほとんど何もない場所で、そうと知らなければただ通り過ぎるだけで終わってしまいそうな、いたって平凡な佇まいでしかないのが少々拍子抜けだったかも。
唯一あったのがこのプレート。同様のものを、このあと8回見ることに(すでに姫天狗でも見てきましたが)。
神成城の物見台だったとされる一峰も、ピークでは展望もありません。でも、その先に続く踏み跡を追うと‥‥
やがて崖に行く手を阻まれると、下がスパッと切れ落ちた先に大きな展望が広がっていました。
南側には、すでに見慣れてきた稲含山などが並んでいます。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
そして西側には、険しく切り立った岩峰が連なる西上州の山々が。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


神成城本丸跡のコブに戻ったあと、一旦下った鞍部では宇芸神社への道を分けて、二峰への登りへ。
途中にはやや急な登りも。ここは右側を巻き気味に登れる緩やかな道もあったようでしたが。
二峰は「龍王山」と山名が付いているだけあって、そこそこの広さがあり風格も感じられるピークでした。
ベンチや石祠のほか、ここには標識類も複数あって、見逃したけれど奥には三角点もあったはず。
プレートに刻まれた文字も二峰ではなくて「龍王山」でした。
龍王山でも、開けているのはほかの多くのピークと同じ南側でしたが、ここでは南側に連なる山々を東端まで見渡すことができて、そのうち行きたいと思っている吉井三山もしっかり見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
西に向かって歩いていることから、西側では西上州の山々にどんどん近付いていて、大桁山まで見えるように。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


龍王山から下った先で、登山道を外れて左手の岩峰へと伸びる薄い踏み跡があり、それが三峰かもと思って登ってみましたが、岩峰上には何も見当たらず。この岩峰は九連峰のカウントからは外れているようです。
元の道に戻ると、もう少し登った先が三峰でした。やや手狭な印象のささやかなピークです。
「三峰」のプレート。
三峰では珍しく北側が開けていて(九連峰の中でここだけだったか?)、志賀高原や谷川連峰がチラリと。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
三峰から四峰へは、単純に1度下って登り返すだけ。
四峰は広くてなだらかな頂上部を持つ、ゆったりとしたピークです。
四峰には「ミニ自然博物館」なるものがあって、ショーケースには動植物の様々な標本が飾られていました。
「四峰」のプレート。
四峰は展望には恵まれず、枝の間から稲含山を見通せた南側も、季節が進めば何も見えなくなってしまいそう。
矢継ぎ早に登ったり下ったりが忙しく繰り返される九連峰の稜線にあって、四峰と五峰の間には、とても短い間だったけれど緩やかな尾根を気持ち良く歩ける区間もありました。
次に着いた五峰には打越御嶽山という名前もあり、ここに写っている範囲が全てという小さなピークです。
五峰にも何かの石祠があって、その右側には常夜灯が並んでいました。展望はほとんどありません。
「五峰」のプレート。


五峰の先では、六峰から八峰までが短い間隔で隣り合っています。五峰を後にして下り始めた途端、道が登り返して行ったその先に、六峰らしいピークがもう見えていました。
六峰も、ここに写る範囲が全ての小さなピーク。地形図ではここに標高点があって、325mとされています。
立っていた石碑は、倒れたりでもしたのか折れていて下のほうしか残っておらず、何の石碑かは不明でした。
「六峰」のプレート。
六峰でも展望は楽しめません。この日は見通せた山々も、木々が葉を茂らせれば見えなくなるでしょう。
六峰よりも先では、アップダウンが控えめになった印象で、比較的穏やかな道を歩けるようになります。
良く踏まれた道は、その穏やかさのままで、間もなく左手に現れるピークを巻いてしまいます。でも、そのピークがどうやら七峰っぽいので、左に分かれるやや細くなった道でピークに取り付いてみました。
やはり、そこを登った先が七峰でした。狭くて展望もなく、取るに足らないようなピークでしたから、特にリピーターの方などは巻いてしまいたくなるのでしょうね。
「七峰」のプレート。
次の八峰も七峰と同様、巻き道(右)のほうが優勢で、ピークへ向かう道(左)のほうが頼りなかったです。
八峰も、ちょこんと盛り上がっただけの小さなピークで、パッと見では七峰と似たような印象でした。
「八峰」のプレート。
展望も木の枝越しに見るしかなさそうで大したことないと一旦は決めつけたのでしたが、この岩峰の向こう側に回ってみたら意外や意外、スケールの大きなパノラマが目の前にドーンと広がったのです。
もうすっかり見慣れた南側の山々も、こんなにスッキリと見渡せたのはここだけだったような。しかも見る角度が変わったことで、ほかの場所からは見えていなかったいくつかの山を、新たに見られたりもしました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


八峰と九峰の間の鞍部には、見晴らしが抜群で居心地の良さそうな場所があり、屋根付きの休憩所も設けられていて、そこでは単独行の男性がお食事中。こんな所で食べるお昼ごはんはまた格別でしょうね。
そこは「山カフェ ドローム」だそうで、「おいしい空気」や「いい景色」などすべてのメニューが「¥0」。
その「いい景色」がこちら。南西側を広く見渡せて壮観で、食事のお供には最高の景色ではないでしょうか。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
最後の九峰が最も高くて、その手前が一番きつい登りだったかも。それでもほぼひと息で登れる長さでしたが。
吾妻山と名付けられた九峰に到着しました。標識によれば標高は328.5mで、ここが神成山の最高峰です。
ベンチで先客の女性が食事中だったので、正面から撮影するのは控えて、写真は裏側から。
吾妻山の石祠と標識です。
プレートの文字も二峰と同様に、九峰ではなく「吾妻山」でした。
吾妻山からも、南西側を中心とした広角の展望を楽しめました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


吾妻山からは少し急な勾配の道を下りますが、足元が悪くなることはありません。神成山ハイキングコースは全体を通してきちんと整備されていて、老若男女問わず安心して歩けそうなコースでした。
5分も下ればあっけなく山道が終わって、新堀神社の前へ。ここが西側の登山口になっていました。
新堀神社境内(?)の陽だまりの広場で、吾妻山で腰掛けての休憩ができなかった代わりに少しマッタリ。
新堀神社からはもう車道を歩くだけ。集落に入ったあたりにはトイレもありました(写真左端)。私はあと10分も歩けば南蛇井駅に着きますが、宮崎公園まで戻る人も多いはずですから、これは有難い施設でしょう。
最後は西上州の山を正面に見ながら、南蛇井駅を目指します。5年前に大桁山とセットで登った鍬柄岳って、離れた場所から山容を眺めるのはこの日が初めてだったのですが、こんなに鋭く尖った岩峰だったのですね。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
そして振り返れば、歩いて来たばかりの稜線がほぼ全部見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
上信電鉄の線路沿いを歩くようになれば、間もなく前方に南蛇井駅が見えてきます。
ゴールの南蛇井駅に到着。この日は珍しく時間調整がバッチリで、すぐに乗る電車が来るタイミングでした。
帰りは八高線への乗り継ぎが悪く、上野東京ラインを利用して横浜を経由する大回りな経路となりました。
乗車時間が約2時間半と長い上に、混雑する都心部を通ったりもするので(※)、初めて普通列車のグリーン車を利用してみたところ、高崎線内はほぼガラガラの状況が続き、上野や東京でも思ったほど席は埋まらず、長時間快適に過ごせましたし感染対策上も好ましかったでしょうから大正解でした。なぜか新橋で一挙に乗客が増えて、品川でほぼ満席になったけれど、品川まで来てしまえば、残すはもう2区間だけですからね。今後も普通車グリーン席の利用は「有り」だなと思ったのですが、でも4月から値上がりしちゃうんだよなぁ。。。
(※) コロナ禍以降ずっと都心部を避けていたので、ただ通過するだけとはいえ、東京駅や上野駅まで行くのは2019年以来でした。


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水沢山 [上信越]

2024/01/12(金)

■第475回 : 水沢山(浅間山)(1194m)


今回の行先は榛名山の東端に位置する水沢山。水澤観世音(水沢観音)への初詣も兼ねて出掛けています。
コロナ以降は、たまに遠出する際も移動のリスクを抑えようとJR中央線沿線(山梨・長野方面)ばかりを選びがちで、そのほかの地域からはすっかり足が遠のいていたから、北関東の山に登るのは実に3年ぶりでした。

この日は朝の冷え込みは厳しかったのに、日中は一転して時期外れの暖かさとなり、登り始めたら上に羽織っていたものが次々と要らなくなる羽目に。1月も中旬を迎えた北関東の山を、まさか山シャツ姿で歩くなんて全くの予想外でしたが、その一方で空気が澄んだこの時期らしい展望はしっかり健在で、快適に過ごしながら遠望も楽しめるという、願ってもない展開に大満足の1日でした。

 累積標高差(登り):724m / 距離:6.6km / 歩行時間:2時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 05:35-05:58 八王子 06:09-06:58 高麗川
高麗川 07:01-08:27 高崎 08:55-09:57 水沢

(登山行程)
水沢バス停      10:00
水澤観世音(水沢観音) 10:05-10:15
水沢山        11:30-11:45
水沢山登山口     12:00
つつじヶ丘休憩所   12:10
ときめきデッキ    12:25-12:35  (上ノ山公園)
見晴駅        12:37
伊香保神社      12:50
勝月堂        12:55-13:00
石段街口バス停    13:10-13:40  (石段アルウィン公園等の散策含む)
伊香保案内所バス停  13:45

(復路)
伊香保案内所 14:00-15:20 高崎 15:50-17:15 高麗川
高麗川 17:24-18:10 八王子 18:17-18:39 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

高崎駅から1時間以上バスに揺られて、水沢バス停で下車します。6~7人の乗客のうち、ここまで乗り続けたのは私だけで、私が降りたあと、バスは空気だけを運んで走り去りました。正面がこれから登る水沢山です。
沿道に並ぶ水沢うどんの店を見ながら2分ほど歩けば、早くも最初の目的地、水沢観音の石段が現れました。
下からも見えていた仁王門を途中でくぐる石段は、さほど長いものではなくて、1~2分の登りで境内へ。
水澤観世音(水沢観音・水澤寺)は、創建年不詳ながら、飛鳥時代(推古天皇朝)の創建とも伝わる古刹。元禄年間の建立とされる本堂の観音堂で参拝します。
水沢観音の境内は思いのほかコンパクトで、本堂のすぐお隣には二重塔になっている六角堂。
鐘楼は、一打100円で、誰でも鐘を撞くことができました。このとき境内に居合わせた人たちの中に、鐘を撞く人はいませんでしたが、水沢山に登り始めたあとの登山道では、何度か鐘の音を聞くことになっています。
札所で御守りを授かります。信心深いほうではないけれど、やはり初詣の時くらいは。
本堂左手に飯縄大権現の鳥居と石段があり、そこが水沢山への登山口にもなっていました。
石段をひと登りで、水沢観音の鎮守とされる飯縄大権現。水沢観音の境内はこのあたりまでだったのかな。


飯縄大権現の前を過ぎると山道に変わりました。気持ちも参拝から登山に切り替えて、先へと進みます。
登山道が始まると、平日なのに次々とすれ違う人が現れてちょっとした驚き。こんな人気がある山だったのか。
5分ほどで林道っぽい道に突き当たり、その林道(?)に入ります。
林道(?)を歩く距離は短くて、すぐに舗装区間の終わりが見えてきたら、その少し手前から再び山道へ。
山道は初めのうちこそ、緩やかな勾配で歩きやすかったのでしたが‥‥
その先でひとたび傾斜が強まると、以降は少々きつめの調子の階段道が、頂上までずっと一貫して続くのでした。すぐに汗が吹き出てきて、たまらず一番外側に羽織っていたジャケットを脱いでバックパックの中へ。
登山道はボランティアの方々によって整備されているとのこと。登山者が多い山ですから、登山道も荒れてしまいがちなところ、こうして木段がきちんと整えられていたり、洗掘の拡大を避けて道が付け替えられた箇所もたびたび目にするなど、丹念に手入れされている様子がとても良く窺えて、その労力に頭が下がる思いでした。
「お休み石」という標識の地点が、距離では頂上までのほぼ中間点で、休憩適地になっていました。
ところでこの前後では、私のすぐ後方をほぼ同じペースで歩かれていたご夫婦(私より少し年上かな?)が、すれ違う方々とたびたび親しく会話されていたので、どうやら多くの皆さんが互いに顔馴染みらしく、会話の内容からすると毎日のように登っている方も少なくなさそうでした。地元の方々にとても良く愛されている、常連さんの多い山だったのですね。平日にもかかわらず、たくさんの人を見掛けるのはそういうことだったか。
次第に岩の露出が増えてきて、時にはやや険しい箇所も現れますが、ロープや手摺りなどが適切に設置され、安全に歩けるようにとの配慮が行き届いている様子には、整備する皆さんの山への愛情も感じられました。
それにしてもガンガン登る具合が続いて勾配の緩む箇所がなく、結構きついです。気温がどんどん高くなっていた上に、そんな登りに身体も火照る一方で、フリースのジャケットも余計になり、ついには山シャツ姿に!
標高が上がるにつれて降雪の痕跡を見るようになっても、その量なんてほんの僅か。実は頂上まで全く雪の影響がないことを、前日に登山サイトで確認できていたので、それで雪対策は何も持たずに来ていたのでした。


多くの石仏がズラリと並ぶ地点に到着。薬師如来信仰に由来する12体の石仏らしく、十二神将と呼ばれます。
そこで一気に東側が開けて、爽快な展望が広がりました。「見晴台 石仏」という標識の先には赤城山。
赤城山だけでなく、日光や尾瀬方面の山々も見渡せます。展望を楽しみながら、ここでちょっとひといき。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一変して平坦に近くなった道を進むと、すぐ先で今度は「見晴台 草ぼうず」なる標識が立つ地点に出ます。方角的に関東平野が一望、って感じの場所ですが、そちらは季節外れの陽気ゆえか盛大に霞んで何も分からず。
その代わり、筑波山がなんとか見えていました。100km以上先になりますから、この時期ならではの眺めかと。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
標高は1100mを超えて、すでに頂上部の一角に入ったらしく、実際にこのあたりで道も穏やかになっていますが、前方に姿を現した頂上はまだ鋭く尖った形をしていて、もうひと苦労させられそうな具合に見えています。
その見た目通り、一旦は穏やかになった道も、小ピークを2つほど越えた先で、再び急登の再現となりました。


水沢山に到着しました。この通り背丈の高い樹木が全くなく、全方位に展望が広がって爽快な頂上です。
頂上を通り過ぎて反対側から振り返りました。登る人の多い山なのに、さほど広くない頂上に人の姿が少ないのは、常連さんが長居せずにすぐ引き返していたから。そりゃ毎日のように登っていれば、頂上も特別な場所なんかではなくなりそうですし、近所にお住まいなら、食事とかもご自宅でのほうが快適にできそうですからね。
展望のスケールの大きさはこの展望盤からも窺えます。冬晴れの青空の下ですからそれは見事な展望でした。
ここからはそんな展望を東側から半時計回りにご紹介。まずは赤城山から谷川連峰にかけてです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
広角のパノラマだけに上の写真と半分がた重なりますが、お次はほぼ真北の谷川連峰を中心に。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
こちらはすぐ西隣に接する榛名山本体と、南側には遠く首都圏近郊の山まで。もちろん富士山も。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて、エリアごとに少し大きめに撮った展望写真を、やはり赤城山から左回りで綴ります。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北東側には日光や尾瀬周辺の山々。こちらは雲も多くて、平ヶ岳などは見えていなかったようです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北側の谷川連峰になると、しっかり雪が付いて白く輝いているさまが神々しいくらいでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
谷川連峰の続き。白砂山より西側は、どうしても樹木が重なる具合で、スッキリとは眺められませんでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
西隣の榛名山は、榛名湖の周囲をぐるり一周したのが2008年で、もう16年も前のことなのでした。その時に榛名富士と烏帽子ヶ岳のほか、最高峰の掃部ヶ岳にも登りましたが、掃部ヶ岳は水沢山からは見られないみたい。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南西側には奥秩父あたりの山々が連なり、120km以上離れている富士山もうっすらと。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
最後は東南東側の筑波山など。素晴らしい展望を堪能できたのは良かったけれど、展望写真の編集に結構時間がかかってしまったなぁ(このあとにもいくつかの展望地に寄っていたから、今回は点数が多かった‥‥)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


水沢山からは、榛名山を正面に見ながら西へ。こちら側は歩く人が少なくて、ほとんど人を見なくなります。
下りはじめ穏やかだった道にも、時折ロープが下がる急な箇所が現れたりして、楽な下りではありません。
電波塔の前で登山道は尾根を右に外して、以降は北斜面をトラバース気味に下るようになります。
するとその先は道の勾配が緩む代わり、ザレた路面が続くようになって、足を取られないよう要注意でした。
さらに北斜面に入ったことで、いくらか雪の残り方が増えたような。そういえば、頂上に雪がなければもう大丈夫と軽く考えて、水沢山から先の道の様子は未確認だったのですが、標高を下げても道の向き等によって状況が変わることに思い至らなかったのは軽率だったかも。ここも歩くのに全く支障がない程度で助かりましたが。
車道に出ました。道標はここを「水沢山登山口」としており、良く歩かれていて私も登ってきた水沢観音側(東側)と区別する上で西登山口とも呼ばれているようです。近くには駐車スペースもありますが、ここからだと標高差は200mもないくらいで、かなり物足りない登山になりそう(実際、15分くらいしか下っていませんし)。
伊香保へ下るには、車道をそのまま進めば近いのですが、舗装道路では味気ないので、向かい側にある山道へ。
すると、ほんの1~2分の登りで二ッ岳へ通じる尾根道に突き当たって、ここを右に折れます。
そこからは、ササが茂る穏やかな尾根道の下りに。すぐ右隣を、つい先程突っ切った車道が並走しています。
5分ほど下ったところに、「つつじヶ丘休憩所」があります。何も表示はなかったけれど、実は水沢山登山口(西登山口)のあたりから伊香保森林公園内に入っていたようで、この休憩所も公園の施設のひとつらしい。
「つつじヶ丘休憩所」の前からも、東側から北側にかけての展望を楽しめました。東側にはもちろん赤城山。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
尾瀬方面の山は少し増えた雲の中に隠れたりもしていたけれど、谷川連峰はまだしっかり見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして歩いてきた側を振り返ると、水沢山がどっしりとした姿でそびえ立っていました。


「つつじヶ丘休憩所」の先で、先程突っ切った車道をもう1度突っ切り、尾根道をさらに下ります。
その先に一番雪が多く残る一帯がありましたが、ここも雪を意識せずに歩ける程度で、事なきを得ています。
さらに進んで、下りの傾斜がやや強まる中をグングン下っていくと‥‥
先程までとはまた別の車道に出ました。少し先には広い駐車場があるようで、そこには久々に見る人の姿が。
その駐車場のあたりまでが伊香保森林公園内だったようで、そこから今度は上ノ山公園へと入っていきます。
上ノ山公園に入ってすぐの分岐で、道標が右折側を次の目的地だと示してくれていましたが、この時期ならそんな案内がなくても、目標となる建造物が葉を落とした樹木越しにもう見えてきていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、その建造物の位置を明示します。
見えてきていたのは、上ノ山公園の見晴展望台「ときめきデッキ」です。
「ときめきデッキ」に着くと、そこは展望台に登らなくても十分に展望を楽しめる場所でしたが‥‥
やはり登ったところからの眺めも見ておかねばと、階段を上がります。
「ときめきデッキ」の展望台はこんな具合です。ここはもう、下の温泉街からロープウェイに乗ればすぐに来られるようなところなのに、この時は全く人気(ひとけ)がなくて静まり返っていました。
「ときめきデッキ」からの展望も、すでに見慣れた北東側が中心でした。まずはそのほぼ全容をパノラマで。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて、エリアごとに少し大きく撮ったものを並べます。こちらは東側の赤城山や筑波山など。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北東側の日光の山々は、武尊山が辛うじて見えていたほかは、あらたか雲の中に入ってしまっていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
谷川連峰も、肝心の谷川岳が見えなくなっていて、午前中に水沢山からスッキリと眺めておけて良かった‥‥
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
でも谷川岳以外の山々は、雲が増えてきた中でもしぶとく顔を見せてくれていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


その後は、上ノ山公園の遊歩道をゆるゆると歩いていきます。相変わらず人の姿を全く見ません。
ロープウェイの見晴駅ではトイレを利用させて頂いたけれど、ここもこの時はひっそりとしていたなぁ。。。
見晴駅の先で「関東ふれあいの道」のコースが合わさったら、あとは伊香保温泉街に下るまで「関東ふれあいの道」と同じコースを進みます。遊歩道はしばらくの間、緩やかな下り坂が続きましたが‥‥
ひとたび階段道に変わったら、あとはずっと階段の連続でした。
下るのも少ししんどく感じるほど階段が続きます。ようやくこのあたりから、登ってくる観光客と時々すれ違うようになりますが、皆さん一様に苦しそう。これだけ階段を登るのは登山者でも堪えそうですからね。。。
伊香保温泉街が迫ってきました。温泉街の一番高いエリアが、もう手に取るような近さに。
そして階段道は伊香保神社へ。現在喪中につき、ここでは少し遠目から手を合わせるだけにしました。
伊香保神社の参道を上から見下ろすと、短い石段の先が、そのまま温泉街の石段と繋がっているようです。
石段は全体で365段あるらしい。その全部を、これから下ります。
が、神社参道の石段だけを下ったところから、脇道を左に入って、勝月堂というお店にちょっくら寄り道。
勝月堂は明治43年の創業で、温泉饅頭発祥の地である伊香保の中でも、元祖とされるお店です。「湯乃花饅頭」は箱入りのほか単品でも買い求められ、単品は無包装のままお皿に乗って出されるので、店の前のベンチで2つ頂きました(お皿は食後に要返却)。平日で客もまばらなタイミングだからか、単品だと出来立てのはずも熱々とかでは全然なかったけれど、黒糖の風味豊かな皮に口溶けの良い餡が合わさり上品な甘さで美味しかったです。保存料を使用していないため、土産用の箱入りでも消費期限は翌日までなので、購入の際はご注意を。


小腹を満たしたあとは、いよいよ石段街を下ります。
写真は人があまり入らないタイミングを狙って撮っていますが、少し人が増えてきたかな。平日とはいえ金曜日の午後になったので、木曜日までとかよりは人出も多くなっていたことでしょう。
間もなく365段を下り切ります。石段の先にあるロータリーには、バスを待つ予定のバス停も見えてきました。
伊香保温泉の石段街を振り返ります。ハート形があしらわれてインスタ映えしそうなオブジェの前では、この程度の人出でも時々順番待ちが発生していたので、休日だとなかなか思うようには撮れないかもしれませんね。
この石段街口バス停で帰りのバスを待つ計画でしたが、石段街の途中に立ち寄りたくなるような場所も見つからず直行してきてしまったので(せっかく温泉街に来たのだから足湯くらいはと思っていたけれど、そこも思いのほか混んでいてスルーしていたり)、高崎駅行きのバスは50分待ち。盛大に時間を持て余してしまいます。
仕方なく、すぐ前にあった観光案内所を兼ねた「お休み処」に入って暖を取りながらスマホをいじっていたら、目の前のバス停になんと渋川駅行きのバスが現れて、誰も乗る人がいなかったからか停める間もなく走り去っていきました。改めてバス停を確認してみると、ここには群馬バスだけでなく関越交通バスの路線もあったのに、その存在を見落としていたことが発覚。このことで現地では大いに気落ちしていたのですが、後日確認してみたら、それに乗ったとしてもJR八高線の本数の少なさゆえに帰宅時間は変わらなかったみたいでした。

時間がタップリあるので、石段アルウィン公園などを散策しつつ、とある場所へと向かうことに。
それはひとつお隣の伊香保案内所バス停。先程の石段街口バス停から300mほどしか離れていないのに、ここはもうすっかり町はずれ。人通りもほとんどなく寂れた雰囲気すら漂う中に、それはぽつんと佇んでいました。
どのバスもここが始発なので、あわよくば早めに乗れたりして、待ち時間を短くできるかもって淡い期待も‥‥
私が来る前からずっと停まっていたバスも、なかなか乗車扱いは始まらず、結局乗れたのは発車3分前になってからでした。ま、ほとんど人の往来がない場所だけに、普段はここから乗る人など稀で、だからこの日に限ってバスを待つ者が現れていたなんて、きっと想定外の出来事だったのでしょう。これは仕方なかったかな。。。

帰りのバスの乗客は、当分の間は私だけ。伊香保エリアばかりか、水沢周辺でも乗る人がなかったのです(平日午後の便ですからね)。でも榛東村の中心部あたりからぼちぼち乗客を拾い始めて、高崎の市街地に入る頃には座席がそこそこ埋まるくらいに。高崎に着いた後は、都心部の混雑を避けのんびり八高線経由で帰りました。

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岩櫃山・観音山 [上信越]

2019/04/29(月・祝)

■第406回 : 岩櫃山(802m)・観音山(530m)


今回の行先は群馬県東吾妻町の岩櫃山です。標高800mそこそこの低山ながら、上部には険しい岩稜が連なり、登山道も一部がその中を縫うように通されていて、スリリングな山登りができそうなのが楽しみでした。

山の南面には高さ約200mもの断崖絶壁が切り立っていて、中国の南画をも思わせるその荒々しい山容が、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に登場していたのをご記憶の方も多いのではと思います。
そのことで一躍有名になったこの山も、放送から2年が経過、人出も落ち着いた頃合とみて出掛けてきました。
「真田丸」のオープニング映像にも登場した、岩櫃山南面の大絶壁

 累積標高差(登り):612m / 距離:7.2km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:54 高麗川
高麗川 06:58-08:27 高崎 08:53-09:56 郷原

(登山行程)
郷原駅     10:00
密岩通り登山口 10:25
岩櫃山     11:15-11:25
岩櫃城本丸址  11:55-12:00
平沢登山口   12:10
不動堂     12:30
観音山     12:45-13:00
不動堂     13:10
群馬原町駅   13:30

(復路)
群馬原町 13:46-14:36 新前橋 14:40-14:50 高崎
高崎 15:36-17:20 赤羽 17:26-17:41 新宿
新宿 17:57-18:28 町田 18:48-18:51 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR吾妻線を郷原駅で下車すると、同じ電車から降りたのは、私のほかには観光客風の男性1人だけでした。駅のすぐ北側には、岩櫃山の独特の山容が迫っています。
岩櫃山は、もちろん郷原駅のホームからも見上げることができました。


駅から10分ほど車道を歩いたところに登山者用の駐車場があって、そこが古谷登山口となっていました。
停められていた車は3台だけで、ちょっと安心。これから向かう、細くて険しい登山道では、人が多いと渋滞やすれ違い待ちが頻発して、思うようなペースで歩けない心配があったのですが、この台数なら大丈夫でしょう。
古谷登山口まで来ると、いよいよ岩櫃山南面の大絶壁を間近から見上げる形になっていて、迫力満点です。
引き続き車道を歩いていると、集落のあちこち花々が咲き乱れて、山里の遅い春を謳歌しているようでした。
車道区間だけで100mほど登ってしまい、一番奥にある民家のあたりで横道に入ると、間もなく登山口です。
登山口手前から見上げる岩櫃山です。この絶壁自体を登るわけではないとはいえ、こんなに険しく見える岩峰の上に、一体どうやって登るというのだろうか‥‥。


岩櫃山には5本の登山道があって、難易度はそれぞれで異なりますが、せっかく遠出してこの山を登りに来たのだから、その険しさを存分に体感しようと、登りのコースには最も急峻で中・上級者向けとされる「密岩通り」を選びました。ここがその登山口です。
登山道は最初から急勾配です。木段が断続的に現れて、段差の大きな箇所も少なくありません。
登山口から山頂までの標高差は約250mほどしかなく、その数字だけで考えると楽に登れそうな気になりますが、実はその間の水平距離が700mくらいしかないので、勾配は平均で約35%にもなるのでした。
ほどなく、岩場というほどではないけれど、クサリが下がる岩混じりの急斜面も出現します。
それにしても、序盤から容赦ない登りが続くので、時々立ち止まって呼吸を整えながらでないと登れません。
登るにつれて、足場も次第に悪くなっていきます。本格的な岩場が現れるのはまだまだ先のことですが、ここまでですでに、このコースが下りには向かないことが良く分かりました。


急斜面を登り切り、尾根に上がった所が六合目です(ちなみに郷原駅が一合目、古谷登山口が二合目で、登山道が始まる密岩通り登山口が三合目でした)。ここはこのコースでは貴重な平坦地で、ホッとできる場所でした。
登山道の険しさは、六合目より先が本番。七合目まで進むと、最大の難所「天狗のかけ橋」が待っていました。
「天狗のかけ橋」には迂回路があってそちらが先に目に入りますが、迂回路も決して楽な道ではなさそうです。
「天狗のかけ橋」は、両側が切れ落ちた細いアーチ状の岩場です(分かりにくいけれど写真の下半分がそれ)。長さはほんの2~3mで、真っ直ぐに歩いてさえいればすぐに通過できそうなのに、ただでさえ狭い足場が結構凸凹していて、もし途中で身体がグラついてしまうと即落下なので、通る決心が固まるまで少々躊躇いました。
「天狗のかけ橋」を振り返りました。通ってしまえばほんの一瞬ですが、左右どちらかに落ちれば一大事になるだけの高さがあって、心臓がバクバクでした。なお微妙に登り傾斜だったので、下るほうが余計に怖そうです。


以降はクサリ場の連続となりますが、クサリで登る岩場には手掛かり足掛かりとなる凹凸が豊富で、傾斜も極端に急にはなりません(垂直に近い岩壁になると、大抵はハシゴが設置されていました)。整備状況も良かったので、「天狗のかけ橋」を除けば大きな危険を感じることはなく、スリルを味わう程度の感覚で歩けています。
頂上部が見えてきました。最後はどうにかして、あの岩塔に登るようです。
岩の中にできた、こんなトンネルをくぐり抜けて進むことも。規模は違うけれど、妙義山の石門みたい。
ほどなく、先程から見えていた岩塔が目前に迫り、その基部をトラバースして反対側に回り込むと、険しかった「密岩通り」コースの中でも最大規模のクサリ場が現れて、最後の仕上げを慎重に登っていきます。なお、このクサリ場は全コース共通で、ほかの比較的穏やかなコースから登ってきても、ここだけは避けて通れません。


岩櫃山の頂上に到着しました。標識が立っている小さな岩頭が最高点です。頂上の全体写真は撮り忘れましたが、今立っているあたりが狭いながら平坦地になっていて、10人くらいまでなら居合わせても大丈夫そう。
小さな岩頭のてっぺんに埋設されていた三角点は、その場所の狭さゆえか、金属製の丸いタイプのものでした。
岩櫃山の頂上からは、360度すべての方角をぐるりと見渡すことができて、展望盤も設置されていました。
まず南側を見てみると、すぐ近くにある榛名山が存在感を示していました。
その榛名山をアップにしてみました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて西側の展望です。天気が緩やかな下り坂だったこの日、西側は雲が多くて、浅間山はその雲の中でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
それに対して北側はまだ見通しが良く、雪を抱いた谷川岳など上越国境の山々を眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして東側を見ると、小野子三山の後方で赤城山が霞んでいました。
  ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
この時頂上にいたのは私だけでしたが、東隣にあるもうひとつの岩塔には、何人かの登山者の姿がありました。
このあと、その東隣の岩塔から、4人くらいのグループがこちらに移動してくるのが見えたので、それを潮時に頂上を後にします。彼らとは2つの岩頭の鞍部ですれ違い、短いクサリを登って、今度は私が東隣の岩塔へ。


東隣の岩塔から頂上を振り返りました。見えているクサリとハシゴを登り、先程まで私が立っていた場所です。
東隣の岩塔を過ぎると、その先にはもう険しい場所はなく、比較的穏やかな登山道に変わります。
しばらく下ったあたりに2つの分岐点があり、「沢通り」と「赤岩通り」を見送って「尾根通り」に入ります。
2つの分岐点では標識によって案内の仕方がまちまちで、地図を見ないと道を間違えそうで注意が必要でした。
「尾根通り」は途中で岩場コースと迂回路に分かれます。岩場コースを選んでみたものの、途中に現れた岩場はたいしたことがなく、写真も撮らずに通過していたら、じきにまた道が合流してしまいました。


東に延びる尾根を中腹まで下ってくると、岩櫃城本丸址に出ます。往時の建物は何も残されておらず、建物の土台らしい形跡や竪堀などの地形が遺構として見られるのみですが、すぐ下の駐車場から遊歩道を15分も登れば着く場所ですし、真田氏ゆかりの地ということもあってか、多くの観光客の姿がありました。
立派な標柱と、岩櫃城の由来を記した解説板がありました。
一段下がった場所にはあずまやが建っていて、中には登山者ノートが備え付けられていたようです。


本丸址を過ぎれば、あとは穏やかな遊歩道を下るだけ。この道なら軽装の観光客でも問題なく歩けるでしょう。
本丸址からは10分もかからずに、平沢登山口に到着。岩櫃山への登山は、ひとまずここまでとなります。
平沢登山口には、NHK大河ドラマ「真田丸」の放映年にできた観光案内所があります。人が多そうだったのでスルーしてしまいましたが、中に入れば岩櫃山や岩櫃城のジオラマなどが見られたようです。
少し下ったところには大きな駐車場も。大型連休中とはいえ、放映から2年が経った今もこれだけの車が停められているのですから、放送当時は相当な賑わいだったのではと思われます。
このあと、岩櫃山とセットで登ろうと思っている観音山を目指して、車道をさらに先へと進みます。ただ、観音山を訪れる人は少ないようで、駐車場を過ぎると、途端に人気(ひとけ)がなくなりました。


車道をしばらく歩いたところに、観音山への近道があります。なぜか最近の案内図には書かれていない道なのですが、入口にはきちんとした道標が立っていたので、特に不安を感じることもなくその道に入りました。
しかし、その道をたどった先にあったのは洞窟みたいな所。これはどう見ても行き止まりだなぁ。。。
仕方なく来た道を戻りましたが、おかしなことに、いくら探しても分岐道の見落としはなく、一本道で間違いなさそうなのです。そこで今度は洞窟の奥まで行ってみたら、「石門」と書かれた標識を発見。これってもしや?
まさかと思いながら岩穴の下を覗き込むと、ハシゴとクサリが続いていましたが、この下りが結構なクセ者でした。その最大の要因はこの穴の小ささにあります。ハシゴに移る前に斜面に正対したかったのに、狭い上にハシゴの位置も微妙でうまく身体を反転させられず、その後も大きなザックを背負ったまま下るのが一苦労でした。
通り抜けた石門を下から見上げていますが、ここは登りでないと厳しく、かつ軽装でなければ難儀するでしょう。最近の案内図にこの道が書かれなくなっている理由も、そのあたりにあるのではと感じています。
さらに、上の写真を撮った時に立っていた所まででクサリは終わったのですが(岩場がそこまでだったからでしょう)、その先で土の地面に変わってもまだ急坂は続いていて、しかもサラサラに乾燥した落ち葉が厚く積もっているものだから、もう完全に滑り台状態。この直後に見事にスッ転んだばかりか、その場で尻餅をついただけでは終わらずに、2~3mほど滑り落ちたのでした。あんなに派手に尻餅をついたのは、一体いつ以来だっただろうか。落ち葉の上だったから特に怪我はなく、ウェアもほとんど汚れなかったのは幸いでしたけれど。。。

その後も続く滑り台のような坂道を慎重に下って、不動滝まで来ればひと安心でした。
滝から少し登り返した所には不動堂。周囲に人の気配はなく、不動滝の水音だけが響いて厳粛な雰囲気でした。


観音山への登山道は、不動堂の脇から始まっていました。
観音山の斜面には多数の洞窟があって、登山道もそのいくつかの近くを通ります。
随所に大岩がゴロゴロと転がり、足元の悪い所もありますが、岩櫃山と比べると全てが他愛もなく見えました。
途中には金を掘ったといわれる洞窟も。
中腹に分岐点がありましたが、南大岩窟を回るコースは整備不良で荒れているらしく、通行止めでした。
岩場ではクサリを何度か見掛けたものの、さほど険しい箇所はなく、使わずに済むことが少なくなかったです。


観音山の頂上に到着です。登山口からの標高差がほんの100mほどしかなく、登っていた時間も15分という短さでした。この山にも、かつて柳沢城という山城があって、岩櫃城の支城だったと考えられているようです。
頂上には、上の写真の観音像(それが山名の由来でしょうか)のほか、小さな社がいくつかありました。
観音山の頂上ではツツジが見頃を迎えていました。
展望はほとんどなく、かろうじて東側に十二ヶ岳や小野子山を眺められる程度でした。


観音山からは、下るのもあっという間。10分もかからずに登山口に戻ってしまって、あっけなかったです。
あとは駅まで車道をひたすら歩きます。
最後は群馬原町駅で帰りの電車を待ちました。町の中心駅だけあって、この駅は利用者が多かったです。

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