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南山・権現平 [丹沢]

2024/03/30(土)

■第479回 : 南山(544m)・権現平(568m)


この日の行先は宮ヶ瀬。コースタイムが約3時間のショートコースで、宮ヶ瀬湖北岸の2座を巡っています。

南山と権現平は、すぐ近くで隣り合っているだけに、山行計画もワンセットで立てるのがお決まりのパターンになっていて、訪れるのは今回で3回目。4年前の前回(2020年1月)とほぼ同じコースで歩いてきました。

 累積標高差(登り):638m / 距離:8.2km / 歩行時間:2時間40分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:3時間15分 

(往路)
古淵 06:20-06:23 淵野辺 06:30-06:55 田名バスターミナル
田名バスターミナル 07:12-07:40 半原

(登山行程)
半原バス停        07:45
県立あいかわ公園     08:05-08:10 (パークセンター)
あずまや         08:45-08:50
南山           09:10-09:20
権現平          09:40-09:55
鳥居原ふれあいの館    10:40
森の展望台        10:50-11:05
鳥居原ふれあいの館バス停 11:15

(復路)
鳥居原ふれあいの館 12:00-12:49 橋本 13:04-13:15 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

宮ヶ瀬湖を堰き止めている宮ヶ瀬ダムから約1.6km(直線距離で)下流側にある半原バス停からスタートです。
ここは小田急線の本厚木駅からなら直通の路線バスがあるほか、JR横浜線の橋本駅やJR中央線の相模湖駅からもバスを乗り継いで来られますが、今回利用したのは知名度が少々低そうなJR横浜線淵野辺駅からのルートで、終点までの乗客は私を含めて2人だけ。まだ早朝だけに、周囲にはほかに登山者の姿もありませんでした。
中津川沿いの車道を10分ほど遡り、家並みが途切れた先が分岐点。左の道で宮ヶ瀬ダムまで進んでも、まだインクライン等が動いていないこの時間だと行き止まり同然なので、県立あいかわ公園へ上がる右のスロープへ。
スロープではサルが何匹かひなたぼっこ中。人馴れしている様子で、私を見ると少し離れて通してくれました。
スロープの途中、右手には桜並木が(そこはもう公園内なのかも)。まだ1~2分咲きで少し早かったけれど。


県立あいかわ公園内に入りました。まだ開園時間前なので、中で見掛けた人の姿は数えるほど。
中に管理事務所などが入っているパークセンターで、職員の方にお声掛けしてトイレを利用させて頂きました。
この公園から南山へ登るコースは2つあり、そのうち東側の「冒険の森」からのコースを前回登っているので、今回は西側の「花の森」から登ることにして、「花の斜面」への階段を上がります。
このつり橋を渡って「花の森」エリアに入ると、南山への案内標識なども見るようになります。
「花の森」エリアの坂道を登り詰めたら公園の出口で、そこから少しだけ車道を歩いたところに‥‥、
南山の登山口がありました。季節外れの暖かさとなったこの日、春を通り過ぎて夏をも思わせるほどの陽気に、とてもジャケットなんか羽織っていられなくなっていて、ここからは山シャツ姿で登ることに。


登りしなから木段が続きますが、前回登った隣のコースもほぼ木段ばかりだったので、これはまぁ予想通り。
でもこちらのコースは、途中で普通の坂道になる区間も結構あって、そんなにキツくは感じません。登りならそこまで大きな差ではないかもだけど、もし下るのならば、こちらのほうがずっと快適に歩けることでしょう。
とはいえ、隣のコースとほとんど同じだけの高低差を登るわけですから、その後は再び木段が続くように。
それでも、木段の連続に嫌気がさす前に、隣のコースを合わせる分岐点まで来られて、やはりこちらのほうが少し登りやすかったのかな。ここから先は、ゴールの鳥居原まで4年前の前回と全く同じコースを歩きます。
さらに続く木段に耐えて登っていくと、前方に鉄塔が見えてきました(写真中央、縮小で不鮮明ですが)。
この送電線鉄塔が、距離的には登山口から南山までのほぼ中間点にあって、高低差上では2/3ほどを登り終えていることに。ここまで来れば、頂上までの登りもあらかた計算できて、あとは少し楽な気分で歩けます。
そしてそこは、すぐ先にあずまやが建っているのも好都合で、腰をおろしてひと休みできました。
あずまやからは眺めが良くて、真冬に訪れた前回は遠く筑波山まで見通せたりしたのですが、さすがにここまで暖かくては近くの相模湾すら望めません。この日は暖気による春霞のほか、黄砂の影響もあった模様です。
なので、宮ヶ瀬湖を挟んだ対岸の山々を眺められた程度でした。あちらはもう15年近くご無沙汰だなぁ。。。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


あずまやを過ぎれば、穏やかな傾斜の中を楽に登れるようなところも増えてきます。
477mピークを通過。ここまで登ると、丹沢の核心部も見えてきていますが、展望はまたあとのお楽しみに。
この急斜面は岩ゴロの足元が少し不安定で、手摺りが設置されたりしていました。ほんの短い距離ですが。
頂上の直前では、もうひとつ小さなコブを越えていくことになって、すんなりとは登らせてもらえません。
が、樹木が疎らになってこんな景色が現れたら、もう頂上はすぐ先です。
南山に到着しました。ここまで、自分以外のハイカーを数えるほどしか見ていなくて、この頂上も無人です。
南山では南側~西側が大きく開けていて、丹沢の山並みを手に取るように眺められました。
その展望を、まずは全体像から。宮ヶ瀬湖の先に丹沢核心部の山々がそびえ、右に主脈の縦走路が連なります。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
上のパノラマの左側から順に、少し大きく撮った写真も。こちらがほぼ真南に当たります。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南西側には、丹沢表尾根の山々などを一望でした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして西側には、最高峰の蛭ヶ岳をはじめとする丹沢核心部の面々が並んで、錚々たる見映えでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


南山と権現平の間は穏やかな尾根道で結ばれていて、とても気持ち良く歩ける区間でした。
アップダウンを繰り返すもののどれも小さなもので、急な登り下りなどもなく、快適に歩が進みます。
こんな木段が見えてくれば、それを登り詰めた先が権現平の頂上です。
木段の先には、山の神として権現様を祀った小さな祠が。これが権現平という地名の由来らしい。
権現平に着きました。あまり山っぽくない地名ながら歴としたピークになっていて、ここがこの日の最高点。
そこには木々が刈られて大きく開けた空間が広がり、のんびり気分で心地良く寛げる広場になっていました。
広場では展望はありませんが、南東側(上の写真の右端)には見通しの良い場所もあるので向かってみます。
そこは、宮ヶ瀬湖をちょうど眼下に望む展望デッキになっていました。
展望デッキからは、横浜など県内各地の街並みや、東京湾越しの房総半島まで見渡せるとありますが‥‥。
    ※下の写真は縮小で字が潰れたので、大きな写真を こちら に置いておきます。
すでに書いてきた通り遠くは霞んで、ここと同じ相模原市の市街地すら定かな見え方ではありませんでした。
展望デッキから少し戻ったあたりには、三角点もあります。三角点の標石とかが以前と同じようだった一方で、4年前に見た標柱はなくなっていて、私製の標識が代わりに立っていました。
展望デッキ側から広場を振り返った様子。来週あたりになれば、サクラも楽しめるでしょうか。


権現平からは宮ヶ瀬湖畔の鳥居原園地へと下ります。下り始めてすぐの所には、きれいなトイレがありました。前回は冬季の使用中止期間だったけれど、今回は利用できた模様(その存在をすっかり忘れていましたが)。
鳥居原への道は比較的穏やかです。時折木段も現れますが、さほど急ではなく長く続くこともありません。
少し下ったあたりで送電線鉄塔脇を通過すると、送電線の直下が刈り払いされていて見通しが良好でした。
そのため、ここで初めて北側の展望に少し触れられたのだけれど、空気が澱んで盛大に霞んでいた上、ススキの穂も邪魔でなおさらスッキリとは眺められず残念でした。せっかく奥多摩や大菩薩近くまで見えていたのに。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
反対側では宮ヶ瀬湖の湖面が視界いっぱいに。この先、時々左手に見えるその湖面がどんどん近くなります。
こちらの道には距離表示を併記した道標が頻繁に立っていて、どのくらい歩いたかの良い目安になりました。
緩やかな下りが多いぶん、尾根歩きを長く楽しめます。裏を返せば、タラダラした下りが少し長いと感じたり。
しかも最後には少々大きな登り返しがあったりして、穏やかな道を楽に下れるばかりではありませんでした。
登り返しを過ぎて見えてきた鳥居原園地は、駐車場に多くのクルマやバイクがあって、賑わっている様子です。
登山口まで下ってきました。この写真で白飛びしてしまった上部は、もう舗装道路です。
車道から登山口を振り返ったところ。車道はクルマやバイクの行き来が頻繁で、実際に相当の人出がありそう。


少し車道を歩いたのち、鳥居原園地の駐車場に入ると、クルマもバイクも思っていた以上の台数で少し驚きが。
園地の中心的施設である「鳥居原ふれあいの館」も、まだ午前の少し早めの時間かなと思っていたのに、周囲にはすでに何台ものキッチンカーなどが繰り出したりして、多くのお客さんを捌いていました。
さて、帰りのバスの発車時刻はまだ1時間以上も先。同様に時間に余裕があった前回は「岬の展望台」まで歩いて時間調整していたので、今回は別な所をと「森の展望台」に向かうことにして、湖畔庭園に入ります。
噴水池には鐘がぶら下がる塔が建っていて、紐を引けば鐘が鳴り噴水が上がる仕組みだったようです。
湖畔庭園からは、宮ヶ瀬湖とその先に大山や辺室山などを眺められました。左端が前回訪れた「岬の展望台」。
湖畔庭園を一番奥まで進むと、斜面を上がる階段が見えてきて、「森の展望台」にはそれを登って行く模様。ここまで来る人自体がほとんどなくて、そこからさらに登るのですから、展望台では静かに過ごせそうです。
結構ガチな感じの木段を40mほど登らされるので、最後にもうひと汗かかされてしまいました。
木段脇の斜面にはサルが3匹ほどいて、私のことなど気にする様子もなく、まさに泰然自若としていました。
木段を登り終えた後も、「遊歩道」という案内ながら実態は山道同然の道を少し歩いて、ようやく最後の目的地にたどり着きました。私が結構サクサク歩いて、「鳥居原ふれあいの館」から10分ほどかかったでしょうか。
ここが「森の展望台」。道標が来た方向を「鳥居原園地」としていたので、ここはもう園地の外になるのかな。
「森の展望台」からの展望は、宮ヶ瀬湖とその周辺の山々が中心でした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その右には、少し遠くの山並みも眺められていますが、その中に大山の頂がチラッと見られた程度。いかんせん現在地の標高がかなり低いので、名もない前山に阻まれて知名度が高い山の多くは見通せなかったみたい。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
休憩中も結局「森の展望台」にはもう誰も現れず、人目がないからと着替えなどもそこで済ませてしまいます。戻る道すがらでは、鳥居原園地が下に小さく見えて、40mとはいえそれなりに登っていたことも実感したり。


「鳥居原ふれあいの館」まで戻ってきました。まだまだ時間には余裕があって、あとは館内で過ごすことに。
直売コーナーに寄ったところ、ちょうど定番商品らしい「いちごづつみ」や「さくらもち」が搬入され業者さんが陳列を始めたタイミングで、出来立ての様子を見てつい購入してしまいます。とても美味しかったです。
食堂ではかきあげそばを注文してゆっくり過ごします。この陽気に、今年初めて食べる冷たいお蕎麦でした。
最後は「鳥居原ふれあいの館」バス停で橋本駅行きのバスを待ちました。


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福神山・鐘ヶ嶽 [丹沢]

2024/01/27(土)

■第476回 : 福神山(420m)・鐘ヶ嶽(561m)


この日の行先は東丹沢の鐘ヶ嶽。登山を始めたその年(2005年)に、辺室山・大山三峰山とセットで登って以来の再訪です。一般登山道でも歩ける山ですが、今回はバリエーションルートの北尾根を登路に選びました。

バリエーションといっても、良く踏まれていて進路がずっと明瞭なルートも少なくない中、ここは特に登山口あたりは踏み跡すら見当たらず、頂上直下でも道形が消失するなど、そこそこ骨のあるルートを楽しめました。

 累積標高差(登り):618m / 距離:6.5km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
大沼 06:06-06:15 相模大野 06:26-06:42 本厚木
本厚木駅 06:55-07:24 清川村役場前

(登山行程)
清川村役場前バス停  07:30
道の駅 清川      07:30-07:35
291m三角点      08:30-08:35
福神山        09:20-09:25
鐘ヶ嶽        10:00-10:10
浅間神社       10:10-10:15
(登山口)       10:50
和の丘        10:55-11:05
広沢寺温泉入口バス停 11:10

(復路)
広沢寺温泉入口 11:16-11:44(延着11:54) 本厚木駅
本厚木 12:06-12:18 相模大野 12:32-12:39 東通り


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

小田急線の本厚木駅で路線バスに乗り換え、清川村役場前で下車します。宮ヶ瀬行きの朝1番の便は乗客が多く、私が乗る前から立ち客が続出していて、やっと座れたのは30分ほどの乗車時間が8割がた過ぎた頃でした。
歩き始める前に、道の向かい側にある道の駅「清川」へ。トイレが24時間利用可能な、有り難い施設です。
車道歩きは短くて、旧清川青少年の家(2011年閉館)まで。建物前が終点の車道を外れて右側のスロープへ。
その先に山道が少しは続くかと思っていたら、最初からそんなモノは皆無です。砂利道が終わった途端、満足な踏み場もないほどススキが繁茂する中に放り出され、そこを掻き分けて適当に進むと、すぐに何か現れました。
それはかつての案内図でしたが、今となっては周囲をススキの密藪に囲まれて、正面から見ることすら困難になりつつあり、以前この前を道が通っていたことを想像するなんてもう無理もいいところでした。
案内図には、そこから山道が2経路書かれていて、まずは案内図の左手に向かう経路を窺ってみたものの、その先は新しめの堰堤に塞がれていました。元々道があったとしても、これでズタズタにされてしまったのでは?
次に案内図の右手を進んで登る経路を窺ってみても、斜面の中程を防獣フェンスが横切っていて、扉などフェンスを越えて進めそうな箇所がどこにも見当たりません。マトモに歩ける経路なんて完全に失われている様子。
仕方なく、ヤマレコなどで先人の軌跡が左手の尾根伝いに登っていたのを見ていたので、草藪を掻き分け伐採木の散乱で歩きにくい中を強行突破し、その尾根までたどり着いたら、そこにうっすらとした踏み跡を発見!
尾根上の踏み跡を追っていくと、途中には埋没しかけた木段の名残りもあって、ここが登山道だったっぽい。
ちょっとしたピークに着いたら、そこには道標と案内図が立っていました。一旦はこんなにしっかりと道案内まで整備したのに、せっかく作った道を維持もせず投げ出して放置しちゃったのは何故なのだろう?


でも尾根上を進むようになると、かつての道形が結構残っていて、この先しばらくはその道形を追うだけでも歩けてしまいます。小ピークなどで尾根が分岐しても、地図等で地形と進路が把握できていれば、進むべき方向は大抵明らかで方位確認なども不要でした。その一方、テープやリボン等による誘導は控え目で、地形図など最小限の用意すらせず安易に乗り込んだ場合は、進路を誤ることも起こりうるかもしれません。歩く人が少ないゆえか、道形が明瞭になりすぎず、適度に残されたバリエーションらしさを楽しめるルートだったと思います。
軽く下った鞍部では鹿柵の扉部分を開閉して通過します。
鹿柵沿いに登り返していくと‥‥
次のコブ上で再び鹿柵を通過して先へ。
鹿柵の通過はすぐお隣りのコブでも(これで3回目)。ただ、煩わしい扉の開け閉めもこれが最後でした。
その先にはやや急な登り。元々はジグザグの道があったかもですが、単なる斜面と化した今は直登するのみ。
三角点への分岐点となる小ピークにも、分岐道標と案内図がしっかりと立っていました。ここからは、福神山・鐘ヶ嶽へと続く尾根を一旦見送って、三角点ピークに寄り道していきます。
軽く下ったのち登り返す斜面には、かつての木段の残骸が。これも相当な労力を費やして作ったんだろうに。
291m三角点ピークに着きました。三角点の等級は三等、点名は「根岸」です。
三角点の手前には古びたベンチが2つ。今となっては腰掛ける人が現れることも稀になってしまったか。
そのベンチがある北側が開けていて、宮ヶ瀬湖に近いあたりの山々を見渡せました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
これから目指す方角の山も、この時期であれば葉を落とした樹木越しに眺められます。現地では、見えていたのが鐘ヶ嶽なのか前衛の福神山なのか分かりませんでしたが、帰宅後に確認したところ、福神山のさらに手前にある400m圏の小ピークも含めて、このあと踏んで行く3つのピークがすべて重なって見えていたようでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さらに、こちらもやはり今の時期限定の眺めっぽいですが、光り輝く相模湾に江ノ島が浮かんでいるさまも。


先程の分岐点ピークに戻ったら、道標が福神山と示す方向へ。道標を見るのは北尾根ではここが最後でした。
相変わらず細かなアップダウンが繰り返される中に、やや心許ない踏み跡がうっすらと続きます。
大岩が現れた鞍部では、大岩の右側を巻くようにしながら、その裏手へと進みました。この大岩、特に下部などに人工的に切り出された形跡が顕著で、鐘ヶ嶽周辺に点在する七沢石の石切場跡のひとつらしい。
福神山手前の400m圏峰への登りが始まると、登ったり下ったりの道から一変、約130mを一気に登るように。
その斜面にはかつての木段が比較的良く残っていて、ほぼ木段(跡)を登り続ける具合でした。
400m圏峰を過ぎた先では起伏が少なくなり、穏やかな尾根上を気持ち良く歩けたりしました。
さらにもうひと登りして着いた福神山は、ほとんど何もないような地味な地点でした。
山名標などは私製の物すら見当たらず、樹木の幹に直接マジック書きされたりしている有様。先程の分岐点で道標が行先として案内していた場所なのに、ここまでは道標等の整備が進まなかったのでしょうか。
福神山では展望も今ひとつ。北側の山並みを樹木越しに眺めるのがやっとで、しかも冬期限定の景色かと。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
でも注意深く見渡せば、東京スカイツリーや江ノ島などをピンポイントで見られたりしはしました。


起伏の少ない穏やかな尾根道は、福神山の先にももう少しだけ続いていました。
そんな中、広場と呼べるほどではないけれど、いくらかの広さがあって開放的な感じの場所に出たら‥‥
その傍らで山の神の小さな祠がひっそりと佇んでいました。
山の神の石祠を過ぎると、いよいよ鐘ヶ嶽へ向けての登りが始まります。急な斜面に差し掛かると同時に、踏み跡がどこかへ消えてしまったので、防獣ネットを道案内代わりにしようと、ネット沿いに進んでみることに。
すると、適当に少し登ったあたりに埋もれかけの木段が見つかり、以降しばらくは、何度かジグザグを繰り返しつつ続いていく木段を追って、難なく登れたりしました。
ところが、登りなかばでその木段がふっと消えてしまったら、一転してそこから上は道形も踏み跡もほぼ皆無に。あとは上を目指して闇雲に登るしかなくなりました。しかもそこは、ただでさえかなりの急斜面なのに‥‥
おまけに踏み固められていないグズグズの地面で、踏ん張りが全くきかずそもそもが登りにくいのに、さらに霜柱で表土が持ち上がり浮いている状態だから一層ボロボロと崩れやすくて、なかなか苦しい登りでした。
急登をなんとか登り切り、勾配が緩んだあたりで現れた左手の鹿柵には、壊れて開いたままになった扉が。鐘ヶ嶽が左方向にありそうだったり、ピンクテープが付けられていたりもしたので、その扉を抜けて鹿柵の向こう側に出てみましたが、実は少し進んだ先で鹿柵自体が途切れていて、そんなことをしなくても良かったみたい。
微かな道形が再び復活し、それを追って進めるようになったのは、いい加減鐘ヶ嶽が間近に迫った頃でした。
鐘ヶ嶽に到着。ここまで全く人に会わなかったのはマイナールートゆえ想定内としても、頂上が無人なのは予想外でした。周囲を樹木に囲まれて展望がない代わり、それなりに広くて落ち着いて寛げる雰囲気はあります。
テーブル&ベンチと道標があるだけで、頂上標柱のような物はありません(道標にも現在地名は記載されず)。
上の写真でテーブルの後方に写っている2体の石像も、何の石像なのかは良く分かりませんでした。
頂上の様子を反対側から。一番奥に見えるのは鐘ヶ嶽についての説明が記された解説板で、そこに「ここは鐘ヶ嶽」と大書きされていたことから、それが頂上標柱的な役割も兼ねているようです。
無人で静かだった頂上にも、数分も経てば熊鈴の音が近付いてきて、それがなんと、私が歩いて来たのと同じ方向からなのが意外すぎて少し驚きました。
ここまでの道中で後方に人の気配を感じることは一切なく、だからその方とも熊鈴の音が届かない程度には離れていたはずなのに、その距離が一気に詰まったということは、よほど歩くペースの速い方なのでしょう。
少し会話させて頂くと、その方はこのあとさらに大山まで向かうとのことで、なるほど相当の健脚でいらっしゃるご様子。私が目的地にして来たこの場所も、その方にとってはほんの前座に過ぎなかったのですね。。。


鐘ヶ嶽を後にしたら、あとは一般登山道を下るだけ。頂上直下には浅間神社があって、1分も下れば境内へ。
浅間神社の創建については明確になっていないものの、戦国時代にこの付近の七沢城を居城としていた上杉定正がこの神社を崇拝し、社殿の造営を行ったとされています。(のちに登山口で見た解説板より)
境内には東側が開けた場所があり、樹林に囲まれていた頂上に代わってここでは展望を楽しむことができます。
都心部の高層ビル群と東京スカイツリー。樹木がこんなに生長する以前なら、もっと広角に眺められたっぽい。
はるか遠くには、盛大に霞みながらも筑波山まで見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
足元には、石に彫られた珍しい展望図も。やはりこれが作られた当時は、もう少し見通しが良かったらしい。


これから下る登山道は、元は浅間神社への参道だったもの(今もですけど)。下り始めは石段でした。
鳥居をくぐった先にも、もう少し石段が続きます。28丁からなる参道の各丁目には、立派な丁目石が今なお残り、このあたりに一番上の「廿八丁目」の丁目石があったらしい(意識していなかったので見逃しましたが)。
石段を下り終えて坂道に変わると、ようやく一般登山道を行き交う人たちと時折すれ違うようになりました。
下る途中の22丁目で展望が開けて、これらの露岩に立てば、相模湾が大きく広がる南側の眺望を楽しめます。
相模湾には江ノ島が浮かび、その奥には三浦半島と房総半島が重なるようにして見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
振り返れば大山も。先程頂上でお会いした方も、そろそろ着いている頃合だろうか?(なワケあるかっ!)
展望地からわずかに下ると(写真上端が展望を楽しんだ露岩)「廿一丁目」の丁目石。でも実は展望地の露岩近くに「廿二丁目」の丁目石があり、3枚上の写真にも写っているようですが、寄りの写真は取り損いました。
昔ながらの参道ですから、上部の石段さえ下り終えてしまえば、あとは歩きやすい道が続きます。
特に下部には大きな段差を登り下りするような箇所もほとんどなく、緩やかな坂道で快調に歩が進みます。
「拾丁目」の丁目石まで下ってきました。あとひと息。
最後に再び鳥居をくぐれば‥‥
その先が石段になっていて、下った先はもう車道でした。
車道に下りて石段を振り返りました。石段途中で右側に立っているのが壹丁目(一丁目)の丁目石です。特に名前が付いた地点ではなさそうでしたが、この記事では便宜上ここを「(登山口)」として記録しています。


あとは車道を歩くだけ。すぐに人家などが点在するエリアに入ります。
広沢寺温泉からの道を合わせる地点には「鐘ヶ獄」バス停。山名と「嶽」の字が違うのが気になりますが‥‥
「鐘ヶ獄」バス停で振り返れば、先程まで頂上に立っていた「鐘ヶ嶽」の端正な山容が見られました。
「鐘ヶ獄」バス停は発着便が1日4本(平日だと2本)だけで2時間以上待つため、隣のバス停を通る別路線の便を捕まえます。それでも20分ほど余裕があるので、バス停の向かいにある「和の丘」に寄っていくことに。
和の丘(なごみのおか)は、 ほとんど知られていないのか検索しても引っかかる記事がごくわずかですが、七沢の街並みなどを見下ろす丘の上は無名なだけに閑散としていて、静かな時を過ごすには絶好のスポットでした。
のどかな山村の風景をのんびりと眺めながら、ここで少しだけ時間調整です。
上の写真にも写っていますが、すぐ下の斜面が梅園になっていて、早咲きの紅梅がほころんでいました。
これは一体何のモニュメントなのだろう?
和の丘からも、鐘ヶ嶽を振り返ることができました。
和の丘で10分ほど過ごしたあと、すぐ下の県道まで歩けば、ゴールのバス停は道路を渡った向かい側に。
最後は「広沢寺温泉入口」バス停で、本厚木駅行きのバスを待ちました。


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見城山・日向山・梅の木尾根537m峰 [丹沢]

2023/05/17(水)

■第464回 : 見城山(375m)・日向山(404m)・梅の木尾根537m峰


脚力回復を目指すトレーニング登山の第2弾に、丹沢前衛の日向山とそれに続く梅の木尾根を歩いてきました。

標高的には前回と同じような超低山ながら、いくつものコブを持つ尾根を縦走する具合なので歩き応えはまずまずで、脚力に不安がない普段の時でも、ショートコースとしてなら満足できるコースだと思いますし、コース終盤では浄発願寺の旧跡をめぐるちょっとした歴史探訪の面白さも味わえて、楽しんで歩けた1日でした。

 累積標高差(登り):685m / 距離:7.8km / 歩行時間:3時間5分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
市営斎場入口 06:19-06:28 相模大野 06:37-06:54 本厚木
厚木バスセンター 07:20-07:47(延着07:57) 広沢寺温泉入口

(登山行程)
広沢寺温泉入口バス停 08:00
愛宕社        08:15
見城山        08:55-09:05
七曲峠        09:10
日向山        09:25-09:35
梅の木尾根 537m峰  10:20
その西隣の530m圏峰  10:25-10:35
浄発願寺 奥の院岩屋  10:55-11:00
浄発願寺 奥の院    11:05
浄発願寺 閻魔堂跡   11:10-11:20
浄発願寺       11:35-11:40
日向薬師バス停    11:55

(復路)
日向薬師 12:20-12:38 伊勢原 12:48-13:06 相模大野
相模大野 13:10-13:20 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずはじめに、今回のコースに初めて歩く区間は少なくて、特に前半は2014年6月に
   広沢寺温泉入口バス停 → 見城山 → 日向山 → 梅の木尾根 → 大山(1252m) → 蓑毛バス停
という経路で歩いた際の、大山へのアプローチの途中まで(太字部分)と完全に同じコースになります。

その時の記録は こちらで(梅の木尾根から大山へ)。しばらく山をサボッていた今の私に、こんな体力勝負のコースをそのままは歩けまいと、大山にはロクに近付きもせず早々に下ってしまう、ってな具合になりました。


小田急線の本厚木駅からバスに乗って、広沢寺温泉入口からスタートです。元々はもっとゆっくり出掛ける計画だったものを、真夏日になろうかという予報を受けて急遽変更、久々に早起きして朝8時から歩き始めました。
すぐに脇道に入ると、やがて正面に鐘ヶ嶽が見えてきます。鐘ヶ獄バス停(なぜか微妙に字が違う)の前で、その鐘ヶ嶽への道を右に分け、引き続き広沢寺温泉への道を進みます。
広沢寺温泉エリアの入口には3つの案内看板が立って、いずれもハイキング用のコースなどを紹介していました。これから登る見城山や日向山はマイナーだからか、どの看板でも全く触れられていなかったけれど。
そのすぐ先の愛宕社への石段が、見城山の登り口にもなっていて、「見城山頂へ」の道標も立っていました。
短い石段を登れば、もう愛宕社は目の前。軽く手を合わせて、安全に歩き終えられるようお願いしました。


愛宕社の右手から斜面に取り付くと、いきなり階段状の道が続いて、ガッツリと登らされる具合になります。
ほどなく防獣柵が立ちはだかって、扉部分を開閉して通過します。意外にも防獣柵はこの1箇所だけでした。
その後も木段の割ときつめの登りが続き、身体が温まる前なので少々苦しく感じます。
一旦傾斜が緩んで穏やかな登りになる区間もありますが、それも束の間‥‥
再び木段の登りとなって、なかなか大変。
途中で七沢温泉から登ってくる道が合わさりました。まだ歩いていないそちらの道を選べば良かったかな。
その後はさらに勾配が増して、木の根が露出したこんな尾根を強引に登っていきます。
しまいには結構な急登になりますが、こうなる頃には空の見え方からもう頂上が近そうな気配でした。
頂上の手前には少し開けた場所が。見通しのない樹林帯に終始する今回のコースで、貴重な展望地でしたが‥‥
せっかく都心方向を見渡せたのに、暖気で空はすっかり霞み、ぼんやり見えていたビル群も写真では不鮮明に。


展望地からはひと登りで、見城山の肩に当たる分岐点に出ました。ここから写真右上の頂上までは往復となり、その後ここに戻ったら写真左方向に進んで(戻ってきた時は右折ですね)日向山へ進むことになるみたい。
見城山の頂上に着くと、無理に切り開いたりされていない様子で自然に近い感じの、好ましい佇まいです。
でもいくらか樹木が間引かれているのか、適度な明るさがあって落ち着いて過ごせる雰囲気でした。
山名からも想像が付きますが、解説板によると、ここには戦国時代に近くにあった七沢城の物見砦のようなものがあったと考えられているようで、発掘調査でも建物址が発見されているとのこと。
現在は樹木に囲まれてほとんど展望はなく、一段下の展望地と同じく都心方向が少し眺められる程度でした。


肩の分岐点に戻ったら、日向山を目指して右へ。その方向を分岐道標は「大釜弁財天へ」と案内していて、そこを訪れて欲しい地元の思いなのでしょうが、知名度が低い地名ですから日向山も併記する方が親切なのでは?
するとやや急な斜面の下りが現れるものの、元々段差が大きそうだった箇所にこまめに補助段が設置されていて、難なく下りられました。補助段の材木が比較的新しめですから最近整備されたらしく、有難いことです。
見城山と日向山との鞍部は道が十字に交差していて、七曲峠と呼ばれているようです(現地には地名表示は何もなく、広沢寺温泉の入口で見た案内看板では「七曲り峠」と記載されていて、表記には揺れがある模様)。
峠の傍らには山ノ神の祠。良く似た祠はこのあと日向山でも見られて、かつて盛んに歩かれた道なのでしょう。
七曲峠の十字路を、通り過ぎた反対側から振り返りました。
日向山への登り返しは、概ね緩やかで歩きやすい勾配の道です。
頂上に近付くと、さすがに傾斜が増してきますが、きつい登りも長くは続きません。


日向山に着きました。ここもいかにも低山といった趣の、樹木に囲まれた頂上です。
標識や祠などがある地点よりも、その奥のほうが若干高そうで、最高点っぽいあたりも一応踏んでおきました。
せっかく「日向」と名が付く山に登ったのだから、アイツとの写真も撮っておきましょう。ゆくゆくは同じことを山梨県北杜市の日向山でもやりたいのだけれど、そのためにはもう少し脚力を立て直さないと‥‥。
南西側に少し外れたあたりに四等三角点の標石がありました。ところでこの三角点、少し前の地形図までは記載があって標高も「404.4」と書かれていたのに、最新の版だと三角点記号が消えて標高点だけになった上、標高値も「404」と小数部が取れています。だから、もう運用されていない過去の三角点なのかと思っていたら、国土地理院サイトの基準点検索では今もちゃんと表示されたりして、現在どういう扱いなのかがちょっと謎です。


日向山で足を休めた後は、「梅の木尾根」を案内する道標に従って西へ延びる尾根を下ります。
しばらくは緩やかな道で、小さなアップダウンを2回ほど繰り返しながら、徐々に下っていく感じ。
でも尾根の末端近くだけは、ガクンと下る具合になりました。
下り着いた鞍部は、先程の七曲峠と同様に十字路になっていて、天神峠と呼ばれることもあるらしい。左折して日向薬師へ下る道が引き続き良く歩かれているのに対して、ほかの2方向はマイナールートと言えそうです。


天神峠を直進して梅の木尾根に取り付くと、そこは結構な急勾配。一応は木段が設置されていますが‥‥
その木段が結構怪しくて、朽ち果てている箇所もしばしばでした。この先もハイキングコースにはなっているものの、歩く人が少ないからか、それに応じて整備とかも手薄になっているような、そんな印象です。
尾根伝いのコースなので、その後は名もないコブをいくつか越えつつ進みます。
最初に登り着いた400m圏の小ピークには、道標が2本立っていました。そのうち右側の道標が進行方向としている「三ノ沢・鍵掛」は、ともに現在は一般登山道でなくなっている区域の地名ですから、古い道標がそのまま放置されている様子で、こういう所もやはりメンテナンス不足っぽい。
400m圏峰の先では、穏やかな区間を挟みつつ進んでいきます。
やがて道が不明瞭になりかけている斜面をやや強引な具合に登っていくと‥‥
今度は440m圏の小ピークを越えて行きます。ここにはハイキングコースの比較的新しい道標がありました。
440m圏峰から一旦下ったあたりには分岐点。右に分かれる道は「弁天の森キャンプ場」と案内されていて、どれだけ歩かれているのかは大いに疑問ながら、少なくとも分岐点から見える範囲の道は明瞭でした。
さらに進むと急な斜面が立ちはだかりました。この木段、登り始めは何も問題がなかったものの‥‥
上のほうは土砂で段が埋まってただの斜面に近くなっていた上、そこに落ち葉が溜まって滑りやすく、登りでも補助ロープが有難く感じました。もし下りだったらロープを頼らなければズルズルと滑り落ちそう。
  (下の写真は、登り終えたところで振り返って、登ってきた斜面を見下ろしています)
こんな、少々急峻に感じる箇所の登りも。この写真の見た目ほどには、実際の足場は悪くはなかったけれど。
その先も急登が続きますが、地形的な険しさはなくなって、普通に2本足で歩けるだけマシでした。
そんな急登も、空が徐々に広く見えるようになってきて、終わりが近付いてきた気配です。


いよいよ、ハイキングコースとされている区間の中では、最も標高の高いエリアに入りました。
ごく近い範囲に3つのピークが並んでいるうち、まずは510m圏の小ピークを越えていきます。ここには新しい道標と、かつてのベンチの名残り(すでに脚はなく、丸太の台に座面が乗っかっているだけ)らしきものが。
深い樹林の中に道が続いて、景色を楽しめる場所はほぼ皆無でしたが、このあたりまで登って来ると、右手に隣の稜線が時々見られるようになりました。難ルートとされる弁天御髪尾根でしょうか。
次に着いたのが、無名峰ながら記事のタイトルにも入れた、537m標高点のピークです。ところが、、、
前回来た時にベンチで休憩ができたので、今回もと思っていたら、なんとベンチがありません。良く見ると、脚が片方だけ残って立っているものの(写真中央やや右寄り)、ほかの部分はなくなってしまったようです。
↑なお前回の記録を振り返ったら【ほぼ同じアングルの写真(2014年)】があったので、比較してご覧ください
↓537m峰を反対側から。こんな狭くて展望も皆無のピークゆえ、ベンチ無しだと滞在する気にもなりません。
なので先に進んでみたら、3つ目となる530m圏の小ピークにはベンチが。これも脚部が朽ちかけて座面がグラついていて、今にも崩れそうでしたが、静かに座っていれば大丈夫だったので、ここで休憩していきました。


休憩後は一旦下ったのも束の間、また同じくらい登り返す展開となります。
ここが大山との分岐点で、2014年には写真奥の方向へ梅の木尾根の続き(バリエーションルート)を進み、大山まで登ったのでした(当時ここにあった、大山への道を示す私製の道標は、この日はどこにも見当たらず)。
一方、ハイキングコースは道標に従ってここで尾根から外れて、あとは浄発願寺の奥の院へ向けて下っていくことになり、私も今回は大山を目指さずにその道に入ります。
なお、GPSの軌跡によるとこの地点は540m圏の等高線内だったようで、ここがこの日の最高点になりました。
ほぼ下るだけになった道は、一旦は歩きやすくなったのに、下るにつれて道筋が少々心許なくなり、最後まであまり一般に薦められる状況のコースではないと感じました。道標等による道案内も最低限しかありませんし。
下る途中にも朽ちかけたベンチがあって、これも朽ち果てるままにされるのでしょう。そしてこのあと、小尾根から外れて斜面をトラバースするようになると、足元が不安定な細い道が続いて、少々歩きにくかったです。


トラバース区間を慎重に歩き終えると、ほどなくハイキングコースは浄発願寺の旧跡エリアに入ります。

浄発願寺は1608年開山の古刹で、徳川家の庇護もあって大いに発展、江戸時代には伊豆・相模・武蔵・信濃・佐渡の各国に計18の末寺を持つ大寺院となり、罪人の「駆け込み寺」の役割も果たしていたらしい。

しかし明治時代以降は衰退の一途をたどり、1938年(昭和13年)には台風による山津波で全山が流されたことで、堂宇や文物の多くは失われたままになります。その4年後の1942年(昭和17年)、約1.5km離れた山麓に移転して再興したのが現在の浄発願寺で、遺構のみが残る山中の旧跡は現在「奥の院」と呼ばれています。


まずハイキングコースが差し掛かるのは、浄発願寺の旧跡エリアの中で最も高い場所にある、修行のための岩屋で、この写真がそこへの分岐点。下山は右折方向ですが、その前に奥のほうに見えてきた岩屋へと進みます。
1608年の開山と同時期に開かれたという岩屋の前です。当時はここがこの世の浄土と考えられていたとか。
岩屋の前に並んでいるのは、歴代上人の墓石や数々の供養塔・念仏塔らしい。
岩屋内には開山僧である弾誓上人の石像や、天皇家や徳川家と所縁のある人物の墓石が祀られています。ただ入口付近は上面からの出水が多く、入ると相当濡れそうだったので、前に立って中の様子を窺うだけにしました。
解説板によると、岩屋の周辺には観音堂や観骨堂などもあったとのこと。なるほど、土砂崩れで今は単なる斜面と化している奥のほうに、石垣などの一部が見て取れたのは、それなりの建物があった痕跡ではと思います。
    ※下の写真にマウスを乗せると、石垣などが見られた位置を明示します。


岩屋手前の分岐に戻ってさらに下っていくと、道すがら様々な石仏や石塔などを見るようになります。
また、ここには「鐘楼跡」という標識も立っていました。今はほとんど平地がないようなこの場所に、以前は建物を構えられるだけの広さがあって、きっと山津波がそんな地形を一変させてしまったのでしょう。
本堂跡とされる区域まで下ってきました。この一帯が、かつての浄発願寺の核心部だったようです。
上の写真の右端あたりから、石垣に囲まれて土盛りされた一画に入ってみました。
今はたいして広くもない平地があるだけでがらんとした場所も、往時は本堂など複数の堂宇があったらしい。
本堂跡を後にすると、まだ深い山の中なのに、そこへ立派な石段が延びてきていました。
53段あった石段の最初の区画を、下ってから振り返りました。
石段はその先にも何連か連なっていて、そこをさらに下っていきます。
やがて石段が終わると、あとは緩やかな坂道を下ります。左手には小さな沢が寄り添って、清々しい雰囲気。


山から下り終えて日向川沿いに出たところは、ちょっとした広場になっていて、居心地の良い空間でした。
下ってきた道を振り返りました。ここには「山門跡」の標識が立っていて、長い参道の入口に当たるこの場所に、かつては立派な山門があったのでしょう。
広場には、宝篋印塔と休憩用の東屋があります。
東屋の立つ場所は「閻魔堂跡」とされていました。その閻魔堂は、奥の院を流失させた昭和13年の山津波ではなく、関東大震災直後(大正12年)の山津波で流されたとあり、何度も災難を被っていたことが窺えます。
そんな東屋も、今はすっかり寛げる雰囲気で、足を休めつつ、帰路に備えて身支度なども済ませていきました。


東屋から小さな橋で日向川を渡ると、日向林道に上がる手前にも、浄発願寺についての解説板がありました。
あとは日向川沿いの林道を下ります。日向渓谷と呼ばれるエリアなので、沿道にはレジャー施設がいくつも。
もうお昼が間近という時間ですし、さすがに下界まで下りてしまったら暑かろうと覚悟していたところ、涼やかな川沿いの道なのが幸いしたのか、さほど暑さを感じることなく、以降も思いのほか快適に歩けています。


右手に赤い橋が現れたら、そこがこの日最後に立ち寄る、(現在の)浄発願寺への入口です。橋を一旦やり過ごした先に、「浄発願寺」と刻まれた石柱や案内標識・解説板などが立っていました。
赤い橋を渡って浄発願寺の境内へ。正面に見えている本堂のほか、三重塔の一部も写真左端に写っています。
本堂でしっかり参拝していきます。実は割と最近の出来事で、浄発願寺とはちょっとしたご縁ができていたことから、今回は山歩きのついでに寄ったという訳ではなく、敢えてここに来たいと選んでいた行先だったのです。
浄発願寺のシンボル的存在の三重塔。こちらは2006年に建てられた、まだ新しい建物です。
浄発願寺からは、あと10分ほど歩くだけ。途中に「かながわの古道50選」のひとつだという「日陰道」への分岐が現れて、バスの時間にかなり余裕があったことからも大変そそられました。でも橋を渡った対岸のその道に出て様子を窺うと、バス停とは逆方向に延びていく様子だったので、今後の宿題にして今回は見送っています。
最後は日向薬師のバス停で、平日の昼間は1時間に1本しかないバスを待ちました。


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