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千葉山 [静岡]

2017/12/09(土)

■第367回 : 千葉山(496m)


今回の行先は、静岡県西部にある千葉山。急流で知られる大井川が山間部を抜けて平野部に差し掛かり、広い河原を持つようになったあたりで、左岸(東側)に現れる低山です。

標高が低いうえ、山頂が地味な地点で展望も全くなく、山そのものの魅力にはやや乏しいのですが、平安時代から山岳寺院として栄えた智満寺や、参詣者に古くから歩かれてきた尾川丁仏参道、数千本ものドウダンツツジが群生する“どうだん原”など、ハイキングコースの途中には多くの見所が存在して、楽しく歩いてきました。

 累積標高差(登り):729m / 距離:11.0km / 歩行時間:3時間5分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:33-05:55 本厚木
本厚木 05:59-06:36 小田原 06:45-07:22 三島
三島 07:29-08:30 静岡 08:32-08:58 島田
島田 09:20-09:35 尾川

(登山行程)
尾川バス停   09:40
亀石      10:35
智満寺     10:50-11:00
千葉山     11:20-11:30
どうだん原   11:55-12:00
柏原      12:45
赤松地蔵尊   13:00-13:20
北中学校バス停 13:30

(復路)
北中学校 13:40-13:55 島田 14:04-15:51 熱海
熱海 16:06-16:28 小田原 17:00-17:53 相模大野
相模大野 18:08-18:23 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR東海道線の普通列車を3本乗り継ぎ、島田駅で降りたら、島田市のコミュニティバスに乗り換えます。
駅前には栄西禅師の銅像が立っていました。お隣にある掛川市の粟ヶ岳に像が立っていたことで初めて知ったこの人は、平安時代にお茶の普及に大きな役割を果たした人で、日本の茶祖として崇められているようですね。
コミュニティバスに乗ること約15分、尾川で降りると、バス停の背後にハイキングコースが見えていました。
バス停(写真右端)からほんの数秒のハイキングコース入口は、標識や案内図もあって分かりやすかったです。
ちなみにこのコースは、最初に目指す智満寺への参道として古くから歩かれていたもので、江戸時代に1町ごとに立てられた丁石と石仏(観音像)が今も残っていることから「尾川丁仏参道」と呼ばれています。


ハイキングコースに入ると、すぐに山道に変わり、道端には丁石と石仏が対で現れるようになりました。西国三十三番の札所を模したこれらの石仏に、昔の人は現れるたび参拝をして通ったという、祈りの道の始まりです。
途中には深々と抉られた場所も。この道が、昔からどれほど盛んに歩かれてきたかを物語っているようです。
丁石と石仏は、実際の1町(約109m)よりは間隔が長いものの、それでも計33箇所で現れるので、かなり頻繁に目にすることになります。今も信仰の篤い人がお世話をしているのか、すべての石仏には赤い前掛けや帽子などが備えられていました。こちらは3番目に現れた、「三町目」と彫られた丁石と石仏です。
分岐点には道標が設置されていて、道案内は万全でした。
道は大半の箇所で尾根上のアップダウンを避けるようにして、東西どちらかの斜面に付けられています。このため傾斜が緩やかに抑えられ、登り返しも少なくて楽に歩けますし、整備も行き届いていて歩きやすい道でした。


二十丁目の石仏は、ちょっとしたお堂の中に安置されていて、その前にはベンチが置かれていました。
二十丁目は、丁石もひときわ大きくて立派なものでした。
これ以降はしばしば、茶畑が広がる、お茶どころらしい風景の中を進むようになります。
二十丁目のところで、茶畑の間を通る農道に出ていて、その後しばらくは農道を歩かされました。


農道は、一旦大きく下ったのち登り返していき、道標に従ってこの地点から再び山道に入ります。
今度の山道はあまり長くは続かず、ほどなく道路との合流点が見えてくると、その手前に亀石がありました。
こちらがその亀石で、解説板も設置されていましたが、名前の由来については今ひとつ分かりませんでした。
亀石のすぐ先で車道に出たら、智満寺までは車道歩きになりました。


智満寺に着いたら、まずは長い石段を登ります。かなり傾斜がキツくて、ひと息には登り切れません。
途中で左に折れた石段をさらに登ると、上のほうに仁王門が見えてきました。
仁王門は、慶長年間に徳川家康によって造営されたとあって、堂々とした構えをしています。
門の左右では、金剛力士像が睨みを利かせていました。
境内に上がると、正面に茅葺き屋根の本堂が現れました。安土桃山時代の建築で、国指定重要文化財です。
立派な杉の木に囲まれた境内には、威厳に満ちた本堂をはじめいくつかの堂宇が配置されていて、とても厳かな雰囲気が漂います。
石段を上がって最後にくぐった中門も、振り返ると屋根は茅葺きでした。
智満寺境内の紅葉は、すっかり見頃を過ぎてしまっていたようです。


境内をひと通り見て回ったら、さらに上の千葉山を目指しますが、困ったことに山頂への道案内がどこにも見当たりません。上の写真の鳥居をくぐって石段を少し登ると薬師堂があり、その脇から登るのが一般的だったようですが、下からはその道が見えなかったのです。良く分からないまま本堂の裏手に回ると、権現堂の脇を登っていく道があったので、そこを進んでみることにしました。
するとすぐに薬師堂からの道と合わさったので、上を目指しさえすれば、どちらを辿っても良かったようです。
間もなく日吉神社の前を過ぎると、次第に傾斜がキツくなっていきます。
鳥居をくぐります。このあたりは智満寺までの歩きやすい参道とは趣が全く違って、もう完全な登山道でした。
階段状の道が続き、登るにつれて段差は大きくなる一方。この日のコースで唯一、登るのが苦しい区間でした。


千葉山の頂上に到着しました。
通り過ぎた頂上を反対側から見たところです。この通り鬱蒼とした樹木に囲まれて、展望は全くありません。
頂上の標識は、最初に設置された時点のもので十分だったはず。後から付け足された何枚かの私製標識が、見苦しいばかりに感じるのは私だけではないでしょう。自分本位で身勝手そうな設置者の感性が大いに疑われます。
頂上から一段下がった場所に、智満寺の奥之院がありました。狭くて腰掛ける物もなく、落ち着かない雰囲気の頂上よりも、ここのほうが居心地が良かったので、建物横の縁側状の場所に腰を下ろして少し休んでいきます。
千葉山の頂上一帯には樹齢800~1200年の杉の巨木が点在していて、そのうち10本が「智満寺の十本スギ」として国の天然記念物に指定されています。何本かは現在までに枯死・倒木となり、現存は7本になってしまったようですが、その中では、この大杉が最大の幹囲を持つものらしい。
こちらは雷杉です。樹形が雷神の怒りの形相に似ているのが名前の由来とか。


千葉山の頂上を後にしたら、まずは「ペンションどうだん」へ下ります。この区間、道標による案内があるので一応は整備されているようですが、道が細くなったり、少し足場の悪い箇所があったりして、ここ以外の区間と同じように気楽に通れるほど歩きやすくはなかったので、ハイキング気分の人だと注意が必要かもしれません。
「展望地」の案内があったので、少し遠回りして寄ってみると、南側が開けた場所に東屋が建っていました。
開けていたのが南側なので、展望の主役は海でした。
西側には少しだけ山並みが見えています。あまり来たことがなく馴染みのない山域なので、どうせ知らない山だろうと思ったら、なんと左端の山頂には見覚えのある「茶文字」が。今年5月に登った粟ヶ岳ではないですか!
粟ヶ岳山頂の「茶文字」をアップにしてみました。この時期だと遠くからでもハッキリ見えますね。


展望地から軽く下ったところに、「スカイペンション どうだん」が建っていました。
ペンションの前では南側が大きく開けていて、遠州灘を一望する爽快な眺めを楽しめました。手前にあった展望地なんかよりも、ここのほうがよっぽど眺めが良かった気がします(山はほとんど見られなかったけれど)。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
「スカイペンションどうだん」の前で、智満寺から山頂を経ずに下ってきたハイキングコースと合わさったので、その後は再び歩きやすい道に変わります。
この道は「千葉山ハイキングコース」であると同時に、先程まで登っていた「尾川丁仏参道」と同様に智満寺への参道として古くから歩かれていた「伊太丁仏参道」でもあり、ここでもしばしばお地蔵様を見掛けました。


ペンションから10分ほどで、「どうだん原」の標識がお出迎え。広い「どうだん原」の一角に入ったようです。
8千本ものドウダンツツジが群生する「どうだん原」は、春の花期のほか、秋には紅葉が見事なことで知られています。12月も半ばに差し掛かり、すでに見頃は過ぎていましたが、幸いにもその名残を少し楽しめました。
広場ではグループがランチタイムを満喫中でした。近くにはトイレもあり、休憩場所として申し分ないですね。
一方、小さなピークにあるベンチは空いていたので、腰を下ろして少し足を休めていきます。
こんな時期でもそれなりに楽しめたので、見頃になるとそれは素晴らしい景色が広がっているのでしょう。この場所には、最盛期に合わせてまた訪れてみたいと思いました。
陽当たりの良い、暖かそうな場所を探すと、まだまだ美しい色彩のものも楽しめて、ちょっと嬉しい気持ちに。
でも全部がこの色に染まったら、さぞかし見事だろうと思うと、もっと早く来ていればと少し悔やまれました。
「どうだん原」からも粟ヶ岳を眺めることができました。「茶文字」が少し大きく見えるようになっています。


「どうだん原」を過ぎるとすぐ分岐点に出て、ここまで同じ道を共有していた「千葉山ハイキングコース」と「伊太丁仏参道」が分かれます。北中学校バス停へ向かうのは前者なので、私はここを右に進むことに。でも、やはり古くからの道であり、今では伊太和里の湯(田代温泉)への道ともなった「伊太丁仏参道」のほうが良く歩かれているようで、「千葉山ハイキングコース」に入ると道が細くなり、お地蔵様も見掛けなくなりました。
少々道が細くなったとはいえ、整備状況に問題はなく、歩きやすさは変わりません。「どうだん原」ですでに標高が300mほどしかなかったので、少しずつ高度を落としていくような、穏やかな道が当面は続きます。
そして終盤になると、そんな下りよりも柏原への登り返しが主体になります。普段なら疲労が蓄積してからの登り返しは少々苦しく感じるところですが、この日は登ってきた山が低かったので、まだまだ余力は十分でした。
しばらく見通しのきかない道が続き、かなり柏原が近付いた頃に右手側が開けると、いつしか大井川がすぐそばまで迫っていました(粟ヶ岳にも随分近付きました)。柏原からは、この大井川へ向けて下ることになります。
その後、珍しく左手側が開けると、富士山が遠くに眺められました。この日のコースで富士山を見られるのは、ここだけだったかもしれません(振り返るようにして見る方向なので、見落としもあったかもしれませんが)。


終盤は、登り下りをダラダラと繰り返す道が少々長ったらしく感じたりもしたものの、ようやく最後のピークとなる柏原に到着しました。さほど広くはありませんが、開放的で気持ちの良い場所です。
柏原は、この日のコースで唯一の三角点ピークでした。
柏原では、大井川の対岸に牧ノ原台地を一望できました。
再三登場している粟ヶ岳もいよいよ間近に迫って、角度的にも「茶文字」が見やすくなってきました。


柏原からは、すぐ下に見えている大井川へ下るだけ。送電線巡視路のようなプラスチック杭の階段を降ります。
途中で第2東名のすぐ近くを通るので、騒音のうるさいことといったらありません。
山道を下り終えて、この階段から道路に降りると‥‥
道路の向かいに赤松地蔵尊がありました。こぢんまりとしているものの、静かで落ち着いた雰囲気の場所です。
このあとは、ほぼバス道路を歩くだけですから、もう不測のトラブル等を心配する必要もありません。バスは40分後で時間には余裕があり、朝に駅前で調達したおにぎりを食べながら、地蔵尊の前で時間調整していきます。
赤松地蔵尊前の広場から、大井川越しに粟ヶ岳を眺めました。もう歩いて行かれそうな近さで見えています。
粟ヶ岳の「茶文字」を再びアップで。千葉山頂直下の展望地から見た最初の姿より、格段に大きくなりました。


短い階段を下り始めると、すぐに下を通るバス道路が見えてきました。
最後はこの階段からバス道路に降りてきました。こちらから登るには、「赤松地蔵尊」の標柱と、その奥にある「千葉山ハイキングコース」と書かれた赤い矢印が目印になります。
北中学校バス停で、島田駅行きのコミュニティバスを待ちます。バスはダイヤ通りにやって来て、駅まで遅れずに走ってくれたので、タイトな乗り継ぎの始発電車に間に合い、ゆったり座れて最速で帰ることができました。

タグ:静岡
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粟ヶ岳 [静岡]

2017/05/28(日)

■第353回 : 粟ヶ岳(532m)


今回の行先は、静岡県掛川市の粟ヶ岳です。
山頂直下にある大きな「茶文字」が、新幹線の車窓からも見られるので、前から気になっていた山でした。
(その「茶文字」です。この時期は背景と同系色になってしまって、他の時期よりはコントラストが弱め)

一応、山に登ったとはいえ、歩いた時間はほんの2時間。そのコースも茶畑の中の農道が多くを占めていて、登山というよりはハイキングといった趣になります。この地区の茶畑の農法が、世界農業遺産に認定されていることもあってか、地元でも「お茶どころ」のほうを前面に出してアピールしている感じでした。
実際のところ私も、山歩きそのものよりも、茶畑が広がる景観や、登山口と山頂の休憩所で振る舞われた高級茶を楽しもうという思いのほうが上回っていたりして、気分的にも登山よりは観光に近かったと思います。

 累積標高差(登り):430m / 距離:6.5km / 歩行時間:2時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:37-05:41 町田 05:51-06:10 本厚木
本厚木 06:12-06:54 小田原 07:08-08:10 掛川
掛川 08:25-08:56 東山

(登山行程)
東山バス停       09:00
茶文字展望地      09:10-09:15
阿波々神社       10:05-10:10
粟ヶ岳         10:15
東山いっぷく処(山頂店) 10:20-11:00
東山いっぷく処(本店)  11:45-11:55
東山バス停       12:00

(復路)
東山 12:30-13:00 掛川 13:32-14:39 小田原
小田原 14:44-15:33 相模大野 15:50-16:05 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずは新幹線で掛川駅へ向かいますが、せっかく北側の窓際席に座っていたのに、掛川駅の手前で「茶文字」のある山を見つけられなかったのが気になっていました。1月に浜名湖に近い湖西連峰を歩いた時は、同じ新幹線の車窓からハッキリ見えていた記憶があったので、「茶文字」に何かあったのかと、少し心配な滑り出しです。
掛川駅で路線バスに乗り換え、「茶文字の里」として売り出し中の東山にやって来ました。ちなみにこのバス、駅から終点までずっと私が唯一の乗客だったほか、帰りのバスもここから乗ったのは私だけでした。きっとこのあたりもすっかりクルマ社会になっていて、バス利用で粟ヶ岳に登る人など、なかなかいないんでしょうね。
バス移動中に車窓から見つけられたので、当初の不安はすでに払拭されていましたが、東山バス停から粟ヶ岳を見上げると「茶文字」はこんな具合でした。なるほど、夏期は背景の草地も緑色になり、文字のコントラストが弱くて遠くから見つけにくかったようなのです(そうと分かって注意深く見れば、帰りの新幹線の車窓からはしっかり確認できました)。ただ、こうして真下に近い角度からでは、どうしても綺麗な形の文字に見えません。


ということで、すぐに粟ヶ岳には向かわず、ほぼ反対方向に進む道を登っていきます。
徐々に距離が離れて、かつ、高度もいくらか上げているので、進むにつれて文字の形が良くなってきました。
10分ほどで、展望地として選んでいた地点に到着しました。粟ヶ岳のパンフレットでは別の展望地がいくつか紹介されていますが、それら公式(?)の展望地はいずれも粟ヶ岳のハイキングコースから遠く離れているので、どこかに無理なく寄り道できて条件の良い地点がないかと、地図を見て狙いを定めておいたのがここなのです。
目論見通り、最小限の寄り道にしては、それなりに綺麗な形が見られました。
  ※下の写真にマウスを乗せると、アップの写真(=冒頭と同じ)を表示します。


綺麗な「茶文字」が見られたら、いよいよ粟ヶ岳に向かいます。
この道をそのまま下っていくと、先程のバス停や登山口がある東山いっぷく処に出られますが、ハイキングコースは登り始めてしばらく車道歩きばかりなので、あまりコース通りに歩くことにこだわらなくても良さそう。それよりも、せっかく一度は獲得した標高をみすみす手放すほうが勿体なく感じます。このY字分岐で右の道に入ると、これ以上高度を落とさずにハイキングコースの途中に合流できそうなので、楽なほうを選びました。
粟ヶ岳に近付くと、再び「茶文字」が見にくくなって、このあと「茶文字」とはしばらくお別れになります。
ほどなく、粟ヶ岳の頂上まで通じている車道に出ました。あと少しで、ハイキングコースにもぶつかります。
上の写真の三叉路には、井口地蔵尊がありました(写真左端)。


ハイキングコースとの合流点に到着しました。ここからはコース通りに歩きます。
しばらくの間は、茶畑の中の作業道がハイキングコースを兼ねています。コースに入ると、前後にハイカーの姿がぼちぼち見られるようになって、人が多いと感じない程度でいい感じに賑わっている印象でした。
ただ、茶畑があるのは結構な急斜面。その中を直登する作業道もかなりの勾配で、急坂の連続に息が切れます。
でも、整然として美しい茶畑の中を歩いているのは、とても清々しい気分でした。
しばしば車道と交差しますが、その都度きちんと道標が設置されていて、道案内は万全です。
途中で振り返ると、写真では分かりにくいのですが、茶畑のはるか先に太平洋が見えていました。
茶畑の中を進んでいる間じゅう、急坂が緩むことはありませんでした。
一番上の車道と交差するまでずっと作業道だとばかり思っていたら、その1本手前から山道に変わりました。


一番上の車道に出ました。登りはハイキングコースを全うしてこのまま山道を進みますが、登頂したあとはある理由からここまで車道を下ってくる予定なので、ここから先は周回コースになります。
その後もずっと開けた斜面が続くのかと思っていたら、茶畑エリアよりも上は普通の森が広がっていました。
森の中の山道は、それまでよりも傾斜が緩和されて、格段に歩きやすくなりました。
木立が日差しを遮ってくれるのも有り難くて、風があったこの日、日陰に入ると暑さも凌ぎやすかったです。


前方に何か見えてきました。
それは無間山観音堂の荒れ果てた姿。往時の遠江観音霊場第二十三番礼所も、すっかり廃墟と化していました。
観音堂跡を過ぎれば、もう頂上は間近。所々に大木が現れるなどして、いっそう深まった森の中を登ります。


割と唐突に開けた場所に出たと思ったら、そこが阿波々神社の境内でした。この後、すぐ裏手にある最高点もきっちり訪れましたが、ほとんど標高差を感じなかったので、この神社を頂上としても全く問題ないと思います。
阿波々神社の裏手に回ると、まず「無間の井戸」なるものが現れます。
さらに奥へ進むと、すぐに標識の立つ地点が見えてきました。神社から1分歩いたかどうか、という距離です。
何の面白味もない地点ですが、ここが粟ヶ岳の頂上(最高点)のようです。私製の山名標もありました。
神社の所でも書いた通り、神社からここまでの間にほとんど登った感じがなかったので、神社との標高差はほんの僅かだったでしょう。ほぼ同時に登頂した人たちの中で、わざわざここに来たのも私だけではなかったかと。


最高点を過ぎてなお進むと、この山で初めて、遊歩道的ではない歴とした登山道を歩いている気分になれる箇所がありましたが、それはほんの短い間だけのことでした。
というのも、頂上部にはいくつもの電波塔が林立していて、すぐにそれらの脇に出てしまったからです。
その先で道は下りに変わり、軽く下っていくと、東山いっぷく処の山頂店とトイレがある広場に出ました。


さて、時間はタップリあります。1時間で登ってきたので、下りも1時間見ておけば十分すぎるでしょうが、本数の少ない路線バスを利用する関係上、次の便の時刻まで2時間以上もあるのです。
しかも普段なら、いつ起こるかもしれないアクシデントに備えて、下山するまで時間の余裕を残しておくところなのに、今回はもう山道を歩かずに車道と畑道だけで下ってしまうので、トラブルを心配する必要もなさそう。

ということで、ここでゆっくりして行きますが、本格的に腰を下ろす前に周囲をひととおり見ておきます。東山いっぷく処(山頂店)の建物には外階段があって、上が展望台になっているようなので、まずは登ってみました。
阿波々神社や最高点のあたりには、景色を見られる場所はなかったようなのですが、東山いっぷく処(山頂店)の周囲では東側が開けていて、展望を楽しむことができました。この日はあいにく空気が淀んでいて、見渡せたのは近い範囲にとどまりましたが、条件が良ければ富士山まで眺められたりするようです。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望台から降りてくると、建物の前には粟ヶ岳の標識がありました。
ただ、ここもほぼ頂上には違いないので、山名を掲げるのは当然ありだと思うのですが、頂上から10m以上は下ってきているので、この場所で頂上の標高値を併記するのには違和感を覚えます。
2つ前の展望写真にも写り込んでいますが、栄西禅師の像も立っていました。日本にお茶を広めた人物とされていて、ここでは山頂から東山地区を見下ろして、茶畑を見守っているとのこと。
いかにもお茶どころらしい「茶謝」なんて石碑も。周囲の植え込みまでお茶の木で作るあたりもさすがです。


周囲を回り終えたら、東山いっぷく処(山頂店)に戻ります。まだ10時台とあって、店内は空いていますし、新たに到着してくるハイカーの数もぼちぼちという程度なので、ゆっくりとくつろげそうです。
メニューには、そばやカレーといった食事類のほか、飲み物やデザートなどが並んでいます。ここでは軽食にとどめたかったので、事前のリサーチで目を付けていた「くつろぎセット」を注文しました。
「くつろぎセット」は、東山茶(深蒸し茶)に、茶文字まんじゅうまたは緑茶ようかんのいずれかを選んで組み合わせるメニュー。茶文字まんじゅうと緑茶ようかんは、どちらを選んでも1個だけ付きますが、こしあん・つぶあんの2種類がある茶文字まんじゅうを両方食べたかったので、おまんじゅうを追加でもう1個付けました。
お湯がポットで出てくるので、深蒸し茶は客自身が淹れるのが基本のようでしたが、まだ空いている時間だったのが幸いして、おいしい淹れ方を教わりながら1杯目はお店の方に淹れて頂きました。
高級なお茶なんて、普段なかなか飲む機会はないけれど、この「くつろぎセット」用の茶葉はかなりの高級品(会話の中にはキロ単価まで出てきたのですが、ネットで拡散させて良い情報か分からないので、ここに書くのは控えます)。それをきちんとした作法で淹れて頂けたので、少なくとも1杯目はすごく美味しかったです。
茶文字まんじゅうも、お土産に買い求めたいほど美味だったのですが、その場で食べる前提っぽい簡易包装が持ち帰り向きでなさそうなことと、個数が限られている感じもあってごそっと注文するのも憚られて、それは思い留まりました。きっと添加物とかも使わずに、その日に食べきる分だけが作られているのではないでしょうか。

こちらは、店内にあった東山茶のPR用の幟を写したもの。そうなのです、前回(1月)に新幹線の車窓から見た「茶文字」はこんな感じに文字が際立っていて、それですぐに見つけられたのだと思います。「茶文字」を遠くから見るには、夏期以外の、文字の背景が枯れ色になる時期のほうが向いていそうですね。


店内でゆっくりしたら、粟ヶ岳の頂上を後にします。この時点でバスの時刻は1時間半後、まだまだ早過ぎる気もしましたが、登山口にももう1軒お店があるので、そこでも少し時間をつぶせるでしょう。
下山先の東山地区です。写真にマウスを載せると、バス停や東山いっぷく処(本店)のあたりを赤丸で示します。
東山から粟ヶ岳に登るハイキングコースは1本だけなので、一般的にはそこを往復することになります。でも今回はちょっとした目論見があって、途中までは車道を下ることにしました。


左右の景色に気を付けながら車道を歩いていると、所々に整然と並んだ樹木の列が現れます(上の写真にも写っています)。実はこれが「茶文字」を形成するヒノキの並木で、九十九折りの車道は文字の中を3回も横切っているのです。下山コースに敢えて車道を選んだのは、「茶文字」を間近からも見てみたかったからなのでした。
中でも特徴的な2箇所では、こうして案内板が現在位置を示してくれました。こういう案内は楽しいですね。
  ※下の写真にマウスを乗せると、アップの写真(現在位置が良く分かります)を表示します。
この地図で、車道が九十九折りをしながら「茶文字」を横切る様子が分かります。(東山のパンフレットから)


車道なので、直射日光下をずっと歩くのを覚悟していたら、意外にも森の中を通っている区間もあって、木陰に少し救われました。なお、車で頂上を訪れる人も結構いるので、時々行き交う車やバイクには要注意です。
途中の三叉路からは、倉真温泉への道が分岐していました。倉真温泉へは、この車道とは別に、山道のコースが複数あることが山頂のお店に置かれていた案内図で分かり、今歩いている東山からの短くて車道区間の多いコースよりも楽しめそうな感じに見えたので、また来る機会があったら今度はそちらを歩いてみたいと思います。


しばらく進むと、樹木の列(2本見えています)がとても分かりやすく見られる地点がありました。
上の写真のうち、右上端に見えているほうの列をアップにしました。「茶文字」を形成するにあたって、2列に並んだヒノキで1画が表されているのがお分かり頂けるかと思います。
この地点には、2つめの現在位置の案内板がありました。
すでに「茶」の右下のはらいの真下まで来ているので、至近距離からの「茶文字」はここが見納めでした。


ほどなく、ハイキングコースが車道を横切る地点に出ました。ここは登る時にも通っている、見覚えのある地点です。下りで車道を歩くのはここまでにして、ここからはハイキングコースを下ることにしました。
まだ午前中なので、これから登る人たちが多くて、たびたびすれ違いながら下ります(写真は人が写り込むのを避けて撮っています)。お昼頃には頂上も結構賑わったのではないでしょうか。
登る時にも見掛けていましたが、所々で茶葉の収穫作業が行われていました。
茶畑が整然と広がる風景はやはり美しいですね。
かなり下って、登るときに左の車道から上がってきた地点まで来ました。
その車道を見送って直進すると、ここから先のハイキングコースは、まだ歩いていなかった区間となります。
でもその先は、ほんの2~3分で車道に出てしまって、あとは車道を歩くだけになりました。


登山口まで下ってくると、そこには東山いっぷく処(本店)があって、店内に入るとすかさずお茶をサービスで出してくれました。頂上のお店ではお土産は買わなかったので、ここで新茶と羊羹を購入しています。ただ、思いのほかこぢんまりとした店舗で、案の定盛大に余りすぎていた時間を、ここではいくらも潰せませんでした。
周囲にも時間を潰せる場所などなさそうなので、バス停に向かってしまいました。ここでちょうど正午を迎えた時、放送で時報代わりに流れたのが唱歌「茶摘み」のメロディーだったのが、実にお茶どころらしかったです。
幸い、東山バス停には待合所があったので、座ってゆっくりバスを待つことができました。しかも私以外には発車時刻まで誰1人として現れず、掛川駅に着いてからと思っていた着替えもここで済ませられています。
掛川駅に着いたら、乗り継ぎで少し時間が空いたので、駅構内の「これっしか処」に寄って、さらに職場で配る用のお土産を購入していきました。この日は珍しく、現地で結構お金を使った気が‥‥。

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日本平 [静岡]

2014/03/08(土)

■第278回 : 日本平(300m)


今回の目的地は、標高わずか300mの日本平と、そこからロープウェイで楽々と移動しての久能山東照宮です。
ですから、登山というよりも、観光に少々ハイキングを絡めたという程度で、軽く身体を動かしてきました。

この日最大のお目当てが、日本平から望むこの景色。ちょっと雲が出ていたのが残念でしたが、まずまずの眺めでした。海の向こうに見える富士山って、なんかいいと思いませんか?

 累積標高差(登り):480m / 距離:13.1km / 歩行時間:2時間50分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
大沼 06:05-06:15 相模大野 06:21-07:13 小田原
小田原 07:18-08:05 沼津 08:08-08:50 清水
新清水 09:07-09:12 狐ヶ崎

(登山行程(登り))
狐ヶ崎駅 09:15
馬走坂  09:30
有度山頂上付近 10:40-11:10 (頂上は踏めず)
日本平  11:20-11:35
日本平駅 11:40

(ロープウェイ)
日本平 11:45-11:50 久能山

久能山東照宮参拝 11:50-12:20

(ロープウェイ)
久能山 12:30-12:35 日本平

(登山行程(下り))
日本平駅 12:35
日本平  12:40-12:55
平澤寺  13:25-13:30
草薙駅  14:00

(復路)
草薙 14:20-15:36 熱海 15:49-16:11 小田原
小田原 16:25-17:17 相模大野 17:28-17:43 市営斎場入口


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最近購入したゴアのシューズ。今回軽いコースを選択したのは、この履き慣らしが目的だったからです。
すでに持っていたゴアのシューズは、登山を始めて一番最初に買ったもの。普段、ゴアのシューズを履く機会は少ないのですが、それでも購入から9年が経過して少々くたびれてきたので、1月に新調していたのでした。
静岡鉄道に乗るのは、この日が初めて。東海道線を清水駅で降りて、少し離れた新清水駅まで歩いてきました。
初めて乗った静岡鉄道でしたが、ほんの3駅先までの乗車時間は、たったの5分間で終わってしまいます。
降りた狐ヶ崎駅は、駅前にロータリーも何もない、ひっそりとした駅でした。


狐ヶ崎駅からしばらくの間は、住宅街の中の舗装道路を、緩やかに登っていきます。
宅地の合間に農耕地が現れた時、それが茶畑だったりしたのは、さすがお茶どころの静岡県だと感じました。
「馬走坂の上」まで来たところで、案内標識に従って、車道を離れて左に分かれる脇道に入ります。
脇道はすぐに高台に上がり、振り返ると大きな展望が広がりましたが、富士山には雲がかかっていました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


やがて茶畑の中を進むようになっても、道は舗装されたままでした。
林の中に入っても、まだまだ舗装道路の登りが続きます。
結局、一番高い所にある民家の前まで、ずっと舗装道路でした。ここを右に入ると、やっと山道に変わります。
舗装道路の終点で振り返ると、雪化粧した山々が見えていました。
帰宅してから調べると、見えていたのは南アルプス南部の大無間山だったようです。
143.6mの三角点は、民家の畑の脇でひっそりとしていました。そんな場所にあるとは思わず、一旦山道に進んでしまってから、通り過ぎたことに気付いて民家の前まで引き返して発見しています。


改めて山道に入りますが、この日初めて山道を歩くのに、それがいきなり下りで始まるのが変な感じです。
しかも、かなり大きく下ってしまいますし、下ったあとはまた車道になってしまうのでした。
次に山道に変わると、今度は結構長い間、山道を歩くことができました。
市街地からも遠くなって、生活雑音なども届かなくなり、静かに気持ち良く歩けるようになっています。
途中で東海自然歩道が合わさってくると、道標も立派なものに変わりました。
所々には急な登りも現れます。このあたりになると、そこそこ山深い気分が味わえるようになりました。
この分岐点で、草薙駅方面からの道を右から合わせると、もう目的地の日本平が間近に迫っています。
なお帰りは、ここまで引き返してきたのち、右の道のほうに進む予定。


日本平付近一帯には道路が張り巡らされていて、ほどなく山道も車道に迎えられてしまいます。
車道をしばらく歩いていくと、間もなく日本平の一角に出ました。
そこには土産物店などの建物と、大きな駐車場があり、マイカーのほか、ツアーの観光客を大勢乗せた観光バスなどが、頻繁に出入りしていました。
日本平の石碑の前は撮影スポットとなっていて、人の列が途絶える様子がありません。これから約2時間もの間、ここには何度か来る機会があるので、石碑の写真は後回しにして、一旦、日本平を後にしました。


当初の計画では、日本平のほか、日本平のすぐ東側にある有度山に登頂することにしていました。
日本平だけでは今ひとつ登山っぽくならないので、「山」と名が付いていて、かつ三角点ピークでもあることで標高が明確にされている有度山を目標に加えていたのです。
ネットを探しても三角点に到達した記録は少なく、最後は藪漕ぎになるようなのですが、どうなるでしょうか。


有度山を目指して、日本平パークウェイを少し下り、「NO! 不法投棄」の看板の地点で、右の脇道に入ります。
その脇道は、すぐに道としての体裁を失って、その先には不確かな踏み跡が続いているだけでした。
かなり荒れていて、しばしば木々を掻き分けて進む必要があるなど、ほとんど人が入っている様子がなさそうでしたが、それでも難なく追える程度には踏まれていたので、構わずに登り続けていきます。
ところがその踏み跡は、頂上を目指すものではありませんでした。
頂上周辺では2系統の踏み跡を確認しましたが、そのうち明瞭なものは、三角点の北側を巻くようにして、三角点に近付くことなく下っていってしまいます。もう一方の黄色いテープが示す微かな踏み跡は、三角点にかなり近付きますが、養蜂のための作業道らしく、蜜箱が置かれた場所で途絶えていました。
その両方から、それぞれ三角点への接近を試みましたが、この写真のように、全く踏まれていない所はどこも酷い藪になっていて、容易に人を通してはくれません。しかも中には棘のある樹木も混ざっていて、迂闊に進むとウェアの上からでも擦り傷ができてしまうなど、かなり不快な状況です。
三角点に、あと40~50mという近さまで迫っていましたが、短い距離にもかかわらず、その踏破には相当な労力がかかりそうです。もし、三角点からさらに先へ進む予定でいたのなら、強引に突破を試みていたと思いますが、今回は三角点に着いても、歩いた跡を引き返してくるだけですから、到達にこだわる必要もありません。
突破口が見つからないかと、この付近をウロウロ探している間に、なんと30分が経過していて、さらなる時間の浪費も避けたいところです。有度山の三角点はキッパリと諦めて、日本平の満喫に時間を使おうと決めました。


ということで、再び日本平に戻って、さきほどの石碑の前に来てみましたが、相変わらず人が次々と現れて、なかなかシャッターチャンスが訪れません。ここには後でもう1度来るので、その時に期待するしかなさそう。
私のように人物をフレームに入れない場合って、被写体の所には誰もいないわけなのです。だから、今いる人が撮り終わってチャンス到来と思っても、あとから来た人がその場所が空いていると思って遠慮なく入ってきてしまうのが難点。私と同様に単独で行動している人なら、少し離れていてもカメラを構えていれば察して頂けることも少なくないのですが、グループで行動している人はまずダメですね。。。
気を取り直して、視線を北に向けると、遠くに南アルプスの峰々が見えていました。
南アルプスを少しアップにしてみました。写真中央でうっすらと雪化粧しているのは、登ってくる途中からも見えていた大無間山のあたりなのですが、右端で真っ白く見えるのは、聖岳のようです。


石碑から離れて、ロープウェイの駅に向かっていくと、途中に展望台があったので寄ってみました。
展望台の上では、東側の景色が大きく開けていて、こんな絶景が広がっていました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望の主役はやっぱり富士山なので、アップにしてみました。(冒頭と同じ写真です)
遊歩道脇では早咲きの桜が満開になっていて、ついでに花見まで楽しめてしまいました。


このあと、ロープウェイで一旦久能山まで下って、久能山東照宮を参拝していきます。
拝観料500円を払って境内に入り、まずは楼門をくぐります。
山の斜面に建立されているだけに、境内のほとんどが階段です。
拝殿は豪華絢爛でした。創建当初(400年前)の姿形がほぼ保たれているとして、国宝にも指定されています。
拝殿奥にある廟門の上では、寒緋桜が満開でした。
階段を登り詰めた、境内で一番高い場所にあるのが、徳川家康の遺骸が埋葬された神廟です。
久能山の頂上までは、あと30mほどなのですが、神廟より上は、人の立ち入りは想定されていないようでした。


ロープウェイの久能山駅に戻って、近くから海側を見下ろすと、海岸線に延々と続いているイチゴ栽培のハウスの列が印象的でした。その奥で霞んでいるのは御前崎です。
登れなかった代わりに、日本平に登り返すロープウェイの車内から、久能山を撮っておきました。
東照宮のある南側が緩やかな斜面なのとは対照的に、北側や東側は断崖になっているようです。
そしてロープウェイの進行方向を見ると、日本平の南側が、物凄い絶壁になっているのが分かりました。かなり迫力ある眺めだったのですが、少し色が入ったロープウェイの窓越しに撮ったため、色調が変になっています。


ロープウェイを降りたら、これまでスルーしていた日本平の最高点に寄っていきます。
開放的で展望の良い場所なのに、この時は人が少なくて、じっくりと眺めを楽しむことができました。
最高点からの展望です。先程の展望台との距離が近く、見える範囲がほぼ同じなので、ガイドは省略しました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
ついつい、富士山をアップで撮りたくなってしまいます。
そして、みたび石碑の前に戻ってくると、午後になったこともあってか、ようやく人の数が減っていました。
展望を楽しむ場所ですから、なるべく条件の良いうちにと、午前中に訪れる人が多いのでしょう。
少し待っただけで、やっと人が入らない写真を撮ることができました。まさに三度目の正直です。
ところで、先程までは人がいたので気付かなかったのですが、こうして富士山をバックに石碑を撮ってみたら、どうしても駐車車両が目障りに感じてしまいました。作る時に配慮できなかったものかと思うのですが、でも石碑の横に人を並べて撮る分には隠れて問題がなさそうなので、困るというのは少数意見なのでしょうか・・・


日本平を後にしたら、すでに書いたように、まずは来た時と同じ道で分岐点まで戻ります。
分岐点から草薙方面の道に入ると、そこからは木段の連続となりました。
そして木段が終わったと思ったら、今度は階段状の石畳が続いて、なかなか気持ち良く歩かせてもらえません。
このコースは、登りに選んだ方がまだマシだったような気がしています。
車道に出た所で、草薙コースと美術館コースとに分かれます。この日のゴールは草薙駅なのですが、かといって草薙コースに入ると、あとは全て車道歩きになってしまいます。この日はただでさえ少し軽めの行程でしたから、もう少し長く山道を歩こうと、少し遠回りになりますが美術館コースを選ぶことに決めていました。


美術館コースに入ると、少し登り返しがあって凹まされたり、こんな溝の中を通過したりと、変化のある道ではありました。それにしてもこの溝、削られた深さもさることながら、幅が狭くて人ひとり通るのがやっと。結構あちこちの山を登ってきましたが、こんな箇所は初めてで、どうしてこんな道になったのか気になりました。
ほどなく平澤観音(平澤寺)の前に出たところで、美術館コースの山道もおしまいです。
平澤観音の前から、石段を下っていきます。
下ってきた石段を振り返ったところ。
最後に山門をくぐれば、もう目の前は車道。この写真は車道に出てから振り返っています。
あとは延々と車道を歩いて、草薙駅へと向かいました。

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