SSブログ

盆前山・高丸山・金比羅山・天合峰 [高尾・陣馬]

2024/02/28(水)

■第478回 : 盆前山(498m)・高丸山(253m)・金比羅山(274m)・天合峰(300m)


この日は、東京都八王子市内の4つの低山を巡っていますが、縦走といえる要素には乏しくて、辛うじて隣り合う最後の2座を尾根歩きで繋げられたほかは、1つ登るたびに人里まで下ってしまうことの繰り返しでした。

なお歩いたコースは全て「山と高原地図」(高尾・陣馬編) の地図内なのに、登山道が描かれているのは1座目の盆前山(難路を示す破線表記)のみで、他の3座は登山道どころか山名すら書かれていません。
登山地図ですら存在を無視する、そんな知名度の低い山々ながら、山道は全体的に良く踏まれており、(ほぼ)明瞭なトレースを追うだけで歩き通せて、バリエーションルートとしては易しい部類だったように思います。

 累積標高差(登り):675m / 距離:12.3km / 歩行時間:3時間55分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 06:28-06:50 八王子 06:57-07:00 西八王子
西八王子駅 07:10-07:40 小津町

(登山行程)
小津町バス停    07:45
盆前山       08:40-08:50
小津町バス停    09:20
恩方ターミナル   09:50
陵北大橋(北詰)  10:05
高丸山       10:30-10:40
稲荷神社      11:05-11:10
金比羅山      11:25
天合峰       11:40-11:50
金精稲荷      12:10-12:15
圏央道上川橋バス停 12:20

(復路)
圏央道上川橋 12:23-12:48(延着12:59) 八王子駅北口
八王子 13:09-13:21 橋本 13:24-13:35 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

西八王子駅から出ている路線バスで終点の小津町までやって来ました。2009年に従来からの路線バスが廃止されると、当初その代替として運行されたのが利用者限定の地域循環バスで、2016年からは一般利用も可能なコミュニティバスに転換されたものの、それも2022年に力尽きてしまったらしい。それを受けて同年4月に復活した路線バスも、昨今の情勢を鑑みるに存続が大いに危ぶまれるので、走っているうちに乗れて良かったです。
終点ですから、上の写真はここから乗る人のためのバス停で、実際に私が降ろされたのはその奥にあるこのロータリーに入ったところ。バスはその後、待っていた通学の児童さんを何人か乗せて、すぐに折り返して行きました。いかに存続が厳しくても、地域で必要とされている大切な路線であることもまた確かなようです。
ロータリーの先を左に進むとすぐに、右手の畑地に通じるスロープが現れるので、それを上がります。
畑地に上がったら、盆前山へ向かう山道が左に分かれるはず。左側に注意しながら作業道を進みますが‥‥。
左への道が現れた先には鳥居が。地形図の神社記号まで進んでしまったらしく、どうも行き過ぎたっぽい。
とはいえ神社から山に取り付けるパターンも少なくないですから、様子を窺おうと鳥居に近付いて行くと、その先の石段の上には早くも社が見えてきて、すぐに登れそうな高さだったのでダメ元で上がってみることに。
でも、扁額に神明神社と書かれた社の周囲に、さらに奥へ伸びる道などなく、引き返すしかありませんでした。
引き返す途中、今度は右側に変わった景色に気を付けていたのに、やっぱり道らしいものはどうしても見当たらず、何も収穫がないまま、結局畑地の入口あたりまで戻ってきてしまいます。
そこで振り返ると、なんとなく畑の奥(写真のほぼ中央)から山に取り付けそうな感じが。あぜ道を通らせて頂いてそこまで進んでみたら、果たして、そこに木立の中へと続く薄っすらとした踏み跡が見つかりました。
踏み跡を追うとすぐ、地面に置かれた小さな石の道しるべを発見。どうやらこのまま進んで大丈夫そうです。


と、登り始めるまでは順調とはいきませんでしたが、一旦山道に入ってしまえば、その先には紛らわしい分岐のない1本道が続いていて、盆前山までほとんど進路に迷うこともなく進める状況でした。
ただ、道筋は決して明瞭というほどでもなく、道形を追うのにある程度の経験が必要だろうとは思われます。道標がないのはもちろん、テープやリボン等による目印も控えめで、尾根が分岐する小ピークなどでは地形図で進行方向を見極めつつ進みましたから(ルートファインディングってほど大袈裟な作業の出番はありませんが)。


はじめは結構な急斜面。登り口のあたりは道形も頼りなかったので、もし先程の道しるべを見落としていたら不安だったろうと思います。あまり踏まれていないからか地面はザレ気味で、登るのに支障はなかったけれど、のちに引き返してくる時に下るのは危なっかしいかなと少し心配したくらいに急になった箇所もありました。
ちょっとしたコブを越えて進路を北に変えると、少し穏やかになった尾根を歩けたりもしました。
でも行程の大半はやや急な斜面。そこをほとんどジグザグを描かずに直登するから、足への負担が大でした。
ある程度登ってからは、尾根上に時折小さなコブが現れて、何度か登り下りを繰り返すようになります。
盆前山手前の小ピークへは、少々きつい登りになりました。地形図ではそんな急勾配には見えなかったのに。
盆前山手前の小ピークを越えていくところ。写真中央(やや左寄り)の樹木に何かプレートが掛かっています。
その小ピークは「前盆前」とも呼ばれるらしく、ちょっとした回文みたい(文字配列上の狭義の回文だけど)。
「前盆前」まで来てようやく、目的地の盆前山を視界に捉えられました。ここまで来ればあと少しです。
あとは、ごく小さなコブを2つ越えた先を登り詰めれば、盆前山に到着。バス停から小1時間ほどでした。
もし三角点がなければ、山名が付いたりして顧みられることもないかもしれないような、実に地味な地点です。
このピークで唯一目立っていた存在が、その三角点。等級は三等、点名は「小津」です。
私製の山名標。その奥にはさらに恩方山などへの破線路が続きますが、あまり楽しそうな道でもないのでそちらには向かいません。このあとは、バス停まで引き返したのち、少し離れた別のエリアに転進する計画です。
足元にはちょっとユーモラスな絵入りの山名標も。このほか、全部で4つもの私製山名標が見られたものの、どれもが小さめのサイズで主張が控えめでしたから、4つあってもほとんど鬱陶しさは感じませんでした。
展望も全ての方角が葉を落とした樹木越しで冬期限定でしょうか。しかも御前山や大岳山があるはずの北西側は、なにしろ現在地の標高が低いゆえに、見えているのが近くにある無名の低い稜線だけにとどまっています。
それでも南側には、高尾・陣馬縦走路が見られて、陣馬山は割と分かりやすかったです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


盆前山までは完全な往復コースにつき、復路の下りではほとんど写真を撮りませんでした。途中の小ピークでは、分岐する複数の尾根にピンクテープが見られたりもしたものの、往路で時々振り返りながら、あとで戻ってきた時に見ることになる景色を確かめつつ登っていたからか、幸いに迷ったりはせずに済んでいます。
下るのが少し心配だった登りしなの急な箇所も、実際に歩くとそこまで手ごわいものでもなく、登る時にも見ていた小さな道しるべの所まで戻ってきました。先程登っていた道を間違えずに引き返して来られたようです。
森から畑に出たところで、本来の道の所在を窺うと、森と畑との境に沿って、なにやら道っぽく見えるものが。
微かな踏み跡を追うと、なるほど先程登り口を探して往復していた作業道に出られて、そこが本来のコースっぽかったけれど、振り返ってもそこに道があるようにはとても見えず、道理で先程見逃してしまった訳です。
来た時にバスを降りたロータリーまで戻ってきました。バス停(下写真)は、ロータリーの奥の建物脇に。
このあと、恩方ターミナルまではバス通りをただ戻るだけになりますが、1日3本と便数が少なく、しかも今日は登り下りする量が少なめのコースでもあったので、せめて距離くらいは伸ばそうと、歩いてしまうことに。


ということで、小津町バス停からは約4.5kmのロードを進みます。この通り、車道にはほとんど歩道がありませんでしたが、二車線の割に交通量が少なくて、ほとんど車を意識せずに済んだのが救いです。
時折、昔の路線バス時代の名残りらしい旧バス停を見掛けます。でも2009年から15年も放置されているほど古臭くは見えないので、コミュニティバス時代にも転活用されていたのかもしれません(現在の路線では小津町~恩方ターミナル間のバス停がすべて廃止され、その間全部がまるまる自由乗降区間として運用されています)。
途中にあった熊野宮。境内は今もしっかり手入れされている様子でした。
さらに歩いて、西東京バスの車庫がある恩方ターミナルへ。バスなら7~8分の距離に、約30分かかりました。
小津川左岸の遊歩道まで来れば、長い車道歩きも終わりが見えてきました。
小津川沿いをもう少し進んだら、このY字分岐を左に入って細道に入り、川からは離れます。次に登るのは高丸山で、奥のほうで近付いてきたのが、高丸山から延びる稜線です(山頂部はこの写真よりずっと左側に)。
細道はすぐに突き当たりとなって、その先には高丸山への遊歩道が続いている、はずでしたが‥‥。


森の中へと伸びていたのはやや怪しげな踏み跡で、とても遊歩道とは呼べません。登山サイトで高丸山の記録を探せば、この道でアプローチした記録が普通に見つかるから、しっかりした道がありそうに思われたのですが。
でもこんな案内板があるところをみると、かつては良く歩かれていた道だったりするのかもしれません。
構わず進んでいくと、所によっては道が広くなって歩きやすくなることも。これが元々の道の姿でしょうか。
しかし道の大半は道幅が細くて頼りなく、その上に草深かったり、落枝などが放置され邪魔で歩きにくかったりして、高丸山に南側から登れるのはたぶんこの道だけなのに、今ではあまり歩かれてなさそうな様子でした。
この山には多くのコースがあるらしく、その後は別方向からの道が何度か合わさって、次第に明瞭な道になってきます。ただ道案内は全くなくて、ひたすら高い方へと進むしかできませんが、それで良かったようで‥‥。
そうこうするうち、遊歩道って感じの道に変わり、これなら頂上まで連れて行ってもらえそうと安心しました。
俄然歩きやすくなった遊歩道の先には、短かい区間だったけれど良い雰囲気の尾根道も。
ところが頂上手前で急坂に差し掛かると、路面が乾燥していたこの日は問題なく通れたけれど、地面が滑りやすい赤土で雨後などに安全に歩けるのか疑わしかったです。ここは一般的な遊歩道なら階段状になりそうなほど勾配がきついのに、ただの坂道のままでしたから、整備されているとはいえ最小限にとどまっている印象でした。
高丸山に着くと、そこはゆったりとした広さがあり明るく開放感にあふれた場所。この日に訪れた4つの山で唯一、気持ち良く寛げる佇まいの頂上でした。短所を挙げるとすれば、展望に恵まれないことくらいでしょうか。
きちんとした山頂標柱が立っていたり、樹木の幹のベンチが置かれていたのも、やはりこの高丸山だけでした。
この日2つめの三角点もあります。等級は四等、点名は「小津」です。
頂上を少し通り過ぎた反対側から。頂上部は宝生寺団地にほぼ隣接すると言えるほど近かったり、いくらか整備の手が入っていることで、近隣住民の憩いの場になっているらしく、この日唯一自分以外のハイカーを見掛けたのもこの頂上ででした(私が休憩を終える頃、入れ替わるようにほぼ同世代っぽいご夫婦が現れています)。


高丸山からは北側へ下ります。北側にも遊歩道はあるのに、道標は相変わらず皆無で、下り始めてすぐの分岐で一旦は方向を間違えますが、きちんと北を目指すには、左に折れ宝生寺団地を正面に見て下る道が正解でした。
すると細い道で急降下するようになり、そこはさすがに階段状に整備されていました。その後は宝生寺団地のすぐ脇を抜けて行くような具合の道となり、テニスコートなどを真横に見ながら進んだりします。
高丸山は本当に多くの道があって、今回は行けなかったけれど、遊歩道の下には公園みたいな広場への道も。
その先の分岐でもまた道の選択を間違えます。道標が必要とされないのは、利用者がほぼ近隣の方だからでしょうが、せめて地形図通りに道が分岐していれば迷わないのに、実際は違っていて探り探り歩くしかありません。
ようやく北へと下る、意図していた通りの道に入れたら、穏やかな傾斜の尾根道を気持ち良く歩けました。
そしてまたも、人里まで下ってしまいます。今回は4つも山を巡るのに、縦走って要素がほとんどありません。
実は次の金比羅山には、南側から登る道もあるらしく、それなら高丸山と短距離で結べて、下るのもすぐ下の宝生寺団地までで済みそうです。とはいえそれだと、団地内の車道を通るだけになって味気なさそうですし、金比羅山の南側は何らかの開発が進行中で道の付き方が様変わりしている最中のようで、事前に調べた通りには歩けない懸念があり、さらにほかにも別の理由があって、北麓へ一旦完全に下るコースを考えてきたのです。


ということで、ここはもうすっかり市街地の一角。金比羅山へも、麓から改めて登り直す形になっています。
今さっき下った尾根のひとつ西隣の尾根を目指して詰めていくと、車道が終わった先に社が見えてきました。
それは稲荷神社。金比羅山へ登るコースを考える上で参考にした、「川口の自然を守る会」作成による「天合峰のポピュラーコース」というサイトに、「いつ見ても周囲がきれいに手入れされています」と書かれているのを見て、そこから登ろうと決めていたのです(すぐ上の文中で「別の理由」と書いていたのがこれ)。
ところが近付いてみると、なんだか周囲が雑然としているばかりか、肝心の社にも荒れた雰囲気が漂います。
倒れた樹木が社にもたれ掛かり、入口の階段部分などに覆い被さっている有様。「天合峰のポピュラーコース」には「いつも氏子達によって手入れされています」との文言も見られますが、最終更新が2013年ということで、現状とは少々乖離した描写になってしまっているようです。山間の集落では都市部以上に人口減や高齢化が進んでいますから、今ではこの神社の手入れをする氏子さんも途絶えてしまったのでしょうか。


稲荷神社を左手に見送って道の続きを進むと、水路沿いに奥へと伸びているのが金比羅山の参道らしい。
少し先で沢が二俣に分かれると、右俣を橋で渡ったのち、左の沢に沿って道が続いていくようです。
しかしその道はすぐ、倒木に行く手を阻まれます。ここは右側は樹木が密な急な崖、左側はすぐ沢に落ちていて、左右どちらにも逃げ道がない状況。だから倒木を乗り越えて進むしかなくて、少々手こずりました。
その後も倒木に塞がれた箇所を何度か突破することに。もう金比羅山も日常的にお参りする人がいないのかも。
ジグザグを刻む道自体は今なおしっかりと残り、昔の人達が良い道をと苦労して作り上げたことが窺えます。
中腹あたりには、立派な石垣と、そこに祀られた大小2体の石仏が現れました。前出のサイトによれば、それは倶利伽羅不動と呼ばれる水神さまで、手前(大)が明治時代、その後方(小)は江戸中期(安永年間)の作だとか。
山の上部では勾配が増して、しばしば石段が見られるように。相当の手間をかけて拓いた道なのでしょう。
朱塗りの鳥居が現われれば、山頂まであと少しです。
鳥居をくぐると、その先がもう最後の登りです。山頂に鎮座する金刀比羅神社も見えてきました。
金比羅山の山頂に到着です。道が荒れていたことで少し心配だった金刀比羅神社(扁額にそう書かれていましたが、文献により金比羅神社・金毘羅神社などの表記も見られます)は、きれいに整えられている印象でした。
唯一見つかった山名標は、かすかに「金比羅山 274m」と読めました。展望はこの通りほとんどありません。


この金比羅山から次の天合峰までは、尾根伝いに歩くことができ、距離も短いものですが、そこにマトモな道はない模様。そして金比羅山の先には、登ってきた道を除くと、南へ向かうしか歩ける所がなさそうでした。


なので南へ進むと、配水場の給水タンクがあり、その敷地との境界らしいフェンス沿いに細い道を進みます。
すると今度はネットが張られた突き当たりに出ました。左側には先程からのフェンスが続き、正面を新たに現れたネットに阻まれて、そこでは右折することしかできません。ネットの先は伐採され尽くして広大なハゲ山と化し、見通しが良いから近くの宝生寺団地が手に取るようです。金比羅山の南面が開発中という情報は得ていたけれど、ここまで大々的に景観が変えられているとは‥‥。このあと、そこに一体何ができるのでしょうか。
仕方なくネット沿いを右へ進みますが、そこがちょうど天合峰へと続く尾根筋になっていて好都合でした。
ネットの向こうには、眼下の宝生寺団地越しに、高尾界隈の山々を眺められています。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さらに右(進行方向側)には、奥高尾~生藤山あたりの山並みも。生藤山自体は見えていませんでしたが。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
元々は道なんてないらしかったのに、ネットが張られその脇しか歩けなくなって踏み跡が集中するからか、そこがしっかりした道同然になっていました。とはいえ棘のある植物が少なくなく、決して快適には進めません。
ネットが尾根から離れていった先でも、尾根筋にうっすらした踏み跡が続いていて、迷うことなく進めます。
しばらく進むと、尾根筋にネットが復活して、再びその脇を進むことに。こうして見ると、ネットの向こう側には若木が整然と並んでいて、開発による伐採というより、樹木の植え替えっぽい。花粉対策とかになるのかも。
次にネットから離れるのは、天合峰にかなり近付いた頃。その先にも尾根筋の踏み跡は続き、結果的に金比羅山~天合峰の間は、尾根を外さなければそこに必ず踏み跡があり、それを追うだけでも歩けるような状況でした。


天合峰に着きました。ここは東麓に広がる八王子市川口町の1番地に当たり、川口の村社だった日枝神社の所有地で、地元の方々にとって特別な意味を持っている場所なのだとか(前出のサイトより)。
でも今ではきっと訪れる人も稀なのでしょう。前出のサイトでは、古くからの言い伝えや戦時中の逸話など、興味深い話がいくつも語られていますが、残念ながらそんな貴重な歴史も次第に忘れ去られていく運命なのか。
前2枚の写真でもそれら以外の物は何も写っていませんが、三角点と2つの山名標があるだけの山頂です。三角点の等級は三等、点名は「天狗塚」で、ここが昔「天狗峰」と呼ばれていたことに由来する名前なのかも。
それらのうち、地面に置かれた、石に書かれた山名標をアップで。標高が「299.9」となっており、地形図を過去に遡ると三角点「天狗塚」の標高が299.9mなのは1980年代の版までらしいので、その頃からある物なのか?
展望はほぼ「無い」ながらも、今の時期なら、北西側を良く見れば、葉を落とした樹木越しに大岳山の特徴的な形状をしたピークを視認することができ、それを手掛かりに左右に連なる山々も推定できたりしています。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
でも北西側以外の方角になると、この時期ですら満足な眺めなどなく、山座同定する気にもなりませんでした。


天合峰からは北へ下ります。少し下ると分岐があり、なるほど地形図にも分岐が書かれているから、ならば直進のはずと真っ直ぐ進んでみたら、すぐに道が途絶えます(あれ?)。戻ってここを右に下るのが正解でした。
その後はもう紛らわしい分岐もなく、歩きやすい1本道が続きます。そういえば、先程山頂に着く直前に右から別の道を合わせていたので、きっとそれが地形図の東からの破線路で、道の付き方が変わったのでしょう。
しばらく下ると道の脇に整理された区画が現れて、低山だけにあっという間に人里近くに出てしまった様子。
その後は、なぜか道の両脇にだけ樹木が並木のように細長く並ぶ一帯を進みます。両側とも樹木列の外側は開けた土地になっているから、何らかの開発が及んでいて、開発を免れた道の部分にだけ樹木が取り残されたのか?
さらに進むと左側の樹木が途切れて開けた土地が露わに。注意書きによると土地区画整理事業の事業地だとか。
ほどなく、道は畑の中を通って進むようになり、山頂からほんの20分ほどで下山してしまったのでした。
作業道に出たら、最後に寄る予定のお社が見えてきて、正面は反対側だけどここからも入れそうなので‥‥。
この金精稲荷には裏から入って正面に回りました。ここで時間調整しつつ、身支度などもさせてもらいます。
あとは短い石段(元々の予定では入る時にもここを登るつもりでした)を下れば、すぐ下がもう車道です。
そこから集落までも僅かな距離で、その先にはバス通りに沿って並ぶ建物などももう見えています。
圏央道上川橋バス停で八王子駅行きのバスを待ちます。途中からは立ち客も出るほど利用者の多い路線でした。


タグ:高尾・陣馬
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。