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たいら山 [甲府近郊]

2024/04/11(木)

■第480回 : たいら山(934m)


この日は「山の神千本桜」でお花見をと目論んで、山梨県中央市の「たいら山」へ。
ちょうど満開が予想された時期に雨の日が続いて、好天を待つ間に見頃は過ぎていたようなのですが、麓から山頂近くの神社まで桜並木が長く続くここなら、標高の高いあたりではまだ楽しめるかもと期待したのです。

でも実際に訪れてみたら、一番高いエリアでも花はもう終盤らしく葉桜のほうが目立っていて、全体を通しても満足に花を見られる場所なんてどこにも残っていません。おまけに、予報ほどスッキリとは晴れずに空の色がくすんでいたから、山の上からの展望までもが今ひとつ。今回はあまり報われない山行となりました。

 累積標高差(登り):750m / 距離:9.4km / 歩行時間:2時間50分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 04:59-05:21 八王子 05:36-06:19 大月
大月 06:25-07:12 甲府 07:15-07:38 東花輪
東花輪 08:08-08:23 豊富

(登山行程)
豊富バス停        08:30
登山口(関原峠口)     08:55
関原峠          09:50-09:55
たいら山         10:20-10:30
山之神社         10:50
登山口(山の神千本桜口)  11:15
登山者用駐車場      11:25
シルクふれんどりぃバス停 11:35
シルクの里公園      11:35-12:15
シルクふれんどりぃバス停 12:15

(復路)
シルクふれんどりぃ 12:18-12:36 東花輪
東花輪 12:52-13:19 甲府 13:32-14:32 八王子
八王子 14:49-15:01 橋本 15:04-15:15 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずはじめに、「山の神千本桜」とは‥‥

「たいら山(標高934m)」の標高800m付近に鎮座する山之神社の、参道に沿って植えられた桜並木です。
地元の人たちが昭和40年から3年ほどの月日をかけ、麓の参道入口から神社まで約2.4km続く山道の両側に、昔からのものに植樹を加えていって現在の姿になったらしい。長く急な坂道を麓から山頂へと順に咲き移り、まるで天に昇る龍のように咲き揃っていく様子が素晴らしいと、山梨県名花百選にも選ばれているとか。
≪ 満開の頃の「山の神千本桜」≫ (写真にマウスを乗せると補足説明を表示)
※写真は(公社)やまなし観光推進機構「富士の国やまなし観光ネット」から転載。上記説明文も同サイトからの要約。


最寄駅の始発電車を捕まえて、JR身延線の東花輪駅まで来たら、中央市のコミュニティバスに乗り換えます。
豊富バス停で下車。ここには山梨交通のバスで甲府駅から来ることもでき、今回利用した中央市のバスが日祝運休で土曜日も本数が減る(乗ってきた便も土曜日は運行なし)のに対して、山梨交通のバスなら少ない本数ながら毎日運行されています(朝夕だけのダイヤで往復で利用するには待ち時間が長すぎてしまうけれど)。
バス停前から眺めると、たいら山の山頂部が名前通りに平たくて、ちょっと冴えない見え方をしていました。
これから、まずは左側の関原峠を目指し、たいら山登頂後は、山之神社のピーク付近から下山してくる予定。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
はじめは車道歩き。川沿いを進んで、左手に慈運院とその墓地が現れたら、その先の十字路を右折します。
その十字路まで来たところで、初めてたいら山への案内標識を目にしました。
以降はその標識に従って進めば、きちんと登山口まで案内してくれます。
すぐに配水場が見えてきて、クルマが自由に入れる道はその前まででした。


配水場の先で、フェンスの扉を開閉して進みます。公的に登山口と案内されている地点はもっと先になりますが、実質的にはここが登山口だったような気分でした。
とはいえ、フェンスの先にも舗装道路が続いていて、山に取り付いたという感覚はまだあまりありません。
道がすっかり森の中へと入り、登りの勾配が増していっても、所々で途切れながらも舗装された道路は続きます。ただ落石や落枝が散乱するなど路面は荒れていて、クルマでの通行はすでに困難かと思われました。
ここで車道が二手に分かれ、私製の小さな道標に従って右の道に入ると‥‥
その先に「関原峠口」の標識が立っていました。ここが登山口ってことは、以前はここまで車で入れたのかな?
それはともかく、この「関原峠口」が山道への入口だったことは確かでした。


登山道は、はじめのうち少々不明瞭で頼りない上、強引に登っていく感じでなんか歩きにくい。
ピンクテープを頼りに進むと、時には細い所の通過も。最初の15分くらいはあまりいい道ではなかったなぁ。
でも登るにつれて次第に道形が明瞭になり、歩きやすくはなってきますが、その一方あちこちで‥‥、
倒木がそのままになっていて、マメに手入れされているような印象は持てません。全く通れない程の場所はなかったから、もし大きな倒木があれば取り除かれるなど最小限の整備はされているのではと思われますが。
そして結構長い間、似たような景色ばかりが続くので、あまり面白味も感じられません。なお案内図には途中で馬頭観音や石祠などを複数見られると書かれていたのに、それらを全く見なかったのが不思議でした。
複数の道形が並走し、どちらを歩いても良さそうな箇所がいくつもあったので、そのたびに悉く馬頭観音とかがないほうの道を選んだりしていたのかなぁ? 一応ずっとピンクテープに従って進んでいたはずなのですが。
ここは複数の倒木が重なっていて全く通れず、でも左側を迂回できたから、それで放置されていたのかも。
変わり映えしない景色の連続が、実際の時間以上に長く感じて、ようやく着いたという感覚だった関原峠。
関原峠は十字路になっていて、各方向を示す道標がきちんと立ちながら、なぜか現在地名の表示はありません。
関原峠を右折してすぐに振り返ったところ(左手の道から登ってきました)。
「右左口方面」と案内される東への尾根道は、いくらか歩かれているようでピンクテープも見られますが‥‥、
「芦川方面」に沢沿いを下る道は、道形が不明瞭な上に荒れた感じでほとんど歩かれてなさそうでした。


関原峠の先で少し道迷い。880m圏のピークへ導くらしいピンクテープが目立っていて、つられてウロウロしてしまいました。地図を見て間違いに気付き、破線路がピーク北側を巻き気味に通っているのを見てその方角に適当に進むと、そこにはちゃんと明瞭な道が。こんなにしっかりした道から、どこで外れてしまったのだろう?
その後はやや複雑な地形の中で登り下りを小刻みに繰り返すも、道形は明瞭で道標も適切に立っていました。
たいら山への最後の登りが始まりました。はじめのうちは割と緩やかな傾斜です。
登るにつれて勾配が少しきつくなっても、頂上部っぽい景色が先の方に見えているのを励みに頑張れます。結局バスを降りて以来、自分以外のハイカーを全く見ないまま静かに歩いて来て、そのまま登頂となりそう。
ほぼ平坦な頂上部に入ったら、あとは穏やかな道で頂上へ。でもその前に物々しい何かが目に入ってきました。
それはモノレールを跨ぐ仮設の階段でした。たいら山の頂上直下では何やら工事が進行中で、その資材運搬用のモノレールらしい。登頂後に山の神千本桜へ下る時にも、同様の仮設階段を2度ほど登り下りしています。
たいら山の頂上に到着すると、そこにはいくつもの標識が立って目印になっていました。
あたり一帯が平坦だから、そんな目印でもなければ、足ではここが最高点ってことを実感できない感じです。
ここでは周囲の木立でどの方角も見通せない代わり、少し北側には木立がいくらか除かれたのか展望を楽しめるようにした上で、置かれた切り株などに腰を下ろして休める場所があります。さすがに私がこのあと下る予定の千本桜側からは、こんな時期だけに登っている人も多いようで、そこでは10人ほどの方々が休憩中でした。
そこから展望がこちら。この日は一応は晴れていて日差しもあるのに、薄曇りであまりに空が白っぽく、スッキリとした眺めではなかったのが残念でした。北側なので、甲府盆地の先に八ヶ岳連峰などが見えています。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南アルプスは、少し場所を変えれば鳳凰三山までは眺められたものの、白峰三山などは木立越しでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして足元に、ここにはないはずの三角点が。旧版の地形図には載っていたものが、現在の地形図では抹消されているので、今はないものとばかり思っていたのに、現役同然のきちんとした姿で堂々と埋まっていました。
もしかしてと思って帰宅後に国土地理院のウェブで基準点検索をしてみると、普通に検索されるし表示されるデータにも不審な点はなく、どうやら今も運用中の三角点で間違いない模様。まさか地形図の収録漏れなのか?


千本桜側へ下る道は、登ってきた関原峠経由の道と比べると断然穏やかな傾斜です。
良く踏まれている道は歩きやすくもあり、実際に登って来る人たちともしばしばすれ違いました。
5~6分ほど下ると「登山道入口」という標識が立っていて(振り返って撮影)、山道は一旦終わります。
そこからは舗装された車道歩きに。モノレールで運搬されている資材は、この林道の延伸工事用らしい。
車道を歩き始めると、左手にちょこんと富士山のてっぺんが見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
すっかり下山気分になっていたところへ、この車道区間では結構登らされるのが少し凹みました。
車道がようやく下り坂に変わると、ほどなく分岐点があり、ここで舗装された車道からは離れます。
でも分かれた先も林道のような感じの道で、雰囲気は今ひとつ。
そんな林道を歩く距離は短いもので、3~4分もすると山之神社が見えてきました。
その昔、農耕守護・商売繁栄・養蚕守護の御利益を求めて関東一円から参拝者が多数訪れたという山之神社。
今も毎年4月の例大祭には多くの人が参拝に上がっているとか。私も心を込めてお参りさせて頂きました。
神社のすぐ下には「籠り堂」なる建物が。信者が祈願・修行するためのお堂らしい。


山之神社からは、九十九折りの参道が始まります。間もなく桜並木にも出会えることでしょう。楽しみです。
ふと「十九丁目」の丁石が目に入り、それを皮切りに以降はたびたび目にすることに。帰宅後に調べてみたところ、入口から山之神社に至る参道に1~20丁までの丁石が置かれていると分かり(最初の20丁目のものは見逃したか?)、その後はそれらの丁石が、どのくらい下って来たかの良い目安にもなりました。
そして、桜並木が始まったあたりで展望が開けると、そこに東屋が建ち展望図も設置されていました。
東屋からの展望を、まずは全体の様子から。春霞なのか何なのか、この白っぽい空がとにかく残念。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて、少し大きめに撮った展望写真を左側から順に並べます。まずは南アルプス方面。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
真ん中に見えていた八ヶ岳連峰までは少し距離があったので、望遠にして撮るべきだったようです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
奥秩父の山々は満開の桜とともに。でも桜の花を見映え良く撮れたのが、この1枚だけで終わろうとは‥‥。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


そうなのです。その先の桜並木ときたら、こんな感じに葉桜のほうが目立つものが大半で‥‥。
時折それなりに花を付けた木があっても、とうに見頃が過ぎているから色合いが淡く、あまりパッとしません。
なんと期待していた標高の高いエリアですら、もう花はほぼ終わりかけていたのでした。すでに展望が期待外れだったのに、花の見頃まで外してしまうなんて。まぁ、思い通りにはいかない、こんな日もありますよね。
下るにつれて、次第に葉桜ばかりになっていき、この先はもう期待するだけ無駄な気がしてきました。
地面をピンク色に染める花びらの、空しく見えることといったら。せめて桜吹雪には間に合っていたかった...
そして、桜の木の本数自体も、思っていたより少ないのかなと感じていたら、途中からまだ背の低い若木を多く見掛けるようになって、こんな標識が。これらが立派に育つ頃には、さらに見事な桜並木になるのでしょう。
一旦林道に出る地点まで下ってきたら、参道も残すところあとわずかです。
林道を歩くのはほんの短い距離で、すぐにまた山道の続きへ。
葉桜ばかりを見ながらさらに下って、こんな鳥居をくぐります。元々はここが参道の始まりだったのかも。
ほどなく登山口が見えてきました。
車道に下りて、登山口を振り返ったところです。
登山口付近が桜の広場のようになっていましたが、そこも花がいくらかは残っている、といった程度でした。


あとは車道歩きを残すのみ。このあたりの車道沿いの桜並木も、もうあらかた葉桜でした。
たいら山を振り返ってみてもこんな具合。冒頭に載せた満開の頃の紹介写真を事前に見ていて、同じような光景が見られるのを期待していたので、それとのギャップの大きさにここで改めてガッカリしたっけ。
でもそこからは、八ヶ岳や奥秩父の山並みを眺めつつで気分良く下れる道に(もう少し空が青ければ‥‥)。
登山者用の駐車場が見えてくると、正面の山々が南アルプスに変わったり。
登山者用駐車場から振り返るたいら山。目立っているのは東屋付近に唯一残った花付きの良い木々だけですね。
多くの人たちと違って、私は駐車場がゴールではないので、車道歩きをもう少し続けます。
バス通りに出た先に、シルクの里公園の入口があります。あとで園内に入りますが、今ここからは入らず‥‥
もう少し車道を進むと、そこに並んでいた八重桜(たぶん)が、この日見た桜の中で一番綺麗に咲き揃っていたような(上の写真で奥の方に写っているあたり。車道の右側も桜並木ですが、それらはやはり葉桜でした)。
車道を進んだのは、その先に温泉施設の「シルクふれんどりぃ」があるから。施設自体は改装工事で休館中ですが、帰りに乗る予定のバスがそこから出ているのです。
上の写真にも写っていますが、バス停は施設への入口に立っていました。この位置はストリートビューで予め確認済みでしたが、温泉施設の休館で移動している可能性も考えられたため、念のため見に来ておいたのです。
バス停の位置を確認できたら、すぐ近くの入口からシルクの里公園へ。
平日のお昼時、温泉施設も休館中とあって、園内は家族連れの姿を時折ぽつんと2~3見掛ける程度で閑散としています。人がいないから、多目的トイレなんかも憚らずに使えて、着替えとかもそこで済ませられました。

この日は、一番のお目当てだったお花見が全くの空振りに終わり、展望までもがほぼ不発という体たらくで、この山にはまた改めて来なければ、という思いで現地を後にしています。お花見も、近いうちにまたどこかで。

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愛宕山・夢見山・大笠山・大日影山 (後編) ~ 街歩き編 ~ [甲府近郊]

2022/12/03(土)

■第459回 : 愛宕山(423m)・大笠山(550m)・大日影山(734m) (後編)


 前編 では、4つの山を巡り終えて下山してきたところまでをお伝えしていました。
ここからはその続きで、武田神社をはじめ武田氏と所縁のあるいくつかの寺社等を訪れつつ、甲府駅まで歩いた様子をお伝えします。ただ、わざわざ記事を分けたにしては、私が寺社にさほど詳しくないため、さらっと流して書く程度にとどまってしまいそうですがご容赦下さい。


森の中から抜けて小さな橋を渡ると、左手には、武田神社に隣接する史跡公園をほど近くに見下ろせました。
  ※この写真は前編と重複しています
でもそちらに下る前に、登れば見晴らしが良くなりそうな階段が現れたので、そこを上がってみます。
すると竜華池の畔に出ました。農業用のため池が釣り堀にもなっているらしく、多くの釣り人の姿も。
振り返ると、甲府盆地を囲む山並みを、西側から南側にかけて広く眺めることができました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
西側の南アルプスは、この時間になると良く晴れていて、ようやく甲斐駒ヶ岳をスッキリと見られました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南側に連なる身延線方向の山々もバッチリ。この方角は朝方からきれいに見えていましたが。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一段高くなっていた竜華池の畔から史跡公園の前に下ると、今度はこの日登ってきた山々を見渡せるように。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


武田氏の館跡とされ、復元された土塁などが見られる史跡公園を横切ると、その奥が武田神社です。
なお、Googleマップで「武田氏館跡 大手門東 史跡公園」となっているこの公園、現地ではどの入口にも名称を記した標識等が見当たらず、ネットでも公的な情報を探せなくて、それが正式な名称なのかは未だに良く分かりません。
武田神社の境内に入ると、結構な人出で賑わっていて、何の行事なのか着飾った家族連れの姿も目立ちます。
拝殿前も参拝者の列が途切れることがありませんでした。武田神社は祭神として武田信玄を祀って、躑躅ヶ崎館(武田氏館)の跡地に建てられている、大正時代に入ってからの1919年に創建された比較的新しい神社です。
広い境内は拝殿や社務所などが並ぶ一角を離れると自然豊かで、もう少し早く来れば紅葉も楽しめたのかも。
門前にはバス停があり、甲府駅まで路線バスでも戻れますが、直線距離で2km少々なので歩いてしまいます。
周回経路の関係でメインの参道をほとんど歩かなかったため、神橋は最後に外から見るだけになりました。鳥居には「祝七五三」の幕が掲げられていて、境内に着飾った家族連れが多かったのはそのためだったのかも。
振り返ると、門前から甲府駅へ一直線に延びる武田通り。でもこの道だと早く帰れる代わりに味気ないので‥‥


あちこち寄り道をすることにして、まずは近くの護國神社へ。武田神社から10分ほどでその一角に入ります。
参道に途中から入って、大きな鳥居を2本くぐります(正面側の入口にはもっと立派な鳥居があった模様)。
この山梨縣護國神社については、もちろん戦死者を祀るためのもので、武田氏と特段の繋がりはありません。
広い境内もこの時は参拝者が少なく、静かで落ち着いた佇まい。背後の森と良く調和した景色も印象的でした。


次の目的地には意外にも道案内が見当たらず、いい加減その場所が見えてきた頃に、やっと大きな道標が。
そこは武田信玄公の墓。全国に何箇所かある信玄公の墓の中でも、ここで遺体を火葬したといわれる場所で、火葬塚とも呼ばれます。周囲に住宅が建ち並び、関連の施設等が何もない中に、ひっそりと佇んでいました。
墓碑のまわりもこざっぱりとしていて、慎ましやかな印象でした。


次に立ち寄る大泉寺へ、信玄公の墓からの近道を画策したところ、行き止まりだった道の先が寺の境内に接していたのは思惑通りだっものの、境界には行き来を阻むようにバリケードが。それに沿って蓋のない排水溝が続いていたので、落下防止の意味合いが大きそうなバリケードでしたが、ここは通っても良かったものやら‥‥?
そこからは、すぐに大泉寺の本堂の前へ。1521年の創建と伝わる、武田信虎(信玄の父)の菩提寺で、奥の霊廟には信虎の墓があるほか、信虎・信玄・勝頼三代の肖像も安置されているとか。
一般的な観光ルートからは外れるのか、ほかに参拝する人もなく、私ひとりの境内に静かな時間が流れます。
境内に横手から入っていたので、参道を歩くのは参拝後に。この景色も趣があって心地良く感じられました。
歩いた参道を振り返ります。境内全体が豊かな緑に馴染んでいて風情豊か。ここは来てみて良かったです。
最後にくぐった総門は、少々変わった造りをしていました(これも振り返って撮ったもの)。
参道にはネコが1匹。とても人懐っこかった上に、私もなぜかネコ用の小袋おやつをたまたま持っていて‥‥
めいっぱい親睦を深めてしまうことに。おしゃべりなネコとは会話も弾んで、すっかり癒されました。
名残惜しい中、後ろ髪を引かれる思いで大泉寺を後にしましたが、でも相手は結構サッパリしていたみたい。


最後に訪れたのは八幡神社。甲府駅にかなり近付いて、完全に市街地に入った中に現れます。
八幡神社も、武田氏の時代から続く歴史があるようですが、現在の社殿の多くは戦後に再建されています(明治期にはすっかり荒廃していたものが大正期に一旦は再建されながら、それも昭和期の戦災で焼失したらしい)。
神楽殿は戦火を免れて、大正期の再建時の姿を留めているとか(外観は葺き替えなどされて小綺麗ですが)。
社殿手前の右手には、小さいながら中央に浮かぶ島に祠が祀られて橋まで架かる立派な池があります。
池畔には「夢見山伝説」の解説碑が。武田信虎が信玄誕生の夢を見たという故事に関わりのある池だそうな。


あとは駅へ向かうだけ。武田氏の名前は駅北側の地名にもなっていて、途中で渡る交差点名も「武田」でした。
甲府駅まで戻ってきました。最近では長い距離を歩いたほうだったかな(終盤は車道歩きに終始したけれど)。


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愛宕山・夢見山・大笠山・大日影山 (前編) ~ 山歩き編 ~ [甲府近郊]

2022/12/03(土)

■第459回 : 愛宕山(423m)・大笠山(550m)・大日影山(734m) (前編)


この日は甲府駅からの周回コース。まずは、愛宕山こどもの国の園内にあって、遊歩道で結ばれた3つの山に次々と登頂したのち、バリエーションルートで登る大日影山にも足を延ばして、計4座を巡ってきました。
また山歩きを終えたあとには、武田神社など武田氏と所縁の深いいくつかの寺社等にも訪れています。

 累積標高差(登り):706m / 距離:12.7km / 歩行時間:4時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:26-05:49 八王子 05:51-05:58 高尾
高尾 06:14-07:43 甲府

(登山行程)
甲府駅     07:50
(途中、工事のため迂回あり)
愛宕山     08:40-08:45
夢見山     09:00
(ベンチで休憩:09:05-09:10)
大笠山     09:30-09:40
茶道峠     10:00
大日影山    10:45-10:55
躑躅ヶ崎園地  11:20-11:25
武田神社    11:45-11:55
護國神社    12:05
武田信玄公の墓 12:15
大泉寺     12:25-12:35
八幡神社    12:40-12:45
甲府駅     13:00

(復路)
甲府 13:32-14:32 八王子 14:40-15:03 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR甲府駅の北口広場からスタート。度々訪れている駅ですが、駅前から歩き始めるのは今回が初めてでした。
駅前の通りを東へ。最初に登る愛宕山はすぐ近くなのに、建物が多くてなかなかスッキリとは見られません。
T字路の突き当たりには、「古(いにしえ)の道」の案内図が立っていました。
その案内図です。「古の道」は甲府駅から武田神社へと至る、武田氏とゆかりの深い寺院を巡るコースですが、甲府市の観光情報サイトに概要が載っている程度で詳しい情報に乏しく、どこをどう通るのかなどの細部は現地でこの案内図を見るまで分からなかったので、こちらに 大きめの画像 を置いておきます。
今回は、下山後に武田神社から甲府駅へと戻ってくる経路でこの「古の道」との接点が多く、のちのちこの案内図を何度も見掛けることに。 ※下の画像にマウスを乗せると、私が歩いたコースを重ね合わせます。
早速「古の道」と案内されている小道に入ると、石畳風に舗装されたちょっと雰囲気のある道でした。
次第に坂道に変わっていきます。
「古の道」からはこの先で外れますが、途中からは愛宕山こどもの国や山梨県立科学館への案内も出てきて、愛宕山の登路もその案内に従うだけなので分かりやすかったです。
「みはらし台」があったのは、まだ大して登っていないあたり。でも、すでに甲府市街や南アルプスなどを見渡せていて、頂上での展望に期待が高まります。なお、これ以上登らない「古の道」とはここで一旦お別れに。


その先の掲示を見て愕然。こどもの国が改修工事中で、この道は頂上付近で行き止まりになり、こどもの国に入れない、だと?! 頂上もこどもの国の園内ですから、これでは登頂もできないことになります。しかも、通行止めにするなら迂回路もセットで提示して欲しいところ、それが何もないので甚だ不親切。
慌てて地形図を確認しても、近くに手っ取り早い迂回路は見当たらず、一旦下って山の南側に回れば登り直せそうなものの、それだと相当遠回りにもなってしまいます。でも今は休日の早朝だから、工事が行われていなければ通れるかもしれないし、とりあえず行ける所まで進んでから考えようと、この先へ向かってみることに。
少し進むと舗装路が終わって山道が始まります。ここにも先程と同様、こどもの国に入れない旨が掲示されている一方で、登ったところで目的地にたどり着けない道ならば入口を封鎖するほうが理にかなっていそうなのに、先に進むのを躊躇わせるような気配がまるで感じられず、普通に通れるのが意外に思われました。
山道を登って行くと、ご近所に在住とみられる軽装の方としばしばすれ違ったので(中には犬の散歩中の方も)、この道が開放されているのは、そういう方が普段通り散策できるようにとの配慮だったのかも。
しばらく登ると、前方にこどもの国の入口らしいゲートっぽいものが見えてきて、頂上部に入ったようです。
道がこどもの国の駐車場に突き当たると、そこから立入禁止になっていました。その先では、休日の朝にもかかわらず、すでに多くの工事関係者が慌しく動いていたりして、ここは素直に指示に従うしかなさそう。
ただ、工事区域から離れているのか、駐車場の見える範囲では人や車両や資材の動きがある程度です。そこをほんの40~50mも歩けば科学館などがあるエリアに抜けられますし、そのために歩行者用の細い通路を設けるくらい造作もなさそうなのに、全面的な立入禁止とされていることはとても安直に感じました。
昨今は良かれと思ってしたことでも、何か問題が起こればすぐ訴えられたりして、周囲への親切心よりも自らの保身をまず図っておかないと危なっかしい世の中になってしまったので、こんな風潮も致し方ないんですかねぇ。結局は不利益を被る人が多くなるばかりで、社会全体では損失が大きくなるだけだと思うのですが‥‥。
しかも、ここにも迂回路等の案内が一切なくて、本当に適切な迂回手段がないのでは?、とも疑われる状況です。しかし地形図によると、頂上部の南側に進んで一旦いくらか下りかけたあたりから、頂上部の東側を回り込む道に出られるように見えたので、そこに活路を見出すべく、もう少し足掻いてみることにしましたが、もしも地形図を見る手段がなかったら途方に暮れていたでしょうし、引き返すしかなかったかもしれません。
  ※それらの道はGoogleマップでは不掲載。やはり持ち歩くべきは地形図ですね(スマホにもアプリを入れてあるけれど)。


ということで、まずは頂上部の南側を目指します。左手に見える科学館の建物に間近まで迫れているのに、そことの間を高い擁壁が阻んでいて、仮に登れたとしても、敷地の外周を囲むフェンスが越えられないでしょう。
頂上部の南側で、せっかく一旦は近付いていた科学館の建物からやや離れると、少し開けた場所に出ました。
そこには甲斐奈神社の元宮がありました。現在は金手駅の近くにある甲斐奈神社が、元はここにあったとか。
少し下ると、頂上部の東側を北上できそうな道に入れました。地形図を見て目星を付けていた道でしょう。
途中の三峯神社への分岐では、すぐ上の祠まで登ってみたけれど、道はその先に続かず、引き返してきました。
さらに進むと「桜花の径」の石碑が。行先が何も案内されていない道なのを、不安に感じながら歩いてきましたが、こんな立派な碑が立つような道なら、きっとどこかに続いているだろうと期待が持てました。
やがて前方にガードレールが現れて、山の東麓から登ってくる車道に出られそう。これで迂回成功です。
結局、結構な遠回りこそさせられたものの、余計な登り下りはほとんどせずに済み、時間を浪費しただけで体力的には楽に歩けました。先程の通行止めの地点でこの迂回路を案内しないのは、一体何故なのだろう?


あとは難なく愛宕山の頂上部へ。右前方のバリケードの40~50mほど先に先程の通行止めの地点があります。
そこには「県立科学館」バス停があって、甲府駅からバスで来ることもできます。実はここには 2011年に「武田の杜遊歩道」を歩いた時 にも来ていて、その際は22kmに及ぶ遊歩道の全体を歩き通すので精一杯だろうと、起点に選んだこの地点まではバスで移動して来たのでした(歩いて来なかったので、愛宕山はその日登った山には含めず、最高点もスルーしました)。その時に立ち寄らなかった愛宕山の最高点に、今から向かいます。
愛宕山の頂上を目指して山梨県立科学館の敷地内に入り、展望台を案内する標識に従って階段を登ります。
奥に見えてきた天体観測ドームの周囲が最も高い場所らしく、そこが展望テラスにもなっているようです。
展望テラスに上がりました。西側の景色は天体観測ドームやプラネタリウムに遮られていますが‥‥。
南側から東側にかけての、広角の眺望が目を見張ります。ちょっと雲が多かったのが残念ですけれど。
こちらは南アルプスなどが眺められた南側。
そして東側には富士山周辺の山々が。でも肝心の富士山は雲が隠してしまっていました。
パノラマ写真を、まずは南側から。こちらは右端で甲斐駒ヶ岳に雲がかかり気味な以外は上々の眺めでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方の東側は、雲が多かったばかりか、この時間は逆光で写真を撮るには厳しい状況でした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南アルプスの北部を少し大きめに撮りました。甲斐駒は、タイミングによって頂上だけは見えていたり。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
少し左にカメラを振ると、身延線沿線の山々が並ぶ眺めになりました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに左を向いて、こちらがほぼ南側の眺め。一番高く見えそうな毛無山には雲がかかっていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南東側は雲と陽光であまり絵になりませんでした。富士山も全く見えていませんし...。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


さて、今いる山梨県立科学館の展望テラスが、愛宕山で一番高い場所になるのは確からしいものの、それはあくまで建物の上でのこと。自然地形での最高点は、少し北側に遊具が立つのが見える、あの丘の上になりそう。
なので、来た道を少し戻ったら、円形広場の階段を上がって、最高点っぽい場所も踏みに行っておきます。
このあたりが最高点でしょうか。こどもの国や科学館の建設で地形も変えられていそうですが、旧版の地形図では、かつてこの付近に三角点(その標高が422.9m)があったとされていて、元からこのあたりが一番高かったと考えられそう。特にそれらしい標識等は見当たらなかったけれど、この記録ではここを頂上としました。
※なお、2021年に甲府市が25座を選定した「甲府名山」に、この愛宕山も選ばれていて、事業の一環で各山頂に「甲府名山」の標柱も立てられましたが、愛宕山の標柱はここではなく、この日は工事中で入れなかった自由広場への登り口あたりにあります(ストリートビューで確認可)。ただ、自由広場だとここよりもずっと高くて、地形図の430mの等高線内ですから、「甲府名山」の資料が愛宕山の標高を423mとしていることと辻褄が合わなくて、標柱の立つ位置が適切とは思われないのが残念な感じです。


次の夢見山も愛宕山の近くにあって、この高架橋を渡って自由広場を横切ればすぐに着けそう。でも自由広場はまさに改修工事の核心部で(再整備中らしい)その中を通れず、高架橋も途中までで通行止めでした。
しかし高架橋を渡るつもりは元々なく、下に降りて先程のバス停付近に戻ってきました。というのも、もしも工事が行われておらず、写真の左奥方向に進めれば、愛宕山の「甲府名山」標柱を見られたはずでしたから。
それはともかく、上の写真のバリケードには様々な掲示もありました。このあと向かうつもりの夢見山と大笠山もこどもの国の園内ですから、予定通りに歩けるか不安だったのですが、どうやらそれらが工事区域から外れていることと、自由広場を通らなくても行けるらしいことが分かって、胸を撫でおろしています。
ちなみに、この工事は来年3月いっぱいまでの予定とされていて、甲府駅側からの遊歩道の通行止めもそれまで続く可能性がありそうですから、その間に愛宕山に遊歩道で登る予定の方はどうぞお気を付け下さい。
こちらは変形自転車広場(地図右上)への迂回路の案内で、ほぼ同じ方角の夢見山にもこの要領で行けそう。
2度目の迂回は小さな遠回り程度。車道を軽く下れば、数分で現在のこどもの国の入口となっている地点へ。
そこから山道をちょこっと登ればすぐに‥‥。
元々歩く予定だった遊歩道に突き当たりました。工事による規制はこの左側までで、右へ進む分にはもう何の制限もありません。ここまでなかなか順調に進めなかったけれど、この先はようやく計画通りに歩けそうです。


すぐに車道を跨ぐ橋に差し掛かると、左前方に夢見山のこんもりとした盛り上がりが見えてきました。
橋を渡れば、いよいよ夢見山が目の前に。この高さなら、あっという間に登れてしまえそう。
夢見山への登り口は、上の写真のT字路をわずかに直進した先にありました。
一応階段状に整備された道がありますが、不揃いな岩が並んでいるため足元が不安定です。しかも季節柄、岩と岩の間を滑りやすい落ち葉が埋め尽くしていて、足運びには気を遣いました。
登る高さは20mもなかったくらいで、1~2分でもう頂上でした。
夢見山は、頂上部も岩が乱雑にゴロゴロ転がるばかりで平坦な場所がなく、どこにいても落ち着かなくて居心地は今ひとつ。展望もないことだしと、写真だけ撮ったらすぐに引き返しています。
夢見山には標識が2つあって、右側の茶色のものが、愛宕山では見られなかった「甲府名山」の標柱でした。


夢見山への登り口に戻ったら、こどもの国園内の遊歩道をさらに先へと進みます。
ベンチがある場所に出たので、次に向かう大笠山への登りに備えて、少し足を休めていきました。
そこではベンチの反対側の斜面が階段になっています。地形図で、大笠山の登り口に階段が書かれているのを見ていたため、ここがそうに違いないと思って登り始めてしまいましたが、それは早とちりでした。
そこから登っていくと階段はすぐに終わって(あれ?)、普通の山道になってしまいます。
やがて別の遊歩道に出たら、もう上に続く道がない様子です。そこに案内図があったので確認してみると‥‥
予定していた登山道とはかなり離れた所を登っていたと分かりました。でも幸いにこの地点からは、本来の登山道に向かう道もあり、図らずも少し近道を通ったような具合になったから、結果オーライだったような。
    ※下の写真にマウスを乗せると、道間違いの状況を補足します。
予定していた登山道へと移動中。ここはあまり歩かれていないのか、少々頼りない道でした。
ほどなく舗装され、かつ手すり付きの立派な園路に出ました。これが大笠山への正しい道でしょう。そういえば、正しい登り口に大笠山を案内する道標があることを知っていたはずなのに、道を間違えたことでそれを見ていないことにも気づかずに登り始めていたようで、少々注意力が散漫だったのかも。
結構な斜度の道です。ここまで公園内の遊歩道みたいな道ばかりだったので、急な登りが続くのは初めて。
所々に眺めの良い場所も。とはいえ山登り気分に浸るには、舗装路というのが少々いただけなかったですが。
舗装路のまましばらく登ってしまったのち、かなり標高を上げたあたりで、ようやく山道に変わりました。


ちょっとした平坦地に出ると、遊歩道で登れるのはここまででした。大笠山の実際の頂上はもう少し登った先になりますが、一般的にはここが頂上とされているらしく、「甲府名山」ほか2種類の標識なども見られます。
ここで特筆すべきは、それらの標識に添えられた標高値。どちらも548mとなっていて、それが、標識が立つこの地点の正しい標高らしいのです(背後の頂上は地形図の550m圏の等高線内ゆえ550m以上あります)。
この手の標識ときたら、頂上とかけ離れた地点にあっても、頂上と同じ標高が書かれた物ばかりで、粉飾まがいのインチキ臭さに辟易することが多いのに(もちろん場所や状況により、それが相応しいと思える物もあります)、この標識は頂上のすぐ近くにありながら、それでも頂上とは異なる標高をきちんと掲げていて、少しの誇張もしない誠実さは賞賛にも値すると感じました(単に標高に誤認があるだけかもしれませんが)。
さらにそこにはコンクリートの構造物も。かつてここにあったというジャンボ滑り台の残骸でしょうか。
平坦地より上にしっかりした道はなく、あとは岩の間を縫って歩きにくい斜面を適当に登るしかありません。
それでも2~3分も登れば大笠山の頂上に到達です。踏み跡すらほとんどなくて、ここまで来る人は少なそう。
そこには私製の標識が1つあるだけ。ここで気になったのは、その私製標識も標高を548mとしていたことで、その根拠が何なのかが謎でした。地形図の旧版を2世代遡っても、この地点には標高の記載がなく、地形図が由来ではなさそうなので、ほかに大笠山の標高を548mとする何かしらの資料が存在するのでしょうか?
頂上を少し通り過ぎて振り返っています(右端の樹木に見えるのが私製標識の裏側)。この通り展望は全くなく、腰掛けられる場所にも乏しくて、気持ち良く長居できるような雰囲気ではない地味な地点でした。
さて、大笠山まではほぼ愛宕山こどもの国の園内に終始して、ここが3つ目の山になる割にあまり登山をしたという実感はなく(歩いた距離も登った標高差も小さめですし)、そうなることは計画時点でも察しが付いていたので、ここからさらに尾根伝いに大日影山まで足を延ばすコースを考えてきていました。
この先になると、もう整備された登山道はなく、いわゆるバリエーションルートの範疇に入るので(ルートファインディングを要するほどではないけれど)、登山としてはいよいよここからが本番、といった心構えです。


大笠山から北に下り始めてみると、なんと地面には踏み跡すらほとんど見られません。でも幸いに尾根が延びている方向が分かりやすくて、勘に頼って何となく進んでいても尾根筋を大きく外す心配はなさそうでした。
大量の落ち葉が地面という地面を覆い尽くして、どこも同じように見えてしまう斜面は、適当に下るしか手がありません。普段ならうっすらと見えるのかもしれない踏み跡を、夥しい量の落ち葉が隠しているようにも思われて、このようなコースを歩くのに適した季節ではなかったと今さら悟っても、もう後の祭りでした。
でも樹木に控えめなペンキマークが付いていたり、稀にはテープを見掛けることもあって、途中からはそれらにも助けられつつ下れましたし、尾根が狭まった下部になると、踏み跡が収束して分かりやすくなりました。
鞍部まで下り切って車道が見えてくれば、不明瞭な道を歩く区間もここまでです。
そこはT字路になっていて、次の大日影山への登り口は、直進方向に林道を進んだ先にあります。
しかしその前に、右手側に峠のサミットが見えているので、ちょっくらそちらへ向かってみます。
サミットを過ぎて少し下り始めた先に、茶道峠の道標が立っていて、それを撮るためだけの寄り道でした。


T字路に戻って林道を進むと、右に大きく曲がったのち左カーブが始まるあたりで、山道が分岐していました。
ピンクテープだけが入口を示す山道に入ると、細くて頼りない印象の道は登り口付近だけで終わり‥‥。
すぐに尾根に上がったらあとは広い道に。道案内は一切ないけれど、これだけ明瞭なら何の心配もなさそう。
登るにつれて切り開きの幅が広がって、これは完全に防火帯ですね。人が歩く前提の道ではないからか、かなり急な勾配になる箇所も多く、それでもジグザグを描かずに直登するので、相当きつい登りです。
しかもそんな急斜面を覆う大量の落ち葉に足を取られて、登りでも厄介な箇所も。そしてそれが長く続きます。
かなり登ってからは、尾根上に時折小さなコブが現れて、軽いアップダウンを交えるようになります。
そのあたりでは傾斜も緩んで、気持ち良い尾根歩き気分を味わえたりもしましたが、それも束の間‥‥。
上部は落ち葉が滑る急斜面の再来で、体力的に結構堪えました。景色も変化に乏しく、単調な道のりでしたし。
それでもこの大岩が現れる頃には、空が広く見えるようになっていて、頂上が近そうな予感を励みに登ります。


苦しい登りの末にようやく着いた大日影山は、防火帯が頂上まできっちり続いていたことと、左側(下山方向)から別の防火帯も合わさってきたことで、上空が大きく開けた開放的な場所になっていました。
そこは人工物がほとんどなく、寂峰という形容がお似合いの、慎ましい佇まいが好ましく思える場所でした。
ある物といえば、鳥獣保護区の標識と、2つの私製の山名標(ここに写るのがそのうちの片方)だけです。
もう一方の私製山名標がこちらで、先程の大笠山にあったものと同じ方の手によるものでしょう。
展望はほとんどありませんが、葉を落とした樹木の間から、茅ヶ岳と金ヶ岳を眺められました。


あとは気楽に下るだけ、といきたかったところ、その下りがなかなか厳しくスリリングで痺れました。
登ってきた尾根よりもさらに急勾配の防火帯は、上から見下ろすとまるで絶壁のような角度に見え(写真では伝わらないけれど)、そこに滑りやすい落ち葉が厚く降り積もりまくって、とても無難に下れるようには思われなかったのです。こんな季節に下りに来るような道でないのは明らかで、どうか何事もなく済みますように‥‥。
足を取られないよう、一歩一歩慎重に足場を見定めながら下ります。でもあまりの傾斜に、どうしても滑るようにしか降りられない場所も度々で、かなりの緊張を強いられましたし、軽い尻餅も1度つかされました。
途中で一度傾斜が緩んで楽に歩けるようになったりしても、それは長続きせずに再び急坂に突入です。
かなり下った頃、ついに道がジグザグを描き始めると、やがて傾斜も収まって、ようやく普通に歩ける道に。
唐突に、少し開けた場所に出ました。この場所が何なのかは分からず、ただ通り過ぎるだけでしたが‥‥。
そのすぐ下で、目指してきた「武田の杜遊歩道」に合わさりました。2011年に全線を歩き通した遊歩道です。
そこに立っていた道標には、私製の指示標が追加されていて、下ってきた大日影山などを案内していました。
遊歩道を進むと、ほどなく躑躅ヶ崎園地に出ます。2011年の記録を振り返ると「展望の良い場所」と書いていて、南アルプスや櫛形山などを眺めた写真も撮っていたのに、この日は展望など何も目に入らず。過酷だった下りに疲弊してその余裕がなかったか、それとも11年の時を経て見える景色も変わっていたか、どちらだろう?
それはさておき、11年ぶりの再訪となった園地の休憩舎で、長い急坂と格闘した足を少し休めていきました。


ここからはもう遊歩道を進むだけですから、安心して歩けます。躑躅ヶ崎園地の少し先で、武田神社への道が分岐するので、「武田の杜遊歩道」とはここで別れて武田神社へと向かいます。
遊歩道の本線から外れたからか、少し細い道に変わったものの、整備はきちんとされていました。
2箇所ほどあった分岐にも道標がしっかりと立っていて、道案内も万全です。
次第に下界から人の声などが届くようになってきて、観光地の武田神社にどんどん近付いている気配。
森の中を抜けると、ちょっとした橋を渡ります。
橋の上からは、ほど近くに武田神社に隣接する史跡公園が見えていて、そこには観光客の姿もちらほら。結局、最初に愛宕山へ登る途中で散歩中の人たちとすれ違ったのを最後に、以降はここまでハイカーを全く見掛けることのないまま歩いてきたので、久しぶりに見る人の姿でした。

武田神社まで下ってきて、この先は街歩きに変わりますから、山歩きと言えるのはここまでとなります。今回は予期せぬ事態の発生も絡んで写真数も多くなりましたので、ここで記事を分けることにしました。

この続きは 後編 をご覧下さい。


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