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福神山・鐘ヶ嶽 [丹沢]

2024/01/27(土)

■第476回 : 福神山(420m)・鐘ヶ嶽(561m)


この日の行先は東丹沢の鐘ヶ嶽。登山を始めたその年(2005年)に、辺室山・大山三峰山とセットで登って以来の再訪です。一般登山道でも歩ける山ですが、今回はバリエーションルートの北尾根を登路に選びました。

バリエーションといっても、良く踏まれていて進路がずっと明瞭なルートも少なくない中、ここは特に登山口あたりは踏み跡すら見当たらず、頂上直下でも道形が消失するなど、そこそこ骨のあるルートを楽しめました。

 累積標高差(登り):618m / 距離:6.5km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
大沼 06:06-06:15 相模大野 06:26-06:42 本厚木
本厚木駅 06:55-07:24 清川村役場前

(登山行程)
清川村役場前バス停  07:30
道の駅 清川      07:30-07:35
291m三角点      08:30-08:35
福神山        09:20-09:25
鐘ヶ嶽        10:00-10:10
浅間神社       10:10-10:15
(登山口)       10:50
和の丘        10:55-11:05
広沢寺温泉入口バス停 11:10

(復路)
広沢寺温泉入口 11:16-11:44(延着11:54) 本厚木駅
本厚木 12:06-12:18 相模大野 12:32-12:39 東通り


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

小田急線の本厚木駅で路線バスに乗り換え、清川村役場前で下車します。宮ヶ瀬行きの朝1番の便は乗客が多く、私が乗る前から立ち客が続出していて、やっと座れたのは30分ほどの乗車時間が8割がた過ぎた頃でした。
歩き始める前に、道の向かい側にある道の駅「清川」へ。トイレが24時間利用可能な、有り難い施設です。
車道歩きは短くて、旧清川青少年の家(2011年閉館)まで。建物前が終点の車道を外れて右側のスロープへ。
その先に山道が少しは続くかと思っていたら、最初からそんなモノは皆無です。砂利道が終わった途端、満足な踏み場もないほどススキが繁茂する中に放り出され、そこを掻き分けて適当に進むと、すぐに何か現れました。
それはかつての案内図でしたが、今となっては周囲をススキの密藪に囲まれて、正面から見ることすら困難になりつつあり、以前この前を道が通っていたことを想像するなんてもう無理もいいところでした。
案内図には、そこから山道が2経路書かれていて、まずは案内図の左手に向かう経路を窺ってみたものの、その先は新しめの堰堤に塞がれていました。元々道があったとしても、これでズタズタにされてしまったのでは?
次に案内図の右手を進んで登る経路を窺ってみても、斜面の中程を防獣フェンスが横切っていて、扉などフェンスを越えて進めそうな箇所がどこにも見当たりません。マトモに歩ける経路なんて完全に失われている様子。
仕方なく、ヤマレコなどで先人の軌跡が左手の尾根伝いに登っていたのを見ていたので、草藪を掻き分け伐採木の散乱で歩きにくい中を強行突破し、その尾根までたどり着いたら、そこにうっすらとした踏み跡を発見!
尾根上の踏み跡を追っていくと、途中には埋没しかけた木段の名残りもあって、ここが登山道だったっぽい。
ちょっとしたピークに着いたら、そこには道標と案内図が立っていました。一旦はこんなにしっかりと道案内まで整備したのに、せっかく作った道を維持もせず投げ出して放置しちゃったのは何故なのだろう?


でも尾根上を進むようになると、かつての道形が結構残っていて、この先しばらくはその道形を追うだけでも歩けてしまいます。小ピークなどで尾根が分岐しても、地図等で地形と進路が把握できていれば、進むべき方向は大抵明らかで方位確認なども不要でした。その一方、テープやリボン等による誘導は控え目で、地形図など最小限の用意すらせず安易に乗り込んだ場合は、進路を誤ることも起こりうるかもしれません。歩く人が少ないゆえか、道形が明瞭になりすぎず、適度に残されたバリエーションらしさを楽しめるルートだったと思います。
軽く下った鞍部では鹿柵の扉部分を開閉して通過します。
鹿柵沿いに登り返していくと‥‥
次のコブ上で再び鹿柵を通過して先へ。
鹿柵の通過はすぐお隣りのコブでも(これで3回目)。ただ、煩わしい扉の開け閉めもこれが最後でした。
その先にはやや急な登り。元々はジグザグの道があったかもですが、単なる斜面と化した今は直登するのみ。
三角点への分岐点となる小ピークにも、分岐道標と案内図がしっかりと立っていました。ここからは、福神山・鐘ヶ嶽へと続く尾根を一旦見送って、三角点ピークに寄り道していきます。
軽く下ったのち登り返す斜面には、かつての木段の残骸が。これも相当な労力を費やして作ったんだろうに。
291m三角点ピークに着きました。三角点の等級は三等、点名は「根岸」です。
三角点の手前には古びたベンチが2つ。今となっては腰掛ける人が現れることも稀になってしまったか。
そのベンチがある北側が開けていて、宮ヶ瀬湖に近いあたりの山々を見渡せました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
これから目指す方角の山も、この時期であれば葉を落とした樹木越しに眺められます。現地では、見えていたのが鐘ヶ嶽なのか前衛の福神山なのか分かりませんでしたが、帰宅後に確認したところ、福神山のさらに手前にある400m圏の小ピークも含めて、このあと踏んで行く3つのピークがすべて重なって見えていたようでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さらに、こちらもやはり今の時期限定の眺めっぽいですが、光り輝く相模湾に江ノ島が浮かんでいるさまも。


先程の分岐点ピークに戻ったら、道標が福神山と示す方向へ。道標を見るのは北尾根ではここが最後でした。
相変わらず細かなアップダウンが繰り返される中に、やや心許ない踏み跡がうっすらと続きます。
大岩が現れた鞍部では、大岩の右側を巻くようにしながら、その裏手へと進みました。この大岩、特に下部などに人工的に切り出された形跡が顕著で、鐘ヶ嶽周辺に点在する七沢石の石切場跡のひとつらしい。
福神山手前の400m圏峰への登りが始まると、登ったり下ったりの道から一変、約130mを一気に登るように。
その斜面にはかつての木段が比較的良く残っていて、ほぼ木段(跡)を登り続ける具合でした。
400m圏峰を過ぎた先では起伏が少なくなり、穏やかな尾根上を気持ち良く歩けたりしました。
さらにもうひと登りして着いた福神山は、ほとんど何もないような地味な地点でした。
山名標などは私製の物すら見当たらず、樹木の幹に直接マジック書きされたりしている有様。先程の分岐点で道標が行先として案内していた場所なのに、ここまでは道標等の整備が進まなかったのでしょうか。
福神山では展望も今ひとつ。北側の山並みを樹木越しに眺めるのがやっとで、しかも冬期限定の景色かと。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
でも注意深く見渡せば、東京スカイツリーや江ノ島などをピンポイントで見られたりしはしました。


起伏の少ない穏やかな尾根道は、福神山の先にももう少しだけ続いていました。
そんな中、広場と呼べるほどではないけれど、いくらかの広さがあって開放的な感じの場所に出たら‥‥
その傍らで山の神の小さな祠がひっそりと佇んでいました。
山の神の石祠を過ぎると、いよいよ鐘ヶ嶽へ向けての登りが始まります。急な斜面に差し掛かると同時に、踏み跡がどこかへ消えてしまったので、防獣ネットを道案内代わりにしようと、ネット沿いに進んでみることに。
すると、適当に少し登ったあたりに埋もれかけの木段が見つかり、以降しばらくは、何度かジグザグを繰り返しつつ続いていく木段を追って、難なく登れたりしました。
ところが、登りなかばでその木段がふっと消えてしまったら、一転してそこから上は道形も踏み跡もほぼ皆無に。あとは上を目指して闇雲に登るしかなくなりました。しかもそこは、ただでさえかなりの急斜面なのに‥‥
おまけに踏み固められていないグズグズの地面で、踏ん張りが全くきかずそもそもが登りにくいのに、さらに霜柱で表土が持ち上がり浮いている状態だから一層ボロボロと崩れやすくて、なかなか苦しい登りでした。
急登をなんとか登り切り、勾配が緩んだあたりで現れた左手の鹿柵には、壊れて開いたままになった扉が。鐘ヶ嶽が左方向にありそうだったり、ピンクテープが付けられていたりもしたので、その扉を抜けて鹿柵の向こう側に出てみましたが、実は少し進んだ先で鹿柵自体が途切れていて、そんなことをしなくても良かったみたい。
微かな道形が再び復活し、それを追って進めるようになったのは、いい加減鐘ヶ嶽が間近に迫った頃でした。
鐘ヶ嶽に到着。ここまで全く人に会わなかったのはマイナールートゆえ想定内としても、頂上が無人なのは予想外でした。周囲を樹木に囲まれて展望がない代わり、それなりに広くて落ち着いて寛げる雰囲気はあります。
テーブル&ベンチと道標があるだけで、頂上標柱のような物はありません(道標にも現在地名は記載されず)。
上の写真でテーブルの後方に写っている2体の石像も、何の石像なのかは良く分かりませんでした。
頂上の様子を反対側から。一番奥に見えるのは鐘ヶ嶽についての説明が記された解説板で、そこに「ここは鐘ヶ嶽」と大書きされていたことから、それが頂上標柱的な役割も兼ねているようです。
無人で静かだった頂上にも、数分も経てば熊鈴の音が近付いてきて、それがなんと、私が歩いて来たのと同じ方向からなのが意外すぎて少し驚きました。
ここまでの道中で後方に人の気配を感じることは一切なく、だからその方とも熊鈴の音が届かない程度には離れていたはずなのに、その距離が一気に詰まったということは、よほど歩くペースの速い方なのでしょう。
少し会話させて頂くと、その方はこのあとさらに大山まで向かうとのことで、なるほど相当の健脚でいらっしゃるご様子。私が目的地にして来たこの場所も、その方にとってはほんの前座に過ぎなかったのですね。。。


鐘ヶ嶽を後にしたら、あとは一般登山道を下るだけ。頂上直下には浅間神社があって、1分も下れば境内へ。
浅間神社の創建については明確になっていないものの、戦国時代にこの付近の七沢城を居城としていた上杉定正がこの神社を崇拝し、社殿の造営を行ったとされています。(のちに登山口で見た解説板より)
境内には東側が開けた場所があり、樹林に囲まれていた頂上に代わってここでは展望を楽しむことができます。
都心部の高層ビル群と東京スカイツリー。樹木がこんなに生長する以前なら、もっと広角に眺められたっぽい。
はるか遠くには、盛大に霞みながらも筑波山まで見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
足元には、石に彫られた珍しい展望図も。やはりこれが作られた当時は、もう少し見通しが良かったらしい。


これから下る登山道は、元は浅間神社への参道だったもの(今もですけど)。下り始めは石段でした。
鳥居をくぐった先にも、もう少し石段が続きます。28丁からなる参道の各丁目には、立派な丁目石が今なお残り、このあたりに一番上の「廿八丁目」の丁目石があったらしい(意識していなかったので見逃しましたが)。
石段を下り終えて坂道に変わると、ようやく一般登山道を行き交う人たちと時折すれ違うようになりました。
下る途中の22丁目で展望が開けて、これらの露岩に立てば、相模湾が大きく広がる南側の眺望を楽しめます。
相模湾には江ノ島が浮かび、その奥には三浦半島と房総半島が重なるようにして見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
振り返れば大山も。先程頂上でお会いした方も、そろそろ着いている頃合だろうか?(なワケあるかっ!)
展望地からわずかに下ると(写真上端が展望を楽しんだ露岩)「廿一丁目」の丁目石。でも実は展望地の露岩近くに「廿二丁目」の丁目石があり、3枚上の写真にも写っているようですが、寄りの写真は取り損いました。
昔ながらの参道ですから、上部の石段さえ下り終えてしまえば、あとは歩きやすい道が続きます。
特に下部には大きな段差を登り下りするような箇所もほとんどなく、緩やかな坂道で快調に歩が進みます。
「拾丁目」の丁目石まで下ってきました。あとひと息。
最後に再び鳥居をくぐれば‥‥
その先が石段になっていて、下った先はもう車道でした。
車道に下りて石段を振り返りました。石段途中で右側に立っているのが壹丁目(一丁目)の丁目石です。特に名前が付いた地点ではなさそうでしたが、この記事では便宜上ここを「(登山口)」として記録しています。


あとは車道を歩くだけ。すぐに人家などが点在するエリアに入ります。
広沢寺温泉からの道を合わせる地点には「鐘ヶ獄」バス停。山名と「嶽」の字が違うのが気になりますが‥‥
「鐘ヶ獄」バス停で振り返れば、先程まで頂上に立っていた「鐘ヶ嶽」の端正な山容が見られました。
「鐘ヶ獄」バス停は発着便が1日4本(平日だと2本)だけで2時間以上待つため、隣のバス停を通る別路線の便を捕まえます。それでも20分ほど余裕があるので、バス停の向かいにある「和の丘」に寄っていくことに。
和の丘(なごみのおか)は、 ほとんど知られていないのか検索しても引っかかる記事がごくわずかですが、七沢の街並みなどを見下ろす丘の上は無名なだけに閑散としていて、静かな時を過ごすには絶好のスポットでした。
のどかな山村の風景をのんびりと眺めながら、ここで少しだけ時間調整です。
上の写真にも写っていますが、すぐ下の斜面が梅園になっていて、早咲きの紅梅がほころんでいました。
これは一体何のモニュメントなのだろう?
和の丘からも、鐘ヶ嶽を振り返ることができました。
和の丘で10分ほど過ごしたあと、すぐ下の県道まで歩けば、ゴールのバス停は道路を渡った向かい側に。
最後は「広沢寺温泉入口」バス停で、本厚木駅行きのバスを待ちました。


タグ:丹沢
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水沢山 [上信越]

2024/01/12(金)

■第475回 : 水沢山(浅間山)(1194m)


今回の行先は榛名山の東端に位置する水沢山。水澤観世音(水沢観音)への初詣も兼ねて出掛けています。
コロナ以降は、たまに遠出する際も移動のリスクを抑えようとJR中央線沿線(山梨・長野方面)ばかりを選びがちで、そのほかの地域からはすっかり足が遠のいていたから、北関東の山に登るのは実に3年ぶりでした。

この日は朝の冷え込みは厳しかったのに、日中は一転して時期外れの暖かさとなり、登り始めたら上に羽織っていたものが次々と要らなくなる羽目に。1月も中旬を迎えた北関東の山を、まさか山シャツ姿で歩くなんて全くの予想外でしたが、その一方で空気が澄んだこの時期らしい展望はしっかり健在で、快適に過ごしながら遠望も楽しめるという、願ってもない展開に大満足の1日でした。

 累積標高差(登り):724m / 距離:6.6km / 歩行時間:2時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
古淵 05:35-05:58 八王子 06:09-06:58 高麗川
高麗川 07:01-08:27 高崎 08:55-09:57 水沢

(登山行程)
水沢バス停      10:00
水澤観世音(水沢観音) 10:05-10:15
水沢山        11:30-11:45
水沢山登山口     12:00
つつじヶ丘休憩所   12:10
ときめきデッキ    12:25-12:35  (上ノ山公園)
見晴駅        12:37
伊香保神社      12:50
勝月堂        12:55-13:00
石段街口バス停    13:10-13:40  (石段アルウィン公園等の散策含む)
伊香保案内所バス停  13:45

(復路)
伊香保案内所 14:00-15:20 高崎 15:50-17:15 高麗川
高麗川 17:24-18:10 八王子 18:17-18:39 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

高崎駅から1時間以上バスに揺られて、水沢バス停で下車します。6~7人の乗客のうち、ここまで乗り続けたのは私だけで、私が降りたあと、バスは空気だけを運んで走り去りました。正面がこれから登る水沢山です。
沿道に並ぶ水沢うどんの店を見ながら2分ほど歩けば、早くも最初の目的地、水沢観音の石段が現れました。
下からも見えていた仁王門を途中でくぐる石段は、さほど長いものではなくて、1~2分の登りで境内へ。
水澤観世音(水沢観音・水澤寺)は、創建年不詳ながら、飛鳥時代(推古天皇朝)の創建とも伝わる古刹。元禄年間の建立とされる本堂の観音堂で参拝します。
水沢観音の境内は思いのほかコンパクトで、本堂のすぐお隣には二重塔になっている六角堂。
鐘楼は、一打100円で、誰でも鐘を撞くことができました。このとき境内に居合わせた人たちの中に、鐘を撞く人はいませんでしたが、水沢山に登り始めたあとの登山道では、何度か鐘の音を聞くことになっています。
札所で御守りを授かります。信心深いほうではないけれど、やはり初詣の時くらいは。
本堂左手に飯縄大権現の鳥居と石段があり、そこが水沢山への登山口にもなっていました。
石段をひと登りで、水沢観音の鎮守とされる飯縄大権現。水沢観音の境内はこのあたりまでだったのかな。


飯縄大権現の前を過ぎると山道に変わりました。気持ちも参拝から登山に切り替えて、先へと進みます。
登山道が始まると、平日なのに次々とすれ違う人が現れてちょっとした驚き。こんな人気がある山だったのか。
5分ほどで林道っぽい道に突き当たり、その林道(?)に入ります。
林道(?)を歩く距離は短くて、すぐに舗装区間の終わりが見えてきたら、その少し手前から再び山道へ。
山道は初めのうちこそ、緩やかな勾配で歩きやすかったのでしたが‥‥
その先でひとたび傾斜が強まると、以降は少々きつめの調子の階段道が、頂上までずっと一貫して続くのでした。すぐに汗が吹き出てきて、たまらず一番外側に羽織っていたジャケットを脱いでバックパックの中へ。
登山道はボランティアの方々によって整備されているとのこと。登山者が多い山ですから、登山道も荒れてしまいがちなところ、こうして木段がきちんと整えられていたり、洗掘の拡大を避けて道が付け替えられた箇所もたびたび目にするなど、丹念に手入れされている様子がとても良く窺えて、その労力に頭が下がる思いでした。
「お休み石」という標識の地点が、距離では頂上までのほぼ中間点で、休憩適地になっていました。
ところでこの前後では、私のすぐ後方をほぼ同じペースで歩かれていたご夫婦(私より少し年上かな?)が、すれ違う方々とたびたび親しく会話されていたので、どうやら多くの皆さんが互いに顔馴染みらしく、会話の内容からすると毎日のように登っている方も少なくなさそうでした。地元の方々にとても良く愛されている、常連さんの多い山だったのですね。平日にもかかわらず、たくさんの人を見掛けるのはそういうことだったか。
次第に岩の露出が増えてきて、時にはやや険しい箇所も現れますが、ロープや手摺りなどが適切に設置され、安全に歩けるようにとの配慮が行き届いている様子には、整備する皆さんの山への愛情も感じられました。
それにしてもガンガン登る具合が続いて勾配の緩む箇所がなく、結構きついです。気温がどんどん高くなっていた上に、そんな登りに身体も火照る一方で、フリースのジャケットも余計になり、ついには山シャツ姿に!
標高が上がるにつれて降雪の痕跡を見るようになっても、その量なんてほんの僅か。実は頂上まで全く雪の影響がないことを、前日に登山サイトで確認できていたので、それで雪対策は何も持たずに来ていたのでした。


多くの石仏がズラリと並ぶ地点に到着。薬師如来信仰に由来する12体の石仏らしく、十二神将と呼ばれます。
そこで一気に東側が開けて、爽快な展望が広がりました。「見晴台 石仏」という標識の先には赤城山。
赤城山だけでなく、日光や尾瀬方面の山々も見渡せます。展望を楽しみながら、ここでちょっとひといき。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一変して平坦に近くなった道を進むと、すぐ先で今度は「見晴台 草ぼうず」なる標識が立つ地点に出ます。方角的に関東平野が一望、って感じの場所ですが、そちらは季節外れの陽気ゆえか盛大に霞んで何も分からず。
その代わり、筑波山がなんとか見えていました。100km以上先になりますから、この時期ならではの眺めかと。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
標高は1100mを超えて、すでに頂上部の一角に入ったらしく、実際にこのあたりで道も穏やかになっていますが、前方に姿を現した頂上はまだ鋭く尖った形をしていて、もうひと苦労させられそうな具合に見えています。
その見た目通り、一旦は穏やかになった道も、小ピークを2つほど越えた先で、再び急登の再現となりました。


水沢山に到着しました。この通り背丈の高い樹木が全くなく、全方位に展望が広がって爽快な頂上です。
頂上を通り過ぎて反対側から振り返りました。登る人の多い山なのに、さほど広くない頂上に人の姿が少ないのは、常連さんが長居せずにすぐ引き返していたから。そりゃ毎日のように登っていれば、頂上も特別な場所なんかではなくなりそうですし、近所にお住まいなら、食事とかもご自宅でのほうが快適にできそうですからね。
展望のスケールの大きさはこの展望盤からも窺えます。冬晴れの青空の下ですからそれは見事な展望でした。
ここからはそんな展望を東側から半時計回りにご紹介。まずは赤城山から谷川連峰にかけてです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
広角のパノラマだけに上の写真と半分がた重なりますが、お次はほぼ真北の谷川連峰を中心に。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
こちらはすぐ西隣に接する榛名山本体と、南側には遠く首都圏近郊の山まで。もちろん富士山も。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて、エリアごとに少し大きめに撮った展望写真を、やはり赤城山から左回りで綴ります。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北東側には日光や尾瀬周辺の山々。こちらは雲も多くて、平ヶ岳などは見えていなかったようです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北側の谷川連峰になると、しっかり雪が付いて白く輝いているさまが神々しいくらいでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
谷川連峰の続き。白砂山より西側は、どうしても樹木が重なる具合で、スッキリとは眺められませんでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
西隣の榛名山は、榛名湖の周囲をぐるり一周したのが2008年で、もう16年も前のことなのでした。その時に榛名富士と烏帽子ヶ岳のほか、最高峰の掃部ヶ岳にも登りましたが、掃部ヶ岳は水沢山からは見られないみたい。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南西側には奥秩父あたりの山々が連なり、120km以上離れている富士山もうっすらと。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
最後は東南東側の筑波山など。素晴らしい展望を堪能できたのは良かったけれど、展望写真の編集に結構時間がかかってしまったなぁ(このあとにもいくつかの展望地に寄っていたから、今回は点数が多かった‥‥)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


水沢山からは、榛名山を正面に見ながら西へ。こちら側は歩く人が少なくて、ほとんど人を見なくなります。
下りはじめ穏やかだった道にも、時折ロープが下がる急な箇所が現れたりして、楽な下りではありません。
電波塔の前で登山道は尾根を右に外して、以降は北斜面をトラバース気味に下るようになります。
するとその先は道の勾配が緩む代わり、ザレた路面が続くようになって、足を取られないよう要注意でした。
さらに北斜面に入ったことで、いくらか雪の残り方が増えたような。そういえば、頂上に雪がなければもう大丈夫と軽く考えて、水沢山から先の道の様子は未確認だったのですが、標高を下げても道の向き等によって状況が変わることに思い至らなかったのは軽率だったかも。ここも歩くのに全く支障がない程度で助かりましたが。
車道に出ました。道標はここを「水沢山登山口」としており、良く歩かれていて私も登ってきた水沢観音側(東側)と区別する上で西登山口とも呼ばれているようです。近くには駐車スペースもありますが、ここからだと標高差は200mもないくらいで、かなり物足りない登山になりそう(実際、15分くらいしか下っていませんし)。
伊香保へ下るには、車道をそのまま進めば近いのですが、舗装道路では味気ないので、向かい側にある山道へ。
すると、ほんの1~2分の登りで二ッ岳へ通じる尾根道に突き当たって、ここを右に折れます。
そこからは、ササが茂る穏やかな尾根道の下りに。すぐ右隣を、つい先程突っ切った車道が並走しています。
5分ほど下ったところに、「つつじヶ丘休憩所」があります。何も表示はなかったけれど、実は水沢山登山口(西登山口)のあたりから伊香保森林公園内に入っていたようで、この休憩所も公園の施設のひとつらしい。
「つつじヶ丘休憩所」の前からも、東側から北側にかけての展望を楽しめました。東側にはもちろん赤城山。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
尾瀬方面の山は少し増えた雲の中に隠れたりもしていたけれど、谷川連峰はまだしっかり見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして歩いてきた側を振り返ると、水沢山がどっしりとした姿でそびえ立っていました。


「つつじヶ丘休憩所」の先で、先程突っ切った車道をもう1度突っ切り、尾根道をさらに下ります。
その先に一番雪が多く残る一帯がありましたが、ここも雪を意識せずに歩ける程度で、事なきを得ています。
さらに進んで、下りの傾斜がやや強まる中をグングン下っていくと‥‥
先程までとはまた別の車道に出ました。少し先には広い駐車場があるようで、そこには久々に見る人の姿が。
その駐車場のあたりまでが伊香保森林公園内だったようで、そこから今度は上ノ山公園へと入っていきます。
上ノ山公園に入ってすぐの分岐で、道標が右折側を次の目的地だと示してくれていましたが、この時期ならそんな案内がなくても、目標となる建造物が葉を落とした樹木越しにもう見えてきていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、その建造物の位置を明示します。
見えてきていたのは、上ノ山公園の見晴展望台「ときめきデッキ」です。
「ときめきデッキ」に着くと、そこは展望台に登らなくても十分に展望を楽しめる場所でしたが‥‥
やはり登ったところからの眺めも見ておかねばと、階段を上がります。
「ときめきデッキ」の展望台はこんな具合です。ここはもう、下の温泉街からロープウェイに乗ればすぐに来られるようなところなのに、この時は全く人気(ひとけ)がなくて静まり返っていました。
「ときめきデッキ」からの展望も、すでに見慣れた北東側が中心でした。まずはそのほぼ全容をパノラマで。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて、エリアごとに少し大きく撮ったものを並べます。こちらは東側の赤城山や筑波山など。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北東側の日光の山々は、武尊山が辛うじて見えていたほかは、あらたか雲の中に入ってしまっていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
谷川連峰も、肝心の谷川岳が見えなくなっていて、午前中に水沢山からスッキリと眺めておけて良かった‥‥
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
でも谷川岳以外の山々は、雲が増えてきた中でもしぶとく顔を見せてくれていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


その後は、上ノ山公園の遊歩道をゆるゆると歩いていきます。相変わらず人の姿を全く見ません。
ロープウェイの見晴駅ではトイレを利用させて頂いたけれど、ここもこの時はひっそりとしていたなぁ。。。
見晴駅の先で「関東ふれあいの道」のコースが合わさったら、あとは伊香保温泉街に下るまで「関東ふれあいの道」と同じコースを進みます。遊歩道はしばらくの間、緩やかな下り坂が続きましたが‥‥
ひとたび階段道に変わったら、あとはずっと階段の連続でした。
下るのも少ししんどく感じるほど階段が続きます。ようやくこのあたりから、登ってくる観光客と時々すれ違うようになりますが、皆さん一様に苦しそう。これだけ階段を登るのは登山者でも堪えそうですからね。。。
伊香保温泉街が迫ってきました。温泉街の一番高いエリアが、もう手に取るような近さに。
そして階段道は伊香保神社へ。現在喪中につき、ここでは少し遠目から手を合わせるだけにしました。
伊香保神社の参道を上から見下ろすと、短い石段の先が、そのまま温泉街の石段と繋がっているようです。
石段は全体で365段あるらしい。その全部を、これから下ります。
が、神社参道の石段だけを下ったところから、脇道を左に入って、勝月堂というお店にちょっくら寄り道。
勝月堂は明治43年の創業で、温泉饅頭発祥の地である伊香保の中でも、元祖とされるお店です。「湯乃花饅頭」は箱入りのほか単品でも買い求められ、単品は無包装のままお皿に乗って出されるので、店の前のベンチで2つ頂きました(お皿は食後に要返却)。平日で客もまばらなタイミングだからか、単品だと出来立てのはずも熱々とかでは全然なかったけれど、黒糖の風味豊かな皮に口溶けの良い餡が合わさり上品な甘さで美味しかったです。保存料を使用していないため、土産用の箱入りでも消費期限は翌日までなので、購入の際はご注意を。


小腹を満たしたあとは、いよいよ石段街を下ります。
写真は人があまり入らないタイミングを狙って撮っていますが、少し人が増えてきたかな。平日とはいえ金曜日の午後になったので、木曜日までとかよりは人出も多くなっていたことでしょう。
間もなく365段を下り切ります。石段の先にあるロータリーには、バスを待つ予定のバス停も見えてきました。
伊香保温泉の石段街を振り返ります。ハート形があしらわれてインスタ映えしそうなオブジェの前では、この程度の人出でも時々順番待ちが発生していたので、休日だとなかなか思うようには撮れないかもしれませんね。
この石段街口バス停で帰りのバスを待つ計画でしたが、石段街の途中に立ち寄りたくなるような場所も見つからず直行してきてしまったので(せっかく温泉街に来たのだから足湯くらいはと思っていたけれど、そこも思いのほか混んでいてスルーしていたり)、高崎駅行きのバスは50分待ち。盛大に時間を持て余してしまいます。
仕方なく、すぐ前にあった観光案内所を兼ねた「お休み処」に入って暖を取りながらスマホをいじっていたら、目の前のバス停になんと渋川駅行きのバスが現れて、誰も乗る人がいなかったからか停める間もなく走り去っていきました。改めてバス停を確認してみると、ここには群馬バスだけでなく関越交通バスの路線もあったのに、その存在を見落としていたことが発覚。このことで現地では大いに気落ちしていたのですが、後日確認してみたら、それに乗ったとしてもJR八高線の本数の少なさゆえに帰宅時間は変わらなかったみたいでした。

時間がタップリあるので、石段アルウィン公園などを散策しつつ、とある場所へと向かうことに。
それはひとつお隣の伊香保案内所バス停。先程の石段街口バス停から300mほどしか離れていないのに、ここはもうすっかり町はずれ。人通りもほとんどなく寂れた雰囲気すら漂う中に、それはぽつんと佇んでいました。
どのバスもここが始発なので、あわよくば早めに乗れたりして、待ち時間を短くできるかもって淡い期待も‥‥
私が来る前からずっと停まっていたバスも、なかなか乗車扱いは始まらず、結局乗れたのは発車3分前になってからでした。ま、ほとんど人の往来がない場所だけに、普段はここから乗る人など稀で、だからこの日に限ってバスを待つ者が現れていたなんて、きっと想定外の出来事だったのでしょう。これは仕方なかったかな。。。

帰りのバスの乗客は、当分の間は私だけ。伊香保エリアばかりか、水沢周辺でも乗る人がなかったのです(平日午後の便ですからね)。でも榛東村の中心部あたりからぼちぼち乗客を拾い始めて、高崎の市街地に入る頃には座席がそこそこ埋まるくらいに。高崎に着いた後は、都心部の混雑を避けのんびり八高線経由で帰りました。

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