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福神山・鐘ヶ嶽 [丹沢]

2024/01/27(土)

■第476回 : 福神山(420m)・鐘ヶ嶽(561m)


この日の行先は東丹沢の鐘ヶ嶽。登山を始めたその年(2005年)に、辺室山・大山三峰山とセットで登って以来の再訪です。一般登山道でも歩ける山ですが、今回はバリエーションルートの北尾根を登路に選びました。

バリエーションといっても、良く踏まれていて進路がずっと明瞭なルートも少なくない中、ここは特に登山口あたりは踏み跡すら見当たらず、頂上直下でも道形が消失するなど、そこそこ骨のあるルートを楽しめました。

 累積標高差(登り):618m / 距離:6.5km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録域外か、非掲載の登山道を含む) 

(往路)
大沼 06:06-06:15 相模大野 06:26-06:42 本厚木
本厚木駅 06:55-07:24 清川村役場前

(登山行程)
清川村役場前バス停  07:30
道の駅 清川      07:30-07:35
291m三角点      08:30-08:35
福神山        09:20-09:25
鐘ヶ嶽        10:00-10:10
浅間神社       10:10-10:15
(登山口)       10:50
和の丘        10:55-11:05
広沢寺温泉入口バス停 11:10

(復路)
広沢寺温泉入口 11:16-11:44(延着11:54) 本厚木駅
本厚木 12:06-12:18 相模大野 12:32-12:39 東通り


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

小田急線の本厚木駅で路線バスに乗り換え、清川村役場前で下車します。宮ヶ瀬行きの朝1番の便は乗客が多く、私が乗る前から立ち客が続出していて、やっと座れたのは30分ほどの乗車時間が8割がた過ぎた頃でした。
歩き始める前に、道の向かい側にある道の駅「清川」へ。トイレが24時間利用可能な、有り難い施設です。
車道歩きは短くて、旧清川青少年の家(2011年閉館)まで。建物前が終点の車道を外れて右側のスロープへ。
その先に山道が少しは続くかと思っていたら、最初からそんなモノは皆無です。砂利道が終わった途端、満足な踏み場もないほどススキが繁茂する中に放り出され、そこを掻き分けて適当に進むと、すぐに何か現れました。
それはかつての案内図でしたが、今となっては周囲をススキの密藪に囲まれて、正面から見ることすら困難になりつつあり、以前この前を道が通っていたことを想像するなんてもう無理もいいところでした。
案内図には、そこから山道が2経路書かれていて、まずは案内図の左手に向かう経路を窺ってみたものの、その先は新しめの堰堤に塞がれていました。元々道があったとしても、これでズタズタにされてしまったのでは?
次に案内図の右手を進んで登る経路を窺ってみても、斜面の中程を防獣フェンスが横切っていて、扉などフェンスを越えて進めそうな箇所がどこにも見当たりません。マトモに歩ける経路なんて完全に失われている様子。
仕方なく、ヤマレコなどで先人の軌跡が左手の尾根伝いに登っていたのを見ていたので、草藪を掻き分け伐採木の散乱で歩きにくい中を強行突破し、その尾根までたどり着いたら、そこにうっすらとした踏み跡を発見!
尾根上の踏み跡を追っていくと、途中には埋没しかけた木段の名残りもあって、ここが登山道だったっぽい。
ちょっとしたピークに着いたら、そこには道標と案内図が立っていました。一旦はこんなにしっかりと道案内まで整備したのに、せっかく作った道を維持もせず投げ出して放置しちゃったのは何故なのだろう?


でも尾根上を進むようになると、かつての道形が結構残っていて、この先しばらくはその道形を追うだけでも歩けてしまいます。小ピークなどで尾根が分岐しても、地図等で地形と進路が把握できていれば、進むべき方向は大抵明らかで方位確認なども不要でした。その一方、テープやリボン等による誘導は控え目で、地形図など最小限の用意すらせず安易に乗り込んだ場合は、進路を誤ることも起こりうるかもしれません。歩く人が少ないゆえか、道形が明瞭になりすぎず、適度に残されたバリエーションらしさを楽しめるルートだったと思います。
軽く下った鞍部では鹿柵の扉部分を開閉して通過します。
鹿柵沿いに登り返していくと‥‥
次のコブ上で再び鹿柵を通過して先へ。
鹿柵の通過はすぐお隣りのコブでも(これで3回目)。ただ、煩わしい扉の開け閉めもこれが最後でした。
その先にはやや急な登り。元々はジグザグの道があったかもですが、単なる斜面と化した今は直登するのみ。
三角点への分岐点となる小ピークにも、分岐道標と案内図がしっかりと立っていました。ここからは、福神山・鐘ヶ嶽へと続く尾根を一旦見送って、三角点ピークに寄り道していきます。
軽く下ったのち登り返す斜面には、かつての木段の残骸が。これも相当な労力を費やして作ったんだろうに。
291m三角点ピークに着きました。三角点の等級は三等、点名は「根岸」です。
三角点の手前には古びたベンチが2つ。今となっては腰掛ける人が現れることも稀になってしまったか。
そのベンチがある北側が開けていて、宮ヶ瀬湖に近いあたりの山々を見渡せました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
これから目指す方角の山も、この時期であれば葉を落とした樹木越しに眺められます。現地では、見えていたのが鐘ヶ嶽なのか前衛の福神山なのか分かりませんでしたが、帰宅後に確認したところ、福神山のさらに手前にある400m圏の小ピークも含めて、このあと踏んで行く3つのピークがすべて重なって見えていたようでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さらに、こちらもやはり今の時期限定の眺めっぽいですが、光り輝く相模湾に江ノ島が浮かんでいるさまも。


先程の分岐点ピークに戻ったら、道標が福神山と示す方向へ。道標を見るのは北尾根ではここが最後でした。
相変わらず細かなアップダウンが繰り返される中に、やや心許ない踏み跡がうっすらと続きます。
大岩が現れた鞍部では、大岩の右側を巻くようにしながら、その裏手へと進みました。この大岩、特に下部などに人工的に切り出された形跡が顕著で、鐘ヶ嶽周辺に点在する七沢石の石切場跡のひとつらしい。
福神山手前の400m圏峰への登りが始まると、登ったり下ったりの道から一変、約130mを一気に登るように。
その斜面にはかつての木段が比較的良く残っていて、ほぼ木段(跡)を登り続ける具合でした。
400m圏峰を過ぎた先では起伏が少なくなり、穏やかな尾根上を気持ち良く歩けたりしました。
さらにもうひと登りして着いた福神山は、ほとんど何もないような地味な地点でした。
山名標などは私製の物すら見当たらず、樹木の幹に直接マジック書きされたりしている有様。先程の分岐点で道標が行先として案内していた場所なのに、ここまでは道標等の整備が進まなかったのでしょうか。
福神山では展望も今ひとつ。北側の山並みを樹木越しに眺めるのがやっとで、しかも冬期限定の景色かと。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
でも注意深く見渡せば、東京スカイツリーや江ノ島などをピンポイントで見られたりしはしました。


起伏の少ない穏やかな尾根道は、福神山の先にももう少しだけ続いていました。
そんな中、広場と呼べるほどではないけれど、いくらかの広さがあって開放的な感じの場所に出たら‥‥
その傍らで山の神の小さな祠がひっそりと佇んでいました。
山の神の石祠を過ぎると、いよいよ鐘ヶ嶽へ向けての登りが始まります。急な斜面に差し掛かると同時に、踏み跡がどこかへ消えてしまったので、防獣ネットを道案内代わりにしようと、ネット沿いに進んでみることに。
すると、適当に少し登ったあたりに埋もれかけの木段が見つかり、以降しばらくは、何度かジグザグを繰り返しつつ続いていく木段を追って、難なく登れたりしました。
ところが、登りなかばでその木段がふっと消えてしまったら、一転してそこから上は道形も踏み跡もほぼ皆無に。あとは上を目指して闇雲に登るしかなくなりました。しかもそこは、ただでさえかなりの急斜面なのに‥‥
おまけに踏み固められていないグズグズの地面で、踏ん張りが全くきかずそもそもが登りにくいのに、さらに霜柱で表土が持ち上がり浮いている状態だから一層ボロボロと崩れやすくて、なかなか苦しい登りでした。
急登をなんとか登り切り、勾配が緩んだあたりで現れた左手の鹿柵には、壊れて開いたままになった扉が。鐘ヶ嶽が左方向にありそうだったり、ピンクテープが付けられていたりもしたので、その扉を抜けて鹿柵の向こう側に出てみましたが、実は少し進んだ先で鹿柵自体が途切れていて、そんなことをしなくても良かったみたい。
微かな道形が再び復活し、それを追って進めるようになったのは、いい加減鐘ヶ嶽が間近に迫った頃でした。
鐘ヶ嶽に到着。ここまで全く人に会わなかったのはマイナールートゆえ想定内としても、頂上が無人なのは予想外でした。周囲を樹木に囲まれて展望がない代わり、それなりに広くて落ち着いて寛げる雰囲気はあります。
テーブル&ベンチと道標があるだけで、頂上標柱のような物はありません(道標にも現在地名は記載されず)。
上の写真でテーブルの後方に写っている2体の石像も、何の石像なのかは良く分かりませんでした。
頂上の様子を反対側から。一番奥に見えるのは鐘ヶ嶽についての説明が記された解説板で、そこに「ここは鐘ヶ嶽」と大書きされていたことから、それが頂上標柱的な役割も兼ねているようです。
無人で静かだった頂上にも、数分も経てば熊鈴の音が近付いてきて、それがなんと、私が歩いて来たのと同じ方向からなのが意外すぎて少し驚きました。
ここまでの道中で後方に人の気配を感じることは一切なく、だからその方とも熊鈴の音が届かない程度には離れていたはずなのに、その距離が一気に詰まったということは、よほど歩くペースの速い方なのでしょう。
少し会話させて頂くと、その方はこのあとさらに大山まで向かうとのことで、なるほど相当の健脚でいらっしゃるご様子。私が目的地にして来たこの場所も、その方にとってはほんの前座に過ぎなかったのですね。。。


鐘ヶ嶽を後にしたら、あとは一般登山道を下るだけ。頂上直下には浅間神社があって、1分も下れば境内へ。
浅間神社の創建については明確になっていないものの、戦国時代にこの付近の七沢城を居城としていた上杉定正がこの神社を崇拝し、社殿の造営を行ったとされています。(のちに登山口で見た解説板より)
境内には東側が開けた場所があり、樹林に囲まれていた頂上に代わってここでは展望を楽しむことができます。
都心部の高層ビル群と東京スカイツリー。樹木がこんなに生長する以前なら、もっと広角に眺められたっぽい。
はるか遠くには、盛大に霞みながらも筑波山まで見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
足元には、石に彫られた珍しい展望図も。やはりこれが作られた当時は、もう少し見通しが良かったらしい。


これから下る登山道は、元は浅間神社への参道だったもの(今もですけど)。下り始めは石段でした。
鳥居をくぐった先にも、もう少し石段が続きます。28丁からなる参道の各丁目には、立派な丁目石が今なお残り、このあたりに一番上の「廿八丁目」の丁目石があったらしい(意識していなかったので見逃しましたが)。
石段を下り終えて坂道に変わると、ようやく一般登山道を行き交う人たちと時折すれ違うようになりました。
下る途中の22丁目で展望が開けて、これらの露岩に立てば、相模湾が大きく広がる南側の眺望を楽しめます。
相模湾には江ノ島が浮かび、その奥には三浦半島と房総半島が重なるようにして見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
振り返れば大山も。先程頂上でお会いした方も、そろそろ着いている頃合だろうか?(なワケあるかっ!)
展望地からわずかに下ると(写真上端が展望を楽しんだ露岩)「廿一丁目」の丁目石。でも実は展望地の露岩近くに「廿二丁目」の丁目石があり、3枚上の写真にも写っているようですが、寄りの写真は取り損いました。
昔ながらの参道ですから、上部の石段さえ下り終えてしまえば、あとは歩きやすい道が続きます。
特に下部には大きな段差を登り下りするような箇所もほとんどなく、緩やかな坂道で快調に歩が進みます。
「拾丁目」の丁目石まで下ってきました。あとひと息。
最後に再び鳥居をくぐれば‥‥
その先が石段になっていて、下った先はもう車道でした。
車道に下りて石段を振り返りました。石段途中で右側に立っているのが壹丁目(一丁目)の丁目石です。特に名前が付いた地点ではなさそうでしたが、この記事では便宜上ここを「(登山口)」として記録しています。


あとは車道を歩くだけ。すぐに人家などが点在するエリアに入ります。
広沢寺温泉からの道を合わせる地点には「鐘ヶ獄」バス停。山名と「嶽」の字が違うのが気になりますが‥‥
「鐘ヶ獄」バス停で振り返れば、先程まで頂上に立っていた「鐘ヶ嶽」の端正な山容が見られました。
「鐘ヶ獄」バス停は発着便が1日4本(平日だと2本)だけで2時間以上待つため、隣のバス停を通る別路線の便を捕まえます。それでも20分ほど余裕があるので、バス停の向かいにある「和の丘」に寄っていくことに。
和の丘(なごみのおか)は、 ほとんど知られていないのか検索しても引っかかる記事がごくわずかですが、七沢の街並みなどを見下ろす丘の上は無名なだけに閑散としていて、静かな時を過ごすには絶好のスポットでした。
のどかな山村の風景をのんびりと眺めながら、ここで少しだけ時間調整です。
上の写真にも写っていますが、すぐ下の斜面が梅園になっていて、早咲きの紅梅がほころんでいました。
これは一体何のモニュメントなのだろう?
和の丘からも、鐘ヶ嶽を振り返ることができました。
和の丘で10分ほど過ごしたあと、すぐ下の県道まで歩けば、ゴールのバス停は道路を渡った向かい側に。
最後は「広沢寺温泉入口」バス停で、本厚木駅行きのバスを待ちました。


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