SSブログ

永明寺山 [八ヶ岳とその周辺]

2022/10/28(金)

■第457回 : 永明寺山(1120m)


今回の行先は、長野県茅野市の永明寺山。市街地にほど近い里山で、駅から歩いても300mほどの標高差で楽に登れたり、頂上部一帯が公園として整備されていたりと(だからクルマでも登れてしまいます)、ハイキング程度のイメージになるからか、登山の対象としてあまり良く語られる存在ではありません。

そんな、さほど高くもない山なのに、北アルプスや南アルプスの一部が眺められる恵まれた立地にあるようなので、秋も深まりつつあって空気が澄んできたであろうこの日、その展望を楽しみに登ってきました。

茅野駅前の交差点から望む永明寺山。頂上は一番高く見える手前のピークではなく、その右肩あたり。

 累積標高差(登り):499m / 距離:10.2km / 歩行時間:2時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:59-05:21 八王子 05:36-06:20 大月
大月 06:25-07:13 甲府 07:24-08:25 茅野

(登山行程)
茅野駅       08:35
永明寺山公園墓地  08:50
(城山団地上)    09:25
永明寺山      10:05-10:15
永明寺山公園    10:20-10:45
上原城跡(金毘羅山) 11:00
金毘羅神社     11:05-11:15
板垣平       11:20
永明寺山公園墓地  11:40
茅野駅       11:55

(復路)
茅野 12:39-14:10 八王子 14:20-14:43 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

永明寺山をご存じの方は決して多くなさそうなので、まずはコースの説明から始めます。
市街地に接する山だけに選択肢が多い中で、山歩きを長く楽しむべく、東側から登って西側へと下ることにしました。そうすると登山口と下山先が大きく離れて、一般的には山麓の車道を歩いて移動する退屈な距離が長くなりがちです。でも、なんとこの山には東西の両登山口を結んでくれる、まさに今回の私に打ってつけの遊歩道があり、永明寺山の南側をきれいに周回できて(下図の太線ルート)、車道歩きは最小限に抑えられました。

茅野駅に着きました。八ヶ岳・霧ヶ峰や南アルプスの玄関口で、もう何度も降りている駅も、東口に出ることは滅多になく、バスに乗り換えずに駅から歩き始めるのはこれが初めてでした。
そんなことより、好天が予報され、現に1つ手前の青柳駅までは一面の青空だったのに、茅野に着くなりこんな状況。展望を楽しみに来たというのに、駅周辺の建物ですら霞む見通しの悪さに一旦は落胆しかかります。
駅前の交差点から永明寺山の方角を眺めても、そこに山があることすら分からない有様でした。
少し車道を歩いて、登り坂が始まる手前まで来ても、すぐ先に迫っているはずの山の姿が現れません。でも上空に太陽の丸い形がうっすら浮かんでいるなど、雲が厚く垂れこめている様子がないので、きっと朝霧でしょう。
駅から15分ほどの車道歩きで、永明寺山公園墓地の入口に着きました。ここからは、車道と交差している永明寺山遊歩道に入り、永明寺山を反時計回りでぐるっと周回したのち、またここに戻ってきます。


永明寺山遊歩道は、案内図や道標などによる案内が充実していて、とても良く整備されているようです。
今いる公園墓地のあたりが、頼岳寺と城山入口を結ぶ遊歩道のほぼ中間地点に当たり、まずは東端の城山入口へと向かいます。下山後は西端の頼岳寺付近からここへ戻ってくるので、遊歩道のほぼ全部を歩くことに。
しばしば山頂方面への分岐がありますが、分岐点での道案内もしっかりしていました。
遊歩道には余計なアップダウンがほとんどなく、平坦かごく緩やかな登りに終始して、大変歩きやすいです。次々と近隣の住民らしい、軽装でお散歩中の方々とすれ違うのも、老若男女問わず楽に歩ける道だからかと。
右手に見えてきた神社は、案内図によれば塚原鎮守神社らしい。
ようやく霧が晴れてきたようで、日が差してきました!
おかげで右手側が開けた地点に出ると、まだ少し霧が残る中に八ヶ岳の山並みが。意外にも山頂では樹木に阻まれて八ヶ岳方面の見通しが悪かったので、これがこの日一番八ヶ岳をスッキリ眺められた場所になりました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
次に車道と交差する地点からは、永明寺山も山頂まで望めるようになっていました。
何箇所かに立っていた案内図では、永明寺山の南麓が広く「永明寺山ふれあいの森」として整備され、多くの山道が張り巡らされている様子が分かりました。機会があれば、また別の山道も歩いてみたいです。
    ※下の写真は縮小して字が潰れたので、大きな写真を こちら に。
車道を横断して、引き続き永明寺山遊歩道を進みます。
本当にアップダウンの少ない穏やかな道で、歩きやすいように良く考えられたコースなのだろうと感じます。
再び車道に出る地点が、これまで多くの道標が行先として案内していた「城山入口」です。
実は遊歩道はもう少し先まで続いているらしく、現にこの地点の道標にも行先が「鬼場城址展望台」と書かれていましたが、車道を横断した先はあまり道としての体裁をなしていないように見えました(未整備かも)。
それでも問題なく歩けるようなら踏破したと思いますが、この先の交差点から鬼場城址へ登る区間が通行できなくなっているとの情報を得ていたので、鬼場城址をスルーすることにして、ここから少し車道を歩きます。


ということで、案内図で「城山団地」と書かれていた住宅地内の坂道を登っていきます。
坂道を最上部まで登り詰めて、まもなく住宅地と森林との境界に差し掛かります。
道路が森の中に入るとすぐ、交差する登山道が現れて、ここが実質的な登山口になります(地名のない地点だったので、この記録ではここを「(城山団地上)」としました)。右に進めば、鬼場城址までなら歩ける模様。
一方の左側は、案内図はあるものの、そこに肝心の永明寺山への道が見当たりません。
探し回ったところ、少し通り過ぎたあたりに、細い踏み跡を発見。ほかに道もなさそうなので、入ってみます。
すると、登るにつれていくらか道がハッキリとしてきますが、道幅は細いままでやや頼りなく、そんなに良く歩かれている様子でもなさそうです。それでも不明瞭になることはなく、歩いていて不安は感じませんでした。
フェンスに沿って進むようになると、ほどなく「カタクリの咲く観察路」への分岐が現れます。こんな時期だけに、フェンスの向こう側にはほとんど人が入っていないように見えて、スルーしてしまいましたが。
そのもう少し先にも「カタクリ群生地」への分岐があって、周回できるようになっているのかもしれません。
送電線鉄塔が建つ小ピークに上がると、そこが「高尾戸」という分岐点になっていて、永明寺山遊歩道から登ってくる多くの道のひとつがここで合わさりました。
小ピークを越えて軽く下った鞍部も「細入」という分岐点で、さらに別の道が合わさります。
道が再び登りに変わって、2つめの送電線鉄塔の脇を通過します。近くにはハイカー向けの案内のほかに、送電線巡視路の標識があったので、この登山道は送電線巡視路を共用する形になっているようです。
その後はやや勾配がきつくなります。それでも道はジグザグを描いたりせずに直登するため、局所的には結構な急坂になったりして、雨後などコンディションが悪い時に下るとスリップする可能性がありそうです。
急坂を登ったら、3つめの送電線鉄塔の脇を通過します。
分岐点も次の「牛首」で3箇所目。でも3つもの道を合わせた割に、道幅はずっと変わらなかったような。
その先は再度急坂となって、登りでも気を抜くとよろけそうな場所も。やはりこの道を下るのは要注意かと。
4つめの送電線鉄塔を見る頃には、かなり山頂が近くなっていて、このあたりからは道の勾配も緩みます。
やがて、空が広くなってくるとともに、前方にガードレールのような物が見えてきて、そこに道がありそうな気配。公園として整備されている山頂部には車道が通じていますから、その車道に出るのかもしれません。
案の定、ガードレールの切れ目から上がった所に舗装道路があって、どうやら山頂部の公園内に入ってきたようです。それは良かったのですが、あたりに道案内の類が一切ないことには違和感を持ちました。
登ってきた道は、要所には一貫して親切な道標による案内があったのに、その起終点である大事な地点に何も案内がないなんて。現状では、初めて来た人がこの道を下ろうとする際に、ここがその下り口だとすぐには確信できないでしょうし(見える道もさほど明瞭ではありませんから)、このままでは不親切だと思います。


舗装された道路に入れば、あとはちょこっと登っただけで、すぐに山頂らしい地点が見えてきます。
一番高い場所には、お城を思わせる石垣があって、その上が展望台になっているようです。
永明寺山山頂の展望台に上がると、期待通りなかなかの眺望です(中央奥は守屋山)。平日だけに登山口以降は全く人に会わずに登ってきて、もちろんこの山頂も無人。だからといって静かでもなく、近くにある公園のメインエリアの方向で、賑やかな歓声がずっと上がっているのは、子どもたちがグループで来ているのでしょう。
大きく開けているのは南側でした。南アルプスや八ヶ岳などを一望できて、その間には富士山も。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ただ、間近からの雄大な眺めが楽しめるかと思われた八ヶ岳は、樹木に遮られて南部だけしか見られずに期待外れでした。展望図には、ほぼ全体が見られるよう描かれていたので、樹木が生長してしまったようです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
富士山を少し大きめに。
南アルプスも、現在地の標高があまり高くないだけに、見られるのが最北端に位置する一部の峰々に限られて、その中でも2座しかない百名山の鳳凰三山に雲がかかっているという、こちらも少々残念な眺めでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに右を向けば守屋山。中央アルプスの高峰はこの稜線の奥に隠れているでしょうか。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北アルプスも樹木が邪魔でスッキリと眺められません。この方角は永明寺山公園からのほうが期待できそう。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その中で槍ヶ岳はしっかり見えていてくれました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
そして北側には、霧ヶ峰のあたりを眺められました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
三角点が見当たらず少し探したところ、登ってきた側に少し戻った場所のベンチ脇にありました(写真奥)。
三角点は標高1119m台。でも山頂が地形図で1120mの等高線内にあり、永明寺山の標高は1120mとしました。


山頂からは、遊歩道で永明寺山公園の中心部へ。近付くにつれ、子どもたちの歓声がどんどん大きくなります。
永明寺山公園のセンターゾーンに入りました。紅葉は少々くすんだ色合いで、最盛期は外してしまったか。
こちらの展望広場にも展望台があるので登ってみます。隣のローラー滑り台では、遠足に来ているらしい園児さんたちが代わる代わる滑降を楽しんでいて、先程から歓声が絶え間なく聞こえ続けていた謎も解けました。
永明寺山公園の展望台です。山頂のすぐ近くなのに、方角によっては眺めが山頂の展望台と少し変わります。
この展望台は、周囲の壁の上部が全部展望図。あまり鮮明ではなく、汚れで見にくくもなっていましたが。
南八ヶ岳方向の見通しは、山頂の展望台よりもさらに悪くて、ほぼ権現岳しか見られませんでした。
その代わり、山頂では樹木に遮られていた北八ヶ岳の一部が眺められています。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方、南側を広く一望できるところは、山頂の展望台とあまり変わらなかったでしょうか。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
南アルプスを少し大きくしてみました。今度は、鳳凰三山が見えていた代わりに、甲斐駒が雲の中。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
守屋山の方角を良く見ると、中央アルプスなどの一部の峰が、手前の稜線の上に顔を出していました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
山頂の展望台との一番の違いは、北アルプスがちゃんと眺められたことです。ただこの方角は、滑り台の上からのほうがもっとスッキリと眺められそうなのに、とにかく園児さんたちが何度も何度も繰り返し滑ろうとエンドレスで登りにきていて(たぶん私が山頂にいた頃からずっとでしょう)、列が途絶える気配が全然ありません。でもそこに私が割り込んで邪魔をしてしまうのも無粋なので、ここは我慢っと。
待つこと約20分、園児さんが芝生広場へ下りた頃合を見計らって滑り台の上へ。やはり北アルプスが壮観です。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北アルプスの核心部です。しばらくコロナ禍で遠出を控えていたこともあって、槍ヶ岳を望める地点まで来たのは3年以上ぶりでした(たぶん2019年3月に独鈷山から見て以来の槍ヶ岳です)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北アルプスの南部は、主な峰々が手前の稜線にあらかた隠れている中、乗鞍岳だけは頂上部が見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


展望を楽しんだら、永明寺山公園を後にします。30分近く過ごしていた間、公園内にいたのは、遠足の園児さんと引率の先生のほかには、私だけだった模様。園児さんたちは芝生広場でお弁当タイムに入ったようでした。
少し下ったところに駐車場があって、ここでトイレを利用させて頂きました。
このあと向かう上原城跡は、公園と遊歩道で結ばれていて、ここからその「歴史の道」に入ります。
その遊歩道ときたら、傾斜がある区間が全て階段ばかりになっていて、下るのが少々煩わしかったです。
しばらく下ると車道に出て、やっと普通の坂道を下れるようになりました。
車道を歩く距離は短くて、すぐに上原城跡への入口が現れました。
上原城は、室町時代に諏訪地方を治めた諏訪氏による築城とされ、戦国時代の山城の姿を良く留めているとか。
広い道を進んでいたらピークを巻いてしまいそうだったので、斜面の薄い踏み跡を追って近道をしました。
上原城の主郭跡とされるピークに登りました。やや手狭な印象で、山城が建っていたのを想像できるほどの広さは感じられず、ここに実際にあったのは物見の砦のようなもの程度と考えられているようです。
三角点です。このピークは金毘羅山とも呼ばれているようで、三角点の標高値は978mです。


主郭跡のピークから少し下ったところには金毘羅神社。上のピークが何もない所で居心地も今ひとつだったこともあり、この神社の境内で少し足を休めていきました。
神社の正面に鳥居があって、そこに短い石段が連なっています(その石段上から撮った写真です)。
振り返れば、茅野の街並みを一望できて、なかなか気持ちの良い場所でした。
気持ち良く過ごせたまでは良かったのに、歩きを再開しようとして石段の先を窺っても、そこに道が続いているようには見えません。ここで下山路を探すため、神社の周りを結構右往左往することになりました。


結局、神社の石段に参道が続いていない筈がないだろうと、石段の先にある微かな道形を追ってみたところ、それがやがてより明瞭な道筋になって胸を撫でおろすことに。それにしても、まさかこの下山路の始まりがこんなに不明瞭で、しかも道標による案内もないとは思っていませんでした。
下って行くにつれて、道形がハッキリとしてきても、地面はフカフカで踏み固められていない箇所が多く、あまり歩かれていない様子でした。中には足元の良くない場所もあって、この道も雨後などの下りは要注意かと。
そんな道を下る距離はさほど長くはなく、5分ほどで鳥居が見えてくれば、そのすぐ下がもう車道でした。
車道に降りた地点で、下ってきた道を振り返りました。ここにも道案内などが一切なかったので、きっと全く整備されていない山道だったのでしょう。ところで、ここで右を向けば、すぐ先に諏訪氏館跡とされる板垣平があって、大きな石碑が目立っていたはずなのに、進行方向に気を取られて目に入らなかったようです。
その進行方向がこちら。ここから左手に下っていく細い道で、一段下にある永明寺山遊歩道に出られると見込んでいたのですが、事前に得られた情報がほとんどない道で、本当に通れるのかが未確認だったのです。
そこは問題なく歩けた一方で、途中に私有地っぽい箇所もあり、通って良かったのか若干の疑問も残りました。
それでも通行止めなどの掲示もなく、計画通りに歩かせて頂くと、ほどなく永明寺山遊歩道に合わさります。


そこは、永明寺山遊歩道の西側の起点に近い地点です(標識の左上に見えるのが下ってきた細道)。ここから公園墓地へ向かえば、登山前に歩いた区間と繋がって、遊歩道のほぼ全体を踏破することになります。
このあたりの遊歩道は、両側に果樹畑が広がる中を抜けて進みます。
かと思えば、一旦車道に出てしまったりと、登山前に歩いた区間のような自然の中の道ではありません。
車道を歩くのは150mほどにとどまり、ここからは再び土の道へ。
すると間もなく道の脇に「永明寺跡」の石碑が現れます。
石碑の傍らに立つ「銘記」によると、永明寺は1630年に廃寺となったとありました。そんな遥か昔になくなった寺の名前が、良くもまぁ現代まで山の名前として残っているものです。
遊歩道脇のそこかしこで、リンゴの木がたわわな実を付けていました。収穫の秋ですね。
果樹畑の中を進むため、農道のようになっている区間も多くて、遊歩道らしい趣をやや欠くのは否めません。
遊歩道が森の中に入って、清々しい気分で歩けるようになったのは、いい加減公園墓地に近付いた頃でした。


見覚えのある、永明寺山公園墓地の入口に戻ってきました。
朝方に霧の中で撮った写真(上から4枚目)ではパッとしなかった紅葉も、青空の下ではやはり綺麗でした。
あとは駅へ向かうだけですが、同じ道の往復では味気ないので、細い道に入って朝とは別の経路を進みます。
JR中央線の線路沿いに出れば、もう茅野駅は目の前。
最後は茅野駅のすぐ脇の歩道「かえでの小径」を抜けていきます。
茅野駅に戻ってきました。朝の写真とは見違えるような好天です。
もちろん駅前の交差点からも、登ってきた永明寺山が良く見えていました。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。