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見城山・日向山・梅の木尾根537m峰 [丹沢]

2023/05/17(水)

■第464回 : 見城山(375m)・日向山(404m)・梅の木尾根537m峰


脚力回復を目指すトレーニング登山の第2弾に、丹沢前衛の日向山とそれに続く梅の木尾根を歩いてきました。

標高的には前回と同じような超低山ながら、いくつものコブを持つ尾根を縦走する具合なので歩き応えはまずまずで、脚力に不安がない普段の時でも、ショートコースとしてなら満足できるコースだと思いますし、コース終盤では浄発願寺の旧跡をめぐるちょっとした歴史探訪の面白さも味わえて、楽しんで歩けた1日でした。

 累積標高差(登り):685m / 距離:7.8km / 歩行時間:3時間5分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
市営斎場入口 06:19-06:28 相模大野 06:37-06:54 本厚木
厚木バスセンター 07:20-07:47(延着07:57) 広沢寺温泉入口

(登山行程)
広沢寺温泉入口バス停 08:00
愛宕社        08:15
見城山        08:55-09:05
七曲峠        09:10
日向山        09:25-09:35
梅の木尾根 537m峰  10:20
その西隣の530m圏峰  10:25-10:35
浄発願寺 奥の院岩屋  10:55-11:00
浄発願寺 奥の院    11:05
浄発願寺 閻魔堂跡   11:10-11:20
浄発願寺       11:35-11:40
日向薬師バス停    11:55

(復路)
日向薬師 12:20-12:38 伊勢原 12:48-13:06 相模大野
相模大野 13:10-13:20 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずはじめに、今回のコースに初めて歩く区間は少なくて、特に前半は2014年6月に
   広沢寺温泉入口バス停 → 見城山 → 日向山 → 梅の木尾根 → 大山(1252m) → 蓑毛バス停
という経路で歩いた際の、大山へのアプローチの途中まで(太字部分)と完全に同じコースになります。

その時の記録は こちらで(梅の木尾根から大山へ)。しばらく山をサボッていた今の私に、こんな体力勝負のコースをそのままは歩けまいと、大山にはロクに近付きもせず早々に下ってしまう、ってな具合になりました。


小田急線の本厚木駅からバスに乗って、広沢寺温泉入口からスタートです。元々はもっとゆっくり出掛ける計画だったものを、真夏日になろうかという予報を受けて急遽変更、久々に早起きして朝8時から歩き始めました。
すぐに脇道に入ると、やがて正面に鐘ヶ嶽が見えてきます。鐘ヶ獄バス停(なぜか微妙に字が違う)の前で、その鐘ヶ嶽への道を右に分け、引き続き広沢寺温泉への道を進みます。
広沢寺温泉エリアの入口には3つの案内看板が立って、いずれもハイキング用のコースなどを紹介していました。これから登る見城山や日向山はマイナーだからか、どの看板でも全く触れられていなかったけれど。
そのすぐ先の愛宕社への石段が、見城山の登り口にもなっていて、「見城山頂へ」の道標も立っていました。
短い石段を登れば、もう愛宕社は目の前。軽く手を合わせて、安全に歩き終えられるようお願いしました。


愛宕社の右手から斜面に取り付くと、いきなり階段状の道が続いて、ガッツリと登らされる具合になります。
ほどなく防獣柵が立ちはだかって、扉部分を開閉して通過します。意外にも防獣柵はこの1箇所だけでした。
その後も木段の割ときつめの登りが続き、身体が温まる前なので少々苦しく感じます。
一旦傾斜が緩んで穏やかな登りになる区間もありますが、それも束の間‥‥
再び木段の登りとなって、なかなか大変。
途中で七沢温泉から登ってくる道が合わさりました。まだ歩いていないそちらの道を選べば良かったかな。
その後はさらに勾配が増して、木の根が露出したこんな尾根を強引に登っていきます。
しまいには結構な急登になりますが、こうなる頃には空の見え方からもう頂上が近そうな気配でした。
頂上の手前には少し開けた場所が。見通しのない樹林帯に終始する今回のコースで、貴重な展望地でしたが‥‥
せっかく都心方向を見渡せたのに、暖気で空はすっかり霞み、ぼんやり見えていたビル群も写真では不鮮明に。


展望地からはひと登りで、見城山の肩に当たる分岐点に出ました。ここから写真右上の頂上までは往復となり、その後ここに戻ったら写真左方向に進んで(戻ってきた時は右折ですね)日向山へ進むことになるみたい。
見城山の頂上に着くと、無理に切り開いたりされていない様子で自然に近い感じの、好ましい佇まいです。
でもいくらか樹木が間引かれているのか、適度な明るさがあって落ち着いて過ごせる雰囲気でした。
山名からも想像が付きますが、解説板によると、ここには戦国時代に近くにあった七沢城の物見砦のようなものがあったと考えられているようで、発掘調査でも建物址が発見されているとのこと。
現在は樹木に囲まれてほとんど展望はなく、一段下の展望地と同じく都心方向が少し眺められる程度でした。


肩の分岐点に戻ったら、日向山を目指して右へ。その方向を分岐道標は「大釜弁財天へ」と案内していて、そこを訪れて欲しい地元の思いなのでしょうが、知名度が低い地名ですから日向山も併記する方が親切なのでは?
するとやや急な斜面の下りが現れるものの、元々段差が大きそうだった箇所にこまめに補助段が設置されていて、難なく下りられました。補助段の材木が比較的新しめですから最近整備されたらしく、有難いことです。
見城山と日向山との鞍部は道が十字に交差していて、七曲峠と呼ばれているようです(現地には地名表示は何もなく、広沢寺温泉の入口で見た案内看板では「七曲り峠」と記載されていて、表記には揺れがある模様)。
峠の傍らには山ノ神の祠。良く似た祠はこのあと日向山でも見られて、かつて盛んに歩かれた道なのでしょう。
七曲峠の十字路を、通り過ぎた反対側から振り返りました。
日向山への登り返しは、概ね緩やかで歩きやすい勾配の道です。
頂上に近付くと、さすがに傾斜が増してきますが、きつい登りも長くは続きません。


日向山に着きました。ここもいかにも低山といった趣の、樹木に囲まれた頂上です。
標識や祠などがある地点よりも、その奥のほうが若干高そうで、最高点っぽいあたりも一応踏んでおきました。
せっかく「日向」と名が付く山に登ったのだから、アイツとの写真も撮っておきましょう。ゆくゆくは同じことを山梨県北杜市の日向山でもやりたいのだけれど、そのためにはもう少し脚力を立て直さないと‥‥。
南西側に少し外れたあたりに四等三角点の標石がありました。ところでこの三角点、少し前の地形図までは記載があって標高も「404.4」と書かれていたのに、最新の版だと三角点記号が消えて標高点だけになった上、標高値も「404」と小数部が取れています。だから、もう運用されていない過去の三角点なのかと思っていたら、国土地理院サイトの基準点検索では今もちゃんと表示されたりして、現在どういう扱いなのかがちょっと謎です。


日向山で足を休めた後は、「梅の木尾根」を案内する道標に従って西へ延びる尾根を下ります。
しばらくは緩やかな道で、小さなアップダウンを2回ほど繰り返しながら、徐々に下っていく感じ。
でも尾根の末端近くだけは、ガクンと下る具合になりました。
下り着いた鞍部は、先程の七曲峠と同様に十字路になっていて、天神峠と呼ばれることもあるらしい。左折して日向薬師へ下る道が引き続き良く歩かれているのに対して、ほかの2方向はマイナールートと言えそうです。


天神峠を直進して梅の木尾根に取り付くと、そこは結構な急勾配。一応は木段が設置されていますが‥‥
その木段が結構怪しくて、朽ち果てている箇所もしばしばでした。この先もハイキングコースにはなっているものの、歩く人が少ないからか、それに応じて整備とかも手薄になっているような、そんな印象です。
尾根伝いのコースなので、その後は名もないコブをいくつか越えつつ進みます。
最初に登り着いた400m圏の小ピークには、道標が2本立っていました。そのうち右側の道標が進行方向としている「三ノ沢・鍵掛」は、ともに現在は一般登山道でなくなっている区域の地名ですから、古い道標がそのまま放置されている様子で、こういう所もやはりメンテナンス不足っぽい。
400m圏峰の先では、穏やかな区間を挟みつつ進んでいきます。
やがて道が不明瞭になりかけている斜面をやや強引な具合に登っていくと‥‥
今度は440m圏の小ピークを越えて行きます。ここにはハイキングコースの比較的新しい道標がありました。
440m圏峰から一旦下ったあたりには分岐点。右に分かれる道は「弁天の森キャンプ場」と案内されていて、どれだけ歩かれているのかは大いに疑問ながら、少なくとも分岐点から見える範囲の道は明瞭でした。
さらに進むと急な斜面が立ちはだかりました。この木段、登り始めは何も問題がなかったものの‥‥
上のほうは土砂で段が埋まってただの斜面に近くなっていた上、そこに落ち葉が溜まって滑りやすく、登りでも補助ロープが有難く感じました。もし下りだったらロープを頼らなければズルズルと滑り落ちそう。
  (下の写真は、登り終えたところで振り返って、登ってきた斜面を見下ろしています)
こんな、少々急峻に感じる箇所の登りも。この写真の見た目ほどには、実際の足場は悪くはなかったけれど。
その先も急登が続きますが、地形的な険しさはなくなって、普通に2本足で歩けるだけマシでした。
そんな急登も、空が徐々に広く見えるようになってきて、終わりが近付いてきた気配です。


いよいよ、ハイキングコースとされている区間の中では、最も標高の高いエリアに入りました。
ごく近い範囲に3つのピークが並んでいるうち、まずは510m圏の小ピークを越えていきます。ここには新しい道標と、かつてのベンチの名残り(すでに脚はなく、丸太の台に座面が乗っかっているだけ)らしきものが。
深い樹林の中に道が続いて、景色を楽しめる場所はほぼ皆無でしたが、このあたりまで登って来ると、右手に隣の稜線が時々見られるようになりました。難ルートとされる弁天御髪尾根でしょうか。
次に着いたのが、無名峰ながら記事のタイトルにも入れた、537m標高点のピークです。ところが、、、
前回来た時にベンチで休憩ができたので、今回もと思っていたら、なんとベンチがありません。良く見ると、脚が片方だけ残って立っているものの(写真中央やや右寄り)、ほかの部分はなくなってしまったようです。
↑なお前回の記録を振り返ったら【ほぼ同じアングルの写真(2014年)】があったので、比較してご覧ください
↓537m峰を反対側から。こんな狭くて展望も皆無のピークゆえ、ベンチ無しだと滞在する気にもなりません。
なので先に進んでみたら、3つ目となる530m圏の小ピークにはベンチが。これも脚部が朽ちかけて座面がグラついていて、今にも崩れそうでしたが、静かに座っていれば大丈夫だったので、ここで休憩していきました。


休憩後は一旦下ったのも束の間、また同じくらい登り返す展開となります。
ここが大山との分岐点で、2014年には写真奥の方向へ梅の木尾根の続き(バリエーションルート)を進み、大山まで登ったのでした(当時ここにあった、大山への道を示す私製の道標は、この日はどこにも見当たらず)。
一方、ハイキングコースは道標に従ってここで尾根から外れて、あとは浄発願寺の奥の院へ向けて下っていくことになり、私も今回は大山を目指さずにその道に入ります。
なお、GPSの軌跡によるとこの地点は540m圏の等高線内だったようで、ここがこの日の最高点になりました。
ほぼ下るだけになった道は、一旦は歩きやすくなったのに、下るにつれて道筋が少々心許なくなり、最後まであまり一般に薦められる状況のコースではないと感じました。道標等による道案内も最低限しかありませんし。
下る途中にも朽ちかけたベンチがあって、これも朽ち果てるままにされるのでしょう。そしてこのあと、小尾根から外れて斜面をトラバースするようになると、足元が不安定な細い道が続いて、少々歩きにくかったです。


トラバース区間を慎重に歩き終えると、ほどなくハイキングコースは浄発願寺の旧跡エリアに入ります。

浄発願寺は1608年開山の古刹で、徳川家の庇護もあって大いに発展、江戸時代には伊豆・相模・武蔵・信濃・佐渡の各国に計18の末寺を持つ大寺院となり、罪人の「駆け込み寺」の役割も果たしていたらしい。

しかし明治時代以降は衰退の一途をたどり、1938年(昭和13年)には台風による山津波で全山が流されたことで、堂宇や文物の多くは失われたままになります。その4年後の1942年(昭和17年)、約1.5km離れた山麓に移転して再興したのが現在の浄発願寺で、遺構のみが残る山中の旧跡は現在「奥の院」と呼ばれています。


まずハイキングコースが差し掛かるのは、浄発願寺の旧跡エリアの中で最も高い場所にある、修行のための岩屋で、この写真がそこへの分岐点。下山は右折方向ですが、その前に奥のほうに見えてきた岩屋へと進みます。
1608年の開山と同時期に開かれたという岩屋の前です。当時はここがこの世の浄土と考えられていたとか。
岩屋の前に並んでいるのは、歴代上人の墓石や数々の供養塔・念仏塔らしい。
岩屋内には開山僧である弾誓上人の石像や、天皇家や徳川家と所縁のある人物の墓石が祀られています。ただ入口付近は上面からの出水が多く、入ると相当濡れそうだったので、前に立って中の様子を窺うだけにしました。
解説板によると、岩屋の周辺には観音堂や観骨堂などもあったとのこと。なるほど、土砂崩れで今は単なる斜面と化している奥のほうに、石垣などの一部が見て取れたのは、それなりの建物があった痕跡ではと思います。
    ※下の写真にマウスを乗せると、石垣などが見られた位置を明示します。


岩屋手前の分岐に戻ってさらに下っていくと、道すがら様々な石仏や石塔などを見るようになります。
また、ここには「鐘楼跡」という標識も立っていました。今はほとんど平地がないようなこの場所に、以前は建物を構えられるだけの広さがあって、きっと山津波がそんな地形を一変させてしまったのでしょう。
本堂跡とされる区域まで下ってきました。この一帯が、かつての浄発願寺の核心部だったようです。
上の写真の右端あたりから、石垣に囲まれて土盛りされた一画に入ってみました。
今はたいして広くもない平地があるだけでがらんとした場所も、往時は本堂など複数の堂宇があったらしい。
本堂跡を後にすると、まだ深い山の中なのに、そこへ立派な石段が延びてきていました。
53段あった石段の最初の区画を、下ってから振り返りました。
石段はその先にも何連か連なっていて、そこをさらに下っていきます。
やがて石段が終わると、あとは緩やかな坂道を下ります。左手には小さな沢が寄り添って、清々しい雰囲気。


山から下り終えて日向川沿いに出たところは、ちょっとした広場になっていて、居心地の良い空間でした。
下ってきた道を振り返りました。ここには「山門跡」の標識が立っていて、長い参道の入口に当たるこの場所に、かつては立派な山門があったのでしょう。
広場には、宝篋印塔と休憩用の東屋があります。
東屋の立つ場所は「閻魔堂跡」とされていました。その閻魔堂は、奥の院を流失させた昭和13年の山津波ではなく、関東大震災直後(大正12年)の山津波で流されたとあり、何度も災難を被っていたことが窺えます。
そんな東屋も、今はすっかり寛げる雰囲気で、足を休めつつ、帰路に備えて身支度なども済ませていきました。


東屋から小さな橋で日向川を渡ると、日向林道に上がる手前にも、浄発願寺についての解説板がありました。
あとは日向川沿いの林道を下ります。日向渓谷と呼ばれるエリアなので、沿道にはレジャー施設がいくつも。
もうお昼が間近という時間ですし、さすがに下界まで下りてしまったら暑かろうと覚悟していたところ、涼やかな川沿いの道なのが幸いしたのか、さほど暑さを感じることなく、以降も思いのほか快適に歩けています。


右手に赤い橋が現れたら、そこがこの日最後に立ち寄る、(現在の)浄発願寺への入口です。橋を一旦やり過ごした先に、「浄発願寺」と刻まれた石柱や案内標識・解説板などが立っていました。
赤い橋を渡って浄発願寺の境内へ。正面に見えている本堂のほか、三重塔の一部も写真左端に写っています。
本堂でしっかり参拝していきます。実は割と最近の出来事で、浄発願寺とはちょっとしたご縁ができていたことから、今回は山歩きのついでに寄ったという訳ではなく、敢えてここに来たいと選んでいた行先だったのです。
浄発願寺のシンボル的存在の三重塔。こちらは2006年に建てられた、まだ新しい建物です。
浄発願寺からは、あと10分ほど歩くだけ。途中に「かながわの古道50選」のひとつだという「日陰道」への分岐が現れて、バスの時間にかなり余裕があったことからも大変そそられました。でも橋を渡った対岸のその道に出て様子を窺うと、バス停とは逆方向に延びていく様子だったので、今後の宿題にして今回は見送っています。
最後は日向薬師のバス停で、平日の昼間は1時間に1本しかないバスを待ちました。


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