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志賀山・奥志賀山・横手山 [上信越]

2016/09/10(土)

■第332回 : 志賀山(2035m)・奥志賀山(2037m)・横手山(2307m)


この日の行先は志賀高原。学生の頃は、サークルの合宿で毎年夏が来るたびに通っていましたが、登山で訪れるのは今回が初めてで、約30年近いブランクを経ての再訪です。

今回のコースは、はじめのうち、いくつもの池を巡りながら登山を絡めるような具合で、登る山も標高差が小さく、次々と現れる美しい景色を愛でながら楽しく歩けていました。
しかし、四十八池を過ぎて鉢山・横手山へのコースに入ると、その先に待っていたのは整備状態の良くない荒れた登山道でした。急登でしかも歩きにくいという、かなり辛い状況が続いて、一転して修行のような有様に変わってしまいます。
前半と後半とで、あまりにも印象の違いすぎるこの日の山歩きとなりました。

 累積標高差(登り):1107m / 距離:10.9km / 歩行時間:4時間35分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:5時間15分 

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:38 新宿
新宿 05:47-05:56 池袋 06:01-06:09 赤羽
赤羽 06:18-06:33 大宮 06:42-07:38 長野
長野 07:51-08:42 信州中野 08:50-09:05 湯田中
湯田中 09:10-09:48 木戸池

(登山行程)
木戸池バス停 09:55
ひょうたん池 10:20-10:25
渋池     10:35
志賀山    11:25-11:30
奥志賀山   11:50-11:55
四十八池   12:15-12:20
鉢山     12:45-12:50
横手山    14:40-15:00
渋峠バス停  15:15

(復路)
渋峠 15:58-16:28 蓮池 16:35-17:45 長野
長野 17:55-18:54 大宮 18:59-19:30 新宿
新宿 19:38-20:13 相模大野 20:25-20:40 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

この日は最寄駅の始発を捕まえてから、合計8本もの電車を乗り継ぎます(その後でさらにバスに乗り換え)。
それでも志賀高原への玄関口である湯田中に9時に着いてしまうのは、北陸新幹線の「かがやき」サマサマと言ったところでしょう。大宮から乗ったら、次に停まるのがもう長野で、しかも乗車時間が1時間を切っているというのは、時刻表を見て分かってはいても、実際に体験してみるとなかなか衝撃的でした。

少々予想外だったのは、長野で長野電鉄に乗り換えたら、車内に私以外の観光客がほとんどいなかったこと。公共交通で志賀高原にアクセスする際のメイン路線だと思っていたので、大いに拍子抜けしてしまいます。途中の信州中野で8本目の湯田中行きに乗り継ぐと、その電車の乗客なんて全部合わせても10人くらいでした。
ところでその湯田中行き、どう見ても昔地下鉄日比谷線を走っていた車両ですね(ドアの窓が特徴的な形状なので分かりやすい)。隣に停まっている、長野から乗ってきた車両も、かつて東急で見たことがある感じでした。
湯田中駅でようやく鉄旅が終わり、駅前から志賀高原方面行きのバスに乗り継ぐと、もう乗客は4人しかいません。とても観光地へ向かう路線とは思えない状況に、少し寂しさすら感じながら、発車時刻を待ちました。


バスが志賀高原内に入ると、蓮池で前日からの宿泊客と思われる人たちを何人か乗せましたが、相変わらず空席が目立つ状況のまま、木戸池に到着しました。
バス停のすぐ前には木戸池があります。すでにバスの車窓からは、丸池や蓮池などいくつかの池を見てきましたが、自分の足で池畔に立つのはこれが最初の池になりました。
池畔にはさらに、木戸池温泉ホテルが建っていました。志賀高原は、大学オーケストラの合宿地としては定番中の定番です。この時も、館内から管弦楽の音色が聞こえてきたので、どこかの学生さんが来ているのでしょう。
私が学生だった頃、夏合宿といえば決まって7月か8月だったので、この時期に休めるのはどんな人たちなのかと、何気なく玄関を見に行ってびっくり! なんと自分の後輩たちでした。でもなんで今頃来られるのだろう?


池めぐりコースの入口は、少し道路を歩いて、バス道路を渡った先にありました。ここからスタートです。
この日、上空には雲が多かったものの、晴れている時間のほうが長くて、まずまずの天気です。
池めぐりコースの入口付近の草原はキャンプ場になっていて、この時も大きなテントが1つ張られていました。
池めぐりコース、最初のうちは楽に歩けると思っていたら、割としっかりと登らされるのでした。
しかも、林間を進むので木陰の道を期待していたら、意外なほど開けているではないですか。それなりに登り坂が続くのと強い日差しとで、ここで思いのほか汗をかかされました。


ひょうたん池に到着しました。ここの風景が、この日のコースの中で一番美しかったと感じています。
澄んだ湖水も、鏡のような湖面に映る景色も、どちらも綺麗です。しかも、ここまで誰にも会わずに歩いてきて、ここも無人。静寂の中で、この景色を独占しているのがすごく贅沢な気分でした。
ひょうたん型をした池の、“くびれ”の部分を木道が横断しているので、木道の反対側も池でした。
どちらを向いても美しい景色で、この場所はとても気に入りました。今はまだ歩き始めたばかりなので、少し休憩したら先に進んでしまいましたが、今度いつか時間の余裕がある時に来て、ここでゆっくり過ごしてみたい。


木戸池からひょうたん池までは、決して歩きやすい道ではなかったのに、ひょうたん池を過ぎると急に道幅が広がって、傾斜も穏やかな歩きやすい道に変わりました。所々に段差が現れるので車こそ通れませんが、平坦な場所なんかはまるで林道のようです。
分岐点に出て別の道に合わさると、少し先に今度は渋池がありました。池の後方は、最後に登る横手山です。
なお、ここで合わさった硯川からの道は、道幅がさらに広く、砂利まできれいに敷かれていて、道路と見紛うような体裁でした。前山リフトを使ってこの道に入れば、ほとんど自分の足で登らずに四十八池まで行けるので、観光客に良く歩かれているのはこちらの道なのでしょう。
さて渋池も、湖面に揺らぎがほとんどなくて、対岸の景色を映し込むさまがとても綺麗でした。しかもここにも誰もいません。こういう凜とした雰囲気の場所では、風などが織りなす自然音も景色の一部として感じたいので、余計な雑音がない中で過ごすことができたのも、恵まれていたと思います。
解説板によれば、浮島には食虫植物のモウセンゴケが生育しているとのことで、まだ見たことがないので目を凝らしてみましたが、湖畔からは良く分かりませんでした。


渋池から先は、見るからに人工的な砂利道が続いて、自然の中を歩いているという気分に浸りきれないのが少し残念でした。そして、ここからぼちぼち人と会うようになってきます。
次の分岐点で、山に登らず四十八池に直行する砂利道とお別れして、志賀山への道に入ります。
志賀山への道は、最初こそ小湿原の中の木道で始まりましたが、ひとたび斜面に取り付くと、岩混じりの急登が連続しました。たびたび手も使って、身体を引き上げるようにして登っていきます。
岩混じりでない区間は、たいてい木の根の階段となっていて、しかも段差の大きな箇所が多く、なかなか登り応えがありました。標高差は200mほどと、さほど長く続く訳ではないので、疲れを感じる前に登り切れましたが、コースを逆回りにした場合は、ここの下りには結構神経を遣うのではないかと思います。


ひょっこり飛び出る感じで着いた志賀山の頂上は、この写真の範囲がほぼ全てという狭さでした。
雲が多かったせいで、この日はあまり展望を楽しめなかったのが残念でした。
志賀山からは、一旦急降下してから同じくらい登り返して、ほとんど標高が同じ奥志賀山に向かいます。まずは、先程まで登って来たような感じの道を下るので、短い区間ながらも、少々厳しい箇所もある下りでした。
ただ、その下っている間、遠くは相変わらず望めないものの、すぐ眼下に見下ろす景色はなかなか素敵でした。


奥志賀山は、どこが頂上なのか明確ではなかったのですが、ベンチが置かれその前に志賀山神社の祠があるこの地点を、奥志賀山の頂上として記録しています(最高点はこの少し手前だった模様)。
頂上付近からの展望はありませんが、さらに奥へと続いていた踏み跡を追って少し下ってみました。
すぐに前方が大きく開けると、眼下に現れた大沼池の、コバルトブルーに輝く湖面が鮮やかで、しばらく見入ってしまいます。そしてその右後方には、近くにある明石山までは見えていました。


奥志賀山からの下りも、傾斜はそこそこ急でしたが、厳しいと感じる箇所はほとんどなかったので、今回の周回方向が正解だったようです。下り切ったところで木道に迎えられると、そこはもう四十八池の一部でした。
その名の通り、湿原の中に、小さな池が無数に散りばめられていました。
この時は運悪く曇っていたので、晴れている時の景色も見てみたかったです。
四十八池を振り返ります。木道の延長線上は、つい先程まで頂上にいた奥志賀山。
四十八池の南端には休憩舎があって、ここで少し足を休めていきました。少し離れた所にはトイレもあります。


ここまでのコースは、なにより次々と現れる景色がどれも綺麗でしたし、登山道も急登の箇所はあっても歩きにくくはなかったので、いい気分で大いに楽しんで歩いてきました。

ところが、四十八池の先で、鉢山・横手山へのコースに入った途端、登山道の様相が激変しました。
急登になることは地図を見て予め分かっていたのですが、問題はそこではありません。ほとんど歩かれておらず、また整備もされていない感じで、道が相当に荒れていたのでした。
酷い所はこんな具合ですが、これが決して珍しくない光景なのです。ただでさえ急な斜面なのに、適切な足場がなくて本来以上に大きな段差を登らされる箇所が少なくありません。また、2日前まで雨の日が続いていたからか、水溜まりやぬかるみも多数あって、足の置き場が限られていたことも、歩きにくさに輪を掛けていました。
最近では登山頻度が月1回にまで落ちていたため、すっかり鈍っていた脚力には、志賀山・奥志賀山前後の急登降をこなすのが精一杯だったのでしょう。さらなる急登の追い打ちで、腿が両方とも攣りそうになりました。
ペースを落として、どうにか鉢山までは登って来られたものの、この先どこまで歩けるか、全く見通しが立たなくなってしまったのです。展望のない鉢山のベンチで、今後について思案しましたが、結論は出ませんでした。


鉢山を越えると道は下りに変わって、次の分岐点までは順調に来ました。下るのは問題がないと分かったので、最もリスクの低い行動を選ぶなら、このままバス停がある硯川へ下るしかないと、頭では分かっていたのです。
四十八池を出て以来全く人を見ていないことから、このコースはこの先も誰も歩いていない確率が高いと思われ、何があっても全てを自力で解決する以外ないことからも、抑制した行動を取るべきだとも思いました。
しかし、登り残していたのが、志賀高原で二番目に高く、日本三百名山の一座でもある横手山で、その横手山をメインとして登るために計画してきたルートだったことから、簡単には諦められずに決断が鈍ります。
結局、本格的に足が攣った訳でもないしと、都合の良い理由を付けて、下っていく分岐道を見送りました。この先にはしばらくエスケープルートが存在しなくなるのですが、それを踏まえた上で、さらに事態が重くなったら引き返す余力が残っている間に早めの判断をして、ここまで戻ってくるというのが、この時点での結論でした。

すると分岐点以降は緩やかな登りが続いて、割と普通に歩いて行けます。道は引き続き荒れていますが、傾斜が緩ければ荒れた箇所の通過にも大した困難はありません。もっとも問題なく歩けるということは、引き返し難い距離まで進んでしまうことと同じで、それが悪い方向に転ばなければと、祈りながら歩いている具合でした。
しかし、やはり緩やかな道ばかりは続かず、次の急登が現れたら、その先は再び急登が続くようになりました。道の荒れ具合も相変わらずで、何度か無理をしている間に、またしても両腿の具合が怪しくなってきます。
ほどなく単調な登り一辺倒から、アップダウンを繰り返す区間に入ります。その1つ目の小ピークからは、目的地の横手山が、まだ遠くに高く見えていました(縮小写真では分かりにくくなりましたが、中央奥が横手山)。
このピークを過ぎて下り始めると、その後に引き返すことにしてもここまでが登り返しになってしまうので、多少躊躇する思いもありましたが、ここで引き返すことを決断するのは難しかったです。
さらに登り続けてくと、スキー場のゲレンデに出て、あとはこれを直登していくことになりました。
かなりの傾斜があり、まともに登ることは現在の脚の状況ではとてもできないので、牛歩の如く歩みを遅らせて、さらに斜め歩きで少しでも楽をしようとしましたが、それでもキツイものはキツかったのでしょう。この写真の範囲を登り切るまでの間に、いよいよ両脚ともに本格的に攣る一歩手前になってしまいます。
そして、登り切った少し先が、唯一のエスケープルートである“のぞき”への分岐点になっていて、そこからは眼下の比較的近くにバス道路が見えていました。すぐにでもそこに降りられそうだったので、脚が本格的に攣りかけていたこともあり、大いに悩みます(悩むので頭が一杯だったのか、その地点では写真を撮り忘れました)。

が、簡単に道路に降りられる地点の出現によって、むしろ状況は好転したと発想を転換しました。今後はここから引き返せば良いわけですから、もう本当にダメになるところまで登ってみようという気になったのです。
その先もゲレンデの急登が続きますが、荒れた登山道ではなくなったことで、無理な態勢や不自然な足運びをする必要がなくなり、腿に変な負担がかからなくなったことも、たぶんプラスに働きました。
疲労の蓄積から、その後は何度も完全に脚が攣る直前にまで至りますが、休み休みで脚を誤魔化しつつ、1歩ずつ登っていきます。このあたりは、普段の自分と比べて2~3割程度のペースしか出せていなかったでしょう。
このゲレンデがどこまでも続いているとは思えず、どこかで登山道が再来するものと思っていましたが、なんと頂上までずっとゲレンデを登れば良かったのでした。これなら、ゆっくりと歩きさえすれば、どうにか登ることができるので、最後までこの状況が続いてくれたことにも助けられています。
この頃になると周囲はさらに曇ってきていましたが、間もなく頂上部というあたりで振り返ると、最初に登った志賀山と奥志賀山が、まだ雲の中に入らずに並んで見えていました。


一時はどうなることかと思いましたが、なんとか無事に頂上部へ。ゆっくり登ったことで体力的な疲労はほとんどなく、全く息を乱すこともないまま登頂できています。腿の状態は限界ギリギリな感じですが、完全には攣らないよう努めて、その直前で踏みとどまり続けたのが良かったのか、以降は帰宅するまで問題なく動けました。
横手山頂ヒュッテは、日本一高い場所にあるパン屋さんとしても知られていますが、パンはすでに売り切れ、レストランも喫茶もすでに営業を終えていました。あまりにゆっくりと登りすぎたようです。
この電波塔が建っているあたりが、一番標高が高かったように感じました。
ところで横手山の頂上には、敢えて自分の足で登らなくても、東西両側からリフトで楽に登ることができます。
特に西側の“のぞき”から登ってくるリフトの頂上駅は、2階に展望台があって、観光客はそこで眺めを楽しんでいた様子です。だから建物の外に出てくる人が少なくて、このように頂上部がガラ~ンとしていたのでしょう。
私が展望台の存在を知ったのは、このブログを書こうと帰宅後に色々調べている時だったので、その展望台には行きそびれました。雲が多かったこの日、行ったとしても眺めなんてパッとしなかったとは思いますが‥‥。


横手山は、一般的には三角点と横手山神社のある地点が山頂とされているので、そこに繋がる道を探していると、渋峠側のリスト乗り場の近くにその入口を発見。横手山神社の鳥居をくぐって、その道に入ります。
ほとんど平坦な道を2分ほど歩いたところに、三角点と横手山神社の祠がありました。その傍らには山頂標柱も建っていたので、この記録でもここを山頂としています。
上空にだけは青空が残っていたりしましたが、周囲の山々はもう軒並み雲に隠れていて、展望らしい展望はありません。すぐ南側にある草津白根山も、頂上部は雲に覆われていました。
それでも雲が薄くなった瞬間には、斜面の噴気口から盛んに噴気が上がっている様子を窺うことができました。2009年に探勝歩道の最高点や湯釜などを巡った草津白根山も、火山活動が活発化する兆候が見られたことから、現在では噴火警戒レベル2(火口周辺規制)が発令されていて、当時と同じコースは歩けなくなっています。


山頂でしばらく足を休めたら、腿の状態も快復してきたので、リストを使わずに渋峠まで下ってしまいます。距離はたった1km、標高差だってほんの150mほどで、傾斜が穏やかなのも地図を見て分かっていましたから。
下り始めだけは山道でしたが、すぐリフト沿いにスキーゲレンデが現れて、あとはそこを下るようになります。
距離が近いだけに、山頂を後にして10分もしないうちに、もうゴールの渋峠が目前に迫ってきました。


渋峠まで下ったら、バス待ちの時間を、渋峠ホテルの喫茶で過ごしました(パンとコーヒーで軽くお食事)。
このホテルはちょうど県境に建っていて、一目でそれと分かる外観がなかなかユニークです。
渋峠のバス停です。発車時刻になっても、バスを待つ人はほかに現れず、しばらく乗客は私ひとりだけでした(途中の硯川で3人を乗せて、計4人にまではなりましたが‥‥)。
渋峠ホテルの中にいる間に、横手山の頂上部はすっかり雲に覆われてしまっていました。
バス停の周囲にも、時々ガスが立ちこめてきます。夕方が近付いて、気温も半袖シャツでは涼しいくらいに下がっていました。


渋峠から乗ったバスは蓮池行き。終点で長野駅行きの急行バスに乗り継ぐつもりで、その乗り継ぎ時間が7分と少々短めなのが少々心配の種でした。でもバスの乗客なんて最初は私だけでしたし、道路もスイスイと流れていて、遅れる心配はなさそうでしたが、乗り継ぐ予定でいることは運転手に伝えておく方が得策かなと思い、
  「このバス、蓮池で長野行きに乗り継げますよね」
という質問をすることで、その予定を伝えました。それに対する返事自体は「大丈夫です」だったのですが、さらに「通しの運賃で精算できます」というお得な情報まで付いてきたのは嬉しい誤算(?)でした。
なんでも話してみるものですね。バスに始発地点から1人で乗って発車を待っている間の会話だったので、少しでも状況が違えばしなかった会話だったと思いますが、何も知らなければ別々に料金を払うところでした。
写真下の黄色い「精算済券」がその時に発券してもらったもので、470円分を余計に払わずにすんでいます。
蓮池から乗った長野駅行きの急行バスも、最初は乗客が私だけでした(途中のスノーモンキーパークで、意外にも外人客を4人乗せています。温泉に入るサルで有名な地獄谷野猿公苑は、国際的な観光地だったんですね)。

それにしても、四十八池から横手山へのコース(のぞきへの分岐の少し手前でスキーゲレンデに出るまでの区間)の荒れっぷりは、なかなかに手強かったです。
今回は登る方向にコースを取ったので、まだ歩きにくいだけで済んだのでしたが、ウエットで滑りやすい箇所も多かったので、もしも下る方向に歩くのであれば、かなり神経を遣わされたことでしょう。
この日は結局たった1人とすれ違っただけですし(なんと外人のハイカーでした)、泥濘んだ場所に残る足跡を見る限り、1日を通しても数える程の人しか通っていない様子でした。利用者が少ないゆえに、整備も後回しにされているのか、歩かれず手入れもされずで、さらに道が荒れていく悪い循環にはまっている気がします。
単に歩きにくいというだけでなく、道の両側を樹木に遮られて、見られる景色もほとんどない地味な山道が長く続くので、足にトラブルを抱えた不安な気持ちで歩いていたこともあって、本当に修行のようでした。

いろいろあった今回の山歩きでしたが、山以外で印象的だったのが、人がとても少なかったことです。
夏休みと秋の行楽期の狭間に当たって、そもそもどこもかしこも人出が鈍かったのかもしれませんが、志賀高原内の公共交通機関に限って言うと、上記のように電車もバスも同乗者が数えるほどという有様でした。
道路を見ても一般車の通行量もすごく少なく感じられて、観光客でそれなりに賑わっているのを想像していた私にとって、拍子抜けするほど閑散としていたというのが率直な印象です。
山歩きを静かに楽しめたのが喜ばしかった一方で、観光地としての将来が少々心配にも思える状況だったのが気になりました。たまたまこの日がそうだっただけ、ということであれば良いのですが‥‥。

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石尊山・千ヶ滝 [上信越]

2014/10/25(土)

■第293回 : 石尊山(1667m)・千ヶ滝


この日は、浅間山の寄生火山(側火山)のひとつである、石尊山に登ってきました。
頂上では全方位に雄大な展望が開けていて、なかでも間近から仰ぎ見る浅間山の迫力が半端ではありません。
浅間山の山腹では落葉松の紅葉が最盛期を迎えていて、斜面全体を黄金色に染め抜いているさまも見事でした。
さらに、浅間山の反対側に大きく広がる展望も素晴らしく、標高が低いことをつい忘れて見入ってしまいます。
石尊山で展望を楽しんだ後は、さらに千ヶ滝にも足を延ばして、山と川の両方の見どころを楽しんできました。

 累積標高差(登り):994m / 距離:21.2km / 歩行時間:5時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:45-05:17 東神奈川 05:18-05:20 横浜
横浜 05:25-05:52 東京 06:24-07:32 軽井沢
軽井沢 07:39-07:47 信濃追分

(登山行程)
信濃追分駅    07:50
登山口      08:20
血の滝      09:20
石尊山      10:05-10:20
追分林道分岐点  10:55
せせらぎの道入口 12:00-12:05
千ヶ滝      12:40-13:00
千ヶ滝入口バス停 13:30

(復路)
千ヶ滝入口 13:44-14:11 (遅延13:52-14:23) 軽井沢
軽井沢 15:02-15:46 大宮 15:53-16:25 新宿
新宿 16:41-17:23 相模大野 17:28-17:43 南警察署前


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

軽井沢で新幹線からしなの鉄道に乗り換えて、下車したのは信濃追分駅。
この駅から乗ってくる人は多かったのですが、降りたのは私ひとりだけでした。ちなみに無人駅です。
快晴の予報だったのに、軽井沢一帯の空がどんよりとした鉛色だったのには、少々愕然としてしまいました。
本来ならば、駅前から間近に浅間山を見上げられるはずなのですが、すぐ近くの森からして霞んでいる始末。
今から登る石尊山は、展望だけが見所と言っても過言ではないので、こんな調子では来た意味がなかったかも。


気を取り直し、天候の回復を期待して、駅前の道を歩き始めます。
道端のなんでもない樹木が綺麗に紅葉しているあたりは、さすが軽井沢といったところでしょうか。
途中で旧中山道の追分宿付近を通ります。今ではすっかり車道になっていますが、路面が石畳風になっているあたりに、往時の雰囲気をなるべく損なわないようにとの工夫が感じられました。
旧中山道から離れたら、別荘地の中を直進していきます。


次にT字路に突き当たったところが登山口でした。駐車スペースがあって、車で来てここから歩き始めるのが一般的なようですが、停められている車が1台もないので、マイカー登山の人はまだ誰も現れていない模様です。
活火山である浅間山は、現在火口から4km以内が立入規制中です。石尊山もその規制区域内にありますが、山頂までの登山道だけが例外的に通行を認められている状況で、登山口には様々な注意看板が立てられていました。
相変わらずガスで見通しは良くないまま。短い間には天候の好転は期待できないと、この時は感じていました。


登山口もそうでしたが、はじめのうちは、草が生い茂る中を掻き分けて進むような、細くて頼りない道でした。
でも、道が細かったのは初めだけで、やがて道幅が広がり、心許ない雰囲気ではなくなります。
傾斜も緩やかで楽に登れるのですが、火山灰土が露出した道には、火山弾らしき小石がゴロゴロと転がっていて足を取られやすく、歩きやすい道ではありませんでした。
登山者が少ない上に、傾斜もこんなに緩やかなのに、木段が整備された区間が現れたのは驚きでした。
ないよりはあるほうが良いのは確かですが、限られた予算が敢えてこの場所で使われた理由は大いに謎です。


その後は意外にも薄日が差し始めて、最初に林道を横断する地点に着く頃には、スッキリと晴れていました。
どんよりとした空が心配でしたが、決して曇っていたわけではなく、朝霧が出ていただけだったようです。
さらに進んで、2度目の林道横断点。道標によれば、追分から3km、頂上までも3kmとなっていて、ここがちょうど中間点に当たるようです。下山後は、これから進む道をここまで引き返してから、千ヶ滝を目指すためにこの林道に入るので、この地点の景色はしっかりと眼に焼き付けておきました。
登山道上の紅葉はもう終盤で、この時期らしい色彩を楽しめる場所はほとんどなかったのですが、1箇所だけモミジが赤く鮮やかに染まっていました。
3度目に見る林道は、横断ではなく合流する形となって、ここで初めて上空が大きく開けました。
雲ひとつない抜けるような青空に、山頂からの展望の素晴らしさにも期待が高まります。


林道に出る手前から、濁川の沢音が聞こえるようになっていたのですが、少しだけ林道を歩いて再び山道に入ると、いよいよ流れがすぐ横まで迫ってきました。その濁川、なんともオドロオドロしい色をしているのです。
鉄分を含んでいる濁川の水が、空気に触れることで酸化して、このような赤茶色を呈しているらしい。
ここで「血の滝」への枝道が分かれます。先ほど見た濁川に懸かる滝なので、ただでさえ不気味な感じがしますが、さらに「血の滝」なる薄気味悪い名前まで付けられています。一体どんな滝なのか、見に行ってみました。


濁川の沢音に向けて下って行くと、その滝はすぐに現れました。
赤茶色に濁った水が勢い良く流れ落ちているという、こんな殺風景な滝も珍しいのではないでしょうか。
何枚か写真を撮ってみましたが、ほとんど絵になりませんでした。
登山道に戻って山頂への道を進んでいくと、登山道からも「血の滝」を見下ろすことができました。
間もなく登山道は、「血の滝」のすぐ上に架かった小さな木橋で濁川を渡ります。
その木橋の上から下流を見れば、目と鼻の先がもう「血の滝」の落ち口なのでした。


4度目に林道に出合う地点からは、座禅窟に向かう道が分かれていました。
分岐点脇には広場があってベンチも置かれていて、近くには綺麗に色付いた立派なカラマツが立っていました。
座禅窟に向かう林道脇にも、黄金色に輝くカラマツが並んでいました。


その後は登山道の傾斜が増していき、次の分岐点で石尊山に向かう道と、濁川の源泉に向かう道に分かれます。
今回は濁川の源泉には寄らず、左折してそのまま石尊山を目指します。
いよいよ傾斜がキツくなって本格的な登りが始まり、樹木もすっかり落葉して冬の装いに変わりました。
登山道は石尊山を北側から回り込むルートとなっていて、まず北側の鞍部に出ました。石尊山は左折方向です。
右折方向には浅間山への道がありますが、現在は通行禁止です。この写真では文字が飛んでしまいましたが、中央やや右寄りに写っている白い看板には、赤い文字で「立入禁止」と大書きされていました。
鞍部から頂上までは、ほんのひと登り。途中で振り返ると、浅間山が大迫力で間近にそびえていて、その山腹をカラマツの輝くような黄金色が埋め尽くしているさまが、息をのむ程の美しさでした。(冒頭と同じ写真です)


石尊山の頂上に到着しました。登ってくる途中で人の気配を感じることが一切なかったので、期待はしていましたが、その通りに無人の頂上を独占できています。
頂上標柱と三角点があるだけの、狭くて味気ない場所ですが、その代わり展望は一級品でした。
まず目を奪われたのは、なんといっても浅間山の雄姿です。中腹から下で、カラマツの黄葉が裾野まで広く埋め尽くしているのも圧巻でした。  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
そして振り返れば、北東方向から南西方向にかけて、ほぼ180度のパノラマが目を楽しませてくれます。
朝霧が出ていた関係か、この時間になっても遠くのほうをクリアに望むことはできませんでしたが、それでも広範囲をズラリと眺められるのは見事で、いつまで見ていても飽きることがありませんでした。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
どちらの眺めも甲乙付け難かったのですが、やはり主役は浅間山だったでしょうか。標高が低いながらも、展望は期待を上回る豪華さで、雲ひとつない絶好の展望日和にも恵まれて、なんとも立ち去りがたい山頂でした。


石尊山から下って行くと、座禅窟への分岐点の手前で、ようやくこの日初めて見る登山者とすれ違いました。
  単独行男性 「頂上には誰もいませんか?」
  わたし 「誰もいません。いいですよ~」
この質問には、思わず膝を打つ思いでした。この方も、恐らく当分の間、頂上を独占できたことと思います。

さらに、「血の滝」のすぐ上を通る時に、下の滝のほうから人の声が聞こえると思ったら、分岐点にあるベンチの上にザックが2つ置かれていたので、たぶん持ち主の2人が空身で滝を往復していたのでしょう。
それ以降は、追分林道の分岐点で登山道から外れるまで誰も見なかったので、この日の石尊山の登山者で私が確認できたのは、自分以外には3人だけという結果でした。


2本目の林道の分岐点まで戻ってきました。往路の登りではここから2時間かけましたが(「血の滝」への寄り道を含みますが、それは10分くらいのこと)、復路は駆け下りるようにして、たった35分で着いています。
実は帰りのバスが午後は2本しかなく、そのうち早いほうの便に間に合わせようと、飛ばしていたのでした。
分岐点から、まずは御代田三石林道に入ります。
ここまで来れば、浅間山の火口から4km以上離れているので、登山道から離れても違反にはなりませんし、林道にも立入禁止の掲示がないので、通行には何の問題もないと判断しました。
御代田三石林道はすぐに追分林道に合わさって終わり、そこからは追分林道を進みます。さほど見事な色合いではないものの、それなりに秋色が楽しめて、ほぼ平坦ということもあって、まずまず気持ち良く歩けました。
追分林道では、カラマツの美しい黄葉がたびたび見られました。本当は、落葉が始まった頃に、キラキラと輝く落ち葉がシャワーのように降り注ぐ中を歩くのが最高に気持ち良いのですが、それには少々早かったようです。
林道に入って30分ほど経った頃、ここを鋭角に右折して、追分林道を離れます。
あとはもう道なりに歩いて行けば、千ヶ滝への入口に出られるはずです。
最後の林道は、景色が平凡でやや退屈でしたが、下るだけなのでグングンと進みます。
林道の終点を、ゲートの脇を抜けてから振り返りました。看板には「一般車両通行禁止」と書かれていただけで、歩行者に対する規制は何も見当たらず、歩いてきて問題なかったことが改めて確認できています。


その後、すぐにこの軽井沢朗読館の前を通ると、そこからは舗装道路に変わってしまいました。
少し飛ばして歩いていることで、足にはかなり疲れが出てきていて、この先は歩くのが余計に苦しくなります。
とはいえ別荘地内に入ったことで、黄葉に混ざって、山の中ではほとんど見られなかった紅葉も見られるようになって、軽井沢らしい景色は楽しむことができました。


ようやく、千ヶ滝へ続く「せせらぎの道」の入口まで来ました。
そこはセゾン現代美術館の入口前で、振り返れば、いつしか浅間山がこんなに遠ざかっていました。
ここまで来れば残りの行程も見えてきて、早いほうのバスに間に合うメドも立ったので、美術館入口前のベンチで、疲れた足を少し休ませていきます。


短い休憩を終えたら、「千ヶ滝 せせらぎの道」へ向かいます。
この標識では、ここからが「せせらぎの道」であるように読めますが、この上にある駐車場から先だけが「せせらぎの道」だという書きぶりの標識もあって、正確なところは良く分かりませんでした。
緩やかな登り坂に変わりますが、沿道では紅葉がそこそこ楽しめました。
15分ほどで千ヶ滝駐車場に到着です。停められていた車は10台前後だったでしょうか。


駐車場の先から、「せせらぎの道」の遊歩道が始まります。
その名前の通り、せせらぎのそばを歩く区間の多い、涼やかな遊歩道です。
時折ほかの人たちとすれ違うという程度で、比較的静かに歩いていけます。
遊歩道は概ね緩やかな登り坂でしたが、最後になって滝の手前だけは、木段の登りが続きました。


遊歩道の終点から見る千ヶ滝です。思っていたよりも人が少なくて、ひっそりとした雰囲気だったので、滝の規模もそれなりかと高をくくっていたら、結構落差が大きく水量も豊富で、見応え十分の滝でした。
約20mとされる大きな滝のあとにも、小滝がいくつか続いていて、すべてを一連の滝とみなせば、全体で30mくらいの規模になりそうです。さすがに横長の写真には収まらず、珍しく縦の写真になりました。
遊歩道の終点には、ほんの小さなスペースがあるだけでしたが、私が20分ほど滞在していた間に見掛けた人は4人ほどで、手狭に感じることもありませんでした。


滝からの帰路は、「せせらぎの道」を駐車場までは戻らずに、この写真の東屋の前をそのまま直進します。
これは「千ヶ滝入口」バス停からの道順として、西武高原バスのウェブサイトで紹介されている通りなのですが、ここには駐車場へ誘導する右折の標識があるだけで、直進方向の案内は何もありませんでした。
林道を道なりにしばらく進むと、一般の車道に出る前にゲートがありました。
左側のゲートの下をくぐって出てきたのですが、ここにもその道が千ヶ滝に至るという案内は見られません。
一般の車道に出たら、バス停までは3~4分ほどで、バスが来る約10分前に到着です。それを逃すと次は2時間後(しかも最終)という過疎ダイヤなので、普段以上に時間に気を遣いながら歩いて、無事に間に合いました。
なお、「千ヶ滝入口」という名前のバス停ながら、ここでただバスを降りても、千ヶ滝への道案内は一切なく、予め西武高原バスのウェブサイトで道順を確認していなければ、たぶん滝にはたどり着けないので要注意です。
まぁ、バス会社が勝手に道標を立てる訳にもいかないでしょうし、そのへんは西武高原バス側でももどかしく感じているのかもしれません。それ故か、ウェブサイトの道順案内は、多くの写真付きの実に丁寧なものでした。
バスに揺られて軽井沢駅に着いたら、次に来た新幹線は、なんと予想外に自由席がガラガラではありませんか。
これまで、軽井沢から自由席に座れる人を見たことがなく、着席は最初から諦めていたので、これは嬉しい誤算でした。長野新幹線も、土曜日の比較的早い時間帯ならば、軽井沢まででも空いていることがあるんですね。
どうせ立席だからと、新幹線は高崎ですぐに降りて、あとは在来線で帰る計画だったのですが、車内で急遽区間変更してもらいます。おかげで大宮までゆったり座ったままで、しかも予定よりも早く帰れてラッキーでした。

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四阿山 [上信越]

2014/09/28(日)

■第292回 : 四阿山(2354m)


この日歩く予定にしていたのは、菅平高原でバスを降りたら、まずはあずまや高原に向かい、そこから四阿山に登ったのち、お隣の根子岳へとプチ縦走して、避難小屋経由で下ってくるという、大きな周回ルートでした。

ところが、あずまや高原へのルートとして選んだ道まで行ってみると、なんと私有地内で通行止めというハプニングが発生。このため遠回りを余儀なくされて、登り始める前から時間も体力も大幅にロスしてしまいます。
登山口に着いた時点で、すでにかなりの疲労感がある状況で、一旦はそのまま帰ろうかと考えたほどでした。
しかし、見上げた空の抜けるような青さに、この絶好の好天を無駄にするのはあまりに勿体ないと思い直して、最短ルートで四阿山だけを巡る計画に縮小し、どうにか登頂だけは果たしてきました。

 累積標高差(登り):1174m / 距離:18.4km / 歩行時間:5時間25分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:8時間15分 

(往路)
古淵 04:45-05:17 東神奈川 05:18-05:20 横浜
横浜 05:25-05:52 東京 06:24-07:51 上田
上田 08:15-09:05 菅平高原ダボス

(登山行程)
菅平高原ダボスバス停 09:10
あずまや高原登山口  10:40
四阿山        12:50-13:15
中四阿        13:45
菅平牧場管理事務所  14:45
菅平高原ダボスバス停 15:15

(復路)
菅平高原ダボス 15:45-16:40 上田 17:01-18:02 大宮
大宮 18:22-19:16 八王子 19:27-19:49 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

今回の下車駅は長野新幹線の上田駅。駅前で菅平高原行きのバスを待ちます。
バスの乗客は登山者4名(私を含め全員が単独行男性)・観光客2名・地元の方2名の計8人だけでした。
約1時間バスに揺られて、「菅平高原ダボス」バス停に到着。すぐ前にあるのは待合所と水洗のトイレです。
公共交通利用で四阿山に登る場合、ここから歩き始める以外の選択肢はほとんどなく、乗客の登山者4名は全員がここで降りて、歩き始める方向も一緒でした。


「山と高原地図」の登山ルートは、少し遠回りで描かれていますが、最短距離で直線的に歩くこともできます。
この道が登山地図に載らないのは、途中で明治大学の私有地内を通過するために、通行できる時間が限られている(8:00~18:00)からでしょう。でも今回は行きも帰りもその時間内なので、有り難く通らせて頂きました。
明治大学の私有地内には山道の区間があり、舗装道路ばかりを歩かなくて済むのもここを通るメリットです。
明治大学の私有地内を抜けて再び一般道に出ると、また車道歩きに戻ります。


間もなく料金所が現れて、係の人に入山料200円を支払って通ることになりました。
あずまや高原へ通じる道は、一般には全く案内されていませんが、この料金所の裏手から分岐しています。
あずまや高原へ通じる道に少し入ってから、料金所を振り返ったところです。
ゲートが閉じていて、通っても良いものか迷いましたが、ここが通れなければ計画を見直すしかありません。幸い、立入禁止とは書かれていませんし、歩きならゲートの脇を抜けられます。絶対に気付いた筈の料金所の人にも何も言われなかったので、車両の進入を制限しているだけと都合良く解釈して、進んでみることにしました。
すぐに「菅平スカイトレイルコース」の看板が現れました。そうなのです、ここがトレイルランのコースだという情報を得ていたので、ならば歩いて通るのも問題ないだろうと考えて、ここを通る計画を立てたのでした。


この道を境に森が途切れて、左手側は牧草地らしい草原になっています。
左を向けば、牧草地の先に四阿山(右)と根子岳(左)がスッキリと見えていて、このあと両方の頂に立てることが楽しみで仕方ありませんでした。この時点では‥‥。
ところがこの道は、次第に草深くなってしまいます。路面も少々荒れていて、普段から良く歩かれているという気配も感じられず、もしかすると、トレイルランの大会等の時だけに開放されている道なのかもしれません。
事前に何の情報も得られず心配だった徒渉点は、大きな石が並べられてその上を渡れるようになっていました。


あずまや高原への近道となるはずだった道への分岐点に来ました。しかし、厳重に封鎖された上に、立入禁止と掲示されていて、これでは通るわけにはいきません。柵の向こう側では多数の牛が放牧中で、明らかに牧場として管理されていたので、もしも立入禁止と書かれていなくても、やはり通行はためらわれたでしょう。
が、あずまや高原への近道候補は、この先にもう1本存在するのでした。いわゆる「プランB」ってヤツです。
しかし、その分岐点まで来て、ほとんど道がないのを見て愕然としました。左への分岐は、写真にすると道形が全く分からないほど希薄です。少し足を踏み入れてみても、激しい草藪が続いていて、廃道に近い様子でした。
強行突入したとして、仮に距離は短縮できたとしても、これでは時間が余計にかかってしまうでしょう。
パックアッププランまで不調に終わってしまいましたが、引き返すよりは、あずまや高原に向かう方が近いところまで来ていたので、来た道をそのまま直進します。ほとんど平坦な道をただ水平移動しているだけなので、すでにかなりの距離を歩いたのに、左手側の景色は、この道を歩き始めた頃とほとんど変わりませんでした。


想定外の事態で、用意してきた地形図の範囲からも間もなく外れてしまい、勘を頼りに歩くしかない状況です。
しばらくして別の道に合流すると、歩いて来た道は「私有地 立入禁止」となっていました。写真は合流点を振り返っていて、右の道から出てきたのです。一体どこからが立入禁止だったのだろう?(最初からだったりして)
その後は割とスムーズに歩けて、あずまや高原ルートの登山口にたどり着きました。菅平高原の登山口からあずまや高原の登山口へ、1時間以上かけてただ移動しただけですが、辛うじて最低限の結果だけは出せた形です。
とはいえ、当初の思惑が相次いで外れて、先の見えない状況から早く抜け出したかったり、時間のロスが気になったりして、特に後半は早足で歩いてしまったことから、足にはかなり疲れが溜まっていました。
にもかかわらず、今はまだ登山口です。最初から重たい足取りで登り始めたのでは、頂上まで登り切れる自信もなく、冒頭に書いたような葛藤がありましたが、とりあえず行けるところまで行ってみることにしました。


あずまや高原ルートは、最初はやや笹が濃い中を進んでいきます。
15分ほどで一旦景色が開けました。ここは、もしも近道に成功していれば、もっと早くに写真左手の道から出て来られたはずの地点ですが、やはりその道も立入禁止と書かれていました。事前の調査が甘かったようです。
その後も笹の間を抜けていくような道が少し続きます。
かと思うと、行く手に牧場が現れて、しばらく牧柵に沿って進むようになったりします。
ここで久しぶりに四阿山(右端)と根子岳(牛のいるあたりの背後の稜線上に頂上だけ出ている)が見られました。


牧場の上端に達して、森の中に戻ると、次第に木々の色彩が変わってきました。
目を見張るような鮮やかさではないものの、それなりにきれいです。
中四阿コースへの分岐点まで来ると、黄葉の中に紅葉が混ざるようになってきます。
様々な色合いが混ざった紅葉も、なかなか美しいと思いました。


どちらかといえば歩く人が少ないコースらしく、間もなく到着する分岐点までの間に、2人の登山者としかすれ違いませんでした。そんなこともあってか、かなり標高を上げても、足元では笹がしばしば深くなります。
途中からかなりキツくなっていましたが、この8合目の標識を見て、頂上まで登り切れると確信しました。
8合目を過ぎると、ロックガーデンのような景観が現れるなど、変化があって飽きないルートでした。


そして今度は、岩屑が積み重なったやや急な斜面に入ります。登り詰めた先には、標識が見えてきました。
この標識が立つ分岐点で、中四阿ルートに向かう道と、鳥居峠ルートに向かう道に分かれます。
直進する写真の道は中四阿ルートに向かっていて、こちらは「山と高原地図」の赤実線ルートです。
分岐点で振り返ると、すでにこの時点で、南側から北西側にかけての大きな展望が広がっていました。
昨日噴火してしまった御嶽山を見ると、噴煙を上げ続けている様子もハッキリと見て取れています。
下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


中四阿ルートは下山時にも通るので、先程の分岐点を右に折れて、鳥居峠ルートに向かう道に入ります。
現在の登山地図では赤破線ルートとなっていますが、かつてはこちらがメインルートだったのか、途中には8合目で見たのと同じ体裁で9合目の標識が立っていました。
赤破線ルートらしく、地面が見えないほど笹が濃くなったりしますが、迷うような箇所はありませんでした。
しばらく笹の間を抜けていくと、ひょっこりと鳥居峠からのルートに合流しました。


その後は木段が続くようになります。
木段を少し登ると、すぐに別の木段に突き当たって、ここで今度は根子岳からの縦走路に合流です。
分岐点から見上げると、木段が続く先に目指す頂上が見えてきました。頂上直下はかなり急なように見えましたが、道が上手く付けられていたのか、この疲れた中でも、登るのはそんなに大変ではなかったです。


四阿山の頂上は、2つの祠が立てられていて、まずは群馬県側を向く上州祠の前を通ります。
上州祠の前は展望が良くて広いスペースもあり、ここで休憩していた人のほうが多かったようです。
上州祠の少し奥には長野県側を向いた信州祠があって、ここが最高点に当たります。
信州祠の手前と裏手に、それぞれ休憩できるスペースがありました。
手前側(下の写真)は記念撮影する人も多そうなので、裏手のスペースに回って休憩しています。


四阿山ではほぼ全周を見渡すことができました。こちらは南側を中心とした180度に近い範囲で、写真には写りませんでしたが、このとき籠ノ登山の後方には、うっすらと富士山も見えていました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして反対側には北アルプスが見えていたのですが、北側は雲の動きが速くて、南側の写真を先に撮っている間に、ほとんど隠れてしまいました。結果論ですが、撮る順番を逆にしていればと悔やまれます。
ほんの数秒後にはこんな状況になって、次に再び北アルプスが見られるようになるのは、下山を始めてからになるのでした。まぁ、この雲海は雲海でまた趣があったのでしたが。


展望を楽しんだら、四阿山の頂上を後にして、根子岳との分岐点まで下ってきました。
当初の計画では根子岳にも登る予定だったのですが、200m近くを登り返す余力はもうないので、おとなしく中四阿コースに入って下山を続けます。根子岳は、将来の宿題として残ってしまいました。
分岐点から少し下ると、再び北アルプスが見えてきました。縮小写真では厳しいですが、肉眼では槍ヶ岳の突起や御嶽山の噴煙が結構クリアに見えていたのです(この写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します)。
眼下に菅平高原を見下ろし、彼方に北アルプスを眺めながら下るというのは、なかなか爽快な気分です。
上の写真でほぼ中央奥に写っている御嶽山を望遠で撮ったものですが、私のカメラではこの程度が限界でした。
実際に肉眼で見たイメージがない限り、この写真だけで噴煙が上がっていると認識するのは難しそうです。


前方に見えてきたのは、このあと少し登り返して踏んでいく中四阿のピークです。
中四阿の手前から、四阿山を振り返りました。登山道は比較的穏やかな斜面に付けられていますが、中には荒々しい斜面もあって、迫力ある眺めでした。
ここが中四阿です。積み重なる岩の上が最高点のようですが、危険なのか、ロープで通せんぼしてありました。


北側のガスはいつまでも晴れず、なかなか根子岳がスッキリとした姿を現してくれません。
でも進行方向は、引き続き爽快な眺めでした。
しばらく下った頃、ようやくガスの中に根子岳の頂上付近が見えてきました。右手に見えている、気持ち良さそうな笹の斜面は、前々からずっと歩きたいと思っていたので、それを果たせなかったのが強烈に心残りです。
さらに下って、四阿山を振り返りました。四阿山の北側だけに、ガスが居座っているようです。


登りで歩いた、あずまや高原ルート側を見ると、いい感じに秋色に染まりつつあるのが良く分かりました。
今下っている中四阿コースもやがて樹林帯に入って、鮮やかな色彩の中を通り抜けていきます。
しかし中四阿コースでは、紅葉の中を歩ける時間は短くて、やがて林道のような幅広の道に出ます。


その後は再度山道に入り、飛び石で沢を渡った後で、牧場の脇を通るようになれば、登山口は間もなくでした。
道路に出てから振り返ると、いつしかガスが晴れていて、四阿山と根子岳がともにスッキリと見えていました。
最後は延々と車道を歩きます。しかもずっと1本道でほとんど変化がないので、なかなか退屈でした。
「菅平高原ダボス」バス停で帰りのバスを待ちますが、15:45発の便を利用したのは、わずか3人だけでした。

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