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竪破山 [茨城]

2017/11/19(日)

■第365回 : 竪破山(657m)


この日の行先は茨城県北部の竪破山です。次々と現れる巨岩・奇岩の数々や、山頂に忽然と現れる立派な神社など、見所の多い山でしたし、緩やかで歩きやすい登山道が整備されていて、安心して歩ける山でもありました。
ただ、マイカー登山なら2時間程度で軽く歩ける竪破山も、公共交通利用でかつ休日山行となると、満足に利用できるバス路線がないため、一般的には計画を立てるのが困難です。しかし、紅葉の時期限定で運行される花貫渓谷行きのシャトルバスを片道に利用することで、路線バス利用の竪破山登山を可能にして出掛けてきました。

とはいえ、行き帰りに利用したバス路線は、ともに登山口からバス停まで1時間半ほど歩かされる使い勝手の悪いもの。このため、行程の大半を車道歩きに費やすことになっていますが、すでに書いた通り、それを補って余りある楽しい山だったので、アクセスの不便さを受け入れてでも出掛けてきた甲斐はあったと思っています。コメントする地点の多さゆえ、今回は写真が約100枚と大量なのですが、懲りずにお付き合い頂ければ幸いです。
(中腹から山頂にかけて見られた数々の巨石群のひとつ、太刀割石)

 累積標高差(登り):578m / 距離:15.8km / 歩行時間:4時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:42-06:17 新宿
新宿 06:20-06:40 東京 06:53-08:44 高萩
高萩 09:00-09:25 花貫駐車場

(登山行程)
花貫駐車場バス停  09:30
中戸川登山口(土岳) 10:05
米平登山口     10:45-10:50
竪破山       11:35-11:50
太刀割石      12:00-12:05
竪破山登山口(鳥居) 12:35
せせらぎひろば   12:45-12:50
黒坂(鬼越)バス停  13:00
田平橋       13:45
菅谷不動尊の滝   14:00-14:10
境橋バス停     14:20

(復路)
境橋 14:32-15:10 常陸太田 16:06-16:40 水戸
水戸 17:06-19:12 上野 19:18-20:01 東神奈川
東神奈川 20:05-20:38 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

常磐線の高萩駅から、今月の4日間だけ運行される花貫渓谷シャトルバスを利用して、花貫渓谷の駐車場へ。
大きな駐車場は、朝9時半の時点で早くも満車になっていました。
竪破山に直行するため、渓谷とは反対方向に歩き始めると、駐車場の空きを待つ車列がずっと続いていました。
車列がほとんど動かないので、国道からの入口付近は、国道の流れまで滞っていました。これは少々迷惑かも。
少しだけ国道を歩いたら、この変則的な交差点から中戸川への道に入ります。奥にそびえているのは、2年前に花貫渓谷と絡めて登った土岳(頂上は見えていません)で、そちらでも紅葉が見頃を迎えている模様です。


ここからこの道を延々と1時間以上(約5.5km)歩いて、竪破山の米平登山口を目指します。途中に集落がいくつか現れる以外は景色の変化に乏しい道ですが、この時期は時折紅葉が楽しめるのがせめてもの救いでした。
歩き始めて30分ほどで、最初の集落、中戸川に入りました。
集落内にはバス停がありましたが、運行は平日のみで早朝の上りと夕方の下りしかなく、観光では使えません。
中戸川集落の外れまで来ると、土岳の中戸川登山口があって、花貫駐車場からここまでは、2年前の下山コースを逆行してきた形なのでした。ここで登山道を見送ると、この先は初めて歩く道になります。
さらに10分ほど歩き、土岳の坂ノ上登山口への入口を見送ると、この先は歩く人など滅多にない道になるはず。
そのすぐ先では、「大和の森 高萩スカウトフィールド」の前を通過しました。この8月にオープンしたばかりの、ボーイスカウト日本連盟の教育キャンプ施設のようです。


その後は沿道にほとんど何もない状況が20分ほど続いて、ようやく米平の集落に入りました。
集落内には待合所付きのバス停がありました。平日のみ運行のバスは、ここまで入ってくるようです。
幹線道路からはだいぶ離れてポツンと存在する集落ですが、立派な構えをした家屋が多いのが印象的で、しかもどの家屋からもきちんと生活感が感じられて、寂れた雰囲気は一切ありませんでした。
米平の集落を抜けると、いよいよ進行方向に竪破山が近付いてきました(ただし頂上は見えていません)。


自分以外の歩行者を一切見掛けない道を1時間15分歩いて、ようやく竪破山の米平登山口に到着です。
ほとんど人が入っている様子はなくて、地面に置かれた標識がなかったら、見過ごしてしまいそうでした。
参考にした2004年発行のガイドブックで、すでに「この登山道は歩かれていない」と注記されている道ですが、地面に落ちた形とはいえ標識が出ているくらいだから、一応は歩けるものと信じてここから入ってみます。


すると、入口付近こそ少し怪しげな雰囲気でしたが、しばらく歩くと明瞭な道になりました。
ほどなく道が二手に分かれて、ちょっと考えさせられましたが‥‥。
道の脇に落ちていた標識がすぐに見つかって、左の道が登山道の続きだと示されていました。


問題なく歩ける状況に安心していると、その先で様子が一変、左から現れた林道に乗っ取られてしまいました。
林道に上がった所で振り返ったら、もう登山道の存在が分かりませんでした。別のところから竪破山に登って、このコースを下ってきた場合は、ここが分岐点だとは気付かずに、そのまま最後まで林道を歩かされてしまうことでしょう(登山口からそう遠くない所に出られそうなので、大きなトラブルにはならないと思われますが)。
奥で余程大々的に工事でも行われているのか、あちこちに重機が置かれているのを見掛けます。
だから林道も、ずっと重機のキャラピラ跡を歩かされる具合で、なんか興醒めでした。
やがて重機の稼働音が前方から聞こえるようになり、こんな日曜日でも何かしらの作業が行われていて、その近くを通ることになりそうだと覚悟させられます。いよいよその作業音が間近に迫ってきた時、目の前に現れたのは、なんと大規模な伐採現場。何箇所かで次々と樹木が刈り倒されていて、あたりは騒然とした雰囲気でした。


伐採が広範囲に及んでいたため、その一帯から抜けるまでにしばらく時間がかかりましたが、伐採現場よりも先では、道も登山口付近と同じような様子に戻ってホッとしました。
登山道を示す標識は、前の写真のものも含めて計3箇所にあり、いずれも登山道脇の地面に置かれていました。
伐採現場から遠ざって重機の音が届かなくなると、登山道にも平穏な雰囲気が戻りました。伐採工事が始まる前ならば、ずっとこんな好ましい雰囲気の道を歩けたはずなので、もっと早く来ていればと少し後悔しています。


最後まで明瞭な道を歩くのかと思ったら、頂上にかなり近付いたこの地点で、この道とはお別れでした。
分岐点で登山道を示していた標識(上の写真にも小さく写っています)は、今年設置された新しいものでした。
調べてみると、先程前を通ってきた「大和の森 高萩スカウトフィールド」を主会場とする「日本ジャンボレット高萩2017」という、ボーイスカウトの大会が今年の夏に開催されており、そのプログラムに「堅破山トレッキング」があったので、そのために設置されたものなのでしょう。


標識が示す方向に進むと、途端に道が微かな踏み跡レベルに変わりました。つまり、ここから先は、何故かほとんど歩かれていないことになります。ということは、先程までの明瞭な道が、むしろ登山道以外の用途で良く歩かれていることを意味することになりそうですが、それがいかなる用途なのか、私にはちょっと答えが出せません。さっきまでの道をそのまま直進したとしても、その先に何かあるようには見えないんだけどなぁ‥‥。
少し登ると麓側の視界が開けた場所があって、先程通過してきた伐採地を見下ろします。伐採地は、そこから見えていたこの写真の範囲だけではなく、そのずっと下まで続いていて、相当広い範囲に及んでいたと思います。
道は一定して "か細い" 状況で続きます。目を凝らさないと見失いそうな頼りなさですが、決して不明瞭になることはなく、テープによる最小限のマーキングもあるので、このような道に慣れていれば迷う心配はなさそう。
山頂が近くなると、先程と同じ標識による下山者向けの道案内も2回ほど見られました。


最後に大岩の間をすり抜けて登ると、展望台が建つ竪破山に到着しました。割と手狭な感じの頂上です。
頂上を上の写真とは反対側から写しています。
頂上標識と二等三角点がありました。
いずれの写真でも頂上が無人に見えるのは、この時居合わせたご夫婦と見られる2人組がちょうど展望台に上がっていたから。地面に立っているだけでは全く展望がないので、私も螺旋階段を登って、さらに上へ。


展望台に上がると、方角ごとに展望図や展望写真が設置されています。2004年発行のガイドブックにも「山また山のパノラマ風景が楽しめる」と書かれているので、かつてはどの方向も良く見えたのでしょう。
しかし現在では、スッキリと眺められるのは南側だけ。その南側には、2014年に縦走した羽黒山・神峰山・高鈴山を結ぶ稜線と、その彼方に広がる太平洋の海原が見られました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
それ以外の方角は、例えば北西側に日光連山や那須連山の展望写真が掲げられていたり‥‥。
南西側には筑波山や富士山の展望写真が掲げられていたりしますが‥‥。
樹木が随分と成長してしまったようで、南側以外はどちらを向いてもほぼこんな眺めにとどまりました。


頂上で少し休憩したのち、軽く下って行くと、すぐに黒前神社の拝殿前に出ます。低山とはいえ、山道でしかたどり着けない山頂に、これだけ立派な神社が祀られているのは驚きです。
黒前神社の拝殿前からは石段を下ります。
下った後で石段を振り返ります。段が不揃いな上に、足を真っ直ぐに置ける幅もなく、歩きにくい石段でした。
石段を下ったところは、ちょっとした広場になっていて、黒前神社の釈迦堂が建っています。
釈迦堂の建つ広場には、中腹から頂上にかけて点在する巨岩奇石「竪破山七石」のうち、舟石・甲石のふたつがありました。


広場から先は、良く整備された登山道になります。
「竪破山七石」の中でも最大の見所と思われる、太刀割石の前に来ました。比較対象がなくて大きさが分かりにくいですが、直径約7mもの巨岩が節理面で真っ二つに割れたもので、竪破山の山名の由来にもなっています。
太刀割石はその巨大さから、いかにも山岳霊場のシンボルといった雰囲気が漂っていました。これを見るためだけでも竪破山を訪れる価値は十分にありそうです。
太刀割石付近の稜線では、紅葉の名残を少し楽しむこともできました。
さらに下って行くと、鳥居と仁王門(随身門)があります。
仁王門のすぐ下には弁天池があり、その脇には東屋がありました。


仁王門と弁天池の前を過ぎると、登山道はぐんぐんと下り始めます。急な箇所のない、歩きやすい道ですね。
途中にはこんな休憩所もありました。家族連れでハイキングに訪れても、これなら安心して登れそう。
植林帯が大半を占めていた印象ですが、ところどころでは紅葉も見られました。
「竪破山七石」のいくつかは登山道脇で見られます。こちらは烏帽子石。
不動石も「竪破山七石」のひとつ。岩の表面が濡れていますね。
濡れているのは、岩の上に不動明王の石像が立っていて、ちょうどその足元から清水が流れ落ちているからなのでした。下から見ていると、ちょっと不思議な印象を受けたのでしたが‥‥。
岩の裏側に回ってみたら、なんのことはない、裏側では岩の上面が地面と同じ高さになっていて、そこから湧き水が出ているだけだったのでした。石像は古くからあるものではなく、明治以降に祀られたものらしいです。
登山道は最後まで穏やかな傾斜が保たれていました。整備も行き届いていて、とても歩きやすかったです。


駐車場に出ました。登山口と呼べる場所はこの先にもう1箇所あるので、ここを「登山口(駐車場)」とします。
駐車場は広くて余裕があり、トイレ(写真左端)も備えているので、登山口として十分だと思いますが、2004年のガイドブックにはまだこの駐車場の存在が書かれていないので、新しい書籍でないと出ていないのかも。
駐車場から先は未舗装の林道に変わります。路面状況については、情報源の新旧により様々な書かれ方がされていますが、現在は一般車でも問題なく通れるでしょう(実際、先程の駐車場にも一般車が入っていましたし)。
しばらく林道を歩いていると、この地点で左手に踏み跡が分岐して、車道より低い位置に下って行きます。
試しに入ってみると、下った先を流れる沢に橋が架かっていたので、その先もちゃんと進めそうな感じです。
林道の近くを併走する形で続いていた山道は、それなりに踏まれている様子で、歩きやすさもまずまずでした。


その山道は、黒前神社の一ノ鳥居へと続いていたので、旧来の参道が林道に転用されず残された区間なのでしょう。山道を歩けたのは短い距離でしたが、林道をずっと歩くよりは良かったと思います。
一ノ鳥居をくぐって車道に出たところから、黒前神社の石碑と、鳥居とその奥に見える参道を振り返りました。
林道も、一ノ鳥居のすぐ隣に出てきていて、三叉路には駐車スペースもあり、何台かの車が停められていました(ここを登山口(鳥居)とします)。今通ってきた旧参道は、これらの車の方々によっても歩かれたのでしょう。


さて、ここからの帰路をどうするかについて、計画は事前にバッチリ固まっていましたが、悩ましい問題がなかった訳ではないので、備忘録としてここに記しておきます。長文になりますので、竪破山についての情報さえ見られれば十分という方は(恐らく大半の方がそうでしょう)、すみませんが次の写真まで読み飛ばして下さい。

実は最も確実な方法は、私が今回選択したルートではなく、歩き始めた花貫渓谷まで引き返すことでした。その場合は、しっかりした車道だけを歩けば良くて、道順が分かりにくい等の心配は全くなく、バスの便も夕方の16:15発まで何本もあるので、時間を気にする必要もありません。
でもこれには難点があって、約8kmにも及ぶただの舗装道路を、ほぼそっくり往復することになってしまうのでした。短い距離の往復なら許せるとしても、これだけの長距離をただ往復するとなると、いかにも味気なく退屈そうで、ちょっと受け入れる気にはなりません。とはいえ、もし竪破山の登り下りに予定よりも時間がかかった場合は、これが唯一の選択肢となってしまう可能性はありました。

一方、実際に選択したのは、朝歩いてきた道とは反対方向、つまり西側へ向かって、常陸太田駅へのバス路線が走っている国道349号線まで歩くことでした。国道349号線にあるいくつかのバス停のうち、最も早く着けそうなのは境橋または河原野で、いずれも距離は約6kmと、花貫渓谷に戻るよりも車道歩きを短く抑えられますし、ずっと新しい景色を見ながら歩けるという点でもこちらが断然好ましいのです。
しかし、これらのバス停に最短経路で向かおうとした場合は、途中に道が繋がっているかどうか不明な区間があるのが最大の懸念点でした。その区間は、国土地理院の地形図では車道の線が繋がっているものの、GoogleやYahoo!の地図では線が不連続となっていて、どちらが正しいのか分からないのです。でも航空写真を確認したところ、地形図通りに林道が繋がっているように写っていたので、それに賭けてこのルートを選択したのでした。
ただし問題はそれだけではありません。常陸太田駅へ向かうバスの最終便が、午後2時半発と信じられないほど早いのです。このため、はじめから割とタイトな計画になっていて、途中で道に迷うなどして時間を取られてしまうと、バスに間に合わない可能性が出てきてしまうのでした。かといって、問題なく通れるのが確実な道路で国道349線に向かおうとすると、上深荻交差点にあるバス停を目指すことになり、距離が約9kmにまで伸びてしまうため、とても歩く気にはなれませんし、またそもそも時間的に2時半のバスに間に合わなくなるでしょう。
だから、もし現地で実際には道が繋がっていなかったという場合に、そこから引き返して確実にたどり着ける上深荻交差点のバス停に向かおうとしても、その時点ではもう時間の猶予がなくてそれが許されないため、道のない場所を強引に突破してでも、計画通りの行先に向かう必要があるのでした。


ということで、朝のアプローチと同様に、帰りも長い長い車道歩きの始まりです。歩き出して10分もすると、左手になんだか落ち着いた雰囲気の広場が現れました。
そこは「せせらぎひろば」といい、お手製感が満載なので、近隣住民の方々がご厚意で提供して下さっている場所っぽいですね。竪破山の登山口では休まずに、しばらく歩き続けていたので、ここで少し休ませて頂きます。
ひろばには、コース案内をはじめとする竪破山についての様々な資料が置かれ、無人販売されていました。下山後でしたが、代金(¥20というほぼ実費だけの良心的価格!)を箱に入れて、コース案内を参考用に頂きます。
竪破山は車で訪れる人が大半だと思われるので、この場所を利用する人は少なそうですが、歩行者である私にはとても有難い場所でした。車の人も、こちらのほうが登山口よりも明るく開放的で気持ち良く過ごせますよ。


午前中は少し空気が冷たく感じたこの日も、午後になると穏やかな小春日和で、気分はすこぶる快適です。
「せせらぎひろば」から15分ほどで、鬼越の集落に差し掛かりました。
突き当たりのT字路にポツンと立っていたのはバス停です。
平日ならば、十王駅からここまで椎名観光バスの路線バスが運行されているのです。本数は朝昼夕の3便と少ないものの、登山口(鳥居)まで徒歩30分と十分に実用的で、時間が合えば竪破山の登山に利用価値が大でしょう。


続いて黒坂の集落に入ったら、そこから先が問題なのでした。
そのまま普通に車道を歩いてしまうと、大変な迂回をさせられて、なかなかバス道路にたどり着かないのです。そこで、ここを右折して細い道に入り、不通区間があるかもしれない問題の経路に向かいます。
するとその先に分かりにくい箇所があり、途中で一度行き止まりの道に入ったりして少々モタつきましたが、目指していた山道同然の林道に入りました。これだけ道が立派なら、この先ちゃんとどこかに通じていそうです。
果して、その道はやがて舗装路に変わり、航空写真で見た印象とそっくりな道になってひと安心、最後は無事に田平集落に抜けられました。民家の番犬?に猛烈に吠えられて、写真は集落を過ぎるまで撮れなかったけれど。


あとはもう不安要素もなく、道なりに歩いていれば国道に行き着きます。バスの時間が迫っていればバス停に直行する予定でしたが、ここまでほぼ順調に歩けていることで、寄り道をしていく余裕が生まれていました。そこで、この田平橋の手前から、計画時点より最後の時間調整にはピッタリだと見込んでいた場所に向かいます。
それは沢沿いに続く、菅谷不動尊の滝への遊歩道で、そのほかのものも含めて計3つの滝が見られるのです。
田平橋の手前には簡単な案内図も設置されていました。


あまり知られてなさそうな遊歩道だけに、ほとんど歩かれていない様子で路面はやや荒れ気味です。
それでも問題なく歩くことができて、ほどなく最初の「雄滝」の真横を下ります(写真は振り返ったもの)。
「雄滝」の先には対岸に東屋があって、小さな橋でそこへ渡れるようになっていました。
東屋からは「雄滝」をほぼ正面から眺められました。
「雄滝」を過ぎるとすぐにまた別の東屋があって、その柱には「雌滝」という標識が付けられていました。
ただ肝心の「雌滝」がどれなのか説明不足で分かりません。東屋の周囲には小さな滝がいくつか存在していて、そのうち上流側を振り返って見られる一番大きそうな滝を写しておきましたが、正解はどれだったのだろう?
さらに菅谷不動尊の滝への道標に従って進むと、今度は別の沢沿いを登り始めて、菅谷不動尊の前を通ります。
道は菅谷不動尊の奥へと続いていて、やがて東屋が見えてくるとともに、滝の水音も近付いてきました。
「菅谷不動尊の滝」は、水量は多くないものの、落差はそれなりにあって、近くに立つと清涼感がありました。
ここまで来れば、バス停はもう間近で数分もあれば歩けそう。バスの時間から逆算すると、ここを10分後くらいに出れば十分そうだったので、滝の前の東屋で帰り支度などを始めつつ、少しゆっくりと過ごしました。


境橋バス停への道も、滝の下流に当たる小川沿いの道で、引き続き清々しい雰囲気の中を歩けました。
最後は境橋バス停で、常陸太田駅行きのバスを待ちます。ほぼ定刻にやってきたバスは、私が2人目の乗客となり、その後はさらに3人ほどの利用があったものの、常陸太田駅まで乗り続けたのは私ひとりだけでした。
途中の道路渋滞の影響で、バスは常陸太田駅に定刻より少し遅れて到着しました。実は定刻の4分後に乗り継げる電車があったのだけど、最初から定刻ピッタリに着くなどとは思っておらず、乗り継げなかったのは想定内。その次の電車は約1時間後だったので、予めリサーチしておいたお店で食事をしながら時間をつぶしています。

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筑波山 [茨城]

2016/12/18(日)

■第340回 : 筑波山(女体山(877m)・男体山(871m)


この日は、単独行では10年ぶりとなる筑波山に行ってきました。一般的には、中腹にある筑波山神社やつつじヶ丘までバスやマイカーでアクセスして、そこから上の登山道を歩くことになる山なのですが、今回はその裾野とすら言えないような完全な平野部を起終点として、ほぼ筑波山の標高分をまるまる登り下りしています。

なお登頂後は裏登山道で北麓に下りましたが、かつて筑波山の北側を走っていた路線バスは全て廃止されてしまい、つい先日までならば帰りの足が何も無くて途方に暮れたところです。しかし、この10月から桜川市が真壁と筑波山口を結ぶ路線バスの実証実験運行を開始していて、それを利用することでこの計画が可能となりました。

 累積標高差(登り):1049m / 距離:17.8km / 歩行時間:5時間15分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:6時間10分 

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:42-06:11 代々木上原
代々木上原 06:16-06:50 北千住 06:57-07:39 つくば
つくばセンター 07:50-08:35 北条仲町

(登山行程)
北条仲町バス停 08:40
普門寺     08:55-09:00
石鳥居     09:25-09:30
筑波山神社   09:45-09:50
弁慶茶屋跡   10:55-11:05
女体山     11:35-11:40
男体山     12:05-12:10
ユースホステル跡   12:40
筑波高原キャンプ場  13:00
登山口(裏登山道)  13:30
桜川市役所真壁庁舎  14:30

(復路)
桜川市役所真壁庁舎 15:10-15:38 筑波山口 15:50-16:36 つくばセンター
つくば 16:55-17:40 秋葉原 17:47-17:49 御茶ノ水
御茶ノ水 17:49-18:00 新宿 18:01-18:43 相模大野
相模大野 18:50-19:01 大沼


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

つくばエクスプレスを終点まで乗り、地下駅のつくば駅で下車したら、地上に出てバスセンター(つくばセンター)でつくば市のコミュニティバス “つくバス” の「小田シャトル」に乗り継ぎます。
帰りも “つくバス” の別路線に乗るので、車内で1日乗車券を購入したら、なんと発行番号がちょうど10000!


2年前に登った宝篋山を車窓に見ながら揺られること45分、北条仲町で下車します。こちらは進行方向の風景。
振り返ると、すぐ近くに見える交差点が「つくば道」の起点で、左折方向を大きな石の道標が示していました。
交差点から「つくば道」に入ります。左側に立つ石標には「これよりつくば道」と彫られていて、江戸時代からのものだとか(上の写真でも、左端に小さく写っています)。奥のほうで遠くに見えているのが筑波山です。
古くから筑波山神社の表参道として歩かれていた道は、現在は「日本の道百選」に選定され親しまれています。


はじめのうちは、なんてことのない舗装道路でした。「つくば道」起点付近の標高は約15mなので、これから筑波山の標高分をほぼ丸々自分の足で登ることになります。
田井郵便局の手前で北側の景色が開けると、雪化粧した日光方面の山々を見られました。いい天気だったのに、このあと筑波山の頂上にいる間だけ曇ってしまったので、結果的にこれがこの日唯一の遠望となっています。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
歩き始めて15分ほど、右手に現れた普門寺に、トイレの利用がてら寄ってみます。
普門寺は鎌倉時代の開山と伝えられる古刹で、火災により焼失した本堂が2年前に再建されたばかりでした。


神郡の集落に入ると、古い土蔵造りの家々があちこちに残っていました(いい写真が撮れなかったのですが)。
すでに3kmほど歩いているにもかかわらず、ここまで平坦な道に終始して全く高度を稼いでいないので、行く手には筑波山がどんどん大きく立ちはだかって見えるようになります。
また、縮小写真では分からなくなりましたが、中腹では筑波山神社の朱塗りの大鳥居が良く目立っていました。
神郡集落を抜けて建物がなくなると、のどかな田園風景の先に、大きく裾野を広げる筑波山の全容が見られるように。離れた場所から長い距離を歩いているからこその眺めで、このあと筑波山が少しずつ近付いてくる様子を実感しながら歩けたのは、登山のプロローグとしてなかなか秀逸なコースだったのではと思っています。
ところで、現地ではあまり気にしていなかったのですが、写真になったものを改めて見てみると電線が大いに邪魔だったので、左右どちらかの脇道に入った所から撮るのが正解だったのでしょう。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ようやく登り坂が始まると、間もなく「一の鳥居」の下をくぐります。でもその前に、右手の小さな公園で、ベンチに腰掛けて小休止していきました。厳しかった朝の冷え込みから一転、この頃になると気温がグンと上がり、登り坂で汗ばんできたので、今シーズン初めて着用した冬用のジャケットは、ここで不要になっています。


「一の鳥居」を過ぎると、次第に傾斜がきつくなります。それもそのはず、古い案内書では、このあたりから先に「石段が随所に現れる」などと書かれているのです。きっと、沿道の住民が車で通れるようにと舗装されたのでしょうが、道形は石段の頃と全く同じなので、そりゃ急になるわけです。そんな訳で、実際に車の往来が結構あって、必ずしものんびりと歩いてばかりはいられず、やや情緒に欠ける道となっていたのは少々残念でした。
それでも最後のほうには、少しだけ石段が残されていました。ここまで来れば、もう筑波山神社はすぐ先です。
石段の区間では、旧筑波山郵便局の前を通過していきます。昭和初期の洋風建造物で、中を覗いてみると、奥の部屋は畳が敷かれた和室になっていました。今でも、イベント時には内部が公開されたりするらしい。
2車線の道路を横断して、さらに石段を上がり、土産物店が並ぶ一角に出ると、前方に筑波山神社が見えてきます。ここまでは、自分以外のハイカーの姿を一切見ることなく歩いて来ましたが、ここでバスやマイカーなどでやって来た人達と合流して、一気に観光地っぽい雰囲気に変わりました。鳥居の上は女体山の山頂です。
筑波山を御神体とした筑波山神社は、ここから上の筑波山南面全体が境内です。男体山・女体山それぞれの頂上に本殿があり、ここにあるのは拝殿。年2回の大祓の時期にあたり、拝殿前には茅の輪が設けられていました。


筑波山神社からは、まだ歩いたことのなかった白雲橋コースで女体山を目指します。神社の東側から一旦一般道路に出て、少し進んだところにある登山道の入口にも、鳥居が立っていました。
白雲橋コースは、階段状になっている区間が多くの割合を占めていた印象です。
しばらくの間は常緑樹が主体の森を進みます。この時期の山歩きは、冬枯れの寒々とした景色に囲まれることが多いのですが、このコースはかなり上まで緑の中を歩くことができました。
筑波山神社から15分ほどで、つつじヶ丘へ向かう迎場コースを右に分けます。


すると、その後は次第に斜面の勾配がきつくなって、登山道にも急な登りが多くなりました。
標高が上がるとともに、岩の露出が目立ってきて、岩塊の間をすり抜けるような箇所も増えていきます。
弁慶茶屋跡の広場まで来れば、あとはもうひと頑張り。たくさんあったベンチに腰掛けて、少し息を整えていきます。ここで、つつじヶ丘からの登山道を合わせたことで、ここから先は登山者の数がさらに多くなりました。


弁慶茶屋跡から先は、奇岩怪石が次々と現れて目を楽しませてくれます。その先陣を切るのが“弁慶七戻り”。
何かの拍子で落ちてきそうな大岩の下をくぐり抜けるこの場所、かの弁慶も行きつ戻りつ7回も迷ったとか。
こちらは“母ノ胎内めぐり”。この後も“出船入船”や“北斗岩”など、曰くありげな巨岩の出現が続きます。
奇岩怪石エリアを抜けると一旦傾斜が緩みます。落葉した木々の間に、目指している頂上が間近に迫っているのが見えて励まされた一方で、せっかく天気が良かったはずなのに、ここにきて曇ってしまったのが残念でした。
頂上直下は急な岩場の通過が多くなって、行き違いによる渋滞もしばしば発生していました。


女体山の頂上に到着しました。ここには筑波山神社の女体山本殿が鎮座しています。
筑波山は女体山と男体山からなる双耳峰で、最高点の女体山頂に、日本百名山の標柱が立っていました。
三角点も女体山頂に設置されています。
すぐ下にロープウェイの駅があるため、ここには登山者だけでなく観光客も次々とやって来ます。
しかし露岩が折り重なる女体山の頂上部は、ただでさえ狭い上に、安定した体勢で立てる場所がそう多くはなく、限られたスペースに人が入れ替わり立ち替わりするので常にラッシュ状態でした。
このあたりが最高点だったでしょうか。
基本的には良く晴れた1日だったのですが、頂上にいる間だけは雲がかかって、あまりスッキリとした展望は楽しめませんでした。こちらは南東側の眺めで、一番奥の稜線の右端が2014年に登った宝篋山、その左上では霞ヶ浦の水面が光っています。左下隅は、駐車場とロープウェイの乗り場があるつつじヶ丘。
西側には、双耳峰のもう一方・男体山が間近に見えていました。もちろん、これからそちらにも向かいます。


女体山からは一旦下って、男体山との鞍部に当たる御幸ヶ原へ。ここにはケーブルカーの駅があり、いくつかの土産物店が軒を連ねていて、その上が次に向かっている男体山です。
御幸ヶ原から男体山への登りは、ほとんどが階段状の山道で、ちょっとした岩場が上のほうにだけ現れました。
間もなく男体山に登頂です。こちらも狭い頂上の大半を神社が占めていて、人が立てる場所は限られています。
鎮座していたのは、言うまでもなく筑波山神社の男体山本殿です。
男体山からの展望は、元々女体山ほどではないのですが、曇っていたことでさらに残念な感じでした。


双耳峰をともに極めたら、御幸ヶ原に戻ります。先程とは進行方向が逆なので、正面に見えているのは女体山。
御幸ヶ原からは、曇り空の下に、北側の近い範囲は割ときれいに眺められました。2011年にロングルートを縦走した、足尾山~加波山~雨引山と続く稜線や、昨年の初歩きで登った吾国山などを見渡せています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


今回が3回目の筑波山は、これまで南側の登山道しか歩いていなかったので、今回初めて北に下ることに。御幸ヶ原からユースホステル跡へ向かう登山道の入口は、土産物店が並ぶ一角の外れでひっそりとしていました。
登山道は、土産物店街の裏から始まります。ロープウェイやケーブルカー利用の観光客も多く訪れる南側が賑わっているのとは対照的に、北側に下るとアクセスが極めて不便になってしまうため、一気に静かになりました。
ユースホステル跡への道が山道だったのは、最初のほんの数分だけでした。その後はずっと車道を下るようになってしまい、しかも路面が荒れていたりして、あまり気持ち良くは歩けません。これなら、女体山から筑波高原キャンプ場に直接下る登山道を選ぶほうが正解だったのかもしれません。御幸ヶ原から女体山に登り返すのを嫌って、こちらのルートに決めたのでしたが、リサーチ不足で選択を誤ったようです。
ユースホステル跡に建物は全く見られず、ただ駐車場があるだけでした。


ユースホステル跡から先が舗装道路に変わることは、予め分かっていて折り込み済みでした。
舗装道路をそのまま進めば真壁または酒寄方面に早く下れますが、それでは味気ないので、さらに裏登山道を歩こうと、途中の三叉路から筑波高原キャンプ場へ向かう道に入ります。この先は緩い登り坂に変わりました。
筑波高原キャンプ場を通過します。
その後も緩い登り坂は続き、勾配がようやく下りに変わったら、その先に裏登山道への分岐が現れました。
裏登山道に入ると、「関東ふれあいの道」だけに、歩く人が少ないであろう割には、道はしっかりとしていました。ただ、荒れている箇所や、登山道上に水が出ている箇所などがあり、そこに凍結も絡んだりして、必ずしも歩きやすくはありません。「関東ふれあいの道」らしく木段が多かったのも、少々煩わしく感じました。
下のほうでは小さな沢沿いに下るようになります。こんな時期だから、特別な印象は持ちませんでしたが、もう少し暖かくて緑も豊かな時期ならば、清々しい雰囲気の中を涼しげに歩けたりするのではないでしょうか。


裏登山道の登山口に下ったところで、車道に迎えられました。すでにかなりの距離を歩いていますが、バスに乗る予定の真壁庁舎はここから4km以上も離れていて、まだまだ先が長いです。
朝に歩いた「つくば道」と違って、ほとんど見所のない退屈な車道歩きが続きます。実は真壁庁舎まで向かわずに、真壁小学校か桃山中学校にあるバス停を目指せば歩く距離を少し抑えられそうなのですが、10月に運行開始してまだ間もない路線のこと、実証実験運行という位置づけもあって情報に乏しく、途中のバス停の正確な位置が不明だったので、バス停が探せずに迷うのを避けて、始点の真壁庁舎から乗ることにしていたのでした。
山の中を抜けると、沿道には次第に民家などが点在するようになってきます。
元々緩やかだった下り勾配がなくなり、道がほぼ平坦になると、景色が開けて真壁の街並みが見えてきました。
さらに右手側には、2011年に縦走した、きのこ山~足尾山~加波山と続く稜線もスッキリと見えています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして振り返ると、先程まで登っていた筑波山が、もう遠くに霞む眺めになっていました。それにしても、頂上にいる間は曇っていたのに、今頃はまた晴れているらしいなんて。
さらに歩き続けて、真壁の市街地が目前に迫ったあたりで、車道を自転車・歩行者専用道路が横切ります。
それは1987年に廃止された筑波鉄道(土浦~筑波~真壁~岩瀬、全長40.1km)の線路跡で、ほぼ全線がサイクリングコース(愛称:つくばりんりんロード)として整備されたものでした。もしも真壁駅跡が進行方向にあれば寄って行きたいところでしたが、真壁庁舎とは正反対の方向になるので、残念ながら今回は割愛しています。


桜川市役所真壁庁舎に到着、18km近い距離を歩いたのは久しぶりでした。
バス停は、事前に得ていた情報通り、庁舎のすぐ前に立っていて、難なく見つかりました。
次のバスが40分後で時間には余裕があるので、途中でコンビニに寄って遅めのお昼を調達していましたが、食べる場所については完全なノープランでここまで来てしまっていました。さて、どこで時間を過ごしましょうか。
ここで、ふと庁舎の中を見ると、意外なことに照明が灯されていたので、ダメ元で入口の前に立ってみたら、なんと自動ドアが開くではありませんか。
入ってすぐのロビーにはお誂え向きにテーブルと椅子が並べられていて、落ち着いて食事ができましたし、トイレも自由に利用でき、ほかに人がいないため着替えなんかも思うままだったりして、これはラッキーでした。
少し離れた窓口に職員らしき方の姿が見られたので、この時は休日窓口の対応だと考えていたのですが、しかし帰宅後に桜川市のウェブを確認しても、真壁庁舎が休日窓口を開設しているという情報が見当たりません。
だから普段の休日も同様に開いているのか、たまたまこの日に何らかの業務の都合で開いていただけなのか、また、開いていたのは事実としても私のような者が入って良かったのか、など、詳細は不明のままです。
確かなことは、私がいた40分間、私以外に人の出入りが全くなかったことと、私がロビーに滞在したりトイレとの間を行き来したりしても、特に誰何されることもなかったということでした。窓口にいた方は、物音から私の存在には気付いていた様子でしたので、私の行動は一応は許容されていたものと今も考えているのですが‥‥。


バスは発車時刻の5分ほど前に、庁舎前にやって来ました(正確には、少し前に折り返し前の便として一度ここに到着し、数人の乗客を降ろしてから走り去るのを見ていたので、その後は駐車場で待機していたようです)。
ここから乗ったのは私を合わせて2人だけでしたが、このあと途中のバス停でもさらに数人を拾っています。
桜川市のバスはこの筑波山口が終点で、ここからつくば市のコミュニティバス “つくバス” の「北部シャトル」に乗り継いで、つくばセンター(つくば駅)に向かいます。そちらは、最後には立ち客が出るほどの盛況でした。
つくば駅の改札近くには筑波の名産品を取り揃えた「つくばの良い品」というショップがあり、前回訪れた時は産総研・地質調査総合センター監修の「化石チョコレート」を購入したのですが、今回は筑波山名産の福来みかんを使った「つくば福来まんじゅう」を購入。とても美味しかったですし、配った先での評判も上々でした。

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花貫渓谷・土岳 [茨城]

2015/11/22(日)

■第314回 : 花貫渓谷・土岳(599m)


そういえば今年は、まだ紅葉らしい紅葉を見ていませんでした。
この日に紅葉狩りができそうな行先をと考えたとき、関東地方の大半が曇りと出ていた天気予報の中で、北関東だけは日差しが期待できそうだったので、茨城県の北部にある花貫渓谷まで遠出をしてきました。

もちろんそれだけが目的ではなく、その足で近くにある3つの山々を巡って、紅葉狩りと山歩きの両方をしっかり堪能する、という計画です。ところが2つめに登ろうとした山でハプニングが発生。登山道がとても歩ける状況ではないために、登るのを途中で断念せざるを得ず、その先の計画も破棄することになってしまいます。
結果的に、低山1つを軽く登り下りしただけで終わって、やや消化不良気味の山歩きとなってしまいました。

 累積標高差(登り):469m / 距離:8.8km / 歩行時間:2時間40分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:15-05:49 東神奈川 05:50-06:15 品川
品川 06:44-08:44 高萩 09:00-09:20 花貫駐車場

(登山行程)
花貫駐車場  09:20
小滝沢登山口 09:55
土岳     10:40-10:50
中戸川登山口 11:20
花貫駐車場  12:10

(復路)
花貫駐車場 12:30-12:50 高萩 13:01-13:42 勝田
勝田 13:47-15:23 品川 15:27-15:50 東神奈川
東神奈川 15:51-16:24 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR常磐線の朝1番の特急に乗って、高萩駅まで来ました。茨城県内の山行では、今回が最北地点となります。
花貫渓谷への路線バスはありません(平日運行の路線はあるものの、通勤通学ダイヤで観光利用には適さず)。
ただし先週・今週の土日祝(計5日間)に限って、シャトルバスの運行があるので、それを利用しました。
9時発の便は乗客が6名だけとガラガラで、なんだか寂れた観光地にでも行くような雰囲気。でも乗客が少なかったのは時間がまだ早かったからで、混み始める前に来ておいて良かったと、のちに実感することになります。
花貫駐車場までは渋滞もなくスムーズに走れて、ダイヤ通りに到着しました。
駐車場はすでに満車になっていますが、駐車場への脇道に入ってから空車待ちの列が少しできていた程度です。
ところが帰る頃になると、国道にはみ出した空車待ちの列が国道上を延々と塞いで大渋滞を引き起こし、シャトルバスも身動きが取れない状況になっていたので、早起きして朝1番の特急で来たのは大正解だったのでした。
駐車場には多数の露店も出ていて、早くも散策を終えたらしい人たちなどで結構賑わっていました。


花貫駐車場の奥で不動滝への案内を発見、見ると「この先30m」となっています。事前の調査不足で全くの予定外だったのですが、すぐに帰って来られそうな距離なので、寄ってみることにしました。
すぐに花貫川の川辺に下りると、道が分岐していました。どうやら不動滝と乙女滝の2つがあるようです。
まず先に乙女滝へ。落差はせいぜい数メートルと小さくて、割と平凡な印象でした。
不動滝は少し離れて見る形となり、落差が小さい上に斜めに滑り下りる感じで今ひとつ迫力不足。紅葉とセットで見られるという訳でもなく、物足りない印象にとどまったので、写真だけ撮ったらまた駐車場に戻りました。


寄り道を終えたら、案内図で「紅葉並木」と書かれているエリアに向けて、車道を歩き始めます。
吊り橋がある分岐点まで来ました。ここから先の遊歩道は周回できるようになっていて、観光客はぐるっと1周するのが普通なのでしょうが、私は途中から山に入るため歩くのは片道だけで、こちらの道には入りません。
ということで、吊り橋だけ途中まで渡ってみましたが、橋の左右からせり出す紅葉で錦の彩りに染まるのを期待していたところ、この通り落葉が進んでいて、なんともパッとしない見栄えでした。今年は紅葉の進行が早いと聞いていましたが、ここでもとっくに見頃は過ぎてしまっていたようです。
橋から上流側を見ると小さな滝がありました。橋の名前が「汐見滝吊り橋」なので、これが汐見滝なのでしょう。小振りで印象は今ひとつですが、紅葉がもっと鮮やかであれば、もう少しサマになったのかもしれません。


吊り橋と分かれて、車道をさらに進みます。左手に寄り添う花貫川は、吊り橋より上流でもやはり紅葉は見頃を過ぎていましたが、川辺の佇まいがとても綺麗で、紅葉の具合とは関係なく景色を楽しむことができました。
それでも奥のほうには、まだまだ紅葉が楽しめる場所が残っていました。
落葉が進んでいた右岸と、まだ彩りの残る左岸とが対照的です。日照の違いによるものでしょうか。
このあたりから先では、しばらくこんな景色が続きました。
道路上に積もった落ち葉の様子からしても、最盛期と比べれは紅葉の密度はかなり落ちていたのでしょうが、この時間は日差しがなかったので、このくらいの淡い色合いがちょうど程よい感じだったのかもしれません。
このモミジが一番鮮やかだったでしょうか。


渓谷遊歩道の一番奥に、土岳への登山口がありました。
頂上までの標高差は400m足らずですが、登り始めるとすぐ、階段状の道が続く区間が現れます。段差が大きな箇所もたびたびで、早々に息が上がってしまい、低い山だからと油断はできないのでした。それにしても、渓谷から離れた途端、時折晴れ間が現れるようになるとは。渓谷にいる間に、紅葉を日差しの下で見たかった‥‥。
階段状の道が終わっても、その先には岩が露出した斜面が続いていました。急斜面というほどではないけれど、こうなると直線状に登るしかなくて、引き続きグングンと高度を上げていく苦しい道のりです。
時々手を添えれば登れる程度の岩場で、下りでも問題はなさそうですが、頂上手前までずっとこんな道でした。


途中に現れた「大黒岩」。名前の由来とかは分かりませんでしたが‥‥。
苦しい登りが続きますが、中には紅葉が楽しめる箇所もありました。
岩の斜面をようやく登り切ると、降り積もった落ち葉を踏みしめながら歩ける、気持ちの良い道になりました。
そして、穏やかな尾根道を歩くようになると、頂上はもう間近。
さすがに標高を上げると木立の落葉が進んで、木漏れ日が注ぐ明るい冬枯れの道に変わりました。


土岳の頂上に到着しました。頂上部は、ほぼ平坦な地形がかなりの面積で広がっていて、周囲の樹木も東側を除けば疎らで見通しが良く、とても開放的な雰囲気です。
ゆったりとした雰囲気の頂上で、このとき居合わせたのはほんの数人だけ。たくさんあった休憩用のベンチも多くは人待ち顔で、のんびりとした気分で落ち着いて過ごせました。また、時折吹く風は少し冷たかったですが、頂上にいる間は薄日が差していて、何も羽織らなくても寒くなかったです。
三角点は、きっちり最高点と思われる場所に埋まっていました。
立派な展望図も設置されていました。この展望図の広角ぶりから察するに、晴れ渡った日に展望台の上に立てば、きっと大パノラマが楽しめるのでしょう(展望図には日光連山や富士山の名前も)。
とはいえ薄曇りが続いたこの日、展望台に登ったところで、見渡せるのは近い範囲にとどまっていましたし、滅多に来ないエリアなので、どの方向を見てもほとんど馴染みのない景色となります。でもそんな中で、南側に1年前に縦走したばかりの羽黒山・神峰山・高鈴山が見えていたのが、懐かしく感じられました。
  ※下の写真にマウスを乗せると、山名を示します。
こちらは、西側を中心とした180度近い展望の様子です。茨城県の北部は低い山々が高原状に連なっているのですが、さらに遠くにある山々が見えていなかったことで、そのことが良く分かる眺めになっていました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


土岳の頂上を後にして、なだらかに広がる頂上部を振り返りました。
下りは、カミナリ用の避難棟の前から、道標に従って中戸川登山口に向かいます。
花貫渓谷からの登りでは、多くの人たちとすれ違っていたのに、こちらの道に入った途端に誰とも会わなくなって、このあとはもう花貫駐車場に戻るまで、ほかの登山者を見ることはありませんでした。
すぐ下にあるキャンプ場までは、良く整備された道です。木段の連続で、下るのは煩わしかったのですが。


けやき平キャンプ場に出ました。ここには車で来ることもでき、その場合は10分少々で頂上に立てることになりますが、そんな短い時間では(しかもあの木段を登るだけでは)、登山の楽しみを感じる間もないでしょうね。
かなり広いテントサイトがあり、この日は分かりませんでしたが、太平洋を望むことができるようです。
中戸川登山口への下り口は、キャンプ場の端にありました。


登山道ははじめ細くて心許なく、誰にも会わなくなっていることもあって若干不安も覚える歩き出しです。
その後、道は明瞭になり、間違いやすそうな箇所では道標による案内もあって、問題なく足を進めることができました。ただ、かなり深い森の中を、ほかに誰もいないだろうと確信しつつ歩くのは、少々心細かったです。
急な登りが連続した花貫渓谷からの道と対照的に、こちらは緩やかな傾斜ばかりが続きます。
平坦に近くて、そこが坂道であることを意識せずに歩けるような区間も多く、ウネウネと曲がりながら進むうちに方向感覚を失ってしまったこともあり、森の中を「逍遙する」という表現がピッタリくる感じでした。
 (もっとも杉の植林が大半で、森自体が持つ雰囲気はそこまで気持ちの良いものではありませんでしたが)
快適に歩けるので飛ばしていたら、20分ほどで中戸川登山口に着いてしまいました。
車道に下りた地点から、歩いてきた道を振り返っています。


中戸川集落ののどかな景色を見ながら、しばらく車道を進みます。
縮小写真では分かりにくいですが、民家の庭先で何本もの柿の木がたわわに実を付けているさまが見事でした。
とはいえ小さな集落のこと、すぐにそこを抜けてしまうと、沿道に何もない道が続くのが、少々退屈でした。
花貫駐車場のほど近くまで戻ってきて、国道に出た時に飛び込んできた景色には、少し驚かされました。
駐車場への脇道から延びてきた空車待ちの車列が国道上まで続き、かなり先まで片側車線を完全に占拠している状況。花貫渓谷がお目当ての車はともかく、別の目的地へ行くのに巻き込まれただけの車には大迷惑でしょう。
  ※分かりにくいので、下の写真にマウスを乗せると、渋滞部分を明示します。
でもこの時点では、冒頭に書いた通り、このあとさらに2つの山々を巡る計画でした。そしてその後は、全然違う方向の登山口に下る予定だったので、この渋滞は全くの他人事だと思っていたのです。


そう、実は1つ前の写真を撮った地点で右を向けば、目の前にこの登山口があるのでした。
ここから、まず都室山に登り、さらに稜線伝いに横根山を踏んだ後で、沢尻湿原を経て福平へと下る計画です。
ところがこの登山道、何故だかろくすっぽ歩かれていない様子なのでした。道には草が生え放題で、木の枝や石などの散乱も多くて歩きにくく、荒廃しかかっている、と言える状況です。
すぐに藪っぽくなり、トゲのある植物が多いために、草を掻き分けて進むのもひと苦労。しかも、少なくともこの日はまだ誰も歩いていないらしく、クモの巣にも引っかかりまくるので、非常に不快です。
倒木もそのままで、ここなどはザックを背負ったままでは通り抜けられませんでした。
進むうちに急速に藪が深まって、道の所在が分からないほどになるのに、そう時間はかかりませんでした。
まだ登り始めて数分しか経っていませんが、あまりの煩わしさでとっくに辟易していたこともあり、無理して道を探してまで進む気になど到底ならず、ほとんど躊躇うこともなく撤退を決めています。
実は最後に登る横根山は、イワウチワの群落が見所の花貫さくら公園からの登山道で滑落事故が多発したため、そのコースが通行禁止となっていて、それ故に、横根山からは反対側の福平に下る計画を立てて来たのです。
ただ、元々イワウチワの群落をお目当てに、その花期にそのコースを登る人しかいないような山だったから、そこが通れなくなった今、ほとんど登る人がいなくなったのかもしれません。横根山とセットで登られることが大半だった都室山にも、同様に人が入らなくなって、それで登山道が荒れてしまったものと想像しています。


それはさておき、登山口まで逃げるように戻りながら、この先どうするかを考えました。
この日最初に歩いた花貫川沿いの遊歩道は、ここから下流方向にも続いていて、花貫ダムの近くにある花貫さくら公園まで行くことができます。まだ歩き足りない気分をそれで満たそうかとも思いましたが、難点はその場合に帰りの足がなくて、路線バスが通る所まで延々と国道を歩かなければならなくなることでした。
結局、ダダ下がりのテンションでは頑張る気もあまり起こらず、あとは大人しく帰ろうと決めてしまいます。

そう、花貫駐車場ならばもう目と鼻の先にあって、国道を少し歩いたらここを左に曲がるだけ。あとはバスに乗りさえすれば駅まで連れて行ってもらえるので、予定変更であれこれと調整し直す手間もかかりません。
それにしても、この渋滞、一体どこまで続いているんでしょうか?
スタート地点の花貫駐車場まで戻ってきました。時間は12:10です。
次のバスは12:35発で、まだ25分も余裕があります。だから露店で何か買って食べる時間くらいあるだろうと思っていたら、乗り場に予想外の結構長い列ができていたので、買い物をやめてそこに加わりました。
聞けば渋滞でバスが全然進まず、2本も前の11:30発がまだ来ていないとか。それで2台分のバスを待つ人が溜まり、しかもそれがいつ来るか分からないと言われ、なんと渋滞の影響が自分にも及ぶことになったのです。
結局11:30発のバスは、約1時間遅れてやっと到着。でも元々12:35発に乗るつもりだったのを思えば、むしろ5分早く発車するのに乗れて、その点は結果オーライでした。(この状況に気付かず、先に露店に行ってしまって、発車時刻寸前に乗り場に戻る気でいたら危なかったけれど)

バスが国道に出ると、駅へ向かう側の車線はスイスイと進むので、あとは涼しい顔で乗っていられたのですが、反対車線には渋滞が延々と続きます。どこまで延びているのかと車窓から見ていたら、花貫ダムを過ぎてもまだまだ続き、市街地に出るまでの半分ほどのあたりに最後尾があって、その長さは2km以上になっていた模様。
渋滞区間に入ってしまったらほぼ1本道で、ほかに逃げようがないのも致命的です。私はほとんど不利益を被らずにすみましたが、花貫渓谷には何の用もなくて、ただ巻き込まれただけの車はたまらなかったことでしょう。

wiki情報等によれば、もう何年も同じことが繰り返されている模様。それに対して、今回私が利用したシャトルバスは、2012年頃に運行が始まったらしく、地元としてできるところから手を打ち始めている様子は窺えます。
年に数日のことでしかないので、あまり思い切ったことはできないのかもしれませんが、観光客をもっと積極的にシャトルバスに誘導するなど、渋滞緩和に向けたさらなる対策が講じられることを望みたいと思います。

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