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小山田緑地・小野路(後編) [東京・神奈川(平野部)]

2020/12/18(金)

■第434回 : 小山田緑地・小野路 (後編)


前編 では、小山田緑地の2つの分園を回った後で、小野路エリアの散策コースに入り、「奈良ばい谷戸」の中を登って浅間神社に着く手前までをお伝えしていました。ここからはその続きになります。

浅間神社に着きました。歩いてきた道は神社の裏手を通り抜けていたので、見えてきたのは社殿の側面です。
浅間神社の境内に上がりました。境内にさほどの広さはなく、見えている社殿はまだ上の写真と同じ側です。
なぜか社殿の正面側には撮影の際に十分な距離を取れるスペースがなく、斜め前方から写すのがやっとでした。
境内の反対側には別の入口があって、坂道が2体の狛犬の間に上がってきていました。
その坂道を下っていった先に、鳥居が立っているのが見えたので、本来の参道はそちらなのでしょうね。
境内の裏手側では少し展望が開けていて、丹沢の主脈の上に富士山が顔を出していました。なんといっても「浅間神社」ですから、やはり富士山を遥拝できないとですね。
浅間神社からの展望は、表尾根から主脈へ連なる丹沢の主稜線に富士山が加わって、なかなかの贅沢さでした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
見られたのはほんの頂上部だけですが、富士山をアップにしてみました。左側のピークは丹沢最高峰の蛭ヶ岳。


浅間神社を後にしたら、手前の分岐を左に入ります(来た時は右の道を上がってきました)。ガイドマップを見ていれば左に入ることが分かるとはいえ、道標は右の道しか示していないので、ここは道案内が不親切でした。
T字路に突き当たったら左折。突き当たった道は、少し前に「奈良ばい谷戸」を登ってきた道の続きです。
そこからは谷戸の反対側へ下ることになって、道も下り坂が続きました。


「小野路宿通り」に出ました。小野路宿は古代より鎌倉街道・大山道・布田道など重要な古道が交差する要衝にあって、幕末まで宿場として栄えていたらしく、当時の宿通りがそのまま現在の車道になっているとか。
とはいえ街並みはすっかり現代的な景色に変わっていて、古そうな蔵も時代を感じさせない綺麗な外観でした。
小野路宿里山交流館の前に来ました。かつての旅籠の建物を改修し、観光交流の拠点として整備した施設です。
長屋門をくぐって、小野路宿里山交流館の敷地内の様子を少しだけ見ていきます。
館内では、この地域の歴史などを紹介する展示を見られるほか、ちょうどお昼だけ提供されている小野路うどんをオーダー可能な時間帯だったので少しそそられましたが、今般の時勢を鑑みて入館は差し控えることに。
ということで、ここでは建物の外観と庭の様子を眺めただけでした。


続いて、小野路宿里山交流館のお隣にある小野神社にも寄っていきます。
社は石段を上がったところにありました。
小さな神社でしたが、調べてみると起源は天禄年間(972年頃)まで遡るらしい。
軽くお参りした後は、側面にあった別の階段から下りてきて、社殿を振り返りました。


前編でも触れた通り、小野路界隈は小野路宿里山交流館のサイトにある「周辺散策ガイドマップ」の順路通りに歩いています。小野神社から車道を歩いていると公衆トイレがあったので、有難く利用させて頂きました。
公衆トイレの先を鋭角に折り返すと、ほどなくお地蔵様や石碑などが集まっている場所に出ます。
ここはガイドマップで「六地蔵」とされていますが、実際には七体のお地蔵様が立っていました。どれも同じくらい古いもののように見えたので、きっと昔からこうだったのでしょう。


その後は、「奈良ばい谷戸」のほうに戻る具合に、登り返しが始まります。
途中には萩生田牧場があって、牛舎では黒毛和牛が飼われていました。町田市では唯一の肉牛農家らしい。
でも道の両脇の大半は畑です。結構登ったので、畑の周囲に林が広がる、自然豊かな景色に変わってきました。
さらに登ると、いくつものベンチが置かれた、ちょっとした広場に出ました。「見晴らし広場」のようです。
そこでは左手の横浜方向が開けていて、ランドマークタワーなどが見えていました。
といっても、写真にしたら上の写真の中央部を拡大してようやくそれと分かる程度の見え方なので、ガイドマップに書かれた「ランドマークタワーが見える」を読んでいて見つけようとしなければ、見逃していたかも。


その先でガイドマップの順路は遠回りな経路をたどりますが、このあたりでは「図師小野路歴史環境保全地域」として通行できる散策路が定められているため、ガイドマップの通りに、木立の中を細い道で抜けたり‥‥。
畑の中を抜けたりして進みます。地形図を見ながら歩いていたので、ショートカットできる箇所がいくつもあることが丸わかりだったものの、指定外の枝道に入るのは慎みました。
この分岐点を左に折れたら、次に向かうのは小野路城跡です。
すると、このあたりで一番自然豊かで山深いエリアに入って、散策路にも山道のような趣が出てきました。
小野路城跡手前の分岐点に出たら、城跡は奥の高みの上です。順路は右折となっているところ、左に進むと‥‥
すぐに、小野路城の水源として使われていたらしい「小町井戸」があります。
名前こそ「井戸」ですが、実態は斜面からの湧水であって、地中から汲み上げるものではありません。それにしても、この一帯で一番高い城跡からわずかに下がっただけの斜面で、良くもまぁこんなに水が湧くものです。
続いて一番高い所を目指して登っていくと、鳥居と祠が見えてきました。
小野路城跡とされている地点に到着しました。祠の後方には平坦地が広がっています。
小野路城は、平安時代末期にこの地を支配していた小山田氏が、本城である小山田城の出城として築いたものだとか。本城ですら簡素な平屋建てだった時代だけに、出城ともなればもはや砦のようなものに過ぎなかったのではとの推測もあって、確かにここには大きな建築物があったと考えられるほどの広さはありませんでした。


散策路に戻ったら、あたかも山道のような雰囲気の道がもう少し続きます。
道が下り坂に変わると、赤土の滑りやすそうな路面も少なくなく、ここは好天の日を選んで来るのが良さそう。
竹林の中を抜けて行くと、この山道も出口は間もなくです。
最後は階段で「奈良ばい谷戸」の入口に下ります。畑地の向こうに見えているのは2時間ほど前に登った道なので、ぐるっとひと回りして戻ってきた形になりました。


道路を横断したら、再び小山田緑地の本園に入ります。
こちらは見覚えのある「調整池」です。先程は池の対岸の園路を歩いていたので、今回は木道を選びました。
「調整池」の先にも、もう少し木道は続きます。
次に現れた「下池」も、そこそこの大きさがある池でした。
この時間になっても「下池」の水面にはうっすらと氷が残っていたので、消えないまままた夜を迎えるのかな。
「下池」の全体像はこんな具合でした。そして、この位置でそのまま振り返ると‥‥。
すぐ隣にあるのが「上池」で、こちらはやや小さめな池でした。
そして「上池」の先には、さらに小ぶりな「溜池」があって、合わせて4つの池が並んでいたことになります。


「上池」と「溜池」の間を通る道に入ると、そこからは登り坂に変わりました。
ここまでで歩いた距離は12kmほど。でもその距離以上の疲労感があるのは、平坦な道をのんびりと歩ける箇所が少なく、コースの大半が登ったり下ったりの繰り返しだったからで、そろそろ登りがきつくなってきました。
小野球場に出たところで一旦登り坂は収まって、そこからは球場の形に沿って外側をぐるっと回って進みます。
運動広場に出ました。かなり広いスペースなのに、この時は見渡す限り誰もいなくてガラーンとしていました。
運動広場の左前方に見えてきた高まりの上に、この日最後の見所となる「みはらし広場」があります。
この木段が、公園内では最後の登りになるので、疲れてきた足に活を入れながら登りました。


「みはらし広場」に着くと、そこは思いのほか開放的で清々しい心地になれる場所でした。
展望は後で紹介するとして、富士山や丹沢などの山々が連なる西側が大きく開けていて、もう言うことなし。
眺めもバッチリで実に気分爽快、スカッとした気分とはまさにこのことです。しかも、ちょうど正面に山々を見渡せる方向にベンチが置かれているので、座って寛いだままでその見事な展望を堪能できるのも最高でした。
それにしても残念だったのは、太陽が傾きかけて逆光に近くなってしまい、空自体も朝方ほどは澄み渡ってなくて、山々をあまりクリアに望めなかったことです。ここはコースを逆回りにして、朝のうちに真っ先に訪れるべき場所だったのでした。ここまでの展望だと思っていなかったとはいえ、これはもう計画ミス以外の何物でもありません。もしそうしていれば、もっと青い空をバックに綺麗な写真が撮れていたことでしょうに‥‥。


それでは、「みはらし広場」からの見事な展望をご覧ください。丹沢・道志・高尾・奥多摩といった広範囲の山々を広角に見渡せたので、まずはその全体像です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて山域ごとに見て頂きましょう。まずは一番左に見えていた、丹沢と富士山です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山をアップで。下の方に写っている建物は、JR相模原駅前のタワーマンションです。
丹沢の右隣には道志の山々や石老山などが並び、富士五湖エリアの三ツ峠山も頂上が辛うじて確認できました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに右を向くと、高尾・陣馬の山並みの後方に、大菩薩方面の稜線が重なって見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして一番右側には、奥多摩の山々が並んでいました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
この場所は国土交通省より「関東の富士見百景」に選定されていて、その石碑もありました。頂上部がちょっと顔を出している程度でも、選ばれたりするんですね。右側は小山田緑地のサービスセンターが設置した展望図。


展望を楽しんだら、広場を後にして木段を下ります。ここには改めて、もっと早い時間に再訪しなければ!
下り切った先は、民家と民家の間を抜けるような細い路地になって、なんだか肩身の狭い思いをしつつ車道へ。
路地からの出口には小山田緑地の案内があり、通っても大丈夫な道だったようですが、少々分かりにくいかも。
久しぶりに長い距離を歩いたからか、最後に鶴見川沿いから登り返す坂道では少し足が重たくなったりもしたけれど、充実した気分で山王林公園に戻ってきました。なにも山のほうまで遠出をしなくても、もっと近くでこれだけ歩き甲斐のある場所があると分かったのは、とても大きな収穫だったと思います。展望をもっと良い条件で撮り直したいという気持ちもありますし、この界隈にはまた近々訪れることにしましょう。


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