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醍醐山・西山 [甲府近郊]

2021/11/17(水)

■第448回 : 醍醐山(635m)・西山(487m)


この日は山梨県の南部へ。甲府から身延線を半分近く南下して、身延町の低山2座を巡ってきました。

今回訪れた醍醐山は、登山地図の収録範囲から外れていて、知名度はさほど高くなさそうですが、地元の方々にとても愛されている山のようです。「醍醐山を愛する会」のブログを見ると、一斉登山をはじめとするイベントが定期的に開催されるなど活動が盛んな様子が窺えますし、登山道も良く整備されていて(整備活動の様子もブログでしばしば紹介されています)、とても気持ち良く歩くことができました。

雑木に囲まれながらも明るくて居心地の良かった醍醐山の山頂。背中側にはあずまやが建っています。

 累積標高差(登り):581m / 距離:7.0km / 歩行時間:2時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:59-05:21 八王子 05:36-06:20 大月
大月 06:24-07:12 甲府 07:15-08:42 甲斐常葉

(登山行程)
甲斐常葉駅  08:50
鳩打峠    09:15
五老峰展望台 09:25
醍醐山見晴台 09:50
醍醐山(1)   09:55
展望台    10:00-10:05
醍醐山(2)   10:15-10:20
大子峠(1)   10:35
西山     10:50-10:55
大子峠(2)   11:00
下部温泉駅  11:35

(復路)
下部温泉 12:03-13:20 甲府 14:16-15:10 八王子
八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

身延線を甲斐常葉駅で下車します。山間部に入る頃には電車はガラガラで、この駅で降りたのも私だけでした。
駅前には、これから歩くコースの案内図が(上の写真でも右端に写っています)。足元の「2.7km」は山頂までの距離を示す標識で、この先100mごとという短い間隔で次々と現れて、現在地の目安になってくれました。
駅前からの道案内も万全で、3ヶ所あった曲がり角のすべてに道標が立っていました。
車道を進む距離はいくらもなく、5分も歩けば民家に突き当たって終わりになります。
その民家の裏手を回るようにして進むと、山道が始まりました。


すでに書いた通り、この距離標が100m進むごとに頻繁に現れるのが、とても良い励みになります。
序盤は、昔から良く歩かれていたに違いない、深くえぐられた道が続き、勾配が緩めで比較的楽に登れます。
1.5kmの距離標の手前あたりからは、ほぼ平坦か時折下ったりするようになって、どんどん距離が進みます。
1.4kmの距離標の先で、細くやせた尾根上(小規模なので築堤っぽい)を通過。ここも大変穏やかな登りです。
鳩打峠に着くとそこは分岐点になっていて、左に下れば下をくぐる道路のトンネル脇に出られるようです。


鳩打峠を過ぎると1.3kmの距離標が現れて、距離上はすでに山頂までの半分以上を進んだことに。ただ、ここまで緩やかで楽な道だっただけに、標高差はまだ3分の1も登れておらず、この先で登りがきつくなりそうです。
相変わらず道案内は丁寧で、ちょっとでも分岐っぽく見えるところにはきっちり道標が。
左側が開けた地点に出ました。ここは「五老峰展望台」とのことです。
そこには親切な展望図も。とても力を入れてこの登山道を整備していることが感じられます。
そしてほぼその展望図通りの眺めがありました。ただし展望図が「武山」としている左端の山は、ヤマレコで「桑木山」となっているからかネット上の記事も「桑木山」ばかりで、「武山」とする記事は見当たらない模様です(念のため調べた三角点の点名も「唐松山」でした)。地元での呼称かもしれませんが良く分かりません。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


さらに山頂が近くなると、いよいよ坂がきつくなってきました(0.7kmの距離標の少し手前から)。このあたりでは登山道もジグザグをほとんど描かず、直線的に登っていく具合なので、結構苦しい登りです。
急坂が一段落した先には、丸太のベンチがたくさん。ここでひと息入れられるようにとの配慮なのでしょう。
その後、動物除けのネットを2度続けて通過しますが、ともに壊れていて開閉できず、道の部分が全開でした。
初めて木段が現れると、それを登った先に0.2kmの距離標が立っていました。もう山頂も間近です。
そのすぐ先で、直進方向に次の木段が見えてくると、右に分かれる道に「見晴台から頂上方面」の案内が。
右に折れて進むと、伐採されたのか樹木が途切れた見通しの良い箇所があり、そこが「醍醐山見晴台」でした。
「醍醐山見晴台」にも展望図が設置されていました。
樹木の途切れた範囲がやや狭いので、実際には展望図全体の方向を一度には見渡せません。まずは見晴台の右寄りに立って、展望図の左側に書かれた範囲を眺めてみたのがこちら。展望図と見比べると、山の形や位置には違うところも多くて、展望図は結構アバウトだと感じましたし、千頭星山などは実はほとんど見えないようです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
続いて見晴台の左寄りから眺めた、展望図の右側に書かれた範囲です。右半分に写っている金峰山の方向は大いに霞んでいて、金峰山と茅ヶ岳を見極めるのがせいぜいでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


「醍醐山見晴台」の近くからも、先程の分岐点へ戻らずに直接山頂へ向かう道がありました。その道の先には、山頂に建つあずまやの屋根がもう見えています。
なので醍醐山の山頂には、ほんのひと登りで到着。こちらは見晴台のあたりからも見えていたあずまやです。
山頂一帯は、雑木に囲まれながらも日差しが明るく注がれて、居心地は上々でした(冒頭と同じ写真です)。
醍醐山の解説板と頂上標柱。標柱の左手前には三角点も。解説板には、かつて修験の山だったことや、戦国時代に武田氏が烽火台を置いたことなどが記され、中腹にある大子集落の成り立ちについても触れられていました。


山頂は全く展望がきかないので、「展望台」と案内された方向に進むと、そちらへの道にも距離標が。
でも展望台への道は、山頂までの道ほど明瞭でない上に目印のテープ類も少なく、さらに斜面を覆った落ち葉が道の所在をより分かりにくくする、この時期特有の困難も重なって、進路を慎重に見極める必要がありました。
しばらく下ると展望図があって、そこが展望台だったのですが、点在する樹木や草藪に見通しを阻まれ、しかもどの方角もネット越しにしか見られない、残念な場所でした。もっと大きく開けた場所を期待していたのに。
その展望図も、いかにも正確そうな見てくれをした割に、やはり実際の見た目とは違いが目立ちました。なぜ?
付近を少しウロウロした結果、展望図からやや離れたところに、割と広角に見渡せる場所があることを発見、ネットの網目の外側にカメラだけ出して、パノラマ撮影をしてみました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望図で左端に描かれている五老峰も、少し場所を変えれば見ることができました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
一方の右側は、いくら移動してもスッキリと見られるの七面山までで、それより右の青薙山や笊ヶ岳は、樹木と重なるようにしか見られないように思われました。展望図の設置時点よりも樹木が生長したからでしょうか。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


醍醐山の山頂に戻ってきました。
次に向かうのは西山。まずは「至 大子」の案内に従って、大子の集落跡を目指します。
下りしなは広い尾根で、道がやや不明瞭になるものの、多く見かける樹木名の標識も良い目印になりました。
ほどなく木段が現れるようになれば、次第に道がハッキリしてきます。
さらに下るにつれて、少しえぐれた箇所が続いたりする、安心して進める分かりやすい道になりました。
その後、何やら建物が見えるピークを左側から巻いて行くと、少し先でそのピークへの道が右に分かれます。
右を向けばすぐ上にその建物が。この通り距離も高低差もわずかなので、そこまで行ってみます。
建っていたのは、外観では何なのか見当が付かないような建物です。でも先程見てきた醍醐山の解説板に、大子集落に「山神社を祭った」と書かれていたので、その山神社だろうと見当は付いていました。
山神社だとすれば近代的なアルミサッシが少々不似合いにも思われましたが、それはともかく、サッシが動かせたので開いて中を覗いてみたところ、小詞が3つほど並んでいたことから、やはり山神社なのでしょう。


元の道に戻ると、すぐ先にはいくつもの石塔が立ち並ぶ一角が。正面側に回ってみたら、いずれも墓石でした。
「醍醐山 大子集落」と題され、集落の歴史などが書かれた解説板も立っています。集落はこのすぐ下らしい。
案内標識に大子峠と書かれたこの場所は西山への分岐点になっていて、西山を往復してまた戻ってくることに。
ということで西山への道に入ると、すぐに送電線鉄塔が立つ小ピークに出て、左右に展望が開けました。
まずは右側(西側)の展望。ここまで来てやっと、南アルプス方面をスッキリと見渡せた気がします。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方の左側(東側)にあったのは、最初に「五老峰展望台」で見てきたのとあまり変わらない眺めでした。
その先は道形がやや心許なくなり、鉄塔ピークからの下り口などは少し探してやっと見つかる始末。その後もテープ等の目印は散発的にしかなく、落ち葉が道を分かりにくくしている影響も加わって、特に下ることになる復路で迷いそうだったので、しばしば振り返った時の景色を目に焼き付けたりしながら進みました。
西山に到着しました。あまり顕著なピークではなく、展望も皆無なため、とても地味な地点です。
そこにあったのも、私製の山名標と三角点だけという慎ましさ。なお三角点は最近更新されたものなのか、ほとんど風化が見られない綺麗なもので、各側面に刻まれた文字もあまり見たことがないくらい鮮明でした。


西山から引き返すと、戻る時の景色を往路で確かめていたからか、意外なほどすんなり歩けて鉄塔のピークへ。
大子峠まで戻ってきたら、ここを右に折れて、下部温泉駅への下山路に進みます。
わずかに下ると、大子の集落跡に入りました。ここでは道の左右に建物が残っています。
通り過ぎて振り返ると、上の写真の左側の建物は荒れ果てて倒壊し、まさに廃屋という有様だった一方で‥‥
右側の建物はあまり傷みも見られず、近年まで人の生活があった模様ですが、こちらも現在は無住でした。
でも所有者の方のご厚意なのか、離れのトイレは登山者に開放されていました。


集落跡からの下りは、登山道というよりは、かつて住んでいた人々の生活道なので、比較的歩きやすい道です。
が、途中に蜂の巣を避ける迂回路があり、その区間だけは悪路でした(登りは大丈夫そうでしたが、下る時は足元に要注意)。急造の道でしょうし、元の道に戻れるまでの短い間だけのことで仕方ないのでしょうけれど。
元来の道に戻れた直後には、山中で唯一の出会いとなった2人組のハイカーとすれ違います。あとはしばらく順調に下って、沢沿いまで降りてきたら、この橋で対岸へ。
と思ったらすぐ先にまた橋が架かっていて、元の側に戻ることになり、その後しばらくは右岸を進みます。
さらに下って、途中に小屋が現れるなど、人里が近い気配が濃厚になってきたら、3つ目の橋を渡ります。
すると今度は動物除けのフェンスがあって、これを開け閉めして通過すれば、その先は見るからに人の生活圏。
と思う間もなく、すぐに道路に出ました。周囲には家々が建ち並んでいて、小さな集落の中に入っています。


下部温泉駅を示す道標が左方向を指しているのに対して、一旦右のほうに下っていくと‥‥
そこには(上の写真で白い車が停まっているあたり)、甲斐常葉駅で見たのと同じ体裁の案内図がありました。実は事前にストリートビューを確認していた時に、ここにこの案内図があることを見ていたので、てっきりここに出て来るものと思っていたら、実際の登山口は少しずれた場所にあったのですね。
あとは道標の案内に従って、集落の中を抜けていきます。
集落の外れまで来たら、ここからもう少し下って、下を通る国道300号(本栖みち)へ。
国道へ下ると(というか2枚上の写真からずっと)、この日もう何度も眺めた五老峰が正面に見えていました。
振り返れば反対側には身延山が。
間もなく下部温泉駅に到着。2008年に毛無山から下ってここまで歩いてきた時以来、13年ぶりに来た駅前の景色は、その時とあまり変わっていないように感じました。


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