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天王森公園・大松山・高幡山 [東京・神奈川(平野部)]

2020/02/29(土)

■第426回 : 天王森公園(161m)・大松山(130m)・高幡山(126m)


新型コロナウイルスの感染拡大が続く中なので、前回に続いて今回も、不特定多数との接触をなるべく避けるべく、混雑する交通機関を避け、空いている乗り物も乗車時間を抑えて、敢えて近場に出掛けてきました。
行先も近いですし、実質的にほぼ街歩きとなったことや、途中で巡った3つの超低山がいずれも「多摩100山」(新ハイキング社刊,2003年) に選定されていることも前回と同じで、2連続でそっくりな内容になっています。

 累積標高差(登り):295m / 距離:11.7km / 歩行時間:3時間0分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
北ひろば前 06:17-06:29 町田 06:34-06:43 新百合ヶ丘
新百合ヶ丘 06:47-06:54 はるひ野

(登山行程)
はるひ野駅 07:00
天王森公園 07:40
大松山   08:00-08:10 (桜ヶ丘公園)
大谷戸公園 08:15-08:20
和田公園  09:05-09:10
高幡山   10:00-10:10
高幡不動  10:25-10:30
高幡不動駅 10:35

(復路)
高幡不動 11:05-11:09 聖蹟桜ヶ丘 11:46-12:37 相模原
相模原 12:50-13:14 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

小田急多摩線のはるひ野駅から歩き始めるのも、これで2度目。前回の2015年、多摩よこやまの道や尾根緑道などを経て八王子みなみ野駅までの20km以上を歩いたのに対して、今回歩く距離はその半分近くになりました。
上の写真は駅の南口ですが、跨線橋で北口側に回ると、駅前に黒川谷ツ公園の入口があります。この公園は小田急多摩線の線路沿いにありながら、自然豊かな雑木林の中に山道が続いている様子がGoogleマップのストリートビューで見られるため、てっきり普通に歩けるものとばかり思って、そこを通る計画を立ててきたのです。
ところが雑木林の手前まで登ると、山道への入口が施錠されていて中に入れません。実は事前の調査不足で、この公園は特定の開放日以外は閉鎖されているのでした。掲示されていた日程表によれば、翌3月1日なら開放日に当たったようですが、それでも開園時間が09:30なので、こんな早朝から歩くのは無理だったようです。


そこで別ルートを思案します。最初の目的地である天王森公園には車道だけでも向かえますが、もし黒川谷ツ公園を通れれば多摩よこやまの道にも出られて、そこが大半が車道歩きというこの日のコースでは貴重な山道区間になるはずだったので、せめて多摩よこやまの道の区間だけでも歩きたいと、京王線の線路沿いを進むことに。
上の写真の「はるひ野ことり公園」に入って奥の階段を登ると、京王線の線路沿いの近道を歩けました。
住宅街を一番上まで登ると、期待通り、もう一段上を通る道路への階段が現れました(ここを行き来できるのかどうかは、持ち歩いていた地形図の精度では分からず、ダメ元でやってみていたのでした)。
一段上の道路に出れば、正面に多摩よこやまの道へ続く木段があって、ここで予定していたコースに復帰です。
木段を登る前に、道路を少し左に進むと黒川谷ツ公園の入口があり、本来はここから出てきたかったのでした。


木段を登ると、すぐに多摩よこやまの道に出ました。2015年に歩いた時が懐かしく思い出されます。
ただ、今回は多摩よこやまの道を歩く距離は短くて、土の道はいくらも歩けませんでした。というのも‥‥
すぐに多摩よこやまの道の東端に出てしまうのです。ここからは、都道137号(上麻生連光寺線)に入ります。


あとはしばらく車道歩きとなり、2番目の目的地である桜ヶ丘公園まで、この都道を道なりに北上し続けます。車道を歩き始めると間もなく、下を通る別の都道を跨ぐ天王橋があって、橋上からの眺めがまずまずでした。
遠くにうっすらと見える丹沢の稜線の上に、富士山が顔を出していました(写真中央あたり)。
富士山を少しアップで。この日のコースで、富士山がきちんと見られたのは、ここだけだったかも‥‥。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
天王橋からの展望の全体像です。この日は空気があまり澄んでいなかった上に雲も多くて今ひとつでしたが、北西方向の秩父や奥多摩から南西方向の丹沢まで、ずらりと西側に並ぶ山々を眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


車道を歩き始めて10分ほどすると、最初の目的地が見えてきました。
見えてきたのは八坂神社へ登る参道の短い石段で、神社の境内が天王森公園になっているのです。
石段を上がると、神社の左側で、天王森公園の三角点が目立っていました。
天王森公園の三角点です。これが全国に400か所ほどしかない一等三角点の本点であることと、ここが多摩市の最高地点であることが、解説板に記されていました。さらにこの地点は「多摩100山」にも選定されています。
先に書いた通り、八坂神社の周囲は天王森公園としても整備されています。
神社の裏手に回るとブランコがあったりして、天王森公園は子どもたちの遊び場にもなっているのでしょう。
小さな公園をぐるっとひと回りしたら、上がってきた石段を引き返して、先程までの道に戻りました。


道なりに北上を再開します。立ち寄らなかったけれど、途中で見掛けた連光寺公園にはトイレがありました。
聖蹟記念館交差点まで来たところで、都道137号とはお別れです。
交差点の左折側が桜ヶ丘公園への入口でした。この公園内に、次の目的地である大松山があります。


広々とした桜ヶ丘公園内に入りました。まだ朝早いからか人が少なくて、静かで心地よい雰囲気です。
広いばかりか、多くの小道が複雑に絡んでいるので、随所に案内図があるのは良いのですが、見るたびに違う向きの地図が現れるから、かえって位置が分かり難くて混乱しました。なぜ地図の向きがバラバラなのだろう?
旧多摩聖蹟記念館の前まで来ました。公園内の案内図によれば、この記念館付近が大松山とされているらしい。
記念館は明日から臨時休館とのこと。新型コロナウイルスの影響はこんな小さな施設にまで及んでいました。
旧多摩聖蹟記念館の入口と五賢堂です。なお記念館の周囲をぐるっと回っても、大松山を示す標識等は見ませんでしたし、都道137号側の入口がここよりも若干高く、そこから緩やかに下ってきたので、この時点では山の上にいる実感もなく、この大松山が「多摩100山」に選定されていることに対してもポカーンという印象でした。
記念館の隣に広場があったので、ここで本日最初の休憩を取りました。
そこは「丘の上広場」という名前で、なるほどすぐ近くに斜面が迫り、その先の街並みを見下ろす具合でした。
だから、さらに進むと下りの木段が現れました。これが思っていた以上に長くて、50mくらいは下ったでしょうか。もしも逆コースで歩いてきていたら、大松山が山であることを少しは実感できたのかもしれません。
桜ヶ丘公園に隣接する大谷戸公園に入りました。広い芝生広場が中心で、キャンプ練習場などもある公園です。
聖ヶ丘側の出口から、大谷戸公園の外へ。


集合住宅が建ち並ぶ中を抜けたら、この階段で下のバス道路へ下ります。下ったところにはちょうと聖ヶ丘二丁目のバス停がありました。ここから高幡山までの約7kmは、再び長い車道歩きになります。
大した見所のなかった車道歩きは端折り気味に。諏訪下橋交差点で鎌倉街道を渡ります。
変則的な五差路だった乞田交差点。
ここから和田原通りに入ります。
和田公園まで来ました。高幡山までの車道歩きも、やっと半分を過ぎたでしょうか。
静かな和田公園でひと休み。朝のうち雲が多かったこの日も、この時間になると日差しが安定しはじめて気温も上がり、ようやく身体が温まってきたので、羽織っていたジャケットを1枚脱いで少し身軽になりました。


中和田通りに入ると、緩やかな上り坂がしばらく続きます。
百草団地の中心部に差し掛かったこのあたり(百草センターバス停付近)が、一番高かったようです。
百草団地と、その隣にあった高幡台団地を過ぎれば、その先でせっかく登った分をあらかた下ってしまいます。
次の交差点まで下り切ると、多摩モノレールの線路橋の下に、最後の目的地である高幡山が見えてきました。
その交差点を突っ切った先では、最短経路を取るべく細い道に入って直線的な道順で高幡山を目指します。
上り坂が始まったら、道なりに団地の間を抜けて行きます。
一番上の道路に出ると、その先に続く階段が。何も案内はありませんが、ここから高幡山に登れるのです。


短い石段が終わると、その先で山道が二手に分かれていて、左の道が頂上に直行できるようです。
そこから上はなかなかの急登です。階段なので難なく登れるものの、うっかりしているとよろけそうでした。
土の地面が現れるようになっても、急斜面の階段道が続きます(短い間ではありますけれど)。
高幡山は、高幡不動尊の山内八十八ヶ所巡拝路なるものが山中をぐるりと巡っていて、その途中に出ました。
さらに登って、頂上の直下を一周する周回路に出ると、頂上への道は「見晴らし台入口」と案内されてました。


高幡山の頂上と思われるこの場所は、少し開けていて、ベンチっぽい腰掛けられる物もある一方で、高幡山の標識はおろか、頂上という文字すらもなく(とにかく標識の類が一切ない)、なんか拍子抜けする場所でした。
下で「見晴らし台入口」と案内していただけに、それらしい場所こそありましたが、そこにも文字による説明等は何もなく、本当にただ「台」が置かれているだけだとは‥‥。
その「見晴らし台?」からは、市街地の側が眺められました。こちらは北東側の、東京・埼玉の都県境方向。
東側の都心方向には、高層ビル群がうっすらと見えていました。
頂上部は南北に広さがあって、少し低い北端まで行っても、何もないことは一緒でした。一段下の周回路を見ると人の姿が時折あるものの、ここまで上がって来る人はほかになく、あまり顧みられていない場所のようです。


高幡山の頂上を後にしたら、一段下の周回路を一周してみます。
周回路は所々で山内八十八ヶ所巡拝路と重なっていて、あちこちに弘法大師像が。ここは第四十二番でした。
一周したのちは、高幡不動尊への道を下ります。
下り口のあたりでは西側の山並みが眺められましたが、木々が邪魔で一度に広い範囲を見渡せなくて残念です。


途中で高幡不動尊へ分岐する道に入ったところ、境内で一番奥にあり、総本堂でもある大日堂の前に出ました。
先に奥に入ってしまったので、山門は奥から出てきたあとで振り返って撮りました。
不動堂と五重塔です。
高幡不動尊の境内は、人が多ければスルーしようと思っていたのですが、こんな時節だからか人出が少なく感じられて、他人との距離を気にせずに回れました。まぁ、まだ比較的早い時間だったからかもしれませんけれど。
高幡不動駅に出たら、前回同様に聖蹟桜ヶ丘駅を経由し、そこからは路線バスを乗り継いで帰路に就きました。
今回も、一般的な山好きの人が普通あまり興味を持たなそうなほどの超低山を行先にしたので、天王森公園では全く人を見ませんでしたし、大松山がある桜ヶ丘公園と高幡山や高幡不動尊も朝早めに訪れたのが幸いしてか、人出が少ない中を歩けています。また帰りの交通機関も先日の日曜日以上に空いていたので、外出を控える方がより増えたのかもしれませんね。おかげで心配になるような状況には全く遭遇せずに済みました。

ただ、公共交通の利用を短時間に抑えて行ける近場の超低山もそろそろネタが尽きかけているのが悩ましく、かといって出掛けないでいると身体が鈍るので、外出の自粛を求められるような状況にならない限りはどうにかして身体を動かしたく、そのための適当な行先を今後も探し続けることが当面の課題となりました。とはいえ非常時ですし、何もアイディアが浮かばなければ同じような所に繰り返し出掛けるのもアリだとは思いますが‥‥。

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小沢城址・ありがた山・浅間山 [東京・神奈川(平野部)]

2020/02/23(日・祝)

■第425回 : 小沢城址(天神山,87m)・ありがた山(110m)・浅間山(79m)


新型コロナウイルスの感染が拡大し、公共交通機関しか移動手段を持たない者にとっては、出掛けることが非常に厳しい状況になってしまいました。とりわけ、移動時間が長くなったり、混雑の激しい拠点駅を経由したりする遠方への山行は、感染症の流行が終息するまで見送るしかなさそうです。

それでも行先を近場にとどめて、混雑する乗り物を避け、かつ乗車時間も短くすれば、リスクをある程度低減できそうなので、今回はそうして出掛けてみましたが、その結果、実質的にほぼ街歩きという内容になりました。
とはいえ、途中で巡った3つの小さな頂は、いずれも「多摩100山」(新ハイキング社刊) に選定されていて、山としてのステータスを一応は備えていますから、この記録を「山行記録」と銘打っても差し支えないでしょう。

 累積標高差(登り):326m / 距離:13.6km / 歩行時間:3時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
北ひろば前 06:17-06:29(早着06:25) 町田 06:28-06:43 読売ランド前

(登山行程)
読売ランド前駅   06:50
小沢城址(天神山)  07:35-07:40
ありがた山     08:05
稲城大橋      09:00
浅間山(堂山)    09:50-10:00
浅間山(中山)    10:05
浅間山(富士見百景) 10:10-10:15
浅間山(前山)    10:20
東府中駅      10:40

(復路)
東府中 10:48-11:00 聖蹟桜ヶ丘 11:46-12:37 相模原
相模原 13:00-13:24 市営斎場入口


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

早朝に路線バスと電車(各駅停車)を乗り継いで、読売ランド前駅へ。目論見通り、どちらも空いていました。
駅前からすぐに細い路地に入ったら、1分歩いたかどうかという早さで「多摩自然遊歩道」の標識が現れます。
さらに1~2分でもう遊歩道が始まって、駅は住宅街に囲まれていたのに、ほんの数分歩いただけで森の中に入ることに驚かされます。ところで遊歩道は直進らしいのですが、右に登る道も分かれていて、そこに立つ案内図によればすぐに1本に合わさるようなので、とりあえず少しでも山らしい所を歩いておこうと登ってみました。
しかし、確かにそのすぐ先で、元の道に戻れそうな下り階段が分かれていたものの、それ見送った先にも山道が続いていて、雰囲気の良さにそのまま歩き続けていると‥‥。
尾根まで登ってフェンス沿いの道に突き当たった時、そこに立つ道標が、左を「よみうりランド入口」、右を「読売ランド前駅」としているだけで、私が登ってきた道は何も案内がなく無視されているのが少し変でした。
それでも、左折の「よみうりランド入口」がまさに目指している方向ではあるので、気にせずそちらに進んだところ、フェンスと竹柵に両脇を挟まれた狭苦しい道が続くばかりで、せっかくの尾根道の雰囲気が台無しです。ちなみに、右側は日本女子大学の敷地らしく、それゆえにフェンスで厳重に囲まれていたのでしょう。
その後も電波塔の前で道が分岐するのに、そこにも道標がありません。尾根は左へと続くようなので、左に進んでみて、結果的にそれで事なきを得ていますが、どうやら遊歩道から外れてしまったらしいことは明白でした。
ほどなく山道が終わって車道に変わったのは良いけれど、やはり、予定とは違う場所に出てしまったようです。
出てきたのは、読売ジャイアンツ寮の脇でした(写真右奥から出てきました)。ここは一体どこなのだろう?
幸いにもすぐ先で、歩く予定だった「多摩自然遊歩道」が左から合わさってきて、正しいコースに復帰できました。計画通りの遊歩道は全然歩けなかったけれど、その代わりに山道を歩けたので、まぁ良しとしましょうか。


そこから先、しばらくの間は車道歩きになります。
右前方に「菅さくら公園」が現れたら右折します。その後、「多摩自然遊歩道」の案内図はあくまで車道を進むよう案内していますが、トイレを利用したかったこともあって、公園内に入ってみました。
すると、公園内を進むこともできました。狭い公園なので、いくらも歩けるところはありませんでしたが。
左手では梅が満開だったのに、フェンスと鉄柵に二重に阻まれて、残念ながら近寄ることができません。
そしてすぐに公園の端に出て、車道に戻ることになりました。


少し先の寿福寺では、隣接する梅林も満開でしたが、ここも入口が施錠されていて中には入れませんでした。
その後「多摩自然遊歩道」は少々分かりにくい経路を進みます。要所には必ず道標が立っているものの、左の細い道に入るこの地点などはその道標が少し奥まったところに立っていて、見落としやすいと感じました。でも、山の中と違って住宅街では、どこにでも道標を立てられる訳でもなさそうですから、仕方ないのでしょうね。
その先も道標通りに進んで、路地裏のような所に入ると、その奥で山道に変わります。
山道を登っていくと間もなく、道標が右への分岐を「小沢城址」と案内していたので右折してみたところ、なんのことはない、右前方の「ふれあいの森」なる緑地内を通るかどうかの違いだけで、すぐにまた合流しました。
「きたん坂」の標柱を見る頃には、元々いくらもない高低差をあらかた登り終えていたようです。
「きたん坂」を上がると右手に平坦地が現れて、道が分岐するので、ここを右折してその平坦地に入ります。
この小広い平坦地は馬場広場と呼ばれていて、小沢城の遺構のひとつなのでしょう。


馬場広場の奥に、「小沢城址」の石碑などが並ぶ一角がありました。
ここがこの日に巡る3つの山の1つめ、小沢城址(天神山、小沢城址山とも)です。
富士登山講の石碑の裏あたりが一番高いようですし、道も付いているので‥‥。
一応、登っておきましたが、そこに何があるという訳でもなく、登り損でした。


小沢城址からは京王よみうりランド駅に向かいたいのですが、そういう人向けの道案内はなかったようです(実は、穴澤天神社への道案内はあって、それに従えば良かったのですが、穴澤天神社は全くのノーマークで何の予備知識もなかったので、それが駅と同じ方角にあるということも知らなかったのです)。
このため、適当な方角に当たりを付けて下っていったところ‥‥。
またしても、見当外れの場所に出てしまいました。
出たところは読売ジャイアンツ球場の向かい側で、京王よみうりランド駅には少しだけ遠回りになりました。
車道を緩やかに下っていくと、間もなく右手に小沢城址への道を見送ります。本当はここに出たかった‥‥。
坂道を下り終えたら、京王よみうりランド駅の南側を通過していきます。
交通量の多い通りに出て左折したら、すぐに次に向かう「ありがた山」への入口があります。
上の写真の地点で右の細い道に入ると、なにやら大がかりな工事が進行中のようで、少々物々しい雰囲気です。


構わずに奥へ進むと、山の斜面に開かれた墓地の入口に出ました。この墓地の上が「ありがた山」になります。
そのため、謹んで墓地の中を通らせて頂きます。周囲のいたる所で大々的に造成工事が展開される中、残されたこの一角だけは平穏が保たれているかにも見えましたが、良く見ると入口のこのあたりは墓の移転が進んで更地に近くなっていたので、この墓地に対しても工事の何らかの影響があるのかもしれません。
墓地は斜面の中腹までで、さらに上の斜面には、夥しい数の石仏や石碑が所狭しと並んでいました。「ありがた山」という名前も、地形としての山を称するというよりは、むしろこの石仏群を指して付けられたものらしい。
最後は「ありがた山石仏群」の中を登り詰めます。4千体以上といわれる石仏が整然と並ぶさまは壮観でした。
頂上部には石塔が並んでいました。
反対側の斜面は工事ですっかり崩されて、見る影もない無残な姿に。
さらに地形図によれば、頂上部の西側にはもう少し高い地点があることになっていますが、そちら側もこの通り地面がむき出しですでに削られてしまっているらしく、おまけに規制線が張られて立ち入り禁止でした。
そんな肩身の狭い場所では長居もできず、石仏群の脇を下って、中腹から下は墓地の中の道を戻りました。
なお、今ではすっかり変わり果てた姿となったこの場所も、山が削られる前は墓地以外の方向から登る山道もあるなど、自然豊かなハイキングコースになっていたらしい。現在「ありがた山」周辺で進んでいるのは、土地区画整理事業による宅地開発と道路建設で、石仏群のある場所もろとも周囲の山林を崩して平らにしてしまう計画になっているとする記事もあり、石仏群についても消滅が危惧されている状況のようです。


「ありがた山」から下ってきたら、来た道を引き返す途中で、梅が咲き揃って綺麗だった所に寄ってみます。
それがこの妙覚寺で、「ありがた山」に登る前に門前をスルーしていたのでした。
本堂です。妙覚寺の境内はあまり広くはありませんが、静かで落ち着いた佇まいでした。このあと、本堂右手に少し小高くなっている所へ向かう石段を見つけて登っていくと、観音堂や鐘楼などを見ることができました。


さて、小沢城址とありがた山はごく近くにあって一緒に巡りやすかったのに対して、次に向かう浅間山は7km以上離れているため、歩けば2時間近くかかりますし、その間はずっと市街地なので車道歩きが延々と続きます。
京王よみうりランド駅から北上して行くと、三沢川に出たところにあったのが三沢川親水公園。ここはトイレが利用できる貴重なポイントでした。
その先も三沢川に沿っている間は、遊歩道を歩けてまずまずの雰囲気。春になれば桜並木が見事なのでしょう。
しかしそれは長くは続かず、稲城大橋通りに入ったら、しばらくは幹線道路の歩道を歩くばかりになります。
稲城大橋が近付いてきました。ここからは、まだ車道の橋しか見えていませんが‥‥。
歩道はもう少し先まで地上を進んで、車道よりも少し遅れて橋に上がるようになっていました。
車道と同じ高さまで上がりました。橋の下を流れているのは多摩川です。
稲城大橋の中央付近に差し掛かったところで、左側の眺めをチェック。
多摩川の上流方向には、遠くに奥多摩などの山並みが見えていました。
さらに左を向くと、富士山が頂上部だけ顔を出していました(写真右端)。写真左端にうっすらと見えている三角形は丹沢の大山で、富士山と大山の間にも、多摩丘陵と重なるようにして丹沢の稜線が見えていました。


稲城大橋を渡り終えたら、中央道沿いに少し進んだのち‥‥。
団地の間を通る細い道に入ると、道に沿うように細長い形の公園があって、ここで久々に土の上を歩けました。
その後は細い道を結んで、最短経路で浅間山を目指します。
細い道なので、西武線の踏切(上)も、京王線の踏切(下)も、どちらも小さな踏切でした。
浅間山通りに入ったら、あとは浅間山までひたすら一本道です。
この通りはあまり見栄えのしない景色が続きますし、距離もそこそこ長いため、少々退屈でした。


明治大学のグラウンドを過ぎれば、長かった車道歩きもようやく終わって、浅間山公園に入ります。
上の写真の道を奥まで進むと浅間山公園の入口です。早速浅間山への石段が現れて、ここが浅間山の登山口とも言える場所になりますが、なにしろ低い山ですから、登る前からもう頂上が見えているような具合でした。
だから、あっという間に頂上へ。開放的な場所でそこそこ広さがあり、ベンチなどもあって寛げる雰囲気です。
浅間山は3つの小高い丘が東西に並んだような地形になっていて、公園の案内図を見ると3つの小さなピークにはそれぞれ名前が付けられており、その中で79.6mと最も高いこのピークは堂山と呼ばれているらしい。
一番高い場所には浅間神社が鎮座しています。
ここは小沢城址やありがた山と比べると、麓からの標高差は物足らないものの(どんぐりの背比べに過ぎませんが)、山名がきちんと付いているだけに、しっかりとした標識がありました。また三角点(等級は二等)は盤石ごと露出しているのが残念ですが、防護石が4つきれいに揃っていて、三角点の構造の見本になりそうでした。
頂上の北側は急な斜面になっていて、すぐ近くまで住宅街が迫っていました。
それに対して、3つの丘が連なる西側から南側にかけての一帯が、浅間山公園として整備されていて、比較的自然な景観が残されています。3つの小さなピークをひと通り巡ろうと、一旦西側の鞍部へと下りました。
軽く登り返したところが中央に位置するピークで、その名も中山です。
中山にもきちんと標識が立っていて、書かれていた標高は74mでした。
再び下った鞍部にはあずまやがあって、その向こう側には、南北に少し長さのある西側の丘が見えてきました。
一番西側の丘に上がると、すぐにテーブルやベンチのある場所が現れます。
近付いていくと、なにやら標識が立っていて‥‥。
そこが「関東の富士見百景」に選定された場所のようでした。これは2005年に国土交通省によって選定されたものですが、実は選定対象が233箇所もの地点に及んでいて、さほど珍しいものでもありません。
とはいえ、やはりそれなりに展望の良い地点で、富士山のほかにも丹沢の山並みがきれいに眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山をアップで。
先に書いた通り、一番西側の丘は南北方向に少し長く続くので、束の間の尾根歩きを楽しむことができます。
丘の南端まで歩いたところが前山で、これで浅間山の3つのピークをすべて踏んだことになります。
前山にも標識が立っていて、書かれていた標高は72.8mでした。


前山を後にして、そのままの方向に下って行くと、案内板も何もない、ちょっと寂れた感じの出口に出てしまいました。公園の西側に回り込めば、大きな看板がある入口があったはずなのですが‥‥。
最後は東府中駅を目指して車道歩き。ここからは大通りを進むだけなので、もう何も見所はありませんでした。
京王線の東府中駅に着きました。
この計画を立てた時点では、帰路は電車を乗り継ぐ一般的な経路を考えていて、まず京王八王子駅に向かい、横浜線に乗り換えて帰って来る予定でした。しかし、すっかり状況が変わってしまった現在においては、八王子となると人が多いですし、横浜線もいつ乗ってもどの車両も割と混雑しているので気が進みません。
そこで、京王線を聖蹟桜ヶ丘で下車し(各駅停車が空いていたので、府中でも準特急には乗り換えず)、そこから相模原行きの路線バスに乗ることにしました。路線バスは閉鎖空間にはなりますが、混み合わない路線を選び、始発地点で前もって並んで、左最前部の座席を確保すれば、他の乗客との濃厚接触はまず避けられます。
もっとも、こうまでして出掛けることが果たして賢明だったのかどうかの答え合わせは、これを書いている現在(山行翌々日)ではまだできていないのですが‥‥。

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諏訪岳・唐沢山・浅間山 [栃木]

2020/02/09(日)

■第424回 : 諏訪岳(324m)・唐沢山(241m)・浅間山(192m)


今回は栃木県南部の低山を縦走してきました。
諏訪岳や唐沢山は、どちらも展望にあまり恵まれないなど山としては地味な印象にとどまりましたが、最後に一般的なコースから外れて浅間山に立ち寄ったところ、標高は低いのに展望絶佳で居心地も上々という思いのほか素晴らしい場所で、縦走の締めにこの山を加えたことが絶好のアクセントになりました。

 累積標高差(登り):714m / 距離:11.1km / 歩行時間:3時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:45-04:54 長津田 04:59-07:05 東武動物公園
東武動物公園 07:13-07:51 館林 08:13-08:47 多田

(登山行程)
多田駅  08:50
京路戸峠 09:25
諏訪岳  09:45-09:55
京路戸峠 10:10
高鳥屋山 10:45-10:50
唐沢山  11:15-11:20
浅間山  12:15-12:30
堀米駅  13:00

(復路)
堀米 13:20-13:40 館林 13:58-14:27 久喜
久喜 14:34-16:38 長津田 16:43-16:59 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

今回のスタートは東武佐野線の多田駅。簡素な駅舎だけがある無人駅で、乗ってきた電車から降りたのは私だけでした。というか、次が終点だからか、もう3両編成の電車には私を含めて3人しか乗客がいなかったのです。
多田駅前から歩いて行く方向を眺めたところで、左寄りに写っているピークが最初に登る諏訪岳です。
進行方向に諏訪岳を見ながら住宅街を進んでいき、秋山川を渡ると工業地帯の景色に変わります。
諏訪岳への登山口がある京路戸公園は、テニスコートが3面あるだけの小さな公園でした。


道なりに公園の奥へと進んでくと、道路がそのまま登山道に変わりました。
なお、上の写真の地点では左にも山道が分かれていて、京路戸峠を経由せず諏訪岳に直行できるのかもと入ってみたら、この通りすぐ先で通行止めになっていました。日曜日の早朝にもかかわらず、奥からはすでに重機の音が盛んに聞こえてきて、それなりの規模で工事が行われている気配なので、ここは大人しく引き返しています。
京路戸峠への登りは、良く歩かれている様子の歩きやすい道が続きます。
傾斜も比較的緩やかで、急に感じる箇所はほとんどなく、楽に登れます。
公園から10分ほど登ればもう京路戸峠で、「関東あれふいの道」にもなっている稜線上のコースに出ました。


京路戸峠から、まずは諏訪岳を往復します。このあたりは、稜線上も穏やかな道が続いていました。
「関東あれふいの道」は諏訪岳に登らずに下っていくので、この分岐点で「関東あれふいの道」を外れます。
すると少し細い道に変わって、傾斜も少しきつくなりました。
登っている途中で眼下を見下ろせる場所に出ると、登山口付近で行われている工事の様子を垣間見られました。これだけ大きな工事をしていれば、通行止めになるのも無理はなさそう。
頂上が近付くにつれて、道はやや急になって足元も少し悪くなりますが、歩きにくいほどではありません。


諏訪岳に着きました。さほど広い頂上ではなく、寛いで過ごせるのは7~8人がせいぜいでしょうか。
周りを樹木に囲まれ、開けているのも西側だけで、これなら途中からの展望のほうが良かったかも。かつて登った大小山や足利行道山などが見えましたが、馴染みのない山域ゆえ、現地で識別できたのは大小山だけでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
なお、登ってきた道のほかに北側に下る道があり、登る途中で北側に日光の山々が見られたりもしていたので、気になってそちらの様子も窺ってみたものの、少し下ったくらいでは展望が開けるところはなかったようです。


てなわけで、休憩もそこそこに諏訪岳の頂上から引き返して、見晴らしの良かったベンチまで下ってきました。
ベンチがある地点では、西から北にかけての方角が大きく開けていました。まずは西側の展望で、山名を記入したほかにも、深高山の後方には榛名山が、大坊山の後方には御荷鉾山が、それぞれうっすらと見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに右を向けば、北には日光の山々などが見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
日光の山々をアップで。女峰山は薄雲にまとわりつかれて微妙な見え方でしたが‥‥。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


京路戸峠まで戻ってきたら、今度は唐沢山を目指します。唐沢山までは引き続き「関東あれふいの道」です。
唐沢山まで小さな登り下りが続くことは地図から読み取れていましたが、それが急な木段となって現れました。
1つ木段を登り終えても、また次の木段が。段差も大きめで少々きつい登りです。
せっかく登ったと思ったら、すぐさま急な木段で下ってしまいます。
息つく間もなく、その先にまたまた次の登り木段が控えていて、なかなか落ち着いて歩かせてもらえません。
それでも292mピークを巻き終わると、ようやく穏やかな傾斜の道をのんびりと歩けるようになりました。
林道が絡んできたら、しばらくは林道を進みます。


林道を進む途中のこの地点で、右に高鳥屋山(290m三角点のピーク)への道が分かれます。ここまでも、登山道は稜線上のピークを何度か巻いていて、その都度ピークへの脇道があるのを見ながらずっとスルーしてきましたが、ここは三角点ピークなので寄ってみることに。 ※これらの脇道には、特別な目印や案内はありません。
高鳥屋山への道は明瞭ながら、一般登山道ではないため少々急な箇所もあって、足元への注意が必要でした。
高鳥屋山に到着。ただ三角点があるだけのピークです。
と思ったら、普通の視線よりもかなり高い謎の位置に、私製の山名標が2つ見つかりました。なぜこの高さに?
高鳥屋山では、周囲の樹木にいくらか隙間があって、特に西側はそこそこ眺められました。
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振り返ると、これまで遮られていた東側も少し見通せるようになっていて、2016年に縦走した懐かしい山々が。
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馬不入山の右奥を良く見ると、筑波の山々がうっすらと霞んでいました。
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そして南側には三毳山の姿も。2016年の時は太平山から縦走を始めて、三毳山まで歩き通したのでした。
さらに関東平野を挟んで、遠く富士山まで。ここでは、枝の間から覗くような形でしか見られませんでしたが。


高鳥屋山からは、来た道を引き返して元の林道に復帰します。
すぐに林道から登山道が分かれました。地図を見ると林道を進むほうが楽そうだけど、ここは律儀に登山道へ。
何度も繰り返されたアップダウンが収まって、一定の緩やかな傾斜が続くようになると、唐沢山は近いです。


唐沢山にはかつて山城が築かれていて、今も多くの遺構が残されています。頂上部に入って、それらの遺構を結ぶように張り巡らされた遊歩道を適当に進んでいたら、二の丸の広場に出たので、そこから頂上に向かいます。
本丸跡の頂上に、現在は唐澤山神社が鎮座しています。立派な神社である一方で、あまり山の頂上という景色ではなく、登頂したという感覚には乏しかったですし、神社の境内だけに標識なども見当たらなかった模様です。
脇から神社の境内に先に入ってしまったので、参拝後に神門をくぐって石段を下ることになりました。
鳥居をくぐってさらに下ります(以上2枚は、ともに石段の途中で振り返りました)。ところで、石段を下り終えたら社務所の先に、関東平野を見渡せる展望所があったようなのですが、それを知ったのは帰宅後でした。
三の丸の広場には、たくさんの猫がいました。
人懐っこいヤツが多くて、カメラを向けていたら近寄ってきました。しばらく猫とマッタリして過ごします。
三の丸の広場より下は、どこもかしこも猫の姿であふれていて、食事処の唐澤山荘前も猫でいっぱいでした。
駐車場があるレストハウス前まで来ました。車で訪れる場合はここが唐沢山城跡の入口になるようで、停められている車の台数でお分かり頂ける通り、唐沢山は観光客の姿も多くて賑わっていました。
レストハウスの下には「上杉謙信が唐沢山城を攻めるとき西日が反射して攻撃が困難だった」とされる鏡岩が。


鏡岩のすぐ先で、車道からハイキングコースが分かれて、ここから再び山道を歩きます。
山道を歩ける区間はそう長くはなく、その間に小ピークを通る道(山頂コース)と巻く道(初心者コース)に分かれる分岐が3箇所あって、ここが1箇所目。山頂コースは、行先に見晴小屋があると書かれていますが‥‥。
小ピークに登ってみると、そこにはベンチしかなかったものの(きっと以前は小屋があったのでしょう)、見晴らしは確かに良好で、都心方向の先には、この日初めて富士山を樹木に邪魔されずスッキリと眺められました。
富士山のアップです。富士山の手前に見えていたのは奥多摩の稜線でした。
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小ピークを過ぎた先で山頂コースと初心者コースが合流すると、間もなく2箇所目の分岐点です。
2つめの小ピークは、立ち止まる気も起らないほど手狭で地味な地点でした。
3箇所目の分岐点です。
3つめの小ピークは展望は今ひとつでしたが、そこそこの広さがあり、腰を下ろすのに好都合な露岩もあったので、ここで少し休んでいきました(最初の小ピークのベンチには先客がいて、それで撮影も遠慮したのです)。
2つのコースがみたび合流すると、ほどなく車道に出て、山道は一旦ここまででおしまいになります。
この先、東武鉄道や唐澤山神社のウェブに掲載されているハイキングコースでは、堀米駅までずっと車道を歩くことになっていますが、それでは味気ないので、最後にすぐ近くの浅間山にも寄っていく計画にしてきました。
なお、それら2種類のハイキングコースの案内は、いずれも浅間山を完全に無視していて(地図上でもそこに山なんか無いことにされている)、ヤマレコを参考にしなかったら、その存在に気づけなかったことと思います。


車道を歩いて行くと、その車道のすぐお隣にあるだけに、左手の木々の間からしばしば浅間山の姿が見られるようになりました。頂上に立派なあずまやが建っていることが分かります。
ここが浅間山への入口。浅間山を示す案内は皆無ですが、堀米駅方面へ続く車道と分かれて山道へ入ります。
入口に一切の目印的なものすらなく、少々不安に感じるほどだったのに、山道は良く踏まれていて明瞭でした。
やや急になる上部は石段が組まれていたりしたので、実は古くからかなり歩かれていたりする道なのでしょう。


浅間山の頂上には高い樹木が全くなくて、わずか200m未満という標高ながら、360度の眺望が圧巻でした。
あずまやの奥には浅間神社があって、古来より信仰の山として崇められていたことが窺えます。
この山の魅力はなんといっても全方位の見事な展望でしょう。標高が低いことや、知名度が低く登山対象としてもあまり一般的でないことで、大した期待をせずに来ていたものだから、これには度肝を抜かれました。もちろん事前の下調べで好展望という情報は得ていたものの、さすがにここまでの凄さとは思っていなかったのです。
それでは、その素晴らしかった大パノラマを西側から順にぐるりと。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
大小山や足利行道山などを少し大きく撮ってみました。
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うっすらと見えていた赤城山の方向も少し大きめに撮りました。
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続いて日光の山々をはじめとする北側の眺望です。
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日光の山々のアップです。
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お次は、遠くに筑波山が霞んでいた東側の眺望です。
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筑波山などもアップで。
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そして最後は関東平野が広がる南側です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山も、なんとかこの時間まで見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
都心方向に目を凝らすと、スカイツリーもハッキリと!(写真左端。肉眼ではもっと明瞭に見えました)


浅間山を堪能したら市街地へ下ります。こちらがメインの登り口なので、山道がずっと下まで見えていました。
下る途中で浅間神社の鳥居をくぐります(くぐった後に振り返って撮りました)。
標高が低いだけに、10分もかからずあっという間に登山口まで下ってしまいました。
住宅街に入ったら、あとは駅まで車道を歩くだけ。
ゴールの堀米駅に到着。日中は1時間に1本という運行間隔なので、電車が来るまで少し待たされました。

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