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原町田七福神 [東京・神奈川(平野部)]

2021/01/05(火)

■第435回 : 原町田七福神


相変わらず遠出する気になれない状況が続いているので、今年の初歩きには近場も近場、自宅から歩いて行ける「原町田七福神めぐり」を選び、こんなご時世でもそれなりの人出が避けられそうにない三が日が過ぎるのを待って、出掛けてきました。交通機関どころか自転車での移動すら必要としない行先の記事はこれが初です。

今回巡った「原町田七福神」は、町田市制50周年を記念して2009年に開設されたもの。設置場所は町田駅近くの街中や寺社ですし、全て回っても約3kmというコンパクトさで、買物や食事等と合わせて気軽に楽しめます。

 累積標高差(登り):150m / 距離:5.8km / 歩行時間:1時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-徒歩移動(約2.9km)-カリヨン広場(小田急線町田駅東口)

(登山行程)
大黒天(カリヨン広場)  12:45
毘沙門天(浄運寺)    12:50
ぽっぽ町田       12:55-13:00
布袋尊(宗保院)     13:05-13:10
恵比寿神(町田天満宮)  13:15-13:20
福禄寿(町田商工会議所) 13:25
寿老人(勝楽寺)     13:30
原町田ふるさとの森   13:45
芹ヶ谷公園       14:10  (多目的広場)
弁財天(母智丘神社)   14:25
カリヨン広場      14:35

(復路)
カリヨン広場(小田急線町田駅東口)-徒歩移動(約2.9km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

今回は自宅から歩いて小田急線の町田駅へ向かい、まずは西口の景色が目に入ってきました。日頃から町田界隈での用事の際は歩いて出掛けているので、ここまではいつもの道を普段通りに歩いてきたに過ぎない感覚です。
なお、さすがに自宅前からコースの線を引き始めるのは躊躇われるため、片道3km弱(私の足で歩いて30分少々)ほどある町田駅までの往復は記録から割愛して、歩行距離や行動時間にも含めないことにしました。
ということで、東口のカリヨン広場に来たら、ここを起点として記録を付け始めます。
そして、原町田七福神のうちの1つが、もうこの広場の一角にあるのです。
それがこの大黒天。五穀豊穣の神様で、商売繁盛にもご利益があるとされています。


カリヨン広場から、原町田中央通りを南へ歩き始めます。原町田大通りを渡ると、道の両側にずっと商店だけが並んでいるようで、次の目的地が左手のすぐ先に見えてきました(この写真にも赤い幟が小さく写っている)。
商店街の合間に忽然と現れたのは浄運寺への入口で、門前の右手にもう2つめの七福神が見えています。
この時期らしく、毘沙門天は紅白のマスク姿でした。福寿増長の神様で、武道成就にもご利益があるらしい。
せっかくなので、浄運寺にもお参りをしていきました。


さらに原町田中央通りを進むと、左手に「ぽっぽ町田」という建物が現れるので、ちょっと寄り道。
建物内には観光案内施設の町田ツーリストギャラリーがあるほか、コーヒーのチェーン店や北海道と沖縄のアンテナショップ、各種イベントが行われる催事場などがあり、 屋外広場では野菜市が開かれたりもしています。
町田ツーリストギャラリーでは、七福神めぐりのスタンプが押せる色紙が販売されていて、7ヶ所のスタンプをすべて押したものが見本として展示されていました。スタンプラリーをしながら巡るのも楽しそうですね。
※感染症拡大防止のため、現在は各所のスタンプが撤去されてここに集められており、ここで全種のスタンプを押せる状況でした。


寄り道を終えたら、JR町田駅ターミナル口の改札脇にある連絡通路を通って、駅の南側に渡ります。
やって来たのは宗保院。天文年間頃(1500年代半ば)の開山とされる、由緒ある寺院です。
立派な山門の前まで進むと、その右手前に次の七福神が。どの七福神も赤い幟が良い目印になっていました。
宗保院にあったのは布袋尊、家庭円満の神様です。
墓地が大半を占める広い境内にはお墓参りの人たちがいただけ。静かな中で、軽く手を合わせていきました。


続いて、すぐ近くの町田天満宮へ。正式な入口ではないっぽいけれど、地上から入れそうなのはここからだけ。
三が日を過ぎた平日のこの日も、ここだけは参拝者で賑わっていて、社務所の前には短い列ができています。
参拝も順番待ち(数人程度ではありますが)。人との距離が近かったので、ここでの参拝はやめておきました。
恵比寿神は拝殿左手の、旧社殿にあたるらしい摂社の前にありました。
恵比寿神は七福神の中で唯一の日本発祥の神さまで、商業・漁業・海上の守護神とされています。
町田天満宮の境内には、この出世稲荷をはじめ、いくつかの境内社もありました。
参拝後は、再びJR町田駅の北側に戻るため、跨線橋を渡ります。
跨線橋から振り返りました。参道の先が跨線橋にしか繋がっていない上、鳥居が跨線橋のすぐ隣に建っていて、鳥居を撮るには跨線橋に登るしかないですし、正式な入口がどこなのかも分からなかった町田天満宮でした。


JR町田駅の北側に戻って、初めにも歩いていた原町田中央通りに入ったら、なぜかここだけ赤い幟がいっぱい。
次の七福神は、町田商工会議所の建物前を過ぎてすぐの所にありました(通り過ぎてから振り返っています)。
福禄寿は財宝守護の神様で、福(繁栄)・禄(財産)・寿(長寿)の三徳を備えているとか。


次の七福神もすぐ近くの勝楽寺にあって、このあたりは次々と回れてしまいます。
寿老人は参道の途中右手にありました。不老長寿の神様です。
勝楽寺だけはほかに全く人の姿がなく、しんと静まり返っていました。


ここまで45分ほどで6ヶ所を回り終えていて、七福神めぐりとしては早くも最終盤。残る弁財天は少し距離が離れているものの、それでも15分もあれば歩けるような場所にあって、直行してしまうと物足りなさそうです。
もう少し歩く距離を延ばしたかったのと、ずっと街中の舗装路ばかりを歩いてきたので、いくらかは土の上を歩こうと、ここで七福神めぐりからは一旦離れて、公園を2ヶ所ほど回って行くことにしました。

勝楽寺の南側の道を真っ直ぐ歩いて、住宅街の外れまで来ました。ここからこの坂道を下ります。
坂道を下っていくと、左側の景色が森に変わりました。これが「原町田ふるさとの森」の一部のようです。
さらに下ると、森の中に道が見え、舗装路と行き来できる箇所も現れますが、まずは下り切ってしまうことに。
30mほど下ったでしょうか。舗装路を下り切ったところで振り返りました。電信柱が立っている所に、右手の森の中へ続いていく道があったので、そこから「原町田ふるさとの森」の中に入り、今度は登り返していきます。


森の中の道に入ったら、たった今下ったばかりの舗装路のすぐ脇を登り返して行きます。このあたりには、ここが「原町田ふるさとの森」であることを示す物は何もなかったようでした。
あらかた登り返したところで、舗装路の近くを離れて尾根筋を進む道に入りました。あまり知られてなさそうな森にしては、良く踏まれている感じの道なので、普段から地元の人に歩かれているのでしょう。
少し進むと下への分岐道が現れて、一旦その道で下のほうの様子を見てきてから、また引き返してくることに。
斜面を下っていくと、今度は十字路状の分岐点に出ます。どうやら「原町田ふるさとの森」では、斜面の上段(尾根道)と中段と下段にそれぞれ道が付いていて、所々で行き来できるようになっているようです。
一番下まで下ると小さな川の近くに出ますが、川に下りたあたりで子供たちが遊んでいる様子の賑やかな声が聞こえたのでそちらへは向かわず、川の上流方向に進路を変えると、ちょっとした広場に出ました。
広場からは先程の分岐点まで引き返し、さらに登っていくと公園に出てしまいました。帰宅後にGoogleマップを確認すると「ふるさとの森広場」となっていたので、森と一体となって整備されている公園でしょうか。
登りすぎたようなので少し戻って、尾根道の続きを進みます。
「原町田ふるさとの森」の反対側の端まで来たようで、階段道に突き当たりました。左に登ると、つい先程と同じ公園に出そうだったので、右に下っていきます。
すると、少し前に一度来ていて見覚えのある、ちょっとした広場の反対側に出ました。
ちょっとした広場も「原町田ふるさとの森」の端っこにあったようで、すぐ先には道路が見えていて‥‥。
そこに「原町田ふるさとの森」と書かれた看板なども立っていたので、ここがちゃんとした入口だったのかな。


道路に出たら、すぐ右には次に向かう芹ヶ谷公園の入口が見えていましたが、そちらには向かわず‥‥。
少し遠回りになり、余計な登り下りが増えることも承知で、一旦左への坂道を登っていきます。
そうして向かったのは芹ヶ谷公園の南口です。わざわざ遠回りして来たのは、今後の展開上、ここに自転車を停められるか確認しておきたかったためで、ストリートビューに駐輪場っぽいものがチラッと写っていたから。でも実際に来てみたら、それがせりがや会館の駐輪場で、公園の駐輪場ではないと分かってガッカリでした。


芹ヶ谷公園に入ったら、はじめは南口アプローチ園路を下っていきます。
「森の丘」のあたりからは、木段でさらに急降下。
下り着いたのは、本来ならば池になっていそうな場所ですが、なぜか水が全くなくて干上がっていました。
国際版画美術館の裏に出たら、正面に回ります。ここも手前の溝が水路のはずなのに、流れは全くありません。
「虹と水の広場」でも、噴水になっている池に水はなくカラカラで、その理由の説明も見かけませんでした。
「虹と水の広場」の先には「多目的広場」。芹ヶ谷公園の南側はこうした人工的な景観が主体です。
「多目的広場」に続く斜面には大型すべり台があって、このあたりでは家族連れの姿が多く見られました。
トンネルをくぐって芹ヶ谷公園の北側に入ると、一転して緑が豊かな景色に変わりました。
しかも、こちら側は小川にもちゃんと水が流れています。
水辺のちょっと癒される風景も随所に。
見るだけではなく、飛び石でこの景色の中を歩けたりするので、遊んでいる子供たちも多かったです。
休憩用のあずまやもあちこちに点在。
木々が緑の葉を茂らせる季節になったら、また見に来てみたくなる景色でした。
公園の北端まで来ると、小田急線の電車が前方の斜面の上を行き交っていました(一応小さく写っています)。
これは、公園内からだと見えないけれど、小田急線の車窓からなら見られる、芹ヶ谷公園の大きな看板ですね。
最後は木段を上がって、公園の出口へと向かいます。


芹ヶ谷公園を後にしたら、七福神めぐりの続きに戻ります。公園から出て住宅街の道路に入った途端、残っていた7つめの七福神への目印が早速目に入りました。小さく写っている赤い幟がそれです。
ここからこの日最後の目的地、母智丘神社に入ります。
芹ヶ谷公園側にあったのは、どうやら裏口だったっぽく、拝殿の裏に出たので正面に回りました。
7つめの七福神、弁財天は手水舎の脇にありました。芸術財福の神様で、琵琶を奏でている弁財天像も多いことから特に音楽の神様として知られ、七福神で唯一の女神でもあります。
拝殿を正面に見る側に別の入口があったので、帰りはこちらから。左端に弁財天も写っています。
こちら側には短いながら参道もありました。
参道から道路に出たところ。こちらが正面入口ですね。


あとは、その道路を道なりに進んで行くだけで、出発地点のカリヨン広場に戻ることができます。
カリヨン広場に戻ってきました。公園への寄り道を盛り込んでも、歩いた時間は2時間に満たず、距離も6kmに達しないショートコースでした(実際には、さらに自宅から町田駅までの往復6kmが加わるわけですが‥‥)。

この日の状況としては、七福神が設置された7ヶ所のうち、人との距離に気を遣う必要があるくらいの人出があったのはカリヨン広場と町田天満宮だけ、他の5ヶ所は同時に境内で見掛けた人数がいずれも2人以下で閑散としていましたから、三が日が過ぎてから出掛けたのは正解だったと思っています。さらに、見掛けたのは普通に参拝をしている人たちばかりで、私のほかに七福神めぐりをしているらしい人は誰もいなかったようです。

ということで、当日は満ち足りた気分で歩き終えていたのでしたが、かねてより報道されていた通り、記事を書いている間に再び緊急事態宣言が発出されてしまいました。もう1年近く、神奈川県内および相模原市に隣接する東京都町田市からほとんど出ずに生活するよう努めているところで、その他の感染症対策も含めて、これ以上気を付けようがないのではありますが、またしばらくの間は行動の場をより近所に絞るしかないのかなぁ。

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小山田緑地・小野路(後編) [東京・神奈川(平野部)]

2020/12/18(金)

■第434回 : 小山田緑地・小野路 (後編)


前編 では、小山田緑地の2つの分園を回った後で、小野路エリアの散策コースに入り、「奈良ばい谷戸」の中を登って浅間神社に着く手前までをお伝えしていました。ここからはその続きになります。

浅間神社に着きました。歩いてきた道は神社の裏手を通り抜けていたので、見えてきたのは社殿の側面です。
浅間神社の境内に上がりました。境内にさほどの広さはなく、見えている社殿はまだ上の写真と同じ側です。
なぜか社殿の正面側には撮影の際に十分な距離を取れるスペースがなく、斜め前方から写すのがやっとでした。
境内の反対側には別の入口があって、坂道が2体の狛犬の間に上がってきていました。
その坂道を下っていった先に、鳥居が立っているのが見えたので、本来の参道はそちらなのでしょうね。
境内の裏手側では少し展望が開けていて、丹沢の主脈の上に富士山が顔を出していました。なんといっても「浅間神社」ですから、やはり富士山を遥拝できないとですね。
浅間神社からの展望は、表尾根から主脈へ連なる丹沢の主稜線に富士山が加わって、なかなかの贅沢さでした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
見られたのはほんの頂上部だけですが、富士山をアップにしてみました。左側のピークは丹沢最高峰の蛭ヶ岳。


浅間神社を後にしたら、手前の分岐を左に入ります(来た時は右の道を上がってきました)。ガイドマップを見ていれば左に入ることが分かるとはいえ、道標は右の道しか示していないので、ここは道案内が不親切でした。
T字路に突き当たったら左折。突き当たった道は、少し前に「奈良ばい谷戸」を登ってきた道の続きです。
そこからは谷戸の反対側へ下ることになって、道も下り坂が続きました。


「小野路宿通り」に出ました。小野路宿は古代より鎌倉街道・大山道・布田道など重要な古道が交差する要衝にあって、幕末まで宿場として栄えていたらしく、当時の宿通りがそのまま現在の車道になっているとか。
とはいえ街並みはすっかり現代的な景色に変わっていて、古そうな蔵も時代を感じさせない綺麗な外観でした。
小野路宿里山交流館の前に来ました。かつての旅籠の建物を改修し、観光交流の拠点として整備した施設です。
長屋門をくぐって、小野路宿里山交流館の敷地内の様子を少しだけ見ていきます。
館内では、この地域の歴史などを紹介する展示を見られるほか、ちょうどお昼だけ提供されている小野路うどんをオーダー可能な時間帯だったので少しそそられましたが、今般の時勢を鑑みて入館は差し控えることに。
ということで、ここでは建物の外観と庭の様子を眺めただけでした。


続いて、小野路宿里山交流館のお隣にある小野神社にも寄っていきます。
社は石段を上がったところにありました。
小さな神社でしたが、調べてみると起源は天禄年間(972年頃)まで遡るらしい。
軽くお参りした後は、側面にあった別の階段から下りてきて、社殿を振り返りました。


前編でも触れた通り、小野路界隈は小野路宿里山交流館のサイトにある「周辺散策ガイドマップ」の順路通りに歩いています。小野神社から車道を歩いていると公衆トイレがあったので、有難く利用させて頂きました。
公衆トイレの先を鋭角に折り返すと、ほどなくお地蔵様や石碑などが集まっている場所に出ます。
ここはガイドマップで「六地蔵」とされていますが、実際には七体のお地蔵様が立っていました。どれも同じくらい古いもののように見えたので、きっと昔からこうだったのでしょう。


その後は、「奈良ばい谷戸」のほうに戻る具合に、登り返しが始まります。
途中には萩生田牧場があって、牛舎では黒毛和牛が飼われていました。町田市では唯一の肉牛農家らしい。
でも道の両脇の大半は畑です。結構登ったので、畑の周囲に林が広がる、自然豊かな景色に変わってきました。
さらに登ると、いくつものベンチが置かれた、ちょっとした広場に出ました。「見晴らし広場」のようです。
そこでは左手の横浜方向が開けていて、ランドマークタワーなどが見えていました。
といっても、写真にしたら上の写真の中央部を拡大してようやくそれと分かる程度の見え方なので、ガイドマップに書かれた「ランドマークタワーが見える」を読んでいて見つけようとしなければ、見逃していたかも。


その先でガイドマップの順路は遠回りな経路をたどりますが、このあたりでは「図師小野路歴史環境保全地域」として通行できる散策路が定められているため、ガイドマップの通りに、木立の中を細い道で抜けたり‥‥。
畑の中を抜けたりして進みます。地形図を見ながら歩いていたので、ショートカットできる箇所がいくつもあることが丸わかりだったものの、指定外の枝道に入るのは慎みました。
この分岐点を左に折れたら、次に向かうのは小野路城跡です。
すると、このあたりで一番自然豊かで山深いエリアに入って、散策路にも山道のような趣が出てきました。
小野路城跡手前の分岐点に出たら、城跡は奥の高みの上です。順路は右折となっているところ、左に進むと‥‥
すぐに、小野路城の水源として使われていたらしい「小町井戸」があります。
名前こそ「井戸」ですが、実態は斜面からの湧水であって、地中から汲み上げるものではありません。それにしても、この一帯で一番高い城跡からわずかに下がっただけの斜面で、良くもまぁこんなに水が湧くものです。
続いて一番高い所を目指して登っていくと、鳥居と祠が見えてきました。
小野路城跡とされている地点に到着しました。祠の後方には平坦地が広がっています。
小野路城は、平安時代末期にこの地を支配していた小山田氏が、本城である小山田城の出城として築いたものだとか。本城ですら簡素な平屋建てだった時代だけに、出城ともなればもはや砦のようなものに過ぎなかったのではとの推測もあって、確かにここには大きな建築物があったと考えられるほどの広さはありませんでした。


散策路に戻ったら、あたかも山道のような雰囲気の道がもう少し続きます。
道が下り坂に変わると、赤土の滑りやすそうな路面も少なくなく、ここは好天の日を選んで来るのが良さそう。
竹林の中を抜けて行くと、この山道も出口は間もなくです。
最後は階段で「奈良ばい谷戸」の入口に下ります。畑地の向こうに見えているのは2時間ほど前に登った道なので、ぐるっとひと回りして戻ってきた形になりました。


道路を横断したら、再び小山田緑地の本園に入ります。
こちらは見覚えのある「調整池」です。先程は池の対岸の園路を歩いていたので、今回は木道を選びました。
「調整池」の先にも、もう少し木道は続きます。
次に現れた「下池」も、そこそこの大きさがある池でした。
この時間になっても「下池」の水面にはうっすらと氷が残っていたので、消えないまままた夜を迎えるのかな。
「下池」の全体像はこんな具合でした。そして、この位置でそのまま振り返ると‥‥。
すぐ隣にあるのが「上池」で、こちらはやや小さめな池でした。
そして「上池」の先には、さらに小ぶりな「溜池」があって、合わせて4つの池が並んでいたことになります。


「上池」と「溜池」の間を通る道に入ると、そこからは登り坂に変わりました。
ここまでで歩いた距離は12kmほど。でもその距離以上の疲労感があるのは、平坦な道をのんびりと歩ける箇所が少なく、コースの大半が登ったり下ったりの繰り返しだったからで、そろそろ登りがきつくなってきました。
小野球場に出たところで一旦登り坂は収まって、そこからは球場の形に沿って外側をぐるっと回って進みます。
運動広場に出ました。かなり広いスペースなのに、この時は見渡す限り誰もいなくてガラーンとしていました。
運動広場の左前方に見えてきた高まりの上に、この日最後の見所となる「みはらし広場」があります。
この木段が、公園内では最後の登りになるので、疲れてきた足に活を入れながら登りました。


「みはらし広場」に着くと、そこは思いのほか開放的で清々しい心地になれる場所でした。
展望は後で紹介するとして、富士山や丹沢などの山々が連なる西側が大きく開けていて、もう言うことなし。
眺めもバッチリで実に気分爽快、スカッとした気分とはまさにこのことです。しかも、ちょうど正面に山々を見渡せる方向にベンチが置かれているので、座って寛いだままでその見事な展望を堪能できるのも最高でした。
それにしても残念だったのは、太陽が傾きかけて逆光に近くなってしまい、空自体も朝方ほどは澄み渡ってなくて、山々をあまりクリアに望めなかったことです。ここはコースを逆回りにして、朝のうちに真っ先に訪れるべき場所だったのでした。ここまでの展望だと思っていなかったとはいえ、これはもう計画ミス以外の何物でもありません。もしそうしていれば、もっと青い空をバックに綺麗な写真が撮れていたことでしょうに‥‥。


それでは、「みはらし広場」からの見事な展望をご覧ください。丹沢・道志・高尾・奥多摩といった広範囲の山々を広角に見渡せたので、まずはその全体像です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
続いて山域ごとに見て頂きましょう。まずは一番左に見えていた、丹沢と富士山です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山をアップで。下の方に写っている建物は、JR相模原駅前のタワーマンションです。
丹沢の右隣には道志の山々や石老山などが並び、富士五湖エリアの三ツ峠山も頂上が辛うじて確認できました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに右を向くと、高尾・陣馬の山並みの後方に、大菩薩方面の稜線が重なって見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして一番右側には、奥多摩の山々が並んでいました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
この場所は国土交通省より「関東の富士見百景」に選定されていて、その石碑もありました。頂上部がちょっと顔を出している程度でも、選ばれたりするんですね。右側は小山田緑地のサービスセンターが設置した展望図。


展望を楽しんだら、広場を後にして木段を下ります。ここには改めて、もっと早い時間に再訪しなければ!
下り切った先は、民家と民家の間を抜けるような細い路地になって、なんだか肩身の狭い思いをしつつ車道へ。
路地からの出口には小山田緑地の案内があり、通っても大丈夫な道だったようですが、少々分かりにくいかも。
久しぶりに長い距離を歩いたからか、最後に鶴見川沿いから登り返す坂道では少し足が重たくなったりもしたけれど、充実した気分で山王林公園に戻ってきました。なにも山のほうまで遠出をしなくても、もっと近くでこれだけ歩き甲斐のある場所があると分かったのは、とても大きな収穫だったと思います。展望をもっと良い条件で撮り直したいという気持ちもありますし、この界隈にはまた近々訪れることにしましょう。


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小山田緑地・小野路(前編) [東京・神奈川(平野部)]

2020/12/18(金)

■第434回 : 小山田緑地・小野路 (前編)


こう寒くなると自転車での長距離走行は辛いので、当分は山のほうまで行かずに、近場を歩くことになりそう。
とはいえ相模原市内にはガッツリ歩けるような大きな公園(起伏があって自然な森の中を歩けるとなお良い)がないので、今回もお隣の町田市まで繰り出して、小山田緑地と小野路界隈を巡ってきました。

このエリアは、これまでに出掛けたいくつかの公園等よりも起伏に富んでいて(むしろ平坦な場所が少なかったくらい)、山歩きに近い感覚を楽しむことができました。また久々に長い距離のコースを組んだこともあって歩き応えも十分でしたし、見所が随所にあることもとても魅力的で、また改めて訪れてみたいと思っています。

 累積標高差(登り):551m / 距離:14.1km / 歩行時間:3時間20分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約7.0km)-山王林公園

(登山行程)
山王林公園  10:35
大泉寺    10:50-10:55
トンボ池   11:15-11:25  (小山田緑地(大久保分園))
アサザ池   11:35-11:40  (小山田緑地(梅木窪分園))
つり橋    11:50      (小山田緑地(梅木窪分園))
奈良ばい谷戸 12:25      (炭焼き小屋)
浅間神社   12:35-12:40
小野神社   13:05
小野路城跡  13:40-13:45
みはらし広場 14:10-14:30  (小山田緑地(本園))
山王林公園  14:45

(復路)
山王林公園-自転車移動(約7.0km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

今回は下小山田の山王林公園まで自転車を走らせてきました。小山田緑地まではまだ1kmほどの距離を残していますが、この先で鶴見川へ下る急坂が始まるので、自転車はその手前に置いていくことにしたのです。
そこそこの広さがある公園は、周囲を住宅地に囲まれていながら、閑静で落ち着いて過ごせそうな雰囲気です。
もう少し早く訪れれば、いくらかは紅葉も楽しめたっぽいですね。
駐輪場に自転車を停めて、歩き始めます。


住宅街を抜けて鶴見川まで下ってくると、対岸に丘陵地がせり上がっているのが見えてきました。これから巡ろうとしている小山田緑地などはその先にあるので、川を渡ったら登り返すことになります。
でも、まずは小山田緑地の手前にある大泉寺に寄っていくことにして、参道の入口へ。
総門をくぐって大泉寺の境内に入ります。
住宅地と接する立地にもかかわらず、境内に入ると参道は深い林の中にあって静けさに包まれていました。
次に現れる仁王門は荘厳で重厚な造り。これを見たくてここに来たのでした。
くぐって振り返った仁王門。力強さを感じる反面、精巧な組木細工の集合体からは緻密さも感じられました。
仁王門の存在感がこれだけ圧倒的だったのに対して‥‥。
本堂は立派ではあるものの、鉄筋コンクリート造りで趣には欠ける感が否めません。昭和45年の焼失後に新築されたものなので致し方ないところですが、元禄年間創建だったらしい旧本堂を見てみたかったです。


大泉寺の次は小山田緑地へ。小山田緑地は本園と3つの分園からなる都立公園で、ここは梅木窪分園の入口。
このまま直進すると梅木窪分園内のアサザ池に出られますが、ここを左折して先に大久保分園へ向かいます。
そこからは、ゴルフ場の中を突っ切るようにして坂道を登っていきます。
道がゴルフ場の外周路になっても登り坂は続きます。
たちまちグリーンを見下ろす高さに。結構有名なゴルフ場なのか、平日なのに多くのプレーヤーを見ました。


ゴルフ場から出たところが大久保分園の入口でした。
まずは尾根に沿って進みます。小山田緑地内では、このようなトイレが随所に設置されていて、誰でも安心して歩けるようになっていましたし、この点は小野路界隈でも全く同様だったので、とても有難く感じました。
大久保分園でのお目当ては眼下のトンボ池なのですが、そこへ下る前に一番高い所にも登ってみました。
すると展望が開けて、遠くの山並みを眺められました。
見えていたのは、最高峰の蛭ヶ岳をはじめとする丹沢の核心部の峰々です。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望を楽しんだら、今度は木段を一気に下っていきます。


トンボ池まで下ってきました。
今朝は氷点下まで冷え込んでいたからか、この時間になっても池面には氷が張ったままでした。
あまり大きな池ではありませんが、静かで居心地の良い空間でした。
木道がトンボ池の奥へと続いていて、先のほうに休憩舎の屋根が見えていたので、そこまで行ってみます。
小高くなっている所まで登ると、そこも寛げる雰囲気の場所でした。緑が濃い時期も気持ち良さそう‥‥。
道標によると、唐木田駅からもここまで30分ほどで歩いてこられるようです。
歩いてきた木道を振り返りました(右端がトンボ池、左上は先程入ってきた入口のあたり)。この眺めがさほど広くない大久保分園のほぼ全景に近くて、その全域がもっぱら傾斜地になっていることが良く分かります。
そこには、1本だけ辛うじて残っていた紅葉も。この木がこの日見た中で最も赤味を良くとどめていたかな。
トンボ池へ戻ったら、そこからは先程とは違う経路(車道でしたが)で大久保分園の入口まで登り返しました。


そしてゴルフ場を突っ切る坂道を今度は下って、再度、梅木窪分園の入口あたりへ。ひとつひとつは大きな坂ではなく汗をかく程ではないけれど、尾根や谷間が複雑に入り組んだ地形なので登ったり下ったり本当に忙しい。
水田などが広がる谷戸を奥へと進んでいくと、水田が途切れた先にアサザ池らしい一帯が見えてきました。
アサザ池の手前にあるちょっとした広場も、心が安らぐ雰囲気でした。平日でどこも静かなのも好ましいです。
アサザ池は、元々がとても小さな池っぽいのに、水量もごくわずかで、池の底がほとんど露わになっています。
だから池というよりは湿地に近い見た目で、少々期待外れな景色でした。この日たまたまだったのかなぁ‥‥。


アサザ池で少し休んだら、谷戸からは離れて斜面に取り付きます。
ここでは、木段を割としっかりと登らされました。
木段が終わっても、さらに登りが続いて、山歩きに近い雰囲気の道です。空がやけに明るいことを除けば‥‥。
尾根に上がれば、ようやく穏やかな道に変わって、ここはとても気持ち良く歩けました。
ほどなく分岐点に出たら、吊り橋へ寄り道していく分岐道に入ります。
すると、その道は一気にガクンと下っていくので、吊り橋が架かっている谷は意外なほど深そうな感じです。
吊り橋まで下ってきても、なお谷にはかなりの深さがあって、山の中というわけでもない、丘陵地程度の地形に刻まれているにしては、思いのほか大きな谷でした。でも吊り橋は頑丈過ぎて全く揺れず、拍子抜けでしたが。
縮小して分かりにくい写真になりましたが、吊り橋の中央から谷を見下ろすと、細い川が流れていました。
吊り橋を渡った後は、登り返して元の道の続きに戻って、引き続き尾根道を進みます。
すると、1度だけ右側が開けて、また丹沢方面を望むことができました。
見えていたのは先程よりはいくぶん南側のエリアで、丹沢の表尾根と大山でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
駐車場へ下る階段が現れたら、梅木窪分園はこのあたりまで。一旦車道に出ます。


車道を少し歩けば、もうそこは小山田緑地の本園の入口です。
いよいよ小山田緑地の本園に入ります。入るなり登り坂が始まりました。
といっても、コース取りの関係上、この先にある小野路界隈を先に巡り、小山田緑地の大部分はあとで改めて回る計画なので、今はほぼ通過するだけ。すぐに現れたこの分岐点を左折して、別の入口に向かってしまいます。
左折して入ったのは「石畳の道」。コンクリートで固められた、ちょっと残念な石畳ではありましたけれど。
でも道幅はゆったりとしていますし、緑地の外れを進む道だからか会う人もわずかで、のんびりと歩けました。
途中で左側が開けて、見えたのが次に向かう小野路あたりの景色かなと思っていたら、ちょっと違ったみたい。
やがて「石畳の道」は下り坂に変わって、いくつもの池が並んでいるあたりで別の園路に突き当たりました。
T字路を左に折れると、「調整池」という名の池を右手に見ながら進みます。この池にも氷が張っていました。
「調整池」は小山田緑地の東端にあって、池の端まで歩けばすぐ東側の入口になります。
大きな駐車場がある東側の入口から、一旦緑地の外へ。外周路をほぼ通り過ぎるだけだった小山田緑地には、このあと小野路界隈をひと回りしたらまた戻って来るので、その時にはもう少しじっくりと歩く予定です。


車道を少し歩くと、右手に「奈良ばい谷戸」が現れて、古き良き里山の風景が目に飛び込んできました。
15年ほど前からボランティアの手によって、長年放置されて荒廃していた谷戸の環境を保全する活動が始まり、田んぼや畑を再生するとともに、周囲の樹林地の下草刈や枝打ちのほか、水路や溜池の整備などが行われて、昔ながらの景観が蘇りつつあるとのこと。ちなみに「奈良杯(ばい)」はこのあたりの地名(字名)のようです。
「奈良ばい谷戸」の中を登っていく散策コースに入ります。序盤は荒れた耕作放棄地も見られましたが‥‥。
進むにつれて、きちんと人の手が入った田畑が続くようになり、美しさすら感じる景色に変わっていきます。
ベンチに腰掛けて少し休ませてもらいました。本来は畑仕事をする人たちのため休憩場所なのでしょうけれど。
歩いていると不思議と心が和んできます。
谷戸を奥へと入っていくので、ずっと登り坂ですが、傾斜は緩やかで息が上がるほどではありません。
炭焼き小屋のあたりまで登ってくれば、谷戸ももう最上部が近いです。
ガイドマップによると、このあたりから富士山が見られるらしいので、振り返って確かめてみるものの‥‥。
丹沢の山々の一部が見られる程度でした。ただ、ウェブにもこの谷戸から富士山を捉えた写真があるので帰宅後に確認したところ、どうやら角度的に畑地のほうに入らせてもらうことで、見られるようになるっぽいです。
散策路上から見た丹沢はこんな具合でした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


里山保全活動が行われているエリアは炭焼き小屋を過ぎたあたりまでだったようで、さらに奥へ進むと耕作地は少なくなり、道も次第に山道っぽくなってきます。
さてここからは、小野路宿里山交流館のサイトにある「周辺散策ガイドマップ」の順路通りに歩くことにしてきたので、ほどなく現れるこの分岐点を左に折れて、次は浅間神社を目指します。
すると農道のような細い舗装路になって、さらに登り続けていきます。
舗装が途切れて砂利道に変わっても、相変わらず登り坂が続いて、さすがに少し汗ばんできました。

間もなく浅間神社に着きますが、今回は写真の点数が多くなったので、ここで記事を分割します。
続きは 後編 をご覧下さい。

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