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旭山・苗敷山 [甲府近郊]

2021/11/26(金)

■第449回 : 旭山(1037m)・苗敷山(1010m)


今回の行先は、山梨県韮崎市の旭山。古くは山岳信仰の場として知られた山で、山頂直下に724年の創建という歴史ある穂見神社が立派な社殿を構え、特に江戸時代頃には多くの参拝客で賑わっていたとされています。

現在は整備された登山道がなく、登山目的で足を運ぶのは余程の物好きなど少数に限られそうですが、往時の登拝路の名残を留める道が今も歩ける状況にあるらしく、信仰の篤い人が参詣で登ることもあるようです。

訪れる人も稀な山上に忽然と現れる穂見神社の奥宮。社殿は今もきちんと手入れされている様子だ。

 累積標高差(登り):697m / 距離:9.7km / 歩行時間:3時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:26-05:48 八王子 05:51-05:58 高尾
高尾 06:15-08:02 韮崎 08:33-08:49(延発08:44-09:01) 竹の内

(登山行程)
竹の内バス停   09:05
穂見神社(里宮)  09:05-09:10
石鳥居      09:45
穂見神社(奥宮)  10:40-10:45
苗敷山      10:50
旭山       11:05-11:10
穂見神社(奥宮)  11:20-11:25
石鳥居      11:50
エーワン精密社前 12:10
御勅使南公園   12:25-13:00
御勅使バス停   13:10

(復路)
御勅使 13:25-14:01 甲府 14:16-15:10 八王子
八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

韮崎駅から市民バスに20分ほど揺られて、竹の内バス停で下車します(写真左端がバス停のポスト)。
バス停の横には穂見神社参道の大きな石柱と案内図が並んで立ち、案内図を見ると山上には奥宮のほか、宝生寺という別当寺の跡や宿坊跡など多くの建物も描かれていて、往時は大変栄えていたであろう様子が窺えます。
穂見神社の里宮はバス停のすぐそばにあって、参道を30秒も歩けば鳥居の前へ。もちろん寄っていきます。
まずは拝殿の前で手を合わせます。今日も無事に登って下りてこられますように。
見ておきたい物があったので拝殿の裏に回ると、それは本殿への渡り廊下の脇にありました(写真左下隅)。
木の根元に立て掛けられた石を良く見ると、「元禄四辛未歳」「苗敷山道初丁目」と刻まれているのが分かります。奥宮への参道には元禄4年(1691年)に丁石が整備されたとされていて、里宮がその起点だったようです。


参道に戻って集落の中を登っていき、ほどなく右に分かれる細道の先に防獣フェンスの扉が見えてくれば(写真の円内)、それが参道の続きの目印になっています。
細道に入ると、防獣フェンスの手前に「二丁目」の丁石がありました(写真右下隅)。パッと見では三丁目とも読める代物ですが、公的な調査で二丁目と判定(※)されていたりします。さっき初丁目を見たばかりですしね。
  ※なお「二」には線が浅く追刻されて「三丁目」のように判読できるが、三丁目丁石は別に存在するので二丁目であろう。
    [ 苗敷山総合学術調査報告書『苗敷山の総合研究』(2011年・韮崎市教育委員会発行)より転記 ]
それでは、フェンスの扉を開閉して、林の中へと延びていく道に入ります。
少しだけ林道を歩いたのち、ここを直進して山道へ。ここには道案内が何もなかったものの、林道のほうはここから先が工事関係者以外立入禁止でしたから、特に悩むこともありませんでした。
はじめは深くえぐれた道が続きます。昔から良く歩かれていたっぽいえぐれ具合から、このあたりは古い参道を歩けたのではとも思いましたが、でも丁石をしばらく見なくなったので、やっぱり付け変えられた道なのかも。
その後は尾根筋を進む地形図の破線路を右に分けて、尾根左側の斜面を進むようになります。その分岐にも道標等はなかったけれど、斜面を進む道のほうが明らかに明瞭で、どちらへ進むかはほとんど迷いませんでした。
トラバース状に登り続けていると、やがて前方を横切る林道が現れて、ここでその林道に突き当たりました。
林道に合わさった地点を振り返ると、登ってきた道の存在はほぼ分からず、下りだったら林道をそのまま進んでしまいそう。なのに、ここに道標はおろかテープ等の目印すらないということは、林道を下ったとしても全く問題がないことを意味しそうなので、恐らく先程見送った地形図の破線路がここに続いているものと思われます。
    ※下の写真にマウスを乗せると、道が合わさる様子を表示します。
そこからは林道歩きに変わります。このあたりは路面があまり荒れていない、割と歩きやすい林道でした。


ここで、左から上がってきた別の林道と合わさります(全区間まるまる往復になっては面白味に欠けるので、帰りはその道を下る予定)。古い記事の写真だとここに道標が立つ様子が見られるのに、今は何の道案内もなく、その残骸っぽさのある木片が見られるのみ。きっと道の手入れをする人もいなくなってしまったのでしょう。
そのすぐ先で、今度は登る方向が二手に分かれます。ここも一見道案内はなさそうですが、「火の用心」や「ゴミを捨てるな」といった看板が右寄りに立って、右の道が進路だと示しているようで、私も右へと進みます。
良く見ると、足元に倒れた道標があって、「石鳥居」「奥宮」と書かれた2つの指示標が右の道を示していました。とはいえ、これらがいつ来ても同じ方向を指して置かれている保証なんてなさそうですけれど。
ほどなく左手に石鳥居が現れました。てっきり下をくぐるものと思っていたら、道とは微妙にズレています。
なので、石鳥居の正面に立つには、ひとまず道から少し外れる必要がありました。今は林道が鳥居の右横を抜けているのに対して、かつての参道はこの下を通っていたのでしょうか。
その先で林道が一旦道形を失い、その先が草深くなるとともに、踏み跡も二手に分かれたので、双方の様子を窺ったところ、右は尾根に突き当たった先がやや不明瞭に見えて、左なら林道の続きがありそうな気配です。
ここでは、地形図の破線路が尾根筋を進んでいる一方で、先人の軌跡が一様にその尾根筋を左側から迂回しているのを事前に見ていたこともあって、左の道を進みました。ここが結果的にこの日進路で迷わされた唯一の箇所になっていて、下の写真は少し先まで進み、林道としての道形が再び明瞭になってきたあたりです。


その後しばらくは林道を追う形。古道の気配など微塵もなくて趣には難がありますが、歩きやすい区間でした。
途中にはZ字状の小さなジグザグが2箇所あります。写真は1箇所目のジグザグを上から振り返ったところ。
    ※下の写真にマウスを乗せると、ジグザグの道筋を表示します。
さらに進むと、今度は少し大きめのZ字状のジグザグが現れて‥‥
ここまで尾根から大きく外れていた林道が、尾根のすぐ近くに上がりました。地形図の796m標高点付近です。
ふいに草藪が進路に立ちはだかると、ここは中を突っ切る踏み跡しかなさそうだったので、強引に突破します。
すると草藪を抜けた直後にまた歩きやすい林道が復活したりして、先の展開が全く読めません。


久しぶりに道標が現れたら、ここからは林道を離れて山道を歩けるようになり、ようやく登山っぽい雰囲気に。
その先では丁石も久々に見掛けるようになって、ここには2つの丁石が接近して置かれていました。
手前側(上写真の黄色の円内)の丁石は、「廿丁目」、すなわち二十丁目です。そしておかしなことに、、
奥側(同じく橙色の円内)にあるのが「十九丁目」でした。順序が逆転していますから、少なくとも片方はここが元来の位置でないことが明白で、丁石があるからといって、ここも必ずしも古来の登拝路ではないのかも。
短い石段が現れたので登ってみると、そこには小さな平地があっただけ。でも下のバス停で見てきた案内図に、山上にいくつもの建物跡があることが描かれていましたから、そのどれかだったのかもしれません。
さらに進むと、ここには「二十一丁目」の丁石がありました。
時折丁石を見るようになったとはいえ、依然それ以外の道案内は何もなく、こんな標識でも見ると安心します。
かなり登ってきて、いつしか、れっきとした山道に。あまり古さを感じられないのは気のせいなのかどうか?
そして今度は「二十三丁目」の丁石を見ます(二十二丁目の丁石は所在が確認されていない模様)。
ここには「二十四丁目」の丁石(写真右端)とともに、ひときわ大きくて目立つ「西行歌碑」がありました。山麓に住み西行を尊敬した遠近庵引蝶なる俳人が建立したとされる歌碑で、天明7年(1787年)のものらしい。


やがて古い石段が現れて、さすがにこの先は元来の登拝路と同じ道筋なのが確実に(もう残り僅かだけれど)。
最初の短い石段を上がると、そこには「山門跡」の標識が立ち、奥にはさらに長めの石段が続いています。
苔生した石段は、どの石も角がすっかり丸まり、所々で歪んでいたりもして、経てきた年月の長さが窺えます。
もう一段上がるとそこは「隋神門跡」。茅葺の大きな建物だったらしく、建っていた頃を見てみたかった‥‥。
隋神門跡の先にあったのが最後の石段のようで、登り詰めた先に、いよいよ穂見神社の社殿が姿を現しました。
ここまでの道を振り返ると、昔ながらの登拝路が残っている箇所は限られていたようで、多くの箇所で林道などに付け替わっているもののその道も荒廃が進んで、すでに車両では通行できないような有様です。
それでも歩いて通る分には特段の困難も危険もなく、紛らわしい分岐など道迷いを起こす要因もほとんど見当たらなくて(道案内も最小限でされています)、思いのほか登り下りできてしまう状況でした。
そんな訳で、難易度が低~中程度とされるようなバリエーションルートの登山道がある山とさほど変わらない感覚で歩けたという印象です。


穂見神社の奥宮に到着。こんなに立派な建物が、普段は誰にも見られることなくひっそりと建っているなんて。
奥宮の社殿を右側から見た様子。本殿・渡殿・拝殿が一体化した権現造で、日光東照宮と同じ建築様式だとか。
今度は左側から。驚いたことに、元文元年(1736年)再建の社殿にはほとんど傷みが見られません。昭和28年に改修されたとありますが、それも70年近く前のことなので、余程その後の手入れも行き届いているのでしょう。
近くから見ると、かなり賑やかな装飾が細やかに施されており、隆盛を極めていたであろう往時が偲ばれます。
社殿の南側は小さな広場になっていて、西側から林道が延びてきていたので、車両で上がって来られるのかも。
周囲に広がるモミ林は山梨県の自然記念物に指定されています。でもこの看板の注目すべきポイントはそこではなく、添えられた地図で奥宮の背後にあるピークの標高が「1013.4」と細かく表記されていることで、次に向かう苗敷山の正確な標高(小数点以下まで明記したものはほかに見られない)を表している可能性があります。
※地形図と見比べると同じ地点を描いたと思えないほど等高線の位置が違っていて、信憑性に大いに疑念を挟む余地がある地図ではあるものの、国土地理院による最新の標高データ(航空測量による5mメッシュの数値標高モデル)における苗敷山付近の最高値も1014.0mと近く、標高値としての妥当性には問題がなさそう。


説明が前後しますが、奥宮の背後の高まりが「苗敷山」とされていて、このあとはそこを経由して旭山を目指します。奥宮の裏手が少し急な斜面だったので、広場のほうに少し歩いてから、写真左側の林の中に入りました。
なお、地形図に山名の記載があるのは三角点峰の旭山だけで、「苗敷山」とされる地点はそこから400mほどしか離れておらず、一般的には山名が別々に付くことがなさそうな近さです。さらに、苗敷山がさほど顕著なピークではないため、2地点を双耳峰とみなすにも無理があり、苗敷山を敢えて呼び分けるにしても、普通なら「旭山の肩」のような言い方がせいぜいな気がします。
しかし、前出の苗敷山総合学術調査報告書『苗敷山の総合研究』に、「地元では山頂部の鞍部によって旭山と苗敷山に区別されている」「地元での苗敷山に対する愛着は深く~(後略)」という記載が見られたことに加え、先人の記録もその多くが旭山と苗敷山を明確に区別していることから、この記録でもそれに倣い、苗敷山を個別の山として扱うことにしました。

さて、奥宮までの道はそこそこ歩かれていましたが、奥宮から先へ進んだ途端に道が消えてなくなりました。この先に足を踏み入れるなんて酔狂なピークハンターくらいですから通る人なんて稀でしょうし、どこでも自由に歩けそうな広い斜面ゆえに、ただでさえ少ない足跡も分散して、ハッキリした踏み跡が残らないのでしょう。
道がないため、苗敷山の高みを目指して適当に進むと、私製の山名標付きの樹木(写真中央)を発見します。
その山名標が少々問題ありの代物で、ここは地形図の1010m圏の等高線内ですから、まず標高が明らかに間違っていますし、苗敷山の最高点もここではなさそうで、何かと不正確。良く確かめずに設置したのでしょうか。
苗敷山の最高点付近は林道により南北に二分されていて、上の山名標の地点も南側の最高点にはなるようですが、国土地理院の標高データでは北側にもっと高い地点が見られます。そこで北側に向かうべく林道を横切ろうとすると、掘割状の林道に出入りする箇所だけは踏み跡が収束して、しっかりした道筋が付いていました。
苗敷山の最高点と思われる地点まで来ると、ここにも樹木に括られた私製の山名標がありました。
こちらの標識は、場所も標高もどちらも適切なようですし、この記録でもここを苗敷山としたいと思います。


苗敷山から旭山に向かって尾根筋を進む途中、伐採地に出たところで尾根筋が草藪(写真右端)で歩きにくくなると、この区間だけなぜかピンクテープが多数付けられて、草藪の境界あたりの道筋に誘導してくれました。
伐採地に出たことで西側の見通しが開けて、千頭星山と甘利山が眺められました。この奥にそびえる南アルプスの鳳凰三山が、これらの山に遮られてギリギリ見えていなかったようなのが残念でしたが‥‥。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
伐採地の北端まで進むと南側にも眺望が広がって、少し遠めに櫛形山が見えていました。
伐採地を抜ければ、再び人が入った気配を全く感じない山の中。踏み跡もテープ等の目印も一切見掛けません。
でも地形が単純だからか、ただ高い場所へと適当に歩いただけにしては、すんなりと目的の地点に到着です。
旭山の山頂は苗敷山と同じく樹林の中で、展望は皆無です。そこにあるのも三角点と私製の山名標だけでした。
私製の山名標は無意味に3種類もあって少々目障り。今後訪れる人はもう山名標を増やさないで頂きたい。


旭山からは、しばらくは来た道をそのまま引き返します。穂見神社の奥宮が見えてきたら、帰りはここから社殿裏手へのやや急な斜面を無理やり下りました。
奥宮からの石段を下り終え、山道に入ってすぐのあたりに、東側に開けた地点があって、富士山をはじめ御坂方面などの山並みを眺められました(ここは登る時には気付かずに通過していたようです)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
往路で細かく写真を撮りながら歩いたのが良かったのか、途中で曲がるべき地点の様子などがしっかり目に焼き付いていて、復路はいたって順調に歩くことができ、登った時の半分の時間で石鳥居まで下ってきました。
石鳥居の先の分岐点まで来たら、同じ道を往復するのはここまでとして、右に分かれる林道を下ってみます。
    ※下の写真にマウスを乗せると、道が分岐する様子を補足します。
あまり歩かれてなさそうな道にしては、道形は明瞭ですし、深くえぐれた様子から、作業道として盛んに使われていた(今も使われている?)道なのかもしれません。登山者が通るのは間違いなく稀なことでしょうけれど。
所々で洗堀が進んだ路面はガタガタで、車両での通行はもう無理そうでしたが、歩く分には問題ありません。
人里の気配が漂うあたりまで下って沢沿いに出ると、そこからの道は簡易舗装されていました。沢の上流には堰堤が見えたので(この写真にも一応写っています)、ここからはその工事用に使われた道にもなるのでしょう。
間もなく防獣フェンスが現れると、この扉は開閉部分が錠前で固定されていて開けられないのですが‥‥
事前にネットで得ていた情報通り、フェンス沿いに右へ進めば開閉可能な扉があって、そこから向こう側へ。
その後は工場の建物が並ぶ中を抜けて車道に出ました。建っていたのがエーワン精密という名前の機械工具メーカーの工場なので、この記録ではこの地点を「エーワン精密社前」と記載しています。


あとは車道を歩いてバス停へ向かいます。前方には金峰山をはじめ奥秩父や大菩薩連嶺あたりの山々が。
こちらは登ってきた山を振り返った写真で、旭山を撮ったつもりだったのに、カシミール3Dで確かめると旭山も苗敷山も麓からは山頂が見えていなかったようです(穂見神社奥宮のあたりが辛うじて見えているような)。
バス道路に出てすぐのところには県立北病院バス停があって、ここから来る時にも利用した韮崎市民バスで韮崎駅に行くことができますが、それよりも少し早く帰れるバス路線が別にあるので、もう少し歩くことに。
でもどちらのバスを利用するにせよ、小1時間ほど待たされるので、途中の御勅使南公園に寄っていきます。
時間調整には恰好のあずまやで、しばらくマッタリと過ごします。平日のお昼時、住宅街から離れた公園にはほとんど人がいなくて静か。人目を気にする必要がなくて、帰りの身支度なんかもここで済ませてしまいました。
あずまやの場所は眺めも良くて、あまり退屈せずに過ごせます。東を向けば富士山が。
南側に見えていたのは櫛形山。御勅使川の河原も草紅葉のようになっていて綺麗です。
再び登ってきた旭山を振り返ります。当然ここからも山頂が見えていなかったと知るのは帰宅後のことでした。
あずまやは居心地が良かった反面、トイレが御勅使川の対岸側(そこも同じ公園内だけど)にしかなくて、最後に少し余計に歩かされてしまいます。事前にもう少ししっかりとリサーチしておくべきでした。
御勅使バス停からは、山梨交通のバスで甲府駅へ。ほかの人を写したくないからと、十分な早さだと見込んで15分前に来てみたら、もうベンチには2人組の先客がいて、どうやら読みが甘かった様子。ちなみに、かつて芦安まで行っていた路線が御勅使折り返しに縮小された(2013年4月)ものですが、御勅使~甲府間は利用者がそれなりにあるようで、私が乗った便も平日の昼間にもかかわらず、席がかなり埋まる程度の乗客がありました。


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醍醐山・西山 [甲府近郊]

2021/11/17(水)

■第448回 : 醍醐山(635m)・西山(487m)


この日は山梨県の南部へ。甲府から身延線を半分近く南下して、身延町の低山2座を巡ってきました。

今回訪れた醍醐山は、登山地図の収録範囲から外れていて、知名度はさほど高くなさそうですが、地元の方々にとても愛されている山のようです。「醍醐山を愛する会」のブログを見ると、一斉登山をはじめとするイベントが定期的に開催されるなど活動が盛んな様子が窺えますし、登山道も良く整備されていて(整備活動の様子もブログでしばしば紹介されています)、とても気持ち良く歩くことができました。

雑木に囲まれながらも明るくて居心地の良かった醍醐山の山頂。背中側にはあずまやが建っています。

 累積標高差(登り):581m / 距離:7.0km / 歩行時間:2時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:59-05:21 八王子 05:36-06:20 大月
大月 06:24-07:12 甲府 07:15-08:42 甲斐常葉

(登山行程)
甲斐常葉駅  08:50
鳩打峠    09:15
五老峰展望台 09:25
醍醐山見晴台 09:50
醍醐山(1)   09:55
展望台    10:00-10:05
醍醐山(2)   10:15-10:20
大子峠(1)   10:35
西山     10:50-10:55
大子峠(2)   11:00
下部温泉駅  11:35

(復路)
下部温泉 12:03-13:20 甲府 14:16-15:10 八王子
八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

身延線を甲斐常葉駅で下車します。山間部に入る頃には電車はガラガラで、この駅で降りたのも私だけでした。
駅前には、これから歩くコースの案内図が(上の写真でも右端に写っています)。足元の「2.7km」は山頂までの距離を示す標識で、この先100mごとという短い間隔で次々と現れて、現在地の目安になってくれました。
駅前からの道案内も万全で、3ヶ所あった曲がり角のすべてに道標が立っていました。
車道を進む距離はいくらもなく、5分も歩けば民家に突き当たって終わりになります。
その民家の裏手を回るようにして進むと、山道が始まりました。


すでに書いた通り、この距離標が100m進むごとに頻繁に現れるのが、とても良い励みになります。
序盤は、昔から良く歩かれていたに違いない、深くえぐられた道が続き、勾配が緩めで比較的楽に登れます。
1.5kmの距離標の手前あたりからは、ほぼ平坦か時折下ったりするようになって、どんどん距離が進みます。
1.4kmの距離標の先で、細くやせた尾根上(小規模なので築堤っぽい)を通過。ここも大変穏やかな登りです。
鳩打峠に着くとそこは分岐点になっていて、左に下れば下をくぐる道路のトンネル脇に出られるようです。


鳩打峠を過ぎると1.3kmの距離標が現れて、距離上はすでに山頂までの半分以上を進んだことに。ただ、ここまで緩やかで楽な道だっただけに、標高差はまだ3分の1も登れておらず、この先で登りがきつくなりそうです。
相変わらず道案内は丁寧で、ちょっとでも分岐っぽく見えるところにはきっちり道標が。
左側が開けた地点に出ました。ここは「五老峰展望台」とのことです。
そこには親切な展望図も。とても力を入れてこの登山道を整備していることが感じられます。
そしてほぼその展望図通りの眺めがありました。ただし展望図が「武山」としている左端の山は、ヤマレコで「桑木山」となっているからかネット上の記事も「桑木山」ばかりで、「武山」とする記事は見当たらない模様です(念のため調べた三角点の点名も「唐松山」でした)。地元での呼称かもしれませんが良く分かりません。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


さらに山頂が近くなると、いよいよ坂がきつくなってきました(0.7kmの距離標の少し手前から)。このあたりでは登山道もジグザグをほとんど描かず、直線的に登っていく具合なので、結構苦しい登りです。
急坂が一段落した先には、丸太のベンチがたくさん。ここでひと息入れられるようにとの配慮なのでしょう。
その後、動物除けのネットを2度続けて通過しますが、ともに壊れていて開閉できず、道の部分が全開でした。
初めて木段が現れると、それを登った先に0.2kmの距離標が立っていました。もう山頂も間近です。
そのすぐ先で、直進方向に次の木段が見えてくると、右に分かれる道に「見晴台から頂上方面」の案内が。
右に折れて進むと、伐採されたのか樹木が途切れた見通しの良い箇所があり、そこが「醍醐山見晴台」でした。
「醍醐山見晴台」にも展望図が設置されていました。
樹木の途切れた範囲がやや狭いので、実際には展望図全体の方向を一度には見渡せません。まずは見晴台の右寄りに立って、展望図の左側に書かれた範囲を眺めてみたのがこちら。展望図と見比べると、山の形や位置には違うところも多くて、展望図は結構アバウトだと感じましたし、千頭星山などは実はほとんど見えないようです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
続いて見晴台の左寄りから眺めた、展望図の右側に書かれた範囲です。右半分に写っている金峰山の方向は大いに霞んでいて、金峰山と茅ヶ岳を見極めるのがせいぜいでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


「醍醐山見晴台」の近くからも、先程の分岐点へ戻らずに直接山頂へ向かう道がありました。その道の先には、山頂に建つあずまやの屋根がもう見えています。
なので醍醐山の山頂には、ほんのひと登りで到着。こちらは見晴台のあたりからも見えていたあずまやです。
山頂一帯は、雑木に囲まれながらも日差しが明るく注がれて、居心地は上々でした(冒頭と同じ写真です)。
醍醐山の解説板と頂上標柱。標柱の左手前には三角点も。解説板には、かつて修験の山だったことや、戦国時代に武田氏が烽火台を置いたことなどが記され、中腹にある大子集落の成り立ちについても触れられていました。


山頂は全く展望がきかないので、「展望台」と案内された方向に進むと、そちらへの道にも距離標が。
でも展望台への道は、山頂までの道ほど明瞭でない上に目印のテープ類も少なく、さらに斜面を覆った落ち葉が道の所在をより分かりにくくする、この時期特有の困難も重なって、進路を慎重に見極める必要がありました。
しばらく下ると展望図があって、そこが展望台だったのですが、点在する樹木や草藪に見通しを阻まれ、しかもどの方角もネット越しにしか見られない、残念な場所でした。もっと大きく開けた場所を期待していたのに。
その展望図も、いかにも正確そうな見てくれをした割に、やはり実際の見た目とは違いが目立ちました。なぜ?
付近を少しウロウロした結果、展望図からやや離れたところに、割と広角に見渡せる場所があることを発見、ネットの網目の外側にカメラだけ出して、パノラマ撮影をしてみました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望図で左端に描かれている五老峰も、少し場所を変えれば見ることができました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
一方の右側は、いくら移動してもスッキリと見られるの七面山までで、それより右の青薙山や笊ヶ岳は、樹木と重なるようにしか見られないように思われました。展望図の設置時点よりも樹木が生長したからでしょうか。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


醍醐山の山頂に戻ってきました。
次に向かうのは西山。まずは「至 大子」の案内に従って、大子の集落跡を目指します。
下りしなは広い尾根で、道がやや不明瞭になるものの、多く見かける樹木名の標識も良い目印になりました。
ほどなく木段が現れるようになれば、次第に道がハッキリしてきます。
さらに下るにつれて、少しえぐれた箇所が続いたりする、安心して進める分かりやすい道になりました。
その後、何やら建物が見えるピークを左側から巻いて行くと、少し先でそのピークへの道が右に分かれます。
右を向けばすぐ上にその建物が。この通り距離も高低差もわずかなので、そこまで行ってみます。
建っていたのは、外観では何なのか見当が付かないような建物です。でも先程見てきた醍醐山の解説板に、大子集落に「山神社を祭った」と書かれていたので、その山神社だろうと見当は付いていました。
山神社だとすれば近代的なアルミサッシが少々不似合いにも思われましたが、それはともかく、サッシが動かせたので開いて中を覗いてみたところ、小詞が3つほど並んでいたことから、やはり山神社なのでしょう。


元の道に戻ると、すぐ先にはいくつもの石塔が立ち並ぶ一角が。正面側に回ってみたら、いずれも墓石でした。
「醍醐山 大子集落」と題され、集落の歴史などが書かれた解説板も立っています。集落はこのすぐ下らしい。
案内標識に大子峠と書かれたこの場所は西山への分岐点になっていて、西山を往復してまた戻ってくることに。
ということで西山への道に入ると、すぐに送電線鉄塔が立つ小ピークに出て、左右に展望が開けました。
まずは右側(西側)の展望。ここまで来てやっと、南アルプス方面をスッキリと見渡せた気がします。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方の左側(東側)にあったのは、最初に「五老峰展望台」で見てきたのとあまり変わらない眺めでした。
その先は道形がやや心許なくなり、鉄塔ピークからの下り口などは少し探してやっと見つかる始末。その後もテープ等の目印は散発的にしかなく、落ち葉が道を分かりにくくしている影響も加わって、特に下ることになる復路で迷いそうだったので、しばしば振り返った時の景色を目に焼き付けたりしながら進みました。
西山に到着しました。あまり顕著なピークではなく、展望も皆無なため、とても地味な地点です。
そこにあったのも、私製の山名標と三角点だけという慎ましさ。なお三角点は最近更新されたものなのか、ほとんど風化が見られない綺麗なもので、各側面に刻まれた文字もあまり見たことがないくらい鮮明でした。


西山から引き返すと、戻る時の景色を往路で確かめていたからか、意外なほどすんなり歩けて鉄塔のピークへ。
大子峠まで戻ってきたら、ここを右に折れて、下部温泉駅への下山路に進みます。
わずかに下ると、大子の集落跡に入りました。ここでは道の左右に建物が残っています。
通り過ぎて振り返ると、上の写真の左側の建物は荒れ果てて倒壊し、まさに廃屋という有様だった一方で‥‥
右側の建物はあまり傷みも見られず、近年まで人の生活があった模様ですが、こちらも現在は無住でした。
でも所有者の方のご厚意なのか、離れのトイレは登山者に開放されていました。


集落跡からの下りは、登山道というよりは、かつて住んでいた人々の生活道なので、比較的歩きやすい道です。
が、途中に蜂の巣を避ける迂回路があり、その区間だけは悪路でした(登りは大丈夫そうでしたが、下る時は足元に要注意)。急造の道でしょうし、元の道に戻れるまでの短い間だけのことで仕方ないのでしょうけれど。
元来の道に戻れた直後には、山中で唯一の出会いとなった2人組のハイカーとすれ違います。あとはしばらく順調に下って、沢沿いまで降りてきたら、この橋で対岸へ。
と思ったらすぐ先にまた橋が架かっていて、元の側に戻ることになり、その後しばらくは右岸を進みます。
さらに下って、途中に小屋が現れるなど、人里が近い気配が濃厚になってきたら、3つ目の橋を渡ります。
すると今度は動物除けのフェンスがあって、これを開け閉めして通過すれば、その先は見るからに人の生活圏。
と思う間もなく、すぐに道路に出ました。周囲には家々が建ち並んでいて、小さな集落の中に入っています。


下部温泉駅を示す道標が左方向を指しているのに対して、一旦右のほうに下っていくと‥‥
そこには(上の写真で白い車が停まっているあたり)、甲斐常葉駅で見たのと同じ体裁の案内図がありました。実は事前にストリートビューを確認していた時に、ここにこの案内図があることを見ていたので、てっきりここに出て来るものと思っていたら、実際の登山口は少しずれた場所にあったのですね。
あとは道標の案内に従って、集落の中を抜けていきます。
集落の外れまで来たら、ここからもう少し下って、下を通る国道300号(本栖みち)へ。
国道へ下ると(というか2枚上の写真からずっと)、この日もう何度も眺めた五老峰が正面に見えていました。
振り返れば反対側には身延山が。
間もなく下部温泉駅に到着。2008年に毛無山から下ってここまで歩いてきた時以来、13年ぶりに来た駅前の景色は、その時とあまり変わっていないように感じました。


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武田の杜「健康の森」・片山(大宮山) [甲府近郊]

2021/10/29(金)

■第446回 : 武田の杜「健康の森」・片山(大宮山,665m)


久々に遠出をしたこの日は、山梨県甲府市の「武田の杜」の中にある、「健康の森」を歩き回ってきました。

コロナ禍に突入した昨年3月以降は、登山以外の用件も含めた全ての外出先を、神奈川の県央地域および隣接する東京多摩地域に限っていたので(東京・神奈川の都県境の在住につき、両都県の行き来は日常生活でも不可欠なため許容して頂きたく)、その地域から外に飛び出すのは、実に1年半ぶりのことになるのでした。

「健康の森」の展望広場(西の平)からの富士山。富士山が大きく見える場所まで行ったのも久々でした。

 累積標高差(登り):689m / 距離:11.7km / 歩行時間:3時間15分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:59-06:21 八王子 06:35-08:09 甲府
甲府駅バスターミナル 08:40-09:02 千代田湖入口

(登山行程)
千代田湖入口バス停 09:10
みはらし広場    09:35-09:40
案内板(28)     09:55
サービスセンター  10:20-10:25
片山(大宮山)    10:35-10:40
森林学習展示館   10:45
自由広場      10:55-11:00
西の平(展望広場)  11:15-11:30
第二広場      12:05
案内板(5)      12:15
山百合の道入口   12:40
千代田湖      12:55-13:05
千代田湖バス停   13:10

(復路)
千代田湖 13:25-13:43 甲府駅北口
甲府 14:16-15:10 八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずはじめに、「武田の杜」は甲府市街地のほど近くにある広大な森林公園です。私は2011年に、下の全体図に紫色の線で描かれた「武田の杜遊歩道」(広い公園ゆえに総延長約22kmのロングコース)を歩いているほか、その遊歩道の一部を絡めてほかの山に登ったことも2回あって、割と馴染みがあるエリアだと言えるでしょう。
今回歩いてきた「健康の森」という一角も、この森林公園の西側の一部となっています。
  ※この全体図は縮小で字が潰れたため、図の上にマウスを乗せると、主要な地名を大きく表示します。
こちらは「健康の森」の拡大図です。森内に遊歩道がくまなく張り巡らされていて、あちこち満遍なく回れば歩き応えがありそうですし、片山(大宮山)というピークがあるほか、高低差のある山道も随所に見られるなど、山歩きの一環とするにも申し分なさそうに思われて、新たな行先候補として選んでおいてあったのでした。
  ※図の上にマウスを乗せると、今回歩く予定のコースを重ねて表示します。


甲府駅で南口に降りてみたら、以前の面影が全くないほど駅前のロータリーが大改修されていて、いかに久しぶりに来たのかを思い知らされました(改修の完了は2017年らしい)。路線バスに関しては、乗り場の刷新だけにとどまらず、最新の総合案内システムが導入されていて、バス停での情報表示も親切で分かりやすかったです。
25分ほど路線バスに揺られて、千代田湖入口で下車しました。「健康の森」の核心部に最も近いバス停です。
はじめは車道の坂道を登っていきます。右上に見えてきたのが「健康の森」最高点の片山(大宮山)付近で、そこまでの標高差は350mほどとあまり大きくはなく、しかもその半分以上をこの車道で登ってしまいます。
しばらく続いていた住宅街が坂の途中で終わると、車道はやがて森の中へと入っていきます。
森に入って2つめのヘアピンカーブを曲がると「健康の森」への入口がありますが、ここは一旦見送ります。
というのも、車道をもう少し登った先に「みはらし広場」なる地点があると、地図を見て分かっていたから。
上の写真の入口をやり過ごし、広場を右手に見ながら通り過ぎると、反対側の入口に「みはらし広場」の標柱が立っていました。ベンチがいくつか並べられたテラスは眺めが良く、甲府市街を一望できる様子が分かります。
ベンチの前に立てば、甲府市街が広がる先に山梨県南部の山々を眺められて、遠くには少し安倍奥の山並みも。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ただ残念だったのは、テラスの右端に寄らないと富士山が見えてこなかったり、、、
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
南アルプスの山々も、今度はテラスの左端いっぱい寄って、辛うじてその一端が見られる程度だったことです。南アルプスを見るのだったら、中央線の車窓からのほうがよっぽど格好良く眺められたような。。。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


展望を楽しんだら、車道を引き返して先程スルーしていた入口まで戻り、ここから「健康の森」に入ります。あまり使われていない入口なのか、ここが「健康の森」の入口であることが何も示されていない、ひっそりとした雰囲気で、立っていたのもゴミの持ち帰りや山火事防止などの一般的な注意が書かれた看板だけでした。
やや荒れた道を少し登ると、すぐにしっかりとした道に出て、そこには道標も立っていました。
そこから遊歩道が整備されたエリアに入ったようで、歩きやすい道に変わって、緩やかに下っていきます。
34番の案内板が立つ分岐点で、別のところから登ってきた道に合わさりました。
そこからは登り坂に変わりました。道幅はいっそう広くなって、歩いていてとても気持ちの良い道です。
33番の案内板が立つ分岐点。要所要所でいちいち写真を撮っていたので、写真数が大変多い記事になりました。
多くの地点に、このような番号付きの案内図が立てられていて、とても分かりやすいです。
引き続き緩やかな登り坂のこの道は「夏の小道」とされていて、木々の中には多少色付いているものも。
左手に下っていく道を分けると‥‥
そのすぐ上が28番の案内板が立つ分岐点で、ここを右に鋭角に折れます。
すると、やや草深いところもある道に変わりました。どうやら道によって、整備状況に差があるようです。
27番の案内板が立つ分岐点。ここは右に分かれる「くりの道」へ。
今度は下り坂に変わりました。森内のなるべく多くの地点を巡ろうと、敢えて変則的な経路をたどっていることで、通る道によって登りだったり下りだったりするため、単純な標高差以上にアップダウンをさせられます。
37番の案内板が立つ分岐点を直進したら、ここからは再び登り坂に。
どの道も、ひたすら森の中を進むばかりで、あまり景色は変わり映えしません。見通しの良い場所も、休憩用のスペースも出てきませんが、でもその分余計な伐採は避けられているはずなので、このままで良いと思います。
38番の案内板が立つ分岐点は、左に鋭角に折れて「松ぼっくりの道」へ。
そこからは、森内で一番高いエリアを目指すことになるからか、いくぶん傾斜がきつくなりました。
26番の案内板の分岐点は四差路になっていて、歩いてきた道のほか、下から登ってきた道2本が合わさります。
残る1本の道を登り続けていくと、ほどなく景色が開けてきました。一番高いエリアに入ったようです。
8番の案内板を見れば、そこからはほぼ平坦な道になりました。奥の方には建物も見えてきます。


その建物は「健康の森」のサービスセンターで、入口には飲料の自販機があり、中ではトイレも利用可能です。
サービスセンターの前は、何組ものテーブルとベンチが置かれた、居心地の良いスペースになっていて‥‥
そこからは甲府の市街地を一望できました。その先にはもちろん、甲府盆地をぐるりと取り囲む山々が。
サービスセンター前からの展望です。標高を上げただけあって、下にあった「みはらし広場」よりも広範囲の山々を見渡せて壮観でしたし、ここからなら富士山と南アルプスも同じ画角に入れられました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
富士山は、下に少し樹木が被って、あまりスッキリとした見え方ではなかったけれど(右端は三方分山です)。
南アルプスも、白根三山は見えているのが頂上部だけ、鳳凰三山には樹木がかかり、さらに右にある甲斐駒ヶ岳は死角に入っているなど、残念な面も否めませんが、まぁこの標高ですから高望みするほうが無理でしょうか。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


サービスセンターまでは車道が通じていて、キャンプ場へ向かう車道に入り、緩やかな坂道をさらに登ります。
キャンプ場の近くまで来ると、片山(大宮山)への道が分かれます。
そこから山道に変わるものの、ここからだと、山頂までの標高差なんてたった30mほどしかありません。
だから、ほんの数分でもう山頂に出てしまい。これを登山と言って良いものやら‥‥。(特に車で来た場合は)
片山(大宮山)には標識がいくつか。ひときわ立派なのは、2019年に25座が選定された「甲府名山」の標柱です。
樹木に囲まれて展望はなく、大きく開けてもいませんが、明るい場所でベンチなどもあり、居心地はまずまず。
三角点はちょっと探しました。標石はほぼ埋まりかけ、保護石も標示杭もなくて目立たず、誰かが立てた小さな杭(丁寧に「三角点を大切に」のマジック書きまで)がなければ、これが三角点だとは分からなかったかも。
山頂の北側には6番の案内板。案内図ではここがビューポイントとされ、甲府名山の資料にも「冬季には、甲府市内で唯一北アルプスを望むことができる山」とあるのに、北側にもパッとした眺めはなさそうでした。 ※10年以上前の記事だと木々が疎らで展望台まであったりして(解体された?)、資料が当時のままなのでしょう。


片山(大宮山)の北側は、6番の案内板の前まで車道のような道が通じていたけれど、その脇の細い登山道へ。
緩やかに下っていくと、すぐに森林学習展示館の裏手に出ました。
森林学習展示館の正面に回ったところです。立ち寄らなかったけれど、帰宅後に調べていたら、南アルプスの眺望が楽しめるとか(展望休憩室なる部屋があるらしい)。中に入っていたらどれくらい見られたのだろう?
北側の展望を期待して、7番の案内板が立つ尾根が張り出した地点に行ってみたところ、樹木が邪魔で叶わず。
なので少々ガッカリした気分になって、7番の案内板の前から、自由広場への遊歩道に入りました。
そこで途中の分岐を見落として下り過ぎてしまったのですが、むしろそのお陰で、期せずして大きく見通しが開けた地点に出たではありませんか。北側には茅ヶ岳などが並び、八ヶ岳も最高峰の赤岳などが見られました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに左を向けば、西側にはこれまで見られなかった甲斐駒ヶ岳が。この日は3ヶ所あった展望地がいずれも南側を向いた場所でしたから、思いがけず北側と西側を眺められたのは貴重で、怪我の功名だと言えそうです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


登り返して、見落としていた分岐を発見、正しい道に入って、今度こそ自由広場を目指します。
自由広場は一面に芝生が広がる、気持ち良さそうな場所でした。
自由広場の傍らには9番の案内板が立っていたほか‥‥
トイレもあります。今回のコース取りでは、ここが最後のトイレになるので、有難く利用させて頂きました。
自由広場からは「癒しの小径」に入って、次の目的地である「西の平」へ向かいます。
「癒しの小径」はその名の通り、ほとんど平坦で穏やかな道で、心が安らぐような優しい景色の中を進みます。
23番の案内板が立つ分岐点で、道は3本に分かれます。左右の道がともに前方の小さな丘を巻いていて、平坦なままで進めるらしいのに対して、真ん中の「虹の小道」はその丘を登り下りするようなので、迷わず‥‥
その「虹の小道」へと入りましたが、10mあるかないかの小さな丘なので、ほんのわずかに登っただけです。
やはり山としては扱われていないのか、少し奥のピークっぽい地点にも、山名標などは見当たりませんでした。
その先で登った分だけ下れば、3本に分かれた道が再び1本に合わさります。
すぐ先には21番の案内板が立つ分岐点。「西の平」へは直進です。
20番の案内板が立つ分岐点まで来ると、その後方にもう「西の平」の展望広場が見えていました。


「西の平」の展望広場では、これまでの展望地と同じように、甲府の市街地がある南側が開けていました。
「西の平」展望広場からの展望です。西側の視野は少し狭まって、南アルプスは全く見られません。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その代わり富士山は、樹木などがかかることなく、スッキリとした姿で眺められました(冒頭の富士山の写真も、これを元にサイズを調整したものです)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ゆっくりするついでに、三角点を探してウロウロ。「西の平」の西端近くにあったのは、状態の良い三角点ではあるものの、あまりらしくない地点にある上に目印の標示杭がなくて見つけにくく、GPSの力を借りました。


「西の平」を後にしたら、気分はすっかり下山モード(実際は全然そうならないと地形図から分かっていても、めぼしいスポットをほぼ巡り終えて下り始めるから、どうしてもそんな気分に)。「西の平」西端の案内板がない分岐点で遊歩道から外れて、北側の斜面を縫うように通された外周コースを経由し、千代田湖へと下ります。
少し下ると、19番の案内板が立つ地点で外周コースに出ました。ここを右に折れて、北斜面への道に入ります。
すると途端に草深い道に変わりました。すでに歩いた南側斜面の何本かの道は、市街地に近いこともあってか、どこも良く歩かれている感じだったのに、この様子では北側斜面の道はろくに歩かれていないのでしょう。
路面が平坦でない、こんな片斜面の箇所も散見されるなど、全般的に歩きにくいです。案内図ではほかの道と区別なく書かれていますが、北側の外周コースは遊歩道と呼べる整備状況ではなく、登山経験がなければ安全には歩けないと感じました(案内図には一応「中・健脚者向け」と添えられているものの、それでは不十分かと)。
18番の案内板が立つ分岐点は直進します。ここまではずっと下りでしたが‥‥
その先で道は登りに変わって、なかなかすんなりとは下れません。地図を見て予め分かっていたことだけれど。
17番の案内板が立つ地点も直進。相変わらず、歩きにくさが少し収まってきた程度の、やや細い道が続きます。
その後は時折下りが現れたりしても、概ね登りが主体で、いつしか下山気分なんて吹き飛んでいました。
ここは、計画では直進する予定だった分岐点。でも直進方向の「管理道」という表現が微妙に思われたのと、その道を結構立派なクモの巣が塞いでいて、満足に歩かれていない気配がありありなのを見て、予定変更です。
分岐点を右折すると、長い木段を急登することに(とはいえ直進していても、同じだけ登りはあったはず)。
木段の先にもきつめの登りが続いて、13番の案内板が立つ分岐点まで来たら、ここで外周コースを外れます。
それからも少々頼りない道が続いたのち、第二広場へ。久しぶりに明るい場所に出てきたという印象です。
第二広場の入口脇には10番の案内板。
第二広場からは、ようやく遊歩道と言えるような道を歩けるようになりました。でもまだまだ登りが続きます。
11番の案内板が立つ分岐点まで来れば‥‥
ようやく、最終的に下る「山百合の道」が道標の案内に現れました。今回のコースもいよいよ終盤に入ります。
にもかかわらず、道は登り続けています。一番最後に下りる下山路へ向かっているのに、そこまでの道がずっと登りだというのは、分かっていて組んだコースとはいえ、正直なんだかなぁ、という心境にもなりました。
案内図では結構離れて書かれていたのに、次の5番の案内板が立つ分岐点には意外なほどすぐに着きました(地図合ってる?)。さんざん登り返してきましたが、ここから「山百合の道」に入れば、あとは下るだけのはず。


しかし、確かに分岐点から少しだけ下ったけれど、その先でまたも登りに変わって、それが結構長く続きます。
結局、この2番の案内板が立つ分岐点まで、何故かほとんど登りばかりが続くという、想定外の事態に。どう見ても下る一方のように書かれている案内図とは、現況が明らかに違っていて、すっかり惑わされました。
帰宅後に気になって、冒頭で示していた、歩く予定のコースを赤で記入した案内図に、実際のGPSの軌跡を青で重ねてみてびっくり。イラスト化した案内図ゆえに、正確さに欠けるのは仕方ないにしても、最後に歩いた右上部の「山百合の道」などは乖離が大きすぎて、特に現在地の2番の案内板は全く別の地点になっちゃってます。
── そもそもこの案内図、等高線なんかが書かれて、あたかも地図として正確そうなツラをしているのに、実は縦横比が歪で(縦に約2割引き延ばされている)、だから案内図上でほぼ同じ距離に見えるところを歩いても、縦方向が横方向よりもかなり長く感じる不自然さには現地でも気付いていましたし、地形図を重ねる際も、縦方向だけ余計に伸ばさなければ合わさらないヘンテコな代物でした。これがもっとイラストチックに振り切った案内図だったら、ハナから正確さには期待せずにいて、騙されることもなくダメージも小さかったでしょうに。
検証すると、今いる2番の案内板の分岐点は、サービスセンターなどとほぼ同じ標高まで登り返してきていて、道理でここまでの登りが想定よりも長かった訳です。本当に下山が始まると言えるのも、ここからなのでした。


そこからは、ようやく下り一辺倒の道になります。「山百合の道」は、それなりの標高差を下るため、遊歩道というよりは登山道に近い印象でした。時折、あまり新しくもなさそうな倒木が放置されていたりしたけれど。
でも急な箇所はなくて割と歩きやすく、途中からは、何度か折り返しも交えて徐々に下っていく感じでした。
帯那川沿いに出たあたりでは、沢の水音が清々しかったです(もっとも現地では、案内図の不正確さでとっくに現在地を見失っていて、これが帯那川とは気付いてません。迷った訳ではないのでGPSは見ませんでしたし)。
1番の案内板は、珍しく分岐点ではない地点に。これが最後に見る案内板で、もう千代田湖は目と鼻の先です。
1番の案内板から千代田湖に向かうと、道は登りに変わります。あまり大きな登りではないけれど。。。
というのも、千代田湖を堰き止めた堰堤の高さ分を登らされるからで、そこから流れ出た帯那川沿いを歩いていた以上、こうなることは必定なのですが、最後まで登りが付きまとって、楽には下らせてもらえませんでした。


道路に出て、登ってきた堰堤を振り返りました。ガードレールに「山百合の道入口」と書かれています。
正面にはど~んと千代田湖が。人造湖ではあるものの、開放的な景色に心が洗われました。
あとは湖畔に沿った車道を歩いて、バス停に向かうだけです。
でもバスの時間に余裕があるので、ここから湖の中に突き出た半島状の部分に入り、ひと回りしていくことに。
半島状の部分は、湖畔がずっと遊歩道のような感じになっています。釣り客向け貸しボート店の私有地っぽい掲示があったのを気にしつつ入ったのだけれど、この時は特に誰かに咎められることはありませんでした。
半島状の部分の北端あたりからは、北に茅ヶ岳のほか、八ヶ岳も一部のピークが頭だけ見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
進むにつれて遊歩道の方向や、見られる対岸の景色などが変わって、なかなか楽しめます。
半島状の部分の先端まで来ると、南西方向に櫛形山が眺められました。太陽光が水面で光っているのもきれい。
少々くすんだ具合ながら、この時期らしい色彩も。どこまで行ってもこの半島の湖畔にはベンチひとつなく、ずっと立っているしかなかったのですが、最後にしばらくマッタリとした時間を過ごせました。
千代田湖バス停に着いたら、ここでも木製のベンチが朽ちていて座れず、立ったままでバスを待つことになりました。実はここに来るのは今回が2度目で、8年前の2013年に来た時は普通に使えたベンチなんですけどね。なおバスは1日3便(朝昼夕に各1便、休日は朝昼の2便のみ)と少なく、これは8年前と変わらずでした。
久々の遠出ということで、帰りにはお土産も購入。歩いた場所が武田氏に因んだ名前だったので、お土産もそれっぽい名前のものに合わせました(何も考えずに超定番を選んでも同じ結果になっていた気もしますが‥‥)。
[右]:極上 生信玄餅(金精軒)
■敢えて見慣れた桔梗屋の「桔梗信玄餅」ではなく、「極上」かつ「生」を謳っている金精軒の信玄餅をチョイス(金精軒にも普通の信玄餅もあります)。甲府駅改札口脇(改札外)の金精軒の店舗で購入しました。
■なるほど、つきたてのような柔らかさで、お米の風味もしっかり感じられ、ノーマルな信玄餅とはひと味違うのが分かって、原料と製法にこだわっただけのことはあるようです。難点があるとすれば、紙パッケージから出した餅に黒蜜ときな粉をかける際に皿がないと厳しいことと、5個入りなのに黒蜜が1つの容器にまとまっていて、職場等で配るのには向かないことでしょうか。もっとも「生」のため消費期限が3日間と短く、主に自宅への持ち帰りが想定されていると思われるので、これをことさらマイナスポイントとするほどでもなさそうです。
────────────
[左]:桔梗信玄生プリン(桔梗屋)
■プリンなので当然ながら要冷蔵で、購入時に保冷剤が無料で1個付きますが、効き目が1時間程度のため甲府で買ってしまうと自宅まで持たず、かといって2個以上頼むと有料らしいので、帰路の八王子で途中下車した際に、セレオ八王子店内の黒蜜庵(桔梗屋のスイーツ専門店)で購入しました。
   ※八王子で一旦改札外に出た方が運賃が安上がりなので、元から途中下車する予定だったのです。
■これは大当たりでした! 今までこれを知らずに生きてきたのを後悔したほどで、今後も八王子を通るたびに買いたくなってしまいそう。まず、程よい甘さとなめらかな口どけのプリン自体が相当に美味しく、ほのかなきな粉風味で意外なほど信玄餅感もあります。そこに黒蜜をかければ、さらに濃厚な甘味とコクが加わって、そのウマさときたら、もはや感動的ですらありました。2015年におみやげグランプリのフード・ドリンク部門でグランプリを受賞しているのも頷ける逸品で、私は信玄餅よりも断然こちらのほうが好みです。
 ※2021/11/19追記:その後、八王子駅改札内の「桔梗屋 東治郎」でも販売されていると分かり、11/17の醍醐山からの帰りにまた買ってしまいました。駅ナカだから八王子を通る時はいつでも買えて、超便利!


振り返ってみると、武田の杜「健康の森」は、派手な見所はなくて月並みな印象にとどまり、片山(大宮山)も山としてはむしろ地味な部類だったのが否めないものの、明るい広葉樹林の中を存分に歩き回れるのはとても心地良く、所々で見られる展望も程よい変化を付けてくれて、上等な森林浴を心ゆくまで味わえたという印象です。
記事中では外周コースの北斜面区間を少し辛口に評しましたが、それは遊歩道っぽく紹介されているから故のことで、私のように登山経験者が歩く分には、むしろ山歩きに近い感覚を楽しめて、それはそれでありでした。

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