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津久井城山 [高尾・陣馬]

2022/05/06(金)

■第451回 : 津久井城山(375m)


マトモな登山は半年ぶりのことで、だから初心に帰って軽めの山からとは前々から思っていたところです。
そこへ前回、街歩きに毛が生えた程度のコースだったのに思いのほか歩き疲れてしまったのを受けて、さらに用心を重ねるべく最も楽に登れる部類の山の中から行先を選んで、超低山の津久井城山に登ってきました。

結果的には、慎重になるあまりコースが軽すぎてしまったようで、ほとんど手応えはなく、今後を見据えた足慣らしになったかどうかも微妙。山歩きの清々しさを久々に実感できたのが唯一の収穫だったでしょうか。

 累積標高差(登り):327m / 距離:4.6km / 歩行時間:1時間25分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 06:28-06:39 橋本 06:55-07:15 荒句

(登山行程)
荒句バス停    07:25
位置番号 No.5   07:40     (荒句登山道終点)
位置番号 No.6   07:50     (根本登山道起点)
飯縄神社     08:05-08:10
宝ヶ池      08:13
大杉       08:15
津久井城山    08:25-08:40
位置番号 No.16  08:50     (小網登山道降下点)
花の苑地・津久井湖観光センター 09:10-09:25
津久井湖観光センター前バス停  09:25

(復路)
津久井湖観光センター前 09:31-09:57 橋本 10:12-10:23 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

津久井城山は、鎌倉時代に山城(津久井城)が築かれたと伝わる山で、当時の遺構が多く残る山のほぼ全域が津久井湖城山公園として保全され、何本かある登山道も公園内だけに良く整備されています。訪れるのは今回で4度目なので、まだ歩いたことのない荒句登山道で登ろうと、橋本駅から乗ったバスを荒句で下車しました。
バス停のすぐ近くのT字路(上の写真でバス停の後方に見えている)が、荒句登山道への入口です。
そのT字路には荒句登山道までの案内図が掲示されていました(上の写真でも右端下方に写っています)。


その後は何も道案内がありませんが、道順が単純なので特に迷うこともなく、民家の間を抜けていきます。
行く手に津久井広域道路(県道510号のバイパス)が現れたら、その下をくぐります。このあたりはバイパスの建設に伴って地形が大規模に改変されていて、元来の山道はなくなってしまったようです。
くぐった先でバイパスの脇に上がったら、そこから分岐する舗装された車道で坂を登ります。
坂道の途中からは、採石で頂上が削られてしまった小倉山が間近でした。何度見ても痛々しい姿です。
舗装道路はすぐに終わって、ここから山道に(なので、ここが登山口?)。バス停近くの案内図以降は道案内がなかったけれど、すぐ先の森の中に入ったあたりに作業道の分岐があって、そこには案内が出ていました。


荒句登山道は津久井城山の登山道の中で最もマイナーな存在です。アクセスが良くない上に、登山口周辺は小さな集落があるだけで散歩等の日常的な利用者も少ないと思われ、なにより頂上を直接は目指しません。
だから当面は傾斜がとても緩やか。はじめに小さな沢を詰めるのも、登山道がほとんど登らないうちに、沢の方が勝手に上がってきたような具合でした。そして、沢から先はもう津久井湖城山公園に入るようです。
その後もむしろ平坦に近いくらいの区間が多くて、最後の方でちょっと登ったかなという程度。マイナーな登山道らしく道幅は細かったけれど、津久井湖城山公園内だけにきちんと整備された歩きやすい道でした。
15分ほどで立派な園路に合わさったら、荒句登山道はここで終わってしまいます。
分岐点から、歩いてきた荒句登山道を振り返ったところです。ここには位置番号5番の標識がありました。


そこからは、根小屋周遊園路を進みます。山麓をゆるゆると巡るだけの、車いすやベビーカーでも通れるように舗装されたスロープ状の園路で、このあたりはほぼ平坦な道が続いていました。
園路の途中にはきれいなバイオトイレがあって、やはり車いすでも利用可能な構造になっていました。この直後に頂上への急な登山道が分岐しますが、そこは歩いたことがあったので見送り、園路を直進しています。
さらに進んでいくと細い山道が分かれたので、舗装された園路を歩き続けるよりはとそちらに入りました。
大した距離もない中途半端な感じの山道は、道幅も細くてあまり歩かれていない気配がありありでした。
しかも、園路に沿って間近を進むだけなので、目障りな物が視界に入って山道を歩く気分にも浸れません。
そんな山道は、すぐに別の登山道に突き当たっておしまいになります。
そこは、位置番号6番の標識が立つ分岐点でした。写真右の道から出てきたところで、右折して左の道へ。


そこから根本登山道に入ったら、ようやく頂上を本格的に目指すことになります。とはいえ、先程見送った別の登山道よりも、ずっと長い距離をかけてじわじわと登る具合の道なので、引き続き傾斜は比較的穏やか。
しばらく進むと位置番号7番の標識が立つ分岐点に出ました。ここは変則的な五差路になっていて‥‥
頂上への道も選択肢が2本あり、極めて緩やかな女坂(その分距離は長め)を見送って、一気に登る男坂へ。
するとその先で傾斜がやや強まるものの、それでもきつい坂道にはならず、余裕を持って歩ける程度です。
それゆえに、さほど登ったという感触がないまま、頂上部の分岐まで来てしまいました。
津久井城山は2つのピークを持つ双耳峰で、ここは両ピークの間にある鞍部です。今回はどちらのピークも踏んでいきますが、左折方向にある頂上は後回しにして右折し、まず先に飯縄神社が建つ低いほうのピークへ。
位置番号15番の標識が立っていたその分岐点を、頂上側から見てみました。分岐標識が右手に案内している「根本口」のほうから登ってきて、今は奥にある飯縄神社のピークへ向かおうとしています。(その後はここに戻ってから背中方向の頂上を踏んだのち、みたびこの分岐点に戻ったら、最後は左方向の道で下山する予定)


低いほうのピークへ向かうと、登山道は途中から石段の登りに変わり、その先には鳥居が見えてきました。
ピークに鎮座する飯縄神社は、解説等がなく詳細は不明ながら、鎌倉時代の築城時に建立されたものらしい。
飯縄神社の小さな社は屋根付きの頑丈な鉄柵で保護(なのか?)されていて、その理由も不明でした。


参拝後は、社の右手の道を下ったのち、神社の周囲をぐるっと回って行きます。
神社のすぐ南側にある烽火台跡は、この山で最も見晴らしの良い場所なので楽しみにしていたのに、あいにく立入禁止となっていました。樹木のナラ枯れにより枝が落下する恐れがあるとのことで、残念です。
  ※以前にここから丹沢の山々を眺めた時の様子は 2020年9月の記事 でご覧頂けます。
少し下っていくと宝ヶ池が現れました。これも津久井城の遺構のひとつで、頂上直下にありながら枯れることのない安定した水源だったらしく、今もなおしっかりと水をたたえていました。
さらに「大杉」と案内された北側に向かうと、目の前に現れたものは、もはやその「残骸」でしかなくて‥‥
現地には説明の類が何もなかったけれど、黒く焼け焦げた様子から、落雷を受けたのが明らかなようでした。
帰宅後に調べたところ、やはり落雷による焼失(2013年夏)で、推定樹齢900年の立派な古木だったらしい。


飯縄神社への石段の途中に戻ってきたら、いよいよ津久井城山の頂上を目指します。
先程登り詰めてきたところの分岐点を、今度は直進します。
    ※下の写真にマウスを乗せると、歩いた道順を表示しますが、現在は②の段階です。
頂上へ向かう途中に家老屋敷への分岐があって、毎回のようにスルーしていたので今回は寄ってみることに。
ほんの1~2分の寄り道で着いたその場所は、ただ平坦地が広がっているばかり。屋敷跡だと言われれば、確かにちょっとした屋敷を建てるには十分そうだけれど、素人目には特に見る物もなさそうに思われました。
そこにあるものといえば、「津久井城電子案内」という小さな標識だけ。でも端末にQRコードをかざすと‥‥
このような詳しい説明を読むことができました。この方式なら常に最新の情報に更新できますし、解説板などの製作・設置や維持管理も不要ですから、今後はこういう案内の仕方が主流になるのかも。
津久井湖城山公園では、現在のところこれらの10地点で「津久井城電子案内」が利用できるようです。そういえば先程の大杉のところにも、QRコード付きの小さな標識があったので、見ておけば良かったな。


元の道に戻ると、頂上直下だけに少々勾配がきつくなる箇所が現れるものの、局所的で長くは続きません。
行く手に堀切が現れました。尾根の一部を溝状に掘削して断ち切り、平時には引橋と呼ばれる簡易な橋(防御時は落橋させるなどして通行を阻む)を架けていたもので、山城らしい遺構のひとつです。
登山道になった今はわずかな登り下りで難なく通れますが、山城だった頃はもっと深い溝だったのでしょう。
木段が現れると登りも最終盤で、しかも木段はほぼここに写っている範囲くらいしか続きません。結局今回選んだコースでは、登りが苦しく感じるような箇所は最後まで出てきませんでした。


津久井城山の頂上部に着きました。最高点は、写真右端の解説板の真上あたりです。
まずはその最高点に登ってしまいましょう。なにやら石碑が建っています。
それは「築井古城記」の碑で、山城の沿革や建碑の由来等を記して文化年間(江戸後期)に建立されたもの。
碑名に「築井」とあるのは鎌倉時代の築城が築井(筑井)氏によるとされているからで、読みが「つくい」であることから、それが現在の地名の「津久井」に繋がっているものと思われます。
※ただ、鎌倉時代の築城については伝承レベルの話とされていて、史料が乏しいために(文献に津久井城が登場するのは戦国時代以降とか)今なお明確なところは分かっていないらしい。
石碑(写真右端)の背後は本城曲輪と呼ばれる津久井城の中心部。現在はがら~んとした広場になっています。
一段下がったところにはベンチがあって、北西側が開けているので高尾方面の展望を楽しめました。
奥には高尾山から奥高尾への稜線が連なり、それと重なるようにして手前側に南高尾山稜が見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
立つ位置を少し変えると、藤野周辺のいくつかの山が辛うじて見られるように。でももっと条件が良ければ遠く大菩薩のあたりまで見通せる場所なのに、この日は空気が澱んでいて遠望はサッパリでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
頂上部をひと回りしたら、解説板の前に戻ってベンチで少しゆっくりしていきます。
そのベンチの近くには、木々の間から少しだけ丹沢の山々を覗ける場所がありました。
こちらは丹沢の核心部です。後方の稜線が丹沢主脈と丹沢表尾根で、手前は宮ヶ瀬湖畔の南山と権現平。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに左側が見えるように移動すると、高取山や仏果山なども見られました(大山も頂上だけチラリと)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


あとは下山するだけです。写真を載せるのが3度目となる鞍部の分岐点に戻ってきたら、左折して女坂へ。
女坂は山腹をぐるりとほぼ1周していて、長い距離をかけて徐々に下っていく、すこぶる緩やかな道です。
所々で道が細くなったりするものの、地形が険しくなるような箇所がなくて、一貫して歩きやすいです。
むしろ平坦に近いくらいの道をしばらく歩き、分岐点まで来たら「小網口」への案内に従って右へ下る道に。
すると、下りはそこからが本番となりますが、大きなジグザグを何度も繰り返して傾斜を緩和している、とても足に優しい道でした。なので、このような折り返しを重ねつつ、引き続き楽々と下っていきます。
何度目かの折り返し点が次の分岐点。ジグザグを続ける「小網口」への道と分かれて、ここを直進します。
その先はジグザグこそなくなるものの、トラバースに近い道で傾斜は相変わらず緩やかなまま。左手の眼下に津久井湖畔の景色が割と近くの感じで見えてきても、じわじわと下るばかりでそこになかなか下り着きません。
途中にはわずかに登り返す所すらあったりして、最後の分岐点(ただし分岐側は長らく通行止)を通過します。
ゴールの「花の苑地」が見えてきました。木段を下って「桜の小道」のエリアに入ります。


「花の苑地」に入ったら、歩道橋で国道を渡ったのち、津久井湖畔まで下ってしまいます。
写真では分かりにくいですが、芝生広場の先はもう津久井湖の湖面です。
「花の苑地」というだけあって、ガーデンテラスでは様々な花が咲き揃っていました。
「花の苑地」を巡った後は、バス通りでもある国道へ。駐車場への入口には苑地の標識がありました。
最後に、特産・名産品や地元野菜などを販売している津久井湖観光センターに寄ってちょっと買い物。
津久井湖観光センター前を通る路線バスは本数が多くて、いつ来てもあまり待たずに乗れます。まだ比較的早い時間だったからか思いのほか混んでいて、橋本駅までずっと座れなかったのは計算外だったけれど。
さて歩き終えた感触といえば、冒頭にも書いた通りで、前回の結果を受けて少し軽めのコースを選んだつもりが、思っていた以上に軽すぎてしまったらしく、ほとんど歩き応えがありませんでした。いくつかある登山道から、歩いたことがなかった区間を繋いでみたら、結果的に登り下りとも穏やかな傾斜に終始する登山道ばかりの組み合わせになっていて、足に負担らしい負担がなかったのです(歩く距離も短すぎたのでしょう)。
なので、次回こそは着実に足慣らしができるよう、適度な運動量のコースをきっちり見極めたいと思います。

タグ:高尾・陣馬
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