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御嶽山・桜山 [奥武蔵・秩父]

2018/11/17(土)

■第393回 : 御嶽山(343m)・桜山(591m)


今回の行先は、約7000本の冬桜が咲くことで知られる、群馬県藤岡市の桜山です。冬桜の見頃はもう少し先になるようでしたが、紅葉と合わせて楽しもうと、冬桜の最盛期にはいくぶん早めのこの日に出掛けてきました。
桜山の登り下りだけでは、少々物足りなさそうだったので、埼玉県の御嶽山とコースを繋げて歩いています。

桜山公園では、紅葉のほうはほぼ見頃でした。

 累積標高差(登り):1023m / 距離:16.0km / 歩行時間:4時間20分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:54 高麗川
高麗川 06:58-08:05 丹荘
丹荘駅入口 08:20-08:29 新宿

(登山行程)
新宿バス停      08:35
金鑚神社       08:55-09:00
岩山展望       09:15-09:20
御嶽山        09:30-09:40
秋葉神社登山口    10:05
八塩温泉郷バス停   10:20
弁天山展望台     10:50
桜山公園第一駐車場  11:55
桜山         12:10-12:30
金丸登山口      13:00
鬼石保育園入口バス停 13:20
神泉総合支所バス停  13:35

(復路)
神泉総合支所 13:54-14:13 丹荘駅入口
丹荘 14:57-16:01 高麗川 16:03-16:42 八王子
八王子 16:50-17:02 橋本 17:05-17:16 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

この日は、まず最初に御嶽山を目指すので、八高線の丹荘駅で下車します。八高線では埼玉県最北の駅です。
駅から少し歩いて県道に出たら、丹荘駅入口バス停でバスを待ちます。
バスに乗っている時間は10分ほど。新宿バス停で下車して歩き始めます。
はじめ少し国道を歩くのですが、この国道ときたら、大型のダンプが頻繁に通って空気が悪い上に、写真でも分かる通り、途中には歩道のない箇所もあって、気持ち良く歩ける道ではありませんでした。


15分ほど歩いて金鑚神社の大きな鳥居の前まで来れば、ようやく落ち着いて歩けるようになります。
国の重要文化財に指定されている多宝塔などを見ながら、金鑚神社の参道を進みます。
神橋を渡って境内へ。ここから先が神域です。
拝殿で、これからの登山の無事をお願いしました。


さらに奥へと進んだところが登山口で、御嶽山への案内がありました。
コースの案内図もあって、山頂へ通じる道は4方向から書かれています。そして右上にある、老人とその孫らしい2人が手を繋いでいるイラストが、これらの道が老若男女を問わず安全に歩けるよう整備されていることを強く印象付けていますが、それを真に受けると場合によっては大変な目に遭いますのでご注意下さい。
下の写真にマウスを乗せると、私が歩いたコースを示します。現在はバス停からピンク色の車道を歩いて金鑚神社まで来たところで、続いてオレンジ色の「金鑚コース」で御嶽山に登るまでは、何の問題もない道でした。ところが下山に選んだ黄色の「秋葉神社コース」は、整備不良で歩行困難に限りなく近かったのです(後述)。
道はすぐ二手に分かれて、金鑚神社からは御嶽山を周回することができます。だから、どちらの道も良く歩かれているようでしたし、山頂近くに神社の奥宮があることから、参道の延長として整備もされているのでしょう。
御嶽山へ直行する右の道を選ぶと、長い階段が始まりました。道の脇には無数の歌碑が続きます。
最初に見えていた範囲の階段を登り終えた先にも、階段はずっと続いていました。
しばらく登ると、国の特別天然記念物に指定されている「御嶽の鏡岩」が現れました。これは断層活動によって生じたすべり面で、断層がずれた際に岩が強い摩擦で磨かれて、光沢を帯びた鏡のような表面になったとか。
さらに階段を登って、2つある御嶽山のピークの間の鞍部へ。ここまでは、ほとんど階段ばかりでした。


山頂は後回しにして、「岩山展望」と案内されている左の道に入ると、すぐに休憩舎が建つ広場に出ました。
広場の周囲には、いくつもの石仏が並んでいました。解説板によると、ここは江戸時代頃の巡礼の地で、往時には88体の石仏が配置されて、四国88ヶ所の霊場を模していた場所だったようです。
広場の奥から「岩山展望」に向かいます。すると、ようやく階段ではない道になって、登山らしくなりました。
とはいえ岩山へ登る道だけに、土の上を歩くことは少なくて、岩の斜面を登っていく具合でした。
ひと登りで「岩山展望」に着きました。金鑚神社の奥宮とみられる社のほか、展望図などがあります。
北側に北関東の山々をぐるりと見渡せました。雲が多くて、上越国境の稜線までは見られませんでしたが‥‥。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方の南側にはほとんど雲がなく、秩父方面の山々をスッキリと眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


鞍部まで戻ったら、今度は山頂への道に入ります。こちらは、引き続き石仏が並ぶ道でした。
頂上直下はロープが下がる急斜面。でも木の根を足場にして登れるので、特段の難しさはありません。
御嶽山の頂上は樹木に囲まれた手狭な場所ですが、ありのままに近い姿が残っている感じは悪くありません。
標識なんかも、夏とかだったら草藪に埋もれてしまいそう。
展望も、樹木の間からいくらか覗き見できる程度でした。
低山に登るには早い時間だったからか、御嶽山の山中は静かで、登る途中ですれ違ったのは1人だけ、到着時は無人だった頂上に後から現れたのも1人だけです(ただ、登山道のない北西側の踏み跡から現れたので吃驚)。
そして、この後の下りは、以降を読んで頂ければ分かりますが、人と会うような道ではありませんでした‥‥。


頂上での休憩を終えたら、秋葉神社へ下る道に入ります。登山口にあった案内図に載っていた道ですし、私製っぽい物とはいえ頂上からの下山口に道標も立っていたので、何の不安も持たずに下り始めました。すると道はすぐに草深くなり、あまり歩かれていない様子でしたが、地面には道が明瞭に付いていたので、構わず進みます。
ところがこの道標の地点で不動沢への道を分けたら、その後はいよいよ道が不明瞭になりました。不動沢への道の様子は不明ですが、少なくとも私が向かっている秋葉神社からの道は、ほとんど歩かれていないのでしょう。
しかも進むにつれて、歩きにくい箇所が次々と現れ始めます。ここは木段が壊れたことでただの急斜面になっていて、ロープがなければ通過は困難。単に歩かれていないだけではなく、整備も行き届いていない様子です。
要所には道標が立つほか、最小限の間隔でテープも付けられていて、道が明瞭だった当初は迷う心配のない状態だったのでしょうが、道が頻繁に不明瞭になるため、次のテープが探せずに周囲をウロウロする状況に何度か陥りました。正しいコース上を歩いていても、そこに道があるように見えないため、コースを外していないか常に不安でしたし、歩行困難な箇所が多くて難儀させられたので、経験が浅い人が歩き通すのは難しいと思います。


そんな状況でも、なんとか無事に秋葉神社にたどり着けて、ホッと胸をなで下ろしました。
秋葉神社までは歩く人がいるのか、神社から先は参道らしい広い道に変わって、難なく歩けるようになります。
車道に出て秋葉神社の参道を振り返りました。ここにも金鑚神社で見たのと同じ案内図があり、今歩いてきたコースをしれっと表示していましたが、これだけ整備不良なら、何らかの注意喚起が必要なのでないでしょうか。
悪路で余計に時間がかかったようで、ここで計画上の到着時刻に約5分の遅れが生じていました。計画には余裕を見込んであり、普段通りのペースで歩けて、特段のトラブルもなければ、大抵は前倒しになるものなので、ちょっと想定外の事態です。しかもある事情から、たった5分とはいえ、決して小さくない誤算だったのでした。
というのも、いつものように計画よりも早めに歩き終えることを見越して、帰りのバスは、バス停への計画上の到着時刻より20分ほど早い13:54発を目標にしていたのです(次の14:52発だと、丹荘駅での乗り換えが1時間待ちとなり、それは避けたかった‥‥)。ここに計画よりも5~10分程度早く着いていれば、そのままのペースで歩き続けられたところですが、ここからは遅れを取り戻すべく、少しペースを上げて歩くことにしました。


さて、ここまでは埼玉県内を歩いてきましたが、次に目指す桜山は群馬県にあるので、どこかで県境の神流川を渡らなければなりません。このあたりに架かる橋の数は少なくて、少し遠回りをさせられてこの橋を渡ります。
歩行者専用のこの橋は、何という名前か分かりませんでした(どこにも書かれていなかったようです)。
桜山ハイキングコースの起点となっている、八塩温泉郷バス停がある交差点まで来ました。ここにはJR高崎線の新町駅またはJR八高線の群馬藤岡駅から、日本中央バスの路線バスで来ることもできます。


細い車道を登り始めると間もなく、案内図が設置された駐車スペースがありました。でも別の駐車スペースがもっと上にあるので、こちらはあまり使われていない感じです。
この案内板の脇のポストには紙版の案内図が入っていて、有難く1部頂きました。これは親切で良いですね。
次第に高台へと上がっているので、振り返ると先程登ってきた御嶽山を眺められました。
御倉御子神社への石段を右手に見送って、さらに車道を登ります。
舗装された車道の終点にも駐車スペースがあって、こちらが実質的な登山口として使われているようでした。


その先も、しばらくは未舗装の林道を進みます。ここからようやく山道に入るかと思ったら‥‥。
山道と言えば山道なのですが、引き続き車でも通れそうな道幅があります。何らかの重機で切り開いたような道で、あまり歩いていて楽しい感じではありませんでした。
ようやく山道らしくなったのは、かなり登ってからのこと。ほどなく通過した「いっぷく平」は、その名前に反して単なる斜面の中の一角に過ぎず、平坦な場所ではなかったので、このネーミングはちょっと謎です。
弁天山展望台に着くと、あずまやは先客のグループでいっぱいでした。
てっきりピークにあるかと思っていた展望台は北側の斜面に建っていたので、眺められるのも北側だけでした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
あずまやには入れず、北側に雲が多かったこの日は、展望もさほど見事という訳でもありません。元々ペースを上げて歩いているところだったので、展望台では休憩しないで先へ進んでしまいました。


展望台を過ぎても登りは続いて、弁財天の前を通過していきます。これが弁天山という山名の由来でしょうか?
その後ももう少し登らされて、道標のあるこのあたりが、弁天山一帯の最高点だったようです。一応、道標の背後にあるピークの様子を窺ってみましたが、そこに山名標のようなものはなく、ただの無名峰だったようです。
弁天山一帯を過ぎると、一旦下りに変わったのち、再び登りが続くようになります。弁天山付近では雑木林の中を気持ち良く歩けていましたが、その後は植林が多くなって、若干面白味に欠ける山道となりました。
ひとしきり登ると、その先にはしばらく大きな登りがなくなって、小さなアップダウンだけが連続するようになります。楽に歩ける反面、景色はさらに単調になりますが、途中にはこんな穏やかな風景の場所も現れました。
その後は林道との合流や分離を2回ほど繰り返します。このあたりまで来ると、道はほぼ平坦になりました。
パッとしない景色が続いて退屈しかけた頃、雲尾の集落に出ました。ここまで来ればもう桜山は間近で、冬桜見物の観光客のものとみられる車が次々と車道を行き来していました。
少しだけ車道を歩いたら、再び山道へ。ただしこの山道、一旦大きく下ってから登り返しをさせられたので、オフシーズンなど通行量が少ない時であれば、車道を進んだ方が体力的には随分と楽そうでした。


桜山公園の第一駐車場には、食事処や土産物店などが並んでいて、多くの観光客で賑わっていました。
桜山公園内に入ると、紅葉を楽しむにはちょうど良い頃合だったようです。
一方の冬桜は、遊歩道上から見られるものはどれも花付きが今ひとつでした。見頃はもう少し先でしょうか。
遊歩道から離れた斜面には満開の冬桜が並んでいましたが、少し遠目に見るしかなかったのが残念です。


最後に約200段の階段を登って、桜山の頂上へ。
最高点はここで間違いないのですが、周囲をいくら探しても標識などはなく、なんだか中途半端な頂上の写真になりました。また頂上の周囲には樹木が多くて、景色を眺められる方角が限られていました。私はスルーして来てしまっていたのですが、展望を楽しむのなら、途中にあった展望台からのほうが良かったのかもしれません。
頂上でも紅葉はいくらか楽しめました。
冬桜も、頂上ではそこそこ咲き揃っていました。一斉に咲いて華やかな雰囲気の春の桜と比べると、小さく可憐な花がパラパラと咲く具合ですし、ほんのりと淡い彩りなので、どこか儚い印象を受けますね。
限られていた頂上からの展望のうち、こちらは東側で、奥武蔵方面の山々を眺められました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして南側には秩父・奥秩父あたりの山並みが見られました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


ハイペースで歩いてきた甲斐あって、時間にはかなりの余裕ができていたので、頂上では少しゆっくりと過ごすことができました。冬桜と紅葉と展望を満足するまで楽しんだら、冬桜が咲く道を南東側へ下ります。
大半が車で訪れた観光客なので、駐車場と違う方向に下るのは私だけ、すぐに周囲から人が消えて寂しくなります。かなり下って、この道で合っているか不安になりかけた頃、ようやく金丸登山口への道案内が現れました。
その道は、一旦車道に出てしまいますが‥‥。
車道を横断した先に、すぐ山道の続きがありました。
その後はやや急な下りがしばらく続いたのち、ガクンと傾斜が緩むと、積もったばかりの落ち葉を踏みしめて歩く気持ちの良い道になりました。もう少し早ければ、紅葉の真っ只中を歩けたのではないでしょうか。
さらに進むとトラバース状の道が続く区間に入って、軽い登り返しが繰り返されたりもしました。
再び下り一辺倒の道になり、久々沢経由で下ってきた道を合わせると、ほどなく金丸登山口に到着です。


あとは車道を歩きます。車道でも冬桜が見られたのは、さすが「藤と冬桜のまち」をPRしている藤岡市ですね。
金丸登山口から20分ほど歩いて、国道462号線との交差点まで来ました。
この交差点には、日本中央バスの鬼石保育園入口バス停があります(金丸登山口の最寄りのバス停になるはず)が、新町駅行きのバスは2時間後まで来ないタイミングなので、さらに別のバス停を目指して先へ進みます。
交差点を直進すると、すぐ先に神流川を堰き止めている神水ダムがあって‥‥。
堤頂部を通って対岸に渡ることができます。県境を越えるので、朝以来の埼玉県側に戻ることに。
埼玉県内に入って、最初に現れるのがこの丹生神社。ここには公衆トイレもありました。
ゴールの神泉総合支所バス停に到着です。ここは朝に丹荘駅から新宿まで乗った路線バスの終点になります。
このバス停はトイレと待合室が入った建物付きで、バスが来るまでの時間を待合室でゆったりと過ごせました。

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太田部楢尾 ~ “ムツばあさん” を偲んで '2017 ~ / 城峯山 [奥武蔵・秩父]

2017/11/25(土)

■第366回 : 太田部楢尾 / 城峯山(1037m)


この日は山登りではなく、埼玉県吉田太田部の楢尾集落にある“ムツばあさん”の家を3年半ぶりに訪ねることを、主な目的として出掛けてきました。
というのも、前回その場所を訪れた時に歩いた集落までの山道を、ほかの方も歩いてみないかと当時の記事で薦めていたところ、今年になって読者様より、その道が不明瞭になっていたとのご指摘を頂いてしまったのです。
もしもその通りならば、そんな記事をそのままにしておくのは大問題です。かねてより“ムツばあさん”の家には、折を見て再訪をと思っていたところで、この目で道の現況を確認するべく、急遽出掛けてきたのでした。

現地を確認したところ、読者様からのご指摘通り、その道は前回訪れてからの3年半の間に、かなり荒廃が進んでしまっていました。残念ながら、すでに一般の方にはとても利用をお勧めできない状況にあって、バリエーションルートなどの悪路を歩き慣れた方でなければ、もはや安全に通行することは難しそうです。
集落の方々による道の維持作業が行われなくなって久しい模様で、道の両端の出入口付近は藪化が進んで通過が困難になりつつあるほか、道形が比較的明瞭に残っている中間部も路面が相当に傷んでいて、今以上に崩れると通れなくなりそうな箇所がいくつか見受けられるという、そんな有様だったのでした。
道の現況について以下に記載するとともに、前回訪問時の記事にも追ってこの点を加筆訂正したいと思います。

 累積標高差(登り):848m / 距離:18.8km / 歩行時間:4時間35分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:57-06:01 町田 06:09-06:41 新宿
新宿 06:58-08:40 新町 08:50-10:06 太田部入口

(登山行程)
太田部入口バス停  10:10
楢尾集落      11:00-11:10
城峯山       13:00-13:15
城峯神社      13:20
男衾登山口     13:50
中郷登山口     14:15
万年橋バス停    14:55-15:10
上吉田駐在所バス停 15:25

(復路)
上吉田駐在所 15:38-15:55 小鹿野役場 15:59-16:40 西武秩父
西武秩父 17:34-18:19 東飯能 18:29-19:09 八王子
八王子 19:16-19:39 古淵 19:49-19:54 長久保


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まず始めに、“ムツばあさん”こと故・小林ムツさんのこと、ならびに、ムツさんを取り上げたNHKのドキュメンタリー番組「秩父山中 花のあとさき」については、前回訪問時(2014/05/04)のブログ で触れていますので、今回は説明を割愛させて頂いて、ご存じでない方はリンク先の記事で詳細をご覧頂ければと思います。今回問題にしている、集落までの山道についても、その記事内で説明しています。

JR高崎線の新町駅からバスに約1時間揺られて、再び太田部入口のバス停に降り立ちました。ここまで、3年半前とほぼ同じ行程で来ましたが、富岡製糸場の世界遺産登録を受けて、バスは遺産群を構成する史跡のひとつである高山社跡にも新たに立ち寄るようになっていました。
すぐに、上の写真にも写っている太田部橋で神流川を渡ります。今いるこちら側は群馬県、対岸は埼玉県です。
太田部橋の上から、神流川の上流方向を眺めてみました。一番奥まって見えているのが御荷鉾山のようですね。
一方こちらは下流側。目指している楢尾集落も方角的にはこの範囲内ですが、山襞に遮られて見えていません。
橋に続く道路をしばらく歩いて、最初の三叉路まで来ました。太田部集落への車道は直進とされていますが、そこをショートカットする山道を前回歩いていて、その道の確認が今回最大の目的なので、前回同様左折します。


左折するとすぐに、目にはこんな景色が飛び込んできました。前回の訪問時にはなかったフェンスが立てられていて、なるほど、読者様から報告されていた通りの景色に変わっていたのです。ただ、ガードレールの終点とフェンスの始点の間には隙間があって(写真右端)、人が通れるようになっていました。
その隙間を通って行き来できるのがこの湧き水で、ここは前回来た時とほぼ同じ光景だったと思います。
フェンス沿いに少し進むと、斜面に立つ小屋が見えてきます。湧き水のあたりからその小屋へと通じている道が、フェンスの向こう側にないかと探してみましたが、この時は見つけられませんでした。
  ※下の写真にマウスを乗せると、小屋の位置を明示します。
ということで、前回と同様、もう少し道路を進んだこの地点から、鋭角に折り返すようにして道形を追います。
  ※下の写真にマウスを乗せると、進んだコースを明示します。
ところが、3年前に既に藪っぽかったこの区間は、今や完全な藪と化していました。しかも草藪だけでなく、細い樹木まで育ってきていて、それらを掻き分けて進むのに少し難儀させられました。
それでも3年前と同様、小屋の前まで来ると、なぜか道は明瞭になります。3年前の時に、それを気にせずに前進してしまったことを後悔していたので、今回はその明瞭な道がどこから来ているのか、ちゃんと探ることに。
すると、やはり先程の湧き水の所から細い踏み跡が続いてきていて、そこが実際に歩けることも確認しました。ただ、あくまで細い踏み跡でしかないので、小屋の前から急に道が明瞭になる理由は、今も不明なままです。


しかし、小屋の先で明瞭になった後、3年前はそのままの明瞭さで続いていた道が、現在はほんの僅かな距離で途絶えていました。少し先にある沢に当たる手前で、すぐに不明瞭になってしまったのです。
下の写真にマウスを乗せると状況を補足しますが、明瞭な道(黄実線)は枯れ沢の手前で終わり、その先は不明瞭な道が二手に分かれている状況でした。前回の記事にコメントを頂いた読者様は、書かれていた内容から、ここで左の斜面を上がる踏み跡を選んだのではないでしょうか。一方、私が前回歩いた楢尾への道は、道なりに枯れ沢を越えて進みますが、その方向には倒木が多く見られて、しばしば道迷い防止のために置かれる進入禁止のサインと似た状況を醸し出していたので、それで読者様がこの道を選べなかったのではと推測しています。
沢の通過後、道は再び明瞭さを取り戻しました。地面は荒れているものの、歩く上で大きな支障はありません。
結果的にこの道、両端の出入口がもう歩けない状況なのに、中間部だけが今も明瞭という、妙な状況でした。周りが植林地なので、山仕事でどこか別の所から入った人が、このあたりだけ歩いたりしているのでしょうか。
でも案の定、そのままずっと平穏な道という訳にはいきませんでした。ここは路肩を補強していた石垣が一部失われてしまったようで、道幅が狭くなっています。
  ※下の写真にマウスを乗せると、路盤の欠損状況を補足します。
似たような路肩の崩壊は、ほかの何箇所かでも見受けられました。雨水による洗掘がさらに進んで、その中のどれかがついに通れなくなってしまった時が、この道の寿命ということになるのでしょうか。
かと思えば、ほとんど侵食作用を受けていない様子の区間では、現役の登山道と比べても遜色ないくらい、良好な路面が保たれていたりもしました。
人工物は、やはり人が手入れしなくなると脆いですね。この橋は、木材と土砂で造られた端のほうは橋の下が透けて見えるほど薄くなっていて、塩ビ管で補強されている中央部分を渡るしかなくなっていました。
と、数々の綻びは見られたものの、まだなんとか歩ける状況にあって、最初の入口を除けば割と順調に進んで来ましたが、集落が近付いて前方にいくつかの建物が見られるようになると、再び様子が怪しくなりました。
道が急に藪っぽくなって、木の枝を掻き分けて進むことになったほか、桟道が壊れる寸前にまでなっていて、不用意に足を乗せると落下する恐れがあったりして、このような状況に慣れていないと危険な状況だったのです。
道の左手に現れたこの小屋も、3年前はこんなに荒れていたでしょうか。
まとめると、この日の時点では、一般向けには通行不能とせざるを得ないものの、悪路に慣れた人が、歩行に最大限の注意を払い、かつ藪を払うのも厭わなければ、たやすく突破できる状況でもありました。だから所要時間を比べても、前回とほとんど変わっていません(5分だけ延びたのは、写真を丁寧に撮っていた分かと)。


その後、下の三叉路で見送ってきた太田部集落への車道の続きに、ここで戻ります。
車道に出て左を向けば、3年前と同様に、番組で見慣れた、集落に上がる手前の最終カーブが見えてきました。
カーブを曲がれば、そこはもうムツさんの家の真下に当たります。
小林さんご夫妻が残していったテーブルと椅子。不思議と心が安まるこの場所の雰囲気は、3年前と全く変わっていませんでした。
当初の予定よりも訪れるのが遅れて、11月ももう終盤。てっきり紅葉は逃したものとばかり思っていたら、まだまだ綺麗な彩りを添えてくれていて、とても嬉しかったです。


それでは、3年半前と同じようにこの入口から、小道に続く階段を上がってムツさんの家に向かいます。
草木が少し覆い被さる箇所もありますが、荒れたりはしていないので、今でも時折歩かれているようですね。
ムツさんの家は、1階の部屋はカーテンが閉じられて、部屋に飾られた物が外から見えていた以前と比べると、少し物寂しい外観に変わっていました。カーテンの隙間から中を覗くと、部屋の中も結構整理されたようですね。2階は外側の戸がかなり傷んでいて、部屋に雨風が入ってしまうようにも見えるのが少し気になりました。
でも、ここでただ過ごしているだけで、不思議と心が穏やかになる雰囲気は、今も変わっていないようです。
供えられていたお花や果物は割と新しく見えたので、比較的最近の訪問者が置いて行ったものなのでしょう。
下の通りと同じように、庭でも紅葉がこの時期らしい彩りを添えていました。ご夫妻が丹精込めて育てた分、見頃が長持ちして、多くの人の目を楽しませてくれているのではないでしょうか。


3年半前の時は、このあと太田部川を挟んで対岸にある塚山に向かったので、ムツさんの家の訪問後は引き返すようにして車道を下ったのでしたが、今回は背後にある城峯山を目指すので、このまま登り続けることになります。そこで、前回は寄らなかった楢尾集落の上部をぐるっと回って行くことにして、細い道をさらに登ります。
楢尾集落の最上部からの眺め。手前がムツさんの家の屋根、奥で一番高い地点は、前回登った塚山の頂上です。
集落最上部の道を南下していくと、そこでも見事に色付いた木々が見られました。家々が建つエリアから少し離れましたが、このあたりまで、ムツさんはじめ集落の方々が手入れをされている(いた?)のかもしれません。
良く晴れて風が穏やかな小春日和で、日差しの下ではフリースを羽織ったままだと少し暑いくらいでした。


集落内の道から林道太田部線に出ました。右に下ると、ムツさんの家の下にあるテーブルと椅子の前に出ます。
そこからは、林道太田部線を延々と登ります。どうにか付近の山道を拾って進めないものかと事前に調べてみたものの、歩かれていそうな山道がほとんど見当たらず、林道を進むのが最善と判断するしかなかったのでした。
山襞に沿って蛇行を繰り返しながら進む道は、歩く距離の割に城峯山までの距離がなかなか縮まりません。車道なので一定して緩やかな傾斜が続いて、ずっと上り坂とはいえ楽に登れるのが唯一の救いでした。
似たようなカーブを、一体何度曲がったことだろう。こんな風に景色に変化が乏しく、正直なところ退屈な道のりで、普段およそ歩く人なんてなさそうなのに、途中で1人だけですがハイカーを見掛けたのは驚きでした。


林道太田部線を終点まで登って上武秩父線に出ると、なんか進みたい方向の様子が変です。
ここまで登ってきて通行止めとは。でもバリケードの脇が甘くて、歩行者の通行まで制限している様子はなく、車しか想定していないらしい20km近い迂回路の案内も到底従えるものではないので、構わず進んでみます。
しばらくは何事もなく、本当に通行止めなの?、と思いながら進んでいたら、工事区間は確かにあるようです。
行われていたのは法面の補強工事で、概ね終わっているように見られるものの、上部の樹木はもう少し除く必要があるのでしょう。でも休日のこの日、作業はお休みのようで、誰からも咎められずに通過できる状況でした。


林道を歩くこと1時間以上、ようやく山に取り付く予定のカーブ地点に差し掛かりました。実はこのまま林道を歩いていれば城峯山直下の石間峠に出るので、そこからちょろっと登山道を登るだけでも山頂に立てるのですが、それではあまりに味気ないので、最後のほうは少しくらい余計に山の中を歩こうと思っていたのでした。
とはいえ明瞭な山道がある訳ではなく、最初は適当に斜面に取り付くしかありません。地形図にはここから城峯山方向に破線路が描かれているものの、現在ではろくに歩かれていないようです。
それでも登っていくうちに、踏み跡が少し見られるようになってきて、地面には何やら目印になりそうな物も。
それがこの「境界明確化」と書かれた新しそうな杭で、ほぼ地形図の破線路に沿って設置されていたようです。
尾根が狭まった箇所になると、僅かしかない踏み跡が収束して、道っぽく見えることもありました。
途中で、広々とした緩斜面を通過します。深く降り積もったフカフカの落ち葉を踏みしめながら歩ける気持ちの良い場所で、道なき道を歩いてきた限られた人しか見られない景色なのが、なんだか勿体ない気がしました。
さらに進むと小さな祠が現れました。今では道のないこの場所が、かつて盛んに歩かれていた証なのでしょう。
その後は尾根が広くなって、ただでさえ薄かった踏み跡がほぼ消滅します。でもこのあたりまで来ると、葉を落とした木々の間から、城峯山頂上の電波塔が見られるようになって、それを目標に進めるようになりました。
この標識のすぐ近くで登山道に出ました。城峯神社から山頂へ向かうコースの中で、一番最後にある道標です。
今シーズン初めて見る霜柱を踏んで、もういくらの距離もない登山道を進みます。


城峯山の山頂に着きました。午後1時とやや遅めの登頂だったからか、居合わせた人数は少なめです。右側に写っているのは展望台を兼ねた電波塔で、開放されている中段まで登ると360度の展望が楽しめます。
山頂には一等三角点があり、三角点について解説する看板も立っていました。
山頂の様子を反対側から。この通り地面に立っていると展望がほとんどないので、もちろん展望台に登ります。
まずは北西側を中心とした展望から。やや雲が多くて遠望は阻まれてしまったものの、御荷鉾山と半分重なるようにして、すっかり冠雪した浅間山が見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その右の北側は、ハッキリ見えていたのは赤城山や子持山あたりまででしたが、その奥には雲と半ば一体化しながらも、谷川連峰の銀白に輝く稜線が一部見られました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
さらに右を向いて、南東側を中心とする眺めがこちら。右半分に割と近くにある奥武蔵の山々が並んでいた一方で、東側を見ると盛大に霞みながらも、はるか遠くの筑波山が辛うじて見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして最後は南西側を中心とした展望です。以上の4枚を合わせると、周囲をほぼ一周したことになります。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


ところで当初の計画では、この山頂でゆっくりと過ごす予定でした(早く下ったところで、万年橋バス停には午後5時までバスが来ないのです)。しかし、ここまでが想定以上に順調だったので、サクサク下れば別路線を走る1時間半も前のバスに間に合いそう。より早く帰れるならと、目標をそのバスに切り替えることにしました。

ということで、山頂を後にしたら、まずは山頂直下にある城峯神社へ。
今回が2度目の訪問だったのに加え、時間的にも大きな余裕はないので、城峯神社はスルー気味に通過します。
前回の訪問が山開きの日に当たり(2015年5月)、漆木神楽が奉納中だった神楽殿は、この日は静けさの中にありました。周囲では紅葉が見頃で、時間を気にせず滞在しても気持ち良さそうでしたが、先へ進んでいます。
立派な杉並木の間を通って、神社の参道を下っていきます。


短い杉並木がすぐに終わると、その先は登山道に変わりました。
城峯神社への参道として昔から良く歩かれていたらしい道は、傾斜が緩やかでとても歩きやすかったです。
古そうな丁目石が所々で見られて、この道の歴史を感じさせてくれました。
かなり下って、男衾登山口と半納登山口の分岐点まで来ました。ここは左の男衾登山口へ。
分岐点を過ぎると、男衾登山口へはやや急な下りとなって、間もなく民家が現れます。
最後は民家と民家の間を抜けるようにして進みます。
民家と民家の間を抜けて、道路に出たところを振り返りました。このあたりでは、小さな標識が一応は十分な案内をしてくれているものの、あまり目立っていないために登りだと少し分かりにくいかもしれませんね。
道路を少し下ると、すぐに小さな橋を渡ります。橋を渡った先には、ちょっとした駐車スペースがあり、コースの案内図なども立っていたので、きっとここが男衾登山口なのでしょう。


快適に歩けただけに、登山道をたった35分で下ってしまった一方で、この先もバス停までは1時間半近く車道を歩かなければなりません。なんか最近、こんな山行ばっかりしているような‥‥。
細い林道から県道に出るところには、城峯神社の大鳥居が建っていました。
県道沿いでは、この時期らしい色彩のほか、こんな秋の恵みがしばしば見られました(このあたりの集落でも、軒先などに柿を吊している民家が多数見られています)。
見覚えのある地点に出ました。2年前に城峯山に登った時に、登山口に選んだ中郷登山口です。従ってここから先は、その時に1度歩いた道を逆行するだけなので、景色にも目新しさがなくなって、いっそう退屈でした。
さらに進んで、こちらは漆木登山口。まだここから登ったことはありません。
2年前に利用した「石間沢口観光トイレ」を、今回も有り難く利用させて頂きました。


男衾登山口から車道を歩くこと1時間と少々、ようやくバスが通る県道37号線に出ました。
県道37号線に出て左を向くとすぐに万年橋バス停がありますが、先に書いた通り、ここには夕方5時まで(つまり2時間以上も)バスが来ないので、ここからさらに別のバスが走る道路まで歩き続けなければなりません。
ということで、万年橋バス停の近くで帰り支度を兼ねて少し休憩したら、さらに15分ほど歩きます。最後は交通量の多い道路となって、のんびりとは歩けませんでしたが、ずっと歩道があったので危険はありませんでした。
上吉田駐在所のバス停に到着。バスを2本乗り継いで(小鹿野役場で乗り換え)、西武秩父駅に向かいました。

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ウノタワ・大持山 [奥武蔵・秩父]

2017/06/24(土)

■第355回 : ウノタワ・大持山(1294m)


今回の行先は、奥武蔵の大持山です。約1300mという標高は、この時期に快適に登るには少々低めですが、その代わりに沢沿いを進む区間の多いコースを選んで、少しでも涼しく歩こうと目論んで出掛けてきました。

そして、大持山以上に楽しみにしていたのが、この景色。
そこだけぽっかりと木々を取り払ったようにして現れる平坦地で、山の中に忽然と現れる不思議な異空間、ウノタワです。大持山とともに2006年に1度訪れていて、その時にとても気に入った場所だったので、それ以来ずっと窺っていた再訪の機会を、今回ようやく実現させました。

 累積標高差(登り):1034m / 距離:13.2km / 歩行時間:4時間0分 (休憩除く) 
(参考) 同コースの標準時間:5時間55分 

(往路)
古淵 05:36-05:58 八王子 06:08-06:44 東飯能
東飯能 06:47-06:48 飯能 07:10-08:05 名郷

(登山行程)
名郷   08:10
山中   08:50
ウノタワ 10:15-10:30
大持山  11:05-11:20
妻坂峠  11:50-11:55
山中   12:15
名郷   13:00

(復路)
名郷 13:21-14:10 東飯能 14:36-15:12 八王子
八王子 15:30-15:42 橋本 15:44-15:55 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

飯能駅からバスに乗ること約1時間、名郷バス停がこの日のスタート&ゴールです。
なお、飯能がアニメ「ヤマノススメ」の舞台ということで、乗車したのは「ヤマノススメ」のラッピングバス。外観はもちろん、車内もアニメ尽くしで、途中には声優陣による車内放送まであるという力の入れようでした。

今回はアプローチの車道歩きが少々長いコースで、登山口まで1時間以上かけて車道を歩きます。
車道の左手を流れるのは、入間川の最上流部です。沢沿いのこの道は、期待していた以上に空気がヒンヤリとしていて、暑さがほとんど気になりませんでした。
ほどなく三叉路に出たら、右折して林道山中線に入ります。以前(2006年)にウノタワと大持山を訪れた時は、ここを直進して鳥首峠を経由していたので、ここから先は初めて歩く道です。
林道山中線に入ると、次第に傾斜が増していき、さすがに汗をかかされるようになります。
でも、林道のすぐそばに引き続き入間川が寄り添っていて、沢沿いの冷気が暑さをかなり緩和してくれました。
山中のT字路まで来たら、ここからは周回ルート。左に分岐する林道横倉線を登って、あとで直進方向から下ってくる予定です。ところで、このすぐ手前に入間川起点の標柱があったらしいのですが、行きも帰りもスルーしていた模様。ウェブ上の写真で見る限り、見逃しようのない大きさの代物なので、注意力散漫だったのか‥‥。
T字路の近くには、ハイキングコースの案内図が立っていました。
林道横倉線に入ると間もなく右手に、石垣に守られた平坦地が現れます。「山中」という地名が付いているのは、ここにかつて集落があったからに違いなく、現在の地形図でもこの場所には複数の建物記号が見られますが、人家はすでに撤去された後で、残っていたのは作業小屋風の小さな建物だけでした。
相変わらず入間川に沿った道が続いて、空気にはそこそこ冷たさがあるのですが、傾斜がさらに増したことで、いい加減暑さが完全に勝ってしまいます。たまらず、ザックから扇子を取り出して扇ぎながら歩きました。
ようやく林道横倉線の終点に到着しました。この地点で標高はすでに700m台に達していて、バス停から1時間と5分をかけて、ウノタワまでの標高差のなんと半分以上を車道で登ってしまったことになります。
登山口には「ウノタワ入口」の標識が。ここからいよいよ、山道が始まります。


登山道は、引き続き沢沿いを進みます。このあたりが入間川の源流域になりますが、まだ水量が豊富でしたし、ここまでの車道よりも水際の近くを歩けるとあって、少しの間は涼しさが上回って快適でした。
が、登山道になって間もなく現れたこの標識の所で、二又に分かれたうち左の沢沿いに進路が変わります。右の沢のほうが水量が多そうだったので、たぶんそちらが本流なのでしょう。名郷バス停から一貫して入間川の本流を遡ってきましたが、ここからは支流沿いの道に変わり、途端に水量が減って、涼しさも大幅減となりました。
そんな支流沿いの道も長くは続かず、ほどなく現れる次の標識の所から、登山道は尾根道に変わります。
そして、その尾根道が、なかなかの急勾配でした。沢沿いの涼しさからは見放され、しかも急登の連続で暑さ全開。こうなるともう、なかなか足が前に進まず、ここで一気にペースが落ちました。
ふと登山道の脇を見れば、立派なブナの大木があったり、沢筋では岩という岩が綺麗な緑色に苔生していたりして、なんとも心癒やされる景色です。でも急な登りが苦しくて、あまりそれを楽しむ余裕はありませんでした。
ただでさえ急登なのに、地面がこのようにザレていて踏ん張りが効かず、余計に体力を消耗させられました。


ほとんど緩むことのなかった急登に耐えること約50分、ようやく尾根に乗り上げると‥‥。
まず、「ウノタワの伝説」という解説板のお出迎えを受けます。
解説板を通り過ぎるとその先に、木立の間からそれらしい空間が見えてきました。


11年ぶりの再会となったウノタワは、11年前の記憶とほとんど変わっていないように思われました。
山の中に、これだけの広さの平坦地が忽然と現れるのは、なんとも不思議な感じです。
居合わせる人は誰もなく、心安まる景色を静けさの中で存分に味わえる、まさに至福の時を過ごせました。
平坦地に足を踏み入れると、あたり一面が苔と草に覆われて、地面はフカフカです。かつて池だったことから、大木がないのは分かるけれど、池でなくなった現在も樹木が根付いている様子がありません。足裏から伝わるフカフカの感触から想像すると、今なお湿地帯のような環境にあって、樹木の生育には適していないのでしょう。
鳥首峠と大持山を結ぶ尾根道は、ウノタワを横断した先にありました。分岐点でウノタワを振り返っています。
湿地帯っぽいウノタワは、あまり踏み荒らさないほうが良さそうに思えたので、分岐点の近くで休憩していきます。尾根上だからか、ここは風の通りが良くて、しかもその風が意外なほど涼しかったのが、急登で火照った身体には有難く、それまでの暑さをここで一旦リセットできたような感じでした。


ウノタワを後にして大持山へ向かうと、その取り付きは再び急登となりました。ここから大持山までは2006年にも歩きましたが、なにぶん11年も前のこと、分岐点などを除いて、途中の山道の記憶はほとんどなかったです。
最初の急登を終えると傾斜が緩んで、気持ち良く歩ける穏やかな尾根道に変わります。と同時に、その周囲も美しい雑木林に変わりました。そう、大持山の周囲は、植林帯が大半を占める奥武蔵の山々にあって、雑木林が多く残された希有なエリアとなっているのです。ウノタワに劣らず、このあたりも素晴らしい景色でした。
ということで、しばらくはそのウットリするような美林をお楽しみ下さい。ウノタワといいこのあたりといい、また季節を変えて来てみたくなりました。秋の景色なんかもきっと素敵なのでしょうね。
緩やかな尾根道はこの横倉山でおしまい。2006年に訪れた時は何もなかったピークで、樹木に括り付けられた私製の山名標を見送ると、その先にはまたまた急登が待っていました。


妻坂峠への分岐点まで来れば、大持山の頂上まではもうひと息。下山時はここから妻坂峠に向かう予定なので、この先は大持山までの間が往復になります。
分岐点では東側が開けていて、2006年には展望が楽しめたのに、この日は雲が多くて、眺めも今ひとつでした。
それでも近い範囲はある程度見えていたので、一応写真を撮っておきました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
大持山への最後の登りです。このあたりの傾斜は比較的穏やかでした。


大持山の頂上は狭くて、ここに写っている範囲がほぼ全てでした。
ベンチもありませんでしたが、ほかに誰もいないので、三角点に腰掛けて休憩します。
景色は西側が少しだけ見られましたが、上空には青空も見えるのに、低い所に雲が多くて周囲の山々はほとんど見られません。でも展望こそ楽しめなかったものの、思いのほか気温が低くて過ごすのはとても快適です。1300m程度の標高だから、日中になれば暑くなるものと思っていたので、これは嬉しい誤算でした。


大持山から分岐点まで引き返したのち、妻坂峠への道に入ると、緩やかな傾斜の歩きやすい尾根道が続きます。
このあたりの景色もなかなか綺麗で、とても気持ち良く歩けますし、緩やかなのですこぶる快調に下れます。
途中から急坂に変わり、少々滑りやすくなったりもしましたが、歩きにくくなる程の箇所はありませんでした。
妻坂峠には、大持山から30分で到着しました。標準コースタイムが70分ですから、その半分もかからなかったことになりますが、別に走ったりした訳ではなかったので、コースタイムの設定が甘めなのでしょう。
ここは登山道が十字に交わる交差点。ほんの5分休んでいる間にも、何人もの登山者がそれぞれ違う方向からやって来ては通り過ぎていきました。
妻坂峠に置かれていた石仏です。近くには、延享4年(1747年)の物だと書かれた私製の解説板もありました。


妻坂峠で、武川岳方面や生川方面の道を見送って右折すると、そこから先は植林帯の斜面にへばりつくような細い道。ここまで歩いてきた道とはガラッと雰囲気が変わって、大きなジグザグを描きながら下ります。
しばらく下ると沢筋に出て、そこからはその沢に沿ってほぼ真っ直ぐ進むようになります。
はじめ涸れていた沢に小さな流れが現れ、次第に水かさが増していくと、やがて前方に林道が見えてきました。
林道の終点に出たところから、登山口を振り返りました。


この林道は、今朝歩いていた山中線です。先程は途中の山中集落跡から横倉線に入ってしまいましたが、その分岐点まで5分ほどの距離しかないので、あとは名郷バス停まで、ほぼずっと今朝の逆回しの景色が続きます。
終点付近は勾配がなかなかきつく(そのためか、しばらく簡易舗装でした)、足への衝撃が結構こたえました。
でもすぐに、見覚えのある山中集落跡の分岐点に出て、ここからは傾斜も穏やかになります。
あとは今朝歩いた道を戻るだけ。朝のうちほとんどが日陰だった沢底には、午後になって日が差すようになっていましたし、気温も上がっているはずですが、それでも沢沿いだけに涼しく歩くことができました。
バスの時間には余裕があったので、バス停の少し手前で入間川の川原に降りて、着替えなどをしつつ時間調整します。ここは大鳩園というキャンプ場の入口付近に当たるようで、奥にはバンガローなどが並んでいました。
名郷バス停に着いたら、ちょうど折り返しとなるバスが到着したところ。すぐに飯能駅行きの設定をしてくれたので、早めに乗り込んだのですが、車内が暑かったので(エンジンを切っていたため冷房が止まっていて、乗降口も全開でしたし)、結局はまた外に出て発車時刻を待つことになりました。

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