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水郷田名でプチ散歩 (移動は自転車) [街歩き]

2021/04/15(木)

いやぁ、探せば見つかるものですね‥‥。
自宅から自転車で登山口まで行ける山のバリエーションなんて、とっくにネタ切れになったものと思っていたら、つい先日地形図とにらめっこをしていた折に、その可能性のある山をさらに見つけてしまったのです。
ただ、これまでの行先と比べると、自転車での行程の難易度がグンと上がるのが気掛かりで、せっかくの発見も手放しでは喜べません。そこでこの日は、本当に無理なく行けるのかどうかを事前に試しに出掛けてきました。



‥‥てな調子で、今回の行先の「水郷田名」には全く触れず、余談から先に書き始めましたけれど、あともう少し、「水郷田名」を行先に選んだ経緯について続けさせて下さい(興味ない方は こちら で本題に飛べます)。

昨年の終盤以降、もっぱら公園歩きの記事ばかりが並んでいるこのブログではありますが、コロナ禍で移動手段を自転車に限ることを決めたあとも、昨年の秋頃までなら、そこそこ山にも出掛けていたのです。
昨年、公共交通機関を使わずに自転車で登りに行った山を、相模原市の地図上に示すとこんな具合です。

※オレンジ色の破線が自転車での移動経路。①~④の地点に自転車を停めて、そこから歩いています。
  
年月行先自転車を停めた地点(地図上の①~④)
2020年5月大日堂(223m)・七国峠① 相原中央公園
2020年9月津久井城山(375m)② コピオ相模原インター
2020年10月草戸山(364m)・榎窪山(420m)③ 川尻八幡宮
2020年10月南高尾山稜(大洞山 536m)④ 中野コミュニティ公園

行先が自宅からみて北西方向ばかりなのは、その方向ならほぼ平坦な相模原台地上を進むだけで良く、特に地点①②③までなら坂らしい坂がほとんどないためです(そして都合良く南高尾の山々もちょうどその方向に)。
でもさすがに地点④までとなると、坂道が多くなる上に距離も長くなり、自転車での往復だけで結構疲弊してしまう結果になりましたから、これよりさらに遠くの山を目指すのは非現実的だという感触を得ています。
このほか、津久井城山の南に位置する雨乞山も候補に挙げてはみたものの、自転車で無理なく行ける地点②からでは、コースが長丁場になり、山行頻度が落ちた現在の脚力では不安なので、計画を具体化できていません。

そんな訳で、もうこれ以上は行先の選択肢を広げられそうになく、今後は上図の4ヶ所を繰り返し訪れるくらいしかないと諦めていたある日、思わぬところに山があることに気付きました。下図で書き加えた牛松山です。

ずっと、山なんてないと思っていたエリアに、山がひっそり存在していたとは、まさかの大発見です(知名度の低さゆえに今まで見落としていたっぽい)。牛松山は標高282mの超低山ながら、隣り合う天狗山・三栗山と繋げた縦走コースを組めて、まずまずの歩き応えがありそう。しかも、きちんとした山名が付いている中では、たぶん自宅から最も近い山になりますので、今の状況下でもなんとか自転車で行けないかと策を練ってみました。

その結果、地点⑤の高田橋付近から周回コースで歩けば良さそうだと分かった一方で、果たして高田橋まで自転車で来られるのかどうか、が大きな不安材料として浮上してしまうことに。

というのも、普通の地図で距離だけを比べると、これまでよりも近くて楽そうに見えますが、実は自宅と高田橋付近とでは標高差が50m近くもあるのです。地形が分かる次の地図で見て頂くと、自宅(黒丸)から地点①②③までが概ね平坦な道のりなのに対して、地点⑤までの間には何箇所もの急坂を経ることが一目瞭然になります。

地点⑤を流れているのは山中湖に端を発する相模川で、神奈川県を流れる川としては多摩川に次ぐ規模の大河川。とりわけ相模原市の西側で河岸段丘が発達しているので、市内を東西に大きく移動することは、数段ある段丘面の最上段から最下段までを行き来することになるのです(上の地図にマウスを載せると補足を示します)。

50mの標高差なんて、山登りならば大したことない部類に入るけれど、自転車で登るとなるとまた別の話になりそうですし、乗っている自転車が、変速機も電動アシストもない非力なママチャリですから、やってみる前から急坂で手こずる情景が目に浮かびます。ちなみに、自転車の行程を往路で断面図にするとこんな具合。起終点の単純な標高差は正確には50mに達しませんが、行程全体では40m登って80m下ることになる模様です。

3箇所で現れる段丘崖のうち、1番目と3番目はかなりの急坂で、とりわけ最後の「急坂3」が難敵と言えそうです。往路ではいずれも下るだけなので問題ないでしょうが、登りになる帰路(しかも登山で疲労した後)でトラブルなく走り切れるものなのかどうかが、大いに懸念されます。そこで、まずは登山抜きで、地点⑤の高田橋まで自転車で往復するだけの場合に、体力にどの程度の負荷がかかるのかを確かめておきたくなったのでした。



【2021/08/13追記】

後日、河岸段丘の構造が分かりやすく描かれた図を相模原市作成のパンフレットの中に見つけたので、ちょこっと拝借しました。下の図にマウスを載せると、今回の移動経路の大まかなイメージを重ねて表示します。
※相模原市作成「木もれびの森マップ」から加工・転載



というわけで、前置きが長くて失礼いたしました。いよいよここからが本題です。
この日は自転車で相模川に架かる高田橋までを往復して、高田橋東岸の水郷田名エリアを軽く歩いてきました。

(普段と違って歩いた軌跡を記録しなかったので、下の地図では巡った地点にピンを立ててあるだけです)

大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

まずは往路の模様から。自転車で自宅を出発後、県道52号線を西へ進み、北里大学を過ぎたら細い道に入って、相模原沈殿池の周囲を3分の1周ほどします。平坦な道はここまでで、池から離れると最初の急坂が現れます。
坂を下り切って幹線道路に出ると、2月に来たばかりなのがまだ記憶に新しい、あざみがや交差点へ。
その交差点から、2月に さがみはら・みどりの散歩道 を歩いた時にも通った「水道みち緑道」に入ります。
2月の時は、前方にJR相模線の線路が近付いてきたこの地点で「水道みち緑道」から外れましたが、今回はそのまま直進して、前方に見えている線路との立体交差をくぐります。なお、遊歩道はここから未舗装の砂利道に変わり、「水道みち緑道」という表記も見掛けなくなったので、この先の区間は整備途上なのかもしれません。
相模線より西側に入ると建物が少なくなって、沿道には畑地が広がる長閑な景色が広がるようになりました。
すると見通しが良くなって、丹沢の山々も一望です。最高峰の蛭ヶ岳は頂上が雲で見えていなかったけれど。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
国道129号ぎると、遊歩道は再び舗装路に変わり、ほどなく「小川ブルーベリー園」の脇を通ります。こんな所に果樹園があったとは。でも今は開園期間(7月中旬~9月上旬)から外れていて、あたりも静かでした。
その先で2車線の道路と交差したら、遊歩道とはもうお別れ。左折すると間もなく、2度目の急坂を下ります。
その後、田名の住宅街に入ると一旦は平坦地になりますが、その先にこの日最大の難所が待ち構えていました。
それがこの「ひの坂」。これから下るのは、3箇所ある急坂の中でも最大斜度の、もう崖に近い急斜面です。
九十九折り状の道は、ほぼ180度近い急なヘアピンを2度曲がります。ここはママチャリのブレーキを目一杯かけないとスピードが緩まず、乗ったままで下るのは少し怖いくらいでした。帰りに登り返すのが気が重い‥‥。
「ひの坂」を下ればもう相模川の流れはほど近くにあって、すぐに目的地の高田橋に到着となります。途中で写真を撮ったりしながらゆっくり自転車を走らせてきて、自宅からちょうど1時間ほどでした。
河川敷の広場には特に定められた自転車置場がなさそうだったので、常に人目がありそうな土手上の遊歩道脇に自転車を停めました。次に登山で来た時も、このあたりに停めておけば問題なさそうです。


高田橋周辺の河川敷にはいくつかの広場が連なっていて、橋のすぐ北側は「花と芝生の広場」になっています。
土手に植栽で表された文字は、今となっては広場の名前を先に知っていないと読めない有様でした。
対岸には、出掛けてくる契機となった、山名が付いていることをつい最近知った低い山並みが見えていました(牛松山は、前を遮る別の稜線上に山頂が辛うじて突き出ていただけですが)。今度はあそこを歩きに来たい。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


それでは、河川敷を歩いて散策開始。手始めに、高田橋の下をくぐって橋の南側から巡ることにします。
広場がなくなった先も、川沿いには遊歩道が続いていました。
ほどなく望地弁天キャンプ場のエリアに入ります。キャンプ場のトイレは誰でも使用可で、とても綺麗でした。
キャンプ場の奥にあるのは望地弁財天。元々は江ノ島に「岩屋弁天」として祀られていたものがここに移されてきたらしく、江戸時代の制作とされる弁才天坐像は相模原市の重要文化財に指定されています。
望地弁財天の社殿は簡素な覆屋に守られていました。


橋の南側では気になっていた場所が望地弁財天だけだったので、来た道を戻って橋の北側のエリアへ。
こちらが水郷田名の中心部になりますが、かつて大山街道の宿場町として栄え、さらに昭和初期までは鮎漁や鵜飼いなどが知られて観光地としても繁盛していた頃の賑わいも今はなく、現在は閑静な住宅街となっています。
川の近くには「鳥山用水」の水路とそれに沿う木道があって、立派な解説板も。この一帯の水田を潤していた水路の歴史は江戸時代末期まで遡り、その後一旦は荒廃したものを、近年再整備して現在の姿になったらしい。
こちらは「マミー」という駄菓子屋さん。昔ながらの「駄菓子屋さん」を彷彿とさせることで少し知られたお店のようで、ネット上にも多数の評判が出ています。それによると、広い店内は品揃えが豊富な上に値段も良心的だとか。残念ながら私はお腹が弱くて食べるものを選ぶので、冷やかすだけになっては悪いと思って入店は控えましたが、平日の真っ昼間にもかかわらず、この時も店内には数組のお客さんが入っていました。
住宅街をさらに進むと、家々が建ち並ぶ中に、田名八幡宮がひっそりと鎮座していました。
田名八幡宮は延暦17年(798年)創建の歴史ある八幡さまで、境内にも風格を感じる荘重な雰囲気が漂います。
現在の社殿は2009年に再建されていて、参道や狛犬なども真新しく、境内全体が綺麗に整っている印象でした。


ところで、街中のあちこちにこのような立て看板が。小田急多摩線の延伸は、相模原駅まではなんとか実現しそうなものの、上溝駅まで伸ばせるかどうかは微妙な情勢のようで、さらにその先となるとどうなるでしょうか。
現在は路線バスがこの地域の交通需要を担っています。水郷田名バス停は住宅街のほぼ中央にあって、相模原駅からの便が昼間でも毎時2往復走っているほか、通勤・通学時間帯には橋本駅や淵野辺駅への便も出ています。
水郷田名バス停はバスの転回所を兼ねていて、さらに公衆トイレと自転車置場も併設されていました。


町のさらに北側へ進んで行くと、現在ではこの地域で随一の集客力を持っていると思われる施設があります。
それがこの、相模川ふれあい科学館(アクアリウムさがみはら)です。水族館を主体としつつ、科学館や博物館でもあるような施設で、相模川沿いという立地だけに、川に生息する淡水魚を中心に展示しているようです。
館内には入りませんでしたが、敷地の半分近くは緑豊かな公園になっていて、自由に歩くことができます。
さほど広くはないけれど、木立の間にはあずまやとかも建っていて、ここでのんびりと寛ぐのも良さそう。
建物前の広場を囲むように、円形に座席っぽいものが配置されていたのは、屋外でのイベント用でしょうか。


中心部を抜けて町の北部に差し掛かると、道は登り坂に変わります。家並みが続くのも、この少し先まで。
水郷田名の1丁目1番地は、意外にも町の北の外れにありました。
町の北端まで来ると、相模川を見下ろす高台に宗祐寺があるので、参道の石段を登って境内へ。
宗祐寺は情報が少なくて詳細が不明ですが、中世以前の創建とされています。まずは立派な仁王門とご対面。
仁王門のすぐ奥に並ぶようにして、本堂が建っています。
本堂を正面から。仁王門も本堂も手入れが行き届いている感じで、こざっぱりとした境内です。
境内の一角、街並みを見渡せる位置にはあずまやが建っていました。
歩き回ってきた水郷田名の街並みを一望しながら、時間調整がてら、ここで少し休んでいきました。


相模川沿いの道に出たら、街中へ戻るように坂を下っていきます。
道路脇に「滝の渡し」の石碑を見ます。相模川に橋が架けられる以前、この付近に2箇所あった渡し場の片方らしい(もう一方は高田橋の位置にあり、大山街道の渡船場として多くの人々が往来していた「久所の渡し」)。
最後に寄っていく場所は、近くまで来れば、あとはこのような道しるべが導いてくれました。
それが「まめくら」というパン屋さんで、休憩をはさんで午後2時半からの営業再開時刻に合わせて来ました。
「当店おすすめ」のあんぱんとソフトフランスウインナーの2品を購入。自家製のあんこが入ったあんぱんがもう美味しくて、ウェブでの評判の良さが納得できましたし、遠くから車で買いに来る方がいることも頷けます。
パンを持って相模川の河畔へ下りると、そこにはお誂え向きのベンチが。高田橋から離れたこのあたりは、通りがかる人も稀で落ち着けます。ゆったりとした時間が静かに流れる中、美味しいパンをじっくり味わいました。
パンを食べながら眺めていた対岸の景色がこちら。ちょうど、次に来た時に歩く予定の稜線になりますが、はじめに見ていた高田橋付近からの見え方とは少し変わって、牛松山は前山に隠れて見えていなかったようです。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
高田橋まで戻ってきたら、自転車で帰途に就きます。



最後に、冒頭の余談部分で不安感を強調していた帰路の登り坂について、その感触などを報告させて頂きます。

結論から書いてしまうと、
   『 どうってことなかった 』
のでした。心配なんて全くの杞憂であり、単なる取り越し苦労に終わったのです。

では、急坂をものともせず、自転車で楽々登れたのかというと、それも
   『 否 』
でありまして‥‥、

そんなことだろうと先を読まれていた方も少なくないと思いますが、3箇所の急坂は、とてもママチャリを漕いで登れるようなヤワな代物ではなく、実は『自転車を押して歩いてしまった』のでした。

しかもそれが想定通りでもありまして、最初に計画を立てる際に不安に感じたことは紛れもない事実ではあるものの、その後のかなり早い時点で、実際には漕いだままでは登れないだろうと見当が付いていたのです。
ハイカーである私は、歩き方には多少のこだわりがあったとしても、自転車乗りではないので自転車の乗り方には何も頓着がなくて、この点については割り切りも早かったのでした。

そんな訳で、実行前からすでに、自転車を降りて歩くのを前提に考えるようになっていたので、その点に些かも触れず徒に不安感だけを書き連ねたこの記事の冒頭は、あまりフェアではない書き方だったかもしれません。

でも言い訳がましくなりますが、登り坂で自転車を押したところで、結局は自転車の重量分を担いで登るのと同じだから、多少は楽ができる程度で、それなりにキツい思いもするだろうと覚悟はしていたのです。
ところが実際にやってみると意外にも、先程大きな字で書いていた通り『どうってことなかった』ことにびっくりで、これには本当に肩透かしを喰らったような気分でした。自転車から降りただけで、こんなに楽に坂を登れるなんて、全くもって想定外だったのです(漕いだ時の苦しさとの違いは一体どこにあるのだろう?)。

ですから私にとっても、やってみるまで分からなかった部分はあり、不安視していた割に何の波乱もなくすんなりと終えられて安堵したという展開をお伝えしたい思いもあって、冒頭のような脚色をさせて頂いた次第です。

この調子ならば、牛松山への登山を加えた計画にしても、無理なく実行できそうですから、近々それをしにまた出掛けて来たいと思っています。さらに、自転車の行程に急坂があってもOKだと分かって(程度にもよるでしょうけれど)、自転車での山行の幅をいくらか広げられる可能性が出てきたので、ちょっと考えてみようかな。

タグ:街歩き
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