SSブログ

旭山・苗敷山 [甲府近郊]

2021/11/26(金)

■第449回 : 旭山(1037m)・苗敷山(1010m)


今回の行先は、山梨県韮崎市の旭山。古くは山岳信仰の場として知られた山で、山頂直下に724年の創建という歴史ある穂見神社が立派な社殿を構え、特に江戸時代頃には多くの参拝客で賑わっていたとされています。

現在は整備された登山道がなく、登山目的で足を運ぶのは余程の物好きなど少数に限られそうですが、往時の登拝路の名残を留める道が今も歩ける状況にあるらしく、信仰の篤い人が参詣で登ることもあるようです。

訪れる人も稀な山上に忽然と現れる穂見神社の奥宮。社殿は今もきちんと手入れされている様子だ。

 累積標高差(登り):697m / 距離:9.7km / 歩行時間:3時間10分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:26-05:48 八王子 05:51-05:58 高尾
高尾 06:15-08:02 韮崎 08:33-08:49(延発08:44-09:01) 竹の内

(登山行程)
竹の内バス停   09:05
穂見神社(里宮)  09:05-09:10
石鳥居      09:45
穂見神社(奥宮)  10:40-10:45
苗敷山      10:50
旭山       11:05-11:10
穂見神社(奥宮)  11:20-11:25
石鳥居      11:50
エーワン精密社前 12:10
御勅使南公園   12:25-13:00
御勅使バス停   13:10

(復路)
御勅使 13:25-14:01 甲府 14:16-15:10 八王子
八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

韮崎駅から市民バスに20分ほど揺られて、竹の内バス停で下車します(写真左端がバス停のポスト)。
バス停の横には穂見神社参道の大きな石柱と案内図が並んで立ち、案内図を見ると山上には奥宮のほか、宝生寺という別当寺の跡や宿坊跡など多くの建物も描かれていて、往時は大変栄えていたであろう様子が窺えます。
穂見神社の里宮はバス停のすぐそばにあって、参道を30秒も歩けば鳥居の前へ。もちろん寄っていきます。
まずは拝殿の前で手を合わせます。今日も無事に登って下りてこられますように。
見ておきたい物があったので拝殿の裏に回ると、それは本殿への渡り廊下の脇にありました(写真左下隅)。
木の根元に立て掛けられた石を良く見ると、「元禄四辛未歳」「苗敷山道初丁目」と刻まれているのが分かります。奥宮への参道には元禄4年(1691年)に丁石が整備されたとされていて、里宮がその起点だったようです。


参道に戻って集落の中を登っていき、ほどなく右に分かれる細道の先に防獣フェンスの扉が見えてくれば(写真の円内)、それが参道の続きの目印になっています。
細道に入ると、防獣フェンスの手前に「二丁目」の丁石がありました(写真右下隅)。パッと見では三丁目とも読める代物ですが、公的な調査で二丁目と判定(※)されていたりします。さっき初丁目を見たばかりですしね。
  ※なお「二」には線が浅く追刻されて「三丁目」のように判読できるが、三丁目丁石は別に存在するので二丁目であろう。
    [ 苗敷山総合学術調査報告書『苗敷山の総合研究』(2011年・韮崎市教育委員会発行)より転記 ]
それでは、フェンスの扉を開閉して、林の中へと延びていく道に入ります。
少しだけ林道を歩いたのち、ここを直進して山道へ。ここには道案内が何もなかったものの、林道のほうはここから先が工事関係者以外立入禁止でしたから、特に悩むこともありませんでした。
はじめは深くえぐれた道が続きます。昔から良く歩かれていたっぽいえぐれ具合から、このあたりは古い参道を歩けたのではとも思いましたが、でも丁石をしばらく見なくなったので、やっぱり付け変えられた道なのかも。
その後は尾根筋を進む地形図の破線路を右に分けて、尾根左側の斜面を進むようになります。その分岐にも道標等はなかったけれど、斜面を進む道のほうが明らかに明瞭で、どちらへ進むかはほとんど迷いませんでした。
トラバース状に登り続けていると、やがて前方を横切る林道が現れて、ここでその林道に突き当たりました。
林道に合わさった地点を振り返ると、登ってきた道の存在はほぼ分からず、下りだったら林道をそのまま進んでしまいそう。なのに、ここに道標はおろかテープ等の目印すらないということは、林道を下ったとしても全く問題がないことを意味しそうなので、恐らく先程見送った地形図の破線路がここに続いているものと思われます。
    ※下の写真にマウスを乗せると、道が合わさる様子を表示します。
そこからは林道歩きに変わります。このあたりは路面があまり荒れていない、割と歩きやすい林道でした。


ここで、左から上がってきた別の林道と合わさります(全区間まるまる往復になっては面白味に欠けるので、帰りはその道を下る予定)。古い記事の写真だとここに道標が立つ様子が見られるのに、今は何の道案内もなく、その残骸っぽさのある木片が見られるのみ。きっと道の手入れをする人もいなくなってしまったのでしょう。
そのすぐ先で、今度は登る方向が二手に分かれます。ここも一見道案内はなさそうですが、「火の用心」や「ゴミを捨てるな」といった看板が右寄りに立って、右の道が進路だと示しているようで、私も右へと進みます。
良く見ると、足元に倒れた道標があって、「石鳥居」「奥宮」と書かれた2つの指示標が右の道を示していました。とはいえ、これらがいつ来ても同じ方向を指して置かれている保証なんてなさそうですけれど。
ほどなく左手に石鳥居が現れました。てっきり下をくぐるものと思っていたら、道とは微妙にズレています。
なので、石鳥居の正面に立つには、ひとまず道から少し外れる必要がありました。今は林道が鳥居の右横を抜けているのに対して、かつての参道はこの下を通っていたのでしょうか。
その先で林道が一旦道形を失い、その先が草深くなるとともに、踏み跡も二手に分かれたので、双方の様子を窺ったところ、右は尾根に突き当たった先がやや不明瞭に見えて、左なら林道の続きがありそうな気配です。
ここでは、地形図の破線路が尾根筋を進んでいる一方で、先人の軌跡が一様にその尾根筋を左側から迂回しているのを事前に見ていたこともあって、左の道を進みました。ここが結果的にこの日進路で迷わされた唯一の箇所になっていて、下の写真は少し先まで進み、林道としての道形が再び明瞭になってきたあたりです。


その後しばらくは林道を追う形。古道の気配など微塵もなくて趣には難がありますが、歩きやすい区間でした。
途中にはZ字状の小さなジグザグが2箇所あります。写真は1箇所目のジグザグを上から振り返ったところ。
    ※下の写真にマウスを乗せると、ジグザグの道筋を表示します。
さらに進むと、今度は少し大きめのZ字状のジグザグが現れて‥‥
ここまで尾根から大きく外れていた林道が、尾根のすぐ近くに上がりました。地形図の796m標高点付近です。
ふいに草藪が進路に立ちはだかると、ここは中を突っ切る踏み跡しかなさそうだったので、強引に突破します。
すると草藪を抜けた直後にまた歩きやすい林道が復活したりして、先の展開が全く読めません。


久しぶりに道標が現れたら、ここからは林道を離れて山道を歩けるようになり、ようやく登山っぽい雰囲気に。
その先では丁石も久々に見掛けるようになって、ここには2つの丁石が接近して置かれていました。
手前側(上写真の黄色の円内)の丁石は、「廿丁目」、すなわち二十丁目です。そしておかしなことに、、
奥側(同じく橙色の円内)にあるのが「十九丁目」でした。順序が逆転していますから、少なくとも片方はここが元来の位置でないことが明白で、丁石があるからといって、ここも必ずしも古来の登拝路ではないのかも。
短い石段が現れたので登ってみると、そこには小さな平地があっただけ。でも下のバス停で見てきた案内図に、山上にいくつもの建物跡があることが描かれていましたから、そのどれかだったのかもしれません。
さらに進むと、ここには「二十一丁目」の丁石がありました。
時折丁石を見るようになったとはいえ、依然それ以外の道案内は何もなく、こんな標識でも見ると安心します。
かなり登ってきて、いつしか、れっきとした山道に。あまり古さを感じられないのは気のせいなのかどうか?
そして今度は「二十三丁目」の丁石を見ます(二十二丁目の丁石は所在が確認されていない模様)。
ここには「二十四丁目」の丁石(写真右端)とともに、ひときわ大きくて目立つ「西行歌碑」がありました。山麓に住み西行を尊敬した遠近庵引蝶なる俳人が建立したとされる歌碑で、天明7年(1787年)のものらしい。


やがて古い石段が現れて、さすがにこの先は元来の登拝路と同じ道筋なのが確実に(もう残り僅かだけれど)。
最初の短い石段を上がると、そこには「山門跡」の標識が立ち、奥にはさらに長めの石段が続いています。
苔生した石段は、どの石も角がすっかり丸まり、所々で歪んでいたりもして、経てきた年月の長さが窺えます。
もう一段上がるとそこは「隋神門跡」。茅葺の大きな建物だったらしく、建っていた頃を見てみたかった‥‥。
隋神門跡の先にあったのが最後の石段のようで、登り詰めた先に、いよいよ穂見神社の社殿が姿を現しました。
ここまでの道を振り返ると、昔ながらの登拝路が残っている箇所は限られていたようで、多くの箇所で林道などに付け替わっているもののその道も荒廃が進んで、すでに車両では通行できないような有様です。
それでも歩いて通る分には特段の困難も危険もなく、紛らわしい分岐など道迷いを起こす要因もほとんど見当たらなくて(道案内も最小限でされています)、思いのほか登り下りできてしまう状況でした。
そんな訳で、難易度が低~中程度とされるようなバリエーションルートの登山道がある山とさほど変わらない感覚で歩けたという印象です。


穂見神社の奥宮に到着。こんなに立派な建物が、普段は誰にも見られることなくひっそりと建っているなんて。
奥宮の社殿を右側から見た様子。本殿・渡殿・拝殿が一体化した権現造で、日光東照宮と同じ建築様式だとか。
今度は左側から。驚いたことに、元文元年(1736年)再建の社殿にはほとんど傷みが見られません。昭和28年に改修されたとありますが、それも70年近く前のことなので、余程その後の手入れも行き届いているのでしょう。
近くから見ると、かなり賑やかな装飾が細やかに施されており、隆盛を極めていたであろう往時が偲ばれます。
社殿の南側は小さな広場になっていて、西側から林道が延びてきていたので、車両で上がって来られるのかも。
周囲に広がるモミ林は山梨県の自然記念物に指定されています。でもこの看板の注目すべきポイントはそこではなく、添えられた地図で奥宮の背後にあるピークの標高が「1013.4」と細かく表記されていることで、次に向かう苗敷山の正確な標高(小数点以下まで明記したものはほかに見られない)を表している可能性があります。
※地形図と見比べると同じ地点を描いたと思えないほど等高線の位置が違っていて、信憑性に大いに疑念を挟む余地がある地図ではあるものの、国土地理院による最新の標高データ(航空測量による5mメッシュの数値標高モデル)における苗敷山付近の最高値も1014.0mと近く、標高値としての妥当性には問題がなさそう。


説明が前後しますが、奥宮の背後の高まりが「苗敷山」とされていて、このあとはそこを経由して旭山を目指します。奥宮の裏手が少し急な斜面だったので、広場のほうに少し歩いてから、写真左側の林の中に入りました。
なお、地形図に山名の記載があるのは三角点峰の旭山だけで、「苗敷山」とされる地点はそこから400mほどしか離れておらず、一般的には山名が別々に付くことがなさそうな近さです。さらに、苗敷山がさほど顕著なピークではないため、2地点を双耳峰とみなすにも無理があり、苗敷山を敢えて呼び分けるにしても、普通なら「旭山の肩」のような言い方がせいぜいな気がします。
しかし、前出の苗敷山総合学術調査報告書『苗敷山の総合研究』に、「地元では山頂部の鞍部によって旭山と苗敷山に区別されている」「地元での苗敷山に対する愛着は深く~(後略)」という記載が見られたことに加え、先人の記録もその多くが旭山と苗敷山を明確に区別していることから、この記録でもそれに倣い、苗敷山を個別の山として扱うことにしました。

さて、奥宮までの道はそこそこ歩かれていましたが、奥宮から先へ進んだ途端に道が消えてなくなりました。この先に足を踏み入れるなんて酔狂なピークハンターくらいですから通る人なんて稀でしょうし、どこでも自由に歩けそうな広い斜面ゆえに、ただでさえ少ない足跡も分散して、ハッキリした踏み跡が残らないのでしょう。
道がないため、苗敷山の高みを目指して適当に進むと、私製の山名標付きの樹木(写真中央)を発見します。
その山名標が少々問題ありの代物で、ここは地形図の1010m圏の等高線内ですから、まず標高が明らかに間違っていますし、苗敷山の最高点もここではなさそうで、何かと不正確。良く確かめずに設置したのでしょうか。
苗敷山の最高点付近は林道により南北に二分されていて、上の山名標の地点も南側の最高点にはなるようですが、国土地理院の標高データでは北側にもっと高い地点が見られます。そこで北側に向かうべく林道を横切ろうとすると、掘割状の林道に出入りする箇所だけは踏み跡が収束して、しっかりした道筋が付いていました。
苗敷山の最高点と思われる地点まで来ると、ここにも樹木に括られた私製の山名標がありました。
こちらの標識は、場所も標高もどちらも適切なようですし、この記録でもここを苗敷山としたいと思います。


苗敷山から旭山に向かって尾根筋を進む途中、伐採地に出たところで尾根筋が草藪(写真右端)で歩きにくくなると、この区間だけなぜかピンクテープが多数付けられて、草藪の境界あたりの道筋に誘導してくれました。
伐採地に出たことで西側の見通しが開けて、千頭星山と甘利山が眺められました。この奥にそびえる南アルプスの鳳凰三山が、これらの山に遮られてギリギリ見えていなかったようなのが残念でしたが‥‥。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
伐採地の北端まで進むと南側にも眺望が広がって、少し遠めに櫛形山が見えていました。
伐採地を抜ければ、再び人が入った気配を全く感じない山の中。踏み跡もテープ等の目印も一切見掛けません。
でも地形が単純だからか、ただ高い場所へと適当に歩いただけにしては、すんなりと目的の地点に到着です。
旭山の山頂は苗敷山と同じく樹林の中で、展望は皆無です。そこにあるのも三角点と私製の山名標だけでした。
私製の山名標は無意味に3種類もあって少々目障り。今後訪れる人はもう山名標を増やさないで頂きたい。


旭山からは、しばらくは来た道をそのまま引き返します。穂見神社の奥宮が見えてきたら、帰りはここから社殿裏手へのやや急な斜面を無理やり下りました。
奥宮からの石段を下り終え、山道に入ってすぐのあたりに、東側に開けた地点があって、富士山をはじめ御坂方面などの山並みを眺められました(ここは登る時には気付かずに通過していたようです)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
往路で細かく写真を撮りながら歩いたのが良かったのか、途中で曲がるべき地点の様子などがしっかり目に焼き付いていて、復路はいたって順調に歩くことができ、登った時の半分の時間で石鳥居まで下ってきました。
石鳥居の先の分岐点まで来たら、同じ道を往復するのはここまでとして、右に分かれる林道を下ってみます。
    ※下の写真にマウスを乗せると、道が分岐する様子を補足します。
あまり歩かれてなさそうな道にしては、道形は明瞭ですし、深くえぐれた様子から、作業道として盛んに使われていた(今も使われている?)道なのかもしれません。登山者が通るのは間違いなく稀なことでしょうけれど。
所々で洗堀が進んだ路面はガタガタで、車両での通行はもう無理そうでしたが、歩く分には問題ありません。
人里の気配が漂うあたりまで下って沢沿いに出ると、そこからの道は簡易舗装されていました。沢の上流には堰堤が見えたので(この写真にも一応写っています)、ここからはその工事用に使われた道にもなるのでしょう。
間もなく防獣フェンスが現れると、この扉は開閉部分が錠前で固定されていて開けられないのですが‥‥
事前にネットで得ていた情報通り、フェンス沿いに右へ進めば開閉可能な扉があって、そこから向こう側へ。
その後は工場の建物が並ぶ中を抜けて車道に出ました。建っていたのがエーワン精密という名前の機械工具メーカーの工場なので、この記録ではこの地点を「エーワン精密社前」と記載しています。


あとは車道を歩いてバス停へ向かいます。前方には金峰山をはじめ奥秩父や大菩薩連嶺あたりの山々が。
こちらは登ってきた山を振り返った写真で、旭山を撮ったつもりだったのに、カシミール3Dで確かめると旭山も苗敷山も麓からは山頂が見えていなかったようです(穂見神社奥宮のあたりが辛うじて見えているような)。
バス道路に出てすぐのところには県立北病院バス停があって、ここから来る時にも利用した韮崎市民バスで韮崎駅に行くことができますが、それよりも少し早く帰れるバス路線が別にあるので、もう少し歩くことに。
でもどちらのバスを利用するにせよ、小1時間ほど待たされるので、途中の御勅使南公園に寄っていきます。
時間調整には恰好のあずまやで、しばらくマッタリと過ごします。平日のお昼時、住宅街から離れた公園にはほとんど人がいなくて静か。人目を気にする必要がなくて、帰りの身支度なんかもここで済ませてしまいました。
あずまやの場所は眺めも良くて、あまり退屈せずに過ごせます。東を向けば富士山が。
南側に見えていたのは櫛形山。御勅使川の河原も草紅葉のようになっていて綺麗です。
再び登ってきた旭山を振り返ります。当然ここからも山頂が見えていなかったと知るのは帰宅後のことでした。
あずまやは居心地が良かった反面、トイレが御勅使川の対岸側(そこも同じ公園内だけど)にしかなくて、最後に少し余計に歩かされてしまいます。事前にもう少ししっかりとリサーチしておくべきでした。
御勅使バス停からは、山梨交通のバスで甲府駅へ。ほかの人を写したくないからと、十分な早さだと見込んで15分前に来てみたら、もうベンチには2人組の先客がいて、どうやら読みが甘かった様子。ちなみに、かつて芦安まで行っていた路線が御勅使折り返しに縮小された(2013年4月)ものですが、御勅使~甲府間は利用者がそれなりにあるようで、私が乗った便も平日の昼間にもかかわらず、席がかなり埋まる程度の乗客がありました。


タグ:甲府近郊
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

醍醐山・西山 [甲府近郊]

2021/11/17(水)

■第448回 : 醍醐山(635m)・西山(487m)


この日は山梨県の南部へ。甲府から身延線を半分近く南下して、身延町の低山2座を巡ってきました。

今回訪れた醍醐山は、登山地図の収録範囲から外れていて、知名度はさほど高くなさそうですが、地元の方々にとても愛されている山のようです。「醍醐山を愛する会」のブログを見ると、一斉登山をはじめとするイベントが定期的に開催されるなど活動が盛んな様子が窺えますし、登山道も良く整備されていて(整備活動の様子もブログでしばしば紹介されています)、とても気持ち良く歩くことができました。

雑木に囲まれながらも明るくて居心地の良かった醍醐山の山頂。背中側にはあずまやが建っています。

 累積標高差(登り):581m / 距離:7.0km / 歩行時間:2時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 04:59-05:21 八王子 05:36-06:20 大月
大月 06:24-07:12 甲府 07:15-08:42 甲斐常葉

(登山行程)
甲斐常葉駅  08:50
鳩打峠    09:15
五老峰展望台 09:25
醍醐山見晴台 09:50
醍醐山(1)   09:55
展望台    10:00-10:05
醍醐山(2)   10:15-10:20
大子峠(1)   10:35
西山     10:50-10:55
大子峠(2)   11:00
下部温泉駅  11:35

(復路)
下部温泉 12:03-13:20 甲府 14:16-15:10 八王子
八王子 15:21-15:44 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

身延線を甲斐常葉駅で下車します。山間部に入る頃には電車はガラガラで、この駅で降りたのも私だけでした。
駅前には、これから歩くコースの案内図が(上の写真でも右端に写っています)。足元の「2.7km」は山頂までの距離を示す標識で、この先100mごとという短い間隔で次々と現れて、現在地の目安になってくれました。
駅前からの道案内も万全で、3ヶ所あった曲がり角のすべてに道標が立っていました。
車道を進む距離はいくらもなく、5分も歩けば民家に突き当たって終わりになります。
その民家の裏手を回るようにして進むと、山道が始まりました。


すでに書いた通り、この距離標が100m進むごとに頻繁に現れるのが、とても良い励みになります。
序盤は、昔から良く歩かれていたに違いない、深くえぐられた道が続き、勾配が緩めで比較的楽に登れます。
1.5kmの距離標の手前あたりからは、ほぼ平坦か時折下ったりするようになって、どんどん距離が進みます。
1.4kmの距離標の先で、細くやせた尾根上(小規模なので築堤っぽい)を通過。ここも大変穏やかな登りです。
鳩打峠に着くとそこは分岐点になっていて、左に下れば下をくぐる道路のトンネル脇に出られるようです。


鳩打峠を過ぎると1.3kmの距離標が現れて、距離上はすでに山頂までの半分以上を進んだことに。ただ、ここまで緩やかで楽な道だっただけに、標高差はまだ3分の1も登れておらず、この先で登りがきつくなりそうです。
相変わらず道案内は丁寧で、ちょっとでも分岐っぽく見えるところにはきっちり道標が。
左側が開けた地点に出ました。ここは「五老峰展望台」とのことです。
そこには親切な展望図も。とても力を入れてこの登山道を整備していることが感じられます。
そしてほぼその展望図通りの眺めがありました。ただし展望図が「武山」としている左端の山は、ヤマレコで「桑木山」となっているからかネット上の記事も「桑木山」ばかりで、「武山」とする記事は見当たらない模様です(念のため調べた三角点の点名も「唐松山」でした)。地元での呼称かもしれませんが良く分かりません。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


さらに山頂が近くなると、いよいよ坂がきつくなってきました(0.7kmの距離標の少し手前から)。このあたりでは登山道もジグザグをほとんど描かず、直線的に登っていく具合なので、結構苦しい登りです。
急坂が一段落した先には、丸太のベンチがたくさん。ここでひと息入れられるようにとの配慮なのでしょう。
その後、動物除けのネットを2度続けて通過しますが、ともに壊れていて開閉できず、道の部分が全開でした。
初めて木段が現れると、それを登った先に0.2kmの距離標が立っていました。もう山頂も間近です。
そのすぐ先で、直進方向に次の木段が見えてくると、右に分かれる道に「見晴台から頂上方面」の案内が。
右に折れて進むと、伐採されたのか樹木が途切れた見通しの良い箇所があり、そこが「醍醐山見晴台」でした。
「醍醐山見晴台」にも展望図が設置されていました。
樹木の途切れた範囲がやや狭いので、実際には展望図全体の方向を一度には見渡せません。まずは見晴台の右寄りに立って、展望図の左側に書かれた範囲を眺めてみたのがこちら。展望図と見比べると、山の形や位置には違うところも多くて、展望図は結構アバウトだと感じましたし、千頭星山などは実はほとんど見えないようです。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
続いて見晴台の左寄りから眺めた、展望図の右側に書かれた範囲です。右半分に写っている金峰山の方向は大いに霞んでいて、金峰山と茅ヶ岳を見極めるのがせいぜいでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


「醍醐山見晴台」の近くからも、先程の分岐点へ戻らずに直接山頂へ向かう道がありました。その道の先には、山頂に建つあずまやの屋根がもう見えています。
なので醍醐山の山頂には、ほんのひと登りで到着。こちらは見晴台のあたりからも見えていたあずまやです。
山頂一帯は、雑木に囲まれながらも日差しが明るく注がれて、居心地は上々でした(冒頭と同じ写真です)。
醍醐山の解説板と頂上標柱。標柱の左手前には三角点も。解説板には、かつて修験の山だったことや、戦国時代に武田氏が烽火台を置いたことなどが記され、中腹にある大子集落の成り立ちについても触れられていました。


山頂は全く展望がきかないので、「展望台」と案内された方向に進むと、そちらへの道にも距離標が。
でも展望台への道は、山頂までの道ほど明瞭でない上に目印のテープ類も少なく、さらに斜面を覆った落ち葉が道の所在をより分かりにくくする、この時期特有の困難も重なって、進路を慎重に見極める必要がありました。
しばらく下ると展望図があって、そこが展望台だったのですが、点在する樹木や草藪に見通しを阻まれ、しかもどの方角もネット越しにしか見られない、残念な場所でした。もっと大きく開けた場所を期待していたのに。
その展望図も、いかにも正確そうな見てくれをした割に、やはり実際の見た目とは違いが目立ちました。なぜ?
付近を少しウロウロした結果、展望図からやや離れたところに、割と広角に見渡せる場所があることを発見、ネットの網目の外側にカメラだけ出して、パノラマ撮影をしてみました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
展望図で左端に描かれている五老峰も、少し場所を変えれば見ることができました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
一方の右側は、いくら移動してもスッキリと見られるの七面山までで、それより右の青薙山や笊ヶ岳は、樹木と重なるようにしか見られないように思われました。展望図の設置時点よりも樹木が生長したからでしょうか。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


醍醐山の山頂に戻ってきました。
次に向かうのは西山。まずは「至 大子」の案内に従って、大子の集落跡を目指します。
下りしなは広い尾根で、道がやや不明瞭になるものの、多く見かける樹木名の標識も良い目印になりました。
ほどなく木段が現れるようになれば、次第に道がハッキリしてきます。
さらに下るにつれて、少しえぐれた箇所が続いたりする、安心して進める分かりやすい道になりました。
その後、何やら建物が見えるピークを左側から巻いて行くと、少し先でそのピークへの道が右に分かれます。
右を向けばすぐ上にその建物が。この通り距離も高低差もわずかなので、そこまで行ってみます。
建っていたのは、外観では何なのか見当が付かないような建物です。でも先程見てきた醍醐山の解説板に、大子集落に「山神社を祭った」と書かれていたので、その山神社だろうと見当は付いていました。
山神社だとすれば近代的なアルミサッシが少々不似合いにも思われましたが、それはともかく、サッシが動かせたので開いて中を覗いてみたところ、小詞が3つほど並んでいたことから、やはり山神社なのでしょう。


元の道に戻ると、すぐ先にはいくつもの石塔が立ち並ぶ一角が。正面側に回ってみたら、いずれも墓石でした。
「醍醐山 大子集落」と題され、集落の歴史などが書かれた解説板も立っています。集落はこのすぐ下らしい。
案内標識に大子峠と書かれたこの場所は西山への分岐点になっていて、西山を往復してまた戻ってくることに。
ということで西山への道に入ると、すぐに送電線鉄塔が立つ小ピークに出て、左右に展望が開けました。
まずは右側(西側)の展望。ここまで来てやっと、南アルプス方面をスッキリと見渡せた気がします。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
一方の左側(東側)にあったのは、最初に「五老峰展望台」で見てきたのとあまり変わらない眺めでした。
その先は道形がやや心許なくなり、鉄塔ピークからの下り口などは少し探してやっと見つかる始末。その後もテープ等の目印は散発的にしかなく、落ち葉が道を分かりにくくしている影響も加わって、特に下ることになる復路で迷いそうだったので、しばしば振り返った時の景色を目に焼き付けたりしながら進みました。
西山に到着しました。あまり顕著なピークではなく、展望も皆無なため、とても地味な地点です。
そこにあったのも、私製の山名標と三角点だけという慎ましさ。なお三角点は最近更新されたものなのか、ほとんど風化が見られない綺麗なもので、各側面に刻まれた文字もあまり見たことがないくらい鮮明でした。


西山から引き返すと、戻る時の景色を往路で確かめていたからか、意外なほどすんなり歩けて鉄塔のピークへ。
大子峠まで戻ってきたら、ここを右に折れて、下部温泉駅への下山路に進みます。
わずかに下ると、大子の集落跡に入りました。ここでは道の左右に建物が残っています。
通り過ぎて振り返ると、上の写真の左側の建物は荒れ果てて倒壊し、まさに廃屋という有様だった一方で‥‥
右側の建物はあまり傷みも見られず、近年まで人の生活があった模様ですが、こちらも現在は無住でした。
でも所有者の方のご厚意なのか、離れのトイレは登山者に開放されていました。


集落跡からの下りは、登山道というよりは、かつて住んでいた人々の生活道なので、比較的歩きやすい道です。
が、途中に蜂の巣を避ける迂回路があり、その区間だけは悪路でした(登りは大丈夫そうでしたが、下る時は足元に要注意)。急造の道でしょうし、元の道に戻れるまでの短い間だけのことで仕方ないのでしょうけれど。
元来の道に戻れた直後には、山中で唯一の出会いとなった2人組のハイカーとすれ違います。あとはしばらく順調に下って、沢沿いまで降りてきたら、この橋で対岸へ。
と思ったらすぐ先にまた橋が架かっていて、元の側に戻ることになり、その後しばらくは右岸を進みます。
さらに下って、途中に小屋が現れるなど、人里が近い気配が濃厚になってきたら、3つ目の橋を渡ります。
すると今度は動物除けのフェンスがあって、これを開け閉めして通過すれば、その先は見るからに人の生活圏。
と思う間もなく、すぐに道路に出ました。周囲には家々が建ち並んでいて、小さな集落の中に入っています。


下部温泉駅を示す道標が左方向を指しているのに対して、一旦右のほうに下っていくと‥‥
そこには(上の写真で白い車が停まっているあたり)、甲斐常葉駅で見たのと同じ体裁の案内図がありました。実は事前にストリートビューを確認していた時に、ここにこの案内図があることを見ていたので、てっきりここに出て来るものと思っていたら、実際の登山口は少しずれた場所にあったのですね。
あとは道標の案内に従って、集落の中を抜けていきます。
集落の外れまで来たら、ここからもう少し下って、下を通る国道300号(本栖みち)へ。
国道へ下ると(というか2枚上の写真からずっと)、この日もう何度も眺めた五老峰が正面に見えていました。
振り返れば反対側には身延山が。
間もなく下部温泉駅に到着。2008年に毛無山から下ってここまで歩いてきた時以来、13年ぶりに来た駅前の景色は、その時とあまり変わっていないように感じました。


タグ:甲府近郊
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

戸倉城山・金比羅山 [奥多摩]

2021/11/12(金)

■第447回 : 戸倉城山(434m)・金比羅山(468m)


この日は奥多摩へ(といっても、そのほんの入口あたりの低山だけど)。比較的近い上に魅力的な山が多く、何度も通って行き慣れたこのエリアも、コロナ禍で遠出を控えていたため訪れるのは2年以上ぶりです。

巡ったのは、いずれも過去に登っている山ですが、歩いたことのない道が大半となるコースが組めて、初めて登る時に近い気分で歩けましたし、低山ながら2座をそれぞれ登り下りしたことで、歩き応えもまずまずでした。

 累積標高差(登り):698m / 距離:11.5km / 歩行時間:3時間50分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:26-05:48 八王子 05:51-06:03 拝島
拝島 06:06-06:24 武蔵五日市

(登山行程)
武蔵五日市駅 06:30
光厳寺    07:05-07:15
戸倉城山   07:40-07:50
十里木    08:10
横根峠    09:00
531m峰    09:25
金比羅山   09:45
金比羅園地  09:55-10:10
(樽分岐)   10:30
武蔵五日市駅 10:55

(復路)
武蔵五日市 11:09-11:26 拝島 11:31-11:42 八王子
八王子 11:49-12:04 橋本 12:08-12:15 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

武蔵五日市駅から歩き始めます。日の出時刻を迎えたばかりだったから、駅舎があたかもモルゲンロートみたいに紅く染まり、特段色付いている訳ではなかった樹木も、すっかり紅葉しているかのようでした。
はじめ30分ほど、最初に登る戸倉城山を正面に見ながら車道を歩きます。ちょうどその方向から、季節風が絶え間なく吹いてきて、それが結構な強風だったから冷たいのなんの。歩いていても身体は冷える一方でした。
秋川に架かる橋を渡ったすぐ先で、こんな通路っぽいところに入ります(道と呼べるほどではなかったけれど、人はちゃんと通れます)。ここまで来ると、戸倉城山が風を遮ってくれて、冷たさからは解放されました。
バス道路を横切って進むと、次の角には光厳寺への案内があって、あとはそれに従って行くだけです。
給水所の前はなかなかの急坂。でもおかげで、身体がいくらかは暖まってきたでしょうか。
光厳寺の手前にあったトイレ。駅で利用したばかりなのに、身体が芯から冷えていて思わず駆け込みました。


光厳寺に着きました。山門をくぐって境内へ。
光厳寺は建武年間(1334~1338年)に足利尊氏により創建されたと伝わる古刹。本堂前で軽く手を合わせます。
境内には布袋尊や天満宮なども。
光厳寺といえばヤマザクラが良く知られているので、見に行ってみたものの‥‥。さすがにこの季節は、あまり見応えがありません。花は期間が短いからともかくとして、せめて葉が茂っている間に来なければダメですね。
おまけにまだ日が低い時間でもろに逆光になるため、写真を撮るにも厳しい条件でした。解説板に「樹齢400年以上」「都内のヤマザクラとして一番大きな老巨樹」とあるので、ここにはまた折を見て来てみたいです。


光厳寺の先から、戸倉城山への登山道が始まります。
はじめは進路を誤っていないかと不安になるほどの、細くて頼りない道。しかも緩やかながら下りが続きます。
やがて登り坂に変わって、尾根に乗ってからは、しっかりした道幅の歩きやすい道になりました。
この先は急坂とありますが、言われなくても、目の前に見上げるような斜面が迫っていました。
取り付いてみたら、確かに急ではあるものの、序盤のうちは割と普通に歩ける道です。
しかし、途中に一旦緩やかな区間を挟んだ先で、いよいよ傾斜がキツくなりました。段差の大きな箇所が少なくない上に、そうでない場所も歩幅を選ぶ余地があまりなくて、かなり苦しい登りです。
石が階段状に積まれた道には年季が感じられ、もしかすると山城があった頃まで遡るものも残っていたりして?
目前に岩の壁が立ちはだかって、これを登るのかと思ったら、左脇に手すり付きの道が見えて、やや拍子抜け。
しかしその道は岩壁の途中まで。最後には少しばかり岩道を登ることになって、ここでは手も使っています。


岩の上に上がれば、すぐ先が戸倉城山の山頂でした。2008年4月以来の2度目の登頂となります。
そこそこ冷え込んだ朝だけに空気が澄んでいて、大きく開けている都心方向が遠くまでクリアに見渡せました。
一番高いと思われる地点(ちょうど登ってきた側でした)に三角点。
ここからは展望写真をいくつか。遠望がきいてはるか先の筑波山まで眺められたほか、眼下に広がる五日市の市街を見下ろせば、歩いてきた駅からの道のりがしっかりと分かりました。
    ※下の写真にマウスを乗せると地名等を表示します。縮小前の大きな写真も こちら に。
こちらが展望のほぼ全容ですが、肉眼ではクッキリと見えていた都心のビル群やスカイツリーが、ほとんど写っていないと帰宅後に分かってガッカリ。逆光だったためと思いますが、撮り方にも工夫の余地があったのかも。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
筑波山をズームで。左には峰続きの足尾山や加波山も見えていました。
南東側には房総半島のシルエットが見えていて、上のパノラマでは白飛びしてしまったものの、ズームで撮ったほうにはしっかりと写っていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、地名等を表示します。
北側には御岳山などを眺められたほか、手前にはこれから向かう予定の横根峠を通る尾根も見えていました。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。


戸倉城山からは、まずは西へ延びる尾根道を進みます。山頂直下には素朴な構造のトイレが。
トイレの先の分岐点で、2008年4月の時に登ってきた、西戸倉からの道を見送ります。
この尾根道は急な箇所がなくて歩きやすく、良く整備されていて、道標もうるさいくらい頻繁に見ました。
10分もかからずに次の分岐点へ。今回はここで尾根道から外れて、十里木へと下ります。
すると北斜面を下るので、この時間は少々薄暗さが残る道でしたが、写真はカメラが明るく撮っていました。
しばらく下って竹林に入る頃には、左手に下界の街並みが見られるようになっていました。


最後はスロープ状の道を下って十里木交差点へ。ちょうど十里木バス停の真ん前に出ました。今回巡る2座は、峰続きでも何でもない別々の山なので、途中で完全に人里まで下ってこないと、コースが繋がらないのです。
十里木交差点から養沢への道に入ると、すぐに十里木駐車場があって、ここでトイレを利用させて頂きました。
十里木駐車場の少し先にも落合橋公衆トイレが。こちらは十里木駐車場の案内図によると冬期閉鎖らしい。
落合橋バス停の先で、道なりに左へは進まずに、右折して細い道へ。次に目指している、横根峠を経由して金比羅尾根へ向かう道は、一般的な登山地図には出ていないので、このあたりに道案内などは全くありません。
※2021/11/19追記:後日書店で最新版(2021年版)の「山と高原地図」を確認したら、なんとこのコースが赤線で描かれていました(いつの間に?)。しかも破線ではなく実線ですから一般登山道扱いになったようです。
5分ほど進んだら、このT字路を左に折れて、星竹林道へと続く道に入ります。
両側に畑が広がる気持ち良い景色の中、この日初めて明るい日差しを目一杯受けて登っていると、ようやく身体が暖まってきて、ここでジャケットを脱ぎました(ここ以降は山シャツの上に化繊のベストという格好に)。
道が森の中へ入って左カーブを曲がると、その先で右手にスロープ状の山道が分かれます。大回りする林道を大幅にショートカットできそうですし、踏み跡も明瞭なように見えたので、そこへ入ってみることに。
あまり期待していなかった道にしては、思いのほか歩かれている様子で、踏み跡もしっかりしています。
少し進むと、地形図で見られる通りに道が二手に分かれます。直進する踏み跡が優勢なのに対して、横根峠への登り口へは左に折れる必要があることが地形図から読み取れたので、大いに怪しげな左の道(写真の点線)へ。
そこからは踏み跡の薄い急斜面に踏み込むことに。なんとも地面が脆くて、登りだから少々足を取られながらでもどうにか歩けたけれど、下りだったらズルズル滑り落ちるような具合になってしまうのではないでしょうか。
でもそんな斜面も短い間のこと。すぐに階段が見えてきて、星竹林道(先程までの道の続き)に上がりました。
そして正面には横根峠への登り口が。ここには意外にもきちっとした感じの道標も立っていました。


横根峠への登り口にはトラロープが下がっていましたが、登りならば使う必要がない程度のものでした。
その先には、手作り感満載の木段が続きます。一般登山道ではないから、てっきり頼りない道かと思いきや、この様子ではそれなりに手入れがされているのかも(登山道としてではなく、作業道としてでしょうけれど)。
尾根に上がった後はしっかりした道に。要所には道標もあり、もう普通の登山道と変わらない感覚で歩けます。
送電線鉄塔をくぐった先では、道の脇に小さな祠を見ます。
415mピークの手前は分岐点になっていて、横根峠への道がピークを巻いている一方で、ピークへの道が「山の神、行き止まり」となっていたので、そこまで行ってみました。
わずかに登った「山の神」のピークには、いかにも神が宿りそうな大木が立ち、根元には小祠がありました。
2つめの送電線鉄塔をくぐって、軽く下って行くと‥‥
横根峠に降り立ちます。今歩いている尾根通しの道はもちろん、峠越えする左右の道もいずれも明瞭でした。
峠から、さらに尾根の続きを進みます。杭があるので、このあたりの尾根道は送電線巡視路も兼ねている模様。


ほどなく道が二手に分かれます。尾根を直登する道よりも、右に尾根を外れてトラバース気味に登る緩やかな道のほうが明瞭で、尾根道の先には送電線巡視路の杭も見えたので、右が登山道と判断してまずはそちらへ。
しばらく進み、その道が1度大きく折り返して再び尾根に近付くと(この写真の地点)、見えてきた尾根にも明瞭な道が続いている様子。どうやら横根峠から上は、尾根を直登する道と緩やかに登るジグザグ道の2系統があって、どちらを進んでも可だから分岐に道案内がなかったのでしょう。ここで尾根道のほうに移ってみました。
すると尾根上には、丹念に設置された木段が続きます(実は結構な手間をかけて整備した道なのでは?)。途中には一部で道が細くなる箇所があったものの、問題になるほどではありません。
ほどなく、ジグザグ道が前方を横切る形で現れて、尾根を直登してきた道もそれに合わさるようです。
2つの道が合流してから分岐点を振り返ったところです。少し離れてみたら、もう尾根道はあまり目立たない存在になっていたので、下る際にはほとんどの人がジグザグ道へ進むのではないでしょうか。
    ※下の写真にマウスを乗せると、補足説明を表示します。
さらに登って、520m圏のピークの左を巻くあたりまで来ると、前方に金比羅尾根らしいものが見えてきます。
ここで金比羅尾根に上がります。歩いてきた横根峠経由の尾根道は、良く踏まれてしっかりしていた上に適切な道案内もあって、一般登山道と比べてもあまり遜色なく、登り下り双方とも問題なく歩けるという印象でした。
ちなみに、このあたりが今回のコースで最も高いのですが、この分岐点は標高値が不確かです(地形図から510m圏だと分かる程度)。最高点の標高が概数というのでは、なんとも記録として締まりが悪いですし、都合良くすぐ近くに531m標高点のピークがあるので(何もない地点だと分かっていますが)、そこまで行ってみます。


ということで、金比羅尾根を一旦北上していくと、登山道は531mピークを手前から左に巻いてしまう模様。
そこで右の斜面に上がってみたら、そこにも明瞭な道形が。きっとこれは昔の道で、その頃はちゃんと531mピークを踏んでいたのだろう、と確信して進んだところ、こちらもピークのわずか手前で微妙に巻いていました。
なので最後は適当に斜面を登るようになりますが、ピークを踏もうとする人は少なくないらしく、それっぽい踏み跡が多数散見されますし、そうでなくてもピーク直下まで来ているので、適当に登る距離は短いものでした。
531mピークに到着しました。無名峰で標識類も一切ない地味な地点ですが、ここが今回の最高点になります。
最高点の樹木に巻かれたテープには「辺」のマジック書きが。きっと林業で必要とされる何かのサインで、登山者に向けられたものではないだろうと思いつつ、もしかして何か意味があるのかもとちょっと気になりました。


531mピークから引き返したら、先程の分岐点を直進して次は金比羅山へ。この先は何度か歩いている道です。
だから、ただ森の中を歩いて行くものと思っていたら、ふいに伐採地に出て、一気に開放的な景色の中へ。これには驚きました。2年前に通った時は、確かこんな箇所はなかったはずでしたから。
ただ残念ながら、道の両側にネットが張られていて(伐採後に植樹した幼木の食害を避けるためかと)、せっかくの展望も登山道からはネット越しにしか見られないこと。でも何枚か写真を撮っていたら、作業中の関係者の方が近くまで来て、作業用にネットを開けている箇所を教えて下さいました。これには感謝しかありません!
お陰様で、伐採地側に出て展望写真を撮ることができました。そこからは戸倉三山の山並みを見渡せています。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
伐採地の南端まで来て振り返ると、馬頭刈山が見えるようになっていました(写真左側の突起状のピーク)。


登山道はその後、星竹林道と立体交差した先で、金比羅山を巻いて進んでしまいますし、これまでは私自身も、いつも道なりに歩いて金比羅山を巻いていましたが、今回はきちんと寄っていきたいと思います。
それには、星竹林道の上を跨いだらすぐに現れる道標の2~3m先から、左に分かれていく踏み跡を追います。
その踏み跡に入ると、もはや踏み跡と言えないほど立派な道筋だったので、かなり歩かれている様子です。
ほんの2~3分で着いた金比羅山のピークも、先程の531mピークと同様に、何の変哲もない樹林の中でした。
ただ、こちらには私製の山名標がありました。さすがに地形図に山名が書かれているだけはあります。
元の登山道に戻るべく、金比羅山で右に折れたら、こちらは踏み跡レベルに近い細い道になりました。
ほどなく前方に登山道が見えてきても、その合流地点も雑然としていて少々分かりにくかったです。
登山道側に出て金比羅山への踏み跡を振り返りました。分かりにくい代わりに、近くの樹木に金比羅山のプレートが括られていて(写真左上。上の写真の右端にもその裏側が写っています)、目印になっているようです。


金比羅山の先にある分岐点では、金比羅園地に寄って行くべく右の道へ。
ほどなく休憩舎やトイレなどもある金比羅園地に出ました。
すぐ近くには琴平神社も。
展望も決して悪くはなく、一応は都心側を見通せますが、邪魔になる高さまで枝を払ってくれているとはいえ、樹木の間からの眺めなので、あまり見栄えはしません。
明るくてベンチも多く、居心地の良い園地なので、ここで少しゆっくり過ごしていきます。ひとつモヤモヤさせられたのは、ここが金比羅園地なのか金比羅園地なのか、はたまた金比羅公園なのか、見る物によって表記が違っていたことで、だから正式名称がイマイチ不明なのですが、この記録では金比羅園地としました。
休憩後は琴平神社を背にして鳥居をくぐり、石段を下っていきます。
緩やかに下った先にもあずまやがあって、金比羅園地の中ではここからの展望が一番だったようです。
あずまやからの展望は、都心側の広い範囲を見渡せて壮観でした。この頃にはかなり気温が上がって過ごしやすくなっていて、早朝に戸倉城山にいた頃ほどクリアな眺めではなくなっていたけれど。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
もう少し下ると、今度は「展望台」が。
ただし、ここからは見られる方角が限られていて、「展望台」がすっかり名前負けしているように感じました。


展望台の隣で、金比羅園地を経由せずに下ってきた登山道と合わさったら、あとは武蔵五日市駅を目指して下るだけです。10時を過ぎ、歩いていると汗ばむ陽気になってきて、着たままでいたベストをここで脱ぎました。
その後もしばらくは、金比羅園地の中だからか、舗装された道が続きます。ここを歩くのは今回で3回目となるものの、前回が2009年なので当時の記憶なんてとっくに忘却の彼方、果たしてこんな道だったっけ?
途中の分岐点で「金比羅山まき道」なる道を合わせると、快適に歩けそうな山道に見えたので、次に来た時はそちらを歩きたいと思います(でもこの上で分岐を見た覚えはなく、どこで分かれて来たのかは謎でした)。
さらに進んで、明らかに園地から出たと思われる森の中に入っても、道は舗装されたままでした。
あとは駅までずっと舗装路かとガッカリした矢先で、「樽方面」への分岐が現れました。全くのノーマークでしたが、見るとそちらは山道ですし、地形図の通りならば、駅へも特段の遠回りになったりはしない様子です。
ということで、その「樽方面」の道へ。少々頼りなくはなるものの、良く踏まれた明瞭な道が続きました。
しばらく下った先の分岐点にもちゃんと道標が。ここを「武蔵五日市駅方面」の案内に従って左折します。
最後に小さな橋を渡って、市街地の外れに出ました。ここも金比羅山への登山口のひとつになるのでしょう。
あとはのんびりと車道を歩くだけです。
武蔵五日市駅に戻ってきたのは11時前。思惑通り、お昼時の比較的空いている電車で帰れそうです。


タグ:奥多摩
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ