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草戸山 [高尾・陣馬]

2022/09/16(金)

■第454回 : 草戸山(364m)


この日は町田市最高峰の草戸山を朝一番でサクッと登り下りしてきました。今回で8度目になる通い慣れた山ながら、大戸緑地内の未踏区間を組み入れて、少なからず新鮮味も感じられるコースにして歩いています。

実は先月にジョギングで足を痛めていて、山は暫くお休みしていましたが、幸か不幸かコロナ流行の拡大期と重なり、体調が万全でも出掛けなかっただろうと、それで落胆せずにいられたのは救われた気分です。
ただ、それがまだ全快には至っていないのと、マトモに山に登るのが3ヶ月ぶりでもあるため、低い山を選んだ上で距離も短めなコースにして、まずは足慣らし程度に軽く歩いてみることにしたのでした。

 累積標高差(登り):390m / 距離:5.3km / 歩行時間:1時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:36-05:49 相原 06:05-06:18 青少年センター入口

(登山行程)
青少年センター入口バス停 06:20
草地広場(大戸緑地)    06:25-06:30
雨乞い場の碑       06:35-06:40
権現平          06:50-06:55
草戸峠          07:25-07:30
草戸山          07:35-07:45
大地沢青少年センター   08:10
青少年センター入口バス停 08:20

(復路)
青少年センター入口 08:30-08:45 相原 08:55-09:10 古淵


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

JR横浜線の相原駅からバスに15分ほど揺られて、青少年センター入口というバス停からスタートです。
この路線は有難いことに朝早くから駅発の下りの便があって、まだ涼しいうちに歩き始められました。
バス停からほんの2~3分で、すぐに大戸緑地の入口へ。この奥にある駐車場の利用時間が9時からとなっているのは、ここを車で通れるようになるのがその時間からということなのでしょう。
でも歩行者は問題なく奥へ進むことができて、草地広場と駐車場がある一角に出ました。
トイレは利用時間が8:30~16:30と案内されていて、私は駅で済ませてきましたが、早朝のこの時間(06:25)でも利用できました(ただし、見てみたのは男女別のトイレだけで、だれでもトイレについては未確認)。


広場の脇から山に取り付いたら、次の「雨乞い場の碑」の地点までは、昨年下りで歩いたことのある区間です。この一帯の道は登山地図には載っていませんが、当分は大戸緑地内ですから良く整備された道が続きます。
登り始めは傾斜も緩やかで、歩きやすかったです。
5分も登れば、小ピークになっている「雨乞い場の碑」の地点に出ました。
石碑には、この場所(推定)で昭和22年頃まで雨乞いの儀式が行われていたことなどが記されていました。
南東側が開けているこの地点には展望図も設置されていて、この写真で白飛びしてしまった部分には‥‥
横浜方面を眺められたものの、空気が澱んでいたこの日は町田駅周辺ですら霞んで辛うじて分かる程度にとどまって、遠望は楽しめませんでした。展望図には横浜ランドマークタワーや房総半島まで載っていたのに。
    ※下の写真にマウスを乗せると、地名等を表示します。


次の権現平までは、今回初めて歩く区間になります。ここからは尾根筋を進むためアップダウンを繰り返すようになるものの、傾斜が急な箇所や登り下りが長く続く箇所はなく、引き続き楽に歩ける道でした。
所々に現れる分岐点にも、きっちり道標が立っていて、道案内も万全。ただ、平日の朝イチなんかに歩いているから、クモの糸にかかることが頻繁で、棒切れを振ってそれを払いながら進むのが少々煩わしかったです。
権現平に着きました。ここも小ピークになっていますが、展望はありません。少し足を休めたら先へ。


権現平から先は過去に歩いている道。ほどなく右手にフェンスが続くようになって、そちら側は拓殖大学の敷地らしい。そういえば3年前に高尾駅から辿った拓殖大西尾根コースにも同じようなフェンスがあったっけ。
その後も道は尾根上を進んで、アップダウンの多さも相変わらず。でも引き続き急な箇所がないのでさほど疲労させられず、道の様子が単調ではないことで、展開が目まぐるしく変わるのをむしろ楽しんで歩けたような。
15分ほどで通過する分岐点の「峠の丘」もやはり小ピークで、大戸緑地の西端に当たります。なので、ここを右折して草戸峠の方向に進むと、大戸緑地から離れることに。
すると以降は登り下りとも道の勾配がやや増しますが、それでも急な傾斜というほどにはなりません。
やや大きく登った先が草戸峠。ここで高尾駅方面からの登山道を合わせます。
草戸峠からは高尾山の頂上付近が間近に眺められました。


草戸峠からはひと登りで、草戸山の頂上に到着。鳥居の先には山の神が祀られています。
草戸山の頂上は「松見平休憩所」にもなっていて、見晴台を兼ねた休憩舎も建てられていますが‥‥。
休憩舎は立入禁止となっていて(老朽化が原因かと)、昨年来た時はまだ使われていたので、こうなったのは比較的最近の模様。ま、周囲の樹木が育ってしまって、登ったところで展望なんてほぼなかったのですけれど。
少し開けている東側も、遠くが霞んでいたこの日は、八王子駅周辺のビル群を眺めるのがやっとでした。


草戸山からは、城山湖側に少し下ったのち、この分岐点を左に折れて、まだ歩いていなかった大地沢青少年センターへの道に入ります(もし城山湖に向かうのなら、湖岸のゲートが9時に開くのを待つ必要があります)。
するとやや細くなった道は、尾根伝いに小刻みな登り下りが続くようになり、傾斜が少々急な箇所も現れます。
小さなコブをいくつか越えていく中には、なにやら三角点っぽい代物が埋まったコブが‥‥。
それは3級基準点で、神奈川県企業庁電気局の名が刻まれたもの。国土地理院HPの基準点検索では何もない地点になりますが、山間部の基準点は検索対象外になっているっぽいので、きっと廃止とかではなく現役のものなのでしょう(廃止なら撤去して原状回復とかしそうだし)。
道は細いながら、途中にはベンチがあり、急な箇所はロープが設置されているなど、良く整備されていました。
都県境尾根を突端の少し手前まで進んだのち、この地点を左に折れると、あとはもう下界へと下る一方です。
ほどなく転落防止柵に守られた道に入ると、その下に道路や建物が見えてきました。


道路に降り立ったところで、下ってきた道を振り返っています。
道路の反対側に建っているのが大地沢青少年センターです。以前は建物内のトイレを利用できましたが、コロナ禍以降は入館が制限されるようになり、現在は少し奥にあるキャンプサイトのトイレのみが利用可でした。
あとは少しだけ車道を歩いて‥‥
スタート地点の青少年センター入口バス停に戻ってきました。
すぐに一般の路線バスがやって来たけれどそれは見送って、相原までの運賃が¥100と格安な、10分後に出る町田市民バス「まちっこ」を待ちました。おトクな代わり、相原駅の駅前には入らなかったり、1日3往復のみでうまく時間が合わないと使えないのが難点かな。また、座席数が少ない車種なのに、この便は利用者が結構多くて、途中からお年寄りの方に席を譲ることになったりもしました。

冒頭にも書いた通り、このところ毎年のように登っている歩き慣れた山ではありますが、登り下りとも途中に初めて歩く区間を織り交ぜたコースを組んで、楽しみながら歩くことができました。

登山口のバス停からの単純な標高差が200mに満たないような山なので、境川源流経由などの手近なコースをピストンしてしまうと物足りなかったかもしれませんが、アップダウンを繰り返す尾根伝いのコースを選んだことで、それなりの運動量があってまずまずの歩き応えもあり、程よい足慣らしにもなったように感じています。

タグ:高尾・陣馬
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岩戸山・小渕山・鷹取山 [高尾・陣馬]

2022/06/02(木)

■第453回 : 岩戸山(377m)・小渕山(350m)・鷹取山(472m)


この日の行先は、神奈川県相模原市の最北部(山梨県境スレスレ)にあり、JR中央線側から見て陣馬山や生藤山の手前に位置する低い山並みです。
巡ってきた3座は、名山が揃う高尾・陣馬エリアではややマイナーな存在ですが、登山道は良く整備されていますし、藤野駅から楽に歩いて回ることができるので、お手軽なハイキング向きと言えるでしょう。

 累積標高差(登り):662m / 距離:8.5km / 歩行時間:2時間55分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 05:51-06:13 八王子 06:16-06:23 高尾
高尾 06:30-06:42 藤野

(登山行程)
藤野駅     06:50
藤野神社    07:00-07:05
岩戸山     07:25-07:35
小渕山     07:55-08:00
鷹取山     08:50-09:05
(上小渕登山口) 09:35
(小渕交差点)  10:00
藤野駅     10:20

(復路)
藤野 10:43-10:55 高尾 10:56-11:02 八王子
八王子 11:09-11:21 橋本 11:24-11:35 古淵


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JR中央線の藤野駅からスタート。平日の朝7時前ですから、まだ人の姿は少なくて静かな駅前でした。
駅東側の踏切を渡ったら、すぐに陣馬山へのコースから外れて隣の細い道に入り、中央道の下をくぐります。
中央道をくぐった先に「小渕ふれあいの森」の道標が。知らない名前だったので帰宅後に調べたら、最初に向かう藤野神社の周囲にちょっとした散策路がいくつかあったようです(でも情報が少なくて詳細は不明)。
拾い物の案内図を こちら に置いておきますが、登山道になっている「パノラマコース」と「つつじコース」以外はほとんど歩かれてなく、手入れもされていない様子で、どうやら整備不良のコースと化しているらしい。
すぐ先のT字路には藤野神社や鷹取山への道標。その通りに左折し、直後の地蔵広場への分岐は見送りました。
坂道を上がっていくと、最初のカーブにもまた道標があって、ここから「サクラのコース」が分かれていました。入口付近を見てみた限りでは、藪っぽくなっていてあまり人が入ってなさそうな怪しげな雰囲気でしたが。
もう少し登ると、今度は石段へと続く道が分かれて、鳥居も見えてきました。藤野神社の参道なのでしょう。
ただその石段、鳥居の前後こそありきたりな感じですが、その先でえげつない急勾配になるようです。
鳥居のすぐ先に分岐があって、ここから登山道へ直行すれば、急な石段は登らずに済むようでしたが‥‥
藤野神社にも寄りたかったので、頑張って石段を登りました。ただ急なばかりか道幅も激狭で、段の幅まで小さいから足を斜めに置かないと安定して立てず、そんな状況で結構な長さを登らされて、高度感が苦手な人にはかなり厳しそう(登り切って振り返ると、もう真下に落ちるような角度に見えて、下るのなんて酷かも)。
藤野神社は石段を登り詰めた小ピークに鎮座していました。周囲は木々に覆われていて、展望はありません。


藤野神社に軽く手を合わせたら、社殿左手の山道を緩やかに下ります。神社のある小ピークが、すでに岩戸山~小渕山~鷹取山と続く尾根の延長上にあったので、ここが尾根歩きの始まりでもありました。
軽く下ると、先程石段の登りしなで見送っていた登山道が合わさってきて、そこからは登り返しに。
適度な間隔で道標が立ち、随所にある分岐点での道案内も万全で、道は良く整備されています。ただ尾根道とはいえ、道が尾根筋から外れることも多く、そもそも樹林が続いていて、見通しの良い箇所は限られました。
ここで最初に見送った「サクラのコース」が合流。道標が示す先を見ると、やはり不明瞭な踏み跡程度でした。
次の目的地の岩戸山のあたりまでは、ずっと送電線に沿って進むので、所によっては上空が開けた場所も。
この尾根は小さなコブが続くので、小刻みなアップダウンが繰り返されます。少し下ったかと思えば‥‥
またすぐに登り返すような具合。ただ、登り下りはどれも比較的短いもので、体力への負担は軽めです。
ほどなく送電線鉄塔の脇に出ると、一気に見晴らしが良くなって、北丹沢などの山々を眺められました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その少し先には、テーブルとベンチが置かれた場所があって、そこからは西側に大きな展望が。
道志の山並みがほぼ一望で、もしも朝日山の脇に雲がなければ、そこに富士山の頂上も見られたようです。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
細かなアップダウンは続いても、登り下りとも傾斜が急になる箇所がほとんどない、歩きやすい道です。


岩戸山に着きました。樹林に囲まれた少々手狭な場所ですが、上空が開けていて明るく、居心地はまずまず。
上の写真で右端に写っていたのがこれ。「三角点」と彫られてはいるものの、普段から見慣れている国土地理院の三角点とは似て非なるもので、調べてみると旧日本道路公団が設置した三角点のようです。
本日巡る3座は、旧藤野町が選定した「藤野町15名山」に名を連ねていて、各山頂にその標柱がありました。
岩戸山を反対側から。この通り開けているのはほぼ上空だけで、展望には恵まれませんが‥‥
「藤野町15名山」標柱の後方に少しだけ樹高の低い一角があって、北丹沢の方向を望むことができました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


岩戸山の先も、下り始めは緩やかです。次に向かう小渕山は岩戸山より低く、そこまでの道は下りが優勢に。
すぐに右折点に出ると、進行方向は「鷹取山(急坂下り)」と案内されていました。
すると、補助ロープが張られた道を急降下することになります。急斜面ながら、階段状の道には足場のしっかりした箇所が多く、ロープを頼る必要はほとんどなかったけれど、ここがこの日のコースの中で最も急でした。
急降下のあとは、しばらく穏やかな道が続いて、気持ち良く歩ける区間でした。
その先にあったのは、若干きつめに感じる程度の登り返しで、ここでもそれはあまり長くは続きません。
が、登り詰める直前になると露岩を登る、ちょっとワイルドな道に。
ほんの短い岩登りは、傾斜も大したことがなく容易でしたが、段差の大きな所があってロープも使いました。
その後も小さなアップダウンが次々と現れて、そのたびに景色が変わります。
ここでは続けざまに分岐が。まず関野集落へ下る道を分けると、そのすぐ先で(すでに見えています)‥‥
小渕山の巻き道が分かれました。小渕山を巻いてしまいたくはないので、もちろん左の道を登っていきます。
小渕山に近付くと、やや苦しい登りが現れますが、これも長く続くものではありませんでした。


登り着いた小渕山は、実にこぢんまりしたピークで、単なるY字分岐になっているだけ、といった風情です。
一旦鷹取山のほうに通り過ぎてから振り返りました。この通り展望は全くありません。
そこにあった物も、岩戸山と同じ体裁の「藤野町15名山」の標柱のほかには‥‥
この分岐道標だけ。ベンチもなくて落ち着いて過ごせず、ここでの休憩は短時間で切り上げてしまいました。


小渕山から鷹取山への道に入ると、はじめは穏やかな道が続きます。
ほどなく巻き道が現れます。ここまでアップダウンが繰り返されたとはいえ、どれも小規模で急な箇所も少なく、脚力にはまだまだ余裕があったので、尾根通しに進みそうな右の道を選んで、斜面に取り付きました。
そこは少々急な斜面でしたが、ここでもやはり、急な登りは短い間で終わります。
その後は小さな登り下りを何度か重ねて、その都度現れる小さなコブを越えていきます。
何度目かのコブとコブの間の鞍部で、先程分かれた巻き道と合わさり、さらに正面の斜面に取り付きます。
登りが優勢のアップダウンが続いて、下りを挟みつつも、徐々に標高が上がってきているのを実感します。
こんな感じの取るに足らないコブを、いくつ越えたでしょうか。
ここで、下山先となる予定の上小渕への道が分かれます(上小渕への分岐はこの先にもう1箇所あります)。
その先は道が尾根から大きく外れてトラバース状に進むようになり、しばらくの間ほぼ平坦な区間でした。
ここで上沢井バス停方面に下る道を分けたら、道は再び尾根筋に復帰します。すると‥‥
またも小さなコブに登っては、すぐに下るという展開に。しかし、そんなアップダウンもこれが最後でした。
ここで2つ目の上小渕への道(鷹取山への登頂後はその道を下る予定。ちなみに道標に書かれた行先は上小渕ではなく藤野台団地)を分けると、いよいよ鷹取山への最後の登りが始まります。
さすがにこれ以降は、登りばかりが続くようになりました。急でこそないけれど、勾配もそれなりです。
途中で一旦平坦になる区間を挟んだら、あとはもう頂上へまっしぐら。


鷹取山に到着しました。ここもさほど広い頂上ではなくて、大人数で来たら窮屈な感じになってしまいそう。
テーブル&ベンチが1組と、藤野町15名山の標柱、鷹取山神社の石柱、鷹取山烽火台跡の標柱と、「こころに残る鐘」などがあります。鐘を鳴らしてみたら結構いい音がしました!
三角点はベンチのそばにあるだけに、人や物との接触が多いのか、角が取れるなどしていてボロボロでした。
樹木に囲まれていて広く見通せる方角はなく、道志や富士山周辺の山並みを木々の間から窺うのがやっと。今倉山の後方にあるはずの富士山もあらかた雲に隠されていて、時折斜面の一部が雲の切れ目に覗く程度でした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
少し場所を変えると、あまり広角にではないながらも、さらに西側にある山々が見られたりしましたし‥‥
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
ほぼ真西方向の権現山なども辛うじて望めたりしましたが、スッキリとした展望は楽しめませんでした。
    ※下の写真にマウスを乗せると、山名ガイドを表示します。
さて、ここまでと同じコースは2009年にも歩いていて、その時はそのあとさらに、八重山と能岳にも登っていました。でも今の私に13年前と同じ体力はないので、今回はここから大人しく下山することにします。


ということで、先程の分岐までは来た道を引き返します。往路の登りで、地形図に描かれた藤野台団地からの破線路との合流点が見当たらなかったことを気にしながら下っていると、それらしい方向がロープで封鎖された箇所を発見。どうやらその破線路は廃道化しているらしく、そのための誤侵入防止の封鎖だったようです。
分岐点まで戻ってきました。背中を向けた道標が示している右折側が下山方向です。
その分岐道は、入口からして草深い感じがあって、あまり歩かれてなさそうな気配が濃厚です。
実際に細い道がしばらく続き、週後半の平日でもあるので、蜘蛛の巣払い用に拾った枝切れを手に進みます。
でもほどなく、しっかりした道幅の道が合わさりました。登る時に見ていた1つ目の分岐からの道でしょう。
するとそこからは、良く踏まれた道に変わって、快適に歩けるようになりました。
しかもその道ときたら、すこぶる傾斜がなだらかで、下りなのに足への負担をほとんど感じません。
しかもそんな状況が結構長く続いてくれます。もう歩きやすいことといったら。
ご機嫌な道をしばらく下ると分岐点で、目指している上小渕は左、行先が藤野台団地や上野原駅なら右です。
そこには私製の道標が親切に出ていたのだけれど、その表記には若干の疑問が。これだと、上小渕も藤野台団地も両方とも右だと受け取る人が現れてしまいかねないのでは?(左端も先を細くしてあれば良かったのに)


左に進むと、間もなく送電線鉄塔の脇を通り、次第に中央道を行き交う車両の走行音も間近になってきます。
送電線鉄塔の少し先には何やら建物が。
正面に回っただけでは、それが何の建物かは分からないままだったのですが‥‥
すぐ先にあった鳥居をくぐって振り返ると、扁額には金刀比羅神社とありました。
そこからは神社の参道でもあったらしく、手すり付きの舗装路に変わって、下には中央道が見えてきます。
間もなく中央道の脇に降り立ちました。登山道と呼べそうなのがここまでだったので、この記録では便宜上ここを「(上小渕登山口)」としています(私が勝手に名付けただけなので括弧付きで)。
そこは真下を通る中央道とはかなりの高度差があるため、大きく開けていて見晴らしが良く、丹沢から道志にかけての山並みをズラリと眺められました。これが、この日見られた中で一番広角の展望となっています。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ここからは、ほとんど車が通らない道をのんびり歩けそうな藤野駅を目指しました(距離的に近いのは上野原駅になりますが、経路がやや複雑になる上に退屈な景色に終始しそうに思われたのです)。
※この先は山歩きではなくなりますし、紹介するほどの内容でもないけれど、一応写真を撮っていたのでこのまま続けます。


眼下に中央道を見下ろしながら、舗装された狭い通路のようなところを進みます。
あとは舗装路を歩くだけかと思ったら、意外にもその先の下り坂で山道に。ここは少々ヤブっぽかったです。
山道に続く階段を下りたら、もう中央道とほぼ同じ高さになっていて、「西畑橋」という陸橋に出ました。
でもそこでは陸橋を渡らず、この狭い階段を下って、引き続き中央道の脇を進みます。
以降は通路が中央道に隣接するようになり、やがて車道が合わさってきて、歩行者専用道でもなくなります。
ほどなく、中央道の下をくぐるトンネル(?)のような通路が現れたら、そこを通って反対側へ。
下小渕の集落内に入ったら、しばらくは車道歩きになります。
えのき坂を下ると、国道20号に出てしまいます。
でも、交通量の多い国道はあまり歩きたくないですし、すぐに通路のような脇道が現れるので、そちらへ。
車では通れなさそうな狭い通路に入ると、そこが結構な登り坂だったのが想定外でした。
三柱神社への入口を過ぎると再び集落に入り、狭かった通路から車道に変わります。
集落の出口まで来ると、またまた国道20号へ。この場所には特に交差点名などは付いてなさそうでしたが、歩道橋に「藤野町小渕」と書かれていたことから、ここを「(小渕交差点)」として記録しています。
そこでも国道20号は横断するだけで、向かい側の細道へ。「この先通り抜けできません」の警告標識が目に入っても、徒歩であれば問題なく藤野駅に向かうことができるので、気にしなくて大丈夫。
その後はしばらくJR中央線の線路脇を進みます。
途中には道路が途切れて、歩行者しか通れなくなる区間も。
すぐ先には「甲州古道 関野」なる標識が。この道はかつての甲州街道で、近くには関野宿があった模様。
さらに進むと道は林の中に入って、山道さながら。夜間になるとイノシシまで出るらしい。
でもそんな区間は短くて、仮設通路みたいな区間を経ると、その先で車道に迎えられました。
あとは藤野駅までずっと旧甲州街道を進みますが、特にそれらしい雰囲気もない、いたって普通の道でした。
最後にちょっとだけ狭い通路を上がって国道20号に出れば、そこがもう藤野駅への入口です。
藤野駅に戻ってきたのは10時台前半。夏日となったこの日も、暑くなる前の割と快適な時間に歩き切りました。

登ってきた山を振り返ると、尾根に上がってからというもの、小刻みなアップダウンを何度も繰り返すようになりましたが、勾配が急な箇所や、登り下りが長く続く箇所がほとんどなくて、アップダウンが多い割にはあまり体力を消耗せずに歩けるコースだったと感じています。

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津久井城山 [高尾・陣馬]

2022/05/06(金)

■第451回 : 津久井城山(375m)


マトモな登山は半年ぶりのことで、だから初心に帰って軽めの山からとは前々から思っていたところです。
そこへ前回、街歩きに毛が生えた程度のコースだったのに思いのほか歩き疲れてしまったのを受けて、さらに用心を重ねるべく最も楽に登れる部類の山の中から行先を選んで、超低山の津久井城山に登ってきました。

結果的には、慎重になるあまりコースが軽すぎてしまったようで、ほとんど手応えはなく、今後を見据えた足慣らしになったかどうかも微妙。山歩きの清々しさを久々に実感できたのが唯一の収穫だったでしょうか。

 累積標高差(登り):327m / 距離:4.6km / 歩行時間:1時間25分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
古淵 06:28-06:39 橋本 06:55-07:15 荒句

(登山行程)
荒句バス停    07:25
位置番号 No.5   07:40     (荒句登山道終点)
位置番号 No.6   07:50     (根本登山道起点)
飯縄神社     08:05-08:10
宝ヶ池      08:13
大杉       08:15
津久井城山    08:25-08:40
位置番号 No.16  08:50     (小網登山道降下点)
花の苑地・津久井湖観光センター 09:10-09:25
津久井湖観光センター前バス停  09:25

(復路)
津久井湖観光センター前 09:31-09:57 橋本 10:12-10:23 古淵


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津久井城山は、鎌倉時代に山城(津久井城)が築かれたと伝わる山で、当時の遺構が多く残る山のほぼ全域が津久井湖城山公園として保全され、何本かある登山道も公園内だけに良く整備されています。訪れるのは今回で4度目なので、まだ歩いたことのない荒句登山道で登ろうと、橋本駅から乗ったバスを荒句で下車しました。
バス停のすぐ近くのT字路(上の写真でバス停の後方に見えている)が、荒句登山道への入口です。
そのT字路には荒句登山道までの案内図が掲示されていました(上の写真でも右端下方に写っています)。


その後は何も道案内がありませんが、道順が単純なので特に迷うこともなく、民家の間を抜けていきます。
行く手に津久井広域道路(県道510号のバイパス)が現れたら、その下をくぐります。このあたりはバイパスの建設に伴って地形が大規模に改変されていて、元来の山道はなくなってしまったようです。
くぐった先でバイパスの脇に上がったら、そこから分岐する舗装された車道で坂を登ります。
坂道の途中からは、採石で頂上が削られてしまった小倉山が間近でした。何度見ても痛々しい姿です。
舗装道路はすぐに終わって、ここから山道に(なので、ここが登山口?)。バス停近くの案内図以降は道案内がなかったけれど、すぐ先の森の中に入ったあたりに作業道の分岐があって、そこには案内が出ていました。


荒句登山道は津久井城山の登山道の中で最もマイナーな存在です。アクセスが良くない上に、登山口周辺は小さな集落があるだけで散歩等の日常的な利用者も少ないと思われ、なにより頂上を直接は目指しません。
だから当面は傾斜がとても緩やか。はじめに小さな沢を詰めるのも、登山道がほとんど登らないうちに、沢の方が勝手に上がってきたような具合でした。そして、沢から先はもう津久井湖城山公園に入るようです。
その後もむしろ平坦に近いくらいの区間が多くて、最後の方でちょっと登ったかなという程度。マイナーな登山道らしく道幅は細かったけれど、津久井湖城山公園内だけにきちんと整備された歩きやすい道でした。
15分ほどで立派な園路に合わさったら、荒句登山道はここで終わってしまいます。
分岐点から、歩いてきた荒句登山道を振り返ったところです。ここには位置番号5番の標識がありました。


そこからは、根小屋周遊園路を進みます。山麓をゆるゆると巡るだけの、車いすやベビーカーでも通れるように舗装されたスロープ状の園路で、このあたりはほぼ平坦な道が続いていました。
園路の途中にはきれいなバイオトイレがあって、やはり車いすでも利用可能な構造になっていました。この直後に頂上への急な登山道が分岐しますが、そこは歩いたことがあったので見送り、園路を直進しています。
さらに進んでいくと細い山道が分かれたので、舗装された園路を歩き続けるよりはとそちらに入りました。
大した距離もない中途半端な感じの山道は、道幅も細くてあまり歩かれていない気配がありありでした。
しかも、園路に沿って間近を進むだけなので、目障りな物が視界に入って山道を歩く気分にも浸れません。
そんな山道は、すぐに別の登山道に突き当たっておしまいになります。
そこは、位置番号6番の標識が立つ分岐点でした。写真右の道から出てきたところで、右折して左の道へ。


そこから根本登山道に入ったら、ようやく頂上を本格的に目指すことになります。とはいえ、先程見送った別の登山道よりも、ずっと長い距離をかけてじわじわと登る具合の道なので、引き続き傾斜は比較的穏やか。
しばらく進むと位置番号7番の標識が立つ分岐点に出ました。ここは変則的な五差路になっていて‥‥
頂上への道も選択肢が2本あり、極めて緩やかな女坂(その分距離は長め)を見送って、一気に登る男坂へ。
するとその先で傾斜がやや強まるものの、それでもきつい坂道にはならず、余裕を持って歩ける程度です。
それゆえに、さほど登ったという感触がないまま、頂上部の分岐まで来てしまいました。
津久井城山は2つのピークを持つ双耳峰で、ここは両ピークの間にある鞍部です。今回はどちらのピークも踏んでいきますが、左折方向にある頂上は後回しにして右折し、まず先に飯縄神社が建つ低いほうのピークへ。
位置番号15番の標識が立っていたその分岐点を、頂上側から見てみました。分岐標識が右手に案内している「根本口」のほうから登ってきて、今は奥にある飯縄神社のピークへ向かおうとしています。(その後はここに戻ってから背中方向の頂上を踏んだのち、みたびこの分岐点に戻ったら、最後は左方向の道で下山する予定)


低いほうのピークへ向かうと、登山道は途中から石段の登りに変わり、その先には鳥居が見えてきました。
ピークに鎮座する飯縄神社は、解説等がなく詳細は不明ながら、鎌倉時代の築城時に建立されたものらしい。
飯縄神社の小さな社は屋根付きの頑丈な鉄柵で保護(なのか?)されていて、その理由も不明でした。


参拝後は、社の右手の道を下ったのち、神社の周囲をぐるっと回って行きます。
神社のすぐ南側にある烽火台跡は、この山で最も見晴らしの良い場所なので楽しみにしていたのに、あいにく立入禁止となっていました。樹木のナラ枯れにより枝が落下する恐れがあるとのことで、残念です。
  ※以前にここから丹沢の山々を眺めた時の様子は 2020年9月の記事 でご覧頂けます。
少し下っていくと宝ヶ池が現れました。これも津久井城の遺構のひとつで、頂上直下にありながら枯れることのない安定した水源だったらしく、今もなおしっかりと水をたたえていました。
さらに「大杉」と案内された北側に向かうと、目の前に現れたものは、もはやその「残骸」でしかなくて‥‥
現地には説明の類が何もなかったけれど、黒く焼け焦げた様子から、落雷を受けたのが明らかなようでした。
帰宅後に調べたところ、やはり落雷による焼失(2013年夏)で、推定樹齢900年の立派な古木だったらしい。


飯縄神社への石段の途中に戻ってきたら、いよいよ津久井城山の頂上を目指します。
先程登り詰めてきたところの分岐点を、今度は直進します。
    ※下の写真にマウスを乗せると、歩いた道順を表示しますが、現在は②の段階です。
頂上へ向かう途中に家老屋敷への分岐があって、毎回のようにスルーしていたので今回は寄ってみることに。
ほんの1~2分の寄り道で着いたその場所は、ただ平坦地が広がっているばかり。屋敷跡だと言われれば、確かにちょっとした屋敷を建てるには十分そうだけれど、素人目には特に見る物もなさそうに思われました。
そこにあるものといえば、「津久井城電子案内」という小さな標識だけ。でも端末にQRコードをかざすと‥‥
このような詳しい説明を読むことができました。この方式なら常に最新の情報に更新できますし、解説板などの製作・設置や維持管理も不要ですから、今後はこういう案内の仕方が主流になるのかも。
津久井湖城山公園では、現在のところこれらの10地点で「津久井城電子案内」が利用できるようです。そういえば先程の大杉のところにも、QRコード付きの小さな標識があったので、見ておけば良かったな。


元の道に戻ると、頂上直下だけに少々勾配がきつくなる箇所が現れるものの、局所的で長くは続きません。
行く手に堀切が現れました。尾根の一部を溝状に掘削して断ち切り、平時には引橋と呼ばれる簡易な橋(防御時は落橋させるなどして通行を阻む)を架けていたもので、山城らしい遺構のひとつです。
登山道になった今はわずかな登り下りで難なく通れますが、山城だった頃はもっと深い溝だったのでしょう。
木段が現れると登りも最終盤で、しかも木段はほぼここに写っている範囲くらいしか続きません。結局今回選んだコースでは、登りが苦しく感じるような箇所は最後まで出てきませんでした。


津久井城山の頂上部に着きました。最高点は、写真右端の解説板の真上あたりです。
まずはその最高点に登ってしまいましょう。なにやら石碑が建っています。
それは「築井古城記」の碑で、山城の沿革や建碑の由来等を記して文化年間(江戸後期)に建立されたもの。
碑名に「築井」とあるのは鎌倉時代の築城が築井(筑井)氏によるとされているからで、読みが「つくい」であることから、それが現在の地名の「津久井」に繋がっているものと思われます。
※ただ、鎌倉時代の築城については伝承レベルの話とされていて、史料が乏しいために(文献に津久井城が登場するのは戦国時代以降とか)今なお明確なところは分かっていないらしい。
石碑(写真右端)の背後は本城曲輪と呼ばれる津久井城の中心部。現在はがら~んとした広場になっています。
一段下がったところにはベンチがあって、北西側が開けているので高尾方面の展望を楽しめました。
奥には高尾山から奥高尾への稜線が連なり、それと重なるようにして手前側に南高尾山稜が見えていました。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
立つ位置を少し変えると、藤野周辺のいくつかの山が辛うじて見られるように。でももっと条件が良ければ遠く大菩薩のあたりまで見通せる場所なのに、この日は空気が澱んでいて遠望はサッパリでした。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
頂上部をひと回りしたら、解説板の前に戻ってベンチで少しゆっくりしていきます。
そのベンチの近くには、木々の間から少しだけ丹沢の山々を覗ける場所がありました。
こちらは丹沢の核心部です。後方の稜線が丹沢主脈と丹沢表尾根で、手前は宮ヶ瀬湖畔の南山と権現平。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
さらに左側が見えるように移動すると、高取山や仏果山なども見られました(大山も頂上だけチラリと)。
    ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。


あとは下山するだけです。写真を載せるのが3度目となる鞍部の分岐点に戻ってきたら、左折して女坂へ。
女坂は山腹をぐるりとほぼ1周していて、長い距離をかけて徐々に下っていく、すこぶる緩やかな道です。
所々で道が細くなったりするものの、地形が険しくなるような箇所がなくて、一貫して歩きやすいです。
むしろ平坦に近いくらいの道をしばらく歩き、分岐点まで来たら「小網口」への案内に従って右へ下る道に。
すると、下りはそこからが本番となりますが、大きなジグザグを何度も繰り返して傾斜を緩和している、とても足に優しい道でした。なので、このような折り返しを重ねつつ、引き続き楽々と下っていきます。
何度目かの折り返し点が次の分岐点。ジグザグを続ける「小網口」への道と分かれて、ここを直進します。
その先はジグザグこそなくなるものの、トラバースに近い道で傾斜は相変わらず緩やかなまま。左手の眼下に津久井湖畔の景色が割と近くの感じで見えてきても、じわじわと下るばかりでそこになかなか下り着きません。
途中にはわずかに登り返す所すらあったりして、最後の分岐点(ただし分岐側は長らく通行止)を通過します。
ゴールの「花の苑地」が見えてきました。木段を下って「桜の小道」のエリアに入ります。


「花の苑地」に入ったら、歩道橋で国道を渡ったのち、津久井湖畔まで下ってしまいます。
写真では分かりにくいですが、芝生広場の先はもう津久井湖の湖面です。
「花の苑地」というだけあって、ガーデンテラスでは様々な花が咲き揃っていました。
「花の苑地」を巡った後は、バス通りでもある国道へ。駐車場への入口には苑地の標識がありました。
最後に、特産・名産品や地元野菜などを販売している津久井湖観光センターに寄ってちょっと買い物。
津久井湖観光センター前を通る路線バスは本数が多くて、いつ来てもあまり待たずに乗れます。まだ比較的早い時間だったからか思いのほか混んでいて、橋本駅までずっと座れなかったのは計算外だったけれど。
さて歩き終えた感触といえば、冒頭にも書いた通りで、前回の結果を受けて少し軽めのコースを選んだつもりが、思っていた以上に軽すぎてしまったらしく、ほとんど歩き応えがありませんでした。いくつかある登山道から、歩いたことがなかった区間を繋いでみたら、結果的に登り下りとも穏やかな傾斜に終始する登山道ばかりの組み合わせになっていて、足に負担らしい負担がなかったのです(歩く距離も短すぎたのでしょう)。
なので、次回こそは着実に足慣らしができるよう、適度な運動量のコースをきっちり見極めたいと思います。

タグ:高尾・陣馬
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