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南高尾山稜 [高尾・陣馬]

2020/10/28(水)

■第432回 : 南高尾山稜(大洞山(536m)・中沢山(494m)・泰光寺山(475m)


自宅から登山口まで自転車を走らせて、公共交通機関を利用せずに行う山登りも3回目となった今回は、これまでよりも自転車の走行距離を延ばし、南高尾エリアまで行って稜線歩きを楽しんできました。

さすがにママチャリで2時間近くも走るのは無茶だったのか、山に登る前からかなりの消耗感があって、一時は途中でのリタイアも考えたほどでしたが、ゆっくり歩くことに徹して、なんとか計画通りに歩き切れています。

 累積標高差(登り):726m / 距離:13.4km / 歩行時間:4時間30分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約18.3km)-中野コミュニティ公園(奈良井バス停前)

(登山行程)
中野コミュニティ公園 08:10 (奈良井バス停前)
名手集落       08:40
大洞山        10:05-10:15
中沢山        10:40-10:50
泰光寺山       11:30-11:40
三沢峠        11:55
峯の薬師       12:10-12:20
三井大橋       12:45
中野コミュニティ公園 13:20 (奈良井バス停前)

(復路)
中野コミュニティ公園(奈良井バス停前)-自転車移動(約18.3km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

出発から1時間25分かけて、津久井湖城山公園の「水の苑地」まで来ました(背後の山は前々回に登った津久井城山です)。これまで自転車で最も遠くまで来た場所がここでしたが、今回はさらに先へと進みます。ただ、この日はなんだか身体が重たく感じて、ここまで計画よりも10分くらい余計にかかっているのが不安材料でした。
津久井湖の対岸に回って、津久井湖城山公園の「花の苑地」へ。まだ早朝なので観光センターは開店前です。
「花の苑地」からだと、津久井城山を真上に仰ぐ感じになっていて、ここからなら数十分で登れそうですね。
さてここまでは、道の勾配が登っていることをほとんど意識しない程度だったのに対して、ここからは明らかな登り坂が続くようになります。特にこのすぐ先のきつい坂は、自転車を降りて押さないと登れませんでした。
中野コミュニティ公園に自転車を停めます。このあたりは公共の場所が少なくて、地図でかなり探しました。
この公園は広い道路に面しているほか、すぐ前に奈良井バス停があるため、常にそれなりの人通りがありそうで、自転車を長時間置いてもイタズラ等に遭う可能性が低そうだと期待できたのも、ここを選んだ理由でした。
あ~あ疲れたぁ。すでに結構しんどいです。山に登るのはこれからだというのに‥‥。
想定外なほどの消耗は、長距離走行に加えて、終盤の坂道がきつかったのと、季節風の時期になり終始北風に逆らってきたのと、朝方の冷え込みも身体に負担だったかもしれず、たぶんそれら全部が合わさったのでしょう。
スケジュール的にも、1時間半もあれば余裕で着くと目論んでいたところを1時間50分かかっていて(途中、相模原北公園と津久井湖城山公園で5分ほど休んだのを引いても1時間40分くらい漕いでいた)、さらに10分くらい休んでからでないと歩き始める気にならなかったので、初っ端から30分遅れという有り様です。
しかも、歩き終えて帰ってきた時点で、また自転車で同じ距離を走る脚力が残っていなければなりません。山には登らず、この周辺の散策程度にとどめるほうが賢明なのかも、などと逡巡しながらのスタートとなりました。


歩き始めて10分少々で、尾崎咢堂記念館の前へ。地域ゆかりの政治家・尾崎行雄(咢堂)を称える施設らしい。
尾崎咢堂記念館から津久井湖畔へは、車道のほかに遊歩道もあることがGoogleマップを見て分かっていましたが、記念館前にある案内図(上写真の右端に写っている)にもその遊歩道が示されていました。
なので、記念館の脇からそれらしい細い路地に入ります。
路地を奥まで進むと、左には湖畔を覆う林が迫ってきました。
家並みが途切れて畑地に出ると、右手にはこれから登る南高尾山稜の一部が見えていました。
畑地と林の境の私有地っぽい所を進むので、ここが遊歩道だと案内されていなければ、入るのが躊躇われそう。
遊歩道は短くて、すぐに湖畔への下り坂が現れるとともに、青い吊り橋が見えてきました(写真左端)。
見えてきたのは名手橋で、このあとこれを渡ります。
名手橋へ下る階段の脇には道標が立っていて、歩いてきた道は「湖西遊歩道」という名前のようでした。


それでは、名手橋を渡りましょう。細い橋だけに歩道はないものの、人や車の往来もほとんどありません。
名手橋の上からは、津久井湖の湖面越しに、名手集落と南高尾山稜を眺められました。
対岸の名手集落に入り、車道を集落の上部まで登ったら、県道515号線への突き当たりを左折します。
県道はすぐ奥のカーブの先で全面通行止になりますが、そうなる手前に登山口があるはずです。
車道を遮るゲート(ここはまだ脇が甘々だけど、すぐ先でかなり厳重に封鎖されているのが見えていた)まで来たら、右のスロープが三井水源林の山道への入口です。期待に反して道標等による案内が何もなかったけれど。


三井水源林の山道に入ってすぐの分岐点では、道標が倒れていて、通行を遠慮願うとの注意書きが。でも、問題なく通れるという情報を事前に得ていましたし、道が塞がれたりもしていないので、構わずに進みます。
登山地図に載っていない道ながら、本来は良く整備されていることが窺えます。ただ、やはり登山道に入ると妙に身体が重たくて、ゆっくりでなければとても登れず、こんな調子でどこまで進めるのかと不安になりました。
少し登るとまた分岐点があって、進む予定にしていた急坂コースを見ると‥‥。
事前に得ていた情報通り、警告とロープが通せんぼしています。それでも通れるらしいので突破するつもりで来ていましたが、この先は人が入っていないからなのか草が繁茂して藪っぽくなり、あまり快適に歩けそうもない様子に見えたので、予定を変更して通行止ではないボランティア林経由のコースへ進むことにしました。
そのボランティア林経由のコースも、ほどなく小さな沢を横断する箇所が崩壊して道が流されています。でもきちんと対策が取られていて、深く抉られた沢底へハシゴで登り下りして通過できるようになっていました。
その先にはもう問題箇所はありませんでしたが、崩壊地から先は歩かれていないのか、道が細くなっています。
序盤は勾配が緩やかで、普段なら楽に登れるコースなのかもしれないのに、どうにも足が重すぎて、腿やふくらはぎがプルプルする感覚も少し現れています。下山後に自転車を漕げなくなっていたらマズイ、そうなる前に途中で引き返すべきか、などと思い悩みながら、疲労を最小限に抑えるべく、そろそろと登っている具合でした。
あまり歩かれていない様子は先へ進むほど明らかで、次第にヤブっぽい箇所の通過が増えていきます。
少し開けた地点(でも草丈が高くて眺めはない)のベンチで休みつつ、今後について考えを巡らせた結果、大洞山までの往復(疲労度により中沢山での断念もあり)に計画を縮小することで、一旦はほぼ心が固まりました。
さらに登ると、上部ではやや傾斜がきつくなって、たびたび木段も交えるようになります。
尾根道に上がる直前には、この一帯の案内図がありました。いくつものコースが張り巡らされて、問題なく歩ければ様々な楽しみ方ができそうなのに、昨年の大雨などの影響で通行止めの箇所が多いままなのが残念です。
尾根道への合流点は、こちら側が通行止でした。ここまで特に封鎖を突破したりせず登ってきたんですけどね。
尾根道に出て分岐点を振り返ったところ。なるほどこの様子なら、下りでこの道に入る人は少ないでしょう。


尾根上の一般登山道に入ると、すぐ先にたくさんのベンチがありました。ここで改めて、大洞山まで往復したら、さらに泰光寺山や峯の薬師へ足を延ばしたりせずに、登ってきた道を大人しく引き返そうと決めています。
登山道はほどなく中沢山の直下を巻いていくので、中沢山への分岐は後回しにして、先に大洞山へ向かいます。
南高尾山稜の縦走路はただの一般登山道ではなく、関東ふれあいの道でもあるので、もちろん整備状況は万全ですし、先程までとは段違いに歩きやすい道になっていて、この疲労感の中でもあまり苦にせずに進めました。
とはいえ、途中にある分岐では巻き道のほうを選んで体力を温存することに。
ここはいつも尾根通しの道を歩いていたので、巻き道に入るのは初めて。ほぼ平坦に近くて楽に歩けました。
尾根道に戻った後は、やや急な登りが待っていました。
急登を登り詰めたところがコンピラ山。小さなピークですし、もう大洞山も近いので、今回は通過しています。
コンピラ山の先には急な登りはなく、徐々にじわじわと登り続けて行く具合でした。


大洞山に到着しました。南高尾山稜の最高点ですが、さほど広い山頂ではなく、展望もなくて割と地味です。
山頂の様子を反対側から振り返ったところです。尾根上の縦走路に出てからは何人かのハイカーとすれ違うようになっていましたが、ここで10分ほど休んでいる間は誰も通ることがなくて、静かでした。
ベンチとテーブルのほか、頂上標柱と関東ふれあいの道の解説板がありました。
ところで、ここに来て少々迷いが生じました。大洞山に着く頃には、さらに消耗が進んでもっと疲労困憊していると想像していたのに、実際はそこまで疲れておらず、まだいくらかの余力があったからです。
もちろん、来た道を引き返すほうが、歩く距離も時間も抑えられることに違いはありませんが、登ってきた三井水源林の山道は、上部の傾斜がややがきつかった上に、あまり踏まれていない道だけに足元が不安定な場所も少なくなく、そこを下るのは足への負担が大きそうなのが気掛かりでもありました。
むしろ計画通りのコースのほうが、良く整備されていて歩きやすく、起伏も最後まで穏やかなままなので、距離が長いという懸念はあるものの、案外無理なく歩けるのでは、という思いもあり、もう少し悩み続けることに。


大洞山からは、さっき歩いてきた道を引き返します。途中の分岐点では、やはり巻き道を選びました。
中沢山の直下まで戻ってきたら、今度は中沢山の山頂にも立ち寄っていきます。
中沢山も、聖観世音菩薩像がひっそりと立っているだけの、地味な山頂でした。
中沢山には山頂の標識もなく、樹木に括られていた私製のプレートが、山名を示している唯一の物でした。
さて、歩き始めて以来ずっと抱えていた懸案にも、そろそろ結論を出さなくてはなりません。ここまで戻ってくる間も、この山頂での休憩中も、さんざん逡巡した末に、計画通りに歩くほうが無難だろうと判断しました。


ということで、先程右の山道から上がってきた分岐点をスルーして、南高尾山稜の尾根道をさらに南下します。
中沢山から先は、アップダウンの少ない穏やかな道。歩くのは今回で3回目なので勝手も良く分かっています。
少し進むと右側が開けた地点に出ました。
そこにはベンチがいくつも置かれて、見晴台というプレートも付けられていますが‥‥。
あいにく曇りがちだったこの日は、富士山はもとより、近くの丹沢や道志の山々も満足に見られませんでした。


その先もしばらくは緩やかな登り下りを繰り返したのち、下る一方になってくると間もなく西山峠です。
たくさんのベンチが置かれていたのは、西山峠の少し手前ですが、休憩にはこちらのほうが向いているかも。
というのも、西山峠にもベンチはあったものの数は少なかったからです。
なお、ここからも名手へ下る道がありますが、昨年の台風19号による影響で現在も通行止めでした。
西山峠の先には、下ってしまった分の登り返しがあります。
次の分岐点で巻き道を選ぶと泰光寺山を巻いてしまうので、ここでは尾根通しの道に入ります。
泰光寺山の山頂も展望のない地味な地点で、ここは巻いてしまう人も多そうです。でも今回の縦走では最後のピークとなるので寄っていくと、ご夫婦とみられるお二方が休憩中でした。
やや手狭な山頂も、私が着いた後は通りがかる人もなく、10分ほど休憩していた間は静かに過ごせています。
泰光寺山にも標識はなく、あったのは私製のプレートのみでした。


泰光寺山を過ぎるとすぐに急降下があって、反対側から歩いてくる時にはとても苦しいところです。
その後いくつかある分岐点では、すべて巻き道を選んで体力を温存しました。
三沢峠まで来れば、あとはもう登りはなくて、緩やかな下りを残すのみ。スタート地点までの距離こそまだ長いものの、この先の目処が立つようになって、少し安心感も生まれています。
三沢峠から峯の薬師への道に入ると、途中で一旦は車道のようになって、電波塔が建ち並ぶ一帯を抜けていきます。ここで赤色灯を点滅させた救急隊らしき赤バイク2台とすれ違ったので、どこかで何か起きていたのかも?
下っていく途中で展望が開けました。眼下の水面は津久井湖で、その奥が津久井城山です。
峯の薬師まで下ってきました。平日だからか、薬師堂もひっそりとしています。
峯の薬師の事務所の前は、落ち着いた雰囲気の広場になっています。
いくつか置かれていたベンチに腰掛けて、ここで最後の休憩を取っていきました。


峯の薬師からは表参道を下ります。道幅が広くて山道らしい趣はやや薄れるものの‥‥、
九十九折が続く道は傾斜が緩やかで歩きやすく、古くからの参道として良く歩かれていた様子が窺えました。
最後だけは石段を下って道路に出ます。
石段の下りが始まる脇には、大きな石柱が立っていました。


車道に下りたら、すぐの分岐で左の細い道に入ると、歩く距離を少し縮められます。
細い道を下った先で、橋を渡る手前にこの解説板があることは、Googleマップのストリートビューを見て分かっていましたが、解像度に難があってそれが何者かは不明だったのです。
現地に行ってみて、そこにあるのが「徳本碑(徳本念仏塔)」なるものと分かりました。徳本は江戸時代後期の高僧で、全国を行脚中に各村々が特徴ある書体で書かれた名号を求め、それを元に念仏塔が建てられたとか。
ここにあるものは「三井の徳本念仏塔」として相模原市の市登録有形民俗文化財に指定されており、立っていたのもその解説板でした。ネット上にも情報が少ないので、ここから拡大版を読めるようにしておきます。
その後は三井の集落内を抜けて、津久井湖に架かる三井大橋まで来ました。
三井大橋には歩道がなく、歩いて渡るのは交通量が増えた現在は危険ですが、近年(2012年)になって隣に歩道橋が架けられたので、現在は安全に渡ることができます。この歩道橋は三井そよかぜ橋という名前らしい。


三井大橋(三井そよかぜ橋)を渡った先にも遊歩道があって、その存在はGoogleマップで分かっていました。しかし、その入口だと思っていた階段を見ると草に埋もれ気味で、ちゃんと歩ける道なのか不安になります。
でも実は、階段の奥に隠れていたのが本当の入口で、そちらは良く歩かれている様子のしっかりした道でした。
遊歩道に少し入ると「梢のみち」という標識が立っていて、それはGoogleマップに出ていた名前と同じでした。
さらに進むと、竹林の中を通るちょっと雰囲気の良い場所もありますが‥‥。
遊歩道は短いもので、左手にはすぐに人家が現れて、その裏庭との境を進むような具合に。
そしてほどなく遊歩道は終わって、階段かスロープを上がれば車道に出てしまいます。
上がってきたスロープを車道から振り返りました。奥のカーブミラーの所には階段の下り口があります。


すぐ国道に出ると、そこは朝に自転車で走った道で、以降は5時間前に見た景色がもう1度繰り返されるだけ。
しかも歩けば20分くらいかかる距離があって、最後はちょっと退屈でした。
中野コミュニティ公園まで戻ってきました。無事に歩き切れて、それなりに余力も残せている一方で、やっぱり疲れていることは疲れていて、10分くらい足を休ませてからでないと、自転車に乗る気にはなりませんでした。
でも、いざ自転車を漕ぎ始めると、往路できつく感じた登り坂も帰りは下りなので割とスイスイ走れています(その後、途中に何度かある小さな登り返しもさほど苦にならず、意外と順調に自宅まで走れた感じでした)。
少し自転車を走らせたら、休憩がてら津久井湖城山公園の「花の苑地」に寄っていきます。朝はまだ閉まっていた津久井湖観光センターもこの時間は営業中で、平日ですがそれなりにお客さんも入っていました。
観光センターでは「咢堂まんじゅう」と「丹沢とうふひねり餅」を購入。「咢堂まんじゅう」はつぶ餡(白)とこし餡(赤)の2種類で、見た目以上に薄皮であんこがたっぷり、「丹沢とうふひねり餅」は豆乳っぽい風味がきいた素朴な甘さで、どちらも美味でした。
さて、途中で心配になることが起こりつつも、どうにか問題なく歩き終えることができて、一応はホッとしていますが、今後もこのような計画を続けるかどうかは再考する余地がありそうです。

登山前後にこれだけの距離を自転車で走るのは、よほどコンディションが整わなければ厳しいと分かりましたし、たとえ自転車の走行距離を前回や前々回並みに抑えても、これ以上季節が進むともう快適には走れないでしょう(そこから登山可能な山も、前回・前々回の草戸山か津久井城山にほぼ限られて対象を広げられません)。
そもそも自転車がママチャリなのも問題で、そこをグレードアップする方法もない訳ではないけれど、高々月に数回の山行のためにと考えると、ちょっと折り合いの付かない気分の投資になりそうで二の足を踏んでいます。

となるとやはり、ずっと避けている公共交通機関の利用を再開する以外に山行の幅を広げる手はなさそうですが、今のところはコロナを忌避したい思いのほうが強いので、今後は寒くもなることですし、しばらくの間は近場の低山なり丘陵なりといった同じような行先でやり過ごして、この情勢が好転するのを待つしかなさそう。

それにしても、医療関係者をはじめ、頑張っている人たちは本当に頑張っているのに、コロナ禍には終息の兆しすら見えず、一体いつまでこんなことを続ければ良いのでしょう(誰のせいでこんなに長引いているの?)。
この世の中が私のようなタイプの人間ばかりだったら、たぶん経済が持ちこたえられないので、Gotoなどを使ったりして遊び回る人がいてくれるのも大切なことなんだろうと思っていますが、外を出歩くことが多い人ほど感染対策には万全を期して欲しいのに、実際はそうなっていないんだろうなぁ。

タグ:高尾・陣馬
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草戸山・榎窪山 [高尾・陣馬]

2020/10/13(火)

■第431回 : 草戸山(364m)・榎窪山(420m)


先々週に続き、今回もアプローチに自転車を走らせて、公共交通機関を利用しない山行に出掛けてきました。

今回の行先は南高尾の草戸山です。もう何度も登っていて、平時であれば、もう少し寒くなる時期を待って出掛けるような標高の山ですが、自転車で無理なく行かれる距離なので行先に選びました。
コースは、試走と視察を兼ねて4月に行った「自転車行で津久井湖へ」の時に1番目の行先にしていた、川尻八幡宮を拠点に周回する設定で、相模原市内で完結する行程(※)という点も前回同様です。
(※)草戸山は東京都町田市との都県境に位置していて、町田市の最高峰でもあります。

 累積標高差(登り):515m / 距離:11.0km / 歩行時間:3時間25分 (休憩除く) 
標準タイムは不明(登山地図の収録範囲外) 

(往路)
自宅-自転車移動(約13.4km)-川尻八幡宮

(登山行程)
川尻八幡宮     07:40
金刀比羅宮     08:40
城山湖       08:50-08:55
草戸山       09:15-09:25
榎窪山       09:55-10:00
城山湖散策施設   10:20-10:25
若葉台七丁目バス停 11:10
川尻八幡宮     11:30

(復路)
川尻八幡宮-自転車移動(約13.4km)-自宅


大きなマップで見る(Googleが運営するFirebaseのサイトに遷移します。※上に埋め込んだマップも同サイト上のものです)

国道16号線と国道413号線を走り継ぎ、川尻八幡宮の鳥居が見えてきたところで国道から離れます。ここまではほぼ平坦な道が続いて(厳密には登っているものの勾配はほんのわずか)、ママチャリでも楽に走れました。
でも鳥居の先に約1km続く八幡宮の参道に入ると、明らかな登り坂に変わり、最後は少し息が上がって八幡宮前の交差点へ。ここまで休憩なしで走り続けて(たびたび信号待ちでは停まったけれど)1時間10分ほどでした。
今回は、八幡宮の駐車場に自転車を停めさせて頂きました。
なので、まずは川尻八幡宮で参拝していきます。1525年の創建と伝えられ、1760年に再建された本殿はこの地域で最古の木造建築だとか。奥には鎮守の森が広がり、奈良時代の様式と推定されている古墳もあります。


県道を北方向に歩き始めて数分、小松交差点まで来ると、すぐ近くで「小松コスモスまつり」が開催中でした。
交差点付近にあったのは、小松コスモス園のほんの隅っこなのでしょうが、それでもたくさんの花を見られました。休耕田に毎年100万粒の種を蒔いて育てているようで、まつり期間中は有料で花摘みもできるらしい。
小松交差点のすぐお隣には小松橋交差点。ここは前にも来たことがあります。
というのも、すぐ先に小松ハイキングコースの入口があるから。でもこのコースは、すでに登りでも下りでも歩いているので、今回は往復ともに敢えて違うコースを見つけてあって、ここはスルーして先へ進みます。
やがて家並みが途切れがちになると、左手に小さな尾根が見えてきました。このあと歩く予定の尾根です。


さらに進んで、穴川バス停と穴川交差点を過ぎれば、その尾根への入口も間近です。
穴川交差点の先にはハイキングマップが掲示されていました。この掲示の存在はGoogleマップのストリートビューを見て事前に知っていて、こんな所にあるくらいだから、てっきりこれから歩くコースが示されているものと期待していたのに、そのコースは全く載っていなくて(というか存在すら示されていない)、ガッカリでした。
それらしい案内は何もありませんでしたが、この細い路地が、目指していた尾根への入口です。
すぐに墓地に出て舗装された道が途絶えた先にも、草に覆われた土の道が続いていました。
ほどなくY字の分岐に出たら、目指す尾根がすぐ左手に迫っていました。
ここが尾根道への入口です。ここまで道案内は一切なかったけれど、右手の小さな電波塔を目印にできそう。


あまり知られていない筈の道にしては、意外にもそれなりに道幅のあるしっかりした道です。路面には轍らしきものも見られるので、時には何らかの車両が通ったりもする模様。でも、道が明瞭なのに安心した一方で‥‥、
普段は全く人通りがないのか、行く手を蜘蛛の巣(中にはかなり発達したものも)に頻繁に遮られます。それがあまりに鬱陶しく、拾った適当な小枝で払いながらでなければとても進めません。さらにヤブ蚊にも次々と襲撃されるという二重苦で、この暑い中、一旦は半袖にしていたウェアを長袖に戻し、手袋までして歩く羽目に。
分岐点が現れると、そこには鳥獣供養塔がありました。
鳥獣供養塔を過ぎると道が細くなったので、その先はいよいよ歩かれていないようです。
それでも道は明瞭なままで、森の雰囲気も好ましい感じなのに、蜘蛛の巣とヤブ蚊の不快さといったら。寒い時期を待った上で、週末などいくらかでも人が通りそうな日を選ばないと、ここは快適には歩けないのでしょう。
また、道には時折分岐が現れます。より明瞭なほうを選んでいれば大抵は間違いないものの、中にはほぼイーブンに見える分岐もあったので、目指す大体の方角が把握できていないと、進路に悩まされるかもしれません。
結局、尾根道の出口まで、快適には歩けないままでした。この時期にこの道を選んだのは失敗だったようです。
出てきたのは車道がT字路になっている地点で、車道から歩いてきた尾根道を振り返りました(写真左端)。


そこからは、少しだけ車道を歩きます。
ほんの4~5分で城山湖エリアに到着。ゲートを越えた先には、小松ハイキングコースからの出口もあります。
右手には金刀比羅宮への石段が現れて、ここから先はもう何度も歩いている道になります。
石段は短いものですが、すこぶる急で侮れません。各段の段差も大きくて、腿上げに骨が折れました。
1段上の道路に上がれば、目の前が金刀比羅宮です。
計画よりも少し早く着いたので、ここで20分ほど時間をつぶしていこうと、金刀比羅宮の境内に入ります。
金刀比羅宮からは、南東側を広く見渡せました。この日は遠望がきかず、橋本駅周辺のビル群が目立っていた程度でしたが、展望に恵まれないピークを巡るこの日のコースでは、こんな眺めでも貴重だったのです。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
時間調整の理由は、城山湖の堤防の開放時間が9時からと知っていたから。でも金刀比羅宮の境内から見ていると、城山湖の方向から何人かのハイカーが歩いてくるので、これはもう通れるに違いないと行ってみると‥‥。


やはり城山湖への入口が開いていました。少し早めに開けてくれたのでしょう。
城山湖は本沢ダムによって堰き止められた人造湖です。近付いて行くと見えてくる、草が生い茂った緑色の斜面がダムの堤体で、その天端の堤防上は歩道になっています(このあとそこを通って対岸へと向かいます)。
堤防上の歩道まで来ました。対岸の斜面には、植栽による「しろやまこ」の文字が見えています。
堤防上から上流側を眺めるとこんな具合。このあと、奥に見えている稜線上を右からへ左へと歩きます。
堤防上のベンチで少し足を休めました(ここからの展望は、金刀比羅宮からの眺めと大差なかったです)。


堤防上を渡って対岸に回ったら、奥に見えてきた階段を昇って草戸山への登山道に取り付きます。
階段を昇ってもまだ開門時間の9時前でしたが、登山道の入口にある門もすでに開いていました。
登山道に入ると、小刻みなアップダウンをしながら徐々に高度を上げていき、はなさき休憩所を通過します。
はなさき休憩所の先では1度ガクンと下るなど、草戸山へはなかなかすんなりとは登らせてもらえません。
そして急で少々長い木段を登ります。城山湖からの標高差なんて約80mしかないのに、割ときつい登りでした。
それでも、境川源流への分岐を過ぎれば、もう頂上は近いです。


草戸山の頂上に着きました。ちょうど誰もいないタイミングに当たったようです。
山之神の小さな祠と、その割に立派な鳥居があります。
かつては展望台を兼ねていたらしい休憩舎があるものの、樹木が生長してしまった現在、眺めは今ひとつです。
ここは松見平休憩所にもなっていて、堂々とした標柱が立っていたのに対して‥‥、
公的な山名標などはなく、草戸山の文字は私製の標柱に刻まれているだけでした。
頂上で10分ほど休んでいる間に、2組計3人のハイカーが現れては、ここを素通りして過ぎ去りました‥‥。


草戸山から榎窪山に向かうと、尾根道は引き続きアップダウンを繰り返して、急な木段の登り下りもあります。
結構きついアップダウンにしばらく耐えていると、ようやく緩やかな道に変わりました。このあたりがこの日で唯一、山道を快適に楽しんで歩けた区間だったかも。
しかしそれも束の間、またしても急な木段の登りが現れます。
そこではこの通り、木段が単なる障害物と化していたので、その脇の斜面を歩くしかなくなっていました。
その後も急な木段は続きました。草戸山と榎窪山の間も、単純な標高差は60mに満たないほどなのですが、再三のアップダウンのために、小さな標高差とは桁違いに絞られたような気がして、何度歩いても苦しい区間です。
一連の木段を登り切った先のふれあい休憩所では、先程草戸山を通過していた3人が休憩中でした。急な登下降が収まった地点まで来てから休まれているあたり、道の様子を良くご存じの歩き慣れた方々だったのでしょう。


城山湖の周囲を1周する散策路と、南高尾山稜などへの縦走路の分岐点まで来ました。一旦右の道を登って、すぐ先にある榎窪山まで往復したら、ここまで戻って今度は左の道に入り、再び城山湖の湖畔方面へと下ります。
おっと、榎窪山へ直行するつもりが、途中で道を間違えて、峯の薬師からの道に出てしまいました。何度も歩いているからと気を抜いていてはいけませんね。ま、小さな道間違いなので、特にダメージはなかったのですが。
なので、三沢峠を経由して榎窪山へ。三沢峠では6人ほどのグループが賑やかに休憩中で、接近は避けました。
榎窪山に到着しました。全く展望がなく雰囲気も地味な山頂で、多くの人が素通りするような地点ですが、この日の私にとってはここが最高点なので、ベンチに腰掛けて少し足を休めていきます。
以前は私製の山名標だけだった所に、公的な道標が増えていて、榎窪山の名もきちんと記されていました。


先程の分岐点まで戻ったら、城山湖へ下る道に入ります。
その道は傾斜がいたって緩やかで歩きやすい反面、見た目がすっかり車道で、山道の趣がないのが残念でした。
舗装道路に降りたら、発電所を横に見ながら進みます。
城山湖散策施設の管理棟の前まで来ました。
無人の管理棟には周辺の観光案内が置かれていたほか、奥には駐車場やトイレがありました。


城山湖散策施設の管理棟前からは、右の2車線の道に入ります。
ありきたりの車道を少々長く(といっても時間にすると10分ちょっと)歩くので、ここはいささか退屈でした。
左手に現れた電波塔のすぐ先に、次に歩く若葉台北尾根道への入口があります。5年前にも歩いている道ですが、ここから入るのは初めてで、道標等の案内が何もない上に、草深い様子も不穏に感じる歩き出しです。
案の定、道は明瞭ながらも、続けざまに蜘蛛の巣に行く手を阻まれて、はじめに歩いた山道の再現のようです。
途中には倒木が放置されていたりして、この道も少なくともこの時期はほとんど歩かれていないのでしょう。
普門寺からの道を合わせるあたりには、見覚えのあるベンチが(5年前の記事にも同じベンチを載せていました)。この先で少しは歩きやすくなったものの、でも油断していると蜘蛛の巣に引っ掛かったりしました。
さらに進むと、若葉台の住宅地のすぐ近くを通っていることが良く分かる景色が見られたり‥‥、
大きく展望が開けて、橋本駅周辺のビル群などを眺められる地点があったりしました(ここも5年前の記事を振り返ると、全く同じ地点を撮影していました)。
ただ、5年前に「思いのほか気持ちの良い道」と書いていた道も、この日は不快指数が高くてあまり楽しめませんでした。時期が5年前より1ヶ月早いだけにしては、差が大きすぎる気がします。
そういえば、5年前に見た、上の写真の地点を「若葉の展望台」とする道標も、この日は見つけられなかったりしましたし、前よりも歩かれなくなって少し荒れてきているのかも、という印象も持ちました。
そしてしまいには、ヤブが激しくなって、これ以上先へ進もうという気が失せました。
近くには道標があったものの、落ちて切り株に載せられたものが、草に覆い隠されているような始末でした。
幸いにもそこからはすぐに住宅地へ抜けることができ、先にその道が見えていたこともあって、潔く撤退する決心がついています。こんなにも住宅地に近い道なのに、ここまで歩かれてなさそうなのは完全に想定外でした。


仕方なくそこからは、若葉台の住宅地の中をぐるっと回って行きます。
若葉台七丁目のバス停まで来たところで、計画通りのコースに復帰しました。
順調に進んでいれば、バス停の向かいにあるこの階段で、上を通る尾根道から降りてくる、という計画でした。
さて、若葉台七丁目のバス停から自転車を停めている川尻八幡宮へは、車道を南北どちらに進んでも大回りになるのに対して、東側に広がる森の中を抜ければ最短距離で向かうことができ、そこも5年前に歩いていました。
ということで、もう少し住宅地内を進み、その森への入口となる階段まで来ました。ここまで、マトモな登山道は別として、マイナーな山道を選んだ区間はいずれもハズレでしたが、この森は気持ち良く歩けるでしょうか?


森の中に入ると、数は少ないものの蜘蛛の巣を払いつつ進むしかなく、ここもろくに歩かれていない様子です。こんな時期の平日ですから、やはりポピュラーな小松ハイキングコースを往復するのが正解だったのでしょう。
実は5年前は、この森に入る頃にはもう薄暮が迫り、景色はほとんど見られなかったのです。明るい中を歩いてみると、道がこんなにも細く、分岐する脇道も多くて、暗い時間に良く歩けたものだ、と我ながら思いました。
途中には、ちょっといい感じの雰囲気の場所も。この森は、時期さえ選べば、快適に歩けるのかもしれません。
とはいえ道案内なんて皆無なので、適当に進んでいたら、予定とは少しズレた地点で車道に出てしまいました。
なので、途中で車道を外れて方向修正を試みましたが、後で確かめると、そのまま車道を進むのが近道でした。
振り返ればいろいろなことがあったけれど、一応は予定通りの時間に川尻八幡宮に戻ってきています。
冒頭に書いた通り、本来はもう少し寒い季節が適した行先で、それゆえマイナーな山道までコースに含めたのが時期的に失敗でもありましたが、満足に山に行けない日々が続いていたので、歩き通せたことには満足でした。

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